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黄昏の調べ/現代音楽の行方
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大久保賢著
春秋社刊
ISBN978-4-393-93204-9




「新しきことは良(善)きことなり」というのは近代以降の西洋を濃厚に彩った気分だが、それが猖獗を極めたのが20世紀という時代だった。あらゆる分野で次々と新しいものが見出され、生み出されていく(と同時に、昨日のものが弊履のごとく捨て去られていく)中で、芸術音楽もこの流れに掉さして、表現の手段や領域を急速に拡げていったのである。

最初のページから、こんな、まるで明治時代の文豪が使うような言葉がオンパレードの堅苦しい文章が登場しますから、ちょっとビビッてしまいました。正直「弊履」ぐらいは読み方も意味も知ってましたが、「猖獗」なんて言葉は初めて目にしました。「しょうけつ」って読むんですね。チューハイじゃないですよ(それは「ひょうけつ」)。そして「流れに掉さして」というのは、確か漱石あたりの小説にあったかな、とは思いましたが、ここで使われているのとは正反対の意味だとずっと思っていましたからね。それをこの文脈で使うのは変だなあ、と思って調べてみたら、やっと本来の意味が分かりました。なんと恥ずかしい。そんな「古語」にも親しい方の語る「現代音楽」論だったら、傾聴に値するはずです。
ところが、著者のプロフィールを見たらお生まれになったのは1966年ですって。そんなにお若くてこんなカビの生えたような文章を書くとなると、なんだかそれは別の意味で油断できないような気になってくるから不思議です。よくいますよね、こういうの。ストレートに意見を述べるのが嫌で、わざと自分を飾ってみせる、というような人が。いや、別にこの著者がそうだなんて言ってませんけど。
それだけではなく、この人の文章は、正直とても読みづらいものでした。カッコがやたら多くて、そのたびに読むリズムが断ち切られてしまうんですよね。言いたいことがたくさんあるからこんな風になってしまったのでしょうが、はっきり言ってこれだと本当に言いたいことはなんなのかが、完全にぼやけてしまいますね。さらに、「註」のなんと多いこと。本文が200ページちょっとなのに、註だけで40ページもあるんですからね。それだけ長くなっているのは、単なる参照文献の提示だけでなく、時には本文以上の情報量を持つコメントが添えられているため、こうなると、ひっきりなしにページを行ったり来たりしなければいけませんから、煩わしいったらありません。
そんな面倒くさい体裁を取っている割には、中身はなんともシンプル。なんせ、「現代音楽」の定義が、「20世紀以降の前衛音楽、つまり非調性音楽」ですからね。これを見ると目からうろこが落ちる人はたくさんいるに違いありません。なんだ、そんなに簡単なものだったのか、とね。でも、これはあくまで著者の中だけで通用する「定義」であって、到底すべての人に受け入れられるはずもありません。だって、誰でもわかることですが、「非調性音楽」は確かに「現代音楽」ですが、「現代音楽」すべてが「非調性音楽」ではありませんからね。そこから論を進めている限り、読者を完全に納得させられるような結末を導き出すことなどは不可能です。
案の定、著者の論点は、あちこちで破綻を見せています。ペルトやグレツキのあたりの記述になると、これまでさっきの「定義」を元に読み進んできた真面目な読者は、軽い混乱状態に陥ってしまうことでしょう。
著者の「現代音楽」についての歴史的な総括は、それなりの体験と見識に基づいたとても価値のあるもので、確かにこの音楽に対する広範な知識を得るのには役に立つ資料です。ところが、最初に変な「縛り」(文中で頻出する言葉。普通に「制約」とでも言えばいいものを、あえてこんなヤクザな言い方を、それこそ「猖獗」のような言葉と同時に使うあたりが、笑えます)を設けてしまったものですから、最後の章がなんとも精彩を欠いてしまうことになりました。残念です。

Book Artwork © Shunjusha Publishing Company
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by jurassic_oyaji | 2016-05-31 23:38 | ポップス | Comments(7)
今年も、青葉まつりで入賞したそうです
 今年も、職場でのイベントが始まる季節となりました。まずは、毎年6月末に行われている「かやの木コンサート」です。まあ、あくまで「コンサート」はオマケなのですが、私はいろいろこれについての準備を行わなければなりませんから、まずは今年度の行事の肩慣らし、といった感じです。
 とは言っても、今年のゲストは私ではなく副社長の人脈でオファーした団体ですから、そちらとの交渉などは一切なし、私は、ただ指定された通りの準備をしてこの日に備えるだけです。
