おやぢの部屋2
jurassic.exblog.jp
ブログトップ
<   2015年 05月 ( 31 )   > この月の画像一覧
ROZSA, KORNGOLD/Violin Concertos
c0039487_23093745.jpg


Matthew Trusler(Vn)
篠崎靖男/
Düsserldorfer Symphoniker
ORCHID/ORC100005




2005年にイギリスのヴァイオリニスト、マシュー・トラスラーによって設立されたORCHIDレーベルは、これまでにトラスター自身の録音と、ほかの多くのジャンルのアーティストによるアルバムを50枚ほど世に送っています。品番もとても分かりやすいもので、単純にリリースされた順にナンバリングされているだけです。付き合った女性の数じゃないですよ(それは「ナンパリング」)。
そのレーベルの公式サイトを眺めていたら、その「アーティスト」の中に指揮者の篠崎靖男さんの写真がありました。世界的に活躍されている篠崎さんは、すでにこんなレーベルに参加されていたのですね。早速この2009年に録音され、その年の10月にリリースされたCDを聴いてみました。
ここでヴァイオリン・ソロを演奏しているのはトラスター自身なのですが、彼が往年の名ヴァイオリニスト、ヤッシャ・ハイフェッツに寄せる思いは相当なもので(何でも、ハイフェッツが実際に使っていた弓を持っていて、ここでもそれを使っているのだとか)それをアルバムという形でここでは表明しているのでしょう。というのも、ここで演奏されているミクローシュ・ロージャ、エーリッヒ・ヴォルフガング・コルンゴルトという、いずれもハリウッドの映画音楽の現場で活躍した作曲家によるヴァイオリン協奏曲は、いずれもハイフェッツによって初演され、初録音も行われているからです。これはまさに、これらの曲の「産みの親」であるハイフェッツ対するオマージュなのですね。
同じようにクラシックの作曲家としてスタートして、後にハリウッドの映画音楽の世界で大成功を収めたというロージャとコルンゴルトですが、それぞれの「クラシック」に対するスタンスは微妙に異なっているようです。コルンゴルトの場合は、彼のベースとなっている後期ロマン派的な手法をハリウッドでも貫き通し、それが結果としてそれまでにはなかった重厚な映画音楽に結実したのでしょう。後に「クラシック」の世界に戻って作られたヴァイオリン協奏曲は、それまでに作った映画の中で用いたテーマをそのまま用いていたりします。それは今でこそ相応の評価を得ていますが、初演(1947年)当時の「クラシック」の様式からは、多少「時代遅れ」と感じられたのはやむを得ないことです。
年代的には少しあとになるハンガリー出身のロージャは、おそらく映画音楽とは別のスタイルで「クラシック」に立ち向かっているように見えます。この「ヴァイオリン協奏曲」(正確には「ヴァイオリン協奏曲第2番」)で見られるバルトーク風の斬新な創作の姿勢は、明らかに同時代の「クラシック」としても十分に存在感を主張できるものでした。
トラスターも、そして篠崎さんの指揮するオーケストラも、そのあたりの「違い」を明確にしたうえで、それぞれの魅力を最大限に発揮させています。コルンゴルトのテンポが、ハイフェッツの録音よりもかなりゆったりしているのも、「今」の時点での彼の受容の反映なのでしょう。そして、ロージャの終楽章でのほとんどバルトークの「オケコン」のようなアグレッシブなオーケストレーションからは、篠崎さんはとてもドイツのオケとは思えないような見事なドライブ感を引き出しています。
以前こちらで感じたように、ハイフェッツがピアノとヴァイオリンのために行った小品の編曲は、かなりぶっとんだものでした。このアルバムの余白に3曲収められている小品のうちの「エストレリータ」と「金髪のジェニー」がハイフェッツの編曲にオーケストレーションを施したものです(「ジャマイカ・ルンバ」はウィリアム・プリムローズの編曲)。これらも、やはりかなりヘンタイなアレンジ、そのオーケストラ・パートも、篠崎さんはとても優雅に、そして遊び心すら交えて楽しく演奏しているようです。

CD Artwork © Orchid Music Limited
[PR]
by jurassic_oyaji | 2015-05-31 23:12 | ヴァイオリン | Comments(0)
かやの木コンサート
 今日は職場でのイベントです。毎年この時期に行っている、まあ言ってみれば顧客の親睦会の年次総会ですね。そして、そこでのアトラクションとして「かやの木コンサート」という催しが、やはり毎年行われています。これは基本的には屋外のコンサートで、敷地内にある国の天然記念物「マルミガヤ」という大きなカヤの木の前が会場になるので、いつとはなしにそんな風に呼ばれるようになりました。
