おやぢの部屋2
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特急「ひばり」の思い出は、忘れられません
 この週末は、あちこちで関係者の参加するコンサートが行われていたのですが、合唱もオケも、行くことはできませんでした。なんせ、「アラジン」のチケットを買った時には、まだそういう予定はチェックできるほどのものではありませんでしたからね。でも、パリンカの場合は青文コンサートホールで入場者数が900人ですってね。ホールに入りきらないお客さんはロビーでモニターを見ていたのだとか、すごいですね。次の日は市民響とシンフォニエッタが重なっていたので、どっちに行っても恨まれたでしょうし。
 ということで、私の場合は「おと休」パスの消化にいそしんだ週末でした。きのうは、念願の鉄道博物館に行ってきましたよ。いつも新幹線で東京に行くときに、大宮の手前でその建物が見えるので、いつかは行きたいと思ってました。
 鉄道博物館に行くには、大宮駅で「ニューシャトル」に乗り換えるのが一番便利。こんな大々的な表示がありますから、間違えることはありません。実は、私は2005年にやはりニューシャトルに乗りに来たことがあったのですが、その時はこんな立派な表示はまだありませんでした。そのあと、2007年に開通したんですからね。その時は、いかにもマイナーな乗り物、といった感じ、車体は汚いし、何より駅舎がほんとにみすぼらしいのにはがっかりしましたが、いまは、鉄道博物館駅に関してはそんなことは全くありませんでした。というか、2005年の時には別の駅名でしたからね。
 入場券を買うのではなく、スイカで直接入場するというシステム、さすがJRですね。そういうのを記念に集めている人のために、出る時にスタンプ用紙が渡されました。
 「博物館」とは言っても、自由に中に入ってみることができる車両がたくさんあったのには、感激です。
 こんな車両、これは乗務員室ですが、確か同じ形でトイレになっているのもあったはず、このあたりは実際に本物に乗ったことがありますからもうたまりません。
 こんな、木製の椅子が向い合せになっているのが標準のレイアウトという列車は、小さいころの定番でしたね。
 そして、なんと特急「ひばり」ですよ。しばらく大宮に住んでいましたから、仙台に帰ってくるときにはいつもこれに乗ってましたね。
 ちゃんと「仙台行」って書いてありますし。
 ちょっと硬めのシート、今の新幹線より大きな窓は、とても快適でしたね。
 これがごみ箱。指定席が取れなかった時なんか、ここに座っていたこともありましたね。
 これは水飲み場です。右に折りたたんだ紙コップが入っていて、それを広げてコップにして水をくむんですよね。よく冷えた水だったような気がしますが、本当はどうだったんでしょう。
 そんな、「鉄道」というよりは、それにまつわる思い出がぎっしり詰まった博物館、とても楽しめました。最後はちょうど時間になったので、2階からターンテーブルが回るのをしっかり眺めてしまいましたよ。もう少しすると、増築されるそうですね。その時は、また来てみたいものです。
 今日になったらなんだかいやなニュースが。ネットには顔写真まで掲載されてましたね。明日の練習や、そのあとの選曲会議では、どんな話がでるのでしょう。
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by jurassic_oyaji | 2015-06-29 22:09 | Comments(0)
ZEMLINSKY/Die Seejungfrau
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John Storgårds/
Helsinki Philharmonic Orchestra
ONDINE/ODE 1237-5(hybrid SACD)




ツェムリンスキーの「人魚姫」と「シンフォニエッタ」の「世界初録音」となるSACDです。とは言っても、どちらもすでに何枚ものCDが出ている作品ではないか、とおっしゃるかもしれませんね。これは、それぞれに今までとは一味違った楽譜による演奏の「初録音」ということなのです。「人魚姫」の場合は今までの楽譜では削除されていた部分が復元されていますし、「シンフォニエッタ」では室内オーケストラのために編曲された楽譜が使われています。
このサイトではあまりなじみのない作曲家、アレクサンダー・ツェムリンスキーは1871年にオーストリアで生まれました。彼は、音楽史の中では「シェーンベルクの師」として知られています。とは言っても、シェーンベルクの作曲技法はほとんど独学で確立されたもので、ツェムリンスキーは単に「対位法」を教えただけですし、年齢も3歳上なだけですから、「友人」といった感じだったのでしょう。実際、彼の作風はあくまで後期ロマン派の延長線上にあるもので、「無調」の音楽を作ることはありませんでした。
彼の教え子として有名なのが、エーリヒ・コルンゴルトです。後にハリウッドの映画音楽作曲家として注目されるコルンゴルトの華麗なオーケストレーションは、まさにツェムリンスキー譲りのものでしょう。そしてもう一人、やはり弟子として才能を開花させたのがアルマ・シントラーです。後にグスタフ・マーラーと結婚、その前後に数多くの芸術家と危険な男女関係にあった魔性の女ですが、ツェムリンスキーも彼女に対しては恋愛感情を持っていました。しかし、それを彼女にコクっても、彼女は一言「あなたは醜い」と言ってマーラーと結婚してしまったのだそうです。かわいそうですね。
