おやぢの部屋2
jurassic.exblog.jp
ブログトップ
<   2015年 08月 ( 31 )   > この月の画像一覧
秋葉原駅は迷路です
 おとといの「アンサンブル大会」の打ち上げで、松本まで「サイトウ・キネン」ではなく「セイジ・オザワ」を聴きに行ってきた話を聞いたせいではないのですが、きのうは私も東京方面に行ってきました。それにしても、その話をするときにだれも「セイジ・オザワ」なんて今年から新しく変わった名前を使ってはいませんでしたが、こんな生々しいタイトルが本当に浸透するのでしょうか。
 私の当初の目的は、「ジュラシック・ワールド」をIMAXで見ることでした。ご覧になった方はお分かりでしょうが、あの「ジュラシック・ワールド」の中でもちゃんと「IMAX」という看板が出ていましたからね。実は、それだけではなく「4D」というのもあるのだそうで、それだったら仙台でもやっているところがあるのですが、話を聞くと水をかぶったりするそうで、そこまで行くともう「映画」ではなくなってくるのでは、という気がしますからね。いや、この映画自体が、そもそも「映画」ではないと言ってしまえば、それまでのことですから、こういう新しいエンターテインメントを否定する気は毛頭ありません。
 それで、IMAXの場合は一番近いところが浦和ユナイテッド・シネマなので、まずは早起きして最初の回に間に合うように出かけます。まあ、ギリギリでしたが、そもそも本編の前にごちゃごちゃやっているので、そんなに焦る必要はなかったのですがね。これは、期待通りの面白さでした。ここで初めて見た「ゼロ・グラビティ」もそうでしたが、こういう現実離れしたシーンにはこの大画面はピッタリです。あとは、サウンドもさらに充実していましたね。大満足です。
 そこから今度は埼京線で渋谷に向かいます。これもやっと渋谷駅の複雑な仕組みが分かってきたので、迷まず文化村まで行けました。
 これがお目当ての「サティ展」のポスター、あちこちのブログで紹介されていたのですが、正直それほどのものとは思えなかったものが、実際に見てみると圧倒されましたね。特に、サティ直筆の「スポーツと気晴らし」の楽譜が、もうそれ自体がアートになっていて見入ってしまいましたよ。私は高橋悠治からサティに入ったという、ちょっとひねくれたリスナーだったので、正直このようなサティの側面にはそれほど興味はなかったのですが、次第に丸くなってきてこういうものが受け入れられるようになってきた、ということなのでしょうか。
 文化村を出て、また渋谷駅に戻ろうと向かい側に渡ったら、なんだか魚を焼くにおいがしてきました。そこにあったのが「ひものや」という干物ばっかりを食べさせるお店のようでした。ちょうど、前の日の打ち上げに食べたサバの塩焼きがいまいちだったので、もしや、リベンジが、と思って入ってみたら、入り口で炭火を使ってもうもうと煙を上げて干物を焼いているではありませんか。このにおいが外まで流れていたのですね。そこで食べたトロアジの干物がもう絶品でした。脂がのっていて程よい塩加減、焼き具合も理想的です。よく食べる「嘔吐屋」の同じ料理とは、まるで別物でしたよ。
 すっかり満足して、最後のミッション、秋葉原のヨドバシにヘッドフォンの試聴に行ってみます。しばらくぶりに行ったら(というか、駅の出口で迷ってしまいました)売り場はすっかり変わっていて、前にあったヘッドフォン試聴用のブースがなくなっていました。そこに自分の持って行ったCDをかけて試聴する、というところがあったんですがねえ。でも、お目当ての機種はちゃんと展示してあって、聴くことも出来ました。音は店で用意したものですが、同じメーカーのワンランク下の製品と比べるとはっきり分かるほどのものすごい解像度と音場感だったので、こちらも大満足、ここでは高いので買いませんが、いずれ私の愛機になる時が来るでしょう。
 帰ってからネットを見ると、この日は国会議事堂前ですごいことが起こっていたんですね。心ある日本人であれば、誰しもが参加して態度を表明すべきイベント、トロアジなんかに驚いている場合ではなかったのかも。
[PR]
by jurassic_oyaji | 2015-08-31 21:54 | 禁断 | Comments(0)
Mary's Song
c0039487_21063115.jpg



Pål Are Bakksjø/
Ensemble Ylajali
LAWO/LWM006(hybrid SACD)




