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DEBUSSY/La Mer, Images, Prélude
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Lan Shui/
Singapore Symphony Orchestra
BIS/SACD-1837(hybrid SACD)




ラン・シュイとシンガポール交響楽団とによるドビュッシーのオーケストラ作品集が出ました。以前こちらで「海」を聴いた時に、そのまさにアジア的なアプローチによるドビュッシーには思わずのけぞってしまった記憶がありますから、今回の新譜にも大いに期待が持てそうです。
と、これは新しい録音だと思って、ろくすっぽ調べないで注文してしまったのですが、現物を手にしてみると、この中の「海」はその時のSACDと全く同じ音源だったではありませんか。このレーベルは、ときどき平気でこういうことをやるのが、困ったものです。確かに、ブックレットの最後にとても小さなフォントでほんとのことが書かれていますが、こういうのはしっかりジャケットに表示しておくべきだとは、思いませんか?
クレジットを見てみると、曲ごとに制作スタッフも異なっていますから、そもそもこういうアルバムを作ることを目指していたわけではなかったのでしょうね。いったい、この会社は大丈夫なのでしょうか。
さらに、なんだかおかしいな?と思えたのが、そのクレジットにあった「(Take5 Music Productions)」という表記です。これが、プロデューサーやエンジニアの名前のあとに付いているのですよ。今まで、こんなものは見たことがありませんでしたが、最近の製品を見なおしてみると、確かに新しいものにはこれが付いています。
調べてみると、これはBISの社員だった5人のトーンマイスターが、2013年2月にBISから離れて設立したレコーディングのための会社だということが分かりました。BISでの録音はそのまま継続する中で、さらに他のレーベルでの録音や、さらにはもっと幅広い活動を行って行くのだそうです。その5人のメンバーは、チーフ格のインゴ・ペトリと、ハンス・キプファー、イェンズ・ブラウン、マリオン・シュヴェーベル、トーレ・ブリンクマンという、いずれもデトモルト音楽大学のトーンマイスター課程を修了したプロデューサー/エンジニアたちです。確かに、BISCDのクレジットを見ると、彼らのいずれかの名前が見られます。彼らがBISで制作したアイテムは1000件を超えているのだそうです。
最初はそれこそエンジニア出身のロベルト・フォン・バールの個人的な会社だったものが、いつの間にかこんなに多くの(この5人以外にも、専属のエンジニアはいます)エンジニアを抱える会社になっていたのですね。最近はフォン・バール自身の名前も、クレジットからは見かけられないようになっていますし、本当にこの会社はどうなってしまうのでしょう。これはリストラの結果なのか、あるいはこの5人は、沈みかけた船から逃げ出したのか、いったいどちらなのでしょう。
ここに収録されている「海」、「オーケストラのための『映像』」、「牧神の午後への前奏曲」の3曲は、ですからそれぞれ録音時期が違いますし、何よりも録音フォーマットが違っています。

「映像」を録音したシュピッツバースという人は、Take5には加わらなかったようですね。これを聴き比べると、やはり48/96で録っている「牧神」が、最も細かいところまでのニュアンスが良く感じられる録音になっていますが、そのあとはフォーマットの順ではなく、「映像」>「海」となっているのが面白いところです。これはフォーマットよりは録音機材の問題なのかもしれません。この世界は同じメーカーの製品でも進歩は著しいようですからね。
ですから、この中で比較すると「海」はほんとにしょぼい音ですが、2007年にリリースされた初出のSACDだともっとしょぼく聴こえます。マスタリングの技術も日進月歩ということなのでしょう。
そんな録音の違いのせいでしょうか、以前「海」で感じたようなアジア的なテイストは、あとの2曲ではほとんど感じられず、ひたすら静謐な、まるで墨絵のような淡い世界が広がっている様を味わうことが出来ました。

SACD Artwork © BIS Records AB
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by jurassic_oyaji | 2014-10-31 21:37 | オーケストラ | Comments(0)
友達申請
 この間の演奏会のソリスト、ヤスィンスキイさんは、本当に場に溶け込みやすい方でした。今まで何度も今回のようにコンクールの入賞者との共演をやって来たのですが、その時のソリストさんたちはやはりなにか近寄りがたい雰囲気というか、オーラのようなものがあって、打ち上げで一緒になって騒ぐ、なんてことはとても考えられませんでした。ところが、ヤスィンスキイさんときたら、もう最初から全開の人なつっこさで、そのテンションの高さには圧倒されるほどでした。挨拶に立った時には、自ら乾杯の音頭をとったり、極めつけは最後の「締め」ですからね。

