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テーブル枠
 もう8月も終わり、こうなると、いくらお天気が良くても、もうすっかり秋の気配が漂ってきますね。今日も愛子方面に行く用事(いえ、花屋さんでのオークション、というか売れ残り品の投げ売り)があったのでがあったので、前に見た「田んぼアート」はどうなったのか、見てみることにしました。これが1ヶ月前、7月27日の写真です。

 そして、これが今日の写真。もう稲の穂が実っていますから、全体の色合いが変わっていますね。でも、まだまだ「アート」は楽しめそうです。

 家にいる時には、前回書いたように、久しぶりに職場の公式サイトを作りなおしてみました。もうサイトは変わっているので前のはどうだったのか比較なんかは出来ませんが、一応トップページのファイルだけは保存してあったので、見ることは出来ます。それはこんな感じ、新しい庫裏が出来たばかりだったので、そこをメインの写真にしてあります。


 そして、それから10年以上経って、震災後の改修工事も終わったということで、写真もそのあたりを使おうと思い、まず、工事に関係した建物が全部入るようなパノラマ写真を撮ってみました。まあ「震災後」というのを印象付けることにはなるでしょうからね。
 当然、パノラマですから写真は横長、それに合わせてレイアウトを考えると、今まで縦に並べていたメニューを横一列にする、というのが落ち着きそうなので、こんな風にしてみました。そして、その下に今までなかったコンテンツを加えた、ということです。ただ、おとといの時点ではこのテーブル枠の素材が別のものだったはずです(と言って、分かる人はまずいないと思いますが)。最初のものはそれなりにカッコよかったのですが、ちょっと不細工、それからもっといいものがないかと素材サイトを探し回って、最終的に決めたのがこれです。
 なんだか、出来あいのブログのスキンみたいですが、まあこのぐらい「軽い」ほうが、最近のネット社会の中では自分を主張できるのではないでしょうか。いや、別に何も主張する必要なんかはありませんが、まあ、ウェブマスターとしての誇り、というか。

 こういうのが出来てしまうと、中身の方も全部変えたくなってしまいます。それこそスタイルシートでも導入していれば、簡単に直せるのでしょうが、作った時にはそこまで考えていなかったので、ひたすら1ページずつ書き直して行くしかありません。まあ、いままでのソースの前後に、テーブルをコピペするだけで、出来てしまいますけど、その他にも細かい手直しは必要になってくるわけです。早い話、昔のサイトは銀塩写真をスキャンしたものですから、とりあえず、ここのシンボルである「マルミガヤ」の写真だけでも最新のものに変えておきたいですよね。
 そこで、パノラマ写真を撮ったのと同じNEX-6で、新しく撮ってみました。アングルはこれがベストです。ただ、電柱は仕方がないとして、その前にある物置がちょっと邪魔ですね。

 そこで、それを消してみます。ちょっと恥ずかしくなるような雑な仕事ですが、まあ、これだけを見た人だったらまず気が付かないのではないでしょうか。

 この素材だと、いままで<HR>で書いていた水平罫線が馴染まなくなってしまいました。属性を変えれば、ベタな罫線にも出来るのですが、それがブラウザによって太さが違ったりしますから、それを画像で置き換えたりと、まだまだやることは残っています。
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by jurassic_oyaji | 2014-08-31 21:12 | 映画 | Comments(0)
AHO/Theremin Concerto ・ Horn Concerto
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Carolina Eyck(The)
Annu Salminen(Hr)
John Storgårds
Lapland Chamber Orchestra
BIS/SACD 2036(hybrid SACD)