 まずは、きのうのうちに、お客さんが座る日よけのテントを張ってもらいます。いつも頼んでいるSテントからのレンタルで、全部組み立ててもらいますが、ここからはPAの機材もやはりレンタルしてありました。
 一応、今年は「楽器のために2本、MCに1本」というマイクの数が指定されていました。ですから、ここはいつも借りている安っぽいコンパクトの装置ではなく、本格的なものを・・・ということで発注したら、ほんとにこんな「本格的」なものを持ってきましたよ。16チャンネルの入力のあるミキサーコンソールです。
 とは言っても、持ってきたのはワイヤレスを3本、それを右側のチューナーで受けて、それを流すだけですから、入力は1チャンネルしかありません。個別のマイクのレベルは、チューナーのボリュームで調節です。だったら、こんなコンソールなんか必要ないですよね。でも、スピーカーはEVを2本立てますよ。
 これはこの場所で音をチェックして、ひとまず中に入れておきます。
 そして、今日は朝からセッティングです。しかし、そこでマイクのテストをしてみると、なんとワイヤレスマイクが、チューナーからちょっと離れただけで音が切れてしまうことが分かりました。前の日にはすぐ近くで試しただけだったので、そこまだは分からなかったんですよね。よく見てみると、チューナーのアンテナ端子には何も入っていません。内蔵のアンテナだけだから、こんな近くだけでしか使えなくなっているんですね。
 この機材のレンタルは、結構高かったんですよね。それがこんな役に立たないのでは困るので、何とかしてほしいとSテントに電話したら、「うちにはそれしかないので、遠くでマイクを使うことはできません」なんて言ってますよ。それはあり得ないので、「もっと機械のことが分かる人に聞いてください」と言って、乱暴に受話器を置きましたよ。そうしたらしばらくして「これから、アンテナと、有線のマイクを持って急いで伺います」ですって。やっぱり、さっきの電話の人はシロートだったんですね。
 ちゃんと、時間に間に合うようにアンテナなどを持ってきてくれたので、それをセットしたらワイヤレスの問題は解決しました。ものすごく恐縮してましたね。どうやら、前の日にアンテナは持ってきてあったのに、よく分からなくて付け忘れていたようですね。
 せっかく、有線のマイクももう3本持ってきてくれたので、楽器にはそっちを使おうと思いました。せっかくのコンソールですから、フルに使わないと。
 リハーサルなどは全然やらないで、一発の本番です。マイクは笛だけに使って、太鼓とのバランスを取ります。女性ばかり、5人もいましたね。でも、最初はやはり少し太鼓に負けているようだったので、フェーダーを少し上げてやったら、はっきり聴こえるようになりました。ミキサー冥利に尽きますね。
 今日のゲストは「すずめ踊り」でした。果たして、こんなので30分も持つのかな、と思っていたのですが、思っていた以上にバラエティに富んでいて、とても楽しめました。さっきの笛も、時には2声でハモったりするのが、新しいですね。
 時には、笛の人がうちわ太鼓に「持ち替え」たりして、幅の広さを見せ付けてくれました。いつもは「クラシック」系ばっかりですから、たまにはこんなのもいいでしょう?もしかしたら、来年は女声合唱?
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by jurassic_oyaji | 2016-05-29 21:25 | 禁断 | Comments(0)
Emigrantes/Flute Music from Argentina
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Elena Yarritu, Paulina Fain(Fl)
Exequiel Mantega(Pf)
MSR/MS 1591




アメリカの西海岸を拠点にして、ソロやアンサンブル奏者、あるいは教師として活躍しているフルーティスト、エレナ・ヤリトゥが、アルゼンチンの作曲家の作品を演奏しているアルバムです。彼女は、日本人を母親、スペイン/バスク系アメリカ人を父親として日本に生まれ、その後アメリカで育ちます。
彼女は、アルゼンチンの作曲家でアメリカにも活動拠点を持っているピアニストのエゼキエル・マンテガと親交があって、彼の才能を高く評価しているのだそうです。全てが世界初録音となるこのアルバム、その前半では彼の作品が演奏されています。
最初が、アルバムタイトルとなっている「移民」という、ピアノとフルートのための、3つの部分から成る作品です。これは、イスラエル人のヤリトゥの夫の実家に行った時の彼女自身の体験が元になっています。1925年に撮影されたという古い家族の写真を見て、そこに写っている人たちがその後の第二次世界大戦中にたどる運命に思いを馳せたことが、彼女に新しい作品を作らせる動機となりました。2013年に彼女がマンテガの元を訪ねて新しいフルート曲を作ってほしいと頼んだ時にこの話をすると、作曲家はたちどころにその最初の部分のテーマを作ってしまったのだそうです。それは、短調で作られた物悲しいメロディ、その「移民」たちの深刻な運命を物語るようなものでした。次の部分になると、曲調はガラリと変わり、アルゼンチンの民謡を引用した子守唄のようなものになります。そして、最後はとても明るいイケイケの音楽で、全体が閉じられます。
