おやぢの部屋2
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BACH/Johannes-Passion
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Julian Prégardien(Ev), Tareq Mazmi(Je)
Christina Landshamer(Sop), Ulrike Malotta(Alt)
Tilman Lichdi(Ten), Krešimir Stražanac(Bas)
Peter Diykstra/
Chor des Bayerischen Runfunks, Concerto Köln
BR/900909




ペーター・ダイクストラとバイエルン放送合唱団は、バッハの大規模な宗教曲のうちすでに「マタイ受難曲」と「クリスマス・オラトリオ」を録音しています。そして今回は「ヨハネ受難曲」の新しい録音ですから、これで「ロ短調ミサ」を録音してくれれば、今までのバッハの大家と言われていた偉大な指揮者たちと肩を並べることになります。しかし、そのような精神的にストレスの多い仕事を続けていると、やはり頭髪への影響も並々ならぬものとなっているのでしょうね。ほんとに、彼の額がひたいに(次第に)上に広がっていく早さには、驚くばかりです。彼の師であるエリクソンと同じ風貌になるのには、そんなに時間は要らないことでしょう。
この録音は、今までと同じミュンヘンのヘルクレスザールで2015年の3月に行われたコンサートでライブ収録されたものです。しかし、ブックレットを見てみると、そのホールではなく別の教会で演奏されている写真が載っています。それは、単に会場が異なるという以上に、オーケストラや合唱とソリスト、さらには指揮者の配置がとてもユニークになっていることに驚かされます。演奏家たちは指揮者を囲むように座っていて、指揮者はその真ん中に立っています。さらに、エヴァンゲリストが歌う場所が一段高くなった廊下のようになっていて、彼はその上を歩いて歌っているようなのですね。どのようなコンセプトでこんなパフォーマンスが行われていたのか、知りたいものです。今までだと、CDだけではなくDVDもリリースされていましたが、そちらの映像ではこの教会バージョンが使われていることを期待しましょう。
このような、いわば「メジャー」なリスナーをターゲットにしているアルバムだからでしょうか、この受難曲を演奏する時の一つの試金石となる「版」の選択も、特に目新しいことはやらずに一般的な新全集版が使われています。クレジットでも「出版社 ©ベーレンライター」という表記がありますし、一応その楽譜の素性についてのコメントもきちんとライナーノーツで述べられていますから、これは正しい姿勢です。少なくとも、先日のヤーコブス盤でのダウンロード・アイテムのような「偽装」とは無縁でしょう。
エヴァンゲリストは、このところすっかりこのロールが板についてきたプレガルディエン(もちろんユリアンの方)ですし、そのほかのソリストも若い人たちが揃っています。プレガルディエンの伸びのある軽めの声に合わせたように、それぞれが爽やか目の声でとてもすがすがしい歌を聴かせてくれています。特に、もう一人のテノール、アリア担当ティルマン・リヒディが、本当にリリカルな歌い方なのには癒されます。ただ、アルトのウルリケ・マロッタが同じように軽めなのは、さすがにやりすぎ。「Es ist vollbracht」では、やはりもっと深みのある声が欲しかったところです。
その、ヴィオラ・ダ・ガンバのオブリガートが付く30番のアリアでは、使われているベーレンライター版では中間部ではガンバはソリストとユニゾンになるはずなのに、ここでは通奏低音のパートが演奏されていました。実はこの部分は、なぜかこの版の元となった「1739/1749年版」の自筆稿「↓」とは違っていて、あえて1732年稿(第3稿)の形に変えられているのですね。

そこで、今確認してみたら、ここには「あるいは、通奏低音と同じように」という注釈がありました。

ダイクストラは、きちんと自筆稿まで参照していたのですね。
彼は、やはり合唱に関してはとても緻密なアプローチに徹しているようです。特に第2部になってからの群衆の合唱の劇的な振る舞いには、思わず興奮させられてしまいます。24番のバスのアリア「Eilt,
ihr angefochtnen Seelen」での合唱の合いの手の「wohin?」でも、途中のフェルマータをやめて「急ぐ」気持ちを抑えられないでいますし。
「おまけ」のCDに収められているレクチャーは、対訳がない限り全く何の意味もなしません。

CD Artwork © BRmedia Service GmbH
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by jurassic_oyaji | 2016-04-30 21:14 | 合唱 | Comments(0)
武満徹のフルート曲が演奏されます
 大型連休に突入、私の場合は基本的にカレンダー通りの休みですから、とりあえず3連休は取れることになります。2週間連続の本番ということで何かとあわただしい生活でしたが、ここでやっときちんとした休息をとることができることでしょう。とは言っても、休日となれば休日ならではの過ごし方が必要になってきますから、それほど「休む」ということは期待できません。ということで、いつも通りに車で花屋さんまわりとかに付き合わされることになるのです。
