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ジャズとモーツァルト
 職場のコンサートのジャズ・シンガーの方がFacebookページをお持ちになっているのは知っていて、パンフレットを作る時には写真などを使わせていただいていました。そこで、間近になったので何か書き込みがあるかな、と見に行ったら、そこにはちゃんとこのコンサートの予定が載っていたではありませんか。さらに、そこにご近所に住んでいる私の「お友達」がコメントを書き込んでました。シンガーさんと「お友達」だったのですね。世間は狭いものです。ですから、私も「スタッフです」と書きこんで置きました。
 そうしたら、折り返しシンガーさんからお友達リクエストが寄せられましたよ。なんか気さくそうな方、もちろんすぐに承認しましたよ。ついでに、当日の打ち合わせなども送信したりして。

 そして、きのうは車いっぱいに楽器やPAの機材を積み込んで、岩手県を朝早く発ってきました。こちらも受け入れ態勢は万全、テントの下にブルーシートを敷いたり、電源を用意したしておきます。
 メンバーはシンガーさんとギターさんがご夫婦、それにベースさんが加わります。セッティングが終わるとさっそくリハーサルとPAのチェック、爽やかなジャズが境内に響き渡ります。

 ヴォーカル・マイクにご注目。SHUREのSuper55ですよ。写真では良く見かけますが、実物を見たのは初めてです。シンガーさんの声が、とても暖かく聴こえます。

 そのうち、お客さんもぼちぼちやって来たので、楽器はそのままにして控室に行かれました。お客さんは、珍しげに眺めていましたね。

 一通りの総会と、本来の催しである鐘楼の落慶法要が終わって、いよいよコンサートが始まります。そうしたら、「テネシー・ワルツ」などはさっきのリハーサルとは全然別のアレンジで始まりましたよ。こういうところがさすがジャズマンですね。その場の雰囲気で、即座に演奏が変わってしまうのですから、すごいです。メインのヴォーカルは、マイクのせいだけではなくとても暖かい声、ジャズ・シンガーにありがちな押し付けがましいビブラートなどもなく、素直に心に届いてくる歌声でした。もちろん、バックの楽器との絡みも最高、ご主人も交えてのMCも素敵で、あっという間にステージが終わってしまいました。きっと、聴きに来たご高齢のお客さんたちにも、しっかりとジャズの心が伝わったことでしょう。

 最後にベースさんが鐘楼に登って行ったと思ったら、曲のエンディングで鐘を叩いて、この催しに対するリスペクトも見事に伝えてくれました。

 今日は、楽しみにしていた7月のコンサートの初顔合わせでした。ニューフィルの団員が中心になって、モーツァルトの交響曲を2曲演奏するというものです。その話を聞いた時には、私は真っ先に手を挙げてメンバーに加えてもらいました。こういう機会をずっと待っていたんですよね。ニューフィルのような、ちょっと大きくなりすぎた組織ではない、もっと風通しのいい環境での室内オーケストラ、こういうところで吹ける機会を下さったN村さんには大感謝です。
 初めてなので、ちょっと硬くなっていたところもありましたが、みんな名人ぞろいですから、間違いなく素晴らしい演奏会になりそうな予感です。
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by jurassic_oyaji | 2014-05-31 22:30 | 禁断 | Comments(0)
C.P.E.BACH/Die letzten Leiden des Erlösers
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Christina Landshamer, Chrisitane Oelze(Sop)
A. Vondung(Ms), M. Schmitt(Ten), R. Trekel(Bar)
Hartmut Haenchen/
RIAS Kammerchor(by Denis Comtet)
Kammerorchester Carl Philipp Emanuel Bach
BERLIN/0300575BC