 ですから、団員も積極的にコミュニケーションを取っていたようでした。なんせ、サインしてもらおうとスコアを差し出すと、サインだけではなくページいっぱいに長文のメッセージを書き込んでくれたりするのですからね。さらに、Facebookのお友達にも、リクエストをした団員にはとても丁寧なメッセージを返してくれていたみたいです。「みたいです」というのは、私の場合はだいぶ前に彼の方からリクエストが届いていたのですよ。ただ、その時の名前が「Art Ya」というものでしたから、誰か別の、彼の友達かなんかだと思っていました。プロ写もなんだか違うようだし。そのあと、指揮練でのヤスィンスキイさんの写真をアップした時には、その「アート・ヤ」さんが「いいね!」を寄こしたりしていたので、親しいお友達なのだなあ、と思っていました。私が「ヤ」さんとヤスィンスキイさんが同一人物だと気が付いたのは、本番が終わって帰って来てから、タグ付けしてある写真を見た時でした。ですから、私は友達承認の時には、なんのやり取りもしていなかったのですね。というか、彼は演奏会当日の時点では、すでに「写真を撮った人」とは「友達」になっていたという意識があったものですから、私が盛んに写真を撮りまくっているのを見て、あのような声をかけてくることになったのですね。
 そんな、親密なヤスィンスキイさんから、ニューフィルのFacebookページに写真とメッセージが届きました。これは誰でも見れるはずですから、こちらから読んでみてください。ブレーメンに住んでいるんですね。でも、この中で「愉快なパーティー」というのが面白いですね。愉快にしてくれたのは、彼自身です。

 そこで、私も一応個人的に返事を書きこんでみたら、それに対しても返事があって「写真を楽しみにしています」なんて言ってきましたね。いやあ、こういうプロの人の場合、写真を撮られたり、さらにそれをネットに上げられたるすることをあまり快くなく思っていたり、はっきり抗議して来る人がいたりしますから、実はちょっとこわごわと撮ってはいたのですが、そんな心配は全く無用でした。他には、新田さんなんかもこのタイプなんでしょうね。
 そんな、私が撮った写真と、「写真係」チームが撮った写真が全部揃ったので、ぼちぼちいつものように公式サイトからダウンロード出来るような作業を始めようと思っています。ですから、これが完成したら、さっそくヤスィンスキイさんにアドレスを教えてあげましょう。認証のIDとパスワードは私が決められますから、「art」と「ya」にでもしてみましょうかね。
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by jurassic_oyaji | 2014-10-30 21:56 | 禁断 | Comments(0)
FAURÉ/Requiem
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Gerald Finley(Bar)
Tom Pickard(Tre)
Stephen Cleobury/
Choir of King's College, Cambridge
Orchestra of the Age of Enlightenment
CHOIR OF THE KING'S COLLEGE/KGS0005(hybrid SACD)




フォーレの「レクイエム」は、最初に作られた形から何度かの改訂を経て、現在では「7曲」から成る作品として広く演奏されています。こちらにまとめてあるように、初演された時には「5曲」しかなかったものが、1889年に2曲が追加されて、現行の7曲となったのですね。ただ、2曲目の「Offertoire」は、最初はバリトン・ソロだけで歌われる部分(Hostias~)しかありませんでした。現在のように、その前後に「O Domine」で始まる合唱部分が追加されたのは、1894年(1893年とも言われています)のことでした。
現在では、この1894年の段階での小さなオーケストラのバージョン(いわゆる「第2稿」)と、1900年にフル・オーケストラのために編曲されたいわゆる「第3稿」が出版されていて、コンサートやレコーディングではそれに基づいた演奏が行われています。
そんな中で、2011年というごく最近、ドイツのCARUS出版社から、まだ「Offertoire」に合唱の部分が入っていない段階である、1889年の時点での楽譜が出版されました。その「修復作業」を行ったのは、マルク・リゴディエールという人です。その「リゴディエール版」の世界初録音が2014年の1月に行われ、このSACDとなってリリースされたのです。
SACDのジャケットには、「完全な礼拝としての演奏」という言葉が書かれています。これは、その付け加えられた「O Domine」の部分で、フォーレがテキストを大幅にカットしているために、「礼拝」としては「完全」ではない、という意味なのでしょうね。まあ、現代の聴衆がどこまで「完全な礼拝」にこだわるかは疑問ですし、そもそも、現在の形がフォーレが最終的に自分の意志で(「第3稿」には、他人の意志が入っていますが)作ったものなのですから、こんなものをいまさら出してどうなるのだ、という気はしますが、マニアにとってはたまらないものには違いありません。
ところで、現在の「第2稿」は、校訂者の解釈によって「ラッター版」と「ネクトゥー/ドラージュ版」という全く内容の異なる2種類のものが存在しています。なぜそんなことになってしまったのかはよく分かりません。ただ、今回の「リゴディエール版」は、まだスコアが手元にないので確実なことは言えませんが、「ネクトゥー・ドラージュ版」と全く同じもののように聴こえます(もちろん、「O Domine」の部分はカットされています)。ということは、やはりこちらの方がより原典に近いものだ、ということが出来るのでしょうね。
ですから、このSACDでは、「おまけ」としてフル・バージョンの「Offertoire」も収録されているのですが、それが「ラッター版」だというのが、非常に不思議です。なにか、ジョン・ラッター本人からの「圧力」のようなものがらったー(あった)のでしょうかね。あるいは、「ラッター版」というのは、この1889年版と「第3稿」の間の過渡的なバージョンだという見解なのでしょうか。
そんな不可解な部分ははらみつつも、この演奏はとても魅力的なものでした。まず録音が、SACDでなければ聴けないようなとても柔らかな中にも精緻なところもあるという、素晴らしいものです。そして、合唱もトレブル・パートにいつになく安定感があって、まるで包み込まれるような至福の時間を過ごすことが出来ます。「Pie Jesu」のソロも、トレブルのメンバー(トム・ピッカードくん)が歌っています。やはり、このような形がフォーレの場合にはとても似つかわしく思えてしまいます。
問題の「Offertoire」は、やはりいきなり「Hostias」で始まるのは、かなりの違和感がありますね。音楽的には、やはり前後に合唱が入った方がしっくりくるのではないでしょうか。ここでは、アルトのパートは成人男声が歌っていますが、そのなんとも言えない音色とテナーとの絡みを聴いてしまうと、「礼拝」がどうのこうのという気分など全く起こりません。

