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NIELSEN/Symphonies Nos. 5&6
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Alan Gilbert/
New York Philharmonic
DACAPO/6.220625(hybrid SACD)




さすが、今年は「二ルセン・イヤー」というだけあって、交響曲全集が2種類も完成してしまいました。しかもなんとSACDで。このギルバートとニューヨーク・フィルのツィクルスは、録音を始めたのは2011年と早かったのですが、最後の曲を録音し終わったのは、2014年の10月、その4か月前に終わっていたサカリ・オラモとロイヤル・ストックホルム・フィルによるBISの全集にほんの少し後れをとってしまいました。1枚目と2枚目の間が開き過ぎたのが痛かった。
とは言っても、今まではニルセンが作った交響曲の正確な数なんて知らなかった人の方が多かったものが、さすがにこれだけ盛り上がれば「6曲」だというのはほとんど常識となったことでしょう。もっとも、この作曲家の正しい読み方が「ニールセン」ではなく「ニルセン」だ、と認知している人は相変わらず少ないままですが。
このDACAPOのツィクルスは、当初は交響曲だけではなく、協奏曲や他の管弦楽曲も含めた「管弦楽曲全集」になるはずだったと記憶していますが、代理店のインフォによればこれが「完結編」なのだそうです。せっかく定期演奏会でかなりの曲を演奏したというのに、それらはリリースされることはないのでしょうか。
今回も、今までと同じく、定期演奏会で演奏されたものをライブ録音して出来上がったSACDです。2014年の10月1日から3日までの3日間、エイヴリー・フィッシャー・ホールでのコンサート、前半に「マスカレード」序曲と「交響曲第5番」、後半に「交響曲第6番」が演奏されていました。今までのこのシリーズだと、2つの曲の間の録音のクオリティの差が結構目立っていたのですが、今回はそんなことはありませんでした。おそらく、同じ日の演奏がそれぞれベストだったので、それをメインの音源として使ったのでしょうね。いつもながらのそれぞれの楽器がはっきり浮き出てくる精緻な録音ですが、今回は特に弦楽器のまろやかな響きが別格です。本当にもううっとりするような極上の録音には、トイレ(御不浄)に行く時間も惜しくなるほどです。
そんな弦楽器のクールな響きは、「5番」の第1楽章(この交響曲には2楽章しかありません)のまるでミニマル・ミュージックのような音楽に見事にマッチしています。そこに唐突に割り込んでくるスネアドラムの硬い響きも、見事に「異質なもの」として感じられます。楽章の後半はちょっとロマンティックなモティーフが出てきますが、それはあくまでそれまでのクールなモティーフとの対比、その2つの要素が並行して何の脈絡もなく続くのがニルセンらしいところでしょうね。エンディングでは、クラリネットとスネアドラムだけの超ピアニシモが、ぞっとするほどの美しさを見せています。
第2楽章は3拍子の曲なのに変な切迫感があるのがやはりニルセン。途中でゆっくりとした無調っぽいテーマが出てきますが、そこでものどかさと厳しさが同居しているという風景が。
「6番」は、サブタイトルが「Sinfonia semplice」ですから「素朴な交響曲」と訳されているようですが、その内容は「素朴」からははるかに遠いものになっています。というか、見かけは「古典的」な4楽章、オーケストレーションも薄めという風にわざと「素朴」であるかに見せかけて、実際は油断のできないことを仕掛けているというアイロニーあふれるものなのではないでしょうか。そのオーケストレーションにしても、第2楽章などはメインは打楽器、そこに管楽器のアンサンブルが加わって「鳥の声」などを聴かせていますが、弦楽器は一度も現れることはありません。交響曲だというのに。
第4楽章も、変奏曲という形式を逆手にとってのやりたい放題、途中で大真面目に「ウィンナワルツ」のパロディが始まったのには思わず大笑い。エンディングはまさにお祭り騒ぎですし。第1楽章冒頭のあったか~いテーマに騙されてはいけませんよ。

SACD Artwork © Dacapo Records
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by jurassic_oyaji | 2015-03-31 22:05 | オーケストラ | Comments(0)
宮学から桜ヶ丘生協までは遠かった。
 指揮練は無事に終わりました。いつも笑いが絶えない、とても楽しい練習でしたね。中でも最後の「13」は最高に笑えましたね。何のことか、とお思いでしょうが、「カルメン」の「衛兵の交代」で途中から返すときに、マエストロが練習番号を使って「『13』から」とおっしゃったのですよね。でも、パート譜には小節番号しか書いてないので、ちょっと「どこ?」という空気になりましたが、ちょうど区切りのいいところがすぐにわかったので、みんな迷いもなくそこから始められました。そうしたら、誰かが「そこ、『B』じゃないですか?」と言い出しました。マエストロもそれを認めて「ちょっと隙間の空いた『B』ね」ということで、みんなで大笑いです。