カール・フィリップ・エマニュエル・バッハは、1714年の3月8日に生まれていますから、ヨーハン・ゼバスティアン・バッハが28歳の時の子供です(父バッハは1685年の生まれですが、まだ誕生日の前でした)。ということは、今年2014年は、C.P.E.バッハの生誕300年という記念の年になるのですね。それにしては、日本ではあまり騒がれていないな、という気がしますが、地元ドイツでは大いに盛り上がっているに違いありません。
事実、そのまさに300歳を迎えた誕生日当日の2014年3月8日には、ベルリンのコンツェルトハウスで、彼の大作「救い主の最後の苦難」という受難カンタータが演奏されようかという時を迎えていました。おそらく、その模様はドイツ全土にラジオで放送されたのでしょう。そして、その時の音源が、こんなに早くCDになって、日本でも入手できるようになっていました。ま、あの新年の恒例行事には及びませんが、こんなマイナーな作品のCDがたった2か月ちょっとで届くなんてかなり異例のことです。それだけ、ドイツ人のこの作曲家に対する思いが尋常でないことも、ここからはうかがえるのではないでしょうか。
演奏しているのは、ハルトムート・ヘンヒェンが1982年から芸術監督を務めているカール・フィリップ・エマニュエル・バッハ室内管弦楽団。まさにこの日にふさわしい名前を持つ団体ですね。1969年に設立されたこの室内オケは、もちろんモダン楽器を使っています。なんと言っても昨今はこの時代の作品ではピリオド楽器で演奏する方が当たり前という風潮が強まっていますが、それをあえてモダンで押し切っているのは、オペラなど幅広い分野で活躍しているヘンヒェンの、「本当の意味での『オーセンティック』な演奏などありえない」という主張の反映なのでしょう。
1770年に作られたこの作品は、もはや、いわゆる「受難曲」のように教会での礼拝の際に演奏されるものではなくなっています。声楽はソロ5人(ソプラノが2人)と混声合唱、一応物語を進行させるレシタティーヴォはありますが、それは聖書の言葉をそのまま語るのではなく、もっと自由に編集されたものに変わっています。これはソリストが交代で担当。中には「アッコンパニャート」という、ドラマティックな伴奏が付くところもあります。でも、聴いているうちに父バッハの作品でおなじみの単語や固有名詞が出てきますから、それなりにプロットは継承しているのでしょう。「ペテロの否認」のシーンのあとに悲しみに満ちたアリア(テノールの「Wende Dich zu meinem Schmerze」)が続く、などというのも、もはや時代を超えたパターンとして受け継がれているのかもしれませんね。このアリア、最後に一旦終わるかに見せて、終わらずに続くという「偽終始」と呼ばれる和音進行が聴こえます。これなどは、まさにモーツァルトなどにつながる新しい音楽の象徴ですね。
さらに、同じテノールで、今度はキリストを揶揄するような元気のよいアリアが歌われます。タイトルが「Vorstockte Sünder!(強情な罪びと)」というのですから、どんな内容かは大体想像できますね。途中にはコロラトゥーラなども現れて、その「軽さ」が強調されています。
最後は大きな合唱で締められますが、これは間にソロを挟んだいともノーテンキな曲調なので、なんと不謹慎な、という気になるのですが、実はこれは死によって人々を「救って」くれたキリストに対する感謝の気持ちの表れだったのですね。この前の曲では、なんとティンパニまでが加わって、もろダイナミックに盛り上げています。父バッハの作り上げた崇高な世界を、息子はもっと身近なものにした、といったところでしょうか。
合唱はたまにしか出てきませんが、なんか上っ面だけの歌い方に終始しているように感じられてしまいます。こんな作品だからこそ、もっと「熱く」歌ってほしかったのに。

CD Artwork © Edel Germany GmbH
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by jurassic_oyaji | 2014-05-30 20:13 | 合唱 | Comments(0)
オタマジャクシ
 もはや、スーパーの店頭でタケノコを見ることはなくなってしまいました。もうシーズンは終わりですね。しかし、今年は本当にタケノコの当たり年でした。結局、みんなに集まってもらって全てのタケノコを根こそぎ掘ってしまったと思っていたのに、そのあとも出てくるわ、出てくるは。ですから、我が家でもいつになくたくさんのタケノコを食べることになってしまいました。いつもだとせいぜい1本か2本ぐらいしか食べないものを、今年はさっき数えたら5本でしたからね。
 タケノコの季節も終わり、掘り取る時期を逸したタケノコたちはすくすく育って本物の竹になってしまいました。全く、あんなおいしいタケノコだったものが、あっという間に洗濯竿みたいな固い棒になってしまうのですから、不思議なものですね。
 そんなドラマが繰り広げられた竹やぶのそばの池の中でも、やはり同じように自然の不思議が繰り広げられています。それは、お馴染み、カエルの卵です。あんなグロテスクだったたくさんの卵から孵ったオタマジャクシは、池の中をのびのびと泳ぎまくっています。
 今までの「禁断」で振り返ってみると、これは、4月7日の写真。


 太いうどんのような形になっていた卵の中から、生き物らしい黒い塊が外に出てきたあたりですね。
 そして、4月23日になると、

 このように、小さなオタマジャクシが池の中を埋め尽くしています。
 ここからが、その先の写真。5月1日には。

 同じオタマジャクシでも、頭の部分が大きくなっていますね。個体数もかなり少なくなってしまったみたい。他の子たちは、いったいどこへ行ってしまったのでしょう。「淘汰」というやつでしょうか。
 それから事あるごとに池をのぞいて観察しているのですが、なかなかこの先の段階へは進みません。今日見たのは。

 さらに頭が大きくなったような気がしますね。なんか、昔の記憶では、もうこのあたりでは後ろ足が生えてきていたはずですが、調べたらそうなるまでには2,3カ月はかかるのだとか。もうちょっと先なのですね。


