おやぢの部屋2
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ナクソスジャパンの帯解説は、誤りだらけで全く何の役にも立ちません
 きのうは週の真ん中になってしまったために、「連休」にはなり損ねた休日だったので、不憫に思って行楽に行ってあげようと思い、定義山に行ってきました。毎年大変な渋滞に引っかかっているので、いつもより早めに出発したら、全くの渋滞なし、1時間もたたずに着いてしまいました。
 もう何十回も来ているのに、奥にある五重塔などは近くで見たことはなかったので、そのあたりを散策。
 そのそばに、こんな「無料」のスポットがあったので、まあ観光地ですから騙されてもしょうがないと思って入ってみたのですが、ちょっとびっくりするようなしっかりした展示物でした。
 その中で、こんな優れものがあったのには本当に驚きました。ただのジオラマだと思ったら、その中にホログラムかなんかで実写の映像が写しこまれるようになっているのですよ。これによって、このお寺の由来を楽しみながら知ってもらおうというアトラクション、こんなところでこんなものに出会えるなんて、ほとんど感動的。
 そのそばにあるのが、このお寺の現在の本堂と右手にあるのが「寺務所」です。堂々たる伽藍ですね。その寺務所の上に黒い点が写っていますが、それはツバメ。たくさんのツバメが飛び回っていたのでよく見たら、
 寺務所の軒下にたくさんのツバメの巣がありました。
 そのうちの一つ。巣作りに励んでいるのでしょうね。
 もちろん、シメはこれです。おにぎりを買っていったので、こんな豪華なランチになりました。
 今日は普通に職場に出勤ですから、まずはタケノコの点検です。かなりのハイペースで生えてきているようですから、3日にはちょっと伸びすぎているかもしれませんが、まあ何もないよりはましでしょう。
 通販のCDも、確実に届くこちらを宛先にしているので、今日も新譜が届きました。
 楽しみにしていた「マタイ」の最新録音も届いていました。これはもちろん輸入盤ですが、日本の代理店によって日本語の解説が載った帯が付けられています。でも、この代理店(ナクソスジャパン)が作る帯は、毎回そのお粗末さに笑ってしまうので(ここでも何度紹介したことでしょう)、今回も「もしや」と思ったのですが、見事にその予想が当たってしまいました。赤枠の中は、
 「1936年」に改訂されているんですね。いったい誰が、この大作曲家を差し置いてそんなことをやったのでしょう。文章もおかしいですね。「晦渋」なものが「鮮やかに抉り出す」というのは、いったいどういう状況なのでしょう。下手に難しい言葉を使おうとしているのが、哀れです。
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by jurassic_oyaji | 2015-04-30 22:09 | 禁断 | Comments(0)
MOZART/Flute Quartets
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Karl-Heinz Schütz(Fl)
Albena Danailova(Vn)
Tobias Lea(Va)
Tamás Varga(Vc)
CAMERATA/CMBD-80008(BD-A)




「カメラータはもうBD-Aからは撤退した」と教えてくれたのは誰だったでしょうか。こんな新譜が出たのですから、どうやらそれは誤った情報だったようですね。そんな、このメーカーに対しても失礼なデマを流した人には、しっかり謝ってほしいものです。
とは言っても、品番からも分かるようにこれは「8枚目」のBD-Aです。「1枚目」が出たのが2012年の12月ですから、2年半近く経ってもそれしか出せていないというのでは、やはり「辞めてしまった」と思われても仕方がないかもしれませんね。そんな、言ってみれば「貴重」なフォーマットで、大好きなシュッツの演奏が聴けるのですから、これはラッキー。
シュッツと言えば、彼の前任者としてウィーン・フィルの首席奏者を務めていたのがヴォルフガング・シュルツという人だったので、何かと混乱してしまうかもしれません。「カール=ハインツ・シュルツ」とかね。実際、シュッツはシュルツたちが創設したアンサンブル「アンサンブル・ウィーン・ベルリン」にも、シュルツの後釜としてメンバーになっていますから、何かと「シュルツの後継者のシュッツ」みたいな、とても紛らわしい言い方が、今回のBD-Aのライナーノーツにも登場しています。そこでは、今回録音したモーツァルトの四重奏曲は、このレーベルとしてはシュルツで録音したかったものが、様々な事情で結局シュッツによってなされることになった、みたいな書き方をされていますからね。確かにシュルツは偉大なフルーティストであったことに疑いはありませんが、個人的にはあまり好きではありませんでしたし、彼の音はウィーン・フィルのサウンドの中ではちょっと異質なのでは、と感じていました。もっとも、逆にそんな音だからこそ、この「保守的」なオーケストラからもっと斬新なサウンドを発信することが期待されていたのかもしれませんが。
