おやぢの部屋2
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入浴剤は嫌いです
 うちのお風呂が危機を迎えました。熱いお湯に入ることが出来なくなったんですよ。お湯が熱くないお風呂なんて、フルートのいないオーケストラみたいなものじゃないですか(ちょっと違う?)
 我が家のお風呂は、入居以来使っていますからもう20年以上も経っています。もちろん、今のような「追い炊き」なんかは出来ない、ただガスで沸かしたお湯を浴槽に入れるだけという、シンプルなものです。そこで、湯沸かし器で沸かした高温のお湯に、適量の水をミックスしてちょうど良い温度にして入るわけですね。湯沸かし器では、温度設定に従って中を通る水の量が変わります。水温が低い冬場だと、水の量を減らして加熱しなければ、設定温度までには上がらないような仕組みになっているのだそうです。ですから、お風呂の水栓も、全開にすると暖かい時にはたくさん出てきますが、寒くなると水量が少なくなってきます。お湯をためるのに時間がかかるようになるのですね。
 それが、今年の秋口になっても、一向に水量は減りません。それでどんどん水温だけが下がってしまいます。とうとう、もうこれ以上温度が低いと、とてもお風呂としての体をなさないというところまで下がってしまったのですよ。そうなると、こういう構造のお風呂ではもうどうしようもありません。ただ、なぜか、同じ湯沸かし器から配管されている台所や洗面所では、全然変わらずに熱いお湯が出ています。それが不思議です。
 こうなったら、まずは湯沸かし器を疑わなければいけません。それで、メーカーのサービス窓口に電話をして事情を話すと、「お風呂だけ水温が低いのでしたら、当社ではなく、浴槽のメーカーさんのせいですね」と言い切られてしまいました。たしかに、他のところでは異常がないのですから、それは正論なのでしょう。
 そこで、浴槽のメーカーに連絡です。そうしたら、まず「水栓の型番を教えてください」と言うのです。見に行っても、そんなものはどこにも書いてありません。しかも、「そのような事例は、お宅様のような水栓の場合には、聞いたことがありません」とまで言われてしまいましたよ。それでも、出張料の無駄になるかもしれないけれど、とりあえず現物を見てもらおうということで、話を付けました。
 ネットで調べると、結構そんな「事例」はあるようでした。水栓で水が逆流してお湯と混ざってしまうことがあるそうなんですね。そういうことだったら、これさえ交換すれば元通りに直るじゃないですか。まずは一安心。ところが、しばらくしてやってきた修理担当の人は、現物を見るなり首をかしげています。これは、温水と冷水の配管が完全に分かれているタイプなので、逆流することはあり得ないというのですね。とりあえず、もっと詳しいことを現場の人に聞いてみます、とか言ってすごすごと帰っていきました。
 さあ困りました。そうなると、問題があるのは壁の中の配管ということになりますが、そんなことになったら大変です。そういうものは共有部分ですから、マンションの管理組合に話をしなければいけないことになります。でも、そもそもそんなところで異常が起きるわけはありません。メーターを見ても水漏れがしているわけではないことは分かりますし。
 しかし、安心してください。今ではちゃんと熱いお湯が出るようになっています。もしや、と思って、全開にしていたお湯の栓を、いつも熱いお湯が出ているときぐらいの量しか出ない程度にまで絞ってみたのです。そうしたら、見事に熱いお湯が出てきたではありませんか。今まではそんなことをしなくても全開で量が少なくなっていたのですから、もしかしたら湯沸かし器の能力が落ちているとか、確かにどこかは前と違ってはいるのでしょう。でも、とりあえずはちゃんと熱いお湯に浸かれるようになりました。これで、今年の冬は越せるはずです。
 そういえば、明日からはもう12月ですね。一番町の「芭蕉の辻」のアーケードも出来たようですし、ここに大きなツリーでも飾られるのでしょうか。いや、「アーケード」というので、もっと先まで屋根が付くのかと思ったら、出来たのはこの交差点だけだったんですね。

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by jurassic_oyaji | 2015-11-30 21:22 | 禁断 | Comments(0)
20th Century Harpsichord Music
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Christopher D. Lewis(Cem)
NAXOS/8.573364