それは1902年のこと、そんな辛い思いからまだ癒えてなかった1903年に作られ、1905年に初演されたのが、「人魚姫」です。一応「交響詩」と呼ばれることの多い作品ですが、正式なタイトルは「アンデルセンの童話による、大オーケストラのための3つの楽章の『幻想曲』」というのだそうです。ただ、作曲家はこの作品の出来に満足しておらず出版はされませんでした。その後、自筆稿は散逸して行方が分からなくなってしまいますが、1980年になって発見されたものが1984年に甦演され、それ以来CDなども作られるようになったという、ちょっと遅れて出てきた名曲です。でも、そもそもそんなことはツェムリンスキーと疎遠な人にとってはどうでもいいことですが。
この作品は初演のリハーサルの時に第1楽章と第2楽章にかなり大胆なカットが施されていました。現在演奏されているのはそのカット後の楽譜なのですが、ごく最近、2013年に、アントニー・ボーモントというイギリスの指揮者/音楽学者が、そのカットされたページを発見して、それを盛り込んだ新しいクリティカル・エディションを出版しました。その現物はこちらのウニヴェルザールのサイトで全部見ることが出来ます。太っ腹ですね。ここでは、59ページからはカットされている現行の第2楽章、そして120ページからは復元された部分も入った新しい第2楽章が印刷されています。その新しい楽譜を使って初めて録音されたのが、このSACDです。第2楽章の06:41から11:29までの間が、その新たに挿入された部分、海の魔女が現れるちょっとおどろおどろしい音楽が聴こえてくるはずです。
第1楽章のカットは、本体には盛り込まれず、前書きにスケッチだけが掲載されています。これも、いつか音になったものを聴いてみたいですね。
はっきりわかるライトモティーフと、とても写実的なオーケストレーションで、まさに「人魚姫」の物語が眼前に迫ってくるようなとても聴きごたえのある作品です。最後の「救済」が描かれる部分は、涙なくしては聴けないでしょう。そこに、アルマとの破局がモチヴェーションになっているのだと感じるのは、きっと正しいことです。

SACD Artwork © Ondine Oy
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by jurassic_oyaji | 2015-06-28 21:45 | オーケストラ | Comments(0)
劇団四季の「アラジン」を見てきました
 梅雨に入ると同時に雨が降り続いている仙台地方ですが、例の「おと休パス」が使える期間中を狙って、劇団四季でやっている「アラジン」を見に東京まで行ってみたら、あっちは雨なんか降ってませんでした。同じ梅雨だというのに。なんでも、この新作ミュージカルはものすごい評判で、もうすでに劇団四季の持ち分はすべて売れてしまっているのだそうです。チケットを買った時でも、まず初日は完全に抽選でしか手に入らないようになっていて、当然うちの分は落選でした。それでも、先行発売の時に、その「おと休」がらみの休日を狙ったら、何とか取れたというレアものです。それも、座席指定はできなかったので、思い切りはじっこの席しか取れてませんでした。
 原作はもちろんディズニーのアニメ、それを、やはりディズニーがミュージカル化するという、「美女と野獣」(秋に仙台でロングランがありますね)とか「リトル・マーメイド」と同じ手法のプロダクションです。それを、演出からなにからまとめて「輸入」するというのも、最近の日本のミュージカルの定型ですね。
 アニメはもちろん見ていましたが、「A Whole New World」以外の音楽は全く記憶にありませんし、ストーリーももうすっかり忘れていました。でも、なんだかアニメにはあったのにミュージカルにはない役とか、その逆のケースなんかは結構気になりましたね。要するに、アニメでは動物だったものを、さすがに「ライオンキング」みたいなことはできないと人間のキャストに置き換えたのでしょう。でも、ジーニーはしっかり登場していましたから、うれしかったですね。確かアニメではロビン・ウィリアムズが声を担当したはずですが、おそらくロビンのアドリブをそのまま録音して、それに合わせて絵を付けたのでしょう、とても面白いキャラに仕上がっていましたね。それが、このミュージカルでもしっかり決まっていたんですね。正直、最初の方はちょっとかったるい進行ですし、セットもなんだかチャチで、なんでこんなのが評判をとったのか理解できなかったのですが、ジーニーが登場するやいなや、ステージが俄然面白くなってきましたからね(実は、彼は最初に登場していたのですが、あれがジーニーだとは気が付きませんでした)。最初のジーニーが客席に向かって突っ込むあたりは、もろ、オリジナルの演出をそのままなぞっているのでしょうが、とっても上手に消化していましたね。そしてそのあとのダンス・シーンが圧巻。前半のモヤモヤを吹っ飛ばして、グイグイとステージに引き込まれてしまいます。この中で、バーンスタインの「ウェストサイド・ストーリー」からの引用があったのも、うれしかったですね。そのことに気が付いた人は、満席の劇場の中には私以外に何人ぐらいいたのでしょう。