シュッツは、しかし、そんな「期待」とは全く別の姿でウィーン・フィルのサウンドのクオリティをワンランク上げることに貢献していました。彼の音はシュルツのようにしゃかりきに自己主張するものではなく、いともしなやかにオーケストラの中に融け込んだ上で、サウンドにきらめきを与えるというものだったのです。
このモーツァルトで共演しているのは、もちろんウィーン・フィルのメンバーたちです。その中で、ヴァイオリンにこのオーケストラ初の女性コンサートマスターとして注目を集めたアルベナ・ダナイローヴァが参加しているのにまず注目です。まさに、これからのウィーン・フィルを担う新星の共演ですね。ヴィオラのトビアス・リー、チェロのタマーシュ・ヴァルガともども、伝統にあぐらをかかない未来志向のモーツァルトが体験できます。それは、音色はとてもまろやかで心地よいものなのに、今モーツァルトを演奏することの意味がきっちりと伝わってくるものなのですから。彼らは、かなり早めのテンポで、余計な「タメ」で音楽を停滞させることなく進めていきます。それでいて、必要な情感は的確に表現されています。それは、ピリオド楽器の登場によって表現の根底が崩れ去ったモダン楽器奏者たちが出した、一つの回答のようにも思えてきます。さらに、この4人のつかず離れずのアンサンブルの妙味には感嘆させられます。録音のせいもあるのでしょうが、それぞれの楽器がとても雄弁に歌っていることもとてもよくわかります。
もちろん、彼らが使っている楽譜は最新のヘンレ版です。こちらで指摘したハ長調の四重奏曲の第2楽章の第4変奏の後半で、新全集とはヴァイオリンとヴィオラのパートが入れ替わっている部分などは、そんな録音ですからはっきり聴き取ることができます。
例によって、オリジナルの4曲以外に、オーボエ四重奏曲をフルートで演奏したものも収録されています。この曲の第2楽章でのシュッツのピアニシモは絶品です。

BD-A Artwork © Camerata Tokyo, Inc.
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by jurassic_oyaji | 2015-04-29 20:32 | フルート | Comments(0)
演奏会の写真集は、Nさん待ちです
 演奏会が終わって、今度はそのあと始末です。まず県民会館に行って預けたチケットの精算です。これは、本番の日にGPの途中の空き時間に済ませてしまおうと事務室に行ったのですが、なんか「取り置きを頼まれたのが1枚ある」ということで、その場では精算できませんでした。プレイガイドに取り置きを頼むという神経も、それを受ける県民会館の神経もちょっと理解不能なのですが、どうしようもないので後日、ということになりました。でも、結局その取り置きの人は現れなかったようですね。きっと当日券を買ったのでしょう。よい子はこういうルール違反はしないでくださいね。
 おそらく、一番待たれているのは、演奏会の写真でしょうね。一応私のカメラで撮ったデータは集まったのですが、もう一人、本番の時は3階席から撮っていたNさんのデータがまだ届いていないので、それが来たら全部まとめていつものようにダウンロードできるようにしますから、気長に待っていてください。あと、公式サイトも必要なところは更新してあります。その時に使った写真を、Facebookページのカバーにも使いました。これは「カルメン」の時の写真ですから、当然撮ったのは私ではなく、降り番だったトロンボーンのNさんが腕章をつけて撮ってくれたものです。ソリストの華やかなドレスが、さすが「スプリングコンサート」という感じですね。
 この時のソプラノさんたちは、翠さんがグリーン、寿美さんが「スミレ」でブルーに決めたのでは、というのは考えすぎでしょうか。それにしても、「トリオ」のイントロが始まった時に、このお二人が入ってきて拍手が沸いたのには、驚きました。なんせ、綱渡りのようなタイミングで私が一人で吹かなければいけないところがあるので、極度に緊張しているところに拍手ですから、よく出られたなと思います。でも、この二人、カルメンさんが歌い始めたところで固まっているんですよね。ここは私は休みだったので、横目でまるでお人形さんみたいにじっとしている二人を眺めていました。カバー写真は、そんなタイミングですね。でも、あいにくビデオには、この「フリーズ」したお二人は映っていませんでした。なんせワンカメですから、どちらかというと「動いて」いる人たちを追っかけていましたからね。でも、今回のカメラマンは音楽のことがよくわかっている人みたいで、私のソロではきっちりアップになっていましたね。
 その、肝心の大ソロ、本番の時は不本意だったのですが、こうして見てみるとなかなかいいじゃないですか(なんて)。結局、始まりのテンポがあまりに遅かったので、それならばと思い切り「くさく」吹いてやろうと開き直っていたことを思い出しました。これだから、本番は面白いんですね。
 もうビデオが見られたのは、いつもの早業のHさんのお蔭です。もう昨日の午後には何枚か出来上がっていて、それを夕方わざわざ職場に届けてくれたのですね。なんか、新しいカメラに更新したそうで、画質がずいぶんきれいになっているような気がしました。