こちらで、20世紀のチェンバロのための協奏曲を演奏していた、ウェールズで生まれアメリカで活躍しているチェンバロ奏者のクリストファー・D・ルイスの、NAXOSへの2枚目のアルバムです。前回はオーケストラをバックにした演奏でしたが今回は彼だけによるソロ、さらに、大きく異なるのは使っている楽器です。前回の楽器は「ヒストリカル・チェンバロ」と呼ばれている、現在世界中でほぼ100%使われているバロック時代の楽器を復元したタイプのものでしたが、今回は「モダン・チェンバロ」が使われています。このアルバムに登場するプーランクやフランセが「チェンバロ」のための曲を作った時にはこの世には「モダン・チェンバロ」しかありませんでしたから、それは当たり前のことなのですが、今ではこの楽器自体が非常に貴重なものになっています。
ここでルイスが使っているのは、そんな「モダン・チェンバロ」の代表とも言える、プレイエルのランドフスカ・モデルです。おそらく、このジャケットの写真と同じものなのでしょう、2弾鍵盤ですがストップは16フィート、8フィート×2、4フィートという4種類、さらに、音色を変える「リュートストップ」やカプラーなども加わっているので、それを操作するには、足元にある7つのペダルが必要です。このペダルの中には、ピアノの右ペダルと同じ「ダンパー・ペダル」も含まれています。なんせ、ピアノに負けない音をチェンバロで出そうとして開発された楽器ですから、ダンパーがないと音を切ることが出来ないほどの大きな音が出るのですね。
そんな楽器の音を、まずプーランクの「フランス組曲」で味わっていただきましょう。オリジナルはブラスバンドにチェンバロという編成ですが、それをチェンバロだけで演奏しています。バロック時代の宮廷舞曲をモデルにした7つの曲から成っていますが、ここでのストップの切り替えによる音色やテクスチャーの変化には驚かされます。そこに、朗々と響き渡る残響が加わるのですから、これはまさに「ピアノを超えた」新しい楽器という印象を与えるには十分なものがあります。
次の、これが世界初録音となるフランセの「クラヴサンのための2つの小品」になると、その音色に対するチャレンジには更なる驚きが待っています。1曲目の「Grave」という指示のある曲は、まるで葬送行進曲のような重々しい歩みで進んでいきますが、もっぱら使われるのが16フィートのストップを駆使した超低音です。それも、ヒストリカルでは絶対に出すことのできない分厚い音ですから、その「ビョン・ビョン」というお腹に響くビートは、例えば最近のダンスミュージックにも通じるものを感じさせます。クラヴサンによるクラブサウンドですね。
チェコの作曲家マルティヌーの作品も、ここには3曲収められています。その中で最も初期に作られた「クラヴサンのための2つの小品」では、やはり「モダン・チェンバロ」ならではの鋭い打鍵を駆使した音楽が聴かれます。
もう一人、「6人組」のメンバーの中では最も知名度の低いルイ・デュレが、様々な2つの楽器のために作った「10のインヴェンション」をピアノソロに編曲したものをが、チェンバロで演奏されています。タイトル通りのバッハを意識したポリフォニックな2声の曲ですが、中には半音階を駆使した無調を思わせるようなものも有り、それが妙にこの楽器とマッチしています。
かつて、「モダン・チェンバロ」が「ヒストリカル・チェンバロ」の代わりを務めることが出来なかったように、「ヒストリカル」では「モダン」のために作られた曲を演奏することはできません。これは全く別の楽器として共存すべきものなのに、今では「モダン」はすっかり衰退してしまい、絶滅の一歩手前です。こんなCDを聴くにつけ、このまま博物館の中でしか見られない楽器になってしまうのは、あまりにもったいないような気がします。