 あとで、その「Bでしょ?」といった人がネットに画像を載せていましたが、それは手書きで「B」でしたから、確かに「13」に見えてしまいましたね。私の手元にも、それと同じ楽譜をこっそり作ってもらったものがあるので、よくわかります。
 でも、これは日譜のスコアのコピー(ページ数も同じ)なのですが、そのオリジナルにはそんな記号はないんですよね。
 つまり、この手書きの「B」を入れたのと同じコピーを、マエストロが使っていた、ということですから、なんという偶然としか言いようがありません。
 そこでソリストさんたちと「カルタ」を練習しているときに、マエストロとソリストの楽譜が違っていることが分かりました。マエストロはドーヴァー版でこちら。
 ソリストが使っていたのはシャーマー版だということですが、どうやらそれはアルコア版と同じになっているようで、これがアルコア版です。
 フラスキータ(上段)とメルセデス(下段)が完全に入れ替わっていますね。あとでドーヴァー版をよく見てみたら、とても不思議なことに、このような一人だけで歌うところと、二人一緒に歌うところとでは、パートが完全に上下逆になっているのですよ。つまり、デュエットで上のパートを歌っていたフラスキータが、ソロになると突然低い方のパートに変わっているのですね。シャーマー版ではそこが直っていたのでしょうし、歌う方でもその方が自然ですからそのまま歌っていたんですね。もちろん、アルコア版もそういう「正しい」形になっています。結果的に、このソリストが取った形で本番も歌うことに決まったようなのですが、そうなるとちょっとした問題が出てくることになりました。プログラムに載せる歌詞対訳には、ギロー版のCDについてきたものを使っているので、その配役が「間違って」いるのですよ。まあ、まずいないとは思いますが、これを見ながら聴いていて、おかしいなと思う人がいないとも限りません。そこで、その部分の配役を直してもらうことにしました。
 しかし、なぜか、「アルコア版に準拠」しているはずの音友の対訳本が、しっかりギロー版の配役になっているのですよね。これは不思議、というか、今まで気づいた人は誰もいなかったのでしょうか。さらに、アルコア版で録音したはずのラトル盤のCDの対訳でも、やはりギロー版になっているのですよね。それだったら別にうちのプログラムを直す必要もなかったような気もしますが、もしかしたらこれが日本で最初の「正しい」対訳になってたりして。
 ところで、日曜日はお昼が間に入るので、当然お昼ご飯をそこで食べることになるのですが、私は急いで家を出てすっかり昼ご飯を買うのを忘れてしまいました。そこで、みんなが芝生の周りでのんびり食べているのを尻目に、外に出てコンビニに行こうと思って歩き出しました。確か、ちょっと遠いけど道沿いにセブンがあったはずですから。
 しかし、どうやらそのセブンはつぶれてなくなっていたようでした。その先は行けども行けどもコンビニなんかありません。とうとう、桜ヶ丘の生協まで来てしまいましたよ。帰りも歩いてきたので、ホールに着いた時にはもうチューニングが始まっていました。
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by jurassic_oyaji | 2015-03-30 21:46 | 禁断 | Comments(0)
KANNO/Light, Water, Rainbow...
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小川典子(Pf)
BIS/SACD-2075(hybrid SACD)




菅野由弘さんは、1953年生まれ、東京藝術大学の修士課程を1980年に卒業されています。現在は早稲田大学の教授を務められ、「基幹理工学部表現工学科」というところで研究室を主宰されています。作曲家としては、とても幅広いジャンルでの作品を発表しています。それは「芸術音楽」にはとどまらず、映画やドラマの音楽にまで及んでいます。「Nコン」の課題曲まで作っているんですね。
このアルバムでは、小川典子さんのピアノで、その小川さんからの委嘱作品などを中心に聴くことができます。タイトルにもある「光の粒子」、「水の粒子」、「虹の粒子」という3つの作品が、その委嘱作、これらはミューザ川崎シンフォニーホールとの共同委嘱で作られたもので、2009年、2010年、2011年にそのホールで開催された小川さんのリサイタルでそれぞれ初演されています。