 そんなHさんたちや、ヴィオラのSさんたちが、3日には「タケノコ掘りたいかい?」に来てくれるはずです。そこで、この前からずっと暇を見てやってきた枯れた竹の片づけを、もう少しやってみることにしました。
 今まではこんな感じでしたが、
 こんな風に、後ろにあった細かい枝を全部処理しました。これで、小さい人が来ても危なくないでしょう。
 ただ、タケノコはこの暖かさで順調に伸びているようですが、なんせこのところ雨が全然降っていないのが気になります。3日までには降る予定もないそうなので、それがどのように影響してくるかが、いまいち気になるところですね。
 何かあればまたお知らせしますが、一応3日の3時から始めることにしてありますから、初めての人も遊びに来てみてください。何も用意は要りませんが、靴だけは汚れてもいいもので。
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by jurassic_oyaji | 2015-04-28 22:02 | 禁断 | Comments(0)
戦火のシンフォニー/レニングラード封鎖345日目の真実
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ひのまどか著
新潮社刊
ISBN978-4-1-335451-2




なぜかこのたびショスタコーヴィチの「交響曲第7番」とかなり深いおつきあいをすることになって、何かその素性に関する資料がないかとチェックをしてみたら、こんな、ほんの1年前に刊行された書籍が見つかりました。
著者はかつてはプロのヴァイオリニストだった方ですから、音楽に対してはとても深いところで接するスキルを身に着けています。さらに、この方の場合、ロシア語のオリジナルの資料を読むために、それまでは全く知らなかったロシア語を勉強するところから作業を始めたというのですから、もうそれだけで感服してしまいます。
これは、「レニングラード封鎖」という史実に関して克明に描写するという「ノンフィクション」ではありますが、それらが連なる中で浮かび上がってくる「物語」には、即座に引き込まれてしまいます。しかし、この本の目的はそんな「戦記」を綴ることだけではありません。その「レニングラード封鎖」を「縦糸」にして、それに絡まる「横糸」として登場しているのが、その街の音楽家たちなのです。「戦火」のなかで、一時は音楽家としての自己を否定して戦時下要員として生き始めた彼らが、またオーケストラのメンバーとして復帰し、同じく「戦火」の中でショスタコーヴィチによって作られ続けた「交響曲第7番」を演奏するようになるまでの、壮絶な物語がここでは描かれているのです。
信じがたいことですが、ライフラインは断たれ、食料も底をついて餓死者が毎日何千人と出ているうえに、連日の空襲でもう疲弊しきっているはずの市民が、音楽を演奏することによってまだまだ力を持っていることをアピールしようとするのですね。もちろん、これは市当局の幹部が「プロパガンダ」としての音楽の影響力を認めて、組織的に放送局のオーケストラを再建しようとしたもの、そんな発想が、ソ連では可能だったのですね。
しかし、それを敢行するのには当然のことですが、多くの困難が伴います。そもそも、指揮者が餓死寸前の体で救急所に収容されているのですからね(その救急所の悲惨な状況もとてもリアル、トイレも使えない時にはどうなるか、そんなことは知りたくもありません)。そして、このオーケストラは小曲を演奏することから始まって、最終的にはショスタコーヴィチが「レニングラードのために」作ったとされる交響曲を演奏するまでを描くのが、このノンフィクションの山場となっています。いやあ、このあたりは本当に感動的ですよ。
もちろん、これはノンフィクションとは言っても、そもそもの「事実」がすでにソ連当局のフィルターにかけられていることは間違いありませんから、「実話」として鵜呑みにするのは極めて危険なことです。当初、筆者は小説として刊行するつもりだったと言いますから、そのような「筆が滑った」と思われるようなところも見られなくはありません。
そして、最大の「謎」は、やはりあのヴォルコフの「証言」を知ってしまったからには素直には受け入れることが出来なくなってしまっている、この曲のテーマです。ここでは、1ヵ所だけ、その「証言」を裏付けるエピソードも紹介されています。それにもかかわらず、筆者はまずこの「証言」を徹底的に無視することから論を始めているように思えます。そうなってくると、作曲の途中でレニングラードを離れてしまった作曲家の行動や、初演は別のところで行い、レニングラードでの初演でも当初は、すでに疎開していたレニングラード・フィルに任せるつもりだったという著者の「見解」には、かなりの齟齬が見えてはこないでしょうか。
本当に、ショスタコーヴィチという人は難解です。おそらく、この交響曲を自分で何回も演奏したところで、その「謎」が解けることはないのでは。

Book Artwork © Shinchosha Publishing Co., Ltd.