CD Artwork © Naxos Rights US, Inc.
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by jurassic_oyaji | 2015-11-29 19:58 | ピアノ | Comments(0)
そもそもイズミティは音楽ホールではありません
 久しぶりに、仙台で外国のオーケストラを聴きました。ゲルギエフ指揮のミュンヘン・フィル、ご存じのように、ゲルギエフはつい最近ロンドン交響楽団の首席指揮者から、このオーケストラの首席指揮者へと「転職」したばかり、この日本ツアーはそのお披露目ということになるのでしょう。そんなビッグな組み合わせのオーケストラが仙台に来るのは久しぶりだということと、さらに、ピアノ協奏曲のソリストとしてあの辻井くんが出演するということが重なり、チケットの入手は極めて難しいと思われていました。ですから、わざわざ先行発売の時に焦って電話をかけて席をとることは出来たのですが、それは前から3列目というとんでもない席でした。それでも24,000円のS席です。しかし、いざ一般販売になってみると、「即日完売」などということはさらさらなく、プレイガイドに行ってみると空席が山のように残っていましたよ。その中では、もっと安い席でもはるかにオーケストラを聴くにはふさわしい席もたくさんありましたから、これは大失敗。せっかくの久しぶりのまともなオケなのに、そんな席で聴かなければならないなんてと、暗澹たる気持ちになっていました。
 会場は、この間ニューフィルが演奏したばかりのイズミティです。開演15分前に入ったら、すでにほぼ満席、ニューフィルの時とはえらい違いです。そして、問題の「3-33」という席に座ります。ステージはコンチェルトの仕様ですでにピアノが入っていますが、この席だとピアノの裏側の響板がよく見えるという、もう悲しくなるほどの視界です。指揮者はピアノの天板の陰になって全く見えませんし、ピアニストも頭がかろうじて見えるだけですからね。もちろん、オーケストラのメンバーは最前列だけ、管楽器などは譜面台の陰になっています。かろうじてフルートの1番の足元だけが、隙間から見えてくるだけです。
 こうなったら、もう音に集中するしかありません。なんたって、ピアノの音が最も美しいのは響板からの音なのですから、辻井くんをそんな環境で聴けるなんて、またとない機会じゃないですか。それよりも、足元はよく見えますから、ペダルの踏み方がとてもよく分かります。特に左ペダルをかなり使っていましたね。時にはハーフで。
 辻井くんを生で聴くのは、もちろん初めて。それがベートーヴェンの5番という、テレビでも全く聴いたことのないレパートリーだったので、いったいどんなことになるのかなと思っていました。しかし、それはもうこの名門オーケストラに堂々と勝負を挑んだ素晴らしいものでした。第3楽章のすさまじいテンポには、オケはついていけなかったようでしたからね。そして、彼が第2楽章あたりで聴かせてくれた超ピアニシモには、本当に驚いてしまいました。スタインウェイのフルコンであんな小さな音を出すことができるなんて。
 オケの方は、こんなに近くで聴いても全くアラが聴こえないという、ふだんアマオケを聴きなれている耳には、久しぶりの快感を味わえました。これが当たり前なんですけどね。でも、木管を使っていたフルートのトップは、ちょっと、でしたね。2楽章のソロであんなに控えめに吹くことはないと思うのですがね。
 曲が終わって、ソリスト・アンコールは、ベートーヴェンの「悲愴」ソナタの第2楽章。これが始まったら、不覚にも涙が出てきましたね。この曲には何か思い入れがあったのでしょうか。それで終わるのかと思ったら、それに続いてショパンの「革命エチュード」ですよ。いやあ、アンコールでこんな曲を軽々と演奏するなんて。
 後半は、チャイコフスキーの「悲愴」、フルートのトップが座るときに顔が見えたので、どこかで見た顔だと思ってメンバー表を見てみたら、コフラーでした。こちらはゴールドの楽器でしたから、コンチェルトは別の人だったのでしょう。ゲルギエフの指揮姿もやっと見えるようになりました。指揮棒は、最近のショスタコのBDで使っていたような「つまようじ」ではなく、もうちょっと長めの「焼き鳥の串」でした。とてもエネルギッシュにオーケストラを煽って、あちこちで興奮させてくれましたよ。仙台ではまず日常的には聴くことのできない16型のオーケストラのサウンドを満喫です。
 こうなってくると、1月に仙台にやってくるベルリン・シュターツカペレも聴きたくなってしまいます。しかし、メインがなんとブルックナーの2番、しかもチケットは、今回のミュンヘンフィルよりさらに高額のS席が26,000円というベラボーな価格設定です。最も安い席でも16,000円というのですから、もうぼったくりとしか言いようがありません。こんだけ払うんなら、東京まで往復できてしまいます。それこそ川崎あたりに行って日本のオケを聴いた方が、よっぽど得るものが大きいのでは。
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by jurassic_oyaji | 2015-11-28 21:40 | 禁断 | Comments(0)
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The Beatles
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2000年に、ビートルズがそれまでにリリースしたシングルのうちで、英米のヒットチャートで1位になった27曲(!)を集めたコンピレーションアルバムが、その名も「1」というタイトルでリリースされました。それは、2009年にこのバンドのすべてのアルバムがリマスタリングを施されてリリースされた時にも、同じようにリマスタリング盤としてリイシューされていました。まあ、その段階では、あくまでレコードをカッティングする際に用いられた2チャンネルのマスターテープからトランスファーしたデジタル・データを用いてリマスターを行うという、「ほんのちょっといい音にしてみました」というようなものだったはずです。ですから、それは入手してはいませんでした。
今年の11月の初めに、今回は、「1+」という名前で、同じ曲目のBDとDVDがリリースされました。映像がメインの売り方をされていたので、全く興味はなかったのですが、ちゃんとCDだけのバージョンもあって、しかもそれは「リマスター」ではなく「リミックス」されたものだ、という情報が流れてきました。そういうことであれば、手に入れないわけにはいきません。
「リミックス」というのはクレジットカードではなく(それは「アメックス」)、オリジナルのマルチトラックのテープから、新たに2トラックにする作業(トラックダウン)をやり直すということですから、楽器やヴォーカルのバランスや定位までも変えることができるものなのです。もちろん、それをオリジナルからどの程度変えるかは、プロデューサーやアーティストのポリシー次第になるわけです。たとえば、先日のシュガーベイブの「ソングズ」の場合に、山下達郎はCDでは「リマスター盤」と「リミックス盤」の両方を作っていましたが、その「リミックス」は極力オリジナルに忠実に行っていましたね。
しかし、今回ビートルズの「1」の「リミックス」を行ったジャイルズ・マーティン(オリジナル録音のプロデューサー、ジョージ・マーティンの息子)は、オリジナルにはこだわらない、かなり大胆なリミックスを行っているようでした。
そのあたりを比較するのに、本当は2000年版「1」があればいいのですが、確かに手元にあったはずのこのCDがどこを探しても見つかりません。仕方がないので、その元となったオリジナルアルバムや、シングルのみのものは「Past Masters」と比較することにしました。おそらく、それらと旧「1」との間には、決定的な違いはないはずでしょうから。

実は、この中の曲で、すでにリミックスが行われていたものがありました。それは、1999年にリリースされた「Yellow Submarine Songtrack」というアルバムです。ここでリミックスを担当したのはピーター・コビンという人です。これを聴いたときに、今までは右チャンネルだけに固まっていた「Nowhere Man」の冒頭のコーラスが3人の声が別々に広々と定位していたのに驚いたことは、今でも忘れません。このアルバムの中の3曲が、「1」の中にも入っていますから、まずはそれらでオリジナル→1999年リミックス→2015年リミックスという比較をしてみましょう。

♪Yellow Submarine

  • Original:リンゴのヴォーカルはRに定位、コーラスもRだが、最後のコーラスだけL。ドラムスはLに定位、BDは貧弱な音。アコギはL。SEの波の音とブラスバンドはCに定位。
  • 1999:リンゴはCに定位。ドラムスもC。BDの音が別物。アコギはC。SEの波の音はLとRの間を何度も往復。ブラスバンドはCに定位。間奏のSEで汽笛が入る。
  • 2015:ヴォーカル、ドラムスの定位は1999と同じ。アコギはL。SEの波の音は音場いっぱいに広がっている。ブラスバンドが行進(L→Rとパン)。汽笛は入らない。

