おやぢの部屋2
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今年も「バッカス」と「ラミー」の季節が
 いつの間にか、朝晩は寒く感じられるようになってきましたね。なんでも、すでに炬燵のスイッチを入れているお宅があるのだとか。冬はもうそこまで来ています。ということで、今年も「冬季限定」のいつものやつが現れました。
 この定番の商品、毎年見ているパッケージですが、なんだかいつもと違うような気がしたので過去の「禁断」を調べてみたら、どうやら定期的にデザインが変わっているようですね。2012年の3月に撮った写真がありました。
 4シーズン前のパッケージですね。ネットを見てみるとさらにレイアウトがさらにちょっと変わっているのも見つかりますが、今シーズンのものはグラスが前面に出ているというあたりが、一つの見せ場なのでしょうか。
 こんなものは、別にデザインを変えなくても毎年待っている人がいるのですから確実に売れそうな気がしますが、やはり「新しい」ものであることを強調するために、こんなマイナー・チェンジを行っているのでしょう。
 そういえば、コカコーラのウーロン茶も、いつの間にかパッケージのデザインが変わっていたのですが、ご存知ですか?以前は煌(ファン)という名前を全面的に出した赤いパッケージだったものが、今ではただの「ウーロン茶」になって、茶色っぽいパッケージになっているのですよね。うちの自販機にと新しいケースを注文したら、そういうのが入ったのが届いたのですよ。でも、自販機用のダミーがなかったので、営業さんに連絡したら、「まだ出来てません」ですって。なんということでしょう。パッケージを変えるというのは、新商品を広く知ってもらうために行うことなのに、その「顔」ともいうべき自販機のダミーがまだ用意できていないなんて、全く売る気がないように思えてしまいませんか?
 私も、今新しい「かいほうげん」を鋭意制作中なのですが、こちらはそんな大々的なものではなくても、ほんの少しデザインを変えてみようと思っています。私の場合は、別に商売でやっているわけではないので、これはあくまで私の気まぐれによるモデルチェンジなんですけどね。大体、同じデザインで作る分には手間もかからないでとても楽ですから、ついそのフォーマットを使いまわすようになっているのですが、そればっかり続くと自分でもだんだん飽きてくるのですよね。そこで、一旦そのフォーマットを捨て去って、新しいものを導入してリセットしようと思うわけです。ですから、その変更はあくまで私が退屈しないで仕事を続けるための手段、惰性に流れることだけは避けたいと言いう気持ちの表れだと思ってください。実際、おそらくそれはさっきの「バッカス」みたいに、よくよく見ないと分からないような変更だと思いますよ。
 今回も、お願いしてあった原稿が全部集まって、きっちり16ページが埋まりました。ですから、週末の指揮者練習のタイミングで発行できるはずです。エキストラがたくさんいるので、少し余計に作っておかないと。このタイミングで発行するのには、もう一つのわけがあって、明日の木曜日には来年の秋の演奏会場が確定するかもしれないので、それが分かれば盛り込もうという皮算用があるのです。そこで決まればすんなりそのあとの作業に移れるのですが、もしそこで決まらずにほかの会場ということになると、もしかしたらかなりの修羅場が待っているかもしれません。何とか明日に決まってくれることを願うしかありません。
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by jurassic_oyaji | 2015-09-30 21:56 | 禁断 | Comments(0)
ZOFO Plays Terry Riley
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中越啓介(Pf)
Eva-Maria Zimmermann(Pf)
SONO LUMINUS/DSL-92189(CD, BD-A)




「惑星」で素晴らしい演奏を聴かせてくれたピアノ・デュオのチーム「ZOFO」の新しいアルバムです。ジャケットがUFOみたいですね。もちろんこのレーベルですから、普通のCDの他に2チャンネルとマルチチャンネルが収録されたBD-Aが入っています。2チャンネルの場合は24/192という最高のスペック、しかし、オリジナルの録音は24/352.8のDXDによる、7.1サラウンドです。
「惑星」での目の覚めるように爽快なテクニックの冴えが印象的だったチームが、今回はテリー・ライリーを取り上げた、というのに、まずかなりの違和感がありました。「ミニマル・ミュージックの始祖」として多くの人から崇められているライリーの音楽は、その代表作「in C」で見られるような、かなりの自由度を持ったおおらかなものだ、という印象は決して拭うことはできません。さらに、数少ないライリー体験の中でも、純正調に調律されたオルガンによる夜を徹しての即興演奏なども、彼のオリジナリティを象徴するものとして刷り込まれています。