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by jurassic_oyaji | 2015-04-27 21:19 | 書籍 | Comments(0)
県民会館が満席になりました。
 ニューフィルのスプリングコンサートは、無事終了しました。
 たびたび今回の入場者数はいつになく多くなりそうだ、というデータが入ってきて、とても期待ができる状態だったのですが、それは、開場の直前には、県民会館の入り口から、そのブロックをほぼ半周するぐらいまでの行列が出来ていたことで、現実のものであることを知らされるのでした。
 その列に並ぶ人はとめどもなく押し寄せ、開場になって列が動き出した時点で、お隣のパチンコ屋の国分町に面した角にまで伸びていましたよ。これは、限りなく満席に近い時のパターンですね。
 予想通り、ホールの客席は3階席までほぼ満席という状態でした。前の隅にいくらか空席がありますが、ステージの席に座ると、そこは弦の人たちの陰になって見えなくなりますから、目の前は完全な満席状態が広がっています。これは気持ちいいものですね。
 そんなにお客さんがいると、不思議なもので全然緊張しなくなってしまいます。ゲネプロで派手に落ちてしまったところも、冷静に処理が出来ましたし、まずまずのいつも通りの演奏が出来たのではないでしょうか。ただ、本当に悔しかったのは、「間奏曲」で息が持たなかったことです。本番だけ予想外のテンポになってしまったので、それに対応できなかったのですね。まあ、ユヅル君ではありませんが、そういうところが残っているというのは、まだまだ伸び代があるということなのだ、と思いたいものです。
 そんなお客さんの数に比例して、プレゼントもいつになく、というか、今までになかったほどのものをいただいてしまいました。ほとんどはFacebookのイベントで「ご招待」したものです。本当にありがとうございました。打ち上げまでには少し時間があったので、これは車に乗せて職場の駐車場に置いておいて、それから地下鉄で会場に向かいました。
 会場は、こんな狭い、ちょっと怪しげなスポット。狭い机を囲んで、人であふれています。料理が来ると、まるでハイエナのようにみんな群がって、あっという間になくなってしまいます。
 最後の方は、枝豆しかなくなってましたね。
 でも、そんな窮屈なところで、結構いろんな人と話が出来ました。指揮者の寿一さんは私のサイトを見てくれていたということが分かって、さっそくその場でFacebookのお友達申請です。こんな、雲の上のお方と、気楽にこんなことができるというのが、何よりもうれしいことでした。
 そうだ。タキシード・デビューも無事済みました。なぜか、ゲストの歌手の方々との4ショットなんかも記念に撮っていただきましたよ。でも、なんだかカマーバンドがだらしなく下がっていますね。ずっと座って演奏していたので、こんなことになってしまったのでしょう。本当にタキシードにふさわしい人間になるには、まだ時間が必要なのかもしれません。
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by jurassic_oyaji | 2015-04-27 00:05 | 禁断 | Comments(0)
あしたはスプリングコンサート
 今年はタケノコの「裏」の年だ、なんてテレビで言っていましたね。いつもの年よりタケノコが不作になる年が定期的にあって、それを「裏」というのだそうです。まあ、そういうことがあるというのは今までの体験で知っていましたから、別に驚きもしませんでしたが、そんなことには無関係に今年の職場のタケノコは順調に生育しているようですよ。

 これは、月曜日に撮った写真ですが、例年よりかなり早く顔を出し始めています。それで、これを掘ってさっそくあく抜きしてみたら、

 こんなにいい形のタケノコでした。早い時期に採れたタケノコは、こんな風にずんぐりしていますが、だんだん伸びてくるともっと縦長になっていくものです。それが、もう次の日になったらあちこちに出始めていて、掘っても掘ってもまだまだ生えてくるという状態が続くようになりました。もうこうなると「裏」でも何でもなく、まさに「豊作」の時のパターンですね。
 ですから、もうこういうんだったら、例年の「タケノコ掘りたいかい?」も開催できそうな気がしてきたので、まあやれるかやれないかはわかりませんが、一応常連さんに予定を聞いてみて、5月3日に開催することにしました。なにしろ今年は桜の開花と同じように早めに進行しているので、もうこの日あたりでは遅すぎる(確か、去年も同じ日にやっていました)かもしれませんが、まあ生えすぎるタケノコの除去をお手伝いする、といった感じで時間のある方はご参加ください。5月3日の午後3時スタート、場所は東昌寺の竹藪です。場所が分からない方は、お問い合わせください。