♪Eleanor Rigby

  • Original:ポールのヴォーカルはRに定位。「All the lonely people」からダブルトラックでCに移動。Strは全楽器がCにピンポイントで定位。エンディングのLのジョンのコーラスの2回目にドロップアウト。
  • 1999:ポールのヴォーカルはCに定位。「All the lonely people」からダブルトラックになるが、音場は広がらない。VnI,VnIIはL、Va,VcはRに定位。ジョンのコーラスのドロップアウトはない。1回目をコピペか。
  • 2015:ポールのヴォーカルはCに定位。「All the lonely people」からダブルトラックになり、音場が広がる。VnI,VnII,Va,Vcの順に、LとRの間に均等に定位。やはり、ジョンのコーラスにドロップアウトはない。

♪All You Need Is Love

  • Original:イントロにE.Pfあり。最初のコーラスはLのみ。
  • 1999:イントロにE.Pfなし。コーラスはLとR。
  • 2015:イントロにE.Pfあり。コーラスはLとR。

その他の曲も、リミックスによってオリジナルに比べると明らかに音像がくっきりしたり歪がなくなったりしており、今まで聴いてきたものは何だったんだろうと思えるほどの素晴らしい音に生まれ変わっています。中でも、ライブ録音一発録りの「Get Back」では、イントロのLで聴こえるシンバルの盛大なひずみが全くなくなっていますし、やはりLに定位しているジョンのギターも別物のように輪郭がはっきりしています。これは、2003年にリリースされた「Let It Be...Naked」でもある程度の修復は行われていたのですが、今回はそれをはるかに上まわる成果を上げています。そして、今までさんざん非難されていた「The Long and Winding Road」でフィル・スペクターによって付け加えられたストリングスやコーラスの音の美しいこと。特にコーラスは、こんな素晴らしいものだったなんて今までは全く気づきませんでしたよ。
ストリングスに関しては、この中の唯一のジョージの曲「Something」のバックのストリングスが以前の無機質な音からふんわりとしたテイストが味わえるものに変わっているのに狂喜ものです。「You’re asking me will my love grow」でのピツィカートも、これを聴いて初めて弦楽器のピツィカートと認識出来たぐらいです。
今回、これだけ音が明瞭になったのは、オリジナルのトラックダウンの際の度重なるダビングによる歪がいかに大きかったか、ということを明らかにしてくれるものなのではないでしょうか。それが当時の技術の限界だったとしても、これだけのマスターテープの音を今まで聴くことが出来なかったのは、とても残念です。それと、当時は基本的にモノラルミックスがメインで、ステレオミックスは二次的なものというスタンスでしたから、単純に左右のトラックに楽器やヴォーカルを振り分けただけという、今聴くととても不自然な音場(「音場」という意識すらなかったのかもしれません)のものが中期までのものにはたくさんありました。それが、今回のリミックスではヴォーカルがセンターに定位するなど、当たり前の音場で聴けるような配慮が多く見られます。これは、現在のオーディオ環境としてはまさに待ち望まれていたことです。
今回のジャイルズの仕事が、ビートルズのすべてのアルバムのリミックスという一大プロジェクトのスタートだと思いたいものです。それは2006年に「Love」がリリースされた時にも願っていたことなのですが。

CD Artwork © Calderstone Productions Limited
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by jurassic_oyaji | 2015-11-27 20:23 | ポップス | Comments(0)
今のキャストでのミセス・ポットはいまいち
 今県民会館でロングラン中の「美女と野獣」は、もうご覧になりましたか?私は初日に行っただけですが、あとは千秋楽のチケットも取ってあるので、しばらくは間があります。でも、愚妻はもう3回も見に行ったそうです。そのうちの1回は、なんと「20周年記念」の日だったということで、盛り上がったみたいですね。いや、これは前もってわかっていたので、狙って取っていたのですが。なんでも、あのホールにある花道を「20th」という看板をかついだ人が走り抜けていって、それをステージに置いたのだそうです。それからはもう延々とカーテンコールが30分以上続いたのだそうです。もちろん客席は全員スタンディングだったのでしょう。30分も立ちっぱなしなんて、大変ですね。ニューフィルでお客さんがスタンドして、アンコールの拍手が30分鳴り止まないなんてことはあるのでしょうか。
 それにしても、この劇団の公演を見に行って気になるのが、まだ小学校にも行っていない子供が平気で客席にいることです。中には、母親の膝の上に座っている本当に小さな子もいたりします。案の定、その日も近くの席に小さな子供が座っていたので、場内のスタッフが「もし、まわりのお客様にご迷惑がかかるようなときには、外に出てください」と言っていたのだとか。そんな注意をすることよりも、そもそも、そんな不確定なことが起きないように、そのような可能性のある年齢の子供は入場をお断りするのが筋なのではないでしょうか。これは、小さい子だからといってそういうものに触れられるような機会を奪わないでほしい、という議論とはまったく別の次元の話です。あなたは、他人に迷惑をかけてまで、お子さんの情操教育を行いたいのですか?それはそれで、しかるべき企画がいくらでもあるのですから、どうかこれをはるばる遠くから見に来ているような人の楽しみを損なうようなことだけは、やめてほしいものです。
 そして、それは、その演奏会やミュージカルがとてもつまらなくて退屈してしまうこととも、全く次元の異なる問題です。たとえその人が退屈で居眠りをしてしまっても、実際に涙を流しながら舞台を見入っている人は確実にいるのですからね。
 実は、この「美女と野獣」はミュージカルはもう何度も見ているのに、その元の形であるディズニーのアニメはまだ見たことがありませんでした。たまたまWOWOWでディズニー特集をやっていたので、遅まきながら見てみましたよ。確か、これはアニメの世界に初めてCGを持ち込んだことで話題になったような気がしますが、確かに二人のダンスのシーンはそれまでには見られないようなカットがありましたが、それ以外には格段変わったところはないような気がしました。セル画も明らかに手抜きと思えるようなところもありましたね。でも、やはり圧巻なのは、アニメならではのありえないものがありえないような動きで踊りだすという、それこそ「ファンタジア」あたりで確立された技法でしょうか。これこそがアニメの醍醐味、というところはたくさんありましたね。
 これを見てしまうと、このミュージカルがなぜつまらないかが分かるような気がします。いくら工夫をしてみても、人間がティーポットやティーカップになるのにはかなりの無理があるのですね。スプーンが空を飛ぶのを実際に再現することだって、できません。要は、そこに舞台作品としての「お約束」を介在しないことには、心から楽しむことはかなり難しいのですよ。同じディズニーで、やはり同じような失敗を犯しているのが「ライオンキング」でしょう。あそこでは、ジュリー・テイモアという無能な演出家が、それをさらにひどいものに仕上げてしまっていました。
 なんて言いながら、千秋楽ではもしかしたら涙を流していたりして。
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by jurassic_oyaji | 2015-11-26 20:59 | 禁断 | Comments(0)
MOZART/Die Entfürung aus dem Serail
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Robin Johannsen(Konstanze), Mari Eriksmoen(Blonde)
Maximilian Schmitt(Belmonte), Julian Prégarudien(Pedrillo)
Dimitry Ivaschchenko(Osmin), Cornelius Obonya(Salim)
René Jacobs/
Rias Kammerchor, Akademie für Alte Musik Berlin
HARMONIA MUNDI/HMC 902214.15