この「粒子三部作」では、日本の「原始的」な発音体がピアノと一緒に演奏されるという画期的な試みが行われているのだそうです。それはピアノが作り出す西洋音楽の倍音の中に、それとはまったく異なる体系の音源を加えて、全く新しい音響を作り出しているのだとか。そのために用意されたのは、「南部鈴」、「明珍火箸」、「歌舞伎オルゴール」というそれぞれ日本独自のサウンドを生み出す音源です。「南部鈴」は岩手県の名産、鋳鉄による鈴で、独特の澄み切った音を奏でます。「明珍火箸」というのも、やはり鉄でできた箸(そう言えば「火箸」の現物にはしばしの間お目にかかっていないなぁ)です。2本の箸が糸でつながっていますから、その糸をつまんで振れば箸同士がぶつかって音が出ます。そして、「歌舞伎オルゴール」という、古典芸能のアイテムにしては何ともショッキングなネーミングが印象的な「楽器」は、仏教での読経の際に使われる「キン」という丸い小さな鐘を、大きさの異なるいくつかのものを並べて固定したものです。歌舞伎ではこれで虫の鳴き声などを表現するのだそうです。
そんな、言ってみれば西洋音楽と日本の伝統工芸品のコラボレーションは、確かにサウンド的にはそれなりの効果は感じられますが、それが音楽としてどうなのか、という疑問は残ります。というのも、このあたりの彼の作風は、もはや確固としたスタイルが出来上がってしまっているために、そこにいくら「チーン」とか「カーン」という異質な音が入っても、それ自体には何の変化をもたらしてはいないように思えてしまうのですよ。その彼のスタイルというのは、ほとんどドビュッシーかと思われるようなフレーズが、とても細かい音(それが「粒子」なのでしょうか)によって紡がれるというもの。しかも、そのフレーズには見事なまでの整合性があって、きっちり先が見通せるというプリミティブなところがあるのですね。正直、この作品群からはただ時間を音符で埋めているという「現象」しか感じることはできませんでした。
この「三部作」の前後に作られた「天使のはしご」(2006年)と「月夜の虹」(2012年)という作品では、ピアノやトイ・ピアノの音をリング・モジュレーターで変調しています。これは、大昔のプログレ・ロックの常套手段でしたね。それはそれで懐かしさは感じるものの、「それで?」という感はぬぐえません。それよりも、武満徹の没後10周年のために作られた「天使のはしご」では、その武満からの引用よりは、彼がよく引用していたドビュッシーや、さらにその「元ネタ」のワーグナーまでが聴こえてくるのには、笑ってしまいました。
このアルバムの中では、最後に演奏されている、1985年に押井守の「天使のたまご」というアニメのために作られた「天使のための前奏曲」というほんの3分ほどのピアノ・ソロが、もっとも心を打たれるものでした。この、シンプルさの中に秘められた油断できないモードに見られるような閃きを、この作曲家はいつの間にかなくしてしまっていたのではないでしょうか。

SACD Artwork © BIS Records AB
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by jurassic_oyaji | 2015-03-29 20:12 | 現代音楽 | Comments(0)
宮城学院
 今日と明日は、ニューフィルの指揮者練習です。大体本番までの間に1か月おきに土日の練習が3回入るというのが、いつものスケジュール、大体最近は、きっちりそのスケジュール通りに来ていただいている指揮者がほとんどです。ところが、指揮者はスケジュールが取れているのに、最近は練習会場がなかなか取れないのが、深刻な悩みです。今回も、ほかの2回は何とか公共の会場が取れたのですが、この3月の分だけはどこも空いていませんでした。そこで使うことになったのが、
 こんなところです。私の家からちょっと行ったところにある女子大のキャンパスです。今回の指揮者がここの講師を務めていたので、その伝手で借りることができました。実はこの学校、私にとっても縁がないわけではなく、ひところは毎週のようにここに通っていたことがあります。言ってみれば、「学生」だったのですがね。いえ、ここの音楽科のフルートの先生のレッスンを受けるために、もぐりこんでいたんですけどね。音楽科はずっと奥の方ですが、今日つかうのは正門を入ってすぐの大講堂、真ん中の建物です。
 私が行ったときにはまだ誰も来ていなくて、照明もついていませんでした。でも、上の方に窓があって、外光が入ってきます。ホールの扉も二重扉ではなく、横の扉なんかは開けるとそのまま外に出られるようになっています。広いキャンパスだから、別に防音などは必要ないのでしょうね。
 ステージにはちゃんと反響版も用意されていました。かなり広いステージですので、悠々とオーケストラが乗ります。音も結構響いているようです。実は先週も別の女子高の、同じようなホールで本番があったのですが、そちらはステージは奥行きがこれほどありませんでしたし、音もあんまり響かなかったような気がします。でも、2週続けて女子高や女子大に縁があるなんて、なんか不思議。
 今日は、「カルメン」の時の歌手の方が、一部参加してくれました。メインのカルメン役は東京の人なので本番の前日しか来ませんが、ほかの2人は仙台在住なので、何回も来てくれるそうです。お一人は、カルメンの代わりを歌ってくれましたし。このお二人、プロフィール写真ではいかにも「オペラ歌手」という華やかな感じがしていたのですが、今日は普通の格好でやってきたので、その辺のお姉さん、といった感じでした。指揮者が面白いことを言ったらゲラゲラ笑いだして、それにすっかりハマってしまって歌えなくなったりしてましたね。なんか、とても楽しいお二人でした。