 そのコンサートに、ニューフィルの金管セクションのアンサンブルをお呼びしたのはおととしのことでした。それが好評だったので、今回も再度お願いすることになりました。とは言っても、メンバーはトランペットのHさん以外は全員入れ替わっています。それだけ、層が厚いということになりますね。しかも、おととしはノーネクタイのワイシャツ姿だったものが、今回はなんとお揃いの蝶ネクタイとカマーバンドという「おしゃれ」ないでたちですよ。
 まずは、このコンサート恒例の、社長の前説です。今回のテーマは「楽器紹介」、トランペットはうるさいので、ペットは飼えないとか、チューバは何か楽器が足らない時に呼ばれることが多い「ちゅうば(急場)しのぎ」の楽器だとか、とてもためになるお話なのに、それを聴いているメンバーたちからは何か笑いをかみ殺している表情が感じられるのが不思議です。
 クラシックの名曲など、Hさんの軽やかなMCに乗って、プログラムは進みます。前回も演奏した「七夕おどり」では、Hさんが「ご一緒に手拍子を」と言ったのを受けて盛大な手拍子が入っただけでなく、しっかりあの懐かしい歌を歌っている人もいたのにはびっくりですね。でも、ここに来ている大多数の世代の人たちにとっては、この歌は完全に愛唱歌として体に染みついているはずですから、これも当然のことなのでしょう。
 今回もとっても楽しんでいただけたようで、最後に総代さんからお礼の金一封をいただいたときには、つい口が滑って本音が出たのでしょう、「ヘタなお経を聴くよりも、よっぽどよかった」と、立場をわきまえない、でも、とてもうれしい発言も聞けました。しかし、なんということをおっしゃるのでしょう。受け取ったHさんのその時の複雑な苦笑は、見ものでしたね。ちゃんと写真を撮ったのですが、ここにはとても載せられません。
 それにしても、今日は暑かったですね。私の仕事としては扇風機をかけながらいらっしゃった人にお土産を配るという受付を建物の中でやっていたので、その時にはそんなに暑い気はしなかったのに、セッティングや撤去の時に外に出たらもうたまりませんでしたね。コンサートの写真もテントの中で撮っている分にはそこそこ風もあって涼しかったのに、全景を撮ろうと外に出たらやはりかなりのダメージを感じましたね。
 ですから、もう全部の仕事が終わった時にはのどが渇ききっていて、お客さんのために用意した冷えた麦茶をがぶ飲みです。「脱水症状」ですかね。家に帰っても、このところのお気に入りの「三ツ矢フルーツサイダー青りんご」ばっかり飲んでます。
 この「青りんご」最近はスーパーやコンビニでは全然売ってないので、ネットで箱買いしているのですが、最近のものは賞味期限がえらく短いので、調べてみたら、この500mlのタイプはすでに終売になっていたのですね。1.5lのはまだ売っているようですが、そんなのを一人で飲めるわけもありませんし。ですから、このストックがなくなった後には何を飲めばいいのか、本気で心配しているところです。
[PR]
by jurassic_oyaji | 2015-05-30 22:46 | 禁断 | Comments(0)
MENDELSSOHN/Symphony No 5 'Reformation'
c0039487_21081826.jpg



John Eliot Gardiner/
London Symphony Orchestra
LSO LIVE/LSO0775(hybrid SACD, BD-A)




ガーディナーとロンドン響によるメンデルスゾーンの第2弾、「交響曲第5番(宗教改革)」と、2曲の序曲のカップリングです。第1弾では「交響曲第3番(スコットランド)」とシューマンの「ピアノ協奏曲」とのカップリングでしたね。その時と同じように、ここではSACDの他にブルーレイ・ディスクが同梱されています。ただ、以前のブルーレイ・ディスクは音声だけのBD-Aと、画像も入ったBDが一緒になったものだったのが、今回のものからは画像がなくなっていました。さすがに、あまりに大盤振る舞いだと思ったのか、何か画像に問題があったのかは分かりませんが、これはちょっと残念です。その代わりと言ってはなんですが、デジタル・データがダウンロードできるようなリンクが設けられています。ただ、BD-Aに収録されているのは24/192のPCMなのに、ダウンロードできるのが24/98というのがちょっと不思議、さらに、DSDは分かりますが、16/44.1のWAVと、320kbpsのMP3なんて何の意味もないファイルがダウンロードできるというのも不思議。というか、ここまでハイレゾにこだわっていたレーベルが、こんなことをするなんて。こんなものより、画像の方がよっぽど価値があったのに。
なぜ画像にこだわるかというと、レコーディングの時のメンバー表によると、「オフィクレイド」と「セルパン」の奏者が参加しているからなのです。下着じゃないですよ(それは「ガラパン」)。それぞれ、現代のオーケストラからは姿を消してしまった低音の管楽器ですが、メンデルスゾーンのスコアにはちゃんとこの楽器が指定されていて、ガーディナーはそれに忠実に従っているのですよ。実際耳で聴いただけではそれぞれの楽器の音はまず聴こえてはこないので、ぜひ映像でその奇怪な姿を見てみたかったものです。もう一点、「スコットランド」では「当時の習慣に従って」チェロ以外の弦楽器奏者が立って演奏している様子が分かったのですが、今回もそのようなことをやっているかどうかは、全然わかりません。