 それは、来週の週末ですが、今週の週末のイベントがいよいよ明日となりました。そのための前日リハーサルが、今回は会場が取れなかったので本番会場の県民会館ではなく、若林の文化センターで行われました。私にとっては、これは非常に大切な練習となります。なにしろ、前半の「カルメン」でそのカルメンを歌う人はこの日が初めての合わせですからね。「ハバネラ」などではフルートがもろにユニゾンでソリストのバックを吹くので、歌い方の癖を盗んできっちり合わせなければいけません。そんなこと、私にできるのでしょうか。さらに、有名な「間奏曲」では最初にハープだけの伴奏でソロを吹かなければいけませんが、そのハープもやはりこの日が最初に参加なんですよね。そのハーピストさんはなかなかおっかない人で、うまく吹けないとどやしつかれそうな感じがするぐらいですから、果たしてきっちり合奏ができるかどうかも、本当に心配でした。
 ですから、もう今日は練習に行かずにどっかに逃げ出したいような気分でしたね。でも、今更そんなことを言ってももうどうしようもないので、とにかく早めに行って準備だけはしっかりやっておきましょう。そうしたら、カルメンの方はなんだかとても気さくな方、体型もジェーン・ビンガム(「私はラブ・リーガル」というドラマの主人公)みたいな感じで、とてもチャーミングでしたから、一安心です。前もっての練習では、思い切りルバートをかけることを想定してかなりくさく作っていたのに、いざ本人と合わせてみるとかなりすっきりした歌い方で(その代わり、表情はとても豊か)、変に作らなくてもしっかり合わせることができるようでした。
 ハープの方は、まず心配だったのがピッチです。始まりのE♭の音は、ちょっと面倒な音で、コントロールしにくく低めになってしまいがちなのですが、これも普段の練習で、イントロをハープの代わりに弦楽器が演奏しているところにソロが入っていくと、あまりにピッチが違うので、もう嫌になってしまうほどです。私の音程はこんなに悪かったのか、と、チューナー相手にかなりきっちり調整しても、次の練習ではやはり全然合わないんですよね。ですから、これをあのハーピストでやったら、さぞやあちらは不愉快だろうなあ、と、本当に心配でした。でも、今日初めて合わせてみたら、もうなんてことはなく、ピッタリ合っていましたね。何も悩むことなんかなかったんですよ。うちの弦のピッチが悪かったんでしょう。これで、明日はのびのび演奏できそうです。
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by jurassic_oyaji | 2015-04-25 22:48 | 禁断 | Comments(0)
Claviorganum
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Thomas Scmögner
PALADINO/PMR 0033




先日、親戚の結婚式に参列した時には、最初のうちはデジタルキーボードで、ピアノのサンプリング音源によるBGMが演奏されていました。それが、花嫁の入場とともに、その同じ楽器から勇壮なオルガンの音でローエングリンの結婚行進曲が聴こえてきたときには、ちょっと感激してしまいました。別になんということはないのですが、今までピアノだったものがいきなりオルガンに変わってしまったのに、素直に驚いてしまったのですね。
そんな驚きを与えたいという気持ちは、昔の楽器職人も持っていたのかもしれません。現代のデジタルキーボードでは当たり前にできることを、その頃の人は涙ぐましいほどの力技を駆使して実現していたのです。そんな気合いのこもった楽器が、この「クラヴィオルガヌム」です。
ジャケットにデザインされているのが、その楽器の全体像です。まるで昭和時代の「茶箪笥」を思わせるような外観ですね。鍵盤があるので一見ポジティーフ・オルガン、事実、下半分はポジティーフ・オルガンそのものです。ただ、その上になんと「フォルテピアノ」が乗っかっているのですね。この場合は「スクエア・ピアノ」と言って、弦が横に張られているタイプのフォルテピアノです。ただ、鍵盤は1つかありません。それがピアノフォルテのアクションやオルガンのアクションに連動していて、ストップによってどちらか一方、あるいは両方同時に音が出せるようになります。さらに、それぞれに音色を変えるストップもいくつかついています。つまり、それらのストップを組み合わせることによって、多彩なサウンドを作り出すことができる、という優れものなのですね。
そんな音色の変化のデモンストレーションとしては、最初に演奏されているモーツァルトのファンタジーk 397などは恰好なサンプルでしょう。序奏はフォルテピアノだけで演奏されますが、かなりプリミティブな音、しかもダンパー・ペダルはありませんから、前の和音の響きが消えないまま次の和音に続くといった、ちょっとやかましい音に聴こえます。それが、いきなり明るい音色に変わったのは、そこにオルガンが加わったからです。この鮮やかさはなかなかのもの、これを最初に聴いた人はかなり驚いたことでしょうね。ただ、鍵盤が一つということは、同じ鍵盤で出された音でも、それぞれの鍵盤楽器の特性の違いから、片方はすぐに減衰してしまうのに、もう片方はずっと音が鳴り続けるというちょっとシュールな状況が出現してしまいます。