 そうなったら、もう細かいところ(いかにも「劇団四季」というダサいセリフまわしとか)なんか全然気にならなくなって、ストーリーの進行にどっぷりつかってしまいます。そこで出てくるのが「A Whole New World」ですから、たまりません。魔法のじゅうたんはしっかり空を飛んでるし、月をバックにした夜空は美しいし、もうすっかり「アラジン」の虜です。確かに、これだったらあれだけヒットしたことがよくわかります。機会があったらぜひ見てみることをお勧めします。チケットはなかなか手に入らないかもしれませんが。
 席は、PAのスピーカーの真ん前だったので、それこそこの間の「駅コン」みたいなひどい音を聴かせられるのかと覚悟していたら、そんな近くでも全然うるさくない、とてもクオリティの高い音だったのにはびっりしました。ヴォーカルも、ソロの時などは完璧です。さすがにアンサンブルになって声がたくさん重なると、かなりの歪は出てきますが、それでもそんなに気にならないほどです。確か、同じ劇場(「海」)でやった「ウィキッド」の時に、音響的に大幅な進歩があったように言われていますから、そのあたりからこんな素晴らしい音が実現できるようになっていたのでしょうね。
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by jurassic_oyaji | 2015-06-27 21:59 | 禁断 | Comments(0)
TCHAIKOVSKY/Ballet Suites
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小澤征爾/
Orchestre de Paris
DECCA/UCGD-9043(single layer SACD)




SACDでも、ハイブリッド・タイプのものは数多くリリースされていますが、そのCDレイヤーを省いた「シングル・レイヤーSACD」は、一時日本のメーカーから集中的にかなり高額な価格設定で発売されていたものの、このところぱったりリリースが止まっていました。調べてみたら最後にこのタイプのSACDが出たのは2013年1月でした。もはや、見限られたのかな、と思っていたら、最近ユニバーサルからバーンスタインと小澤征爾のアナログ時代のアイテムがまとめてシングル・レイヤーでリリースされました。小澤の場合は、先月がDGレーベル、今月がPHILIPSレーベルに録音していた分です。
もちろん、現在ではPHILIPSというレーベルは消滅していて、カタログはDECCAに吸収されていますから、今回のものにはDECCAのロゴが入っていますが、初出当時のLPのジャケットと同じ装丁でしたので、LP時代に買っていろいろな意味でショッキングだった、パリ管弦楽団を使って録音したチャイコフスキーのバレエ組曲集を聴いてみることにしました。このアルバムは「くるみ割り人形」と「眠れる森の美女」のカップリングですが、この録音が行われた1974年2月25日から27日までのセッションでは、「悲愴」も録音されていました。実は、同じ2月の11日と13日には、小澤の最初のPHILIPSへの録音となるニュー・フィルハーモニア管弦楽団とのベートーヴェンの「第9」のセッションが設けられていました。このあたりの、まさに世界中のオーケストラを相手にさまざまなレーベルに活発に録音を行っていた小澤のある意味「絶頂期」の活動は、今回のSACDに掲載されたオヤマダアツシさん(かつて「山尾敦史」という名前で知られていたライター。おや、まだやってたんだ)のライナーノーツに詳述されています。
このLPで「くるみ割り人形」を聴いたときにまず驚いたのが、「小さな序曲」のあまりに遅いテンポです。それはまるで冗談のように聴こえてきましたね。今聴き返してみても、その印象は変わりません。ただ、おそらく小澤はここではかなりきっちりとした音楽を作ろうとしていたのでは、という気はします。単なる名曲集のようなもの(おそらく、レーベルはそれを望んでいたのでしょうが)には絶対したくない、といった気概があったのかもしれませんね。次の「行進曲」でも、それまで聴いてきたものとは違った、ちょっとした違和感を誘うところがありました。それは、冒頭のトランペットのファンファーレ「ちゃっちゃかちゃちゃっちゃっちゃっちゃっちゃー」の最後の「ちゃー」。その音は、びっくりするほど唐突に大きな音で吹かれていたのですよ。あとで楽譜を見てみたら、確かにそこにはアクセントの記号が付いていましたが、他の人はここまではっきり目立たせてはいません。というか、いくら楽譜に指示があったと言っても、ここまでやるのは明らかなやり過ぎ、マジメだったんでしょうね。
「眠りの森の美女」の方でもそんな「くそマジメ」な面が現れているのが、最後の「ワルツ」です。序奏が終わって出てくるメインテーマのメロディ・ラインが、なんとも角ばっているんですよね。これも確かに楽譜にスラーは付いていませんが、「cantabile」とは書いてあるので、もっと甘~く歌ってほしかったものです。

LP当時でも、これは「音の良いレコード」として定評がありました。実は、2002年にPHILIPSのエンジニアによるレコーディング・チームPOLYHYMNIAによって、「くるみ割り人形」だけは「悲愴」とのカップリングでハイブリッドSACD(PENTATONE/PTC 5186 107)になっていました。それを、今回のSACDと比べてみると、同じマスターとは思えないほどの違いがありました。PENTATONEの音は、まぎれもないPHILIPSサウンド、繊細な中にも、必要な楽器がしっかりと主張しているものですが、イギリスのClassic Soundというところでマスタリングが行われた今回のユニバーサル盤は、情報量は圧倒的に多いにもかかわらず、それはただやかましいだけで美しくない音でした。

