おやぢの部屋2
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マエストロ
 ついに仙台でもきのうは本格的な雪が降りました。このまま降り続くと自宅の駐車場もヘタをすると車を入れられなくなってしまうほど積もってしまうと不安になって来たので、少し早めに職場を出て、明るいうちに帰って駐車場の雪かきです。それが終わって、エレベーターで上に上がってまわりを見回して見ると、雪がかなり激しくなっていて、遠くの方はかすんで見えなくなっています。しかし、視界に入る中山入口の坂道では、テールランプがずっとつながっている感じで、そこから続くすぐ下の道路もすごい渋滞になっています。きっと、あの坂道を登りきれない車がいて、そのためにこんな渋滞になっているのでしょう。そこで、家から望遠レンズを付けたカメラを取ってきて、そのあたりを撮ってみました。

 やはり、なんか1台だけ動かなくなっている車がいるようですね。
 今朝になったら雪はすっかりやんで青空が広がっています。こうなると、このマンションは雪かきタイムが始まります。まずはスノーダンプと平スコップを確保、車のまわりは完璧に雪かきを終わらせました。これで、いつでも車を出し入れできるようになりました。

 そこで、今日が公開初日という「マエストロ」を見に行くことにしました。なんせ初日ですから、かなり混むことが予想されますから、ここはこの間使ってみたネット予約を利用してみようと思いました。でも、それを見てみると、まだほとんど予約はされてなくてガラガラ、あれだけ宣伝している割には人気がないのだな、という気がしましたが、なにしろ最後列のど真ん中が楽々取れたので、一安心です。
 それをまず、チケットに交換です。この前はPCのアドレスで取ったらメールが届かなかったのでちょっと不安でしたが、今回は携帯のアドレスにしたら、ちゃんとQRコードが送られてきましたよ。ですから、券売機ではこの画面をそのまま読みとらせればいいんですよね。でも、それをやろうとしたら、「このQRコードは使えません」なんてコメントが出てきました。念のため、と思って、PCの表示をプリントアウトしたのも持って来ていたので、それでやってみても、やはり読み取り拒否です。もう代金はクレジットカードで決済してあるので、これが読みとれないとかなりヤバいことになりますよ。せっかく取れたいい席もなくなってしまっているかも。でも、気を取り直して隣の機械でやってみたら、一発で読みとってくれましたよ。単なる機械の問題だったんですね。結構いい加減。
 館内に入ってみたら、175席のシアター2がほぼ満席でした。やはり、ネットでは売れてなくてもお客さんは来るようなものだったのですね。久しぶりに「混んだ」シネコンを体験しましたよ。
 このシネコンの音は、シアター4で見たMETなんかではかなりひどいという印象があったのですが、シアターが違うと機材が違っているのか、ここではかなり満足できる音でした。やればできるんですね。お話は、我々オケマンにとっては「うんうん」というところと、「それはないだろう」というところが混在していましたが、まあ楽しめましたね。CDではあんなにつまらなかった演奏も、演技の助けを借りるとこれほど「感動的」に聴こえるものなんですね。本番が行われたホールが、まるでオペラハウスのような馬蹄形の客席だったので、こんなところが日本にあったかな、と思いながらクレジットを見たら、「よこすか」なんたらというのが目に入りました。調べてみたら、それは「よこすか芸術劇場」という、オペラも上演できる2000人収容の大ホールでした。横須賀あたりでもこんなすごいホールがあるというのに、仙台では・・・。
 ただ、いくつか原作とは違っているところがあったので確かめてみたら、肝心のフルーティストが、原作ではちゃんとドイツに留学したことがある人なのに、映画ではただの「アマチュア」みたいになっていましたね。こういうところはきちんと押さえておかなければ。でも、その原作にしても、映画には登場しないピッコロ奏者の話のところで「循環呼吸が出来る人なんか、何人もいない」と言っていたりするのもいい加減と言えばいい加減。循環呼吸なんて、私にだってできるんですから。
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by jurassic_oyaji | 2015-01-31 21:26 | 禁断 | Comments(0)
PENDERECKI/The Complete Symphonies
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Soloists
Krzysztof Penderecki/
The Choir of the Podlasie Opera and Philharmonic in Bialystok
The Polish Sinfonia Iuventus Orchestra
DUX/DUX 0947