SACD Artwork © The Choir of King's College, Cambridge
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by jurassic_oyaji | 2014-10-29 21:11 | 合唱 | Comments(0)
アンコール
 おとといのニューフィルの演奏会は、予定通りもろに大学女子駅伝と同じ日に重なっていました。ですから、ホールの前でちょうど開演を待つ人の列が出来始めた頃には、もう少しするとすぐ前の道路を最終ランナーが走ってくるということで、たくさんの人でごった返していましたね。この人たちが、レースが終わったらみんなホールの中に入ってくれれば良かったのですがねえ。
 そんな様子を写真に撮ろうと思って外に出てみると、そこでは主催者が応援用の旗を配っていましたから、これも何かの記念だと思って1本もらってきましたよ。もちろん、それをもって応援に参加していたのでは本番に間に合わなくなってしまいますから、それは楽屋に持ちかえって代わりにMさんに応援してもらいました。

 そういう旗、だいぶ前にもなにかの時にもらったことはあったのですが、それは紙製でした。でも、これはポリエチレンかなんかで出来ているみたいですね。ですから、振った時には紙特有の「バリバリ」という音が全然しないのが、ちょっともの足らないですね。それよりも、この旗にはそんな紙製のものとは全く異なる特徴があることに気づきました。

 ご覧ください。表も裏も、しっかり「表」の文字が見えますよね。当たり前のような気がしますが、大体は、

 こんな風に、裏側では文字が反転して、とんでもない言葉に見えてしまうこともあるのが「普通の」旗なんですけどね。
 それはともかく、その演奏会は、なにかいつになく充実した気分になれるものでした。演奏時間も、当初の見込みでは2時間以内で終わってしまうような感じだったのですが、実際には2時間15分かかっていました。それは、アンコールが、ソリストが2曲、そしてオケ全体として2曲という、いつにない大盤振る舞いだったおかげでしょう。聴きに来たお客さんの中にも、「最後にサプライズがあって楽しめた」とおっしゃってくれた人がいましたからね。
 その、オケの2曲のアンコールは、もちろんずっと練習していたので何を演奏したのかは分かりますが、ピアニストのアンコールは事前には全く知らされてなかったので、そもそもやるのかどうかも分かりませんでした。それでもまず1曲演奏してくれて、普通はそれで終わってしまうものなのでしょう。橘さんが「もう1曲」みたいなジェスチャーをして、ピアニストはそれに応じないものだからずっこける、というのもお約束の演出だったはずですしね。
 しかし、ヤスィンスキイさんは、その「もう1曲」をやってしまいましたね。本当に、大サービスでした。その2曲目には、演奏の前にかなり長めのコメントをしゃべられていたので、作品の名前は分かりました。「ほとんど知られていないヨーゼフ・ホフマンという作曲家の『マズルカ』」ということでしたね。実は、彼は今年の初めにそのホフマンさんのピアノ曲を録音していたのですよ。あとで打ち上げの時に「英語で」聴いてみたら、そのCDは来年の5月にリリースされるとか、録音の時には24本のマイクが使われていた(おそらくサラウンド)とか言ってましたね。まあ、言ってみれば少し早目のプロモーションだったのでしょう。
 ところが、1曲目については、うっかりして曲名を聞き洩らしてしまいました。しかし、例によって仕事の速いしできさんのおかげで、早々と録音が手に入ったので、さっそくそのコメントのところを聴いてみました。そうしたら、彼は「ちょっと(ラフマニノフとは)違う感じのドビュッシーを演奏します」としか言ってませんでした。確かに、ドビュッシーだということは聴いていて分かったのですが、それがなんという曲なのかまでは分かりませんでしたね。そこで、その録音を頼りに調べてみたら、「12の練習曲よりNo.11 Pour les arpèges composés」であることが分かりました。それは早速、公式ページの「歴史」から行ける今回の演奏会のページに載せてあります。
 でも、ついでにほかの人の演奏と聴き比べてみると、彼の演奏はとんでもなく早いことが分かります。なにしろ、普通のピアニストだと演奏時間が大体4分から5分の間なのに、彼の演奏は3分半ですからね。もう、最初の「アルペジオ」からして、ものすごい早さですから、さすが、という感じです。
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by jurassic_oyaji | 2014-10-28 21:37 | 禁断 | Comments(0)
PÄRT/Choral Works
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Stephen Layton/
Polyphony
HYPERION/CDA68056