 やはり、実際に歌手の方が入ると、オケの合わせ方が微妙に変わってきますから大変ですね。「ハバネラ」などはフルートがピッタリ寄り添っていますからね。でも、写真を撮るのに熱中していたら、そこで丸々落ちてしまいましたね。だれも気が付かなかったようですが。
 次の「白鳥の湖」は、私は降り番なのですが、今日と明日は別の演奏会でその担当がお休み、私は1番の代吹きをやらなければなくなりました。そのことはだいぶ前に分かっていたので、十分に練習していたつもりなのですが、実際の合奏になるといろいろまずいところが出てきましたね。本当に難しくて、みっちりやっていたところは案外何とかなったのですが、ちょっと油断してそれほどさらってなかったところがダメでしたね。これは、明日リベンジです。しかし、丸6時間吹きっぱなしというのは、さすがに疲れるものです。
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by jurassic_oyaji | 2015-03-28 22:26 | 禁断 | Comments(2)
BACH/St Matthew Passion(BWV 244b)
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Charles Daniels(Ev)
Peter Harvey(Jes)
Peter Seymour/
Yorkshir Baroque Soloists
SIGNUM/SIGCD385




以前からおなじみのヨークシャー・バロック・ソロイスツの創設者であるPeter Seymourのことは、ずっと「ピーター・セイムーア」と表記してきましたが、このラストネームのスペルは先日亡くなった映画俳優「フィリップ・シーモア・ホフマン」と同じものだったことに気づき、今後は「ピーター・シーモア」と呼ぶことにしました。楽しい人なんでしょう(それは「ユーモア」)。なんせ彼は、このところ立て続けにこのレーベルからバッハの作品を出しているというブレイクぶりを見せていますから、きちんとしておかないと。
もちろん、この指揮者とアンサンブルの名前を知ったのはモーツァルトの「ドゥルース版」の初演者としてですが、その楽譜を作ったダンカン・ドゥルースは当時はこの団体のコンサートマスターを務めていました。しかし、ちょっと前に「ヨハネ」を録音した時には、もはや彼の名前はなかったので引退したのか、と思っていたら、今回の「マタイ」にはヴィオラ奏者としてクレジットされていましたよ。まだご健在だったのですね。というか、「ヨハネ」ではヴィオラは1人しかいなかったので、別の人が参加、今回はそれが2人になったので、ドゥルースの出番もまわって来たということなのでしょう。
そんな少人数のオーケストラ、今回はすべてのパートが一人ずつという、最小の編成になっていました。合唱はそういう編成でも、大概ヴァイオリンぐらいは1パート2人ぐらい居ますから(たとえばクイケン盤マクリーシュ盤バット盤)、これはオーケストラに関しては史上最少の編成となっているのではないでしょうか。
そして、シーモアは「ヨハネ」では20人ほどの大きな合唱を使っていたものが、今回はオーケストラと同じように1パート一人にしています。もちろん、メンバーはソロも歌います。ただ、エヴァンゲリストは合唱には参加しませんし、1曲目にだけはソプラノのリピエーノが3人ほど加わっています。ですから、おそらくこれはそういうことを提唱したジョシュア・リフキンのプランによる4番目の録音ということになります。
さらに、ここでは一般的に広く用いられているバッハ自身によって改訂された1736年稿(BWV 244)ではなく、1727年に作られたとされる「初期稿」(BWV 244b)が使われています。これも、ビラー盤に続く2番目の録音という、いろいろな面で他のものとは異なったところのある「マタイ」のCDです。
もっと言えば、演奏時間が153分33秒というのも、おそらく知る限りでは最速の演奏になるのではないでしょうか。今までの「最速」はシャイー盤の160分10秒でしたからね。第1部の最後、29番の合唱が、この版では5分ほど短くなっていますが、それを考慮しても「最速」であることに変わりはありません。
この「初期稿」の楽譜は、2004年にベーレンライターから出版されています。ビラー盤はそれを使って初めて録音されたものだったのですが、今回のシーモアはそれを使わず、現存する初期稿のコピー(バッハの自筆稿は失われています)からシーモア自身が校訂した楽譜を使っているようです。そこでは、ベーレンライター版には書かれていない、本来演奏する時には付けられるはずの装飾が、生き生きとよみがえっています。おそらくこれが、このCDの最大の魅力でしょう。