しかし、ここで取り上げられている作品は、そのような「不確定」なものではなく、4手ピアノのためにしっかりとすべての音符が楽譜として「書かれて」いる音楽なのですよ。多くの「現代作曲家」と同じように、彼もついに「普通の」作曲家に成り下がってしまっていたのでしょうか。このデュオ・チームの日本人の方のメンバー中越さんが、「私が最初に体験したライリーの作品『in C』と、4手ピアノのための作品があまりにも違っていたので、本当に驚いた」と語っているぐらいですから、それは誰しもが感じていたことなのでしょう。
いつライリーがそのようなスタイルに「変わって」しまったのかはよく分かりませんが、このアルバムで演奏されているメインの作品が含まれる「The Heaven Ladder」という曲集の「第5巻」は、アメリカのピアニスト、サラ・カーヒルの委嘱によって作られました。最後に演奏されている「Cinco de Mayo(5月5日)」という曲に出会った彼らは、それを機会にライリー本人とコンタクトを取ることになり、ほかの曲も紹介してもらったということです。そのうちのいくつかは、ライリー自身が彼らのために「改訂」してくれたそうです。
そのような、オリジナルの「4手ピアノ」の他に、クロノス・クァルテットからの委嘱で作られた弦楽四重奏の編成だったものを、彼らが4手ピアノのために編曲したもの、さらには、彼ら自身が委嘱した作品なども、このアルバムには収録されています。
まるでピアソラのような、ほとんどできそこないのタンゴでしかない、かつてのライリーの面影などはどこにもない音楽の応酬の中に身を置くのは、なんとも居心地の悪い体験でした。例えば、同じ「The Heaven Ladder」シリーズでも、別のピアニスト、グローリア・チェンの委嘱で作られた「第7巻」に含まれる「Simone's Lullaby」などは、ほとんど「ラ・フォリア」と見まがうばかりの平易な変奏曲ですし、「G Song」というクロノスのための曲なども、まるでヒット・チューンのような感傷的な「歌」に過ぎません。ZOFOのために作られた「Praying Mantis Rag」に至っては、中国風の大道芸人でも出てきそうないとも軽快なラグタイム、良くこんな曲をまじめに演奏したものだ、と思わずにはいられません。
唯一の救いは、先ほどの「チンコ・デ・マイヨ」という、カタカナで書くとちょっとヒワイな曲です。基本、陽気なラテン音楽なのですが、真ん中の部分にかつてのライリーを思わせるような内部奏法を用いた静謐な部分を見つけることが出来ました。
録音は、いくらスペックがハイレゾでも、エンジニアの耳が悪ければどうしようもないという見本のようなもの、BD-Aでは差音でしょうか、ピアノの弦同士の干渉の結果出てくる音がとても耳障りです。あまりに解像度が高いので、聴こえなくてもいい音まで聴こえてしまうという悪例でしょう。CDの方が余計なものが聴こえない分、ストレスを感じません。

CD & BD-A Artwork © Sono Luminus, LLC.
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by jurassic_oyaji | 2015-09-29 22:53 | 現代音楽 | Comments(0)
ぶらんど~む一番町でフラッシュモブ
 もう私は疎遠になっていますが、この週末には合唱をやっている人にとってはかなり重要なイベントがありました。それは、秋田市で開催された合唱コンクールの東北大会です。県予選を勝ち抜いた団体が集まって、全国大会を目指すために競い合うという、「セミ・ファイナル」にあたるコンクールです。かつて私が入っていた合唱団も毎年この段階までは進んでいる「常連」です。ですから、いつもこの時期になると、今年こそはここで勝ち上がって全国へ行ってほしいとヤキモキすることになるのですね。そんなに気になるのなら一緒に歌えばよさそうなものですが、実際に何年かやってみてとてもニューフィルと掛け持ちするのは無理なほどのハードな世界であることが分かりましたから、今では遠くから声援を送るだけになっています。
 今年の結果が、やっときのうの夜になってネットに出てくるようになりました。その前に、実際に歌った人たちのFacebookでは、当然結果が分かっているはずの時間になっても特に喜ぶでもない淡々としたコメントが続いていたので、予想はしていたのですが、やはり全国大会に進むことはできませんでした。これが、その審査結果です。
 おそらく、これを見て不思議に思わない人はいないのではないでしょうか。よくあるように「金賞」、「銀賞」、「銅賞」みたいなランクがあリますが、その最高位が「金賞」なので、これを取れば全国へ進める、と思ってしまいます。ところが、合唱に限らずブラスなどでも、「金賞」は「ちゃんとした金賞」と、「ダメな金賞」に分けられるというのが、この世界の掟なのです。まずこれが不思議じゃないですか?そもそも、「金メダル」だったら一つしかないものを「金賞」が複数出るという時点で、なんか間違ってます。
 さらに、合唱に限っては、当事者であってもほとんど理解できない不思議の極まったことが行われています。この結果では、全国大会へは3つの団体が行くことになっていますが、それが上位の3つの団体ではなく、1位、3位、さらには、「金賞」ですらない「銀賞11位」などというところが全国に行くんですよ。