その次の曲はヨハン・ゲオルク・アルブレヒツベルガーという「ベートーヴェンの先生」ということでのみ音楽史に名前を残している作曲家のオルガンのためのかわいい3つの前奏曲ですが、これはそのままオルガンだけで演奏されています。だったら、こんな楽器を使わなくてもいいに、と思っても、これは純粋にオルガン・パートだけの音を聴くサンプルだと理解すべきでしょう。
この珍しい楽器は、ウィーン美術史美術館の中に設立された古楽器博物館というセクションのコレクションです。ですから、このCDもその美術館とレーベルとの共同制作によって作られています。ブックレットの最初には「このCDはウィーン美術史美術館とPaladino Musicレーベルとの共同制作です」としっかり記載されていますね。ところが、このCDは2014年にリリースされたばかりなのに、録音されたのは2003年という「大昔」だったので、調べてみたら、これは全く同じジャケットで2004年にスイスのACANTHUSというレーベルからリリースされていたものでした。つまり、「共同制作」を行ったのはPALADINOではなくACANTHUSだったのですね。その後、おそらく、このスイスのレーベルはPALADINOに吸収でもされたのでしょう。ですからこれは実質的にはリイシュー。にもかかわらず、さも新譜であるかのように売り出したというのは、いつもながらのこのウィーンのレーベルのいい加減さの端的な現れです。

CD Artwork © Kunsthistorisches Museum Wien
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by jurassic_oyaji | 2015-04-24 22:08 | オルガン | Comments(0)
「まれ」は駄作
 今までになかったことですが、今回のコンサートでは手持ちのチケットがほぼ完売してしまいました。実は、いつも来ていただいている方にチケットを送ったところ、一人の方から「東京に転勤になったので、残念ですがうかがえません」というお手紙が届きました。いっしょにチケットを送り返していただいただけではなく、菓子折りまで一緒に送っていただいたのには、恐縮してしまいましたよ。いつぞやは「切手」なども送っていただいて、この場を借りてお礼を言わせてください(って、見てないでしょうね)。その、返していただいた分がなかったら、受付に置いておくチケットを用意することが出来なくなっていたところでした。
 そんなわけですから、今度の日曜日にはまず間違いなく1000人以上のお客さんは入ることは確実になりました。下手をすれば(いや、うまくいけば)1500人の「満席御礼」も夢ではありません。くれぐれもお早めに会場にいらしてくださいね。それと、お席に着いた時には荷物は膝の上に置いて、間を空けずに座るようにしてくださいね。いるんですよね。隣の席に荷物を置いて平然としているおばはんが。
 ところで、「あまちゃん」の再放送が始まってもう3週目となりました。もうだいぶ前からあの時間帯は、BSでまず7時15分から再放送の朝ドラをみて、そのあと7時半からはその時の朝ドラの最初の放送を見る、というのが習慣となっています。でも、今までは再放送の分は、一応前に見たことがあるのでそんなに熱心に見ることはありませんでした。なにしろ朝は忙しいですから、洗濯や食器洗いをまず優先、暇が見つかればこの再放送をチラ見して、その時の方はきちんと時間を作って見るようにしていました。
 でも、今シーズンは、まずは「あまちゃん」をきちんと見るために、少し早目に起きて、その時間には家事が入らないようにスケジュールを変更してあります。そしてきっちり「あまちゃん」を見て、それに続いて新しいやつもきちんと見る、という日々が続いていたのです。いやあ、その「あまちゃん」は、最初に放送された時には第1回目からインパクトがあったのでずっとしっかり見ていたはずなのに、再放送では見落としていたところ、というか、その時には気が付かなかったようなことがいっぱい見つかりましたね。もちろん、これは全部録画中ですから、ちょっと気を抜いてまた見逃してしまったところでも、すぐに確認できますからね。つまり、そのぐらいしっかり向き合って見ても、全く隙がなく作られていることが改めてよくわかるのですよ。キャストもすべて完璧、もうどの人が欠けても成り立たないぐらいの、それぞれの役割と関わり合いがきっちり出来上がっていたのですね。