まるでヒンデミットのように、多くの楽器のために協奏曲を書き続けてきたフィンランドの現代作曲家、カレヴィ・アホのプロジェクトは2011年にその18番目の成果である「ホルン協奏曲」が完成したことによりめでたく終了しました。
この曲の最もユニークな点は、ソリストが前に立って演奏するのではなく、下手の舞台裏からステージ上のオーケストラの後ろを演奏しながら通って行き、上手の舞台裏に隠れてしまう、というパフォーマンスを行うことです。
これはあたかもホルンの「旅」のよう、そんな旅の終わり近くには、まるでベートーヴェンの「7番」のような「タンタタン」という執拗なスケルツォのリズムに乗って、お祭りが始まります。そんな楽しいひと時も、やがて「別れ」が訪れ、ホルンの姿が消えたステージではオーケストラが、まるで彼女を懐かしむかのような音楽を演奏します。
そして、カップリングは、「普通のオーケストラ」にはまず登場しない楽器「テルミン」を独奏楽器にした協奏曲「8つの季節」です。テルミンは20世紀初頭に作られた世界初の電子楽器ですが、クラシックの作曲家が使うことはまずありませんでした。ですから、よもやこの楽器のために協奏曲を作った人など、このアホの前にはいなかっただろうと思ったのですが、調べてみたら1945年の2月に、アニス・フレイハーンという人の「協奏曲」が、世界初の「テルミニスト」クララ・ロックモアのソロ、ストコフスキー指揮のニューヨーク・フィルの演奏によって初演されていました。それはこちらで聴くことが出来ます。まあ、ヴァイオリン協奏曲を代わりにテルミンで演奏した、といった感じの曲で、当時のこの楽器に対する可能性の限界がうかがえます。
つまり、今回のアホの「テルミン協奏曲」では、それとは全く次元の違う使われ方がされているのです。それには、「最新の」テクニックを身に着けたプレーヤーの存在が必要になってきます。それを見つけたのは、こちらでアホの「コントラファゴット協奏曲」を演奏していたナショナル交響楽団のコントラファゴット奏者のルイス・リプニック。2010年に彼のオーケストラがロシア出身の作曲家レーラ・アウエルバッハの「交響曲第1番」(初演は2006年、デュッセルドルフ)を演奏した時に、「アド・リブ」で加えられていたテルミンを演奏していたカロリナ・アイクに衝撃を受け、さっきのCDを渡して、「この作曲家に、あんたの楽器のための協奏曲を作ってもらいなよ」と言ったのだそうです。そこで彼女はアホとコンタクトを取り、アホも作曲を開始、楽器の可能性などをディスカッションするうちに、彼女が歌いながら楽器を弾くことも出来ることも分かり、それもこの作品に生かされることになりました。
作品には、フィンランドの秋から冬の終わりにかけての8つの「季節」を表すタイトルが付けられています。1曲目の「収穫期」では最初にテルミンが演奏を始めた時、それはまるでオーケストラに最初からある楽器、例えばチェロのように聴こえてきました。音の立ち上がりやビブラートの付け方が、今まで聴いていたテルミンとは全く違っていたのです。実は、カロリナは先ほどのロックモアが使っていた「RCAテルミン」とは、文字通り「別の楽器」を、使っていたのでした。それは、故ロバート・モーグが晩年に完成させた「イーサーウェイブ・プロ」という楽器、さらに、より滑らかな歌い方が出来るようなモジュールを加えてカスタマイズされたモデルです。

ある時などは、この楽器はまるでオンド・マルトノのように聴こえてきます。確かに、オンド・マルトノの出発点はテルミンだったのでした。こうなると、いずれはメシアンの作品でもオンド・マルトノのパートを、やすやすとテルミンで演奏
もちろん、SACDはそんなテルミンの未来形までも予想できるほどのすごい音を伝えてくれています。

SACD Artwork © BIS Records AB
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by jurassic_oyaji | 2014-08-30 21:06 | 現代音楽 | Comments(0)
萩の月
 この間、ニューフィルの指揮者練習があった後の飲み会で、いつの間にかアンコールの曲目が決まっていたようでした。同じテーブルに座っていたのですが、指揮者の真向かい、私は隣の人と話していたので、あまり細かい話は聴こえて来なかったのですね。それで、最後に「○と○に決まりました」というのを聴いたような気はしたのですが、まだ結論は出ていなかったような感じでしたので。でも、どうやら楽譜も簡単に手に入るようなので、晴れてその曲に決まったことが、明らかになりました。
 ただ、例によってマニアックな曲なので、一応前もってみんなにきいてもらおうと、私が音源を用意することになりました。もちろん、そんな、私のコレクションとは全然守備範囲が違う曲のCDなんかは持ってませんから、ストリーミングの聴き放題サイトからのアナログ出力をA/D変換してネットにアップ、ということになります。その時に使ったのが、D-100です。非常にもったいない使い方ですが、アナログ入力をそのままmp3で録音すれば、それをアップしてそこにリンクを貼るだけで完成です。
 それが終わったら、今度は来年春の演奏会のメインの曲を同じような手順で試聴できるようなリンクを作らなければならなくなりました。一応チャイコフスキーの「白鳥の湖」(これを「白鳥湖(はくちょうこ)」と略して得意がっている人がいるのには驚いてしまいました)には決まっているのですが、もちろん全曲をやるわけにはいかないので、指揮者と相談した結果、具体的な曲が10曲提案されたのですよね。バレエはかなり有名ですが、個々のナンバーを題名だけ言われても曲がすぐ分かる人はあまりいないはずですから、これも一応音源を用意しようと思いました。いや、私自身が、曲は分かってもそれが正式にはなんというタイトルなのかは、実はほとんど分からないものですから、まず私の知識として必要なことなのでした。
 これだったら、確かボックスで買ったCDの中に全曲盤があったはずですから、それをリッピングすれば簡単だな、と思って探した見たら、確かにそれはあったのですが、かなり古い録音でモノラルでした。しかも、演奏時間がなんだかみんな短すぎます。「ワルツ」なんか3分ぐらいしかありませんから、おそらくかなりカットされているのでしょう。こんなものは使い物になりませんから、やはり頼れるのは○MLしかありません。おととし録音したばかりという、もとはSACDのとても音のいいのがみつかったので、それをリアルタイムで、ということは40分かけてA/D変換です。そして、それのリンクを作ったついでに、QRコードも作ってみました。これはそのまま「かいほうげん」に使えるでしょうから。でも、モニターしながら変換していたのですが、いくら「音が良い」とは言ってもしょせんはAACですから、ハイレゾには遠く及ばない音ですからね。ただ、それをさらにmp3にしたものは、そんなに変わらないんですね。ビットレートを高めにしてありますから、これで十分なんでしょう。このことからも、この音源がそもそも「CD並み」の音ではないことが分かります。
 今週は割と時間があったので、ずっと手を付けていなかった職場の公式サイトも、少し構ってやることにしました。トップページに少し手を加えて、定期的に写真を変えられるようなスペースを作ってみました。こうしておけば、定期的に更新しようという気になるのではないか、という期待を持たせるためです。今始めたことなのに、さも、だいぶ前からやっていたように見せるために、そこから「バックナンバー」が見れるように、ほとんど「でっち上げ」のページまで作ってしまいましたよ。なんか、やっと公式サイトみたいになってきました。
 もう一つ、友人のFacebookに送るために、こんなのも作ってみました。