もっと残念だったのは、この「宗教改革」では現行の「第2稿」以外にも、改訂される前の「第1稿」も出版されているのに、そういうことにかけては積極的であったはずのがーディナーはそれを使ってはいなかった、ということです。以前「交響曲第4番(イタリア)」を録音した時には、その「改訂稿」を世界で最初に取り上げたというのに。
このアルバムで交響曲とカップリングされている「序曲」は、交響曲と同じコンサートで演奏された「静かな海と楽しい航海」と、別の日に演奏されていた「ルイ・ブラス」です。トラックの順番としては、最初にこの「ルイ・ブラス」、そして、「静かな海」、「宗教改革」という形でオーサリングされています。それを頭から聴いて行ったのですが、最初に出てきた「ルイ・ブラス」の金管のアンサンブルのとてもなめらかな音色と、上品なフレージングには、今まで聴いてきたロンドン響の録音とはちょっと格の違うものを感じてしまいました。それに続く弦楽器の音も、とても豊かな質感と、繊細なテクスチャーが伴った素晴らしいものでした。
ところが、次の「静かな海」から先、つまり、別の日の録音では、このような卓越した感じの全くない、ごく普通の音に変わってしまっていましたね。本当に、ライブ録音のセッティングというのは微妙だという実例です。
ガーディナーの演奏は、前回と同じ、とても伸び伸びとオケを歌わせるものでした。少なめの編成の弦楽器は、実に細やかな表情を聴かせてくれています。ただ、やはり「第1稿」を聴いてしまった後では、最後の楽章の冒頭に「Ein feste Burg」のコラールがフルート1本で演奏される部分がとても唐突に感じられてしまいます。やはり、その前に長々とフルート・ソロの「前振り」があってこそのこのコラールなのではないか、と、強く思ってしまいました。

SACD & BD-A Artwork © London Symphony Orchestra
[PR]
by jurassic_oyaji | 2015-05-29 21:12 | オーケストラ | Comments(0)
篠崎さんのCDが見つかりました
 「レニングラード」を2回全曲通してみて、やはりなかなか手ごわいやつだな、という思いが募ります。まあ、個人練習をやっている分にはそこそこ吹けるのですが、こうやって全員で合奏すると、そうはすんなりいかないんですよね。なぜそうなるかというと、この曲にはやたらと「変拍子」が出てくるからなんですよ。「5拍子」や「7拍子」、ひどいのになると「13拍子」なんていうのもありますからね。いや、その変拍子がずっと続くんだったら別に何拍子でも構わないのですが、それが不規則に続くんですよね。そこには法則性がなく、全くのデタラメの並び方なので、本当にしっかり一つ一つ数えていないとどうにもならないんですよね。さらに、ひどいのはたまに「分母」が変わってしまうことがあるのですよ。2/2、3/2・・・と来ていきなり3/4が現れる、といった感じですね。「合奏」というのは、100人(そんなにはいませんが)の演奏家が、そういう拍子をベースにしてそれぞれの音を出す、ということです。ですから、その拍子を100人全員が「正しく」数えていないことには、全体が「合う」ことは決してないのです。
 ニューフィルのメンバーは、日頃そういうことはしっかり叩き込まれていますから、普通の曲だったらまず1回か2回やっていれば合ってくるのですが、それも限度問題で、このショスタコーヴィチでは、明らかにその「限度」を超えているのですよ。つまり、正しく拍子を数えられている人もいる中で、どうしても数えられない人(それは私かもしれません)がいたりすると、何が正しいのかわからなくなってしまうのですね。ただ、どこかで本当に正しい人がいて、なんとなくきちんと元に戻るというのが、ニューフィルならではのレベルということなのでしょう。もちろん、指揮者がやってくるころには、こんなことは完全にクリアできているはずです。
 そして、おとといの練習のあとには選曲のための会議があって、各パートから挙げられた希望曲から、次の次の演奏会の指揮者の篠崎さんに送るための曲を絞り込むという作業が行われました。それは、全部で6曲ほどになったのですが、団長がその結果を送ったところ、さっそく翌日には返事が届きましたね。まあ、どれが選ばれてもそれが決まるという流れだったので、おそらくこの曲でメインは決定でしょう。まさか、こんなに早く決まるとは思っていませんでした。
 そうなると、やはり「かいほうげん」の発行を少し遅らせたのは正解ということになりました。これで、今回の「目玉」が出来たことになって、表紙を飾ることが出来ます。それまでは、「満員御礼」を使おうと思っていたのですが、いまいちインパクトがないというか、今更、という気がしていたので、まさに「渡りに船」でした。でも、それもちゃんと表紙に入れますからね。