次に演奏されているのは、アルト・フルートとピアノのための「ラクダ」という作品です。ここでは、ちょっと鄙びた、まるで尺八のような音色のアルト・フルートによって、ラクダの行き交う広々とした草原の情景が描かれています。
マンテガの最後の作品は、フルート四重奏曲「松明」です。これは、C菅のフルート2本とアルト・フルート、バス・フルートのために作られたものですが、それを多重録音によって彼女ともう一人、作曲者のパートナーであるタンゴ・フルートの第一人者、パウリナ・ファインとの二人で演奏しています。タンゴのイディオムをふんだんに盛り込んだ、とても楽しい曲ですが、かなり難易度は高そう、しかし、この二人はやすやすとそれぞれ2人分のパートを見事に吹ききっています。
後半は、アルゼンチンを代表する作曲家、アストル・ピアソラの曲です。ただし、それはオリジナルではなく、マンテガによって編曲されたバージョンです。まずは、フルーティストにとっては「タンゴの歴史」とともに必須アイテムとなっている「タンゴ・エチュード」。もちろん、これは練習曲なので一人で吹くために作られたものなのですが、マンテガはそこにもう一つの声部を書き足しているのです。オリジナルは1987年にHENRY LEMOINEから出版されています(2006年にはピアノ伴奏が付けられました)が、こちらのバージョンも同じ出版社から2014年にリリースされました。
これも、先ほどのファインとのデュエットです。オリジナルのパートはそれぞれ1番フルートと2番フルートに振り分けられていますから、それぞれのプレーヤーは主旋律と対旋律とを両方吹くことになります。ですから、そこでそれぞれのキャラクターがはっきりしてくるはずなのに、この二人は恐ろしいほど音色や奏法を揃えてきているので、いったいどちらがどのパートなのかは全くわかりません。右チャンネルの人の方が少し旋律を崩して歌っていたりしますから、こちらがファインなのでは、と思うのですが。
最後は、やはりピアソラの有名な、タンゴ・バンドのための「Concierto para Quinteto」を、マンテガがフルートとピアノに編曲したものが演奏されています。
聴き終わってみると、二人のフルーティストの荒っぽい迫力に、ぐったりしてしまいました。お上品な人にはタンゴは吹けませんね。

CD Artwork © Elena Yarritu
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by jurassic_oyaji | 2016-05-28 20:20 | フルート | Comments(0)
目の錯覚でしょうか
 このところ、「観測史上最高の気温」なんて大騒ぎしている日が続いていますね。かと思うと急に雨が降って寒くなったりと、何とも先が読めないお天気ですから、困ってしまいます。3月に新しい機械に替えた職場の自販機も、ちょっと油断しているとその「最高の気温」の日に「い・ろ・は・す」だけバカ売れしてしまって、危うく品切れになってしまうところでした。逆に、今年は早々に「ホット」をやめてしまったら、そのあとも寒い日が続いて、これだったらもっと続けていればよかったな、とか、なかなかうまく行かないことがあります。別に、これで商売をやっているわけではないのですが、やはりせっかく買ってくれる人がいるのに、欲しいものがなかったりしたら、そんなヘマをしてしまった自分が許せませんからね。
 とは言っても、自販機との付き合いはだいぶ長くなりましたから、ほとんどのことは自分でやれるようになってしまいました。ですから、ホットからコールドへの切り替えとか、思い切り売れてしまうお盆の時だけ、カラムを替えて売れるものだけをたくさん入れておくとか、簡単にできるようになったのですが、今度の新しい機械は、ちょっと手に余るような機能も付いてきているのです。それは、複数のカラムを連動させて、同じ品物を入れておけばどこかのカラムが空になったら、同じボタンを押しても別のカラムが作動する、というものです。ただ、これの設定がちょっと面倒なんですよ。マニュアルを見てもよく分かりませんし、営業の人に聞いても、「これは面倒ですから、私たちに任せた方がいいですよ」と言うぐらいですからね。
 もちろん、そういうのは本来はメーカーの営業の仕事ですので、すべてをお任せしたいのはやまやまです。しかし、今まで長いことこのメーカーと付き合ってくると、もう本当にいろいろな営業さんが担当になっていて、それぞれに全く仕事のスタンスが違っているんですよね。一番いいのは、今の営業さんのように、定期的に様子を見に来て、必要な設定などはやってくれても、決して新しく出た商品を無理に勧めるようなことはしない人です。反対に、ひどかったのはそんな風に新しい缶コーヒーが出るたびにやって来てしつこく「入れてください」と言ってくるだけで、もうけにつながらないような面倒くさいことは決して自分からはやろうとしない人です。そういう人だと、ほとんど修理が必要な状態になっているのにいつまで経っても何の手も打ってくれないんですよね。