 そんな、まさに完璧さに打ちのめされる至福の15分を過ごした後に、今の朝ドラを見ることになるのです。もうこれは不運としか言いようがないのですが、もうこれはどこをとってみても「あまちゃん」の比ではないのですね。まあ、このところの朝ドラは結構高いレベルのものが続いていたので、いつかはまた元の低レベルのものが出てきてもおかしくないとは思っていたのですが、今回がまさにそれでした。私にとって最悪の朝ドラは「天花」ですが、今回は、それに「劣るとも勝らない」ひどさではないでしょうか。とにかく、キャストたちのキャラクター設定がいい加減すぎるのですよね。彼ら、彼女らがいったい何を目指して生きているのか、全くわからないのですよ。もちろん、脚本も行き当たりばったりで、先が見えてくることはありません。さらに最悪なのが音楽。まあ、今のドラマでは役者の演技をカバーするために少し大げさに音楽を付けてシーンを成立させるというのはよくあることですが、これはもう音楽だけが独り歩きしていて、ドラマとは完全に無関係な存在になっています。というか、音楽を作った人はこれがドラマのための音楽であるという自覚が全くなく、ひたすら自分の作った音楽だけを他人に聴かせて満足感に浸っているとしか思えないのですよ。
 ですから、もうおとといあたりから、今回の朝ドラは見捨てることに決めました。朝の貴重な15分をこんなものに費やすなんて、耐えられません。
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by jurassic_oyaji | 2015-04-23 21:47 | 禁断 | Comments(0)
Mozart (Re)inventions
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Paladino Music
Eric Lamb(Fl)
Martin Rummel(Vc)
PALADINO/PMR 0050




アルバムタイトルの「(リ)インヴェンションズ」という言葉につい惹かれて買ってしまいました。「再び発明する」という意味ですから、これはかなりのインパクト、しかもその対象が「モーツァルト」ですからね。モーツァルトのどの辺を「発明」してくれるのか、かなり楽しみです。ジャケットもなにやらシュールな演出が施されていますし。
しかし、聴きはじめると、それは別に何の目新しいものもない、単なる「モーツァルトの作品をフルートとチェロのために編曲」しただけのものだとわかりました。これにはがっかりですね。一応、その「編曲」は、ここで演奏しているフルートのエリック・ラムとチェロのマルティン・ルンメルが行っているということなのですが、最初に聴こえてきた「魔笛」からの二重奏は、すでに編曲者不詳として多くの楽譜が出回っているヴァイオリンまたはフルートのためのデュエットと全く同じものでしたし。辞書で調べてみたら、「インヴェンション」には「捏造」という意味もあるのだそうです。
そう言えば、このレーベルで以前、こんなとんでもないアルバムを聴いていました。ウィーンで音楽出版を手掛けている会社が作ったレーベルですが、何か肝心なものが抜けているような気がしませんか?
今回のアルバム、どうやらモーツァルトの「最初」と「最後」、さらに「真ん中あたり」の作品を並べて、彼の生涯を俯瞰しようというコンセプトのもとに作られているようです。その「最後」として、彼の最晩年の作品である「魔笛」を選んだのはなかなかのチョイスなのですが、それが、そのオペラからいくつかのナンバーを2つの楽器のために編曲した、いわば「ハルモニームジーク」あたりでお茶を濁そうとするやり方だったのには、なんとも言えない寂しさが募ります。
「最初」では、それこそ「k 1」から「k 33b」あたりまでの、5歳から10歳までの間に作られたクラヴィーアのための作品を、二重奏に直したものが演奏されています。そして「真ん中」としては、1783年に作られたヴァイオリンとヴィオラのための2曲の二重奏曲(k 423, 424)が選ばれています。これは、ザルツブルクのコロレド大司教がミヒャエル・ハイドンにこの編成による6曲のセットを委嘱した時に、彼が病気になって4曲しか作れなくなってしまったためにモーツァルトが手助けをして作ったものですね。
この2曲が、一応このアルバムの中ではメインと考えられている作品なのでしょう。それぞれ3つの楽章から出来ている20分程度のものですからね。当然ここは、この2人の演奏家は、他の曲のようなお手軽な対応ではなく、しっかりとした演奏を心掛けるところでしょう。ということで、もしかしたら過度のプレッシャーがこの2人、とりわけチェリストのルンメルにかかったのでしょうか、何かアンサンブルが成立していないもどかしさが感じられてしまいます。2人で音楽を進めていこうという気持ちが、彼にはほとんど見られないような気がするのですよ。フルートが作っている時間軸にまるで関係のないところで勝手に彼だけの時間の感覚で演奏を行っているとしか思えないような「合ってない」ところだらけなんですね。音程も、プロとは思えないようなひどさですし。