ペンデレツキが今までに作った交響曲をすべて録音していたのは、アントニ・ヴィットだけだったのでしょう。彼はNAXOSで1998年から2006年までの間にカトヴィツェ放送交響楽団とワルシャワ・フィルの2つのオーケストラによって「全集」を完成させました。2012年にはそれをまとめたボックスもリリースされています。おそらく、これが最初で最後の全集だと思っていたら、2013年になってなんと作曲家が自ら指揮をした全集が登場したではありませんか。これはある意味ショッキングなことでした。なんたってまだまだこれからも作曲活動は続けていけるはずの年齢なのに、ここで自ら「全集」を作ったということは、もはやこれ以上はこのジャンルでの新作は期待するな、というメッセージと誰しもが受け止めるはずですからね。
ですから、彼が後世に残した「交響曲」は全部で「7曲」ということになりました。なぜか、最後の交響曲が「8番」なのは、「6番」がまだ「作曲中」だからです。しかし、これも、こんな全集を出してしまっては、もはやそれが完成することは決してないでしょう。
ヴィットの場合は、全集を完成させるのに8年かかりましたが、ペンデレツキは2010年の9月から2012年の11月までですから、ほぼ丸2年で完成してしまったことになります。
最後の「8番」が完成したのは2005年で、その直後の2006年にヴィットが録音したのですが、2007年になって、作曲家はこの曲を改訂してしまいます。ご存知のように、この曲は交響曲というよりはオーケストラ伴奏による歌曲集といった趣が強いのですが、その12曲あった「歌曲」に3曲追加して15曲にしたのです。ですから、現在このバージョンが聴けるのはペンデレツキ盤しかないはずです。
今回の全集では、演奏しているオーケストラは「ポーランド青年交響楽団」という団体だけ。録音もかなりすっきりした音に仕上がっていて、これはもうまさに、「ロマンティスト」ペンデレツキの面目躍如といった感じの、誰にも好かれる「名曲仕様」の作られ方になっています。
しかし、そんな中でも1973年に作られた「1番」だけは、他の交響曲とははっきり異なる作風を示しています。このボックスのライナーによると、この作品はペンデレツキにとっては「アヴァン・ギャルドに対する総括」という意味を持っていたのだそうです。つまり、この曲を作ったことによって、それまでの「アヴァン・ギャルド」な作風とは完全に手を切って、新たな「ロマンティック」な作風への「転換」を図ったのだ、と、本人が語っていたというのですよ。いやあ、うすうす感じてはいましたが、まさか本人がここまではっきり自らの「変節」を語っていたとは。
ですから、この全集で注目すべきは、そんなペンデレツキが指揮者として、言ってみれば「切り捨てた」はずの過去の自分とどのように対峙するのか、という点なのではないでしょうか。そこで、その「1番」を、ヴィットが1999年に録音したものと、今回の自演盤とで聴き比べてみると、やはりその違いは歴然たるものがありました。ヴィット盤ではバンバン感じられた、まるで背筋が凍りつくような不気味さが、自演盤では全く姿を消しているのです。さらに、もっと重要な、楽譜そのものを変えている部分まで見つかりました。それは曲全体のエンディング。ヴィットによるオリジナル(だと思います)では、最後に残るのはラチェットとバスドラムという音程を持たない打楽器だけのはずなのに、自演盤ではそのバスドラムに重なってコントラバスが明確な「A」の音を出しているのですね。もはやロマンティストとなってしまったペンデレツキにとっては、たとえ自作でも音程(=調性)が定かではない終わり方をするのは許せなかったのでしょうか。そんな作曲家の傲慢さこそが、最も許してはいけないもののはずなのに。

CD Artwork © DUX Recording Producers
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by jurassic_oyaji | 2015-01-30 20:55 | 現代音楽 | Comments(0)
カツカレーうどん
 最近の天気予報は面白いですね。今朝なんか、「明日の天気は、2パターンが考えられます」なんて、2通りの予報を出していましたよ。「どっちか選んでください」みたいなノリで。そんなの「予報」じゃないんじゃないですか。プロの仕事とは思えませんね。人間ですから予報が外れることだってたまには(いや、かなり)あるでしょうが、それはあくまで本人の責任、外れた時はただ恥をかくだけの話です。それを、視聴者に選ばせるなんて、いったい何を考えているのでしょう。
 この間練習に行く前に、ついに見つけたこれから行きつけになりそうなお店で晩ご飯、いや晩うどんを食べようと思って行ってみると、入口に「カツカレーうどん始めました」という看板があったのには驚いてしまいました。まあ、単に私が知らないだけなのかもしれませんが、こんなものがこの世にあるなんて全く知りませんでしたよ。いや、私は「カツカレー」は大好きですし、もちろん「うどん」も大好きですが、それを単純に合体させたと言ってそれも好きになるとは限りません。その前の段階の「カレーうどん」でさえも、実はまだおっかなくて食べたことがないんですから。これも、私に言わせればあまりに安直な発想で、とてもプロの仕事とは思えません。