ヤーコブスは、今までにこのレーベルにモーツァルトのオペラを7曲録音していました。しかし、それは俗に「7大オペラ」と呼ばれている「魔笛」、「フィガロ」、「ドン・ジョヴァンニ」、「コジ」、「後宮」、「イドメネオ」、「ティトゥス」(人気順)ではなく、その中には「偽りの女庭師」という18歳の時に作られた珍しいオペラ・ブッファが入っていました。ですから、今回の「後宮」によって、晴れて「7大オペラ(+1)」が完成し、一応ヤーコブスによるモーツァルトのオペラの録音は終わってしまうのだそうす。
そんな、一区切りがつくところでの仕事ということで、この録音にはかなりの力が入っているようです。それは、この前の「魔笛」でも取り入れられていた「聴くオペラ」というコンセプトが、さらにスケールアップしていることで、よく分かります。地のセリフがある「ジンクシュピール」という形式を最大限に利用するために、サウンド・エフェクトやフォルテピアノの即興演奏などを駆使して聴く人に楽しんでいただこうというやり方ですね。これが、「魔笛」ではセリフそのものはシカネーダーのものをほぼ忠実に(ごくわずかなカットがあります)使っていたものが、今回はなんとヤーコブス自身の手で大幅に書き換えられたセリフが使われているのですよ。きちんと「Dialogfassung René Jacobs 2014」というクレジットまでありますからね。
例えば、最初に出てくるセリフである、ベルモンテがアリアを歌い終わったところでの独白は、NMA(新モーツァルト全集)では「Aber wie soll ich den Palast kommen, wie sie sehen,
wie sprechen?(しかし、どのようにして宮殿の中に入ればいいのだろう?どのようにすれば、彼女に会って話が出来るのだろう?」なのですが、ここでは「Ich will sie sehen, mit ihr sprechen! Aber wie komme ich in den Palast?(彼女に会いたい!彼女と話したい!しかし、どうしたら宮殿の中に入れるのだろう?)」と、コンスタンツェへの思いがより強く感じられる言い方に変わっています。
こんな調子で、より分かりやすいセリフに変わったうえに、歌は歌うは、オリジナルではセリフのない衛兵にまできちんと出番を作るわと、とにかく楽しんで聴いてもらいたいという気持ちが伝わってくる改変です。もちろん、セリフの中ではフォルテピアノやオーケストラまでが入ってより盛り上げますし、アリアを歌っている間でも、それを一時中断して気の利いたセリフを挿入するといった、普通には聴けないサービスが満載ですよ。
そのおかげで、演奏時間はなんと2時間40分にもなっています。普通はセリフを適宜カットして2時間弱、カットなしでも2時間20分ぐらいですから、聴いたことのないシーンが続出で、まるで別のオペラを聴いているようです。
音楽的には、「トルコ」を強調、打楽器の激しいビートが強調されています。さらに、普通は「ピッコロ」が使われるパートに「リコーダー」が用いられています。これは、楽譜には「Flauto piccolo in Sol」と書かれているパートなのですが、当時は単に「フルート」と言うと縦笛の「リコーダー」を指していたからなんですね(横笛の「フルート」は「Flauto traverso」と言います)。これは、確かに効果的。
さらに、先ほどから登場している「フォルテピアノ」も、「ハンマーフリューゲル」というクレジットで、もう一人のキーボード奏者が加わっています。この二つの楽器、どこが違うのかわかりませんが、楽器が2台あるのは確かです。
歌手の人たちも、心なしかアリアよりもセリフの部分で盛り上がっているような気さえします。ブロンデ役のエリクスモーエンの下品な笑い方など最高です。ペドリッロ役のプレガルディエン(息子の方)も、ちょっとした間の取り方がすごくうまいですね。ただ、オスミン役のイヴァシュチェンコはあまりにもお上品、そして、ベルモンテ役のシュミットの歌は、コロラトゥーラもヘタだし、ちょっと趣味とかが合わないかも。