先日、さるアマチュア・オーケストラの演奏会に行ったら、渡されたパンフレットの曲目解説の中で、「12音技法に代表される、『調性を離れてひたすら難解なものに走った20世紀半ばの音楽』は壮大な失敗だったと考えられるようになった昨今」というフレーズが目に入りました。何と大胆な見解。ただ、『』の中のちょっと持って回った言い方も気になります。そこで、もしかしたら、その部分には最初は「現代音楽」という言葉が入っていたのではないか、と、勝手に想像の翼を広げてみました。このような「クラシック音楽」を演奏する団体の場合、えてして「現代音楽」というものに対しての認識がちょっとずれている場合がありますからね。つまり、『』の中にあるような音楽のことを「現代音楽」ととらえる「現代音楽=わけのわからない音楽」という認識です。
しかし、「現代音楽」といえば文字通り「現代」の「音楽」、つまり、今現在作られている音楽になるわけで、そのような音楽がすべて、「わけのわからない」ものではないことは、少し今の時代の音楽に関心がある人であればすぐ分かるはずです。おそらく、さっきのアマオケの場合も、最初に「現代音楽」と書かれたゲラを見た誰かが、「それはちょっとまずいだろう」と言い出して、あのように作風と期間を限定した言い方に変えたのではないでしょうか。ま、あくまで想像ですがね。
つまり、今となっては「壮大な失敗」とされる(その点についても異論もあるでしょうが、少なくとも「12音技法」が失敗であったことだけは間違いありません)そのような一時期の「現代音楽」を乗り越えて最近隆盛を極めているのが、もっと人間の自然な感覚に寄り添った「聴きやすい」音楽です。その中で、最も成功を収めたとされているのが、1935年生まれのエストニアの「現代作曲家」アルヴォ・ペルトです。ここでは、合唱の分野で今まで多くの「現代作品」を紹介してきたスティーヴン・レイトンとポリフォニーの演奏によるペルトの作品を聴くことが出来ます。
まずは、このジャケットを見てください。白地にただ作曲家と演奏家の名前だけを印刷したというクールなデザインは、まるでペルトを一躍有名にしたドイツのレーベル「ECM」のものにそっくりではありませんか。
しかし、ここで聴かれるレイトンたちの演奏は、そんなデザインとは裏腹に、かなり「熱い」というか、こってりした仕上がりになっています。そう感じられるのは、ここに収められている21世紀になってから作られたものが、より自然な感覚、言い換えれば「ロマンティック」な資質を持っていることとも関係があるはずです。最初の「Peace upon you, Jerusalem」(2002)などからは、ちょっと軽めでノーテンキな女声の歌い方とも相まって、かつてペルトが持っていたある種の「冷たさ」はきれいさっぱりなくなっているような印象を受けます。
ただ、有名な「The deer's cry」(2007)では、ペルトの持ち味であったミニマルっぽさが生きていて、なかなか楽しめます。さらに、これが初録音となる2012年の作品「Virgencita」(ヴィルヘンシータ、スペイン語によって歌われます)では、前世紀のペルトの作品で聴かれた懐かしい和音が戻ってきたような感じがして救われます。ここでの最後の盛り上がりなどは、いかにもポリフォニーらしいハイテンションで迫ってきます。
宗教的なテキストで作られている曲が並ぶこのアルバムの中で、唯一異彩を放っているのが、1963年に作られた「Solfeggio」です。ひたすら「ド、レ、ミ・・・」と繰り返される中で生まれるクラスターを味わう作品ですが、爆発音はありません(それは「クラッカー」)。あのリゲティの「Lux aeterna」が1966年の作品ですから、まさにその先駆けとも言える、「20世紀半ば」ならではの音楽です。「12音技法」は失敗だったとしても、こんな風に今でも通用する作品もあったのですよ。そのあたりが、「現代音楽」のおもしろいところです。