唯一の救いは、フルーティストのラムのすばらしい演奏です。彼はデトロイトに生まれたというアフリカ系のアメリカ人ですが、ドイツとイタリアでフルートを学んでいます。先生の中にはミシェル・デボストの名前なども見られますが、彼のとてもしなやかな音楽性と、伸びやかな音色は、そのあたりの経歴が反映されているのでしょう。目がくらむような派手さはないものの、低音から高音まで磨き抜かれた音は、とても魅力的です。彼の楽器は、日本のALTUSなのだそうです。

CD Artwork © Paladino Media GmbH
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by jurassic_oyaji | 2015-04-22 20:14 | フルート | Comments(0)
スプリングコンサートでは、当日券を発売します。
 本番前の最後の団内練習となった今日は、ごくあっさりと全体を通すことに終始していました。曲順にやっていったので、最初の序曲は2番なので楽勝、次の「カルメン」もとりあえずヤバそうなところを思い切り注意しながら吹いたら、うまい具合に出来たので、まあこのコンディションを本番までに保つことが出来れば、まず大丈夫でしょう。最近は、この段階でうまくいっていれば本番もうまくいく、というジンクスみたいのが出来ていますから、そういうことにして自己暗示をかける、というのが一番の過ごし方です。あとは、本番で変な緊張さえしなければ何とかなるでしょう。
 ただ、お客さんがそれこそ会場が満員になるぐらいに押し寄せたりしたら、ちょっと緊張してしまうかもしれませんね。なんせ、普段はスカスカのところで演奏するのに慣れていますから、急に立ち見のお客さんなんかがいたりすると、どうなることやら。
 それに関しては、先週会場の県民会館でまたチケットがなくなってしまったというので、さらに10枚追加しておいたものが、今日問い合わせてみたらすでに7枚が売れてしまっているというのですから、相変わらずすごい売れ行きが続いています。ただ、おとといの指揮者練習の時に最後の売り上げ調査を行って正確な数字を出してみると、まあ普通に当日券を売っても大丈夫だろうという見通しが立ったのだそうです。ですから、プレイガイドで入手できなかったという方でも、当日窓口で購入することが出来そうですので、少し早目にいらしてみてくださいね。
 あと、ちょっと不安なのが、当日の衣装ですね。この間買ったタキシードで、晴れて人前に立つことになるのですが、なんせ生まれて初めて着るタキシードですから、それが精神的にどんな影響を及ぼすのか、全く予測が付かないのですよ。まあ、演奏が始まれば何を着ているのかなんてすっかり忘れて吹くことに集中できるはずなのですがね。でも、例えば本番前に誰かから服装について何かを言われたとすると、それが頭の片隅に残ってしまっている、なんてことがないとも限りません。どうか、なるべく服装に関してはコメントは控えてくださるようにお願いします。なんて言っておきながら、私自身はスケスケのドレスを新調したなんていう人に対しては、冷やかしたりするのでしょうけどね。
 ところで、おとといの結婚式では、いろいろと新しいことが盛り込まれていましたね。ほんとに、この業界は常に新しいアイディアを持ち込んで「進化」しているようですね。つまり、ほんの数か月前にやった結婚式でも十分驚かされることがあったのに、今回はその驚きをさらに更新するようなこともあったのですからね。この会場は式が終わると一旦建物の外、というか、広場に出ることになるのですが、そこでまず参列者全員の集合写真を撮ることになりました。ふつうはひな壇のようなものが用意されて、そこに出席者が立つのでしょうが、ここではなんとカメラマンが脚立の上に立っていました。その上から、下にいる人々を撮るのですね。こちらは上にいるカメラマンに向かって手を振ったりさせられるのですね。
 披露宴でのケーキカットの後の「ファースト・バイト」にはもう慣れましたが、今回はそのパターンが、先に兄弟夫婦がまず食べさせあう、というのになっていましたね。正直、私はこのイベントはあまり好きではありません。口の周りにべったりクリームが付いているのを見せられると、気分が悪くなってしまいます。それと、キャンドルサービスで、それぞれのテーブルの一つのキャンドルに点けた火を、隣の人に順に回していく、というのは、うちでもやってなかなかだな、と思っていましたが、今回は、最後にそれを全員で吹き消してくれ、と言われましたね。「キャンドル・ブロウ」というのだそうですで、これもそれなりの意味があるのだそうですが、ちょっとなじめないイベントでしたね。
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by jurassic_oyaji | 2015-04-21 23:18 | 禁断 | Comments(0)