 でも、あんな小さなものが、ここまで大きくなってしまうなんて、間違いなく「奇跡」です。
 そんな風に、季節は繰り返されます。去年はニューフィルの金管合奏で盛り上がった職場のコンサートですが、今年は、新しい鐘楼も出来たということで、その前で落慶法要の後にコンサートが行われます。本番はあした。そのためのセッティングが、終わったところです。毎年日影が必要なぐらい暑い日となるのは分かっているので、こんなテントを用意したのですが、張り終わって、これでは肝心の鐘楼がほとんど見えなくなってしまうことに気が付きました。きちんと寸法まで測って発注したのですが、屋根の位置まではシミュレーションができませんでした。

 ちなみに、明日の演奏は、別の筋からの紹介による、プロのジャズ・シンガーです。こんなCDも出されてます。

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by jurassic_oyaji | 2014-05-29 21:45 | 禁断 | Comments(0)
BEPPE/Remote Galaxy
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Ralph Rousseau(Va. d. G.)
Mark van Wiel(Cl)
Emily Beynon(Fl)
Vladimir Ashkenazy/
Philharmonia Orchestra
2L/2L-100-PABD(BA)




モーテン・リンドベリというエンジニアが一人で録音から何から手掛けているレーベル「2L」が、ついに100アイテム目をリリースしました。そういえば、こちら99番目だったんですよね。ちょっと季節外れですが、鍋物かなんかでお祝いしなければ(「煮える」ですから)。
このレーベルは、とことん「音」にこだわったリンドベリによって、常に最高のスペックの製品を提供してくれていました。特にサラウンドに対する熱意には特別なものがあったはずです。スペックは最初からハイレゾのSACDだったものが、さらに超ハイレゾの世界に入っていき、最近ではSACDBAが同梱されている形に落ち着いていきたな、と思っていたら、今回のパッケージはBAのみ、SACDを出さない代わりに2枚組LPをリリースというスタイルになっていました。ピュア・オーディオはLPで、そしてサラウンドはBAで、というポリシーなのでしょうか。そう、今回のサラウンドは、今までの5.1に加えて、「7.1」と「9.1」というものが新たに入っています。そのうちの9.1は、「AURO 9.1」という特別なもので、通常の5.1の「上方」にさらに4つのスピーカーを設置するというものなのだそうです。なんだか、MDGの「2+2+2」とよく似た発想ですね。
でも、これを再生するには、新たなスピーカーと、特別なデコーダーも必要なようですから、到底この方式が浸透するとは思えないのですがね。いや、そもそもBA自体が、各メーカーとも出してはみたもののいまいち売行きは芳しくないということで、もはや撤退を検討しているところもあるという噂もささやかれているぐらいですから、こんな「先進的」な方向に進み過ぎて墓穴を掘らなければいいのに、と思う昨今です。
今回のBAには、フルートのエミリー・バイノンが参加しているので、それが最大の目玉でした。なんでも、彼女のために作られた「フルート協奏曲第2番」が収められているのだそうです。そういえば、以前やはりバイノンをフィーチャーした同じようなジャケットデザインのアルバムに「フルート協奏曲第1番」が入っていましたが、その時の作曲家はフレード・ヨニー・ベルグ、しかし、今回は「フリント・フベンティーノ・ベッペ」という別な人です。なんか作風も似てるし、よくこんな人を見つけたものだ、と思ったら、実はこれは同じ人、最近名前を変えたのだそうです。珍しいですね。
ということは、その、以前のアルバムでは作品そのものには完全に失望させられた思い出がありますから、ここでも同じような、まるで砂をかむような思いをさせられるのでしょうか。
残念ながら、そんな「期待」は全く裏切られることはありませんでした。その最新のフルート協奏曲ときたら、あまりの中身の薄さに驚かされます。何しろ、「フルート協奏曲」と言っていながら、バイノンのソロはほんとにたまにしか聴こえてこないのですからね。それ以外は、いかにして華麗な響きで空間を埋めようかというあざとさがミエミエの派手なサウンドで迫るばかり、確かにオーディオ的には価値がありそうですが、それだけのものでしかありません。
そんな中で、そのバイノンはさらに脂ののった素晴らしいフルートを聴かせてくれています。特に高音の輝きは、以前はそれほど感じなかったものです。ある場所などは、ピッコロがユニゾンで入っているのではないかと思えるほどのふくよかな高音、もちろん、この曲のオーケストラにはピッコロはおろかフルートも入っていませんからね。
それでも、この曲が一番マシ。他の曲はどうしようもないつまらなさです。タイトル曲の「Remote Galaxy」などは、ソロにヴィオラ・ダ・ガンバが入っていますが、なぜこの楽器なのかという意味が全く分かりませんし、クラリネット・ソロが加わる「Distant Words」も、アホみたいに明るいだけです。あと2曲のオーケストラだけの曲は、始まるやいなやものすごい睡魔が襲ってきましたし。