 いつもの、愛子にある花屋さんに行った後、愚妻が秋保方面に行ってお昼を食べたいと言い出したものですから、とりあえず錦が丘経由で秋保温泉の方に向かいます。そこへ行く道すがら、そういえば近々秋保でフルートのコンサートがあったのを思い出しました。その案内はこちらのチラシにあります。実は、このチラシは、この間「レリオ」を一緒に歌ったメンバーで、昔同じ合唱団にいて何十年ぶりかに再会した人からいただいたものです。その人が、なんとご自分の家を会場にして、小泉浩さんという、かつては現代音楽の分野では第一人者だった方のリサイタルを開いていて、その2回目をもうすぐ開催することになっているのですよ。チラシをいただいた時には、小泉さんと知り合いだったり、自宅でコンサートを開くだけのスペースを持っているだのという、とてつもない話にちょっとたじろいでしまいましたね。もちろん、彼は私がフルートを吹いていることも知っていて、ぜひ聴きに来てほしいと言っていたのですが、あいにく当日はすでに別の用事が入っていて行くことはできません。でも、そのご自宅だけは、ちょっと興味があったので、機会があったらぜひ行ってみたいとは思っていました。そこで、たしかバッグの中にそのチラシがあったはずだと探したのですが、あいにく全部別の楽器を入れるカバンの方に入れてしまっていたので、ありませんでした。地図がないとまず行くことはできないぐらい辺鄙なところだったように聞いていましたから、今日はやめにしましょう。
 とりあえず、愚妻が1回行ったことがあるというこのホテルのレストランに行ってみようとしたら、駐車場はガラガラ、中に入ってもお客さんは誰もいませんし、レストランをのぞいてみると店員さんがお客さんを待っている状態でしたし、メニューも高いだけでそれほど魅力がなかったので、ここはやめてもっと中心部に近いホテルに行くことにしました。
 そこは、やはり「伝承千年の宿」というだけあって、人も多くレストランもそこそこにぎわっていました。うまい具合に名取川を見下ろせる窓際の席が空いたので、そこからの絶景を楽しみながら、天ざるを注文します。
 おにぎりが付いてきたのにはびっくりしましたが、それがとてもおいしいし、天ぷらも絶品でした。これでおそばがおいしければ言うことはないのですが、私はそばにはうるさい方なので、これはちょっと、でしたね。帰りに「さいち」に寄ったら、連休なのにかなり空いていてお店の前の駐車場に駐車できるという、とてもラッキーな目に遭いました。
 帰って考えてみたら、さっきのコンサート会場の地図はニューフィルのサイトからリンクしてあったのでした。そこで、それと実際の地図とを比べてみたら、全然違ってましたね。これだったら、たとえ地図があっても絶対に行けませんでした。もし行かれる方は、事前にネットなどで調べておいてください。グーグル・アースだと、こんな風に見える丸い建物が、たぶんそうです。

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by jurassic_oyaji | 2016-04-29 20:52 | 禁断 | Comments(0)
SCHUBERT/Symphony No.9
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Christoph von Dohnányi/
Philharmonia Orchestra
SIGNUM/SIGCD461




合唱関係でおなじみのこのレーベルですが、ここはロンドンのフィルハーモニア管弦楽団のいわば「自主レーベル」的な役割も果たしています。マゼールの晩年にマーラーの交響曲全集を録音したのも、このレーベルでした。
今回は、このオーケストラの首席指揮者を1997年から2008年まで務め、その後は終身名誉指揮者として関係を保っている長老、クリストフ・フォン・ドホナーニとの共演で、2015年10月に行われたコンサートのライブ録音です。
曲目はシューベルトの「交響曲第9番」、ジャケットにはそれしか書かれてはいませんが、もちろんこの作曲家の最後のハ長調の交響曲のことです。そうなんですよ。おそらく、いまの日本でオーケストラがこの曲を演奏する時には、まず「交響曲第8番」と言うであろう、あの交響曲のことです。それが、いまだにこの曲は「第9番」でないと納得できない人が、特にCDなどを購入するクラシックファンの中には根強く残っているものですから、やむを得ずこんな書き方をされてしまうのですね。なんとも不憫なことです。
というか、このCDのライナーノーツを読んでみると、その辺のあまりの無頓着さにがっかりしてしまいます。このライターさんは
フィナーレは、猛スピードのタランテラで、ヴァイオリンはまるでベートーヴェンの交響曲第9番の最後の楽章「歓喜の歌」のように、延々と三連符を演奏し続ける。おそらくこれは、シューベルトが意識していたかどうかはわからないが、彼自身の「第9交響曲」を作っている頃に、彼にとっての音楽的な英雄であったベートーヴェンが亡くなったことに対する追悼の意味があったのかもしれない。