CD Artwork © harmonia mundi s.a.
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by jurassic_oyaji | 2015-11-25 20:37 | オペラ | Comments(0)
畳と腕時計は新しい方が・・・
 三連休は、最初の二日間はお天気が良くて暖かかったですね。そうなると、外に出たくなります。そこで、中山の観音様のすぐ後ろに出来たというホームセンターに行ってみました。さすがにオープンしたばかりですから、前の道路はすごい渋滞、駐車場もほぼ満車でした。実は、ここと観音様の間にはもう一つ、「しまむら」という、カスミちゃんの実家(ウソですからね)があるのですが、そっちはガラガラでしたね。ここも、いずれはそうなるのでしょう。
 しかし、広いですね、この建物の手前に、もう一棟あるんですから。もう、こっちを回っただけで疲れて、そちらにはいきませんでしたけど。
 その中に、畳を作る機械のコーナーがあって、それを実際に動かしているところを周りから見学できるようになっています。これが面白くて、しばらく見入ってましたよ。
 これは、畳の短い辺をきれいに縫い上げる機械です。糸巻きがあるのが巨大なミシンで、分厚い畳を縫い上げていきます。
 こっちは、長くて、縁(へり)が付いている方を仕上げる機械。上のロールに縁が巻き付いているんですね。
 私は、小さいころには生身の畳職人が実際に畳を作っている様子を見たことがあります。太くて長い針を使って、糸を引っ張るときに肘を畳に付けて思いっきり力を入れている姿が印象的でしたね。そのために、彼の肘には特別のサポーターのようなものが巻き付いていました。そんな人が、一針一針丁寧に渾身の力で針を操っている姿は、とても人間業とは思えないほどでしたね。それはおそらく、長年の修行の賜物だったのでしょう。それが、こんな機械でいとも簡単に出来てしまうんですから、嫌になります。そばについているのは若い店員さん一人、彼はたまに余計な畳表をカッターで切ったりするだけで、力仕事なんかは一切していませんでした。こんな機械で同じことが出来てしまうのでは、苦労して修行しようとする人なんかいなくなってしまいますね。
 そのあとは、私が使っている腕時計がもうかなりヤバくなってきたので、気に入ったのが見つかれば、と思って、あちこち時計屋さん巡りをしてみました。
 これはちょうど3年前に買ったアディダスですが、プラスティックのカバーがすぐ傷がついていしまい、とうとうこんなに傷だらけになってしまいました。
 さらに、やはりプラスティックのバンドは、いつも使う穴のまわりがほとんど切れそうです。ですから、今度新しいのを買う時には、ぜひとも金属のバンドの時計にしようと思っていました。ただ、あちこち回って分かったのは、デジタルで金属バンドのものはまず見当たらない、ということです。カシオのでいくらかあるにはあったのですが、それはデザインが最悪、とても自分で着けたいとは思えないものでした。
 そんな時、目に入ったのがこれです。
 この美しいフォルムには、その場で見とれてしまいましたよ。こうなるとアナログでもデジタルでも関係なくなります。「インディペンダント」なんて、ブランドもかっこいいじゃないですか。でも、これは、シチズンのブランドなんですってね。
 お店でコマを詰めてもらったりして、久しぶりにまともな時計を買ったな、という気持ちになりました。これだったら、3年ぽっちで飽きられることもないでしょう。
 しかし、実際に使ってみると、この時計は時間がとても見づらいことが分かってきました。特に、竜頭のない3辺あたりになると、目盛りと針がかなり遠くなるので、正確に何分かということがすぐには分かりません。でもいいんです。正しい時間が知りたいときにはiPhoneを見ればいいんですからね。
 この時計は、Amazonでも売ってました。同じようなシリーズを買った人のコメントで「時計としての機能も満足できるものだ」というのがあったのには、笑ってしまいましたね。そもそも、こういうものは「時計としての機能」は二の次なんですよ。もちろん、私も時計は単なる装身具だと思っています。
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by jurassic_oyaji | 2015-11-24 21:11 | 禁断 | Comments(0)
PROKOFIEV/Symphony No.5, Scythian Suite
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Andrew Litton/
Bergen Philharmonic Orchestra
BIS/SACD-2124(hybrid SACD)