だいぶ前にまとめて3枚買ってあったこのLAWOというレーベルのSACDの、最後の1枚にやっとアクセスすることが出来ました。もはや、そのあとに届いたたくさんのCDの山の中にあって、奇跡的に救い出せた、という感じでしょうか。おそらく、何か呼ばれるものがあったのでしょう、これは、聴かないでほっておいたら本当にもったいなかったな、と思わせられるような素晴らしいSACDでした。
このノルウェーのレーベルの名前の由来が、プロデューサーとエンジニアの名前だということで、てっきり前の2枚と同じスタッフだと思っていたら、ここには全く別人の名前がありました。プロデューサーは、「ノルディック・ヴォイセズ」のメンバーでもある作曲家のフランク・ハーヴロイ、そしてエンジニアはハンス・ペーテル・ロランジュという人だったのです。
このアルバムを聴いた時に最初に感じたのが、ものすごく「いい音」だということでした。そこで、このエンジニアの名前に目が行ったのですが、調べてみると、この方は以前同じノルウェーの、音に関しては裏切られたことのない「2L」というレーベルでエンジニアを務めていたのですね。こちらもやはりエンジニアの名前がレーベル名になっているということで、チーフのリンドベリの名前しか注目していませんでしたが、手元にあった2Lのアルバムには、確かにロランジュの名前がクレジットされたものがたくさんありました。その後独立したのですね。「のれん分け」ってやつでしょうか。
ここでの「音素材」は、2008年に出来たばかりという女声合唱団「アンサンブル・ユラヤリ」です。松田聖子は参加していません(それは「テュリュリラ」)。メンバーは全部で22人、その全員の写真が見開きでブックレットに載っていますが、みんなとってもいい声が出そうなふくよかな体型の人のようでした。実際に、その声はとても芯のある、よく響くものでしたし、なんといってもハーモニー感のセンスの抜群の良さに感服させられます。全体の音色がとても落ち着いたものであるのは、ソプラノ10人に対してアルトが12人という編成のせいなのかもしれません。すべてア・カペラで歌われる曲は、適度の残響を伴ってしっかりと潤いのある音に録音され、まさに芳醇な響きとなって聴こえてきます。
このアルバムでは「聖母マリア」をテーマにしたテキストの曲が歌われています。「O magnum mysterium」、「Magnificat」、「Salve Regina」、「Stabat Mater」そして「Ave Maria」といった聖書に基づく有名な歌詞と一緒に、昨年12月に99歳の天寿を全うしたノルウェーの重鎮作曲家、クヌート・ニューステットの英語の歌詞による「Mary’s Song」が収録されていて、それがアルバムタイトルになっています。リリースされた時点ではニューステットはまだご存命だったので、生年しか表記はされていません。
実はこの曲は、つい最近こちらの、それこそ2LのSACD(+BD-A)で聴いたばかりでした。同じ女声合唱と言っても、音色や曲の掘り下げ方にこれほどの違いがあるなんて、というのが、比較した時の感想です。
8つのトラックの半数を作っているのが、プロデューサーのハーヴロイです。まるでメシアンのようなハーモニーと旋法がベースにある、決してロマンティックに流れることのない硬質の作風ですが、何の抵抗もなく受け止められるのは、この合唱団の決して崩れることのない盤石のハーモニー感のせいでしょう。その間にノルウェー以外の作曲家、ハビエル・ブストー(スペイン)とラモーナ・ルーエンジェン(アメリカ)の作品が入ります。「Salve Regina」などはハーヴロイ、ブストー、ルーエンジェンのそれぞれのアプローチによる曲を聴き比べることが出来ますよ。シンプルなハーヴロイ、ひとひねりあるブストー、そして無調のテイストも取り入れたルーエンジェン、でしょうか。
現代の合唱作曲界の、豊かな実りのようなものが感じられるアルバムです。