演奏時間があらわすように、最初や最後の大合唱は非常にさっぱりとしたテンポになっていますが、コラールまでそれでやられると、ちょっと辛いものがあります。アリアは、20番のアリアを歌っているテノール以外はそれぞれに力のある人たちで、特にイエスも歌っているバスのピーター・ハーヴェイの慈愛に満ちた歌は感動的です。とは言っても、やはりこの人数の合唱は完璧に物足りません。かなり録音でカバーしているところはあるのですが、第2コーラスなどはそもそも男声と女声のバランスが悪いので、どうしようもありません。
(*コメントにあるように、「最速」はヤーコブス盤でした)

CD Artwork © Signum Records Ltd
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by jurassic_oyaji | 2015-03-27 21:16 | 合唱 | Comments(2)
ヤドリギ
 この間の破格のCD買い取り価格に反応して、ついに具体的に行動を起こしました。まずは、この前に買い取ってもらってからかなり年月が経っているので、システムなどが変わっていないかどうかを確認です。そうしたら、やはり、かなり変わっているところがありました。一番の違いは、発送するときのやり方です。大量のCDですから、当然梱包して送ることになります。以前はその荷物をコンビニに持ち込んで着払いで宅急便などで送っていたのですが、今ではそうではありません。「荷物は必ずご自宅から発送してください」というのですね。要は、確かに本人が本人の所有物を送っているのだ、ということを確認するということなのでしょう。盗品を本人に成りすまして換金するという人がいたんでしょうね。きっと。
 ですから、そのためには自宅に宅急便のスタッフに来てもらわなければなりません。職場ではだめなのだそうです。面倒ですね。大体、そういうのに来てもらう時間は遅くても7時ですから、普通の会社員だったら自宅にはいないでしょうし、休日に来られても困る人もいるかもしれませんね。でも、そういう規則なのでは仕方がありません。最後の時間指定が5時から7時までというので、5時までには家に帰っていなければいけないというのはちょっと厳しいところがありますが、何とかしましょう。
 その日にちと時間を、まずメールで送ったら、折り返し「梱包してお待ちください。記入済みの伝票を持ってお伺いします」という返事が来ましたね。では、いよいよ梱包です。なにしろ「指輪」はかなり大きな箱に入っていましたから、まずそれが入るだけの箱を探さなければなりません。それはすぐに見つかりました。この間フルートを修理に出した時にメーカーが入れてよこした箱が、結構大きいし緩衝材がいっぱい入っていたのでうってつけ。「指輪」を入れてもスカスカですから、あとは手当たり次第にもう絶対に聴くことはないようなCDを詰め込みます。驚いたことに、全く同じものを2枚買っていた、というのが結構あったのですね。それでもまだまだ隙間がありますから、そこには緩衝剤をたっぷり詰め込んで、出来上がりです。
 ついさっき、時間通りに宅急便が来て持っていきましたから、もう後へは引けませんね。もっとも、見積もりが届いてからでも売りたくないものは返してもらえるので、いいんですけどね。
 でも、そんな箱ひとつ送ったというのに、CD棚には相変わらず全然隙間はありません。空いたところに、今までは棚以外の所に置いてあったものを入れたので、それは当たり前のことなのですが。
 そんな一件が終わったので、職場のHPに載せるのに何かいいものはないかと社内を散策していたら、大きな桜の木の上の方の枝に、なんだか鳥の巣みたいなものがくっついているのが見つかりました。
 そこで、望遠レンズを持ってきてアップにしてみたら、これはどうやら「ヤドリギ」らしいことが分かりました。話には聞いたことがありますが、こんな風に実物を見るのは初めてです。
 ネットで調べると、結構縁起のいい植物のようですね。これがあるからと言って、本体の樹木が痛むようなことはないそうなので、まずはこの木の桜が咲いたときにはどんなことになるか、定点観測でもやってみましょうかね。
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by jurassic_oyaji | 2015-03-26 21:17 | 禁断 | Comments(0)
XENAKIS/Pléïades, Rebonds
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加藤訓子(Per)
LINN/CKD 595(hybrid SACD)




今までは、このレーベルにペルトやライヒといった「ミニマリスト」たちの打楽器作品を録音していた加藤訓子さんが、ついにクセナキスに挑戦してくれました。今回も加藤さん自身の日本語によるライナーノーツが読めるというのも、楽しみです。ただ、このライナー、一部に編集ミスがありますから、ご注意を。