などと書いているのですからね。お分かりでしょうが、この文章には事実誤認が2つもあります。まず、この曲に「第9番」という番号(それも今では「第8番」に変わっています)を付けたのは後世の人で、シューベルト自身ではありませんから、「彼自身の『第9交響曲』」というのはあり得ないということ。さらに、この曲が作られたのは、かつてはシューベルトの最晩年、1828年ごろだと考えられていたものが、最近の研究ではもっと前、1825年ごろだとされているのですから、シューベルトがこの「第4楽章」を作っていた時にはまだベートーヴェンはご存命だったんですよ(亡くなったのは1827年)。したがって、この曲に追悼の意味を込めることもあり得ません。このようなデタラメなライナーを平気で書くなんて、まるで日本の音楽評論家みたいですね。
現在86歳と、いわば「巨匠」と呼ばれてもおかしくない年齢に達しているにもかかわらず、ドホナーニという人にはそれほどのカリスマ性を感じることが出来ないのはなぜでしょう。知名度も低いし(それなーに?)。この曲は最近、実際に演奏する機会があったので、この最新録音で「今」のこの曲の一つの提案を感じてみたかったのですが、特にこれといったインパクトはありませんでした。
第1楽章は、冒頭のホルン・ソロで全体の印象が決まってしまうという恐ろしいものですが、ここでのホルンは変に小細工が施されていて何か軟弱な感じがします。楽章全体は割と締まったテンポでサクサクと進んではいくのですが、やや素っ気ないところもあって、シューベルトらしい抒情性はあまり味わえません。
第2楽章は、これもオーボエ・ソロ頼み。幸い、このオーボエはとても暖かい音色でたっぷり歌ってくれていますし、途中で加わるクラリネットともとてもよく溶け合って、至福の時が味わえます。ただ、フレーズのつなぎの部分でちょっと音楽が停滞して流れが止まってしまうのが残念です。
第3楽章は中間のトリオがちょっと重苦しいリズムに支配されているのが、気になります。
そして、フィナーレでは、さっきの「タランテラ」というイメージとは程遠いもたつきが、ただでさえ長すぎるこの楽章をより退屈なものにしています。この楽章、全部で1154小節もあるって、知ってました?

CD Artwork © Signum Records
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by jurassic_oyaji | 2016-04-28 21:26 | オーケストラ | Comments(0)
やっぱり「『巨人』と呼ばないで」はだめでしょうね
 夕べ遅く、例によって「郵便受けに入れておきました」というメールが届きました。これはニューフィルの定期演奏会後のお楽しみ、BDとCDが出来上がったので、自宅まで届けてくれた、という、録音係のWさんからの連絡です。いそいそと下まで降りて行って郵便受けを開けてみると、ありました。
 パッケージのデザインはチラシでおなじみのものですが、今回はしっかりキャッチコピーも入っていました。確かに、これはもうデザインの一部のようにしっくりしていたコピーでしたからね。こういう、少ない言葉で的確にコンサートがイメージできるようなコピーは、好きですね。次回はシューベルトとマーラー、いったいどんなコピーが出来てくることでしょう(って、もう完全にチラシにはキャッチコピーを入れることを前提に話が進んでいますね)。
 そういえば、このデザインのFacebookのカバーも、ニューフィルのページはすぐに当日の写真と差し替えましたが、私のやつはまだだったので、やっと取り替えました。つまり、定期演奏会が終わった時点で、すでに私が参加する次の演奏会のチラシが出来上がっていたので、それを元に作ったものをカバーにしたんですよね。最近は、オケ関係では1年に4回のステージというのがほぼ続いているので、こんなことが可能になってきます。
 まずはパックを開いて、さっそく、BDの本編ではなくボーナストラックを見てみます。バックステージとか打ち上げが入っているトラックですね。そこで初めて見たのが、女性用の楽屋です。いつも入り口付近は見えても、中まで入っていくことなんかはできませんから、どんなところかなんて全く知らなかったのですが、Wさんに頼まれた女性がカメラを回してくれたので、その全貌を克明に知ることが出来ましたよ。あんなに広いところだったんですね。男性用の楽屋2部屋分より広いぐらい、ここだったらくつろげるでしょうね。畳の部屋もかなり広いし。
 それと、私は行かなかった二次会の模様も見れました。結構行った人がいたんですね。普段は行かないような人までいましたから、楽しかったでしょうね。私は、その日のうちにやっておきたいことがあったので失礼してしまいましたが、ちょっと残念でした。
 CDも出来上がったので、今まで公開していたハイレゾ音源もひとまず一般の方にはアクセスできないところに引っ越しました。これは、当初から試験的にやってみたもので、こういう音源の公開はどんな形にしたらよいかという、ある意味モニター的なところがありました。その結果、今までは団員以外は聴くことが出来なかったものが、例えばエキストラさんなども聴けるようになって喜ばれた半面、予想通りのネガティブな意見も寄せられることになりました。まさに「やっぱりな」という感じ、でも、ここは別に我を通しても意味がないので、おとなしく従うことにしましょう。