SACD Artwork © LAWO Music
[PR]
by jurassic_oyaji | 2015-08-30 21:09 | 合唱 | Comments(0)
アンサンブル大会
 ニューフィルの団内行事として、「アンサンブル大会」というものをやってみよう、ということが今年の初めに提案されて、それから実行委員などを決めて準備を進めていたものが、ついに本番を迎えることになりました。もうだいぶ昔になりますが、年末に「忘年パーティー」という名前で、軽食をつまみながらアンサンブルを楽しむ、という行事がありましたが、今回のものはそういう飲食系はなし、普通に椅子を並べてきちんとしたコンサート形式で行おう、というのが準備委員会のコンセプトでした。
 一応、それぞれのアンサンブルの練習は各自にお任せ、ということですが、当日になってGPというか、一応演奏曲を2回丸ごと通せれるぐらいの時間が用意されているので、まずはそれに参加するためにお昼ごろに会場の交流ホールへ向かいます。ちょうど弦楽合奏のチームが終わったところで、これからお昼ご飯を食べに行くそうですが、中に入ってみると打楽器のチームがリハーサルを行っていました。てっきり、軽い曲をやるのだと思っていたら、本格的な現代曲のピースだったので、ちょっとたじろいでしまいます。
 そのうち、メンバーもそろったので、フルート四重奏のリハをやってみましたが、1回きっちりとやってあったはずなのにもうボロボロ、とても時間内には修正できないほどのヤバさだったので、場所を変えてきちんと練習することにしました。そのための会場が、地下にあるパフォーマンス広場なのですが、行ってみるとほかの人たちの音がうるさくて、とてもアンサンブルなんかできません。ほかのパートの音が全然聞こえないのですから、そもそも無理な話だったのですね。ですから、練習はあきらめて、あとは緊張して本番に臨む、ということにしました。
 そして、午後の1時半から、コンサートの本番が始まりました。いやあ、みんなきちんと練習していたんですね。もうアンサンブルは完璧、そのままどこかでコンサートが開けるぐらいの充実した音楽が続きます。正直、ほかのアンサンブルの演奏をほぼ2時間聴かされ続けたらさぞや退屈するだろうな、と思っていました。ところが、そんなことは全然なくて、もうその真摯な演奏には圧倒されっぱなしです。いつの間にか時間が過ぎて、退屈なんかしている暇はありませんよ。私たちの出番は最後から2番目ですから、こんなのを聴かされてしまうと落ち込みますね。やはり、もっと時間をかけてきっちり練習しておくのでした。
 そして、出番が来ました。
 リハで不安だったアンサンブル上の問題は、私の場合は難なくクリア出来ていましたし、慣れないアルト・フルートも、ほぼ満足のいく音が出ているようでした。まあ、かなりのミスはありましたが、流れを妨げるようなことはなく、まずまずの出来だったのではないでしょうか。やっぱりこうやって本番を重ねる、というのが、大切なことなのですね。
 打ち上げでは、この調子で来年も開催しよう、という前向きの話が進んでいたようですね。私のところにも、弦楽器奏者の方から「来年はモーツァルトのフルート四重奏曲をやりましょう」なんて話も持ちかけられて、ちょっと楽しみになっているところです。
[PR]
by jurassic_oyaji | 2015-08-29 21:51 | 禁断 | Comments(0)
BACH/Messe in h-Moll
c0039487_22462497.jpg






Ulrich Leisinger(ed)
CARUS/CV 31.232/07
ISMN M-007-14596-5(study score)




先日のCDでバッハの「ロ短調ミサ」の新しい楽譜の存在を知って、その場で出版社に直接注文したら、本来なら到着まで1ヶ月はかかるとされる一番安い(7ユーロ)シッピングの扱いなのにたった1週間で届いてしまいましたよ。国内で買うのより、1000円以上お得。
CDの時にこの楽譜の概要は書きましたが、資料として自筆稿のスコアとパート譜があって、それぞれの内容が同じではなかった時に、どちらを決定稿とみなすか、という、なかなか難しい判断を迫られる状況にあったわけですね。そういう時にはどうするか、という点でのせめぎあい、というか、出版社間の覇権争いのようなものを見る思いですね。でも、演奏家にとっては、実際に演奏するかどうかということとは別の、一つの貴重な資料が簡単に手に入るというメリットはあります。
そういう観点でこのCARUS版を見ていくと、最も違いの大きい「7a/Domine Deus」では、まず自筆パート譜にあるようにフルートの最初のフレーズにだけ、この「ロンバルディア・リズム」がきっちりと記譜されていました。

しかし、よく見ていくと、もっと先の27小節目にも、新バッハ全集では十六分音符の連続だったところがこのリズムに変わっている箇所がありました。上から2段目から4段目まで、第1ヴァイオリン、第2ヴァイオリン、ヴィオラのパートです。

ですから、一応弦楽器でもこのリズムでやってくれ、と念を押しているという意味が込められているのでしょう。ただ、その下のソプラノとテノールのソリストのパートでは、平坦なままなのがちょっとヘンですね。もちろん、CDではソリストたちも弦楽器と同じリズムで歌っています。
ヘンと言えば、実はここで校訂者は不思議なことをしています。確かにパート譜では第2ヴァイオリンとヴィオラはしっかりこのリズムに書かれていますが、第1ヴァイオリンは、自筆も、コピー(これは別の人の筆跡)も平坦なリズムなんですよね。

↑第1ヴァイオリン(自筆)

↑第1ヴァイオリン(コピー)