BA Artwork © Lindberg Lyd AS
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by jurassic_oyaji | 2014-05-28 20:22 | フルート | Comments(0)
カバー・ポップス
 前回映画を見に行った時には、私は一番後ろのど真ん中に座ったのですが、そのスクリーンはちょっと変わった座席配置になっていて、私の席の隣に出入り口がありました。つまり、そこだけちょっとした壁に仕切られる形になっているので、私の右側はその壁、誰も座っていませんでした。ですから、最後列はそこで途切れて、「壁」の向こうにもう1ブロックあるという感じになっています。と、その一番近いところに座っている人に、何か見覚えがあります。横顔しか見えないのでちょっと自信はないのですが、それはどうもニューフィルのヴィオラの人のようなのですね。私は力を入れてその人に視線を送ったのですが、全く気が付く気配がありません。あちらがちょっとでもこっちを向いてくれれば確かめられるのに。終わってから、近くに行こうと思ったら、もうそこにはいませんでした。まあ、練習の時に本人に確かめてみましょう。しかし、METのライブビューイングを見に来るなんて、かなりの「通」だったんですね。
 同じ映画館では、もちろん「Frozen」も大ヒット公開中だったはずですが、私は見る気にもなりません。最近のディズニーのキャラクターには、どうもなじめないのですね。表情がリアルになったと同時に、とても不快に感じられてしまうのですよ。特に、眉の間にしわを寄せるという表情が、いやでたまりません。なんか、人に媚びているような気がしてならないのです。
 とは言っても、これだけヒットしていると、主題歌などはいやでも耳に入ってきます。一番有名な「Let It Go」などは、本屋さんに行ってもかかっていますからね。これが面白いことに、オリジナルのイディナ・メンゼルの英語版以外にも、吹き替えように用意された松たか子の日本語バージョンもあるのですね。そのどちらもヒットしているようですし、もう一つ、May J.のバージョンも日本語版の最後で流れるようで、これも良く聴きます。というか、きのうの「かえれま10」にゲストで出ていた時に歌っていたのですがね。
 そのMay J.バージョンを聴いて、なんだか他のバージョンとメロディが違っているのが気になりました。確かめてみたら、こういうことです。ネットで探した楽譜を、原形をとどめぬほどに加工したのが、これ。

 これはサビの部分、というか、この曲でキャッチーなのはここしかないのでは、と思うのですが、オリジナルがこの形。1回目の「Let it go, Let it go」では赤字の部分が同じ音ですが、2回目では「it」が6度上の音になっています(赤い四角)。しかもそのあとの「go」の音にはトリルの装飾が。こうすれば、1度目よりも2度目の方が盛り上がって、より広がりが出てくるという憎い工夫ですね。
 ところが、May J.バージョンでは、ここが2回とも同じなんですよ。なぜこんなことになったのか、まあ「カバー」にはありがちなことだと片づけてしまうのは簡単ですが、さっき言った作者の「工夫」へのリスペクトがなくなってしまっているカバーというのは、どうなんだ、と思ってしまいます。
 まあ、そんな些細なことはどうでもいいのですがね。だいたい、この世界では、オリジナルに忠実にカバーしようとする風潮はまるでないのですから。いや、本人がセルフカバーをする時でも、別のメロディで歌われたりしますから、オリジナルを信奉している人はガッカリしてしまうことでしょう。
 その点、松たか子は、オリジナルにとても忠実に歌っているような気がします。これこそ「日本語カバー・ポップス」の鑑ですね。そうなんです。今では全く廃れてしまった、1960年代に日本中でヒットしていた外国のポップス(今では「洋楽」といいます)を日本語で歌うという一大ムーブメントが、ここにきて華々しく復活するとは。知ってます?弘田三枝子とか飯田久彦といった当時のアイドルを。飯田久彦なんかは、今ではレコード会社の取締役ですって。
 あ、今日の練習で確認したら、映画館にいた人はやはりご本人ですって。
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by jurassic_oyaji | 2014-05-27 23:46 | 禁断 | Comments(0)
KNECHT/Grande Simphonie, PHILIDOR/Overtures
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Christian Benda/
Orchestra Filarmonica di Torino
Prague Sinfonia Orchestra
NAXOS/8.573066