 なぜこんなバカなことが起こるのかには、理由があります。このカテゴリーは「大学職場一般部門室内・混声・同声合唱の部」というものですが、その名前からこれが単一のカテゴリーではなく、その中でさらに3つの「部」に分けられていることが分かります。つまり、「室内合唱」、「混声合唱」、「同声合唱」のそれぞれのトップが代表になる、という「暗黙の了解」があるのですよ。「小選挙区制」みたいなものですかね。それだったら、それぞれの「部」の中だけで順位を付ければいいと思うのですが、そうはいかないのでしょうかね。確かに「同声」なんかは2団体しかありませんから、そんなことをしたらヤバいのは分かりますが、でも本当はそれが筋じゃないでしょうか。つまり、この制度の元では、東北地方の「混声合唱」は1団体しか枠がないのですよ。そして、その1位の団体を超えることは、とてつもなく難しいのですね。何よりも、2位の団体が全国に行けないのに、11位の団体が全国なんて、誰が見てもふざけた話でしょ?これが「合唱コンクール」の実態です。
 まあそれはそれで、音楽にはいろんな楽しみ方があります。きのう街に行ったら、金管合奏の音が聴こえてきたので行ってみると、そのあとに今度は弦楽器のグループが出てきました。そこでMCを始めた人を見て、その正体が分かりました。これはH先生ですよね。
 さらに、プログラムを見てみると、なんと同じグループの「フラッシュモブ」の「予定」が載っていましたね。誰にも知らせずにやるから面白いもののはずですが、こんなおおっぴらに「お知らせ」していいものなのでしょうかね。
 そのあと、ネットでこの模様が流れていました。なかなか楽しそうでしたね。ニューフィルでもやりたいなぁ。実はそういうオファーが来たことがあったんですけど、おそらくその時と同じ人が仕掛けたのでしょう。
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by jurassic_oyaji | 2015-09-28 21:56 | 禁断 | Comments(0)
The Puccini Album
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Jonas Kaufmann(Ten)
Antonio Pappano/
Orchestra e Coro dell'Accademia Nationale
di Santa Cecilia
SONY/88875092492




カウフマンは、おそらく今のオペラ界では間違いなく最も成功したテノールなのではないでしょうか。何故に「成功」というかはさまざまなご意見があることでしょうが、まずはそのファンの多さです。なんせ、日本の音楽雑誌には「今月のヨナス・カウフマン」という連載が掲載されていたほどですからね。そして、そのような「心情的」な尺度ではなく、もっと納得できるものが、レパートリーの幅広さです。スタート時はモーツァルトあたりだったものが、見る見るうちにワーグナーまで歌うようになって、「ドイツ・オペラ」の新しい星、と思われていたものが、いつの間にかヴェルディやさらにはビゼー、マスネといったイタリアやフランス物でも成功を収めるようになってしまいました。
それだけではありません。あまりご存知ないかもしれませんが、デビュー・アルバムがR.シュトラウスの歌曲集だったように、彼はオペラだけではなくリートの世界でも大活躍しているのです。ヴェルディとワーグナーを同時に歌える人ではプラシド・ドミンゴがいましたが、彼がリートを歌うのは聴いたことがありません。カウフマンに望むのは、間違っても指揮者への道を歩もうなどとはせず、ずっとこの素晴らしい声を聴かせ続けてくれることに尽きます。
今回のニューアルバムは、2014年9月にローマでのセッションで録音されたもの、全曲プッチーニのオペラからのナンバーというとんでもないものでした。彼がデビューしたころには、こんな「オール・プッチーニ・アルバム」が出来上がるなどと予想した人などいたでしょうか。それも、プッチーニの12曲あるオペラの中から11曲が取り上げられているのですからね。唯一欠けている「修道女アンジェリカ」にしても、これが含まれる「三部作」の他の2つ、「外套」と「ジャンニ・スキッキ」はちゃんとあるのですから、こうなると「ほぼ全作」と言っても全然構いませんし。なんせ、「妖精ヴィッリ」とか「エドガール」といった、今まで耳にしたことのない初期の作品の一部が聴けるのですから、かなりマニアック。
もっとメジャーな「トスカ」のカヴァラドッシあたりは、かなり前からステージで歌っていたようですし、2013年にウィーン国立歌劇場ではそれほど有名ではない「西武の娘」のジョンソン、2014年にはロンドンのコヴェント・ガーデンで「マノン・レスコー」のデ・グリューで大評判をとったというほど、最近はプッチーニづいているようですね。「西部」と「マノン」は近々その時の映像もリリースされるようですし。
実は、今回のアルバムの中では、カウフマンだけではなく、ほかの歌手も参加してアンサンブルも披露されています。そこでソプラノのロールを担当しているのが、リトアニア出身のクリスティーネ・オポライスというおいしそうな名前の人(それは「オムライス」)なのですが、彼女とは数か月前のコヴェント・ガーデンで共演していたばかり。しかも、その時の「マノン」は本来歌うはずだったアンナ・ネトレプコのキャンセルによる代役でした。その時の指揮者、パッパーノとともに、めでたくアルバムの最初は「マノン」からの4曲で飾られています。