 とは言っても、実際にはこのおぞましい食べ物はかなり広範囲の人に好まれているようですね。なんか、写真を見ていると本当においしいんじゃないかと思いそうになってしまいます。まあ、今食べ続けているきつねうどんに飽きることがあったら、もしかしたら手を出すこともあるかもしれない・・・わけ、ないじゃないですか!
 まあ、この前の神田の蕎麦屋さんではありませんが、常に長い行列が出来てなかなか食べることが出来ないような超人気のお店のものが、実際に食べてみるとそんなに特別おいしいものではないということはよくありますから、たくさんの人が食べているからと言って、この「カツカレーうどん」がおいしいという保証は全くありませんし。
 クラシックの演奏家でも、それこそチケットが発売と同時に売り切れるようなプレイヤーが、本当に心から感動できるような音楽を提供してくれるとは限りませんからね。いや、逆にそんな異様なほどの人気のある人は、真っ先に疑ってかかるというのが、本当はまっとうな接し方なのかもしれません。
 別に、辻井さんがそんな演奏家だなんていうつもりは全くありませんし、彼は間違いなく本物のピアニストだと常々思っているのですが、彼のコンサートのチケットがまず手に入らないような現状は、かなり異常なのでは、という気がします。前にも書きましたが、11月に仙台にやってくるかなりまっとうな指揮者とオーケストラのソリストが辻井さんだということで、そんな異常な人気のために本当にこのオーケストラを聴きたい人が聴きに行けなくなってしまうという状況になってしまうのではないか、ということを、真剣に憂えているところでした。
 そうしたら、きのう愚妻が、「新聞に、辻井さんの仙台のチケットが完売したって載ってたよ」なんて言ってますから、びっくりしてしまいました。まだチケットの売り出しの告知もなかったはずなのに、いつの間に売り出していたんだと。そして、私の杞憂が現実のものになってしまったんだと、怒りさえ覚えてしまいましたよ。

 その新聞広告を見てみたら、たしかに仙台の分は「完売」とありますね。ほんとに困ったことだなあ、と思ってよくよく見てみたら、これはオーケストラではなく、辻井さんのリサイタルのチケットの話ではありませんか。いや、最初見た時は間違いなくミュンヘン・フィルのことだと思ってしまいましたから、「先入観」とは恐ろしいものですね。
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by jurassic_oyaji | 2015-01-29 21:48 | 禁断 | Comments(0)
SIMPSON/A Crown of Stars, SCHNITTKE/Requiem
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Lisa Edwards-Burrs(Sop)
Joseph Dietrich(Ten)
Gisèle Becker/
Cantate Chamber Singers
The Maryland State Boychoir
ALBANY/TROY1358




シュニトケの「レクイエム」の新しい録音ということで入手したCDですが、ここではどちらかというとメインはカップリングの「A Crown of Stars」という世界初録音の作品だったようです。これは、アメリカの作曲家アンドリュー・アール・シンプソンが、ここで演奏しているカンターテ・チェンバー・シンガーズの委嘱によって作曲したもので、2006年にこの合唱団による世界初演が行われています。
タイトルの「星の冠」とは、ギリシャ神話に登場するバッカス(ディオニソス)とアリアドネの物語に由来したものです。この二人は、あのリヒャルト・シュトラウスのオペラ、「ナクソス島のアリアドネ」でもおなじみですね。アリアドネは恋人のテセウスと一緒にナクソス島に逃げてきますが、なぜかテセウスは彼女をおいたままにして島から去ってしまいます。「ナクソス」というのは有名なレコード会社ですが、そこの女子社員もこんな風にカレシに逃げられてしまうものなのでしょうか。ちょっと縁起の悪い社名ですね。しかし、アリアドネの場合は、そこにやってきたバッカスとまた恋に落ち、結婚してしまうのですから、本当はその女子社員もカレシを裏切って他のオトコに走っていたんですよ。
と、「まちがいギリシャ神話」に脱線しましたが、そのアリアドネがバッカスと結婚する時にプレゼントされ、「ありがとね」と受け取ったものが、この「星の冠」だったのですね。ジャケットに使われているフランスの画家、ウスターシュ・ル・シュウールの「バッカスとアリアドネ」という絵画の中で、男が女の頭上に掲げているのが、その現物です。なんでも、これがアリアドネの死後には天に昇って「かんむり座」になったのだとか。ロマンティックですね。