 それで、篠崎さんの曲をお知らせするにあたってその楽譜の画像でも入れようかと思ったのですが、その曲にはいくつかの「版」があって、篠崎さんがどれを使うのはまだわからないのですね。いずれ、正式決定すればわかることなのですが、もしや、どこかでそんな情報が見つからないかと思って、ネットで検索をかけてみました。いろいろ探したのですが、結局ヒットはありませんでした。でも、その途中で篠崎さんのCDのレビュー記事なんてものが見つかってしまいました。CD、出していたんですね。
 これがそのジャケット、5年ぐらい前に発売になったものなので、もう売ってないだろうと思ったら、まだ取り扱っていたのでとりあえず注文してみました。でも、なんせこれを扱っているのがあの〇クソス・ジャパンですから、まあ手に入らないことは確実です。しかし、NMLには入っていましたね。これは一度入れてしまえばあとは何もすることはありませんから、まだ生きていたのでしょう。ですから、さっきの注文はキャンセルして、こちらで全曲聴いてしまいました。こんな感じでCDになっているものが、まだほかにもあるかもしれませんね。
[PR]
by jurassic_oyaji | 2015-05-28 21:39 | 禁断 | Comments(0)
SHOSTAKOVICH/Complete Symphonies & Concertos
c0039487_20391390.jpg
Daniil Trifonov, Denis Matsuev(Pf)
Vadim Repin, Alena Baeva(Vn)
Gautier Capçon, Mrio Brunello(Vc)
Timur Martynov(Tp)
Veronika Dzhioeva(Sop), Mikhail Petrenko(Bas)
Valery Gergiev/
Orchestra and Chorus of the Mariinsky Theatre
ARTHAUS/107552(BD)




ショスタコーヴィチの交響曲全集のCDだったら、世の中には「売るほど」存在していますが、映像による全集、それも同じ演奏家の演奏を集めたものなどは、これが最初なのではないでしょうか。しかも、ここにはその15の交響曲だけではなく、ピアノ、ヴァイオリン、チェロのためにそれぞれ2曲ずつ作られた協奏曲までもが一緒に入っています。こんな全集は間違いなく最初のものですし、おそらくこれからも作られることはまずありえないでしょう。とんでもないものが出てきたものです。そんな「初物」ですからお店では飛ぶように売れたそうです。特に女性がたくさん買って行ったみたい(それは「ジョシノコーヴチュ」)。
このレーベルからは、かつてベートーヴェンの交響曲全集を一連のライブを元に作ったものが出てましたね。それはこちらで入手できますが、これもかなり売れたのではないでしょうか。というのも、これはオーケストラが来日した時のツィクルスをNHKが収録したもので、国内盤としてNHKからも同じ内容のものがリリースされていますが、それはこの輸入盤の3倍以上という価格設定のためみんなこちらの方を買ったのだとか。ただ、やはり国内ではNHKが販売権をもっているので、輸入盤を販売するのは反則なんですって。そんな「ぼったくり」を放置する方がいけないような気がしますがね。
今回のショスタコーヴィッチ・ボックスも同じように全てライブ録音、2013年1月に2回、2013年12月に3回、そして2014年2月に3回、いずれもパリのサル・プレイエルで行われた全部で8回のコンサートを収録したものです。そして、ライブ映像以外のボーナス・トラックとして、1時間程度のドキュメンタリー映像と、それぞれの曲の前にゲルギエフによる「前説」が入っています。
「A Man of Many Faces」というタイトルのそのドキュメンタリーは、それぞれの曲が作られた時代背景や、その時の作曲家の姿勢などをわかりやすく(つまり、あまり深く掘り下げることはなく)まとめたものですが、全ての作品について語られているわけではありません。そして、この中に登場するゲルギエフのインタビューは、それぞれの曲の「前説」と全く同じものです。演奏の映像もありますから、ほとんどこのボックスの「トレーラー」のようなものですね。