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by jurassic_oyaji | 2014-08-29 21:19 | 禁断 | Comments(0)
小澤征爾 覇者の法則
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中野雄著
㈱文芸春秋刊(文春新書985)
ISBN978-4-16-660985-7



以前「指揮者の役割」というとても刺激的な本を書かれた中野さんの、今回は小澤征爾の評伝です。最近は、この「カリスマ指揮者」に関する著作が目白押し、ついこの間もこんなまさに決定的な「一次資料」とも言うべき「自叙伝」が出たばかりだというのに、間髪を入れずに同じような趣旨の書籍の刊行です。でも、こちらの本はなんせ「十数年前」から執筆が始まっているというのですから、それは単なる「偶然」に過ぎないのでしょう。
とは言っても、結果的にはこの本は今までの自伝も含めた多くの小澤の評伝からの引用(「コピペ」とも言う)で成り立っている、という印象は拭えません。なんと言っても、おそらく執筆当時は新聞連載だけでまだ出版はされていなかった先ほどの「自叙伝」からの「引用」のいんような(異様な)ほどの頻度には、笑うしかありません。そうそう、それに加えて、著者自身の著作物からの引用という言わば「番宣」も、そちこちにあふれかえっていましたね。
いや、ここでの著者の目論見は、そのような巷にあふれた評伝から、著者にしかなしえない「なぜ小澤は世界的な指揮者になれたか」という命題に答えを出すという作業だったはずです。その点に関しては、「DNA」やら「脳科学」といった、おそらく今までの評伝には現れることのなかったタームを使いこなしての論陣が張られていますから、おそらく多くの読者には納得がいくのではないでしょうか。
あるいは、本筋にはあまり関係ないような「ネタ」にこそ、価値が見出せる、とか。たとえば、「八田利一」に関するコメントなど。ここで著者は、下の名前に「としかず」というルビを振っていますが、これは間違いでしょう。「はったりいち」と読まないことには、このペンネームの意味が伝わりませんからね。実はこんな痛快な「評論家」が存在していたことは初めて知りました。さる、高名な評論家さんが覆面ライターとして執筆しているのだそうですが、とても他人とは思えません。
そして、これも先ほどの「指揮者の役割」からのコピペですが、「アマチュア・オーケストラばかりを振っている指揮者は、決して大成しない」という手厳しい指摘です。アマオケを振っている限り、指揮者は「お山の大将」で相手を指導するだけ、決してオケから「教わる」ことはない、というのですね。確かに、それはとても納得のいくものです。この本にも登場する小澤の後継者と目されているさる有名指揮者などは、アマオケのリハーサルの途中で、ここからは何も得るものがないと分かったとたん、あからさまに投げやりな練習態度に豹変しましたからね。本番こそ大過なくまとめていましたが、アマオケの当事者は悔しい思いをしたことでしょう。確かに、その後その指揮者はおそらく「大成」することになるのでしょうが、その前に人間的な資質が問われることになってしまいました。アマオケをなめてはいけません。
先ほどの「命題」に直接答えるという形ではなく、ごくさりげなく登場する「CAMI」の存在あたりは、もしかしたら著者の「本音」が隠されているのではないか、という気がします。実際、なぜ小澤がCAMIのアーティストになれたのかは著者にも憶測でしか分からないようですし、これを突き詰めることはひょっとしたらタブーなのかもしれませんね。
おそらく、最後に述べられている「小澤ブランド」の今後、つまり、そう遠くない将来に必ず訪れるはずの事態への著者の冷徹な眼こそが、この本の「真価」なのではないでしょうか。そう思えば、コピペだらけの本体も許せます。
いや、たとえば「ウィーン国立歌劇場の音楽監督のポストは、日本企業の援助に対するバーターだ」というような「憶測」も、コピペを繰り返すうちに限りなく「真実」に近づくことを、著者は知っているのかもしれません。