クネヒトの「大交響曲」は、その世界初録音のものをこちらで聴いてました。このベルニウス盤では、この曲は1997年の録音、カップリングの曲がなかなか見つからないでいるうちにリリースが延びてしまっていたのでしょう。
ですから、今回同じ曲が録音された2013年以前にも、もしかしたらどこかで録音されたものがないとは限りませんが、まあこんな珍しい曲はそうそう録音されるものではないでしょうから、ここはとりあえずNAXOSの顔を立てて、これが「2番目」だと言うことにしておきましょうか。ただ、こちらもカップリングには苦労したようで、クネヒトとは何の縁もないフランスの作曲家フィリドールという人の序曲が入っています。しかも、指揮者は同じなのにオーケストラが違うというのですから、いかにもやっつけ仕事という感じですね。
クネヒトを演奏しているのはイタリアのトリノのオーケストラ、エンジニアもイタリア人ということで、まさに「期待通り」のとんでもない音が聴こえてきましたよ。もうバランスは無茶苦茶、繊細さのかけらもない録音なのでした。木管なんか、全然聴こえてきませんよ。そこで、弦楽器の音がとても雑に聴こえると思ったら、それはどうやらソロで弾いているようでした。改めてベルニウス盤を聴きなおしてみると、そこは普通にトゥッティなのに、どうしたことでしょう。もしかしたら、その時に書いたように、スコアには「2つのヴァイオリン」などと書かれていますから、それをまともに受け取ってそれこそ弦楽四重奏ででも演奏しているのかな、とも思いましたが、第2楽章などでは普通にトゥッティなのですから、訳が分かりません。
それにしても、このソロのヴァイオリンのセンスの悪いこと。まるで自分の音に酔いしれているかのように、好き放題に弾いているのですから、聴かされる方はたまったものではありません。なんとかしてほうだい
最後の楽章には、この曲のアイディアをパクったのでは、と言われているベートーヴェンの「田園」の、同じ終楽章のテイストと、さらに第3楽章のような部分も含まれています。というのも、これは帯の日本語表記では全く分からないのですが、原文の表記では、「自然は喜びに満ち」なんたらという前に、きちんと「L'Inno con variationi: Andantino - Coro: Allegro con brio - Andantino - Coro: Allegro con brio」と書いてありました。つまり、この楽章は「聖歌と変奏」という4拍子の穏やかな部分と、「コーラス」という、3拍子の賑やかな部分とで出来ていて、それを交互に繰り返しているのですね。もちろん3拍子の部分が、後にベートーヴェンの第3楽章になるのです(いや、ならないって)。ところが、この2つの部分の切り替えが、この演奏ではとことん不細工なんですね。特に、最後の2つのセクションの間ときたら、静かに終わってそれで満足してしまったところに、まだにぎやかなものが続くという必然性がまるで感じられません。
なんか、ベルニウスではそんな思いはなかったはずなのに、と聴き直してみたら、案の定、そちらにはこの最後のにぎやかな部分はありませんでした。楽章の表記も「L'Inno con variationi: Andantino - Coro: Allegro con brio - Andantino」、つまり、楽譜そのものが違うのですよ。もしかしたら、今回のベンダは自分の裁量で付け加えたのだとか。そうだとしたら、これは蛇足以外のなにものでもありません。
フィリドールの方は、プラハのオケとプラハのスタジオ、おそらくエンジニアもイタリア人ではなさそうで、全く違った爽やかな音が聴けます。演奏されているのは4曲のオペラのための序曲ですが、そのうちの2曲は3楽章形式で、まさに「シンフォニア」本来の意味での「交響曲」に限りなく近いものです。そのあたりが「大交響曲」との接点だったのでしょうか。まるで、ちょっと手抜きのモーツァルトといった感じの、なかなか魅力のある曲ばかりです。演奏、録音とも、こちらの方がメインだった、と思いたいものです。

CD Artwork © Naxos Rights US, Inc.
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by jurassic_oyaji | 2014-05-26 22:20 | オーケストラ | Comments(0)
モーツァルトと東野圭吾
 丸1日オフになった時には映画、でしょうが、「テルマエ・ロマエII」でも見ようかと時間を調べていたら、なんと「コジ」が始まっていたではありませんか。「ゴジラ」じゃないですよ、METライブビューイングの「コジ・ファン・トゥッテ」。これを見ない手はありませんから、早々に家事を片づけてMOVIX仙台に向かいます。

 久しぶりに行ったら、チケットカウンターの前にお客さんを向いたモニターが設置してありました。これで、空席を自分で指定できるようになったんですね。これは便利、と言っても、私は後と前を間違えて見てしまったので、危うくスクリーンの真ん前の席を買ってしまうところでした。本当は一番後ろ、しかし、今回はモーツァルトということもあって、この前のように両側が空席のところなんかは全然ありませんでしたよ。入ってみると、4番シアターの後ろ半分はほぼ満席、しかも、高齢者がかなりいます。