↑第2ヴァイオリン

↑ヴィオラ

それをこのリズムに勝手に直しているのですよ。なぜ、こんなすぐバレるような「改竄」を行ったのか、校訂者の意図は到底理解不能です。
もう1曲、「9a/Quoniam tu solus sanctus」でも、バスのソロのパートに、パート譜では改訂が加えられた部分が数多くありますが、そこにはスコア(=新バッハ全集)の譜面が「ossia」としてもう1段加えられています。
これらの改訂は、バッハがパート譜を作成した1733年に行われたものなのですが、もう1か所、それとはちょっと事情が異なる部分があることが、今回のスコアから分かりました。それは「4b/Et in terra pax」の、小節番号はその前の「4a/Gloria in excelsis Deo」からの続きで120小節目から始まるフレーズの「hominibus」の「mini」というテキストに付けられたリズムです。ここは有名なところで、かつての「旧バッハ全集(1857年)」では♪+♪だったものが、「新バッハ全集(初版は1954年)」では付点音符のリズムに変わっていました。それが、CARUS版ではまた元に戻っているのですね。

↑旧バッハ全集

↑新バッハ全集

↑CARUS版

これは、パート譜を作った時点では♪+♪だったものを、それ以降(おそらく、1748/49年?)にバッハがスコアに訂正を書き込んだことを示唆するものです。実際にスコアのファクシミリを見てみると、特にベースのパートでははっきり「後で書き込んだ」ように見えますね。

↑十六分音符のヒゲの向きが揃っていない

こういうことがあるので、この、「第1部 Missa」と呼ばれている「Kyrie」と「Gloria」の部分は、単純に「ドレスデンのパート譜は、スコアを改訂したもの」と言い切ることは出来なくなってしまいます。
この部分、有名なカール・リヒターの1961年のARCHIVの録音を聴きなおしてみたら♪+♪でした。ということは、リヒターはまだ旧バッハ全集を使っていたのでしょうね。1958年に録音されたERATOのフリッツ・ヴェルナー盤ではすでに新全集版が使われていたというのに(もう1ヵ所のチェックポイント、「Benedictus」のオブリガートも、リヒター盤はヴァイオリン、ヴェルナー盤はフルートでした)。ARCHIVというのは、今から考えるとそれほど「学究的」なレーベルではなかったのですね。

Score Artwork © Carus-Verlag
[PR]
by jurassic_oyaji | 2015-08-28 22:50 | 書籍 | Comments(0)
「ショスターコビチ」って、かわいくないですか?
 「モルダウ」のピッコロで、ベーレンライター版では今までの楽譜にはなかったような高い音を要求されている場所がある、ということは散々書いてきましたが、それを最初に末廣さんとの指揮者練習の時にやってみたら、なんだか出来そうな気がしてきました。それ以来、もうこの形でやるものだ、ということでひたすら練習をしていると、逆に低く吹く方がつまらなくなってしまうから、不思議です。常により「高い」ものを求めようという姿勢は、いくつになっても必要なものなのでしょう。
 普通の練習では「モルダウ」は2回に1回しかやらないので、この間の練習が、指揮者練習が終わってから初めて「モルダウ」つまり、旭ヶ丘ではオクターブ上げのピッコロが初めて音になる日でした。私としては、この間の名取のホールで出来たものが、会場が違ったら出来なくなった、というのではまずいので、どんなところでもベストの状態で吹けるようなコンディション作りに精を出します。最終的にイズミティで楽々吹けるようになるようなイメージを、常に持っていればうまく行くことでしょう。いや、本当はそこではなく、「レニングラード」の数々の大ソロをきちんと仕上げることの方が大切なのですが、それはおいおい。
 その練習の時に、ちょっとした異動の知らせが入った、ということは前に書きました。「ご苦労様」などと書いてしまっていたのが、今日になってその「異動」を取り下げる、という連絡が間接的にと、最終的には直接私のところに届きました。まあ、微妙な問題ですから、いろいろお考えになってのことだったのでしょうね。いざとなると、なかなか決心がつかないで、いざ決心したつもりになっていてもやっぱり踏み切れない、ということなのでしょうね。よく分かります。
 私などは、今やらなければいけないことを精いっぱいやるだけだ、というスタンスですから、広報関係の仕事に邁進です。企画書も出来上がってこの前送ったところですが、さっそく1社から反応があって、フリーペーパーに載せるゲラを送ってきました。案の定、演奏会の曲目を1曲だけ載せるという時に、先に書いてある方がメインだと思って「『モルダウ』などを演奏」などと書いてきたので、それを「『ショスタコーヴィチのレニングラード』に直してください」とお願いしておきました。そうしたら、「『ショスターコヴィチ』は表記のルールに則って『ショスターコビチ』となります」と言ってきました。いまどきこんな「ルール」を設けているところがあるんですね。「ベートーベン」、「ベルディ」の世界ですね。少なくとも、私のまわりの音楽関係の文書では、こんなルールがあったのでは仕事になりません。それよりも、「ショスタコビチ」の方を突っ込んだら、平謝りでしたね。なんか、「シスター小道」みたいでかわいいですけどね。
 それから、県内の遠くのホールにもチラシとポスターを送っていたのですが、そこに新たに「かくだ田園ホール」と「白石キューブ」を追加することにしました。「かくだ」の方は、かつての市民センターの跡地に最近出来たホールで、今年からニューフィルが参加している「角田第9」の会場になるので、これからも何かとお世話になりますから、お願いしようと思いました。「キューブ」の方は、まだ行ったことがないのでちょっとためらっていたのですが、こうなったらこのあたりをクリアしておこうということです。どちらのホールも客席は600程度なんですね。この近辺からも、ニューフィルの演奏会に足を運んでくれる人がいればいいですね。
[PR]
by jurassic_oyaji | 2015-08-27 21:38 | 禁断 | Comments(0)
Czerny/Music for Flute and Piano
c0039487_21404302.jpg