ここで彼女が選んだ曲は、「プレイアデス」と「ルボン」です。「ルボン」は一人の打楽器奏者のための作品ですが、「プレイアデス」はストラスブール・パーカッション・アンサンブルという、6人の打楽器奏者のグループのために作られたものですから、当然一人では演奏することはできません。そこは、ライヒなどではすっかり常套手段となった多重録音で、一人で6人分のパートを演奏しています。これがまず驚異的。ライヒのような単純なフレーズの繰り返しならいざ知らず、クセナキスのもう真っ黒けになるほどたくさんの音符にまみれていて、1回演奏するだけで死にそうになる楽譜を、ひたすら前の自分の録音を聴きながらもう5回も演奏するなんて、気の遠くなるような作業なのではないでしょうか。
彼女は、そんなとんでもないことを難なくやり遂げただけではなく、その「映像」まで作ってしまいました。それが、SACDと一緒にパックされているDVDです。ここでは、なんと「6人」の「動く」加藤さんがこの難曲を演奏している様子を見ることが出来るのです。それは、なんともスリリングな体験でした。もちろん、音はSACDで聴けるものと全く同じものですが、それぞれの加藤さんはそれにきっちりシンクロさせてカメラの前で演奏しています(たまに音とずれていたりしているのはご愛嬌)。それを6人分撮影して、さらにそれらを合成、おそらく、こちらの方が録音よりも数倍手間がかかる作業だったのではないでしょうか。
その、横一列に並んだ加藤さんたちは、彼女たちのトレードマークであるキャミソール姿で、肩から先の腕を露出させています。その12本の腕が、クセナキスのスコアに従って微妙にズレながら激しく動き回る様子は、まるで一編のダンス、そのダイナミックな動きには思わず見入ってしまいます。特に、最後の「Peaux」という、皮を張った太鼓類を演奏するパートでは、まるで和太鼓を叩く時のようにむき出しの腕を高く挙げるポーズが思いっきりセクシー。和太鼓奏者たちがなぜ褌いっちょうで演奏しているのかが分かったような気がします。この曲の最後近くで、6人が完全にユニゾンになるところなどは、見ものですよ。
こんなものを見てしまうと、音だけのSACDでは物足りない気になってしまいます。音自体は、SACDの方が格段に繊細な音で、音色の違いなどがはっきり聴き分けられるものなのですが、トータルの情報量としては映像の方が圧倒的に多くなっています。打楽器の場合は、このような「肉体」とのコラボレーションで、与えられる印象はさらに強烈になって行くのでしょう。
ここでDVDになっているのは、「プレイアデス」の4つの曲の中の2番目から4番目の3曲だけです。それぞれに扱う楽器が異なっているので映像も作りやすいのでしょうが、1曲目の「Mélanges」はそれらの楽器が全部登場しますから、それを6人分並べるのは大変だったのでしょう。
もう1つの作品、「ルボン」は、聴いただけではとても一人で演奏しているとは思えないほどのたくさんの打楽器が使われています。あんな映像を見てしまうと、これも多重録音かも、などと勘繰られてしまいそうですが、もちろん加藤さんは一人で演奏しているはずです。というか、この作品は彼女にとっての一つの「目標」なのだそうですね。これを完璧に演奏できるプレーヤーになりたいと、常々思っているのだとか。これをDVDで見られたら、彼女の本当の凄さが分かるのかもしれません。もちろん、映像はパンツ姿(それは「ズボン」)。

SACD Artwork © Linn Records
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by jurassic_oyaji | 2015-03-25 20:41 | 現代音楽 | Comments(0)
ショルティの「指輪」のSACDは高価で買い取ります
 きのうの「おやぢ」で「Tuba mirumと白松がモナカが似てる」と書きましたが、それを「似てる」と思える人はそんなに多くはないはずです。そもそも、「白松がモナカ」などというローカルなアイテムを知っている人自体が極めて稀ですからね。でも、この和菓子屋さんのCMというのは、仙台市民であればまず間違いなく一度は聴いたことがあるはずなんですよ。つまり、CMとは言っても別にテレビで流しているわけではなく(かつては流れていたのかもしれませんが)、市の中心部の商店街では1日中BGMとしてかけているので、そこに買い物に行ったりすれば必ず耳にするようになっているのですね。「あの人も持ってる、白松がモナカ」という歌詞ですから、どんな人でも贈り物用に買ったものを持っている、という意味なのでしょうが、私にはこれが「あの人も待ってる」と聴こえてしまって、そんなおいしいものをぜひ貰いたいものだ、と待っている浅ましい人のことが頭に浮かんでしまいます。
 でも、ほかの地方の人がそんなものを聴けるわけはありませんから、その音源を用意しました。「白松がモナカ」という歌詞の部分が、これです。
 それに対して、モーツァルトの方は、こちらです。