Book Artwork © Bungeishunju Ltd
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by jurassic_oyaji | 2014-08-28 19:50 | 書籍 | Comments(0)
チラシ配り
 急に寒くなったり雨が降ったりと、もうすっかり仙台の夏は終わってしまった風情です。ほんの数日前までのあの炎天は、いったいどこへ行ってしまったのでしょう。しかし、実はこんな日を待っていました。このところ休みの日にはニューフィルの演奏会のチラシをぼちぼちと「ついでに」置いて来ていたのですが、それらは殆ど市の中心部でしたから、結果的に周辺部の市民センターあたりが残ってしまいました。それらを、いつかまとめて片づけようと思っていても、あんな暑い日にまわるのはいやだったのですよね。今日こそ、絶好の「チラシ配り日和」です。本当は午後になってからゆっくり行こうと思っていたのですが、あいにくその時間には誰もいなくなってしまうので、急遽午前中にミッション開始です。お昼までには帰っていなければいけませんから、許された時間は正味2時間半、それまでに果たして全部行って来れるでしょうか。
 残ってしまった市民センターは、宮城野中央、荒町、富沢の3ヶ所、見事に「宮城野区」、「若林区」、「太白区」の3つの区に別れてしまいましたよ。これを効率よくまわるために考えたコースは、まず、職場から台原経由で幸町まで通っている、出来たばかりで全く渋滞のない道を通り、そのまま宮城の萩大通りに入るというコースです。この道路沿いには宮城野中央がありますし、さらに南下して右折すれば、荒町に出ます、そして、その先を左折すれば、ずっと先には富沢がある、ということですからね。
 そこでまず、何度も行ったことのある宮城野中央を目指しますが、かなり走ったのに右手に目印となる「ピボット」というスーパーが見えません。ハタと気づいてiPhoneのマップでチェックすると、それはだいぶ前に通り過ぎていました。つい、見落としてしまったのですね。仕方なくUターン、ここでかなりのロスが発生してしまいました。でも、そのあとは順調に荒町まで、殆ど渋滞もなく行けました。市民センターさんの応対も、とても親切で気持ちのいいものですから、ちょっと嬉しくなってしまいますし。なんか、最近市民センターの対応が軒並みフレンドリーになったような気がするのですが、これは単なる錯覚なのでしょうか。なんせ、こちらが置いてもらう立場なのにあちらはチラシを受け取ると「ありがとうございます」なんて言ってくれるんですからね。
 それから富沢までは、かなり距離もありますし、少し渋滞気味、目標の地下鉄の駅(終点ですから、地上にあります)に近づくと、その駅前の様子がガラリと変わってしまっているのにびっくりです。工事中だったところが更地になっていて、その先に新しい道路まで出来ていましたよ。危うく、道を間違えるところでした。
 無事、「3区制覇」を成し遂げたところで、今度は川内周辺に向かいます。目的地は萩ホールと博物館や美術館などですが、夏休み中は美術館は確実に混んでいて、車も置けない状態になっているはずですから、ちょっと遠慮していたんですよね。でも、行ってみると、まさかのほぼ満車状態。こんな平日にも、「ひまわり」を見に来る人で、賑わっていましたよ。私は全く興味がないのでそちらはスルーですが。

 そして、そのあとは仲ノ瀬橋を渡って最後の目的地である市民会館へ向かいます。その頃になると、なんだか雨が降り始めました。午前中に行っておいて良かったですね。午後からだったら、確実にずぶぬれになるところでした。しかし、この最後のところで、思いきり不愉快な目に逢おうとは。今までは、やはり市民センターのように本当に愛想よく受け取ってくれていたのに、今日はまず何やら用紙に記入を求められました。そして、「チラシは、30枚ということになってます」と言われ、その場で、持って行った50枚の中から20枚を突っ返されてしまいましたよ。今まではそんなことはなかったのに。なんか、その一連のやり取りが、とても不快感に満ちているのですよね。名札を見ると、いつの間にそうなったのかは分かりませんが、市の職員ではなく、外部の民間のビル管理会社の人間だと分かりました。「民間委託」とは、こういうことなのでしょうか。
 職場に帰ってきたのは12時ちょうど、ミッションそのものは、完璧に終わったというのに。
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by jurassic_oyaji | 2014-08-27 21:04 | 禁断 | Comments(0)
STRAVINSKY/The Rite of Spring
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The Bad Plus
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アメリカのジャズ・トリオ「ザ・バッド・プラス」が演奏した、ストラヴィンスキーの「春の祭典」です。詰め物をしているわけではありません(それは「パッド・プラス」)。このトリオの中心的なメンバーはベーシストのリード・アンダーソン(左)。彼はもちろんベースを演奏していますが、それだけではなくこのアルバムのクレジットでは「エレクトロニクス」という肩書もついています。そこに、共にスキンヘッドの、ピアノのイーサン・アイヴァーソン(右)と、ドラムスのデヴィッド・キング(中央)が加わります。