アンドリュー・リットンとベルゲン・フィルのSACDは、以前からとても楽しませてもらっていましたが、最近リリースされたこのプロコフィエフでもやはり、まずその卓越した録音が健在だったのがうれしいですね。フォーマットも以前の24bit/44.1kHzから24bit/96kHzになり、さらに余裕を持ったハイレゾが楽しめるようになっています。弦楽器は、まさにオーケストラでしか味わえない「マス」としてのえも言われぬテクスチャーで迫ってきますし、木管はそれぞれの奏者の個性までもが感じられるほどの立体感があります。金管の抜けるように鮮やかな響きや、打楽器のエネルギーは体全体で感じることが出来るほどです。
録音に使われているのはいつもの彼らの本拠地、ベルゲンにある「グリーグ・ホール」です。このホールは写真で見ると扇形のだだっ広いワンフロアなので、あまり音は良くなさそうな気がするのですが、ライブではなく、お客さんの入っていないところでのセッション録音なので、適度の残響によってとても豊かな響きが加わっています。
リットンとベルゲン・フィルとのプロコフィエフは、2005年に録音された「ロメオとジュリエット」と2012年に録音された「交響曲第6番」(それに、フレディ・ケンプのバックでピアノ協奏曲の2番と3番)がありましたが、今回は2014年に録音された「交響曲第5番」と「スキタイ組曲」という有名曲のカップリングです。
「交響曲第5番」が作られたのは1944年、第2次世界大戦の末期です。それ以前にドイツ軍がロシアに侵入したことに対する抗議の意味が込められているのだ、とされている作品ですが、同じころに同じようなモティヴェーションで作られたショスタコーヴィチの「交響曲第7番」ほどの深刻さはほとんど感じられないのは、同じ「ソ連」の作曲家でありながら、この二人が本質的に異なるキャラクターをもっているからなのでしょう。
さらに、今回のリットンは、このプロコフィエフの「明るさ」をより際立たせるような演奏を行っているせいか、そのショスタコーヴィチが1時間近くの時間をかけた末に達した歓喜の境地に、プロコフィエフはすでに第1楽章で達してしまっているように感じられてしまいます。冒頭に現れる民謡風のモティーフは、その楽章の最後にはまさに華々しいクライマックスを迎えて、勝利の喜びを歌い上げています。その陰で、時折聴こえてくるちょこまかしたせわしないモティーフが、おそらく逃げ惑うドイツ兵なのでは、などという分かりやすいイメージが、彼のタクトからは伝わってきます。
続く第2楽章、そして最後の第4楽章も、まさにエンターテインメントとしての浮き立つような気分が満載、そのため、その間に挟まる第3楽章のちょっとダークな側面までも際立たせています。この楽章だけは、それこそショスタコーヴィチを思わせるような不思議なテイストが漂っていますね。それは、チャイコフスキーの「眠りの森の美女」やベートーヴェンの「月光ソナタ」の引用のせいでしょう。
カップリングの「スキタイ」も、このころ(作られたのは1916年)の作曲家のとんがった作風を前面に押し出した、見事な演奏と、そして録音です。おいどん、好きたい。一部の人たちの間では有名な2曲目の「邪神チェジボーグと魔界の悪鬼の踊り」などは、かつてNAXOSのハイレゾ・コンピのデモとして使われていたオールソップのBD-Aなどは裸足で逃げ出すほどのぶっ飛んだ録音です。三連符が続く箇所で不規則にアクセントが付けられている部分からは、まるでストラヴィンスキーのような荒々しさも聴こえてきます。
ただ、最近フルートの首席奏者が変わったのでしょうか、このオーケストラのサウンドとは微妙に齟齬のあるきついビブラートには、ちょっとなじめません。12年間リットンが務めた首席指揮者のポストも、2015/16年のシーズンからはエドワード・ガードナーが引き継いでいますから、もうこれ以後の録音もないのかも。

SACD Artwork © BIS Records AB
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by jurassic_oyaji | 2015-11-23 22:45 | オーケストラ | Comments(0)
私もブロガー
 WOWOWで「アイアンマン」のジョン・ファヴローが監督、脚本、主演をすべてこなした映画「Chef(邦題:シェフ 三ツ星フードトラック始めました)を見ました。最近ここで見る映画は、どうもあまり面白くないものばかりでした。結局、半分まで見ても全然面白くないというのは、最後まで見ずに潔く削除してしまいます。だって、我慢して最後まで見て、やっぱりつまらなかったことが分かって落ち込むということが何回もありましたから、いい加減学習しますよ。でも、この映画は最初から生きのいい展開でつまらなさを感じている暇なんかありません。とうとう、そのペースに引きずられて一気に最後まで見終わってしまいましたよ。子役もうまかったし。
 この映画の面白いのは、ツイッターやフェイスブックといったSNSをとても上手に使っているということです。ストーリーの中に全く違和感なく取り入れているのですね。逆に言えば、そういうものがそれだけ一般化してきた結果ということになるのでしょう。表現としても、ツイッターを送信する様子を青い小鳥を飛ばすことで視覚化してるなんてのが、笑えますね。それと、ことの発端がブログで料理評論家に批判されたシェフが、レストランをクビになることですから、ネットが今の社会に及ぼす影響もちょっと極端ですが十分にありうることとして使われています。
 ただ、エンディングで、その料理評論家が「ブログを売って大金を得た」という状況が起こります。これは、いったいどういうことなのでしょう。名のある「ブロガー」ともなると、そのブログには広告などもたくさん掲載されるようになって、資産価値を産むようになる、ということなのでしょうかね。「ブロガー」の端くれとして、これは聞き捨てなりません。
 というのも、このところ私のサイトがらみでちょっとした動きがあったものですから。わたしの「おやぢ」のブログを見てくださっている方が、そこで取り上げたCDのボックスの画像を送ってほしいとコメントをよこされたのですよ。なんでも、「アートワーク」を作るのに、ご自分のボックスが破損していてきちんとした画像が得られない、ということなのだそうです。そんなのはお安いご用ですから、ご要望通りの大きさの画像を作って送ってあげましたよ。ただ、その時点では「アートワーク」っていったいなんなんだ、という気持ちはありましたね。ふつうその言葉はCDだとジャケットのデザインなどを指す言葉ですが、その方はそれとは別の意味で使っているようなのですね。
 送った直後に、「アートワークが出来上がりました」と現物を見せてくれたのですが、それでも私にはピンときません。調べてみると、iTunesなどでファイルを再生する時の画像を、自分で作ることのようですね。97%ぐらいはフィジカルな音源を聴いている私にとっては(いまだかつて、iTunesからダウンロードしたことは一度もありません)これは全く別の世界の出来事でした。そういうものもあるのだな、と、新鮮な気持ちになれました。というか、今はそんな世の中になっていたのですね。
 もうひとつ、こちらは思いもかけない方から「計算尺、載せてくれてありがとうございました」という電話をいただきました。夜中に携帯に名前が登録されていない番号から電話が来たものですから、恐る恐る出てみたら、それは昔ニューフィルにいた方。ずっと私のサイトを見てくれていて、そこに「計算尺」が出てきたのでうれしくなったのだそうです。その方にも計算尺については思い入れがあるそうで(「一級」なんですって)、熱く語っておられましたよ。サイトのお蔭で、久しぶりに消息を知ることが出来ました。
 というより、どこで誰に見られているかわからないのがネットの世界だ、ということを、今さらながら実感させられた出来事でした。私が思っている以上の影響力を持っているものなのでしょうね。気を付けなければ。
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by jurassic_oyaji | 2015-11-22 20:50 | 禁断 | Comments(0)
KRACHT/Stabat Mater Stabat Pater
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Egon Kracht & The Troupe:
Elisa Roep(Sop), Mark Omvlee(Ten)
Natje Lohsw(Alt), Angelo Verploegen(FH)
Jakob Klaasse(Org), Noortje Braat(Vn)
Diederik van Dijk(Vc), Egon Kracht(Cb)
BUZZ/ZZ76113(hybrid SACD)