 音は相変わらずの高音が頭打ちの、ハイレゾには程遠いもの、おそらくこれは再生装置のせいでしょう。それと、前回同様、5.1サラウンドのはずなのに、リアスピーカーからは全く音が出ていません。こんなオペラ・ブッファこそ、客席の拍手や歓声に包まれて聴きたいものだというのに。
 指揮者は、何かと健康状態が危惧されているレヴァイン。椅子に座ったままの指揮、おそらく立ち上がることも出来ないのでしょう、拍手を受ける時も椅子を客席の方に回すだけでした。オケはフルート、オーボエ、ホルンがアップになりましたが、フルートはブリアコフでしたね。レヴァインはとても病み上がりとは思えない、はつらつとしたモーツァルトを聴かせてくれていました。
 キャストは、聴いたことのある人はデスピーナのデ・ニースだけ、あとは、ほんとに若手の人で固められていました。特に、姉妹の2人がとても素敵な声、メゾのイザベル・レナードはルックスもいいし、これからブレイクするのではないでしょうか。男声2人もなかなかしっかりした人たちですが、ソロになるとちょっと物足りないところが残ります。演出はレスリー・ケーニッヒ、それこそミヒャエル・ハンペみたいなオーソドックス路線、エンディングも台本そのままという物足りなさです。しかし、ここでは衣装がそれを補っていました。チラシにあるように、姉妹は最初は殆ど同じと言って良いほど似たドレスだったものが、シーンが変わるたびにだんだん違いが増してくるという仕掛け。これは、男性に対する気持ちが最初はお互い全く同じだったものが、次第に片方が心情的に浮気を許し、ついには実際に浮気を行ってしまうという、姉妹間の「浮気感」のズレが次第に大きくなって行くことのメタファーだったはずです。
 デ・ニースを見るのは久しぶりでしたが、声も落ち着きを増し、演技もますます充実してきましたね。それだけ、他の人たちのようにはレヴァインの音楽の中に収まりきらない、自分の芸風が確立されているようでした。それにしても、この人、まるでマイケル・ジャクソンのように見えるのは、なぜでしょう。
 見損なった「テルマエ」は、時空のパラドックスがテーマの作品でしたが、この間読んだ東野圭吾の、その名も「パラドックス13」も、同じテーマで、もっとシリアスに迫ります。この前ちょっと書いたように、2009年に出版されたにしては、まさに2011年の大震災を予見したようなリアリティあふれる描写に驚かされます。間違いなく、これは2、3年前に文庫化されていたら、出版社の見識が疑われるものとなっていたはずです。今読んでも、ちょっと辛くなる人も多いのではないでしょうか。もちろん、東野さんの場合はそれだけで終わらないところがさすがです。そのような極限状態に置かれた人間の葛藤は、言わばこのままだと間違いなく起こりうる「大災害」のシミュレーションでしょうか。そして、この長ったらしいサバイバル・ゲームの最後にはきちんと「救い」が残されていますから、「金返せ!」ということにだけはならないはずです。
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by jurassic_oyaji | 2014-05-25 19:52 | 禁断 | Comments(0)
TSCHAIKOWSKY/Symphonie Nr.7, Klavierkonzert Nr.3
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Lilya Zilberstein(Pf)
Dmitrij Kitajenko/
Gürzenich-Orchester Köln
OEHMS/OC 672(hybrid SACD)