ジャズ版の「春の祭典」と言えば、昔からヒューバート・ロウズのバージョンなどがありましたが、今回のものはそれとはちょっとコンセプトが異なっています。ロウズのものはまさに「ジャズ」、オリジナルのテーマを用いて自由なインプロヴィゼーションを行うものですから、それはストラヴィンスキーが作ったものとは全然別な仕上がりになっていますが、こちらは基本的にその「ストラヴィンスキー・バージョン」に忠実な進行を保っています。種明かしをすれば、ここではストラヴィンスキー自身が作った4手のためのリダクション・スコアをそのまま演奏しているのですね。骨組みはあくまでオリジナルそのもの、そこに、ほんの少しアレンジを加えている、というだけのことなのです。
いや、「ほんの少し」というのはあくまで言葉の綾でして、それは単にオリジナルの持つ時間軸を決して逸脱しない、というほどの意味なのですがね。ということは、厳密な言い方をすればこれはもはや「ジャズ」ではないということになります。そのようなチマチマしたカテゴライズからは外れた、たとえばクラシックの用語を使えば「変容」とでも言えそうなスタイルを持ったものでした。
とは言っても、「イントロダクション」では、かなりとんがったことをやっています。まず聴こえてくるのは「心音」でしょうか、低い「ザッ、ザッ」とういうパルス、そこにLPレコードのスクラッチ・ノイズが重なってなんともダークな雰囲気が漂います。このあたりが、「エレクトロニクス」の領域になるのでしょう。ずっとバックで聴こえていた「C」の電子音を受けて生ピアノが同じ音で何度かそれを繰り返し、それがそのままファゴットのオープニング・テーマになるというかっこよさです。その先は音符的には楽譜通りのことをやっているのですが、それを富田勲風の電子音やホンキー・トンク・ピアノのサンプリング、変調されたピアノの音などで「演奏」しているので、なんとも「前衛的」な世界が広がります。フルートのフレーズが吹きあがる前の一瞬の間に「ハッ」という息を吸う音が入るのが、素敵ですね。
しかし、「春の兆し」に入ると、編曲自体は結構「まとも」になってきます。ただし、ピアニストは一人しかいないのに、ピアノの音は左右からそれぞれ別のパートが聴こえてきますから、おそらく多重録音でイーサンが二人分を演奏しているのでしょう。そこに、ベースも即興的な低音だけではなく、スコアから拾ったメロディ・パートも演奏していますから、実質「3人」によるアンサンブル、そこにドラムスがリズムを刻む、というやり方で、音楽は進んでいきます。
ただ、時折ジャズメンならではの「意地」みたいなものも聴こえてきます。「春の兆し」の冒頭で、本来は弦楽器で奏される、不規則なアクセントのついたパルスなどは、1回目はしっかりクラシカルな均等のビートなのに、2回目になるとわざとフェイントをかけたような「ダル」な演出が加わります。とは言っても、最後の「生贄の踊り」の変拍子の嵐になってくると、もう楽譜通りに演奏するだけで精一杯のような感じ、なんだか、もう種も尽きた、ということでしょうか。それでも、最後に延々とコーダを引き延ばすあたりが、精一杯の「意地」なのでしょう。ストラヴィンスキーって、結構すごいことをやっていたのですね。

CD Artwork © Sony Music Enterrtainment
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by jurassic_oyaji | 2014-08-26 22:26 | ポップス | Comments(0)
三善晃とエルガー
 きのうとおとといの指揮者練習の時には、東京では「遠い帆」の上演があったのですね。会場は新国立劇場、大ホールではなく中ホールですが、仙台発のオペラが数年前の「鳴砂」に続いて、この「オペラのメッカ」で上演されるというのは、ちょっとすごいことではないでしょうか。実は、この「遠い帆」の新しいプロダクションをまず仙台で上演した時には、こちらに書いたようにちょっと言葉が聴こえにくかったことが気になっていました。そこで、その中で「ぜひ字幕を付けてください」という提言を行っていたのですね。それは、合唱指揮者の一部の方には伝わっていたようなので、東京ではどうなったのか、気になっていました。それこそ指揮練がなければ東京まで行って実際にその模様を見てみたいぐらいでしたから。
 その東京公演が無事終了し、それに対する記事やコメントがネットに現れるようになると、この「字幕」に関しても情報が得られました。どうやら、東京ではしっかり字幕を使っていたようなのですね。まあ、私の書いたことが、その実現になにがしかの影響があったと思うことにしましょう。まあ、ネットでは「日本語のオペラに字幕が付いて悲しくなった」などという、それこそ「悲しくなる」ような書き込みもあったようですが、これはオペラというものを知らない人の言い分ですから無視しても構いません。この作品のメッセージをきちんと伝えるための方策を講じてくれた東京公演のスタッフには、「よくやった!」と言ってあげたいと思います。というか、字幕付きの「遠い帆」を、ぜひ体験してみたかったものです。
 そういえば、 同じ時に仙台で行われていた橘さんの練習会場には、こんなものがいつの間にか壁にくっついていましたが、これってもしや「字幕機」?