瀬尾和紀(Fl)
上野真(Pf)
NAXOS/8.573335




以前のモシェレスに続いて、瀬尾さんと上野さんというヴィルトゥオーゾたちが共演したフルートとピアノのための珍しいレパートリー、今回はカール・チェルニーの作品集です。
これは、もちろんあの有名なピアノの練習曲を作った方です。ただ、ちょっと気取った人だと「チェルニー」ではなく「ツェルニー」と発音しているのではないでしょうか。でも、なぜかWIKIには「チェコ語の名前なので『チェルニー』、ドイツ語でも『チェルニー』と発音」とありますね。たまにはここを信じてみてもいいですか?
小さなころからピアノ教師の父親からの指導を受け、神童ぶりを発揮していたチェルニーは、10歳の時にウィーンでベートーヴェンの弟子となります。ピアニストとしても活躍しましたが、後に演奏家としてよりは指導者、作曲家としての道を歩むようになり、多くの作品を出版することになります。あのフランツ・リストもチェルニーから指導を受けています。
現在では、ピアノ学習者のための多くの練習曲の他はほとんど知られていませんが、その作品は多岐にわたっていて、大規模な交響曲などもありますし、晩年には宗教曲も作っています。そんな中で、フルートのための作品も楽譜は簡単に入手出来て、リサイタルなどで取り上げるフルーティストも少なくはありませんが、録音されたものはあまりなく、今回のCDはそういう意味では非常に貴重なものとなるはずです。
おそらく、いまのところ他に手に入る録音が見当たらないのが、最初に演奏されている「ロッシーニとベッリーニのお気に入りのモティーフによる易しく華麗なロンド」という、Op.374としてまとめられた3曲の「ロンド」です。「易しいのに華麗」という不思議なタイトルは、楽譜を手にして演奏してみようとする人にとっては誘惑をそそられる言い方ですね。チェルニーはそんなコピーライター的な才能も持っていたのでしょうか。確かに、テーマそのものはシンプルですが、それを「華麗」に聴かせるためにはかなりのスキルが必要だと思えるような作品です。テーマは、当時は「ヒット曲」だったはずのロッシーニやベッリーニのオペラの中のナンバーから取られたもので、誰もが知っているメロディなのでしょうが、現代のわれわれにはちょっとそれが通用しない、というのが辛いところ、単なる職人技の成果としか聴こえないのが、残念です。余談ですが、この作品番号が、ブックレットと、インレイのシノプシスでは「Op.347」となっているのは、なぜでしょう?
次に演奏される「序奏、変奏と終曲 Op.80」は、その前の年に作られた、シューベルトの「しぼめる花による変奏曲」を初演したフルーティスト、フェルディナント・ボーグナーのために作られた曲なのだそうです。大規模な序奏を最初に持ってくるなど、完全にシューベルトを意識して作られたものです。シューベルトと違うのは、モシェレスと同じようにピアノの比重が高く、時にはフルートが全然参加していない変奏があったりすることです。
「協奏風小ロンド Op.149」というのも、テーマがとってもキャッチーなだけ、作曲家の個性というものが希薄に感じられてしまいますが、最後に演奏されている「協奏的二重奏曲 Op.129」になって、やっとこの作曲家の真の姿が分かってきます。4つの楽章から出来ていて、それぞれの性格がきっちりと立っていますし、長大な第1楽章の構成なども、とても見事です。第2楽章のかわいらしいテーマが、シューマンがその10年後に作る「子供の情景」の最初の曲とよく似ているのも、ちょっと微笑ましい感じです。
上野さんのピアノの華やかな存在感に、すっかり瀬尾さんのフルートの影が薄くなっているというのは、モシェレスの時と全く同じです。瀬尾さんは、細かいパッセージの音の粒立ちは驚異的ですが、歌い上げる場面でのかなりアバウトなピッチが、とても気になります。