このボックスを購入した最大の理由は、「交響曲第7番」でのバンダの配置を見たかったからですから、まずはその前のゲルギエフの言葉を拝聴することにします。ネイティブではない英語での語りなので、結構聴き取りは楽、字幕がなくても言いたいことは素直に伝わってきます。と、この曲のレニングラード初演の時の話になったら、なんか日本語の字幕が変です。ゲルギエフは「And the whole world had a clear message. "You don't go to a victory in the country where people who are about to die are giving you a big première of a powerful symphony"」と言っているように聴こえますが、その部分を訳した字幕は、「この演奏により、世界は確かなメッセージを受け取りました。瀕死の音楽家が壮大な交響曲を演奏するような国に勝利などありえないと...」となっていました。これは、普通に読めば「ソ連が勝利を得ることはありえない」という意味にとれませんか?これだと、ゲルギエフが言っていることとは正反対の意味になってしまいますよね。きっと、英語にも日本語にも堪能ではない人がやっつけで作った字幕なのでしょう。
コンサートの本編は、例えば天井からのカメラとか、ステージの上の「手持ち」のカメラなどによる斬新なアングルが満載のエキサイティングな映像が堪能できます。ただ、肝心のバンダは、確かにどこに座っているかはよくわかりますが、それが音楽的にどのような活躍をしているのかを視覚的に知るというのは、この映像からは不可能でした。おそらく、映像ディレクターにとって、そんなことはさほど重要ではなかったのでしょう。

BD Artwork © Arthaus Musik GmbH
[PR]
by jurassic_oyaji | 2015-05-27 20:49 | オーケストラ | Comments(0)
CDの帯原稿を書いたことがあります
 今練習しているショスタコーヴィチの「交響曲第7番」のパート譜は、もちろんレンタル譜ですが、それは「手書き」で作られたものでした。同じショスタコーヴィチでも、需要の多い「5番」などではちゃんとPCで浄書したものが出来ているのですが、「7番」ではそれほどの手間をかけてもコスト的に合わないのか、手書きのコピーが提供されています。それでも、一応日本での販売権を持っている全音が作ったものなので、オリジナルのパート譜よりはかなりきれいなものにはなっているのでしょうね。
 しかし、なんせ手書きですから、ミスプリントは避けられず、あちこちのパートから「間違い」が指摘されています。チェロでは拍子記号が間違っているとか、ヴィオラでは音符が1拍分余計に書かれているといった、ほんとにしょうもないミスです。もちろん、フルートにもかなり間違いがあって、いくつかはすでに直しておきましたが、実際に合奏で吹いていると、隣のオーボエとユニゾンのはずなのに、音が一つ違っていたりしたので、あわててスコアを見てみたらフルートにだけ余計なナチュラルが付いていましたし。
 このパート譜を実際に作ったのは、「東京ハッスルコピー」というところだというのは、しっかりパート譜に印刷してありますから分かります。そこで、どんな会社だろうとそのサイトに行ってみたら、写譜業界ではかなり実績のあるところであることが分かりました。PC浄書ももちろんやっているのでしょうが、放送の現場などで、パート譜がすぐ欲しいようなところでは、やはり手書きの方が断然早いので、まだまだ需要があるのでしょう。
 そこに、こんな「お知らせ」が掲載されていました。あの一連の「名作」を残した作曲家の作品も、ここが一手に引き受けていたのですね。何でも、最近外国のオーケストラが日本で「HIROSHIMA」を演奏する予定だったものが、別の曲に差し替えられたということがあったのだそうですが、そもそも楽譜が使えない状態なのでは、演奏は無理だったのでしょう。
 そんな「事件」のもう一人の当事者、新垣隆さんは、このところバラエティ界から引っ張りだこの「タレント」になった感がありますね。きのうなどは、なんとメインキャストとして1時間持たせるという、もはやその辺の「お笑い」顔負けの存在感を示していましたよ。その中では、あの1年ちょっと前の記者会見の映像なども出てきましたが、もはやあの時とは別人のように客観的にそれを見ている新垣さんの姿を見ていると、この方は外見以上のしたたかさをもった人なのではないか、という気がしてきます。きのうの番組の「テーマ」は、「頼まれたら断れない人」ということで、新垣さんはあたかもそのような「弱い」人間であったために、つい流されてあのような「ゴーストライター」稼業に手を染めることになってしまったかのような印象を与えるようにふるまっていましたが、それが露見して逆に周辺が好意的な態度を示し、ごくフツーにメディアに露出するようになってくると、おそらく新垣さん自身も喜んでそれに対応し始めたのでは、という経過が見事に透けて見えるのですね。結局、今のメディアに求められるのは「楽しませてくれる人」なのですから、今までそれを一手に担ってきた「お笑い」に替わって、新垣さんのようなプロの「エンターテイナー」が台頭してくるのは、当然のことなのです。そう、作曲家という職業は、かつては雇い主を「楽しませる」ためのものでした。しかも、彼らはそれを達成させるために血のにじむような修練を積み重ねてきているのですから、単なる「一発芸」だけでその場限りの芸を披露するだけの「お笑い」とは素養がまるで違います。新垣さんの「タレント」としての人気は、しばらくは続くのではないでしょうか。もちろん、彼が飽きられたと誰しもが認めるようになったころには、見事にメディアから姿を消していることでしょうが。