 ですから、今の営業さんが、ずっとうちの担当でいてくれるという保証は全くない状況では、とてもすべてをお任せするわけにはいかなくなってしまいます。そこで、今日、その人がホットとコールドの場所を入れ替えたらどうですか、と顔を出した時に、以前から考えていた、営業さんでしかできないところだけをやってもらって、あとは私が管理できるようなセッティングに変えるように、お願いしてみました。具体的には、夏場には突出して売れる2品目だけは、さっきの連動するカラムに入れてもらって、あとはホットのカラムは夏場は完全に空にして使わず、すべてのカラムに年中同じものを入れておく、という設定です。前の機械ではカラムが少なくてそこまでは出来なかったのですよね。もちろん、営業さんは私のやりたいことを完璧に把握して、即座にセッティングを完了してくれました。
 これで、今までは、お盆の時などは頻繁に中身を追加しなければいけなかったものが、ストック量が3倍になったので余裕を持って追加が出来るようになりました。
 その結果、ホットのボタンは、夏場には常時「売り切れ」のランプが点いてしまうことになりますが、それは仕方がありません。でも、この赤いランプ、なんだか部分的に消えてませんか?初めて気が付いたのですが、肉眼で見るとこれは全部点きっ放しになっているように思えるのですが、なぜかカメラを通して見ると、それぞれが点滅しているのですよ。ほんとですよ。こちらに動画をアップしましたから、見てください。
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by jurassic_oyaji | 2016-05-27 21:36 | 禁断 | Comments(0)
EŠENVALDS/St Luke Passion
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Ieva Parša(MS), Jānis Kurševs(Ten)
Daumants Kalniņš(Bar)
Sigvards Kļava/
Latvian Radio Choir
Sinfonietta Rīga
ONDINE/ODE 1247-2




ラトヴィアの作曲家、エリクス・エシェンヴァルズの最新の合唱作品を集めたアルバムです。この人の名前は例によって北欧系のヘンテコな読み方が必要とされるのですが、その日本語表記はやはり混乱を極めています。「S」の上には「ˇ(ハーチェク)」が付いているので「ス」ではなく「シュ」と発音されますから、「エシェンヴァルズ」がより本来の発音に近い表記のはずなのですが、どうやらそれは「エセンヴァルズ」という似非表記によって駆逐されてしまっているようです。
このジャケット、なんだか見覚えがあると思ったら、同じ演奏家が同じレーベルから出したシルヴェストロフのアルバムととてもよく似た写真が使われていたのでした。教会のガラス窓越しに差し込む光、という、なんともベタなコンセプトですが、確かにこれは両方のアルバムに共通しているモードを的確に表現しているのではないでしょうか。ただ、そのアルバムと決定的に違うのは、今回はSACDではないということです。このレーベルのSACDは毎回とてもハイレベルの音を聴かせてくれていたのですが、そんな最大の楽しみを奪われてしまった感じです。
エシェンヴァルズの合唱曲は、こちらのレイトンとポリフォニーとの演奏でも聴いたことがありました。そこでも演奏されていた「A Drop in the Ocean」という、無伴奏の合唱のための作品がここにも収録されていたので、まずはそれからチェックです。この作品の出だしは、「Pater noster」のラテン語の歌詞がほとんど語りに近い歌い方で歌われる中で、同時にアッシジの聖フランシスの言葉の英語訳がきれいなハーモニーの合唱で歌われる、というものなのですが、レイトンの演奏ではその二者は相対する要素として扱われているようでした。それが、このクリャーヴァ指揮のラトヴィア放送合唱団では、いとも自然にお互いが馴染み合っている、という印象を受けます。やはり、このあたりは「現代音楽」ととらえるか、あるいはもっとシンパシーを伴った「仲間の音楽」ととらえるかの違いなのかもしれません。
このトラック、ジャケットやブックレットのクレジットではオーケストラが加わることになっていますが、もちろんこの作品には合唱以外のものは参加していません。これはかなりみっともないミスプリント、例えば、唯一この作曲家の名前を「正しく」表記していた権威あるさるショップのサイトでさえ、これを真に受けて誤った情報を掲載しているのですから、困ったものです。