そう、この作品はサブタイトルが「3部から成る結婚オラトリオ」とあるように、結婚を賛美するというおめでたい曲だったのですよ。それをよりによって死者を悼む「レクイエム」とカップリングさせるという神経は、ユニークというか、理解不能というか。
ピアニストやオルガニストとしても活躍している1967年生まれの作曲家のシンプソンには、オペラや室内楽から映画音楽、さらにはフォーク・ミュージックまで、多方面の作品があります。この作品の制作にあたっては、古典文学者である妻の協力によって、古代ギリシャ語から翻訳されたテキストなどを用いているのだそうです。
彼の音楽は、クラシックの範疇には収まらないさまざまのジャンルがルーツになっているようですので、2人のソリスト、混声合唱、児童合唱、13人のミュージシャンによるアンサンブルから成るこの作品では、まず「ディキシーランド・ジャズ」で始まったからと言って驚く必要はありません。というか、オープニングでいきなりそんなインパクトを与えた割には、それ以後は、例えばジョン・ラッターやボブ・チルコットのようなありがちの音楽が続きます。それなりのメッセージが受け止められるものも有りますが、なにかよそよそしい感じが付きまとうのは、演奏している合唱団のスキルのせいなのでしょう。そんな中で、第1部の最後に置かれた児童合唱のピース「Will There Be Any Stars in My Crown?」が、伝承曲のような素朴な味を出していましたね。
そして、お目当てのシュニトケの「レクイエム」が始まると、それはやはり今まで聴いていた「星の冠」とはちょっと次元の異なるものであることに気づきます。こちらも言ってみれば「なんでもあり」の音楽には違いないのですが、やはり「格」が違うというか、放射される「情念」のようなものが根本から違っていることを痛感させられます。合唱団も、同じ団体とは思えないような緻密さ(それでもかなり雑ではありますが)を見せていますし。この作品はもう何度も聴いていたのに、例えば「Sanctus」でのエレキ・ベースの巧妙な使い方などには、改めて感心させられます。

CD Artwork © Albany Records
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by jurassic_oyaji | 2015-01-28 20:48 | 現代音楽 | Comments(0)
東劇から有楽町までは10分で歩けました
 先日東京に行った時には、1日目はまだ行ったことのないところに行ってみました。それが紀尾井ホールだったのですが、別にコンサートを聴きに行ったわけではなく、愚妻が私が一緒に行けない時に知り合いの演奏会がここであるというので、ひとりでちゃんとたどり着けるように道案内をしてあげたということです。私は、どんなところでも地図さえあれば迷わないで一発で目的地に着ける自信はありますからね。
 その時の最寄りの駅が四ツ谷でした。実は、私はまだこの周辺には行ったことがありません。地図を調べてみると、駅から「外濠に沿って」歩いて行くのだ、と書いてあるものがありました。「外濠」というのは、もちろん江戸城の外濠のことですよね。確か、中央線に乗っている時に川のようのなものが見えて、ボート乗りなんかをやっているところがありますが、あれが「外濠」だったのですよね。ここを通るたびに、なんかタイムスリップした感じがしていたのですが、それを今回は実際に間近で見ることが出来るのでは、と思っていました。しかし、確かに道沿いに高い堤防が続いていたので、そこのてっぺんまで登って行ってみたのですが、その先には「濠」などはなく、向かいの上智大学のグラウンドになっていました。とっくの昔に埋め立てられていたのですね。 
 同じように、2日目は銀座周辺に行ってきたのですが、有楽町駅を降りてすぐのところは「数寄屋橋」ですから、かつてはここに橋があって、その下にやはり「外濠」があったのでしょうね。ここではそんな面影は、もう全く感じることはできません。
 いや、たしかこの前銀座に来てからまだ2年も経っていないというのに、ちょっと歩いただけでなくなってしまった建物がいくつも見つかりました。まず、銀座4丁目の一角が、空っぽになっているのには驚きました。かつては日産ギャラリーがあったところですね。地下にはビヤホールがあって、愚妻の合唱団が東京で演奏した時の打ち上げに混ぜてもらったことがありましたっけ。あの時はゲリラ豪雨があって・・・とか、東京には何の縁もないのに、結構思い出があったりします。

 そして、ヤマハに行こうと歩いて行くと、ここは前から建て替えの話は聞いていた松坂屋が、すっかりなくなって新たな建物の工事が始まっていましたね。

 こんな風にして、どんどん古いものが新しいものに置き換わっていくのでしょう。そういえば、駅の自動改札が、圧倒的に「ICカード専用」になってしまっているのは、困ったものです。私のように「おと休」の磁気カードしか使わない人は、スロットの付いた改札を探し回らなければいけませんからね。まあ、いずれはこれもICカードになるのでしょうが。
 そして、また4丁目交差点に戻って、東劇に向かったのですが、その途中には「ぐんまちゃん」がいましたっけ。