CD Atework © Naxos Rights US, Inc.
[PR]
by jurassic_oyaji | 2015-08-26 21:43 | フルート | Comments(0)
サルスベリは無事満開になりました
 本当に、急に涼しくなりましたね。ちょっと前までのあの暑さはいったいどこへ行ってしまったのでしょう。今日のニューフィルの練習も、もう冷房は入れてなかったようですが、締め切ったところで合奏をやっていても、ぜんぜん暑くなりませんでしたね。
 そんな中で、職場のサルスベリはもはや季節外れと思われるような花を咲かせています。お盆になってもさっぱり花が咲かないのでちょっと心配していたのですが、ちょっと遅めですがしっかり満開になるまでを、定点観測の写真でご覧ください。

↑8月10日

↑8月13日

↑8月17日

↑8月20日

↑そして8月25日

↑同じものを、右側から撮ってみました
 まあ、少し高いところにありますし、平地の木より咲くのが遅かったのでしょう。まずは一安心です。
 今日の練習に行く前に、本屋さんによって雑誌を立ち読みしていたら、山下達郎が「SONGS」をリミックスした時のマスターテープの話をしているのが見つかりました。オリジナルの16チャンネルのマルチトラックのアナログテープがあったので、それからリミックスした、ということだったのですが、実際には、それがすでに16/44.1にトランスファーされていたマルチトラックのデジタル・テープをマスターにして、Protoolsに取り込むときにそれを24/48にオーバーサンプリング、そこからトラックダウンの作業を行った、というのですね。それを「ハイレゾ対応」と言っているのですから、ちょっとクラシックの場合と感覚が違うのが気になります。いや、ロックの音源でも、ビートルズあたりだと、確か最初にアナログのマスターテープから24/192のPCMにトランスファーしていたはずですから、基本的にクラシックもロックも同じような気がするのですが、達郎の場合はそれで満足しているというのが、ちょっと意外です。
[PR]
by jurassic_oyaji | 2015-08-26 00:07 | 禁断 | Comments(0)
BACH/Messe in h-Moll
c0039487_22200918.jpg



Carolyn Sampson(Sop), Anke Vondung(Alt)
Danidl Johannsen(Ten), Tobias Berndt(Bas)
Hans-Christoph Rademann/
Gächinger Kantorei Stuttgart
Freiburger Barockorchester
CARUS/83.315(CD, DVD)




バッハの「ロ短調ミサ」は、一応バッハの最晩年の1749年頃に完成したものですが、「Sanctus」は1724年のライプツィヒのクリスマス礼拝のために作られたとされていますし、「Kyrie」と「Gloria」は1733年にドレスデン選帝侯に即位したフリードリヒ・アウグスト2世に献呈するために作られました。残りの部分は1749年頃に新たに作られ、「Sanctus」はこの時期に少し手を加えて記譜し直されています。これらのスコアは全体としてのタイトルこそないものの、「1番」から「4番」までの通し番号を付けられてひとまとめにされていますから、バッハは最終的に今までの素材を集約してようやく「大きなミサ曲」に仕上げたことになります。
現在ではベルリン国立図書館に保存されているその自筆スコアには、後の息子のC.P.E.バッハなどの手による書き込みや訂正の跡がありますが、最近の精密な研究により、バッハの真筆のみを抽出することも可能になり、「新バッハ全集」の楽譜もウーヴェ・ヴォルフの校訂による新しいものが2009年に出版されています。
ただ、このスコアとは別に、「Kyrie」と「Gloria」が1733年にドレスデンで演奏された時のためにほとんどがバッハ自身の手によって作られたパート譜もドレスデンの図書館に保存されていました。ここでバッハは、スコアを少し改訂した形でパート譜を作っています。その改訂はスコアには反映させてはいなかったので、そこで2種類の楽譜が出来てしまったことになります。
もちろん、この「ドレスデン・パート譜」の存在は以前から知られていて、1983年にはファクシミリも出版されています。新しい「新バッハ全集」でも、例えば「7a」の「Domine Deus」では、その相違の一部が表記されています。しかし、今に至るまで、どんな楽譜も自筆稿のスコアを第1次資料として採用していたため、この「ドレスデン・パート譜」を元に校訂された印刷楽譜は出版されたことはありませんでした。しかし、今回CARUSが新しい「ロ短調」の楽譜を出版する際に校訂を担当したウルリヒ・ライジンガーは、初めてこの「ドレスデン・パート譜」を全面的に資料として採用しています。そして、その2014年に出版されたばかりの楽譜を使って、世界で初めて録音されたのが、このCDなのです。2枚組のCDの最後には、特に違いがはっきりしているさっきの「Domine Deus」と、バスのソロのあちこちでやはり異なっている「Quoniam tu solus Sanctus」の「通常版」による演奏がボーナス・トラックとして収録されています(さらに「Sanctus」の1724年バージョンまで)。
今回購入したのは、スタンダードなCDではなく、そこにオマケのDVDが一緒になった「特別版」です。このDVDには、指揮者のラーデマンが演奏に先立ってベルリンの図書館でウーヴェ・ヴォルフと一緒に自筆スコアの現物を眺めるシーンなどが入ったドキュメンタリーやライブ映像、そして、「ドレスデン・パート譜」をすべてPDFにしたデータが収録されています。
例えば、さっきの「Domine Deus」ではフルートのパート譜がこんな風になっていることが分かります。