もっとも、「The First Tears」という、イヌイットの民話をテキストにして2014年に作られた、基本的に合唱だけで歌われる曲に参加しているミュージシャンが演奏している楽器を「リコーダーとハープ」としているのは、レーベルの落ち度ではありません。ジャケットには「ジョー・ハープ」と書いてあるものを、代理店が単に「ハープ」と思い込んだだけなのでしょう。そういう珍しい楽器を知らなかったのでしょうね。ただ、「リコーダー」というのはちょっと違うような気がします。ここで聴こえてくるのは、ほとんど「尺八」に近い音を出す楽器なのですから。
そんな珍しい楽器だけではなく、なんと「テープ」が使われている作品が、2011年に作られた「Litany of the Heavens」です。そこには、実際に教会で唱えられた古い聖歌が録音されていて、その音を流しながら合唱が演奏する、というスタイルがとられます。ということは、この曲を演奏する時にはその「テープ」(たぶん「CD」でしょうが)が必要になってくるのでしょう。スコアやパート譜はレンタルのようですから、そこに一緒に付いてくるのでしょうね。
タイトル曲の「ルカ受難曲」は、8つの部分に分かれた30分という大曲です。オーケストラは雄弁にダイナミックな情景を描き、ソリストは地声で情感を込めて歌うという、まるでミュージカルのようなエンターテインメントの世界です。

CD Artwork © Ondine Oy
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by jurassic_oyaji | 2016-05-26 20:43 | 合唱 | Comments(0)
最近コロモが剥がれやすくなってきました
 先週は、ニューフィルの公式サイトのデザインを少し変えましたが、そのために新たなタイトル画像を作ってみました。今まではこういうのでしたね。
 今回、今でのものの右側を少し広くして、そこにFacebookページを埋め込んだものですから、まずこれを単純に拡大して入れておいたのですが、やはりあまりバランスが良くないので、全体を横長の形に変えようと思いました。そうなると、タイトルの文字も1行にしなければいけませんが、これをそのまま1列にするとちょっと長すぎます。ですから、日本語から英語にして、ついでに国際化にも対応しようとしたんですね。世界に羽ばたく、ニューフィル、です。
 いや、本当のことを言うと、これを作った時のレイヤーの状態のファイルが、どこかに行ってしまったのですよ。ですから、もはや文字をそのまま動かしたり場所を変えたりすることはできないんですね。だったら、この際新しくするのならいっそのこと英語にしてしまおう、という安易な発想なんですけど。
 ということで出来上がったのが、これでした。今度はちゃんとファイルが保存されていますから、オケの写真も簡単に替えることもできるのですが、まあこれはこれで一つの「記号」として、これからもずっと使っていたいな、という気もします。
 結構気に入ったので、その勢いで、Facebookのカバーも作ってみようと思いました。今までは、基本的には演奏会が近くなればその時のチラシをデザインしたものを使い、それ以外の時には一番近い演奏会の時の写真を使う、ということにしていたのですが、この際だから公式サイトとも連携して、統一したデザインにするのもいいかな、という気になったんですよね。
 ただ、Facebookの場合は、なかなか難しいところがあって、作ったカバーが全部は表示されず、一部がタイトルロゴによって隠されてしまうのですよ。そこをうまく避けてデザインする、というのが、必要な技になってきます。ですから、それを見越してこういうのを作ってみました。
 実は、これはバックの写真を3枚組み合わせてあります。これだけ見ると、それはバレバレなんですけど、これをカバーとして挿入すると、
 こんな風に、ちょっとヤバいところがロゴで見えなくなります。まあ、こうなるのが分かっていたので、あえて手を抜いた、というか。
 これが、平常時のカバー、もちろん、演奏会のチラシが出来れば、それをアレンジしたカバーに替えるつもりです。
 まあ、タイトル写真やカバーは行ってみれば「顔」ですからね。最初の印象が肝心です。お店の看板なんかも、やはりインパクトがあった方が分かりやすいでしょうね。
 これなんか、なかなか力のある看板ですよね。もちろん、看板に見合うだけのおいしい料理を出してくれるので、私はしょっちゅう行ってます。ところが、この間この看板を見ていたら、落款の部分がちょっと気になってきました。
 拡大するとこうなります。「美味」は分かりますが、左の行にはいったいなんて書いてあるのでしょう。
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by jurassic_oyaji | 2016-05-25 22:00 | 禁断 | Comments(0)