オポライスは他にも「ボエーム」のミミと、「トゥーランドット」のリューも歌っています。このCDで音を聴く限りでは、彼女の声は「マノン」よりこちらの方がより魅力的に思えます。
カウフマンも確かに魅力たっぷりのロドルフォやカラフを聴かせてくれていますが、彼の持ち味であるストレートで強靭な声は、プッチーニの音楽とはほんの少し融けあわないな、と感じられるのも確かです。いや、しかしこれはこれでいいんです。プッチーニで変な軟弱さに染まったりしてしまったら、彼はもうワーグナーなんか歌えなくなってしまうではありませんか。そんなことになったら、世の「ヘルデン・ファン」たちが黙ってはいませんよ。

CD Artwork © Sony Music Entertainment
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by jurassic_oyaji | 2015-09-27 20:45 | オペラ | Comments(0)
中学校の校歌は変拍子
 今日は中学校の同窓会総会でした。なんでも、毎年今頃行っているということで、別に私はこんなところに行くようなことはまずないのですが、今年はちょっと事情が違っていました。どうやら、この同窓会では、10年ごとに当番の年度が回ってくるという仕組みになっていて、そこに当たった学年の幹事は特に力を入れて同じ年の同級生を集めるようになっているのだそうです。ですから、普段は通知が行かないような人のところにも案内の通知が届くようになるのです。私のところにも、そんな、今までには来ることのなかった案内が届きました。まあ、いまさら行ってもろくに顔も覚えていないような人と一緒に飲むだけですから、全く行く気はなかったのですが、1本の電話がそんな気持ちを変えてしまいました。
 それは、2か月ほど前の夜なか、ちょっと酔っぱらったような声でしたが、名前を聞くとかなり親しかった中学時代の同級生であることは分かりました。今は埼玉県に住んでいる彼は、同窓会の案内をもらったので、ぜひ行くつもりだけれど、夕方に始まるその会の前のお昼ごろ、もう一人、やはり関東地方に住んでいる同級生と一緒に駅前のホテルで会いたい、というのです。確かに、どちらともかなり親しかったし、なんせ卒業以来はずっと年賀状のやり取りはあったものの実際に会ったことはありませんから、そんな誘いを受ければ行かないわけはいかず、場所と時間を確認して、会うことを約束しました。
 そのうちに、仙台の幹事から私に連絡があって、あてにしていた人がダウンしてしまったので、代わりにやってほしいことがある、というのです。聞いてみたら、単に参加者の名簿を印刷するための版づくり、そんなことでしたら1時間ぐらいで出来てしまいますから、引き受けると、資料をどっさり持ってきて、実際にはテーブルの割り振りとか一緒にやらされたりしましたが、別に普段の仕事に差し支えるほどのものではなく、簡単にできてしまいました。そんなこともあって、なんとなく同窓会への期待が高まったりします。
 ただ、私にはいくつか不安なことがありました。電話をかけてきた男は、確かに中学時代は仲良しだったので今でもその時の顔は覚えていますが、それから何十年も経って果たしてお互いに顔が分かるかどうかが不安でした。携帯の番号でも聞いておけば、と悔やみましたが、もはや手遅れです。それと、そもそもかなり酔っぱらっている様子でしたので、そんな電話をしたこと自体を忘れているのではないか、という気も、かなり強くしていたのですね。でも、とにかく約束の場所には行ってみようと、少し早目に現地に向かいます。
 そこは、ロビーが吹き抜けになっているので、まず2階から下のロビーを見渡してみますが、それらしい人はいないようです。そこで、下に降りていこうと階段へ向かうと、前の方から確かに昔見たことのある歩き方で近づいてくる人がいました。その人も私に気が付いたようで、お互いに名前を呼びあいます。すっかり変わっていましたが、確かにそこには中学生の時の面影があるIくんがいたのです。何の心配もいりませんでした。彼はきちんと約束通りやってきましたし、いくら外観が変わっても仲良しだった人はすぐ分かるものなんですね。
 電話ではもう一人と言っていたのが、さらに増えてあと2人、やはりそこで待っていました。片方はおでこから下は全く中学時代と同じ顔だったのでなんだかおかしくなったぐらい、もう一人は、私はすぐわかったのに、相手がちょっと気づくまでに時間がかかったという珍しいパターンでした。
 軽く食事をして、会場に行ったら、もうパニック状態。名札を付けていたのでかろうじて名前だけは思い出すことはできるのに、中学時代にはどういうやつだったのかはほとんど忘れている、という人たちが大量に現れました。確かに共通の話題では盛り上がるものの、そもそもお互いに相手のことをはっきり思い出していないという状態が続いたままなので、なんとももどかしい話が続いていたようです。
 でも、その時の音楽の先生がいたので、思い切って話に行ったら、しっかり私のことをおぼえていたようで、うれしくなりました。確か、その先生が作ったテストの問題で100点を取ったのは私だけだったはずです。