 そのCDも、きちんとハイレゾ音源と比べて聴いてみました。今まではちょっとハイレゾを聴くには物足りない環境だったのですが、今はすんなり聴けるようになったので、即座にソースを切り替えて聴くことができるようになっています。それで「タンホイザー」を比較してみたら、やはりハイレゾは一味違います。「巡礼の合唱」でチェロが出てくるところの音が、ハイレゾでは輝いているんですよね。それがCDだとちょっと響きが暗くなってしまいます。次のヴァイオリンの入りも同じこと、ハイレゾは、まさに演奏している人の「心」までも再現してくれるようです。
 まあ、普通に聴くにはCDでも何の問題もないのですが、一度このハイレゾの味を知ってしまうと、やはりここまでのものが聴けるのだったら、しっかり録っておきたいな、という気持ちになってきます。単なる私個人の趣味で終わってしまうかもしれませんが、こういうことがこれからもできるように、会場との交渉をこれからもよろしくお願いしま~す。
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by jurassic_oyaji | 2016-04-27 21:04 | 禁断 | Comments(0)
Rheinmädchen
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Raphaël Pichon/
Pygmalion
HARMONIA MUNDI/HMC 902239




最近のこのレーベルのCDには、ハイレゾ音源がダウンロードできるようなヴァウチャーが入っています。どうやらもうごく限られたアイテム以外はSACDではなくCDに移行しようという意向が固まったかのように、このところSACDでのリリースが激減していることと関係しているのでしょうね。パッケージはCDだけど、ご希望のお客様にはハイレゾもご提供できますよ、という「暖かい」配慮なのでしょう。確かに、スタート当初は44.1/24という中途半端なフォーマットだったものが、今ではしっかり96/24というSACD並みのクオリティが確保できるものになっていますから、これはありがたいものです。なにしろ、今のハイレゾ音源の販売体制と言ったら、音源のデータだけ送ればそれでいいだろうという杜撰極まりないものですから、しっかり従来のパッケージがそのまま保障されたうえで、音だけはハイレゾが入手できるというこのシステムは大歓迎です。
入手方法もいたって簡単、ヴァウチャーに示されたサイトに行って、カードに書かれたパスコードを入れるだけでOK、会員登録などの面倒くさい手続きは一切要りません。もちろん無料です。オリジナルのCDがリリースされてから2年間はダウンロードが可能ですし、同じパスコードが3回までは使えますからね。
「ラインの乙女」というタイトルのこのアルバムは、最近何かと気になるラファエル・ピション率いる「ピグマリオン」の演奏ですが、ここでは合唱は女声だけが歌っています。「乙女」ですからね。伴奏も、ピアノは使われずホルン4本、コントラバス2本、そしてハープが用意されています。このフル編成で最初に聴こえてきたのが、ワーグナーの「ラインの黄金」というよりは4部作「ニーベルンクの指環」全体の前奏曲でした。編曲者のクレジットはありませんが、原曲の混沌感を見事に表現したものになっています。特に、ハープの低音が不気味さを演出しています。もちろん、オリジナルには合唱は入っていませんが、最初に聴こえるか聴こえないかという感じでうっすらと歌われているものが、次第に盛り上がってくるのは圧巻です。
ワーグナーの「指輪」はそのあとも登場します。「ジークフリート」からは、第2幕第2場でジークフリートが角笛を吹くシーンで演奏されるホルンのソロ、もちろん、それはホルン1本だけで、合唱は加わりません。さらに「神々の黄昏」では、第3幕の第2場と第3場をつなぐ、いわゆる「葬送行進曲」がホルン4本だけで演奏されます。これらのホルンは、全部で6種類の19世紀から20世紀初頭にかけて作られた楽器が用いられています。合唱のアルバムだと思っていたら、楽器でもしっかり「ピリオド」にこだわっていたのですね。そして、ワーグナーの「指環」からはもう1曲、同じ「神々の黄昏」の第3幕冒頭の前奏曲まで遡ります。ジークフリートのホルンに続いてラインの乙女の合唱がホルン2本とハープに伴われた編曲で演奏され、その最後に、またホルンのソロでその曲が終わったかと思うと、それがなんと次のブラームスの「4つの歌」のホルンによるイントロにそのまま続くという、憎すぎる演出が施されています。
そんな手の込んだ骨組みの中で、メインであるシューベルト、シューマン、そしてブラームスの女声合唱が歌われます。中にはリートを合唱に編曲したものも含まれていて、興味は尽きません。そんな中で、ブラームスの「女声合唱のためのカノンによる民謡集」(ふつうは「13のカノン」と呼ばれていますが、このCDでの表記はこうなってます)の最後の曲「Einförmig ist der Liebe Gram」は、シューベルトの「冬の旅」の最後の曲「Der Leiermann」と全く同じ曲なんですね。あの曲はずっとシューベルトのオリジナルだと思っていましたが、本当は「民謡」だったのでしょうか。あるいは、ブラームスがシューベルトの曲を「民謡」と解釈して引用したとか。
女声合唱のまろやかさと、他の楽器の肌触り、それらがきちんと聴こえてくるのは、やはりCDではなくハイレゾの方でした。

CD Artwork © Harmonia Mundi Musique S.A.S.