HEROLDT/Matthäuspassion, CLINIO/Passio Secundum Joannem
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Michael Paumgarten/
Ensemble Triagonale
CPO/555 025-2




16世紀の末に、オーストリアとイタリアで作られた2つの受難曲です。ヨハネス・ヘロルトの「マタイ」が1594年、テオドーロ・クリニオの「ヨハネ」が1595年に作られています。あのシュッツの「マタイ」が作られたのが1665年ですから、それより70年前の受難曲には、こんなのがありました、というようなサンプルです。
ヘロルトにしてもクリニオにしても、全く知らない名前の作曲家でした。「流氷の天使」とは違うし(それは「クリオネ」)。おそらく、当人同士も全く面識はなかったのでしょうね。聴いてみればわかりますが、この2つの受難曲は使われている言葉も、作曲の様式も全く違っていますからお互いの関連性は皆無。ほぼ同じ時期に作られた受難曲でも、「カトリック」と「プロテスタント」というだけでこんなにも違ったものが出来てしまう、ということを示したかった、というのがこのアルバムのコンセプトなのでしょうか。
オーストリアの作曲家ヘロルトが作った曲のタイトルは、正確には「我らが主であり救い主であるイエス・キリストの苦難と死の物語」ですが、歌い出しの歌詞に「聖マタイによって語られた」とありますから、マタイによる福音書がテキストであることが分かります。これはドイツ語の訳、シュッツとかバッハでおなじみの言葉が聴こえてきます。ですから、内容自体はそのバッハの、演奏時間が3時間近くかかる「マタイ受難曲」とそれほど変わらないというのに、こちらはたった15分で終わってしまいます。ちゃんとコラールまで入っているというのに。
つまり、ここでは福音書の受難の部分のテキストが、ポリフォニックなマドリガルという当時イタリアで隆盛を誇っていた形にギュッと押し込んで歌われているのです。それは6声による無伴奏の合唱だけで歌われます。まるで早回しの映像を見ているようなせわしなさですが、セリフの部分にはシンコペーションが埋め込まれていたりと、それぞれに印象的な手法が使われていて、あっという間に「物語」が終わってしまいます。全部で3つの部分に分かれていますが、最後のキリストの死を扱ったパートでは、それまでの明るさが消えて暗い情感も漂っていますし。
そして、その間に2曲、全く同じメロディのコラールが、別の歌詞で歌われます。それがユニゾンだというのも、何か重苦しい感じを秘めています。
一方の、イタリアの作曲家クリニオの受難曲は、当時のカトリックの伝統であった「応唱受難曲」という形で作られています。ここでは、テノールの殆ど語りに近い詠唱によって福音書の地の文が朗読され、登場人物が語る部分は多声部の合唱で歌われています。そして、その人物によってパートの数が異なっているというのが特徴になっています。つまり、イエスの言葉は3声、それ以外の登場人物は4声、そして群衆は6声で作られているのですね。ソプラノのパートは群衆の部分だけに登場しますから、音色的にも華やかなサウンドになっています。
文献には登場してもまず実際に音を聴くことは出来なかったこの2つの受難曲は、おそらくこれが初録音なのでしょう。演奏しているのはオーストリアのテノール、ミヒャエル・パウムガルテンが2001年に結成した「アンサンブル・トリアゴナーレ」という6人編成の声楽アンサンブルです。意図されたものなのかどうかは分かりませんが、メンバーの中で2人のテノールのうちの一人(おそらくパウムガルテン自身)の声だけが歌い方も音色も全く異質なのが、とても気になります。ヘロルトでは、その人の声だけがとても目立ちますし、同じ人がクリニオではエヴァンゲリスト。それは、プレーン・チャントとしての歌い方のようにも思えますが、アンサンブルになっても同じ歌い方なので、とても耳障り。かつてキングズ・シンガーズの中で歌っていたボブ・チルコットが、まさにこんな感じでした。

CD Artwork © Classic Produktion Osnabrück

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by jurassic_oyaji | 2016-05-24 23:07 | 合唱 | Comments(0)
キリンシティは待たずに座れましたが・・・
 久しぶりのお天気の良い日曜日でした。でも、夜にちょっと出かける予定があったので、昼間は外には出ないで、ずっといろんなサイトの更新をやってました。その最大の仕事は、この間のニューフィルの定期演奏会の写真の整理です。いつもの通り、リハーサルや本番、そして打ち上げと、たくさん撮った写真をサーバーにアップして、公式サイトからダウンロードできるようにする、という仕事ですね。いつもならもうとっくに出来ているはずなんですが、今回は「かいほうげん」を2週続けて発行するなどという無茶なことをやってしまったので、とてもそんなことをやっている暇はありませんでした。というか、他の人に頼んだ写真のデータがなかなか手元に届かなかったので、それを待っていた、ということもあるのですがね。それで、うまい具合に仕事のピークをずらすことが出来ました。