 目的の映画館は、その先、簡単に歩いて行けるところでした。その時の休憩時間に撮った写真を、この間は載せるのを忘れていました。

 こうやって、幕間のインタビューが終わると、館内も明かりがついて、スクリーンには客席からの「幕」が映し出されるというわけです。この部分はWOWOWなんかで放送する時にはカットされていますね。
 もう一つ、書き忘れたことがありました。東京の映画館で一番知りたかったのは、音がサラウンドかどうか、ということでした。仙台では前からしか聴こえてきませんでしたから、これは田舎のシネコンの欠陥かも、と思ったからです。しかし、この、METライブビューイングにかけては最も「権威」があると思われる映画館でも、後ろから客席内の音が聴こえてくることはありませんでした。
 でも、なんだか拍手のようなものが後ろから聴こえてくることもあります。でも、それはニューヨークのお客さんの拍手ではなく、この映画館の中のお客さんの拍手でした。そうなんですよ。これも仙台ではあり得ませんが、控えめながらアリアの終わりなどには、映画であるにもかかわらず拍手をしていた人がいたのですよ。さすが、東京。
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by jurassic_oyaji | 2015-01-27 21:11 | 禁断 | Comments(0)
BERIO/Sinfonia, Calmo, Ritirata Notturna
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Verpi Räisänen(MS), Mirjam Solomon, Annika Fuhrmann(Sop)
Jutta Seppinen, Pasi Hyökki(Alt)
Simo Mäkinen, Paavo Hyökki(Ten)
Taavi Oramo, Sampo Haapaniemi(Bas)
Hannu Lintu/Finnish Radio Symphony Orchestra
ONDINE/ODE 1227-5(hybrid SACD)




フィンランド放送交響楽団とともにリゲティメシアンと、前世紀の音楽を牽引してきた作曲家の作品を録音してきたリントゥが、今回はベリオのアルバムを作ってくれました。これらの、もはや「現代音楽」とは言えないほど多くの聴衆を獲得している作品たちに、リントゥはまた斬新なアプローチを見せてくれるのでしょうか。
ここで彼が取り上げたベリオの作品は、もはや「古典」と言っても構わないほどの人気を誇る1969年の作品「シンフォニア」をメインに、1970年代の「夜警の行進」と「カルモ」という3つでした。このうちの「夜警」は、ボッケリーニの作品(弦楽五重奏曲Op30-6の最後の楽章)をそのままオーケストラのために編曲(オーケストレーション)して、そこにさらに11の変奏を続けた一種の「変奏曲」ではあるのですが、これの日本語タイトルが、例によって意味不明。なぜ「4つの変奏」なのでしょう。

どうやら、これを作った人(販売元のNaxos Japanから依頼された「帯職人」)は、オリジナルのタイトル「Quattro versioni originali della Ritirata Notturna di Madrid di L. Boccherini」にある「versioni」を「variation」と読み違えてしまったのでしょう。「誤訳」というのも恥ずかしいほどのお粗末な話ですね。これは本当は「4つの版」、べリオはこのオーケストラ版のほかに、あと3つの「版」を作った、ということなのでしょうね。
これは、まるで「ボレロ」のように、聴こえるか聴こえないほどのスネア・ドラムに導かれて「11の変奏」が展開されるというものですが、ラヴェルと違うのは真ん中で盛り上がった後は、また最初のような静けさを目指してだんだん小さな音になっていく、という点です。一見、単なる古典的なオーケストレーションのようで、それこそ「聴こえるか聴こえないほど」のあり得ない和声が各所に潜んでいますから、油断は禁物です。そんなことにサラッと気づかせてくれるリントゥは、さすがです。
次の「カルモ」は、べリオの友人であったブルーノ・マデルナの死を悼んで作られたものです。これは、「あの時代」のテイストが満載の「難解な」音楽ではありますが、メゾ・ソプラノ・ソロのライサネン(これも、帯の日本語表記はウソ)のふくよかで温かい声からは、「今の時代」ならではの包容力が伝わってくるはずです。もちろん、その中からは、作曲家が目指したであろう鋭角的なメッセージも受け止めることは可能です。
「シンフォニア」は、ご存知のようにニューヨーク・フィルからの委嘱によって作られたものですが、作曲者はソリスト群としてスウィングル・シンガーズを想定していました。ですから、彼らが演奏する時にはそれぞれマイクを持って歌っていますし、オーケストラの中には「電子チェンバロ」や「電子オルガン」などといった電子楽器も含まれています。ピエール・ブーレーズが1984年に録音した時には、スウィングル・シンガーズは初演当時とはメンバーも替わり、名前も「ニュー・スウィングル・シンガーズ」となっていましたが、おそらく彼らは、例えば武満の「ノヴェンバー・ステップス」での横山・鶴田チームのように、この曲が演奏される時には必ずソリスト群として登場していたのでしょう。確か、1995年に東京で開催された「ブーレーズ・フェスティバル」でこの曲が演奏された時にも、彼らが参加していたはずです。
しかし、現在では他のソリストでもこのパートが任されるようになってきました。このSACDで歌っているのは、いわゆる「合唱団」ではなく、この録音のために集まった人たちなのでしょう。聞いたことのない名前ばかりだな、と思ったら、その中にパシ・ヒョッキが「アルト」として参加していました。こちらで紹介していた「ソプラニスタ」ですね。ちなみに、もう一人のアルトのユッタ・セッピネンという人は女性です。お化粧をしなくても美しい人ですね(それは「スッピンね」)。