CD Artwork © Hyperion Records Ltd
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by jurassic_oyaji | 2014-10-27 21:00 | 合唱 | Comments(0)
ニューフィル定期
 ニューフィルの本番が終わりました。今回の私のパートは殆ど責任のない軽めのものだったので、演奏に関しては何のストレスもありませんでした。ただ、そうは言ってもちょっと苦手なところがなくはありませんでした。それはピッコロ・パート。最後の「エニグマ」では、私が持ち替えでピッコロを吹く場所が何か所かあるのですが、それが結構外すと恥かしいところばかりなんですね。それが、練習の最初の頃にはなかなかポイントがつかめず、不本意な出来だったものが、本番近くにはかなり自分できちんとコントロールできるようになっていました。これは、かなり嬉しいこと、今までのピッコロに対する苦手意識が、かなりなくなって来たような気がします。特に、殆どピッコロのソロみたいな部分があるのですが、それがかなりきちんと吹けるようになっていて、他の人に「あそこ、良かったよ」なんて言われたので、本当に報われたような気がします。
 そんなわけで、演奏に関しては私はとても満足できています。その他に、今回の演奏会はいろいろと楽しいことがありました。ピアニストのソリストの方は、以前からFacebook上では交流がありましたが、もちろん実際に会ったことはありません。ところが、今日のリハーサルが終わって楽屋に行こうと思ったら、彼が私を呼びとめて「あなたのFacebookはとても素晴らしいですね」みたいなことを言ってくれたのですよ。まあ、確かに私は彼はピアノを弾いているところを写真に撮って、それをアップしてたりしましたから、そこで私のことを認識してくれたのでしょうね。なんか思いがけない気がしました。
 その時の私の対応は英語で「Thank you」というぐらいのものでしたが、彼になんか親しみを感じたので、打ち上げの時には、勇気を出して「どうして、Facebookを作っているのが私だと分かったのですか」みたいなことを、「英語で」話しかけてみましたよ。そうしてら、プロフィール写真を見て、分かったというのですね。あれは後ろ姿で大昔に撮ったものなのに、良く分かりましたね。というか、そんなやり取りがごく自然に出来てしまって、他の人が見たら私が本当に英語で会話しているように見えたみたいですね。あとでパートのみんなで写真を撮ってもらいに行った時に、他の人が私に「こういう風に言ってください」なんて頼まれてしまったりしましたから。あとは、彼と同じ年のメンバーがいて、そのことを彼に話したいのだけれど「同じ年」は英語でなんて言うんですか、なんて聞いてきたりしましたよ。私は「same age」と、適当に答えてあげましたけどね。いやあ、本当に「適当」に話して心が通じてしまったんですから、うれしかったですね。
 そのピアニストは、とても軽めのキャラみたいで、最後にこんな風に、自分から「締め」を買って出てましたよ。

 今回は、ニューフィルにとっては初めてのことですが、終わってもう退場というところで、全員がお辞儀をしてみました。一部のオケではいつもやっていることのようで、ニューフィルでやってみたらどうか、なんて前に言ってみたこともありますが、実際にやってみるとなんだか「謝罪」しているみたいで、変な気分でしたね。次回からはどうなることでしょう。

 この写真は、ずっと書いている「写真係」の成果です。私が写っているということは、他の人にお願いして撮ってもらったのですね。これで、会場から撮影するノウハウが出来たので、これは今後とも続けて行けそうです。

 あとは、こんな「女子」でしか撮れないような控室の風景なども、別の人に撮ってもらうことが出来ました。これで、今回私がやりたかったことはほぼ達成されたことになります。
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by jurassic_oyaji | 2014-10-26 22:53 | 禁断 | Comments(0)
MOZART/Gran Partita, Requiem
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I Solisti del Vento
I SOLISTI RECORDS/ISR06351