SACD Artwork © Decca Music Group Limited
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by jurassic_oyaji | 2015-06-26 20:30 | オーケストラ | Comments(0)
〇井さんのコンサートが売れ残り
 うちでとっている朝日新聞には、こんな広告が連日のように載っています。ゲルギエフの指揮するミュンヘン・フィルの東京でのコンサートの広告です。東京だけで何回か開かれるコンサートの中で、ピアノ協奏曲が入っていないプログラムのこの日だけが、なかなか売れないようですね。つまり、この一連のコンサートの目玉は、そこで協奏曲を共演する某人気ピアニストだったのですよ。その人のリサイタルなどはもう発売と同時に売り切れてしまうという、超売れっ子ですから、プログラムにピアノ協奏曲が入っている日の分はかなり高額なチケットにもかかわらずすぐに売り切れたようですね。ただ、オケだけの日はほんの少しお安くなっていたようですが、こんな風にいつまで経っても在庫の山、という状態が続いているのです。最近は世界中からほんとに超一流の指揮者やオーケストラが毎日のようにやってきてコンサートを行う、というのが今の東京ですから、私から見たらかなりすごい顔ぶれではあっても、やはりなかなか売れないようになってしまっているのでしょうね。それで、主催者はそのピアニストをカップリングすれば売れるだろうと考えて、こんなコンサートを企画し、それは確かにピアニストがらみのところではうまくいったものが、オケ単品では完全な誤算となって売れ残った、という状況なのでしょう。
 なんて、よそのことを笑ってはいられないのが、この「事件」の困ったところです。実は、このオーケストラは「ピアニスト付き」で、なんと、外国のオーケストラなんかは決して寄り付かないド田舎の仙台でもコンサートを開くのですよ。最初それを知った時には、これは大変なことになったと思いましたね。ただでさえ、外国のオーケストラに飢えているこの地で、あの人気ピアニストまでがくっついてくるとなると、もうチケットなんかは絶対に手に入らないと、本気で思ってしまいました。ですから、本番は11月ですが、チケットの先行発売があるという2月末には、電話予約をしてしまいましたよ。でも、なんかあまり手ごたえがなくて、電話は一発でかかってしまって簡単にチケットも手に入ってしまったのには、ちょっと拍子抜けしてしまいましたね。しかも、座席が前から3列目なんてとんでもないところでしたからね。まあ、そういう発想なんでしょう。あくまでお目当てはピアニストですから、そのお姿がよく見える舞台に近い席が、「いい席」と認識されているのですからね。
 しばらくして、一般発売も始まりましたが、まあ、もうチケットは手に入っているのでそれは全く興味はありませんでした。そして、発売されてからかなり経ってから、たまたまプレイガイドの近くに行ったので、果たしてどのぐらい売れたのか見てみました。そうしたら・・・
 いやあ、びっくりしましたねえ。チケットはほとんど売れていなかったのですよ。オーケストラを聴くにはベストだと思えるようなところでも、まだまだたくさん残っていましたよ。これは全くの予想外の展開、こんな事だったら、あせって先行で買う必要は全くなかったではありませんか。それよりもはるかにいい席が、こんな時期にまだまだ選び放題で残っているのですからね。
 やはり、売れなかった原因は、あまりのチケットの値段の高さでしょう。おそらく、その金額は、そのピアニストのコンサートだったら少しぐらい高くても行くわよ、というような熱心なファンでさえ、一線を越えてしまったと思えるほどのものだったのでしょう。物事には限度というものがあるのですね。主催者はそれを完全に読み誤っていました。ざまあみろ、です。
 それにしても、仙台ではちゃんとしたオーケストラを聴くことが出来ない、という状況は、どんどんひどくなっています。全国に「ちゃんとした」コンサートホールがたくさん出来ているのですから、わざわざそういうものが1つもない仙台でコンサートを開く理由はない、というのが、その原因なのは明らかです。一時盛り上がった、コンサートホールを作るという話はどうなったのでしょう。まあ、あれはかなり胡散臭い企画でしたから、実現できなくてよかったのかもしれませんが。
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by jurassic_oyaji | 2015-06-25 21:55 | Comments(0)
ドイツ語では「人魚」は「海の乙女」なんですね
 最近、今までずっと使われていたスコアで、その作曲家がもともとはカットした部分を、後の人が元に戻した「修復版」というのが出版されて、それを使って世界で初めて録音されたCDが出たということを知りました。まあ、正直その作曲家は私の守備範囲外で、ほとんど、というか、全然聴いたことはなかったのですが、そんな貴重な「版ちがい」のものが発売されたとあれば、何を置いても聴かないわけにはいかないじゃないですか。