SACD Artwork © Ondine Oy
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by jurassic_oyaji | 2015-01-26 21:16 | 現代音楽 | Comments(0)
セヴィリアの理髪師
 今は「おと休」の期間中です。「なにそれ?」と言われそうですが、このキャンペーンの間は17,000円で4日間JR東日本の列車が乗り放題、指定席も6枚まではただで付けられるという、お馴染みのものです。
 東京まで往復すればそれだけで元が取れますし、2回、3回と使うほど、お得感は増してゆくという優れものです。
ですから、この時期になると用もないのに東京に行きたがる人が増えるので大変。
 というわけで、私もきのうと今日、行ってきましたよ。いや、私の場合はちゃんとした目的がありました。それは、出来たばかりのニューフィルのコンサートのチラシを、東京の人目に付きそうな場所に貼ってくるというミッションです。
 その成果には著しいものがありました。ご覧ください。きのうは紀尾井ホール、

 今日は四季劇場「夏」に貼ってこれましたよ。

 それと一緒に、きのうはこんな

 ものすごい行列が出来る神田のそば屋さんにも行ってみました。まあ、確かにおそばもつけ汁もおいしかったのですが、一緒に頼んだかき揚げは値段の割には大したことはありませんでしたね。

 それと、このせいろ(せいろう)はあまりにも量が少なすぎ。まあ、あくまで話の種ですから。
 本当は、今日は別に出かけようとは思ってなかったのですが、夕べネットでなにか仙台では見れないような映画でもやっていないか探してみたら、METのライブビューイングが3時から東劇であることが分かりました。仙台では何度か見たことがあるのですが、音に関してはかなりの不満があったものですから、東京の映画館ではどうかな、ということで1回はここで見て(聴いて)みたかったのですよね。ここはネットですぐチケットが買えるようになっていますが、なんせ昔の映画館ですから床はほぼフラット、前の人の頭を気にしたくなかったら、真ん中の通路の後の席がベストだという情報があったので見てみたら、こんな感じで確かにそこはすぐに売れてしまいます(グレーの座席)。これは明日の分の、数時間前の状況ですが、きのうは右端が2席空いていたので、その右から2つ目を取りました。つまり、夕べの段階ですでにチケットは入手していて、3時から6時までの予定は確定していたのですね。

 ですから、今日はそれまでは銀座のヤマハなんかに行って、3時少し前に東劇に着いて、送られてきたバーコードで、すぐチケットの現物がもらえました。窓口には、結構の人が列を作っていましたから大正解。仙台とは比べ物にならないぐらいの人が入っていましたね。ロビーが広いので、休憩時間はまるで本物のオペラの幕間みたいな感じでした。これも、仙台では絶対に味わえないものです。

 実際はスクリーンの位置がかなり高いので、後に座ってもちゃんと画面は見えるようでした。肝心の音の方は、そんなにいい音ではないものの、仙台よりははるかにマシなものでした。とりあえず、全然ストレスを感じることはありませんでしたし。METの若手が演じたアルマヴィーヴァとロジーナがとても良かったですね。
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by jurassic_oyaji | 2015-01-25 23:04 | 禁断 | Comments(0)
STRAUSS/Ein Heldenleben, Varèse/Amériques
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Ingo Metzmacher
Deutsches Symphonie-Orchester Berlin
CHALLENGE/CC72644