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by jurassic_oyaji | 2015-09-26 22:53 | 禁断 | Comments(0)
The Lost Paladise
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Arvo Pärt
Robert Wilson
Günter Atteln(Dir)
ACCENTUS MUSIC/ACC20321DVD(DVD)




アルヴォ・ペルトの生誕80年記念アイテムは、このところ怒涛のようにリリースされています。とは言っても、中には前回の「ヨハネ受難曲」のように単にそんな風潮に便乗しただけのお手軽な抱き合わせリイシューもありますが、今回の映像は正真正銘2015年に制作されたことが証明されていますのでご安心ください。
ここで描かれているのは、まさに「最新」のペルトの姿でした。メインとなるのは2015年5月12日に行われた新作「アダム受難曲」の上演の模様です。と言っても、厳密にはこれは新作ではなく、今まであった「アダムの嘆き」と「タブラ・ラサ」、そして「ミゼレーレ」という3つの旧作に、新たに序曲として「セクエンツィア」という、これはこのために作られたものを加えて一つの作品にしたものなのです。そして、それを「舞台上演」という形にしたところが、一つの注目点でしょう。つまり、演奏会場の客席の後ろでオーケストラと合唱団が演奏を行い、それに合わせて正面のステージでアクターやダンサーが動く、というものです。さらに、照明もかなり力が入っていて、そこでの「光」が音楽とシンクロするさまは、ペルトを聴く時の新しい形となるかもしれません。その会場は、エストニアのタリンにある「ノブレスナー・ファウンドリー」という場所で、かつてソ連時代に潜水艦工場だったところです。ペルトのオーガニックな音楽は、きちんとしたコンサートホールではなく、このような「廃物利用」の方が似合います。
この上演の模様は、このレーベルからやはりDVDやBDになって10月末にリリースされる予定ですから、ご覧になってみてください。そして、その上演のいわば「メイキング」として作られたのが、このドキュメンタリーです。こちらも同じく10月末にリリース予定なのですが、それに先立ってNHK-BSで放送されてしまいました。ですから、まるで代理店から早めにサンプルをいただいた、みたいなノリで見てみることにしましょう。ただ、BSはもちろんHDの画像なのですが、パッケージとしてはBDが販売される予定がなくDVDだけのようですので、ご注意ください。
この上演で演出を担当したロバート・ウィルソンが、ペルトとともにサブタイトルにクレジットされています。彼は、1980年代にペルトの音楽と出合い、その特別さに深く感銘を受けたと言います。制作発表の記者会見のシーンでは、いわば「宗教曲」であるこの作品の「宗教」をどのように舞台に反映させるのか、という質問に対して、「宗教は政治と同じく人と人を引き裂くものだから、それを舞台に持ち込むつもりは毛頭ない」と言い切っています。これは、おそらくペルトの作品に「宗教性」を求める人にとっては、ちょっと物足りないと感じるのかもしれません。しかし、この立場を全面的に支持しているのが、ここで合唱とオーケストラの指揮を担当しているトヌ・カリユステです。「彼はテキストではなく、音楽そのものを理解しようとしている」と。
ここでは、そのほかに多くの人たちがコメントを寄せていますが、カリユステとともにペルトの多くの作品に関与してきたポール・ヒリアーの場合は、カリユステとはちょっと異なるスタンスであることもはっきり分かるのが興味深いところです。というか、ヒリアーは本当の意味でペルトの音楽やその技法を理解しているのか、ちょっと疑問を持ってしまいました。
エストニアから、場面がいきなり東京に変わったのには驚きました。これは2014年に「高松宮殿下記念世界文化賞」受賞のために来日した時のショットでした。画面で見る東京の風景のなんと醜いことでしょう。それ以上に醜かったのは、授賞式でメダルを授与する人のなんとも尊大な態度。その仁王様のように大股を開いたいかにも「平民」を見下したような振る舞いも、しかし、ペルトは優しい心で許したのでしょう。そのまなざしは、次のとある神社でのシーンで幼稚園児と戯れる時のものと同じでした。

DVD Artwork © ACCENTUS Music GmbH
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by jurassic_oyaji | 2015-09-25 20:48 | 現代音楽 | Comments(0)
カウフマンのCDがトイレットペーパーになるところでした
 「シルバー・ウィーク」は終わりましたが、まだ「お彼岸」は続いているということに気づいている人は、どのぐらいいるのでしょうか。「中日」がきのうの23日でしたから、その前後3日間が「お彼岸」、だから、今年は26日の土曜日まではお彼岸なのですよ。
 もちろん、そのような年間行事を正しく把握している人は少なくはなく、昨日も今日もお墓参りの人の数は、決して多いとは言えませんがそれなりのものがありました。職場もまだ「お彼岸シフト」を解除してはいません。