 その曲は、3つの楽章からなる交響詩みたいなものでした。問題の修復された部分は第2楽章で、その量はライナーノーツを読むと14ページ分もあると言いますから、結構な分量です。確かに、同じ曲で今まで録音されたものの演奏時間が書いてあるサイトがあったので比べてみると、今回のCDはそのどれよりも演奏時間が長くなっています。念のため、楽章ごとの演奏時間まで載っているサイト(つまりNML)で見てみると、確かに1、3楽章ではほとんど同じぐらいなのに、第2楽章だけが4分から5分は長くなっていましたね。楽章全体で15分ぐらいですから、これは相当の違い、おそらくその長い分が、新たに加わったものなのでしょう。
 そんな風に、間違いなく違っているところがあるのだということがはっきりしていると、調べるのも楽しくなってきます。やはり、やみくもに調べるのではなく、きちんと目標があれば、なんだってやる気が起きるものですからね。でも、なんせ初めて聴く曲ですから、はっきり違いが分かるのかは正直自信はありませんでした。その第2楽章を、まずは新しいCDで聴いた後、NMLで今までの楽譜による演奏を聴いてみます。そうしたら、なんとなく、NMLではCDにはあったものがなくなっていることは分かりました。ちょっと全体のテストと極端に違っている楽器の使い方が、CDだけにはあったのですね。ですから、そこに狙いをつけてもう1度CDを聴いてみると、その部分の前後に、調は違いますが全く同じ金管のフレーズがあることが分かりました。おそらく、その間をカットして、つなげたのが、今までの楽譜だったのではないか、という気がしました。確かに、その部分は4分ちょっとありますからね。
 それで、まず違っている場所ははっきりしたのですが、ここまでくればやっぱり楽譜を見て確認してみたいじゃないですか。「答え合わせ」ってやつですよね。そこで、スコアがないかと思って、まずはIMSLPを覗いてみました。ここに行けばたいていの楽譜は見ることができるだけではなく、場合によっては「よくぞこんなものまで」という、とんでもなくレアなものにもお目にかかれるので期待したのですが、あいにくそこにはまだ用意されてはいませんでした。そこで、次にその楽譜を出版している会社のサイトに行ってみました。よく、スコアのサンプルなんかを見れることがあるんですよね。それは大当たり、なんと、そのサイトにはスコアが最初から最後まで、完全に見られるようになっていたではありませんか。もちろん、前書きや校訂報告まできちんと読めますよ。そこには、2013年に出版されたばかりの原典版、ということまで書いてありました。校訂者は、もちろんCDにクレジットされている人と同じですから、これではその「修復」された部分もちゃんと見ることができるはずです。
 と、意気揚々とCDをかけながら、そのスコアの第2楽章の部分を読んでいきます。しばらくして、さっきの目印となる金管のフレーズが出てきました。「ここだ」と思っていると、なんと音楽はスコアとは全く違うものが始まりましたよ。そういうことなんですね。やっぱり売り物ですから、見せられるのは古い楽譜だけだったのでしょう。まあ、それが当たり前の話ですね。
 がっかりしながら、もう1度前書きを読んでみると、「このスコアでは、第2楽章を修復後のものと今までのものの2種類が続けて掲載されている」と書いてあるではないですか。もう1度「ページ」をめくっていくと、確かに、さっき見た第2楽章のあとに「第2a楽章」というのがありましたよ。なんだ、ちゃんとあったじゃないですか。もちろん、そこにはCD通りの音楽がありましたし、修復された部分では別の小節番号が付けられていて、今までのものとの違いがはっきり分かるようになっていました。それは、確かに私が音で聴いて探し出したところとおんなじところでしたよ。
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by jurassic_oyaji | 2015-06-24 22:01 | 禁断 | Comments(0)
la COUR/Works for Choir and Organ
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Bine Bryndorf(Org)
Søren Christian Vestergaard/
Trinitatis Kantori
DACAPO/8.224725




このジャケット、最初は何を描いたものか全然分かりませんでした。遠目にはなんだか青虫のようにも見えますが、近づくとどうやらこれは鳥の羽なのではないか、という気がしました。「翼」というタイトルの曲があるので、おそらく、そのあたりからのイメージをデザインしたものなのでしょう。
これは、1944年に生まれたデンマークの作曲家、ニルス・ラ・クールのオルガンと合唱のための作品を集めたアルバムです。彼の作品はオーケストラ曲からソロ・ピースまで多岐にわたっていますが、1988年にデンマークアマチュア合唱連盟から「今年の合唱作曲家」という賞を授与されているように、主に合唱曲の作曲家として知られています。
録音が行われたのはコペンハーゲンにあるトリニターティス教会です。ここにはバルコニーに設置されている大オルガンと、小さなクワイア・オルガンの2台を使い分けています。オルガンが合唱の伴奏をする曲ではクワイア・オルガン、オルガン・ソロの作品では、もちろん50以上のストップを持つ大オルガンが使われました。まずは、そのオルガン作品から聴いてみます。