 彼は、「ゴーストライター」業にある種の喜びを感じていたようですね。自分の名前は出ないものの、自分が作ったもので世の中の人が喜んでくれたことがうれしかったのだそうです。その気持ちは、実際に何度かゴーストライターに手を染めたことのある者としては、とても共感できるものです。
[PR]
by jurassic_oyaji | 2015-05-27 00:14 | 禁断 | Comments(0)
JOPLIN/Treemonisha
c0039487_20201181.jpg

Carmen Balthrop(Treemonisha), Betty Allen(Monisha)
Curtis Rayam(Remus), Willard White(Ned)
Gunther Schuler/
The Houston Grand Opera
Pentatone/PTC 5186 221(hybrid SACD)




ジョシュア・リフキンの尽力により、スコット・ジョプリンの「ラグタイム」は、今ではクラシックのサイドからも正当に評価されるようになっています。しかし、彼が「オペラ」までを作っていたということを知っている人など、ほとんどいなかったはずです。そもそも「ラグタイム」と「オペラ」を同じ次元で語ることなど不可能、その両者の間には「日本国憲法」と「安倍晋三」と同じほどのミスマッチが横たわっています。
48歳で亡くなったジョプリンが43歳の時、1911年頃に完成したオペラが「トゥリーモニシャ」です(彼がオペラを作ったのはこれが最初ではなく、それまでにも手掛けていました)。台本もジョプリン自身が書いています。その年にはヴォーカル・スコアを自費出版、さらに1915年には彼自身のピアノによるピアノ版での初演が行われています。しかしそれ以降上演されることはなく、完全に世の中から忘れ去れてしまいます。さらに、彼はこの作品にオーケストレーションも施していて、その楽譜もかつては存在していましたが、1962年にその楽譜を管理していた者によってスコアは破棄されてしまいました。
1970年にヴィーカル・スコアが発見されたことにより、この「オペラ」を再演しようという動きが高まり、1972年にロバート・ショー指揮のアトランタ交響楽団によって「オペラ」の甦演が行われました。もちろん、オーケストラ譜はもはやこの世にはなく、ジョプリンの当初のプランは誰にも分からなくなっていますが、この時にはトーマス・J・アンダーソンのオーケストレーションによって上演されています。
さらに1975年には、ガンサー・シュラーのオーケストレーション、彼自身の指揮で、ヒューストン・グランド・オペラで上演されました。その時のキャストによってスタジオ録音が行われたものが、このSACDです。さらに、最近では、もっと「アメリカ的」な、小さな編成のオーケストレーション(by リック・ベンジャミン)による上演も行われているのだそうです。
全3幕、全曲演奏しても1時間半しかかからないコンパクトな「オペラ」です。それぞれの幕には「朝」、「午後」、「夕方」というタイトルが付けられ、物語は1日のうちに終了するというのは、伝統的な「オペラ・ブッファ」のお約束を引き継いでいるのでしょうか。オペラのタイトル「トゥリーモニシャ」という女の子が主人公、その名前は、ネッドとモニシャという夫婦が、大きな木の根元に置き去りにされていた赤ん坊を自分たちの子供として育てたことに由来したもにしゃ。彼女は地域のプランテーションの黒人たちとは違って、縁があって小さいころから白人からしっかりとした教育を受けていました。そんなところにインチキ魔術師たちに騙されそうになる両親を諭したことから、そのインチキ集団に拉致されてしまいますが、見事救出され、そのインチキ野郎たちも巻き込んだコミュニティのリーダーになるという、ある意味寓話的なストーリーです。
音楽的には、まさに「ラグタイム・オペラ」でした。「ラグタイム」の中にはよく聴かれる2拍子の元気のよい曲以外にも、たとえば「ベシーナ」のような美しいメロディをしっとりと聴かせる3拍子の曲もありますが、それらのすべての要素を動員して、バラエティあふれる多くのナンバーが歌われます。モニシャが赤ん坊を見つけたときのことを歌う「The Sacred Tree」などは、シンプルでありながらとても心にしみる曲ですね。さらに、ゴスペル的な「コール・アンド・レスポンス」のナンバーなどもあり、とても楽しめます。
ただ、歌手の歌い方もオーケストレーションも、あまりにヨーロッパ的な「オペラ」を目指しているのが、ちょっと引っかかります。おそらくそのあたりの方向性が少し修正されているであろうベンジャミン版も、機会があればぜひ聴いてみたいものです。

SACD Artwork © Pentatone Music B.V.