 その指揮者練習、2日目にもエネルギッシュに進められました。まず、ラフマニノフから始まったのですが、今回はちゃんとピアノ・パートを弾く方が用意されていました。なんでも、団員の知り合いの娘さんが音大でこの曲を勉強しているところだったということで、お願いしてあったのですね。いやあ、とても素敵なピアノでした。こんな難しい曲を大学生が軽々と弾きこなせるような時代なんですね。そういえば、私の知り合いだけでも何人かお子さんを外国に留学させている人がいるぐらいですから、今の若い人の音楽的なレベルはとんでもないことになっているのでしょうね。

 ですから、バックのオケはそのピアノを聴きながら、とても納得のいく練習ができました。本来はこういうものなのですから、カラオケだけを汗水たらしてやるのはなんか辛いものがありますが、まあこれは「月に一度の贅沢」ということで、この感じを思い起こしながらひたすらモゾモゾという練習を繰り返さなければいけません。
 実は、前の日にエルガーの練習が始まった時には、橘さんは開口一番「よくぞ、これを選んでくれました」と、「エニグマ」のスコアを捧げ持っていました。本当に好きなんですね。ですから、もう本当に愛情あふれる練習ぶり、とても中身の濃いものになっていました。そして、その夜の歓迎会では、しっかり「今度共演する時には、エルガーの『交響曲第1番』」ということになっていました。それが「伏線」となって、次の日の練習での「エニグマ」では、「こういう部分が交響曲第1番に出てきますから、(次回のために)きちんと練習しておいてくださいね」ということになります。歓迎会に出ていない人たちは、いったいなんのことだろうと思ったでしょうね。このフレーズが、その後いったい何度繰り返されたことでしょう(笑)
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by jurassic_oyaji | 2014-08-25 20:50 | 禁断 | Comments(0)
HERZOGENBERG/Totenfeier・Requiem
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Franziska Bobe(Sop), Barbara Bräckelmann(Alt)
Maximilian Argmann(Ten), Jens Hamann(Bas)
Matthias Beckert/
Monteverdichor Würzburg
Thüringen Philharmonie Gotha
CPO/777 755-2(hybrid SACD)