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by jurassic_oyaji | 2016-04-26 21:01 | 合唱 | Comments(0)
その前にまた雨が降るのだそうです
 きのう書き残したことなど。なんせ、一次会で失礼したものの、帰ってから写真をFacebookページにアップしたり、ニューフィルの公式サイトを更新したり、さらにはハイレゾ音源をアップロードしたりとこまごましたことをやっていたら、もうこちらの方は殆ど時間が取れなくなって、かなりとっちらかったものになっていましたから。
 まず、ハイレゾの方は今朝めでたく全データのアップロードが終わりましたので、すぐに公式サイトのトップページからリンクを作ってあります。まあ、これで問題はないのでしょうが、私が気付かないところで何か不都合があればご指摘ください。というのも、先日の仙台フィルの定期演奏会も会場で同じようにハイレゾ(あちらはDSD)の録音をやっていたので、すぐに配信が始まるのだと思っていたら、意外と時間がかかっているものですから。確か、「第9」の時などはもう即座に出ていたような印象がありましたからね。それで、打ち上げの時に、エキストラでいらっしゃっていた仙台フィルの方にちょっとお聞きしてみたら、今まではアーティストの許諾が下りなくて、お蔵入りになることもあったのだそうです。まあ、あちらはしっかりお金を取っての商売ですから、シビアな面があるのでしょうが、アマチュアが無料で行う場合には何か問題はないのか、ちょっと気になってしまいました。そういうことではなくても、ちょっと恥ずかしいミスをしてしまったので、できれば身内だけが聴けるようにして欲しいとか。これに関しては私も1か所とても不本意なところがあって、気持ちは分かりますので、是非に、というお申し出があれば対処したいと思っています。いやあ、練習やゲネプロでは失敗したことはなかったのですが、本番でちょっと別なキーに指が触れてしまって、とんでもない音を出してしまったものですから。
 まあ、でも、基本的に私たちの演奏を多くの人に聴いていただきたい、という思いはありますから、できればこの形でやらせていただきたいな、とは思っていますがね。
 あとは、打ち上げの時に最後に篠崎さんがおっしゃっていたことには、ちょっと響くものがありました。熊本の震災に関連して、ニューフィルでは5年前の震災でも結局団としては何もできていなかった、というようなほかの方のあいさつに対して、篠崎さんが「着実に演奏会を重ねてきたことにこそ、意味がある」というようなことをおっしゃったんですよね。いろいろな考えはあるでしょうし、決して一つの考えに収束できるような問題ではないのですが、これはこれでとても説得力を持って素直にうなずけました。そうなんですよね。自分たちが信念を持って音楽に向かっていくことを止めさえしなければ、なにも引け目を感じたりすることはないのではないでしょうか。
 そんな、私にとってはとても貴重な経験を2週間にわたって与えていただいたのに、来週はまだ重要なイベントが待っています。別に公式行事でも何でもない、ただの思いつきで始めたことなのですが、一度ぐらいは、声をかけられる人には全員にお知らせしようと案内を出してみたら、今回はなんだかとてもたくさんの人が来てくれそうな手ごたえです。ですから、やはり初めての人にも良い印象を持っていただきたいと、1年経ってかなり荒れてしまった竹藪の大掃除をやってみました。いつの間にか、植木屋さんあたりが入った時に奥の方に倒れていた古い木を、適当な長さに切ってくれて、それが入り口近くにうずたかく積み上げてあったんですね。こんなのがあったのでは小さいお子さんも来るかもしれないので邪魔になるしあぶないので、全部処分しましたよ。
 とは言っても、今日の時点ですでに背丈ぐらいに伸びてしまっているタケノコがたくさんありますから、1週間後にはどうなっているか、ちょっと恐ろしいような気がします。まあ、その時はその時で、バーベキューでも楽しみましょうか。
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by jurassic_oyaji | 2016-04-25 21:49 | 禁断 | Comments(0)
ニューフィルの定期演奏会も、終わりました
 ニューフィルの定期演奏会が終わりました。16年ぶりの篠崎さんは、16年前と同じような濃密なリハーサルを重ねた結果、やはり16年前と同じ、感動的な演奏会を作り出してくれました。そのリハーサルの密度は、本番が近付くにつれて高くなっていき、きのうのリハーサルでは用意していた時間を目いっぱい使って行われました。
 今日のゲネプロでは、全曲を一通り通して、数か所気になったところを丁寧に繰り返しただけ、それでも最後まで手は緩めません。「これまでせっかく頑張ってできるようになったことを、みすみすダメにするのはもったいない」とまで言われれば、頑張らないわけにはいきません。それが、「篠崎マジック」の真髄です。
 お客さんの入りはあまり良くないだろう、というのが、チケットの売り上げ調査の結果からの予想でした。でも、私が担当していたこの会場の県民会館のプレイガイドにきのうチケットを引き上げに行ったら、一般券30枚が完売していましたよ。なんか、「もしや?」と思ってしまいましたね。案の定、開場直後に客席に入ってくるお客さんの勢いは、ちょっと普通ではありません。瞬く間に席が埋まっていく感じです。