ここでは、それぞれ20分から30分ほどかかる2つの大きな作品が演奏されています。1986年に作られた「オルガンのための3つの間奏曲」は、緩-急-緩という2つの楽章から出来ています。1曲目では、ほとんど無調とも思えるような不思議な音階によるコラールのような穏やかな部分と、まるで鳥の声のようなちょっと動きのある部分とが交互に出てきますが、それはご想像通りまさにメシアンのエピゴーネンです。次の楽章こそはヴィドール風の早いパッセージに支配されていますが、最後の楽章ではもろメシアンの和声が聴こえてくる中で、とても癒される美しいメロディが歌われます。
もう1つの作品は「オルガンのための晩祷」という、全部で9つの曲から成る大曲です。こちらは2003年に作られたもので、もはやメシアンの呪縛からは解き放されて、この作曲家本来のセンスがのびのびと表れているような気がします。それでも、ヴィドール風の部分はかなり残っているので、それは彼自身の個性の反映でもあるのでしょう。最初と最後の曲は、そんなヴィドールのテイストが満載ですが、曲全体の構成はとても巧みで、様々なキャラクターをもった曲が続くので退屈とは無縁です。例えば、6曲目のとてもシンプルなのにしっかり深淵が表現されている曲のすぐ後には、一転して明るさ満載のマーチ風の曲が来る、といった感じです。余談ですが、3曲目では「あ~る~晴れた、ひ~る~さがり」という「ドナドナ」によく似たメロディが聴こえますし、8曲目の「祈り」という穏やかな曲の中には、ダース・ベイダーのテーマが現れたりします。
合唱は、ほとんどのものが宗教曲で、それこそアマチュアの合唱団で歌うことを想定しているのでしょう、なんとも素直な作り方で、おそらく実際に歌っている時にはとても素敵な気持ちになれるようなものです。「偉大なる指導者来たれり」(2001/2006年)と「良き羊飼いはわが救い主」(2009年)は、それぞれ8小節と4小節のシンプルな伝承曲のようなものを何回も繰り返す(同じハーモニーで)というだけの親しみやすさです。
ただ、女声だけで歌われる「翼」(1978年)だけはこの中では唯一宗教曲ではありません。これはハーモニーもちょっと複雑で、作品としての主張がしっかり込められたものになっています。
オルガンも合唱も、演奏自体はとてもしっかりしたものなのですが、なぜか録音が全然冴えません。オルガンは、特にリード管などが入ってくると音が濁ってきますし、合唱は最初から最後まで混濁がなくなりません。これはコンダクターではなく、エンジニアのプレベン・イワンの責任、この教会の音響に問題があるのか、マイクのセッティングを誤ったのか、彼の今までの録音からは考えられないようなひどい音でした。

CD Artwork © Dacapo Records
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by jurassic_oyaji | 2015-06-23 23:29 | 合唱 | Comments(0)
アール・ヴィヴァン
 きのうの「おやぢ」で取り上げた新垣さんの本については、まだまだ書きたいことがありました。ざっと書いた「初稿」ですでに2300字にもなっていたので、一応基本と定めている「1500字台」からは大きくはみ出してしまいます。それからどんどん削って、あれだけにするのは大変でした。それだけ突っ込みどころが多かったということですね。ですから、その削った分を復活させてもう1本書いたらいいと思うでしょ?でも、私はそんな姑息なことはしません。使えなかったものは捨てるだけです。
 「おやぢ」のために書いた下書きでは、あの本の真ん中以降のところからしか扱っていません。そこに行く前にたくさんのネタがあったのですが、その部分に入ったら、やはりどんどん書くことが出てきたものですから、そこだけであんだけの字数になってしまいました。ですから、あのあたりに関する書き込みはあれでおしまい、ここでは、「その前」の部分での突っ込みです。
 年代的にはかなり離れているようなのですが、彼の学生時代などの話を読んでいると、なんか、私が経験していたこととかなり重なっているところがありました。まずびっくりしたのが「アール・ヴィヴァン」なんて名前が出てきたことです。知ってますか?今ではもうなくなってしまったはずですが、池袋の西武デパートの別館にあったお店です。そこは、「〇〇やさん」と一言で片づけることが出来ないほどの、いろいろなジャンルをカバーするものであふれていました。それらは主に、現代美術と、そして「現代音楽」に関するアイテムです。音楽に関しては書籍や楽譜、そしてレコード、中には楽器っぽいものもありましたね。そういうものが大好きな私にとっては、そこはまさに宝物だらけのお店でした。とは言っても、実際に買ったものはあまりなく、あくまでお店の中を見て回って、ひたすら「現代」の息吹に触れるという「場」だったのですね。
 そこは、そもそも、デパートの最上階にあった「西武美術館(のちにセゾン美術館)」との関連でオープンしたお店で、現代美術を主に扱っていたその美術館での展示に伴って、グッズなどを扱っていたのですね。もちろん、私は西武美術館にもたびたび足を運んでいましたよ。
 このころの「西武」の文化的な貢献は、ちょっとすごいものがありましたね。もう一つ、そんな現代芸術の先頭で機能していた「場」が、渋谷の「西武劇場」です。これも、今では「PARCO劇場」と名前が変わってしまいましたね。ここでは、やはり新垣さんも通ったという「ミュージック・トゥデイ」という現代音楽の連続コンサートが毎年開催されていました。これをプロデュースしていたのが武満徹。ここでは、彼が厳選した同時代の作曲家の作品が演奏されていたのですが、その作曲家たちは、それまでの「現代音楽」とは一味違うところから出てきた人が揃っていました。それは、あくまで西洋音楽の流れの中で複雑化して行ってその結果行き場を失ってしまった「現代音楽」には、ある種冷ややかな視線を注いでいる人たちですね。そこで出会った高橋悠治に、私は夢中になってしまったのですよ。