この「管楽器のソリストたち」という意味のイタリア語の名前を持つ、1991年に結成されたベルギーの管楽器アンサンブルは、今まで多くのレーベルからCDを出していましたが、2013年には、ついに念願の自分たちのレーベルを作りました。これは、そこからリリースされた最初のアイテムとなります。録音されたのは「レクイエム」が2009年、「グラン・パルティータ」が2010年です。
さりげなく、「レクイエム」などと書いてしまいましたが、これはもちろんモーツァルトの遺作となり、結局未完に終わってしまったあの作品のことです。それを、歌を入れないで、管楽器だけの団体であるこの人たちが演奏するというのですね。いったいどんなことになるのでしょう。ただ、こちらなどでご紹介したように、この作品を楽器だけで演奏した試みは過去にはありました。この場合は弦楽器だけでしたが、今回は、それを管楽器だけで行おうというのでしょうか。
ここで「編曲」を行っているのは、オランダの若い作曲家クリスティアン・ケーラーです。彼は、かつてこの団体のためにR.シュトラウスの管弦楽曲を管楽器の合奏のために編曲したこともあるそうで、そんな実績が買われたのでしょう。ただ、その編曲のタイトルを見ると、オリジナルよりもかなり少なくなっていますし、演奏時間も20分しかありません。まあ、ジュスマイヤーが「捏造」した曲を除くというのは考えられますが、それ以外にもかなり減ってます。さらに、ブックレットには「Dies irae」を編曲した楽譜の最初の部分があるのですが、なんだか原曲とはかなり異なる感じがします。
確認してみると、この編曲での楽器編成は、カップリングとなっている「グラン・パルティータ」と全く同じ12の管楽器とコントラバスというものでした。そして、楽章の数も7つと、両方とも同じようになっています。つまり、これはさっきの弦楽四重奏版とは全く異なるコンセプトによって編曲されたものだということになります。言ってみれば、「レクイエム」を「グラン・パルティータ」の鋳型に流し込んだものになるのではないでしょうか。
しかし、実際に聴いてみると、これはそんな生易しいものではありませんでした。そもそも、「Introitus」が始まっても、聴き慣れたフレーズが全く現れません。そのうち、なんとなくそれっぽいものが聴こえては来るのですが、なんか違います。そう、これは「編曲」などというおとなしいものではなく、「レクイエム」の素材を使った「再構築」という名の「作曲」だったのですよ。
そんな手の内が分かってしまえば、あとはケーラー君との対決です。彼が仕掛けたこの「作曲」にとことん付き合ってやろうじゃないですか。そうすると、彼はいろいろ面白いことをやっていることも分かってきます。痛快なのは「Lacrimosa」では、モーツァルトが作ったところまでしかないということです。そのあとは、それまでに出てきたテーマなどを断片的に聴かせるだけですからね。
もう一つ、彼はこの中でモーツァルトの別の作品を「引用」したりしています。言ってみれば「パロディ」ですね。「ネタバレ」になるのでここには書きませんから、ぜひ探してみてください。そんなわけですから、これは背筋を伸ばして聴くような「レクイエム」では決してありません。故人の楽しかった人柄を思い出して、まったりとくつろいだら、いいのではないか、なんて気がします。
これには指揮者が付きましたが、「グラン・パルティータ」には指揮者はいません。一応ファゴットのメンバーがイニシアティブをとっているようですが、そこから生まれるとことんのびのびとした音楽には惹かれます。もちろん楽譜は新全集、第5楽章の「ロマンス」で、コーダの前の1小節をカットするのは、もう完全に浸透した習慣となったようですね(正しい楽譜はこうだ、とか)。

CD Artwork © I Solisti Records
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by jurassic_oyaji | 2014-10-25 22:37 | 室内楽 | Comments(0)
大学女子駅伝
 あさってのニューフィルの本番が、仙台で行われる大学女子駅伝とかぶっていることは知っていました。ホールの前の道路が、もろにコースになっているんですよね。しかも、そこがフィニッシュの近くなので、開場時間ごろがちょうどそこを選手が走っていくことになり、当然その道路を一般車が走ることは出来なくなってしまいます。ですから、団員にはそのあたりをきちんと来てくれる知り合いには連絡してもらうようにお願いしてありました。まあ、ですから普通は地下鉄で来て少し歩くとかそんな感じで会場まで来てもらうことになるのでしょうね。
 ただ、それを私の母親に言ったら、一緒に連れて来てくれる弟が、ちょっと考え込んでしまいました。かなりの高齢の母親ですから、タクシーで入口の前まで乗って行って、そこで降ろしてもらおうと思っていたのだそうですよ。かなり近くまで行けるような裏道を行ったとしても、そこはおそらくひどい渋滞だから、大変でしょうしね。ですから、最悪駅伝が終わって交通規制が解かれてから行こうか、なんて言ってましたね。まあ、最後の曲ぐらいには間にあうかもしれませんからね。
 確かに、こういう時の交通規制というのは、主に車に関してのものですから、歩いてホールに来る人にはそれほど影響はないのでは、と思っていましたが、そういうケースだって充分あり得たのですね。ニューフィルの場合は、高齢のお客さんの割合は少なくないはずですから、これはちょっと困った事態です。というか、この駅伝の主催者は、そんなところで迷惑をかけているなんてことはおそらく全く気付いてはいないのでしょうね。ひたすら、自分たちが企画した行事を成功させるためだけに物事を考えているという「自己中」に陥っている人たちでしょうから、その沿線でどんな催し物が行われているのかなんてことは、調べてもいないのでしょう。まあ、そんな風に、自分がやっていることが他の人にどれだけ不快な思いを強いているかなんて、考えたこともないような人はこの世にあふれていますがね。某Facebookページなどは、その最たるものです。
 まあ、そんな中でも、おそらくたくさんのお客さんが来てくれるのではないか、というのが、かなり確実視されている予測です。こちらはまっとうなニューフィルのFacebookページでは、ここ数日のヤスィンスキイさんの行動などをシェアしてありますが、私自身のFacebookでも、指揮練の時に撮った彼の写真に「いいね!」をくれて、友達申請まで寄こした人がいますからね。そういう、ネットがらみでの集客も見込めるのでは、と思ってしまうのです。もっとも、その人はドイツあたりに住んでいるはずですから、あさって会場にいらっしゃることはないとは思うのですがね。
 今回急遽まわってきた写真係の仕事では、私が持っているデジカメを使って撮ってもらい、終わったらすぐ回収できるようにしようと思っています。手元には、前に使っていたコンパクト・デジカメが2台あって、どちらもちゃんと使えますから、こんな時には役に立ちます。そのうちの古い方などは、画素数はそんなにありませんが、センサーが今のデジカメより大きなサイズですから、画質なんかは今のよりよっぽどいいですからね。
 ただ、そのカメラはあいにくメモリーカードが「XDピクチャーカード」だったんですよ。もう残り少なくなっていたので、新しいカードを買おうと思って〇ーズデンキに行ったら、「もう店頭には置いてありません」ですって。今ではほとんどSDカードしか使われていませんから、そんなことになっているんですね。でも、Amazonあたりではまだ買えるようなので、かろうじて流通はしているようです。というか、そうでないと、このカードを使っている人だって現実にいるのですから、困ってしまいますよね。