[PR]
by jurassic_oyaji | 2015-05-25 20:24 | オペラ | Comments(0)
田んぼアートの下絵
 暑い日が続きますね。今日なんかは仙台の方が東京よりも暑かったという予報でしたから、いっそ国立新美術館あたりに一人で行ってこようかなとも思っていましたが、あいにくほかの用事が入ってしまいました。
 きのうは市役所前の駐車場に車を入れたら、広場がすごいにぎわい、どっかの放送局のお祭りだったようですね。色んな屋台が出ている中で、こんなのがありました。
 ご存知、定義山の三角油揚げですが、現地に行って揚げたてを買えば120円で食べられるものが、それを鉄板で温めなおすだけでこんな値段になるなんて不思議ですね。
 だいぶ前ですが、広瀬文化センターに貼ってあったチラシに「田んぼアート」の田植えは連休中」とあったので、連休の最後の先々週に現地を見に行ったことがありました。でも、まだやっと田起こしが終わったところで、まだまだ田植えは始まらない様子なのでがっかりしたことがありました。
 その後、ネットで「田植えは30日」という情報が見つかったので、その1週間前なら「もしや」と思って、もう1回行ってみました。
 予想は的中、ちょうど、「アート」の下絵を描いているところでした。とは言っても、田んぼに線を引いたりは出来ないので、前から実際はどうやるのか興味があったのですが、どうやらたくさんの「杭」を埋めているようですね。
 ちゃんと測量の人がいて、1本1本杭の位置を決めて埋めていくのでしょう。大変な作業ですね。その杭に沿って苗を植えていくのでしょうから、杭はたくさん使った方がきれいな仕上がりになるはずです。ここにある杭は全部使ってしまって、残ることはないのでしょうね。そうすれば、後悔することはありません(悔いは残りません)。
 今年はこういうデザインになるのだそうです。
 もう1か所、徐々に姿を変えている現場も写真に撮れました。長命が丘の交差点、「ビッグボーイ」や「ブックス湘南」はもう跡形もありませんが、「鐘埼」なんかはまだ残っていますね(9月に取り壊すそうです)。
 ネットを探したら、壊す前の写真が見つかりました。そういえば、ビッグボーイの前の赤い擁壁が、現場にはごろごろ転がっていましたね。跡地には何ができるのでしょう。まさか、パチンコ屋ではないでしょうね。
[PR]
by jurassic_oyaji | 2015-05-24 21:36 | 禁断 | Comments(0)
BACH/Matthäus Passion(Mendelssohn version)
c0039487_21172107.jpg
Jörg Dürmüller(Ev, Ten), Marcos Fink(Jes), Helen Rasker(Alt)
Judith van Wanroij(Sop), Maarten Koningsberger(Bas)
Jan Willem de Vriend/
Consensus Vocalis(by Klaas Stok)
The Netherlands Symphony Orchestra
CHALLENGE/CC72661(hybrid SACD)




「今でこそ『音楽史上最高の作品』とか崇められている『マタイ受難曲』も、メンデルスゾーンが見つけ出して演奏しなければずっと忘れ去れていていたはずだ」、とは、よく言われることです。まあ、これは確かに一つの真実ではありますが、仮にメンデルスゾーンがそういうことをやらなくても、別の形でこの作品はしっかり認められていたのではないか、という気はしませんか?それが「歴史」の面白いところ、こんな形で紹介されなければ、もしかしたら「マタイ」、いやバッハそのものが、もっと気楽に付き合えるようなものになっていたかもしれませんね。
いや、確かに前世紀の初めごろまでは、「マタイ」と言えばその前にひれ伏してしまうような威圧的なものだったのかもしれませんが、さいわいこの21世紀の世の中ではきちんと等身大の接し方が出来るようなものに変わってきています。そのような時代にあってメンデルスゾーンの甦演の録音を聴くという行為は、「『マタイ』をよみがえらせてくれた偉業をしのぶ」ものではなく、単に「19世紀のバッハ受容はどのようなものであったか」を冷静に観察できるサンプルとして聴く以上のものではありません。

最初に「メンデルスゾーン版『マタイ』」を音にしてくれたのは、クリストフ・シュペリングでした。彼の1992年の録音によるCD(Opus111/OPS30-72-73)によって、あたいたちはメンデルスゾーンが行ったことの詳細を知ったのです。それは、多くのナンバーのカットや、例えばアリアのダ・カーポを縮小したり、レシタティーヴォの音型を変えたりするような改変、さらにはオーケストレーションの修正といった、かなり大幅な変更が加えられているものでした。その概要は、こちらで見ることが出来ます。
メンデルスゾーンがこの「マタイ」をベルリンで「初演」したのは1829年のこと、この楽譜はすぐに出版されて各地でほかの指揮者によって演奏されるようになります。そして、メンデルスゾーン自身は「本場」ライプツィヒで1841年に「再演」を行い、この時に楽譜に手を入れます。それは、1829年に大幅にカットしたアリアやコラールを、何曲か復活させ、さらにエヴァンゲリストのメロディラインなどを修正するという改訂でした。現在ではこの両方の改訂をまとめて見ることができる楽譜がベーレンライターから出版(2009年)されています。ただ、フル・スコアはレンタルのみ、ピアノ・リダクションのヴォーカル・スコアしか入手は出来ません。