この前のヘルツォーゲンベルクの合唱曲に続いて、彼の「葬送」がらみの作品が全て収められている2枚組SACDです。それは、1890年に作られた「レクイエム」、1892年に作られた「葬礼」、そして、1895年に作られた「埋葬の歌」の3曲です。それぞれに、作られた動機も、そして用いられているテキストも全く異なるものが、彼の晩年に2~3年ずつの間隔をおいて作られたというのは、なんとも不思議な因縁です。
おそらく、「死者を悼む」という意味からは最も重要なものは、1892年の「葬礼」ではないでしょうか。それは、この年の1月に、44歳の若さで亡くなってしまった彼の妻のエリザベートのために作られたものなのですからね。ブラームスの弟子でもあったエリザベートは、夫の作曲活動にも多大の協力を惜しみませんでした。そんな大切な伴侶の突然の死に臨んで、ヘルツォーゲンベルクはいたずらに嘆き悲しむようなことはなかったそうなのです。そうではなく、彼女の想い出を、しっかり音楽の形にして、永遠の生命を持たせるように、と考えたのですね。なかなかできることではありません。そこで彼は、まず、彼女の助言を受けて作っていた作品を仕上げたり、彼女自身が作曲したピアノ作品のスケッチを校訂したりします。
そして、彼女の一周忌を迎えるまでに、と、この「ソリスト、合唱、管弦楽とオルガンのための『葬礼』」の作曲に着手するのです。これは、彼が聖書から選んだドイツ語のテキストが用いられ、音楽はバッハの大規模なカンタータ(全体が2部に分かれています)のスタイルを取り入れています。最初は「葬送行進曲」と題された合唱、それに続いてバス独唱によるレシタティーヴォとアリア、といった具合ですね。そのあとに、ボーイ・アルトのソロと合唱の応答という、ちょっとユニークなものが挟まり、第1部の最後を飾るソプラノ・ソロと合唱になります。その時の歌詞が「私は復活であり、生命である」というもの、ここには、確かに彼の妻に対する思いがしっかりと表れています。
続く第2部でも、合唱ではなくソリストの四重唱で歌われるちょっと民謡っぽい曲のバックにトランペットで静かにコラールが流れたり、ソプラノのアリアでは伴奏で小鳥のさえずりが聴こえてきたりと、最後までのどかで穏やかな風情、まさに天国で過ごしている妻の幸せな姿を思い浮かべているような音楽です。
その2年後に心不全で急死したのは、まだ52歳だったヘルツォーゲンベルクの盟友(ライプツィヒのバッハ協会をともに創設)フィリップ・シュピッタでした。その翌年に墓石を建立するにあたって、その屋外でのセレモニーのために作ったのが、「テノール・ソロ、男声合唱とブラス・バンドのための『埋葬の歌』」でした。ほんの5分程度の短い曲で、テキストはヘルツォーゲンベルク自身が書いています。それも彼の心がしっかりと込められたものでした。
お目当ての「レクイエム」は、実はそのような追悼の対象のないところで作られています。モーツァルトなどの先人にならって、あくまで「シンフォニックな宗教曲」を作りたい、という欲求を満たすためだけに作られた曲ですから、ラテン語の典礼文をテキストに用い、型どおりの手続きは踏んでいても(それにしてもオーケストラのイントロは長すぎ)なにか心に迫るものがほとんど感じられません。それを助長しているのが、ここで歌っている合唱団のあまりの無気力さ。正直、こんな型どおりの音楽を、こんな退屈な演奏で聴き通すには、かなりの忍耐力が必要なのではないか、という気がします。ソリストが入っていれば、多少のアクセントになったはずなのに、合唱とオーケストラだけで演奏するスコアですからどうにもなりません。
確か、これはSACDだったはずですが、録音会場の教会のアコースティックスのせいか、そのメリットも全く味わうことはできません。

SACD Artwork © Classic Produktion Osnabrück
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by jurassic_oyaji | 2014-08-24 19:28 | 合唱 | Comments(0)
「マタイ」と「エニグマ」
 今日は、長い一日でした。というか、これを書いている時点で、もう「明日」になってますね。
 本来、今日はニューフィルの指揮者練習の1日目でした。ところが、数週間前、たしか3年前でもうお役御免となったはずのさる教会の音楽部長から、今年は夏に「マタイ」をやることになったのだが、管楽器が揃わないのでぜひ出てほしいという連絡がありました。もちろん、その本番はもろに指揮練とぶつかっているので、即断るつもりでしたが、その中で「49番のソロをぜひ吹いて頂きたい」というのですね。これには、ちょっと心を動かされましたね。確かに、このソプラノソロのフルート1本で演奏するオブリガートは、フルーティストであればぜひ一生に一度は演奏したいと思っているものですから、そんな機会があればそれを断るのはバカです。まんまと口車に乗ってしまい、いつの間にか指揮練の代吹きの手配を終わらせて、その「マタイ」への出演を承諾していましたよ。幸い、ちょっと外せない「エニグマ」は後半の予定だったので、前半の時間に「マタイ」、それが終わったらニューフィルに駆け付けるという、とんでもないスケジュールが出来上がってしまいました。
 練習は前の日に1回だけ、行ってみたら、管楽器は私一人しかいませんでした。もう一人のフルートは当日しか来れないということですが、それでもフルート2本、まあ、これは前に出た時にも経験した編成ですから、前もっとオーボエのパートも練習して行って正解でした。ということで、オーボエのオブリガートも引き受けて、全部で5曲のアリアのうちの3曲のオブリガートを私が演奏することになってしまいましたよ。もちろん、そのうちの1曲は49番の「Aus
Liebe」です。
 そして、本番のリハーサルは10時過ぎから。もう一人のフルートは前にも一緒にやった人で、どこまで出来るかは完璧に把握出来ていますから、極力出来ないところは無視するという方針で、ストレスからは逃れて、自分のパートに集中です。でも、まあ予想以上に頑張っていたので、少しは助かりました。


 お昼ご飯は、こんな感じ、その間にみんなが自己紹介などをしていたら、昔の合唱仲間が私のフルートを初めて聴いて、なんだかとても感心されてたようですね。

 本番はこんな感じ、これも、合唱時代の知り合いがビデオ担当だったので、カメラを渡して撮ってもらいました。合唱がだいぶ人数が増えていたので、なかなか聴きごたえがあったのではないでしょうか。それにしても、この曲をフルートだけで吹くのは無謀です。というか、こんなことを引き受けられる人は、なかなかいないのでしょうかね。私は、念願のソロが吹けたので、もうこれで十分です。いい思い出になりました。
 それが終わって、旭ヶ丘に走ったら、まだラフマニノフをやっている途中でした。もう代吹きの人に任せているので、私は客席で聴いたり写真を撮ったり、こんなこともなければ出来ないことに励みます。