 まあ、人それぞれですから「似てない」といわれればそれまでですが、私はもうだいぶ前からこの部分を聴くと「モナカ」を思い出して、一人でニヤニヤするようになっていました。ですから、この間の「バチカン・レクイエム」でも、ここは合唱が休みですから、オケがここを演奏するのを「生」で聴いて、イタリヤ人も「白松がモナカ」を演奏している、と、ひそかに笑いをこらえていましたよ。ちなみに、あの部分は実際にモーツァルトが書いていますから、どの版で演奏しても、これが聴こえてきます。
 そのモーツァルトのレクイエムだったら全ての版のCDは持っていますし、その他のものでも手当たり次第に買いあさっていたら、そろそろ収容限界を超えるような事態になってきました。そこで、いらないCDなどを処分することにしました。そのきっかけは、何度も利用している中古CDの買い取り屋さんが送ってきたこんなパンフレットです。
 ESOTERICという音響メーカーが出しているSACDは、常に限定発売で、売り切ったらもう入手できなくなってしまいます。ですから、欲しいと思ったら中古CD店を頼るしかないので、ものによってはかなりのプレミアがついて、発売された時よりも高値で販売されています。その最たるものが、この「指環」全曲のSACDです。確か、限定1000セットしか販売されなかったはずですが、その後いろんなところで褒めまくられていましたから、欲しがっている人はたくさんいるのでしょうね。ですから、元は5万円ぐらいだったものが、なんと10万円で買い取り出来るというのですね。
 実は、このSACD、発売された時にはまるで夢のような商品(つまり、当時はこれがSACD化されることはありえないと思っていましたから)だと思い、ちょっと高めの価格設定ではありますが、思い切って買ってしまいました。しかし、その後なにかと疑問点が多くなってきましたし、そもそも音が期待していたほどではありませんでした。しばらくして、こういうちょっと胡散臭いメーカーのSACDではなく、オリジナルのレーベルからBD-Aが出た時には、私にとってはもうすっかりこのSACDの価値はなくなってしまっていました。ですから、それを買った時の値段の倍で買い取ってくれるのであれば、売りに出すのは当たり前のことです。
 そのほかにも、音を比較するだけのための買ったSACDとか、買ってはみたけれど封も空けていないボックスなど、この際まとめて買い取ってもらうことにしたのです。いやあ、ワインガルトナーの交響曲ボックスなんて、なんで買ったんでしょうね。これが、ゲルギエフのショスタコーヴィチの交響曲と協奏曲のBDボックスなんかだったら、絶対に手放したりはしないんですけどね。
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by jurassic_oyaji | 2015-03-25 00:20 | 禁断 | Comments(0)
BRUCKNER/Symphony No.4
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Manfred Honeck/
Pittsburgh Symphony Orchestra
REFERENCE RECORDINGS/FR-713SACD(hybrid SACD)




このレーベルからのホーネックとピッツバーグ交響楽団とのSACD、第3弾は、なんとブルックナーでした。
例によって、ホーネック自身がライナーノーツを書いていますからそれを読んでみたら、そのタイトルが「交響曲のローブをまとった交響詩」という、これだけでまずご飯が3杯は食べられそうな「おいしい」ものでした。なにしろ「ロマンティック」というサブタイトルが付いた作品ですから、確かに何か具体的なイメージはわきそうな曲ではありますが、ホーネックはそこに正面切って「交響詩」としてのアプローチを試みているのですね。なにか期待できそうです。
その期待は、第1楽章の「ブルックナー開始」の弦楽器のトレモロが、はっきり森の木々の葉擦れのように感じられたときに、ハズレではないことが分かりました。それは、出てくるフレーズすべてに、指揮者の確固たる「具体的なイメージ」がしっかりと込められた演奏だったのです。とは言っても、そのようないわゆる「プログラム」は、ブルックナー自身が明らかにしているのですから、ホーネックはあくまでそれにのっとって音楽を作っていただけなのかもしれませんが、それが他の指揮者の演奏からは聴くことのできないユニークなものに仕上がっているというのが、面白いところです。
第2楽章でも、ヴィオラのパートソロでテーマが歌われる間に他の弦楽器がピチカートでリズムを刻んでいるという部分などは、「吟遊詩人がギターをつま弾きながら歌っている情景」なのだと言われれば、もうそのものずばりのものが音で表現されているように思ってしまいますよ。オーケストラの団員というものは、こんな風に実際の情景を思い浮かべるような指示をする指揮者の方が、なんだか一緒に音楽を作ろう、という気になるのではないでしょうかね。「そこの音はしっかり伸ばして」というような機械的な指示で思いを伝える指揮者もいるでしょうが、これだとなんのためにそういうことをするのか、という最後の形が見えてこなくて、結局指揮者の思いが完全には伝わらないのでは、という気がしませんか?