 取り掛かりさえすれば、あとは単純作業の繰り返しですから、半日かければすべての作業は終わって、めでたく今日の午前中にはリンクを公開できました。いつものように、掲示板と同じパスワードが必要ですから、お手間でもひと手間余計にかけてからアクセスしてみてください。そして、掲示板にも書きましたが、団員以外で写真を見たいという方のためにも、もうワンセットのパスワードを用意してありますから、必要な方には教えてあげてください。このパスワードでは掲示板は開きませんから、安全です。
 それで、やはり掲示板に書いたとおり、打ち上げの写真は私が撮ったものばかりになってしまいましたので、もしもっとほかの人が入っている写真をお持ちの方は、ぜひご提供をお願いしたいと思います。言っていただければ何らかの方法でデータをいただいて、追加であそこにアップさせていただきますから。
 そのほかにも、こまごました更新をしていたら、そろそろ出かける時間になりました。仙台駅のステンドグラス前、というベタなところで待ち合わせなのですが、その前に新しくなったエスパルの本屋さんに行ってみました。今まで入っていた本屋さんが撤退して、別の本屋さんに変わったということは知っていましたが、中に入ったのは初めて。入り口の場所も変わっていて、とてもきれいになっていましたね。なんだか、本の並べ方も見やすくなったようです。というか、前の本屋さんは、こんな駅前の一等地のお店とは思えないようなひどいディスプレイでしたから、きちんと本を見てみようという気が全く起こらなかったのですが、今は違います。やっと、仙台駅にふさわしい、「ちゃんとした」本屋さんが出来たようですね。
 そこで、出たばかりの音楽雑誌の今月号を立ち見していたら、なんと、そこに先月の「レリオ」の写真が載っていたではありませんか。
 これは、最後の合唱のところでしょうね。私は、というと、前から2列目の右から3人目です。と言われても、これでは本人でなければまず分からないでしょうね。NHKでの放送が7月24日に決まったそうですから、その時にはもっとちゃんと見れることでしょう。
 印刷だと、このぐらい拡大するともうドットが見えてしまいますから、どうしようもありませんね。この部分、男声は4列で歌っていたはずなのですが、なんか3列にしか見えないな、と思ったら、この曲の間は3列目と4列目のベースは歌わないで座っていたのでした。
 ステンドグラス前で待ち合わせしたのは、女性だったらうれしいのですが、あいにくオトコだけあと3人、4人揃ったところですぐそばのキリンシティに行って、「カルテット結成会」を行いました。今年も8月にニューフィルの団内のアンサンブル大会が開かれるのが決定したのを受けて、前から話があった「高齢者の男性だけによるフルート・カルテット」というのが実際に動き出したのですよ。でも、みんな忙しいようで、練習日を決めるのもなかなか大変です。
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by jurassic_oyaji | 2016-05-22 21:49 | 禁断 | Comments(0)
BERG/Wozzeck
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Franz Grundheber(Wozzeck)
Hildegard Behrens(Marie)
Philip Langridge(Andres)
Heinz Zednik(Hauptmann)
Walter Raffeiner(Tambourmajor)
Aage Haugland(Doktor)
Claudio Abbado/
Chor und Orchester der Wienerstaatsoper
ARTHAUS/109 156(BD)



アルバン・ベルクが「ヴォツェック」を作ろうとしたきっかけは、原作であるゲオルク・ビュヒナーの戯曲のウィーン初演を1913年のある晩に観たことでした。ベルクは、すぐさまオペラ化の決心をして作曲にとりかかり、1922年には完成させます。原作は、1821年に実際に起こったヨハン・クリスティアン・ヴォイツェックという下級軍人が、愛人を殺害するという事件をモデルにして書かれています。ただ、戯曲やオペラでは彼は愛人を殺した後で、すぐに入水自殺を図るのですが、リアル・ヴォイツェックは殺人の罪で逮捕され、処刑される1824年までは生きていました。その際の取り調べでの精神鑑定書を元に、ビュヒナーは戯曲を創作したのですね。