以前ご紹介した佐渡裕のサントラ盤で演奏していたのが、今回と同じ「ベルリン・ドイツ交響楽団」でした。いまだに知名度があまり高くない団体ですが、かつては「RIAS放送交響楽団」と呼ばれていた、1946年に創設され、数多くの録音で知られるオーケストラが改組されたものです。正確には、1956年に「ベルリン放送交響楽団」と名前を変え、さらに東西ドイツが統一した際に、旧東ドイツに同じ名前の団体が有ったことから1993年から現在の名称となっています。面倒くさいですね。
ただ、このかつて同じ名前だった東西の2つのオーケストラは、ベルリン放送合唱団とRIAS室内合唱団とともに「Rundfunk Orcherter und Chöre GmbH(roc berlin)」という組織に属していて、株主であるするドイツランド放送とベルリン・ブランデンブルク放送へ音源を提供しています。
このCDは、昨年リリースされたものですが、録音は2007年にドイツランド放送によって行われています。ベルリンのフィルハーモニーで2日間にわたって録音されたとデータにはありますが、客席ノイズが全く聴こえないので、もしかしたら放送のためだけにセッション録音されていたのかもしれません。この年はメッツマッハ―が首席指揮者/芸術監督に就任した年になります(2010年には離任)。
ここで演奏されている「英雄の生涯」と「アメリカ」では、それぞれ「初稿」が用いられています。しょこが、メッツマッハ―ならではのこだわりになるのでしょう。シュトラウスの「英雄の生涯」の場合は、その大きな違いはエンディングで確かめることが出来ます。現行版では、ヴァイオリン・ソロとホルン・ソロの掛け合いの中、静かに終息したかと思うと、最後にもう一くさり盛り上がって終わる、という形になっていますが、初稿では静かなまま消え入るように終わります。
それだけではなく、ここでのメッツマッハ―の演奏は、あちこちで聴きなれたはずのこの作品から、新たな発見を気づかせてくれるものでした。まず驚いたのが、コントラバスだけが独立して刻んでいるシンコペーションのリズムがあちこちではっきり聴こえてきたことです。普通はオケ全体の中で埋もれてしまっている声部ですが、メッツマッハ―はことさらこのパートを強調して聴かせています。これによって、音楽の印象がかなりリズミカルなものに変わるから、不思議です。
さらに、勇ましい「英雄のテーマ」が弦楽器と管楽器、あるいは音域の異なる弦楽器同士がユニゾンで演奏している時には、それがことさら分離されて聴こえるようなバランスを取っているのも、スリリング。言ってみればかなりノーテンキなところのあるこのテーマが、必ずしも一筋縄ではいかないことをあらわしているようです。そんな、常に各方面に神経を張り巡らしていないと乗り遅れてしまうような、波乱万丈の「生涯」が、ここでは体験できるはずです。
ヴァレーズの「アメリカ」は、当初142人が必要だった編成を120人で済むように「小さく」したものが改訂版だとライナーには書いてありますから、ここではそのぐらいの大人数で演奏されているのかもしれません。ただ、ここでは人数よりもバンダの有無とか使われている特殊な「楽器」の違いなどの方が大きな要因のはずです。さらに、編成だけではなく音楽そのものもかなり「刈り込んで」いるようなので、そこもチェックが必要でしょう。とは言っても、この録音は逆に人数を「減らした」のではないかと思われるほどの、コンパクトで締りのよいサウンドを味わうことが出来ます。常々「やかましい」というイメージがあったものが、ここからはもっと各パーツが明確に主張し合っている確かな「ポリフォニー」が聴こえてくるのです。
これで、このレーベルの他のアイテムのようにSACDであったなら、それぞれのパーツのテクスチャーまでもきちんと味わうことが出来たことでしょう。

CD Artwork © Deutschelandradio & Challenge Classics
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by jurassic_oyaji | 2015-01-24 21:17 | オーケストラ | Comments(0)
スプリングコンサートのチラシが出来ました!
 ヤマト運輸のメール便が3月いっぱいで廃止になるそうですね。ヤマトのサイトを見てみると、その理由などが詳細に説明されていますが、困ったものですね。要は「信書」を送って「お客様」が「容疑者」になることを避けたい、ということなのでしょうが、これは無理があり過ぎ。そうなると、日本郵便のゆうメールもやめなければいけないことになってしまいますよ。というより、競争相手のメール便がなくなったことで、ゆうメールのサービスが著しく低下することが目に見えていますから、それが本当に困ったことなのですよ。ゆうメールは、メール便に流れた客を取り込もうと信じられないようなサービスを行っていたのは、わが社が年末に契約した時によく分かりましたからね。なんせ、表に貼るシールまで、手作りで大量に作って持ってきてくれましたから。もちろん無料で。それが、ついに相手をつぶすことが出来たのですから、もう自分のところでメール事業をやる必要はなくなって、今まで通りの郵便だけという制度に戻ってしまうかもしれませんね。そうなると、「お上」が「信書」の定義をうやむやにしていたのも納得です。わが社のゆうメールの契約は1年間ですから、今年の年末にはその「本音」がはっきり分かることでしょう。いや、そこまで待たなくても、7月ごろにはまた大量にDMを送ることになりますから、その時の対応がどう変わっているか、見ものですよ。
 実は、ニューフィルの演奏会のチラシやポスターを遠隔地のホールなどに送る時にも、かつてはB4の「大判」のメール便を使っていました。ところが、数年前に、そのサイズだけが急に廃止になったのですよね。その時も、「ポストに入らない」とかそれらしい理由が付けられていましたが、あれだって郵便に比べて安すぎる料金が原因だったのは明らかです。なんたって、郵便だと400円かかるものが160円で送れていたのですからね。
 今度のニューフィルの演奏会の、そんなチラシやポスターの内容が、ついに解禁になりました。こういうのです。

 ニューフィルの公式サイトに行けば、表と裏の両面が大きなサイズで見られるPDFにリンクしていますから、細かいところをチェックしたい方はぜひそちらの方で。今回も、細部にまでこだわった素晴らしいものが出来上がりましたよ。とりあえず、職場からでもアップできるFacebookページでその画像が見られるようにしておいて、サイトからのリンクは自宅に帰ってからということにしておきました。一応私も制作に少し協力しているので、決定稿が出来上がって来たのを、念のためもう一度見なおしてみました。そこで、1ヶ所ちょっと変なところが見つかったのですね。まあ、もう印刷工程に入っているというので、そのままでもまず気が付く人はいないはずですから、別に直さなくてもいいようなことなのですが、もし直せるなら、と、デザイナーさんに連絡してみました。そうしたら、どうやらそこもきちんと直せそうなのですよね。ですから、そこを直した画像を作って、サイトの方はそれを使うことにしました。ということで、Facebookページのは差し替えが出来ないので訂正前、サイトは訂正後の画像がアップされていることになります。それは、裏面の方ですが、そこに気が付いたらすごい!
 そして、ちょっといたずらっけを出して、こんな写真もFacebookページにはアップしました。