 そして、我々がステージに座った時には、とてもいい具合にお客さんであふれていましたよ。目測で1000人程度だったでしょうか。そんなお客さんを前にして、篠崎さんはリハーサルではあまり見せなかったとても激しい身振りで我々に強烈なゆさぶりをかけてきました。まさに本気モード、オケもそれにくらいついていきます。
 もう、あっという間に演奏会が終わってしまいました。というか、今回は私の場合はかなりヒマ、ローテーションの都合でたまにこういう、それほど頑張らなくても演奏会がやりおおせる時があります(だから、1週間前によそのオーケストラに合唱で参加することなんかも可能になります)。正直、燃焼しきれないところが残ってしまいました。最近よく聴きに来てくれるフルート仲間のTさんが「今回はあまり出番がなかったね」と言ったのは、見事にそのあたりを言い当てていました。でも、打ち上げでは篠崎さんは必ず近いうちにまた共演したいとおっしゃってくれましたから、その時にはもっと篠崎さんの熱気を真正面で受け止められるようなポジションにいたいものです。
 それでも、一応全乗りだったので、写真を撮るのはどうしようかと思っていたら、このほどニューフィルに復帰して、まだ練習には参加してはいないNさんが、写真係を申し出てくれました。それで、お言葉に甘えて、私のカメラを全面的にお任せして、いろんな写真を撮っていただきました。すでにFacebookページにはアップしてありますし、それはニューフィルの公式サイトにも埋め込んであるので、ご覧になってみてください。ぜんぶNさんに撮っていただいた写真です。
 それだけではなく、ちょっと面倒くさいこともお願いしてありました。最近は、ホールにお願いするとホールの三点吊りのマイクの出力を、そのままレコーダー用に提供してもらえます。それで、前回の定期はハイレゾ録音を行っていたのですが、今回もそれをやることにしました。ただ、その時にちょっと面倒くさかったのが、なにしろハイレゾはGB(ギガバイト)単位のファイルですから、レコーダーの規格として2GBを超えると、新たに別のファイルが作られてしまうのですね。24/96だと大体1時間分。今回もブルックナー全曲だと1時間以上なので、どこかで切れてしまうのですね。それでは音がつながらないので、楽章の間で一旦録音を停止して、直後にまた録音を始める、という作業が必要になってきます。もちろん、私がそれをやるわけにはいかないので、それをNさんにお願いしました。Nさんは、写真だけで手いっぱいのはずなのに、見事にその作業をやってくれていました。感謝の言葉もありません。ですから、写真と同時にそのハイレゾ音源も公開できるのですが、なんせサイズが大きいものですから、アップロードに時間がかかります。やっとブルックナーの第2楽章までが終わったところ、全曲の公開は明日になりそうです。
 それと、私のサイトの愛読者で、わざわざこの演奏会を聴くためだけに北海道からいらっしゃった方とお会いできました。なんか、格別なサイト対するお褒めの言葉、恐れ入ります。お土産までいただいて、こちらも感謝の言葉もありません。
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by jurassic_oyaji | 2016-04-24 23:43 | 禁断 | Comments(0)
BACH/Missa BWV232(1733)
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Eugénie Warnier, Anna Reinhold(Sop)
Carlos Mena(CT), Emilliano Gonzalez Toro(Ten)
Konstantin Wolff(Bas)
Raphaël Pichon/
Pygmalion
ALPHA/Alpha 188




以前こちらで聴いたモーツァルトのアリア集の中で、とてもセンスの良いバックを務めていたラファエル・ピション指揮の「ピグマリオン」が、彼らの本来のフィールドでバッハを演奏していたアルバムが目に入ったので、聴いてみました。バッハの「ミサ・ブレヴィスBWV232」です。
カトリックの典礼で用いられる「ミサ」は、本来は「Kyrie」、「Gloria」、「Credo」、「Sanctus」、「Agnus Dei」の5つのパーツから出来ていますが、それの最初の2つだけから成るものは「ミサ・ブレヴィス(小さなミサ)」と呼ばれます。プロテスタントの場合も、ルター派ではこの形でのミサは認められているので「ルター派のミサ」とも呼ばれています。バッハが作ったこの形の作品は、一応4曲(BWV233-236)残されています。
しかしここでは、それらとは別の「BWV232」が演奏されていました。このシュミーダー番号をご覧になれば、有名な「ロ短調ミサ」であるとこはすぐに分かりますが、それは全パーツが揃った「フル・ミサ」ですから、「ミサ・ブレヴィス」ではないのでは、という疑問が浮かんでくるはずです。そのあたりは、この「ロ短調」の成立経緯を考えれば納得です。フル・ミサとして完成されたのは1749年頃ですが、バッハはその時点で以前に作られたものを集め、足らないものは新たに作って「ロ短調ミサ」という大曲に仕上げていたのです。「Kyrie」と「Gloria」がまさにそのような「在庫品」、1733年にドレスデン選帝侯に献呈するために作られていたものだったのです。つまり、ピションたちは1733年にタイムスリップして、その時には「ミサ・ブレヴィス」という形で存在していた作品をここで演奏している、ということになるのですね。