 そんな、いわば「お祭り」の中でも、定期的なごみの収集は行われます。きのうは紙類の収集の日だったので、自販機用の飲み物のケースがこのところ山積みになっていましたからまとめて出すことにしました。ついでに、私のところに送られてきた宅配便などのケースだった段ボールも一緒に出すことにしましょう。CDとか書籍などは、昔はちゃんとした箱に入って送られてきましたが、最近では封筒のような薄っぺらな段ボールに挟まれているものが多いですね。回収日は月2回ですが、その間にはかなりの量がたまっています。自宅に送ってもらうより、職場の方が確実なのでいつもこちらを送り先にしてもらっています。CDなどはほぼ100%通販ですからね。机の上には前の日に届いたCD入りの段ボールもまだ開けられずに置いてありましたし。
 それらをまとめて紐で結わえると、かなりの大きさになりましたね。もう出している人もいたので、同じ場所に置いておきます。ひと仕事終わったので、きのう届いたCDを開けてみようと思ったのですが、さっきまであったはずの段ボールの包みがありません。もうお分かりでしょうが、回収用の段ボールと一緒にしてしまったのですね。さっき置いたところに行って調べたら、やはり中にまだ開封していない段ボールがありましたよ。気付いてよかったですね。もしこのまま持って行かれたら、どうなっていたのでしょう。おそらく、先方では紙以外のものが入っていないか調べるはずですから、その時に気づいて、連絡があるはずだ、とは思いますが、そんな保証もありませんしね。
 連休が終わるとともに、嵐騒動も終わったことでしょう。きのうごく一部分を生中継していたので見てみたら、ものすごいことをやっていたのですね。あれだけのことをその場で出来るわけはありませんから、当然現地でのリハーサルなどもあったはず。いったいいつごろから準備が始まっていたのでしょう。あと、気になるのはメンバーの宿泊先ですが、いろいろ噂が飛び交う中で「ウェスティン」ではなかったことが、さる筋からの情報で明らかになりました。ということは、やはり大本命のロイヤルパークホテルだったのでしょうかね。
 不思議なことに、40万人もの観客がいたというのに、私のまわりで実際に行ったという人には、だれも出会えていません。せいぜい4000人程度の山下達郎でも、何人かは知り合いが行っていたりするのですが。まあ、客層が違うと言ってしまえばそれまでなのでしょうが、せっかく宮城県で開催されたというのに、なんだかその地元の人たちはあまり行っていないのではないかという気がするのですが、どうでしょう。あるいは、当然行きたかったのに行けなかったとか。なんか、当初はそういう趣旨のイベントではなかったような気がするのですがね。
 そんなちょっと不思議な状況を弁護するかのように出現したのが、例の「経済効果」という忌まわしい言葉です。これさえ出しておけば、どんな不条理なことでも許せるのだと思っているのでしょうね。相葉くんたちは、そんなもののためではなく、純粋に被災地の人たちを励ますために宮城県にやってきたのだ、と、思いたいものです。仮にそれが真っ赤なウソだったとしても、信じることは大切です。
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by jurassic_oyaji | 2015-09-24 23:52 | Comments(0)
WAGHALTER/New World Suite
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Alexander Walker/
New Russia State Symphony Orchestra
NAXOS/8.573338




ドヴォルジャークがアメリカに渡って「新世界交響曲」を作ったのは1893年でしたが、それから半世紀近く経って、やはりヨーロッパからアメリカに渡った作曲家が今度は「新世界組曲」を作ったなんて話は、誰も知らないでしょうね。
その作曲家の名前は、イグナーツ・ワーグハルター、1881年にポーランドに生まれたユダヤ人です。このレーベルからは2枚目の作品集となります。今回の収録曲はそのほかに、オペラ「マンドラゴラ」からの序曲と間奏曲、そして、「マサリクのための平和行進曲」です。
彼は生きた時代と出自のために、紆余曲折の多い生涯を送ります。若いころから作曲家として認められ、さらに彼は指揮者としても、2つの歌劇場で修行の後、1912年にベルリンに新しくオープンした、後に「ベルリン・ドイツ・オペラ」となるオペラハウスの初代音楽監督となります。
すでにオペラも作曲していたワーグハルターは、1914年に彼のオペラハウスで2作目のオペラ「マンドラゴラ」を上演しました。これは一大イヴェントだったようで、客席には当時の名だたるオペラ作曲家、R.シュトラウス、ブゾーニ、フンパーディンクなどが座っていたそうです。
ここで聴ける「序曲」も「間奏曲」もとても素敵なメロディに彩られています。例えば「名曲アルバム」のような形で紹介されれば、絶対にみんなに「うける」こと間違いなしの曲です。
しかし、第一次大戦後に台頭してきたドイツの国家主義は、彼にとっては不利なものでした。1923年の「サタニエル」という民族的なプロットとテーマが用いられたオペラは、批評家からはさんざんに叩かれます。オペラハウスの破産もあって、彼は乞われてアメリカに渡り、ニューヨーク交響楽団(1928年にもう一つのニューヨークのオーケストラに吸収され「ニューヨーク・フィル」となる)の音楽監督となるのです。しかし、彼は1シーズン務めたところで故郷が恋しくなり、ベルリンに戻ります。