 その高橋悠治が中心になって作られた作曲家集団が「トランソニック」、そして、そこから同じタイトルの雑誌も発行されていました。これも、新垣さんの本には登場します。スティーヴ・ライヒという名前はその雑誌で初めて知りました。
 そんな感じで、私が東京まで電車で1時間もかからないで行けるところに住んでいた間に入り浸っていた「アール・ヴィヴァン」、「西武美術館」、「西武劇場」といった場所が、今の私の音楽的な嗜好の根っこになっています。もはや今では完全になくなったか、全くの別物になってしまったところですから、まだ元気に機能していたそれらの場所に出会えたのは、本当に幸せなことでした。そんな、懐かしい場所を新垣さんの本の中に見つけて、すこし思い出に浸っているところです。
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by jurassic_oyaji | 2015-06-22 23:11 | 禁断 | Comments(0)
音楽という<真実>
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新垣隆著
小学館刊
ISBN978-4-09-388421-1




もはやすっかり「タレント」と化した感のある新垣隆さんの初めての著作が上梓されました。もちろん、これは彼が自ら「執筆」したものではありません。ここで「取材・構成」というクレジットを与えられた人物が彼にインタビューしたものを、本の形にまとめたものです。そのような職業は、広義では「ゴーストライター」と呼ばれます。「ゴーストライター」として売り出した新垣さんが「ゴーストライター」を使っていたというのでは全然シャレになりませんが、このようにクレジットさえ出しておけば、それはもはや「ゴーストライター」ではないのだ、という、まるで安倍晋三のようなお粗末な詭弁が、出版業界でも通用しているのでしょう。
不幸なことに、おそらく今回の「ゴーストライター」氏は、きちんとした音楽の知識や経験が皆無だったのでしょう。その道のプロの新垣さんの話を正確に理解できないままに原稿に起こしてしまったようなところがかなり見られます。例えば、「ライジング・サン」を作るときに、「依頼主」から「200人のオーケストラで」と言われて面食らった話が出てきます。それは、音楽の現場では当然のリアクションで、せいぜい「100人」もいれば間違いなく「超大オーケストラ」になるのが、この世界の常識です。ですから、その「200人」というのはまさに「アマチュアの発想だ」と新垣さんは言い切っていたはずなのに、いざ実際にスタジオで新垣さんが指揮しているシーンになると、それが突然「200人のオーケストラ」になっているのですよ。これは明らかに現場を知らない「ゴーストライター」氏の勘違い。最悪ですね(それは「ワースト・ライター」)。
そんな体裁はともかく、ここで初めて当事者自身の口から語られた彼の仕事ぶりはやはりとても興味深いものでした。今まで報道されていたイメージでは、依頼主はかなり具体的なイメージを持って新垣さんに「発注」したような感じでしたが、実際にはもっと大雑把な、単に「こんな風にしてくれ」という参考音源を与えることが最大の伝達手段だったようですね。いみじくも、この中で「黒澤明がマーラーの『大地の歌』みたいに作れと武満徹に言った」と語っているのと同じようなパターンなわけです。ですから、依頼者は、実際の「作曲」に対しては何も関与していないということになりますね(コメントなどは逆に邪魔だったと)。
そして、あの、後に「HIROSHIMA」となる「交響曲第1番」を作った時の「本心」には、誰しもが驚いてしまうことでしょう。依頼主からその話があった時には、もしそんなことが実現してしまえば、間違いなく本当のことがバレてしまうと思った新垣さんは、誰も聴こうとは思わないほどのばかでかい作品を作ったのだそうです。ですから、そんな演奏されるはずのないものが実際に広島で演奏されてしまった時には焦ったことでしょうね。もちろん、新垣さんはその初演には立ち会ってはいないのですよ。ですから、以前こちらでその初演の時の指揮者の証言をご紹介しましたが、スコアに指揮者が手を入れた際に激怒したのは、依頼主だということになりますね。そして、新垣さんのスコアは、実は手を入れなければ演奏できないほどのお粗末なものだったということも分かります。
最後に彼がのうのうと「私が行ったことのいちばんの罪は何かと言えば、それは私がワーグナー的に機能する音楽を作ってしまったことでしょう。人々を陶酔させ、感覚を麻痺させるいわば音楽のもつ魔力をうかうかと使ってしまったわけです」と語っていることこそが、彼の最大の「罪」なのだとは思えませんか?彼の作った音楽にそんな力があると思うこと自体が、そもそもの彼の思い上がり。そのような人が、憧れている武満徹ほどの作曲家になれるわけがありません。なれてもせいぜい「HIROSHIMA」をさんざん持ち上げた三枝成彰あたりではないでしょうか。それではあまりに悲しすぎます。

Book Artwork © Shogakukan Inc.