先日「交響曲第4番」が出たときに、「キタエンコとケルン・ギュルツェニヒ管弦楽団とのチャイコフスキーの全交響曲のツィクルスが完了した」などと書いてしまいましたが、実はまだ「完了」はしていなかったのでした。今回のアルバムの日本語の帯には、もしかしたらそれを読んでいたのでしょうか「前作で全集が完成したと思っていた方も多いのではないでしょうか?」という、揶揄とも取れるようなやや気になるフレーズが載っていましたね。しかし、まさか「7番」でツィクルスを完成させようとは。
実はロシアでは、この作品を取り上げる指揮者は結構いるそうなのです。ですから、レニングラード(当時)生まれの指揮者のキタエンコは「ドイツではほとんど知られていない」この作品をあえて取り上げようと思ったのだそうです。
もちろん、この世にチャイコフスキーが作曲した「交響曲第7番」という作品は存在していません。ただ、「5番」と「6番」の間の時期に、もう一つの交響曲を作ろうとしたことはありました。一応スケッチは4楽章分出来上がったというのに、チャイコフスキーはその出来に満足できず、これ以上この素材で交響曲を作ることを断念してしまいます。ただ、それではあまりにももったいない、と思ったのかどうかは分かりませんが、この「交響曲」の第1楽章をそのまま、単一楽章の「ピアノ協奏曲」に作り替えました。それが、ここでのカップリングである「ピアノ協奏曲第3番」です。もちろん、これはまぎれもなくチャイコフスキーの作品です。まあ、「2番」でもめったに演奏されないのですから、この「3番」に至ってはほとんど演奏されることはありませんが。
そんな、作曲家自身が見切りをつけた素材を使って、1950年から1955年までの間に「交響曲」を復元(「でっちあげ」とも言う)したのは、セミョン・ボガティレフというロシアの作曲家です。第1楽章は、もちろん「ピアノ協奏曲第3番」をそのままピアノ・ソロのパートをオーケストラの中のパートに置き換え、最後にある長いカデンツの代わりに10小節ほどのつなぎの部分を挿入し、金管のちょっとした「おかず」を加えて完成です。同じように、第2楽章と第4楽章は、チャイコフスキーのスケッチを弟子のタネーエフがピアノ協奏曲としてオーケストレーションを施し、「アンダンテとフィナーレ」というタイトルで完成させています(「作品79」というチャイコフスキーの作品番号が与えられています)から、それをさらにオーケストラだけの編曲に直せば済むことです。ただ、第3楽章だけは、この時点でもはやスケッチは残っていなかったのでしょう、同じ時期に作られた「18の小品作品72」というピアノ曲の10曲目「スケルツォ-ファンタジー」にそのままオーケストレーションを施したものを用いました。1957年にモスクワで初演され、1962年には、オーマンディとフィラデルフィア管弦楽団によってCBSに初録音されています。もちろんステレオです。
ちなみに、2006年にピョートル・クリモフという人が行った、他の曲で補った「第3楽章」を省いて、全3楽章という形にし、新たににオーケストレーションを施した「修復」は、ボガティレフの仕事とは全くの別物です。
SACDのハイレゾを存分に体験できる、いつもながらの素晴らしい録音は今回も健在、特に「7番」では、さらにワンランク瑞々しさを増した、殆どLP並みの音を聴くことが出来ます。それによって、この交響曲のとても華やかでキャッチーな側面がストレートに伝わってきます。やはり、これはそのあとに作られる「6番」とは全く別の世界、もっとあっさりした心情から生まれた曲のような気がしてなりません。
「ピアノ協奏曲第3番」では、カデンツァでまさに「玉を転がす」ような鮮やかな演奏を聴かせてくれるジルバーシュタインに耳が釘付けになってしまいます。

SACD Artwork © OehmsClassics Musikproduktion GmbH
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by jurassic_oyaji | 2014-05-24 20:31 | オーケストラ | Comments(0)
「かいほうげん」完成!
 「かいほうげん」は、めでたく全ページが完成しました。当初の予定通りの内容で、まるで測ったように作業が進み、予定通りの終わるのですから、こんなに気持ちのいいものはありません。なんて、終わったから言えるのですが、実際はそんなに簡単に行くわけはありません。今回も山あり谷ありの難行苦行が続いていたのでした。
 ま、それはあまりおおっぴらにはしないことにして。ただ、前回にご紹介したピアニストのFacebookページのタイトルを取り込んで、それを細工してこんな画像を作っていました。

 結構カッコよく仕上がったので満足していたのですが、この中にあるプロフィール写真が、なんかダサいんですよね。タイトルや、最近の写真だといかにも現代風の青年という感じなのに、プロ写だけがイナカの子供といった感じで、ちょっとミスマッチだな、新しい写真を使えばいいのにな、と思っていました。それが、今日になったら、私の思いが通じたのでしょうか、これだったら文句なし、という写真に変わっていたではありませんか。

 もちろん、こちらの方がさらに見栄えがしますから、これに差し替えるのは当然なのですが、全体を取り込むのは意外と面倒くさいので、写真だけ差し替えることにしました。ですから、正確にはこの写真になってからは「いいね!」の人数がもっと増えていることになります。私がこれを見たことを「禁断」に書いたら、ニューフィルの人が数人「いいね!」を押しているので、もう少し増えているのですよね。些細なことですが。
 さらに、この前の定期演奏会の写真などもたくさん入れてあります。そこで、普通の演奏会の模様などの他に、打ち上げの写真もしっかり入れようと、二次会のものまで載せています。この時は私は行かなかったので、自分で写真を撮ることはできませんでしたが、こういうことにかけては演奏会以上に情熱を燃やしている人がたくさん面白い写真を撮ってくれていたので、それをそのまま使うことにしましょう。ネットにはすでにアップされていますが、こんな感じです(ちょっとぼかしを入れてます)。

 さらに、なんと言ってもおめでたいお知らせがあったものですから、それも欠かすわけにはいきません。というか、そもそもこれを載せたいために発行を少し早めたわけですからね。