 全然気にも留めなかったのですが、これはこんな容量しかなかったんですね。0.5GBということですね。なんか、このカード自体、最高で2GBまでしかないのだそうです。
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by jurassic_oyaji | 2014-10-24 21:12 | 禁断 | Comments(0)
That's Christmas to Me
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Pentatonix
RCA/88843-09690-2




今年の「サマーソニック」に出演のために来日も果たしたペンタトニックス、もはやその人気は確固たるものになったようですね。Youtubeには来日した時のイベントで歌っている彼らをシロートが撮影した動画などがアップされていますが、演奏よりもまわりの「キャーッ!」という歓声の方が大きく録音されているというすさまじいものでした。そういう「熱狂的」なファンがついているなんて、すごいですね。
以前彼らのアルバムを紹介した頃は、「Madison Gate Records」というSONY傘下のちょっとマイナーなレーベルからのリリースだったのですが、今年の春には同じSONYでも「RCA」というメジャーに晴れて「昇格」したのも、そんな人気の裏付けがあってのことなのでしょう。その時点で、旧譜も全てRCAからリイシューされています。SONYに吸収されてからのRCAは、クラシックではもはや申し訳程度に新録音を出すだけで、基本的にはカタログ・レーベルと化していますが、ポップスの世界ではこうやってきちんと「メジャー」と認識されています。なんたって、ジャケットでこんな「遊び」をやってくれているのがうれしいじゃないですか。

そんなデザインでも分かる通り、これはペンタトニックスのおととし、去年に続く3枚目のクリスマス・アルバムです。とは言っても前2作は単なるバージョン違いですが、こうやって毎年新しいクリスマスを届けてくれるなんて、素敵ですね。もはやクリスマスのア・カペラは、山下達郎ではなくペンタトニックスという時代です。
オープニングはまず讃美歌の「天には栄え」が、ごくフツーに歌われます。これは去年のアルバムと同じ手法、そうやってちょっと敬虔な(なんだか、素朴すぎて怖いぐらい)気持ちになって油断しているところに、いきなりベースとヴォイパが入ってきてゴスペル調のア・カペラに変わるという演出です。
今回は、結構クラシカルなナンバーも加わっています。まずは、ルロイ・アンダーソンの「そりすべり」。もはやクリスマスの定番ですが、オリジナルのヴォーカル・バージョンをあまりいじらない素直なアレンジが、逆にとても効果的です。そして、本物の「クラシック」も登場。チャイコフスキーの、こちらはクラシック界での定番「くるみ割り人形」から「金平糖の踊り」が、見事なア・カペラに生まれ変わっています。これはイントロからオリジナルと同じですから、ちょっとハッとさせられますね。
やはり定番の「サンタが町にやってくる」では、あえてのどかなアレンジは避けて、ハードなリフのオスティナートで押し通すというちょっとへヴィーなテイストに仕上がっています。そんな中で、メロディはジャクソン・ファイヴみたいな変なフェイクが入っていない素直なところが、いい感じ。
もちろん、彼らのオリジナル曲も入っています。アルバムタイトルにもなっている「That's Christmas to Me」がそれ、ヴォイパを外して、4人だけのホモフォニックなコーラスでまとめられた、とても美しい曲ですよ。
この中で一番気に入ったのは、「Winter Wonderland」を、なんとボビー・マクファーレンの「Don't Worry Be Happy」とマッシュ・アップしたというナンバーです。しかも、そこにはトリ・ケリーという漫画家(それはとり・みき)ではなく、期待の大型新人シンガーがフィーチャーされているではありませんか。トリ自身も一人ア・カペラを手掛けたりしていますから、コーラスもお手の物、メンバーともしっかり溶け合って、カースティーとはまた違った魅力を加えています。あのボビーのまったりとしたフレーズの間の取り方なんかは、絶品ですね。
ボーナス・トラックが、国内盤のコンピにはすでに入っていた「Let It Go」です。オリジナル通りの構成ですが、ベースラインの趣味の良さが光ってます。最初聴いたときにはメイン・ヴォーカルはカースティーだと思ったのに、映像を見るとどうやらミッチが歌っているようですね。彼は女声の音域まで完璧にカバー出来るみたいです。凄すぎ。