新バッハ全集(ヴォルフ版)はこちら。

まだCARUS版のスコアが手元にないのではっきりしたことはわかりませんが、多分自筆パート譜と同じ装飾がそこでも印刷されているのでしょう。常識的には、これは曲の中の同じリズムの部分はすべてこの逆付点(ロンバルディア・リズム)で演奏しろ、という意味ですし、同じフレーズを演奏する他のパートにも適用されるということです。それの、一つの解釈としての演奏が、ここでは行われています。
ラーデマンはそのような、単なる新しい楽譜の「音サンプル」にとどまらない、とてもレベルの高い演奏を、リリンクから引き継いだゲヒンガー・カントライから引き出しています。日本人の佐藤俊介がコンサートマスターを務めるフライブルク・バロック・オーケストラも、とても澄み切った響きのアンサンブルでそれをサポートしています。

CD Artwork © Carus-Verlag
[PR]
by jurassic_oyaji | 2015-08-24 22:23 | 合唱 | Comments(0)
「光合成ボディ」は究極のエコカー
 車で走っていると、ラジオから自動車のCMが流れてきました。「『光合成』のボディーが自慢」とか言ってます。いやあ、もうそこまでのものが出来てしまいましたか。ボディにクロロフィルを入れておいて、二酸化炭素を吸い込ませ、酸素を吐き出すような車が、もう実用化されているんですね・・・と思ったら、それは「高剛性」でした。ただ丈夫なだけだったんですね。
 そんなツッコミを入れられるほどカーラジオを聴きまくったのは、久しぶりにチラシ配りで長距離ドライブをしたからです。そろそろ、配り残したところを回ろうかな、と思っていたタイミングで、その場所の一つで某〇台市民交響楽団の受賞記念コンサートがあるというので、それを見るついでにそこと、その周辺に行ってしまおうと思ったのです。

 半年ごとにこのあたりに来ることになるのですが、たったそのぐらいで思い切り景観が変わってしまっていてびっくりさせられます。地下鉄工事の関係で、今まであった「観光駐車場」がとても立派にリニューアルしていました。かつての舗装もしていないとてもみっともない駐車場は、やっと「観光地」として恥ずかしくないものになったようです。
 そして美術館では、地下の市民ギャラリーで宮城県の今年の「芸術選奨」の受賞者の作品展示が行われている中で、市民オーケストラとしてニューフィルに続いて受賞したさっきのオケのメンバーが、アンサンブルを披露していました。


 確か、ニューフィルが受賞したのが2010年ですから、5年ごとにアマオケがいただける、というサイクルなのでしょうか。でも、ニューフィルの頃には、まだこんな県民向けのパフォーマンスの場はありませんでしたね。
 ここまできたのなら、と、もう1か所残してあった愛子周辺に行ってみることにしました。澱橋を渡って旧国道48号線に向かうと、ここでもやはり新しい道路が開通していて、土橋通りとの交差点が直通になっていましたよ。
 そこから、まずは「田んぼアート」の様子を確認です。稲も育って、かなり立体的な模様が出来上がっていましたが、どうも今年のデザインはちょっと懲りすぎていてそのままではなんなのかよく分からないのが難点のようですね。相変わらず看板はジャマですし。
 そして、広瀬文化センターに着いたら、駐車場のあたりがなんだかすっきりしています。ここには何か建物があったはずなのに、どれがどういうものだったのかは全く思い出せません。半年前にはちゃんとあったはずなのに。
 仙台に戻ってきて、西道路から川下を見ると、新しい地下鉄の橋が見えました。こんなところにあったんですね。ということは、さっき通った大橋からも見えていたはずなのに、それもすっかり忘れていました。ほんの数時間前の景色ですら思い出せないのですから、半年前なんてとても無理です。
 でも、これで私の担当のチラシ配りはほぼ終了です。あとはちょっとクセのある、というか、行くたびに対応が変わっている某〇ディアテークを残すだけです。
 そこから、このところ日参しているMALL周辺に行った帰りに、ちょっと気になっていた「三代目宗次郎」に寄ってみました。「極上ロースカツ」という、私にとってはあの「櫻家」を思い起こさせるメニューがあったので、食べてみましたが、全くの期待はずれでした。肉は火が通りすぎてぱさぱさ、コロモもカチカチで、どこが「極上」だと詰め寄りたいほどでしたね。「お代わり」がバイキング形式になっているのがちょっとユニーク、コーヒーや白玉ぜんざいまでが食べ放題というのはちょっと惹かれますが、コーヒーは出がらしですし、白玉ぜんざいは同じバイキングでも「ひな野」には遠く及びません。もう二度と来ることはないでしょう。
[PR]
by jurassic_oyaji | 2015-08-23 22:22 | 禁断 | Comments(0)
XENAKIS/L'Œuvre pour piano
c0039487_20172873.jpg