 結局今日中に職場で全部のページがつながったファイルを作るところまでは仕上げられました。後の細かいところは、それを持って帰って自宅で最終稿を作ることになります。そんな感じで、同じファイルを職場と自宅の間で共有する必要がある時には、今まではUSBメモリーを使っていました。「おやぢの部屋」の画像や原稿もそうですね。ところが、たまにメモリーを持って行くのを忘れたり、ファイルを保存することを忘れたりすることが出てくるようになりました。なんせちっちゃなものですからね。なんかの拍子にどこかに置き忘れたりすることもあるでしょうしね。そこで、今はやりの「クラウド」をやってみることにしました。と言っても、本格的なものはいろいろと大変なので、ほんとにシンプルに、私が使っているレンタルサーバーにフォルダーを作って、そこにFTPでファイルを送ったり取り出したりするというだけのことなのですがね。この作業自体は、ホームページを更新する時に毎日やっていることですから、いとも簡単。USBの抜き差しって、認識を解除したり、結構面倒ですが、これだったらFTPを立ち上げて一発ですからね。本物のクラウドだったら、自動更新なんか出来るのでしょうが、そんな大層なものは必要ありませんし。
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by jurassic_oyaji | 2014-05-23 21:13 | 禁断 | Comments(0)
オケ奏者なら知っておきたいクラシックの常識
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長岡英著
アルテスパブリッシング刊(いりぐちアルテス005)
ISBN978-4-903951-90-4



世にアマチュア・オーケストラの公式ウェブサイトというものはたくさん存在しています。そしてそれぞれは、じつに様々な形をもっています。もちろん、演奏会の案内などの活動状況の紹介などは欠かすことが出来ないものですから、まず、もれなく含まれているのでしょうが、それ以外の、団員による読み物なども加えて、バラエティ豊かに迫るものなども多く見受けられます。何を隠そう、このサイトにしてからが、そもそもの出発点はそのような、演奏会に向けて練習している曲についてのマニアックな蘊蓄を集めたものだったのですからね。ですから、この本の著者のように、アマオケの団員でそのウェブサイトに定期的に音楽に関する文章を投稿しているような人を見たりすると、なにか他人とは思えなくなってしまいます。
そう、この本の著者は、本来は音楽学者なのですが、お子さんが通う学校のオーケストラが、父兄も団員として受け入れるというところだったので、そこにヴィオラ奏者として入団し、日々のオーケストラ活動を楽しんでいるという方なのです。そんな方がサイト管理者の勧めに応じて、音楽に関するコラムを毎週公式ウェブサイトに投稿するということを3年間にわたって続けられたというのですね。その結果、180篇以上のコラムが出来上がったのだとか。こらむぁーすごいですね。
そして、その中から60篇ほどを選んで、再構成されたものが、こんな本になってしまいました。そのような、音楽的なバックボーンがしっかりしていて、なおかつオーケストラの「現場」に日々身を置いているという方の書いたものですから、これは読まないわけにはいきません。
ただ、最初にこの本のタイトル(編集者が付けた?)を見た時には、この「オケ奏者なら知っておきたい」というフレーズの中の「なら」という言い方に、ちょっと不快なものを感じてしまいました。これがたとえば「オケ奏者にとって、知っておいて役に立つ・・・」みたいな言い方だと、そんなことは全く感じたりはしなかったのでしょうが、これは本当に損をしているタイトルです。この言い方には、有無を言わせぬ強制力、言ってみれば知識の強要のようなものが感じられます。しかし、知識というものは、他人に強制されて与えられるよりは、自ら知りたいと思って身に着ける方が良いに決まってますからね。実際に読んでみると、そんな押しつけがましいところは全くない内容だったので、なんか、こんなタイトルを付けられたのがかわいそうになってきましたよ。
つまり、そんなよくある煽情的な割には中身のとことん薄いあまたのハウツー本のような先入観をもって読み始めたところ、その語り口は柔らかですし、述べられていることもいともまっとうで奥深いものだったので、かえって面喰ったというのが正直なところなのですよ。
中身がきちんとしているというのは、たとえば「モーツァルトが初めから木管4パートが2本ずつ揃った編成で作ったのは『パリ交響曲(31番)』だけ」というとんでもない事実を、いともさりげなく語る部分によって分かります。確かに、言われてみればそうでした。さらに、そんな「トリビア」であっても、いたずらにマニアックに走ってはいないことも、ベルリオーズが「幻想交響曲」で試みた「標題音楽」の先駆けとして、クネヒトではなくベートーヴェンの例を挙げていることから知ることが出来ます。
ただ1ヶ所だけ、「バロック音楽の付点リズム」のところで掲載された説明用の画像は、視覚的に不完全さを感じてしまいます。

このように「長」、「短」と「言葉」で説明するのよりは、

このように、きちんと「楽譜」(参考文献の中にもあったクヴァンツの書籍からの引用)で示してくれた方が分かりやすいはずですからね。

Book Artwork © Artes Publishing Inc.
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by jurassic_oyaji | 2014-05-22 20:40 | 書籍 | Comments(0)