ヨーロッパにもどったワーグハルターは、また作曲や指揮活動に専念しますが、いよいよナチズムによる追求が厳しくなると、再度アメリカに渡る決心をします。その途中に寄ったチェコスロヴァキアで、1918年から1935年まで大統領を務めたトマーシュ・マサリクの退職を祝う曲を委嘱されます。それが「マサリクのための平和行進曲」です。とても格調が高く、隙のない構成には惹かれます。ここで彼は、自筆稿に、反ナチスの姿勢を持つマサリクに向けて「ゲットーを出て自由へ」という献辞を添えています。
1937年に再度ニューヨークにやってきたワーグハルターは、前回とは全く異なるサイドでの活動を始めます。それは、一流オーケストラには決して雇ってもらえない黒人の演奏家のために「アメリカン・二グロ・オーケストラ」を結成することでした。そして、そのために作ろうとしたのが、お待たせしました、「新世界組曲」です。彼は、前回の渡米の折に、アーヴィング・バーリンやジェローム・カーンそしておそらくジョージ・ガーシュウィンと知己になっています。そこで得られた「アメリカ音楽」のエキスを、この「組曲」に込めたのです。このオーケストラの結成と、ガーシュウィンが数年前に作った「黒人だけのオペラ」とは、無関係ではないはずです。
10曲から成るこの「組曲」は、それぞれに魅力が満載です。そして、アメリカっぽいと思われるのは、ラグタイム風のリズムと、フォスター風のメロディです。3曲目の「賛歌と変奏」の途中で出てくるテーマが、そんな、確かにどこかで聴いたことのあるキャッチーなものだと思ったら、それは「マルちゃん正麺」のCMでした。
この「組曲」は結局全曲が演奏されることはなく、オーケストラも解散してしまいます。200ページに及ぶ自筆稿は封筒に入って誰にも知られずにいたものが、2013年に発見され、ここにめでたく世界初録音となりました。もちろん、他の曲もすべて初録音です。

CD Artwork © Naxos Rights US, Inc.
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by jurassic_oyaji | 2015-09-23 20:45 | オーケストラ | Comments(0)
ブログに、当の著者や演奏家からコメントが来ると、びっくりします
 もう何年も前から、私のHPを毎日更新している、という作業を続けています。とは言っても実際に更新を行っているのは「おやぢの部屋」と「禁断あばんちゅうる」だけなんですけどね。「おやぢ」に関しては、ある程度のクオリティを保とうと日夜努力、別に私の書いたことで誰かがCDを買いたくなるなどということは全く期待しないで、もっと現実的な価値(あるいは瑕疵)をそれぞれのアイテムに見出そうというスタンスで書いています。「禁断」の方は以前は「日記」と言っていたもので、内容は全く決めていないのですが、そちらの方が意外と難しいことに最近気づいて、この頃では「禁断」の方が「おやぢ」より書くのに時間がかかるようになってしまいました。
 そして、それをそのままブログやFacebookにコピーしていますから、何かあれば読んだ人の感想などが直接届くようになっています。もっとも、Facebookはともかく、ブログのコメントはあまり書き込んでくれる人はいないので、本当にたまにしか見ることはできません。それも最近では誹謗中傷すれすれの愚かしいコメントばかりなので、即、削除していますから、本当に読んでうれしいコメントなどはめったにあることではありません。
 そんな、非常に珍しいコメントが、久しぶりに寄せられました。だいぶ前に「レクイエムの歴史」という本を取り上げた時のレビューに寄せられたコメントです。そのコメント自身は書き込んだ人と、ログインできる人にしか読めないようにロックされているので、ほかの人が読むことはできません。そして重要なのは、書き込んだ人がこの本の著者の井上太郎氏の娘さんだ、ということです。内容を要約すれば、素晴らしい批評だし、父(太郎氏)に見せたら非常に感激していた、というものです。いやあ、著者自らに喜んでいただけるなんて、これ以上嬉しいことはありません。
 元々、何の見返りも期待しないでやっていることですが、たまにこんなことがあるとまだ続けようという気になってしまいますね。単純なものです。ただ、コメントの中で「父は入院生活を送っている」とあったのがちょっと気になります。そこで、氏の経歴を改めて調べてみたら、お生まれが1925年だというのですから、もう90歳になっておられるのですね。それで入院中というのは、本当に心配です。コメントには返事がもらえたら、ということだったので、一応お礼を書いて送りましたが、入院の詳細を聞くのはいかにもぶしつけなのでやめておきました。その代り「長生きしてください」などと見当はずれのことを書いてしまいましたね。