 エルガーは普通に参加です。やはり、こうしてみると、当たり前ですがニューフィルのアンサンブルは素敵ですね。さっきまでやっていたのはいったい何だったのか、という思いに駆られてしまいます。やはり、私の居場所はここしかありません。

 練習後は、恒例の指揮者の歓迎会にも出席しました。翌日のこともあるので、まあ10時ごろにはお開きになるだろうと思っていたら、結局11時過ぎまで盛り上がっていましたね。ほんと、長い1日でした。
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by jurassic_oyaji | 2014-08-24 00:45 | 禁断 | Comments(0)
WAGNER/Orchestral Works and Arias
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Heidi Melton(Sop)
Paul Daniel/
Orchestre National Bordeaux Aquitaine
ACTES SUD/ASM 22




おそらく、勘違いだったのでしょう。このアルバムのレーベルと品番を見たときに、これはあのロトとレ・シエクルの新しい録音か何かだ、と思い込んでしまったのですね。そこで中身も確かめずに注文したら、こんな予想もしないものが届いてしまった、というわけです。
それは、B6版のハードカバーの書籍そのものでした。AVではありません(それは「ハードコア」)。なんだか、絵本か写真集のようですね。確かに「写真」はたくさん載っています。でも、それは楽器を持ったオーケストラのメンバーの写真。最後の方のページには、そのオーケストラのメンバー表らしきものがありますから、やはりこれは本のような体裁で作られたCDのジャケットなのでしょう。
その「容れ物」があまりに立派なので、もしかしたらCDなんかは入っていないのではないか、とさえ思ってしまうぐらいですが、それは一番あとのページに「袋とじ」になって入っていましたから、ご安心ください。
しかし、このフランスのレーベルによる「CD」は、完璧に全編フランス語で押し通していますから、いったいどのような意図でこんなCDを制作したのか、というようなことが、そのライナーノーツからは殆ど読みとれないのが悔しいところです。ドイツ語だったら半分、英語ならもちろん全部分かるのですが(え?)。
どうやらこれは、昨シーズンから音楽監督となったポール・ダニエルにひきいられたフランス国立ボルドー・アキテーヌ管弦楽団(2008年に、「ラ・フォル・ジュルネ」で来日してるそうです)が、ソプラノのハイディ・メルトンを迎えてワーグナーの作品を演奏したコンサートのライブ録音のようでした。取り上げているのは「タンホイザー」、「トリスタン」そして「神々のたそがれ」で、それぞれオケだけの曲を1曲と、エリーザベト、イゾルデ、ブリュンヒルデのソロを歌うという趣向です。
さらに、たくさんの写真は高名な写真家の作品なのだそうで、リハーサルの合間のオーケストラのメンバーの「打ち解けた」様子がとてもリアルに撮られています。というか、それらは「音楽家」というよりは、その辺のただのおじさん、おばさんというノリで談笑しているところを不覚にも撮られてしまった、というような気さえするものでした。
そんな中に、日本人らしい人を発見。写真に写っているのはチェロ、ヴァイオリン、チューバですが、メンバー表によるともう一人ヴィオラにもいるようです。特に、チューバの「ミズナカ」さんというのはかなり有名な方で、佐渡裕の番組でも紹介されていたようですね。
ライブ録音のせいでしょうか、なにか弦楽器が引っ込んでいるような録音状態が気になりますが、最初の「タンホイザー」ではもちろん「パリ版」を使用、序曲に続いて「バッカナール」が演奏されています。こういうものこそ、このオーケストラだったら嬉々としてやりそうなものですが、なんだか乗りが悪いのはどういうわけでしょう。しかし、メルトンの「殿堂のアリア」が始まったとたん、まわりの空気がグッと引き締まります。なんという存在感のある声。これは間違いなくワーグナーには最も適した声です。それが、適度に力を抜いて、肝心のところでは思いきりヘビーに迫るという「賢い」歌い方をしてくれるのですから、たまりません。もちろん、イゾルデもブリュンヒルデも、今までになかったようなキャラクターで絶妙に迫ってくれました。これが聴ければ、多少オケがへなちょこでも大丈夫です。
いや、このオケ、盛り上げてほしいところで各セクションがバラバラの方を向いているものですから、ワーグナーらしいクライマックスが作れないんですよね。ただ、さっきの「ミズナカ」さんのチューバだけは、「黄昏」の「葬送行進曲」ではバリバリ聴こえてきますから、とても気持ちがいいのですけど。


CD Artwork c Actes Sud/Opéra Nationl de Bordeaux
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by jurassic_oyaji | 2014-08-22 22:52 | オーケストラ | Comments(0)