合唱は23人と、程よい人数、オーケストラも弦楽器は4.4.3.2.2という、少し大きめの編成です。ただ、見かけはそういう人数なのですが、ヴィオラ以下のパートにはそれぞれヴィオール系の楽器が1本ずつ含まれています。さらに、通奏低音にもオルガン、チェンバロ、そしてテオルボまでが加わっているというヴァラエティに富んだ編成がとられています。それによって弦楽器全体はとてもソフトな音色を楽しむことが出来ますし、テオルボが大々的にフィーチャーされた「Domine Deus」のデュエットなどでは、それがまるでハープのように聴こえてきて、とても典雅な思いになれます。
合唱もとことんまろやかな歌い方で迫ります。冒頭の「Kyrie」などは、良くある荘厳で重厚なものでは全然なくて、気抜けするほどの爽やかさです。トランペットとティンパニが活躍する場面でも、それはリズムを強調するのではなく、華やかな音色を加えるという方向に作用しているようです。
ご存知のように、献呈の際にバッハはスコアではなく、自ら写筆したパート譜を作って、それをドレスデンに送っています。その時にいくつかの部分で改訂を行っています。それはスコアには反映されていませんし、さらにスコア自体も後にパート譜で改訂した箇所とは別のところを書き換えたりしているので、この「ミサ・ブレヴィス」は厳密にいえば「ロ短調ミサ」の中の最初の2曲とは異なっているところがあります。その具体的な相違点は、こちらのCDに付いてきたパート譜のファクシミリや、こちらの、2014年に出版されたCARUSのスコアを見れば分かります。
しかし、その楽譜などと照らし合わせてみると、この演奏は1733に作られた「ミサ・ブレヴィス」とは別物であることに気づきます。特に「Et in terra pax」のフーガの歌い出しの「hominibus」のリズムは、全て付点音符になっているのはちょっと問題。これは、「ミサ・ブレヴィス」の時点では「♪+♪」の平たいリズムだったものが、「ロ短調ミサ」になった時に(おそらく)改訂された部分なのですからね。さらに、パート譜を作った時に改訂されたバスのアリア「Quoniam tu solus sanctus」では、両方のバージョンが混在してますし。こういういい加減なことは、金輪際やめてもらいたいものです。

CD Artwork © Alpha Productions
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by jurassic_oyaji | 2016-04-23 22:57 | 合唱 | Comments(0)
今年はタケノコも早いです
 東京に行く前には満開だった桜も、帰ってきたらもうすっかり散ってしまっていました。なんか、今年の桜はちょっと物足りなかったような気がします。いつもはあふれるばかりの花を咲かせていた枝垂桜も、なんだかあまり元気がよくありませんでした。そろそろ寿命なのでしょうか。でも、確かだいぶ前にもう完全に枯れてしまったと思っていたソメイヨシノが、次第にまた花をつけるようになって今ではもう堂々たる満開の姿を見せるようになっていますから、長い間にはいろいろあるようですね。
 桜の季節が終わるとそろそろタケノコのことが心配になってきます。ですから数日前から、いくらなんでもまだだろうと思いつつ、竹藪をのぞいていました。もちろん、全然出てくる気配はありませんでしたけどね。桜の開花は例年より早かったようですが、タケノコにはそれは通用しないのでしょう。
 今日の朝のこと、雨も降ったことだし、もしかしたら頭ぐらい出しているのがあるかもしれないな、と思って竹藪に行ってみると
 目を疑いましたね。いきなりこんなに大量のタケノコが伸びているなんて。まさに「一夜にして」こんな風になっていたんですね。今年は、なんだか勢いが去年あたりとは全然違いますよ。大豊作の予感です。ただ、そうなるとちょっと困ったことが起きてしまいます。このペースで伸びてしまうと、連休のあたりにはもうみんな「タケノコ」ではなく「竹」になってしまうかもしれませんよ。つまり、毎年連休のあたりにちょうどいいぐらいに出てきて、それをニューフィルのみんなが集まって掘りあうという「タケノコ掘りたいかい?」が、あまりにタケノコのペースが早いので開催が危ぶまれてしまうのですよ。
 まあ、こればっかりは自然の営みですから、どうなるかはわかりませんが、ギリギリ連休まで残っていればぜひやりたいと思っていますので、チェックは怠らないでくださいね。
 でも、我が家の分はとても待ってはいられないので、2本ばかり掘ってきましたよ。
 先の方の皮を少し切って、
 皮を付けたまま米ぬかを入れてあく抜きです。
 しばらくゆでていたところで、なんせ1年ぶりのことですから、鷹の爪を入れるのを忘れていたことに気づきました。あわてて探したら、去年のがまだ残っていたので急遽加えます。