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by jurassic_oyaji | 2015-06-21 18:58 | 書籍 | Comments(0)
FRANCE-ESPAGNE
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François-Xavier Roth/
Les Siècles
ACTES SUD/ASM 17




ロトとル・シエクルの最新アルバムは、フランスの作曲家によるスペイン音楽というものでした。この2つの国はお隣なのに民族性は全く異なっていて、当然音楽の趣味も別物です。そんな「異国情緒」を取り入れるのは19世紀末のフランスではある種の流行だったようですね。
いつもの通り、ロトたちのスタンスは演奏された当時の楽器を使用するというもの、もちろん弦楽器ではガット弦が使われています。ブックレットのメンバー表によると、その編成は12.10.8.7.5、これは、現在のオーケストラがこのような作品を演奏するときの編成よりかなり少なめです。
最初の曲は、マスネの「狂詩曲『スペイン』」です。この曲こそは、例えば16型の大編成の弦楽器による「スペクタクル」な録音が巷にあふれていますね。そういうものを聴きなれた耳にはどのように感じられるのでしょう。しかし予想に反して、その音は全く別の意味での「スペクタクル」なものでした。それは、ありがちな圧倒的なパワーで聴く者を興奮させるというものではなく、もっと細かいポイントでの魅力的な音が至る所から伝わってきて、その集積が結果的にとてつもないインパクトを与える、という、とても「賢い」やり方で迫ってくるものだったのです。
まずは、最初の弦楽器のピチカートだけで、すでにその音の虜になってしまいます。それは、まさにガット弦ならではの甘い音色と、温かい発音を持っていました。それがアルコになると、なんとも繊細なテクスチャーで耳元をくすぐります。金管楽器も、最も大切にしているのは音色であることを意識していることが明確に伝わってくる吹き方、こういうのであれば、このサイズの弦楽器でもマスクされてしまうことは決してありません。木管楽器も見事なアンサンブルで的確にアクセントを演出しています。もちろん、今では絶滅した「バソン」の鄙びた音も、ここでは健在です。そして、最も驚かされたのがハープの不思議な存在感です。楽器は初期のエラール、もちろんダブルアクションで、メカニック的には現在のものと変わりがありませんが、そのちょっと舌足らずな優雅さはこの頃の楽器にしか備わっていないものです。
そして、それぞれのパートに生き生きとしたスポットライトをあて、彼らが自発的に音楽を作る手助けをしているのが、指揮者のロトです。その結果、オーケストラ全体はロトの思い通りの方向に向かって動き出すのですから、これほど自然なものも有りません。かくして、スペインのエキゾティシズムとフランスのエスプリが融合した素晴らしい音楽が出来上がりました。
続く、シャブリエの「『ル・シッド』からのバレエ組曲」は、スペインが舞台のオペラから、グランド・オペラならではのバレエのシーンに演奏されるスペインの舞曲だけを集めたものです。名前だけは聞いたことがあってもなかなか聴く機会のない曲ですが、こんな風に情熱的に演奏されればいっぺんで好きになってしまいます。4曲目の「オーバード」冒頭のピッコロの軽やかなイントロは、まるで「スーダラ節」のように聴こえますし、6曲目の「マドレーヌ」のフルートとコール・アングレのソロの掛け合いは、心に染みます。
もう少し先のラヴェルやドビュッシーの時代になると、スペインとの関わり方は微妙に変わってきているようです。そんな中で、「道化師の朝の歌」の最初の喧騒が終わってバソンのソロのあとに広がる不思議なオーケストレーションの世界(弦楽器のハーモニクスの中をさまよう金属打楽器たち)では、またもやロトが作り上げたまるで夢のような極上のサウンドに打ちのめされることになります。ドビュッシーの「イベリア」の最後の曲で現れる鐘の音も、別の世界から聴こえてくるもののよう。
全てがコンサートのライブ録音で、それぞれ会場が異なっています。ただ、どの曲をどこで演奏したかというクレジットがないのは不親切。

CD Artwork © Actes Sud
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by jurassic_oyaji | 2015-06-20 20:33 | オーケストラ | Comments(0)