シュペリングの録音では、この「1841年稿」が使われていました。さらに、1995年ごろに録音されたディエゴ・ファゾリスのCDも、今回の2014年4月にライブ録音されたデ・フリエンド盤も、同じく1841年稿による演奏です。次に誰かが録音するときには1829年稿を聴かせてほしいものです。
シュペリング盤では、メンデルスゾーンの時代の「ピリオド」楽器が使われていました。弦楽器はガット弦、管楽器は現代のような改良(改悪?)の手が及んでいないものです。ピッチも少し低め、A=430Hzという、バロック・ピッチほどは低くない設定です。ですから、例えばオーボエ・ダ・カッチャがクラリネットに置き換えて演奏されていてもそれほどの違和感はありませんでした。しかし、今回のSACDでは、完全なモダン楽器が使われているために、特にそのクラリネットの音が完璧にバッハとは相いれないものとして迫ってきます。これが難しいところ、おそらくメンデルスゾーンの時代に現代と同じクラリネットが既に存在していたとしたら、彼は決してこの楽器を使うことはなかったのではないでしょうか。その結果、このSACDは先ほどの「19世紀のバッハ受容のサンプル」という役目すらも果たせないものとなっています。
そんなとんちんかんな設定にもかかわらず、ソリストや合唱団は、しっかりとした演奏でそれぞれの役割を果たしています。
[PR]
by jurassic_oyaji | 2015-05-23 21:19 | 合唱 | Comments(0)
今度も、N-JAPANの帯は間違いだらけでした
 この間のニューフィルの久しぶりの練習の後の「懇談会」での発言を録音していたものを起こして議事録を作る作業は、予想通り簡単に終わってしまいました。本当は、その勢いで新しい「かいほうげん」を来週出してもいいかな、とも思っていたのですが、練習の時に写真を撮ろうと思っていた新入団員の方がお休みだったので、それは不可能になってしまいました。でも、もし作るとしたら、かなり忙しい思いをしなければいけなかったはずで下から、まあ先に延ばして正解だったのかもしれません。
 というのも、今週は次の次の演奏会に向けての選曲の資料を作らなければいけなかったのですよ。締め切りが火曜日だったのに、その前に希望曲を送ってきたところはほとんどなくて、みんなギリギリで送ってきましたから、作業は水曜日からでなければ始められないので、それと同時に「かいほうげん」を作るのはほとんど不可能でしょうからね。でも、その資料作りは意外と簡単に終わってしまいました。一番大変なのは、その曲の楽器編成を調べることだったのですが、今まで何回も同じことをやっていると、ほとんどのものがすでにデータとして残っているので、それを探してきてコピーすれば済んでしまいます。
 そうなってくると、もっと楽なやり方はないかと思ってしまいます。つまり、データはその時にまとめたものがあるだけですから、それをいちいち引っ張り出してきて、必要なものを持ってくるという作業になるのですね。ですから、いっそのこと、それを全部同じファイルにまとめてテンプレートにしておけば、作業ははるかに楽になるはずです。もうこのぐらいやっていると、全くの新しい曲というのはほとんどありませんから、まず希望曲はそのファイルの中にあるので、それを残して、その時に希望がなかったものだけを削除すればそれだけでリストが出来上がってしまいます。
 「かいほうげん」がなくなったので、さっそくその作業を始めてみました。まあ、3時間ぐらいで完成しましたかね。全部で200曲ぐらいになりましたね。ニューフィルには「10年ルール」というのがあって、同じ曲を10年以内にまたやることは避けることにしているので、それに該当するものは除いた結果ですから、本当はもっとあったんですけどね。これで、次回からは1時間もかからないでリストが完成するはずです。ほかのオーケストラで使いたいときには、喜んで提供しますよ。
 練習を始めたばかりのショスタコーヴィチのすべての交響曲と協奏曲のライブ映像を集めたボックスが出たというので注文したら、もう発売になっているはずなのにずいぶん待たされてやっと入手できました。バカ売れしていたようですから、きっと在庫がなくなっていたのでしょう。
 ボックスを包むように日本の代理店、ナクソス・ジャパンが作った「帯」が付いていました。大きさが揃っていないのが、まずみっともないですね。
 普通のボックスは蓋が簡単に開くようになっているのに、これはなんだかものすごく開けにくい箱でした。
 いや、これはほんとに「弁当箱」みたいな形の箱なのですが、蓋に取っ手も何もないので、開けるのがものすごく大変です。
 そして、開けてはみたものの、中に入っているブックレットを取り出すのにまず一苦労です。箱に密着しているので、取り出すための隙間が全くないのですね。
 やっと取り出してみると、その下にDVDサイズのケースが積んであります。これはいったいどういうことでしょう。目的のディスクを取り出すためには、箱の中身を全部ぶちまけなければいけないことになりますよ。使う人のことを全く考えていないデザインですね。
 そして極めつけは、この「帯」のミスプリントです。ショスタコーヴィチの15曲の交響曲と6曲の協奏曲をたった「70分」で聴けるなんて、どうかしてます。実は、これは同じテキストが使われているネットのインフォではちゃんと「970分」になっていたのに。同じようなものをにもご紹介しましたが、そっちも単なるコピー・ミス、いったいこの会社のチェック体制は、どうなっているのでしょう。なにしろ、上に書いてある曲目も全くのでたらめなんですからね。
[PR]
by jurassic_oyaji | 2015-05-22 21:51 | 禁断 | Comments(0)