 ということで、今年は思いがけなく定期演奏会前にタケノコを掘るという珍しいことになっていました。なんたって明後日は本番ですからね。実はこの前の日曜日の朝に、FM仙台でスポット広告を放送してくれていたはずなのですが、聴かれた方はいましたか?今週も午後の時間帯になんか流していただけるようなことを言っていたのですが、それはどうだったのでしょう。この局では一応クラシックの番組などもやっているようですが、やはりそれは申し訳程度のものですから、そんなに期待はできないでしょうけどね。なんせ、毎朝ラジオで、今開かれている「ダ・ヴィンチ展」の案内をやっているのですが、そのBGMがバッハの「ブランデンブルク協奏曲第5番」なんですからね。ダ・ヴィンチとバッハって、国も時代も、そしてもちろん文化的な様式も全く異なっているのに、それを「クラシック」だからと強引に結びつけるセンスには、驚かされます。そもそも、ダ・ヴィンチの時代には「クラシック」はまだ始まっていなかったというのに。
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by jurassic_oyaji | 2016-04-22 21:07 | 禁断 | Comments(0)
MORAVEC/ Violin Concerto, Shakuhachi Quintet
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Maria Backmann(Vn), James Nyoraku Schlefer(Sh)
Stephen Gosling(Pf), Voxare String Quartet
Rossen Milanov/
Symphony in C
NAXOS/8.559797




1957年にアメリカで生まれた作曲家、ポール・モラヴェックの作品集です。チェコ語だと「モラヴェッツ」になるラストネームでもわかる通り、父親がチェコ系、そして母親がイギリス系という出自なのだそうです。
彼は幼少のころから聖歌隊のトレブル・パ-トを歌うことで、音楽と親しんでいましたが、そのころ衝撃を受けたのがテレビの「エド・サリヴァン・ショー」で見たビートルズだというのが、面白いですね。その後バッハ、ベートーヴェン、ワーグナー、ブラームスといった「普通の」音楽との出会いもあり、ピアノのレッスンを受けるようになって、13歳で作曲を始めます。
現在では、アメリカを代表する作曲家として大活躍、オーケストラ作品や室内楽だけではなく、歌曲やオペラなど、あらゆるジャンルで膨大な作品を産み出しています。最新作はスティーヴン・キングの「シャイニング」を元にしたオペラで、今年の5月7日にミネソタのオペラハウスで初演されます。
今回のアルバムでは、彼の作品の中でも最も完成度の高いものとされている「ヴァイオリン協奏曲」がまず演奏されています。彼の場合、演奏家との出会いによって作品のインスピレーションがわいてくるケースが多いそうですが、この作品も、長年にわたって創造の源となってきたヴァイオリニストのマリア・バックマンのために作られています。黄色くはありません(それは「パックマン」)。もちろん、ここでも彼女がソロを担当しています。彼女の卓越した演奏技巧を前提として作られたこの協奏曲は、確かに高度のテクニックを必要とするものですが、彼女のよどみのないヴァイオリンによってとても魅力的に迫ってきます。モラヴェックの作風は、ごくオーソドックスで分かりやすい和声とメロディが基本、そこにジャズや、ほんの少しの「前衛的」なかけらを加えたような感じではないでしょうか。特にこのヴァイオリン協奏曲では、ブラームスあたりの重厚なテイストもいたるところに見られます。長大なカデンツァを挟んで、圧倒的な盛り上がりを見せるフィナーレは聴きごたえがあります。ここで共演している「Symphony in C」というのは、アメリカに3つしかないという「教育オーケストラ」、ここで学んだ才能が、各地のオーケストラの団員として活躍しています。
もう一人の、彼の作曲の源となった人物が、尺八奏者のジェームズ
如楽(にょらく) シュレファーです。彼はあの横山勝也氏などに師事、日本人以外ではほんの少しの人しか許されていない「大師範」の免状を与えられているのだそうです。また、彼は「虚心庵アーツ」という団体をアメリカに設立して、日本の楽器、ひいては日本の文化を世界中に広める活動を行っています。この「尺八五重奏曲」も、その「虚心庵アーツ」からの委嘱によって作られました。
ここでは、その如楽さんと「ヴォクサー弦楽四重奏団」(と読むのだと思います。少なくとも、このCDの帯やNMLで表記されている「ヴォザール」でないことだけは間違いありません)との共演です。曲の最初ではカルテットだけでいともロマンティックな音楽が演奏されますが、そこに尺八が加わるとガラッと曲想が変わる、というのが、モラヴェックならではのこの楽器との対峙の仕方だったのでしょう。あたかも「共演」していると見せかけて、音楽的には全く異質なものが最後まで互いに譲らない姿勢がありありと見て取れます。結局はやっぱり西洋楽器、あるいは西洋音楽の軍門に尺八は下ってしまう、という、まさに西洋人が見た和楽器という構図がミエミエの作品です。
あと2曲、ヴァイオリンとピアノのための小品が演奏されています。最後の「Everymore」という曲は、バックマンの結婚祝いに作ったものなのだそうです。これは1度聴いたら忘れられないこてこての「ポップ・チューン」、ビートルズがアイドルだった作曲家のルーツを見る思いです。

CD Artwork © Naxos Rights US, Inc.
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by jurassic_oyaji | 2016-04-21 20:18 | 現代音楽 | Comments(0)