ですから、そんな指揮者の思いをしっかり「音」として伝えられるものにしようというメンバーそれぞれの「意気」のようなものが、この演奏からはふんだんに感じ取れるのですよ。第3楽章などは「狩り」の情景ですから、もうシャカリキになって張り切っている様子がミエミエです。それがトリオになると、そのレントラー舞曲が何としなやかに踊られていることでしょう。確かにここまで来ると「交響曲」のピースとはとても思えなくなってしまいます。
第4楽章も、このホーネックの演奏は退屈することを許さないような仕掛けが満載、ブルックナーがこんなの楽しくていいのか、と思ってしまうほどですよ。彼がちょっとふざけて書いていることなのかもしれませんが、253小節目から4小節間にクラリネットとホルンが演奏するテーマが、ワーグナーの「さまよえるオランダ人」の「水夫の合唱」の一部分とそっくりというのですね。「どこが?」という気もしますがね。こんなんだったら、モーツァルトの「レクイエム」の「Tuba mirum」の33小節目の低音のフレーズと「白松がっ、モナカ」の方がよっぽど似てます。でも、本気でこんなことをライナーに書く人はなんか信用したくなってしまいますね。実はこの個所の4小節目のホルンの音符には、その前のクラリネットと合わせて楽譜にはないトリルが加えられています。この勢いで、最後の部分を、複雑なリズムが入り組んでいる「第1稿」に差し替えたりしたら、もっともっと面白かったのでしょうがね(これは、普通の第2稿ノヴァーク版)。
もちろん、録音は最高です。特に金管楽器の神々しいまでの美しい響きに包み込まれると、「もうあなたにすべてを任せます」みたいな気持ちになってくるほど、「力」ではなく「音色」で聴く者を跪かせられるサウンドが迫ってきます。

SACD Artwork © Reference Recordings
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by jurassic_oyaji | 2015-03-23 21:49 | オーケストラ | Comments(0)
「あまちゃん」再放送
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 もうだいぶ前に発表になったようなのですが、あの「あまちゃん」の再放送が決定したそうですね。昔の朝ドラの再放送はずっとNHK-BSで毎朝7:15からやっていましたから、今はその時間に「梅ちゃん先生」を見て、そのまま「マッサン」の初回放送を見る、というのが日課になっています。この再放送の時間帯では最近はそんなに昔のではなく割と新しめのものが放送されるようになっているので、そんなに遠くない将来には「あまちゃん」もやるはずだけど、とりあえず「梅ちゃん」の次はなんだろう、と検索してみたら、こんなうれしい結果が見つかってしまいましたよ。そんな早朝の日常の中に、また「あまちゃん」が戻ってくるんですね。
 逆に、こんなにすぐにまた「あまちゃん」が放送されるという事態に、まだまだ心の準備が整わないというのが本心です。果たして、私は4月までに「あまちゃん」と立ち向かえるだけの心構えができるのでしょうか。まずは、この際ですからすべての回を録画してBDに焼いてしまうことだけは考えています。たぶん13枚ぐらいあれば全部BD化できるはずですから、そんなに大変なことではありません。それさえきちんとやっておけば、あとはいつでも「あまちゃん」のすべてのシーンをいつでも見ることができるようになりますよ。一応私は何回か放送された総集編だけは録画してありました。でも、そこでは私が一番見たかったシーンがカットされていたんですよね。それは、ミズタクが「一般男性、ルパン三世」と言うところなんですけどね。
 でも、こんなに早く再放送が始まることになって、公式のBDボックスを買ってしまった人は怒り狂っているのではないでしょうか。たしか、全部買うと4万円以上になるはずですからね。
 しかも、今回は毎日の放送以外に、土曜日には1週間分まとめて放送されるんですって。再々放送ですね。こんな大盤振る舞いなんて、さすがは「あまちゃん」です。でも、これが、最近何かと評判のよくないこの国営放送が、そんな批判の矛先をそらそうという薄汚い魂胆があって企てた「サービス」だったとしたら、そんな単純に喜んではいられないのかもしれませんがね。
 放送と言えば、先日の「バチカン・レクイエム」の模様が、やはりBSのBS朝日で放送されるのだそうですね。とは言っても、その前のWOWOWのようにコンサートを丸ごと放送するのではなく、この企画の全国ツアーの模様をダイジェストでお伝えするもののようです。ON AIRは30日の午後6時からのようですが、確かに仙台の会場にもBS朝日のクルーが来ていましたね。でも、録画していたのはリハーサルの時だけでしたから、仙台の本番の様子などは見たり聴いたるすることは出来ないでしょうね。
 実は、そのリハーサルの間にD-100を回しっぱなしにしていたのですが、クルーはそのすぐそばにいたので、演奏している間もなんだか大声で話をしているのがそのまま録音されていましたよ。ま、別にステージの我々に届くほどの声ではなかったので演奏には何の支障もなかったのですが、そういう無神経な仕事ぶりにはちょっと腹が立ってしまいます(そもそも、プログラムが広告で埋まっているというのに、コンサートの場でさらにスポンサーの名前を読み上げる、という神経も理解不能です)。
 その音源を、せっかく録ったので関係者にはぜひ聴いてもらいたいと、こっそりネットにアップしてあります。オリジナルは24/96のハイレゾで録ったものなのですが、そのままでは1.3MBもあるのでとてもアップできませんから、mp3に圧縮して、それを曲ごとに分割してアップ、そこへのリンクのページを作ってそのURLをFacebookの「友達」だけに教えました。それと、ブログのコメントを探すと、同じURLが見つかるかもしれません。いずれにしても今月いっぱいしか公開しないつもりですから、聴きたい方はその前にどうぞ。
 そのあと、オリジナルのwavファイルもそのままアップしてみました。これは、本来はそれをダウンロードして、ハイレゾ対応のDACなどを通して聴く、というのがきちんとハイレゾとして再生できるものなのですが、一応PCでもストリーミングで再生できないことはないのですね。そんな聴き方でも、mp3とは全然違う音が聴こえるようですから、試してみてください。

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by jurassic_oyaji | 2015-03-22 22:03 | 禁断 | Comments(0)