全く聞いたことのないレーベルですが、この「BUZZ」というのはオランダのChallenge Recordsのサブレーベルのようですね。クラシックではおなじみのChallengeのジャズ部門でしょうか。しかも、録音担当もクラシックのChallengeと同じNorthStar Recording、エンジニアも全く同じというのですから、これは間違いのない音が聴けるはずです。
ただ、そもそも、このアルバムのリーダー、コントラバス奏者のEgon Krachtという人の情報が、日本語では全くヒットしません。オランダ人なので「エホン・クラハト」とでも発音するのでしょうが、それで検索しても、全く引っかからないのですよ。原語での検索だとオランダ語のWIKIで、やっと「1966年生まれのコントラバス奏者、作曲家」というのが分かるぐらいです。
このクラハトさんは、彼の作曲家としてのスタートとなった「マタイ受難曲」(2002年)、ユダからの視点で書かれた新たなテキストによる「ユダ受難曲」(2005年)と、これまでにすでに2曲の「受難曲」を発表しています。そのシリーズの3作目として2011年に初演されたのが、この「スターバト・マーテル/スターバト・パーテル」というタイトルの曲です。その時と同じ「ザ・トゥループ」という彼のグループによって2013年に録音され、オランダでは2014年に発表されたSACDが、やっと日本でもリリースされました。
「スターバト・マーテル」というのは、有名な「Stabat mater dolorosa」という「悲しみにくれる母親が佇んでいた」という意味のテキストで始まる宗教曲のことです。かつては「悲しみの聖母」という邦題がありましたが、今では誰も使いません。シーズンまっただ中なのに(それは「歳暮」)。もちろん、この「母親」というのはその「聖母」マリア、佇んでいるのは息子のイエスが処刑された十字架の下ですね。そこに、クラハトさんは「Stabat pater dolorosus」という、「父親」を主語にしたテキストを新たに作って加えたのですよ。
ですから、ジャケットもそれぞれに対応して、表は「母」、裏は「父」になっています。この「父」の写真はすごいですね。この毛むくじゃらの腕がどうなっているのかこの写真ではよく分からなかったのですが、どうやら自分の腕を首の後ろで組んで、悲しみをこらえている、というポーズのようですね。
そんな、「男目線」のラテン語のテキストと、さらに新作のオランダ語の歌詞とが交錯して、この1時間以上の大曲は進んでいきます。まずは、ヴァイオリン、チェロ、コントラバスという3つの弦楽器が奏でる神秘的なピアニシモに導かれて聴こえてきたのが、ごくまっとうな「合唱」だったのには、一安心です。それこそゴスペルみたいなものが出てくるのではないかとひやひやしていたものですから。
その合唱(正確にはソプラノ、アルト、テノールの重唱)によるメインテーマは、なんだかどこかで聴いたことのあるようなメロディでした。プーランクの「スターバト・マーテル」あたりが、いちばん近いでしょうか。そして、そこに絡む弦楽器は、まさにペルトの世界です。ですから、これは「ジャズ」ではなく、ごくフツーの「現代音楽」のようなテイストを持っていました。ただ、そこに時折インプロヴィゼーションが挿入されるあたりが、ジャズがベースの音楽であることの証なのでしょう。ただ、そのソロはもっぱらフリューゲル・ホルンがとっていて、リーダーのクラハトのソロは1ヵ所だけ、あとはアンサンブルに徹しているようです。
と、気持ちはわかるのですが、なんか「クラシック」にも「ジャズ」にもなりきれていないところに、居心地の悪さを感じてしまいます。その責任は声楽のソリストたちにあることは間違いないのでは。
録音は、予想通りのすばらしさでした。その声楽陣の澄んだ「音」は、なかなか他では聴けないものです。ですから、なおさら、その歌い方に対する中途半端なスタンスが、際立ってしまいます。

SACD Artwork © Turtle Records/Edison Production Company BV
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by jurassic_oyaji | 2015-11-21 21:03 | 合唱 | Comments(0)