CD Artwork © RCA Records
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by jurassic_oyaji | 2014-10-23 20:47 | 合唱 | Comments(0)
宴会グッズ・・・ではない
 最後の指揮者練習、そして本番ピアニストとの合わせと、必要なことは全て終わってあとは本番を迎えるばかりとなったニューフィルです。きのうはそんな中で最後の団内練習、本番通りの曲順で、一通り流す、といったところでしょう。メンバーの集まり具合も、いつもの火曜日よりも良いみたいな気がします。ただ、なぜかヴィオラの席だけは、始まる直前はガラガラでした。

 でも、ご安心ください。このパートは、スタートこそこんな歯抜けですが、最終的にはぎっしりフルメンバーが集まってしまうのですから、なんとも頼もしい限りです。

 私は、1曲目の序曲は降り番なので、本当はいなくてもいいのですが、合奏が始まる前に机を出してそこに「かいほうげん」や日程表を並べておく(音出しが始まってから机を出したりすると、怒られます)必要があるので、7時ギリギリに着くようにしました。細かいことですが、駐車場が1時間単位でカウントされるので、そのタイミングで入れると100円安くて済むんですよね。
 それで、一通りの仕事を終えて、一応楽器を組み立てて軽く音だけ出してみたら、あとはヒマですからロビーに出て序曲が終わるまで待っていようと思いました。ところが、なかなか始まらない気配、そしたら、序曲で1番を吹いていた人が出てきて、これからアンコールの練習があるのだ、というのですよ。これは実は最後の曲で乗っていたメンバーの担当、それも1本しか使わないので、私ではありません。でも、本人はまだ来てないし、結局私が全くの初見で吹くことになってしまいましたよ。いやあ、これはこの前に序曲を急遽代吹きした時より緊張しましたね。何回かソロが出てきて、結局吹くことは吹けたのですが、息が持たなくなって、普通はノンブレスで吹けるはずのフレーズの途中でブレスをしなければいけませんでした。こういう時でも、万全のコンディションで吹けなければいけないはずなのに、まだまだなのだなあ、と、ちょっと悔しくなりました。まあ、まだ「伸びしろ」があるということだと思うことにしましょう。
 でも、実際に吹くパートは、おそらくどんなにコンディションが悪くても一通りのところは目をつぶっても吹けるぐらいのレベルにはなっているので(パート練習で出来なかったところも、指揮練であっさりクリア出来ましたし)、他のところに目を配ることにしました。実は、今までも演奏会の写真をたくさん撮ってはいたのですが、それは私が勝手に撮っているというスタンスでした。写真担当の人は別にいて、一応その人の指示のもとに動く人がいて、私はそれとはちょっと関係ないところで動いていたのですね。ところが、その人が今度退団することになってしまって、結局その仕事が私にまわってきてしまったのですよ。ですから、今度は、私は自分で撮るのと同時に、撮ってもらう人の手配もやらされることになってしまいました。まあ、これも前回は半分ぐらいはやっていたのですけどね。
 そこで、前から気になっていたので、客席から写真を撮る時に、一応まわりのお客さんにそういう仕事の人間であることを認識してもらうための「腕章」を使ってみることにしました。そこで、Amazonで入手したのがこれです。

 文字は入っていないので、自分で作りました。これがあれば、まずお客さんに睨まれることはないでしょう。私が演奏している時にも、降り番の人に客席から撮ってもらうことをもうお願いしてありますから、その人にも貸してあげようと思っています。ただ、本番でまわりのものが見えないような状態になっていると、もしかしてこれを付けたままステージに上がりかねないので、それだけは決してないように注意をするつもりです。もし、そんな注意が行き届かなくなって変なものを見たとしても、笑ってすまして下さいね。
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by jurassic_oyaji | 2014-10-22 23:17 | 禁断 | Comments(0)