Raquel Camarhina(Sop)
Matteo Cesari(Fl)
Stéphanos Thomopoulos(Pf)
TIMPANI/1C1232




クセナキスのピアノ・ソロのための作品は、それほど多くはありません。それを全部網羅したはずの高橋アキの2005年の録音では、2000年に出版された「6つのシャンソン」という若いころの習作までが含まれていましたね。今回、クセナキスに関しては信頼のできるTIMPANIレーベルから、やはりピアノ作品集がリリースされた時には、それよりもっと前の習作、というか、ほとんど学生の課題のようなものまでが取り上げられていました。
いちおうTIMPANIからのリリースとはなっていますが、よく見てみると録音されたのは2010年のことで、それはパリ高等音楽院のレーベルが担当していたようですね。そんなところから、もちろん出版なんかはされていない、自筆稿までも手にすることが出来たのでしょう。なんでも、それらはオネゲルやミヨーのクラスで学んでいる頃のもので、楽譜には「先生」による「赤ペン」が入っているのだそうです。全部で30曲ほどの楽譜が残っていて、ここではその中から3曲を選んで、「3つの出版されていない小品」というタイトルで演奏されています。
ここで、例によって日本語インフォの間違いさがしです。これには幸い「帯」はついていないので、それほど問題にはならないでしょうが、インフォの方ではこの「3つの出版されていない小品」というタイトルが抜けているのですね。さらに「A R.」というタイトルの曲の表記が「ア・ル」ですって。これは普通にアルファベを読めばいいだけの話ですから「ア・エル」でしょうね。駅前にありますね(それは「アエル」)。さらに、フルーティストのラストネームが「チェザリーニ」になっていますが、「Cesari」はどう読んでも「チェーザリ」あたりですよね。
なぜ、こんな間違いをしたのかは、すぐわかりました。インフォを書いた人は、NMLでの曲順や表記をそのまま何の疑いもなく使ってしまっていたのです。
まあ、演奏に今までにないようなきらめくものがあれば、そんな間違いは些細なこととして許されるのですが、クセナキスの大規模なピアノ作品としては最初のものとなる1961年の作品「ヘルマ」には、唖然としてしまいました。あんたはまじめにクセナキスと対決しようとしてるのか、と、作曲家と同郷のピアニスト、トモプーロスに本気で詰め寄りたい気持ちです。誤解を恐れずに言うと、この曲はもしかしたら「音楽」ではないのかもしれません。「音楽」に用いられている楽器は使われていますが、これはそんなちまちましたものを超えた「音によるアート」なのですよ。ここで求められているのは、人間業では不可能と思われていることへの挑戦です。まずは、「いかに速く弾くか」ということが、最大の課題となってくるのです。それが成功した時のカオスからは、それこそ「音楽を超えた」高揚感が与えられるはずです。
それを、トモプーロスは「音楽」にしてしまいました。もちろん、クセナキス自身は後に次第に「音楽的」な作品を作るようにはなりますが、この1961年という年代では、そんなことは全然ありませんでした。彼は、この21世紀の聴衆に迎合して、その「時代様式」の解釈を完全に誤ってしまったのです。それを端的に表しているのが、演奏時間です。高橋悠治は7分28秒、高橋アキでも7分43秒で演奏していたものに、彼はなんと9分15秒もかけているのですね。それによって、音はきちんとそれぞれの役割を果たしていることがとてもよく分かるようになりますが、そんなものは当時のクセナキスが求めていたものではありません。しかも、この時間というのは、高橋兄妹が演奏しているところまでの部分を比較したもの、このピアニストは、その最後のクラスターを、ペダルを踏み続けて音が完全に減衰するまで45秒間演奏を終わろうとはしません。そんなところで「Sgt. Pepper's Lonely Hearts Club Band」を気取ってどうするつもりなんだ、と、またもや詰め寄りたくなりましたよ。

CD Artwork © Timpani Records
[PR]
by jurassic_oyaji | 2015-08-22 20:20 | 現代音楽 | Comments(0)