 元の写真は、こちらです。

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by jurassic_oyaji | 2015-01-23 22:01 | 禁断 | Comments(0)
BACH/Kantaten BWV 140, 57, 73
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Soloists
Rudolf Lutz/
Chor und Orchester der J.S.Bach-Stiftung
J.S.Bach-Stiftung/A997




だいぶ前にこちらで「マタイ」ご紹介した「ザンクトガレン・バッハ財団」のベーシックな活動は、バッハのカンタータを定期的に演奏するというものでした。ですから、まずそのカンタータのライブ録音をリリースするところから、このレーベルも活動を始めていました。「マタイ」ではとても鮮烈な印象があったので、カンタータの方もぜひ聴いてみたいと、何枚か出ているそのシリーズから有名な「Wachet auf, ruft uns die Stimme(「起きなさい」と叫ぶ声が聴こえる)」が入っている第6集を入手してみました。全部で3曲収められていますが、それぞれに録音時期が異なっています。そのBWV140は2008年、そして2010年に録音されたBWV57「Selig ist der Mann, der die Anfechtung erduldet(試練に耐える人は幸せだ)」と2011年に録音されたBWV73「Herr, wie du willst, so schick's mit mir(主よ、あなたの望むままに私はあります)」がカップリングされています。
まずは、それこそ耳にタコが出来るほど聴いてきたBWV140です。これはもう冒頭から歯切れの良いリズムとフレージングで、そんな過去の演奏のイメージを打ち砕いてくれるものでした。クレジットを見ると、ヴァイオリンやヴィオラは複数のメンバーが演奏しているのが分かりますが、よくある「1パート1人」という形態よりもこちらの方がより鋭角的に聴こえるのは、アンサンブルの方向性が徹底されているからなのでしょう。そこで、「ヴィオリーノ・ピッコロ」という楽器が使われているのも初めて気付きました。アリアのオブリガートでも登場しますが、ピリオド楽器ならではの鄙びた音色が素敵です。
と、そんなメンバー表の中に「Taille(ターユ)」という楽器があることにも気づきました。この言葉はオルガンのストップの名前としては認識していましたが、実際にそんな楽器があるとは思っていませんでした。確かに、これがどんな楽器なのかは、参考書やネットをざっと調べただけでは全く分からなかったのですから、少なくともありきたりの楽器ではないことが分かります。しかし、これはそもそもバッハのオリジナルの楽譜で指定されているものなのですから、その時代にはあったものなのでしょう。
いろいろ調べているうちに、やっとこれはバロック時代にフランスで使われていた「taille d'hautbois」という楽器であることが分かりました。「テナー・オーボエ」ですね。オーボエをそのまままっすぐ長くしたF管の楽器です。
楽譜を見ても、この楽器のパートは2本のオーボエの下段に書かれていますから、オーボエ族のアンサンブルの際に低音を担当する楽器だったのでしょう。でも、そのような楽器では、やはりバッハが重用していた丸く曲がっている「オーボエ・ダ・カッチャ」が有名ですね。バッハは、この2つの楽器を使い分けていたのでしょう。モダン楽器で演奏する時にはどちらもコール・アングレで代用されますが、例えば1984年に録音されたリリンクの同じ曲では、このパートのクレジットが「オーボエ・ダ・カッチャ」になっていたことでも、「ターユ」という楽器の当時の認識度を知ることが出来ます。今でこそ、どこのご家庭のキッチンにもありますが(それは「ラー油」)。ちなみにリリンク盤でこのパートを演奏していたのが、茂木大輔さんでした。
そんな思いがけない発見はさておき、この演奏ではソプラノのヌリア・リアルの素晴らしい声が堪能できます。
このアルバム中唯一通奏低音にチェンバロが入っているBWV57では、指揮者のルッツが自らチェンバロを演奏、レシタティーヴォで目の覚めるような即興演奏を披露しています。同じようにBW73では、コラールのブレスの部分に派手なオルガンの「おかず」が入っているというように、「マタイ」で見せてくれた自由な装飾が満載です。この曲では、テノール・ソロに櫻田亮さんが参加しています。BWV140ではちょっと頼りなかった合唱も、ここでは完璧な演奏を聴かせてくれていますよ。

CD Artwork © J.S.Bach-Stiftung St.Gallen
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by jurassic_oyaji | 2015-01-22 20:24 | 合唱 | Comments(0)