 ですから、このブログの中で、「文庫化した時に最新のものも加筆してほしかった」と書いていたことは、かなり無理なことだったのですね。そのことだけはぜひ伝えてほしいと、お願いをしておきましたよ。でも、これだけ持ち上げられると、井上氏が「加筆」できなかったものを聴いて、それに的確なコメントを与えるのは私の役目なのではないか、などという大それた思いも湧いてきます。いや、私の中では、そこまでのものではなくても、新しくできた「レクイエム」に関しては、書く書かないにかかわらず全部手聴いてみようという気持ちは、だいぶ前からあったような気がします。まだまだやることはたくさん残っています。
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by jurassic_oyaji | 2015-09-22 21:17 | 禁断 | Comments(0)
Lockrufe
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Meininger-Trio
Christiane Meininger(Fl)
Miloš Mlejnik(Vc)
Rainer Gepp(Pf)
Roger Coldberg(Bass/guest)
PROFIL/PH15020




「マイニンガー・トリオ」のコンサートは、いつも満員だぁ。いや、そんなことは分かりませんが、「マイニンガー」と聞いてイメージしたのは、「シュワルツェネッガー」みたいな屈強な男の姿でした。でも、パーソネルを見てみるとそのマイニンガーさんはクリスティアーネ・マイニンガーという女性でした。ジャケット裏の写真見ると、屈強な男は残りの二人、ピアノのライナー・ゲップとチェロのミロシュ・ムレイニクでした。この、いかにも若作りのマイニンガーおばはんは、日本の着物の「帯」をワンピースに巻いているようですね。ただ、ドイツ人はともかく我々日本人は帯締めが「縦結び」になっている時点でもうこの人のファッション・センスを疑ってしまうことでしょう。なんたって、これは死装束の結び方ですからね

それはともかく、このおばはんを中心にしたトリオは、活発に同時代の作曲家に作品を依頼してそれを演奏しているのだそうです。今回のCDには全く名前を聞いたことのない6人の作曲家が、それぞれ1曲ずつ曲を提供しています。もちろんすべてが世界初録音です。
この中での最年長、1943年生まれのライナー・リシュカの作品のタイトルが、アルバムタイトルにもなっている「Lockrufe」です。鳥が求愛のために叫ぶ鳴き声のことだそうですが、特にメシアンのように鳥の声を認識させられるようなモティーフが現れるわけではありません。もっと内面的な意味での「求愛」を音で表現した、というところでしょうか。冒頭ではフルートだけで、まるで尺八のような音色の演奏が聴こえてきます。そんな瞑想的な作品なのかと思いきや、いつの間にかピアノやチェロによってなんだか「ジャズ」っぽいビートが流れてくるようになると、それはまさに「ジャズもどき」の音楽に変貌します。「もどき」というのは、マイニンガーのフルートがとてもどんくさくて(ブレスに時間を取っている間に、どんどんリズムから乗り遅れていきます)、いくらなんでもこれを「ジャズ」と呼ぶのはためらわれるからです。「ジャズの要素もほんの少し加味された現代の作品」、という感じでしょうか。4つの「楽章」から出来ていますが、「Langsam」とか「Luhig」といったドイツ語表記が、まるでブルックナーみたいで笑えます。そのくせ、終楽章は「Samba feel」と言ってる割りには、全然「サンバ」っぽくないのも粋ですね。
1994年生まれのライナー・エブル・サカルの「Wind Touch」という作品は、なんでも2015年のアンカラでの作曲コンクール(それが、どの程度のレベルのものかは分かりません)で1位を取ったのだそうです。この録音は2013年に行われたものですから、受賞したのはその後のことになります。タイトルの爽やかさとはうらはらに、ダークなテイストに支配された曲です。
1986年生まれのメフメト・エルハン・タンマンの「Water Waves」という、まるで武満徹みたいなタイトルの作品は、基本ミニマル、その中にドビュッシー風のスローなパーツが挿入されています。
1963年生まれのジョエル・クーリーの「Arabian Fantasy in Blue」は、タイトルに逆らわない、アラビア風の「ブルース」。
1955年生まれのケイト・ウェアリングの「Lotus」は、その名の通り、「真っ白なハス」、「ハスの夢」、「ハスの心」という2つの楽章から出来ていますが、細川俊夫ほどのエロさはなく、やはりミニマルっぽいテーマの繰り返しや、リズム・パターンがはっきりしている今風の作品です。
そして、1977年生まれのブラシュ・プツィハルの「Full Moon Trio」は、もろ中国風の音階が使われたリリックな作品です。チェロが奏でるとても美しいメロディをフルートが奏でると、なぜかとても下品なものに変わるといったように、このフルーティストの音楽的なセンスは、ちょっと別の方向を向いているような気がしてなりません。写真の帯締めが気にならない人であれば、もしかしたらこれは楽しんで聴けるものなのかもしれません。

CD Artwork © Profil Medien GmbH
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by jurassic_oyaji | 2015-09-21 21:14 | フルート | Comments(0)