ただ、この戯曲は完成することはなく、断片を記した自筆稿だけを残して、ビュヒナーは1837年に亡くなってしまいます。それが、カール・エミール・フランツォースという編集者によって1879年に出版されます。その際に、判読不明の個所が多い自筆稿からは「Woyzeck」が「Wozzeck」と読み取られたために、タイトルも「ヴォツェック」となっていたのですが、後に改訂された時にはきちんと「ヴォイツェック」と直されました。しかし、ベルクが参照したのは1879年版だったので、オペラだけは「ヴォツェック」というタイトルになってしまったのです。
オペラ化にあたって、ベルクは全部で26の場面に分かれていた原作を、それぞれ5つの場面を持つ3幕構成に直しました。そして、音楽的にも、それぞれの場面は一つの音楽形式(「組曲」とか「ラプソディ」)をとり、さらに幕の中の5曲にも緊密な関係をもたせ、まるでオペラ全体が巨大なオーケストラ作品であるかのように作られています。そこではワーグナーのような「ライトモティーフ」的なものも使われていますが、最初にヴォツェックに髭を剃られている大尉に与えられたモティーフが、ベートーヴェンの「田園」の第1楽章のテーマそっくりなのは、なぜでしょう。
この映像は、クラウディオ・アバドがウィーン国立歌劇場の音楽監督に在任中の1987年に行われたアドルフ・ドレーゼンの演出による公演のライブです。実は、おそらくこれと同じものの音声だけが、DGからCDとしてリリースされています。そのせいなのかどうか、この時代の映像にしてはあまりに音が良いことに驚かされます。画面が4:3の古臭いサイズなので、このいい音とのギャップがたまりません。それによって、特にオーケストラの個々の楽器がとても粒が立って聴こえてきて、ベルクの複雑なスコアが眼前に広がる思いです。とくに、チェレスタがくっきり聴こえてくるのはなかなかのもの、この華麗なオーケストレーションを、まず耳だけで楽しむだけでも価値がありそうです。ただ、歌手に関してはやはりライブですから、いくらか不満足なところも出てきますし、場合によってはプロンプターの声がはっきり聴こえてきたりするので、ちょっと興ざめですが。
映像監督は、この頃のオペラの映像を撮らせたらこの人しかいないというほどの売れっ子、ブライアン・ラージ。おそらく彼はスコアまできちんと読み込んでカメラのアングルなども決めているのでしょう、まさに今そこで最も重要なシーンが間違いなくアップになって示されているのは、感激ものです。そんなシーンで最も頻繁に使われているのが、アバドが指揮をしているシーンだ、というのはちょっと反則っぽいやり方ですが、この作品に限っては場面の合間に演奏されるオーケストラだけの部分も一つの「見どころ」ですから、仕方がありません。おかげで、アバドはこの複雑な作品を全曲暗譜で振っていることも、超絶技巧が必要なフルートのトップを、ヴォルフガング・シュルツが吹いていることもよく分かります。
歌手では、なんといってもマリー役のベーレンスのノーブラ姿でしょうか。ラージは、彼女の乳頭を見事にアップでとらえてくれていました。

BD Artwork © Arthaus Musik GmbH
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by jurassic_oyaji | 2016-05-21 20:40 | オペラ | Comments(0)
確実に使えなくなるソフトがありますから
 この間、出勤前にノートPCを閉じようとすると、更新プログラムをインストールしてからシャットダウンします、という状態になりました。まあ、これはよくあることで、それがたまにはファイルが10何個もまとまってインストールされるる、なんてこともありますね。ただ、これはそのままほったらかしておけば、いずれインストールは完了して電源も自動的に切れるはずです。
 その時のインストールされるファイルは1つだけでした。それだったら、どんなに重たいファイルでも5分ぐらいあれば終わるだろうと、一応シャットダウンまで見届けてから出勤しようと思いました。しかし、それは5分どころか、15分ぐらい待っても一向にインストールは終わりません。どんだけ重たい更新プログラムなのでしょうね。いくらなんでもそんなには待てないので、そのまま、まさかバッテリーが切れるまでそれが続くことはないだろうと、電源を抜いてそのままにしておきました。
 夕方になって家に帰ると、PCはもう電源が切れていました。しかし、バッテリーはすっからかんになってましたね。これはもしかしたら、バッテリーがなくなって止まってしまったのでは?と思いましたね。結局、そんなに長い時間かかっても「インストール」は終わらなかったのか、と。確かに、電源を入れると、「セッションを継続する」みたいな表示が出てきましたから。
 どうやら、それは普通の更新プログラムではなく、OSそのもののインストールだったようですね。最近、しょっちゅう「Windows10に無料で更新できます」という表示が出るようになって、それをクリックするとその場でインストールが出来るようになっています。私は、ちょっとためらうところがあって、これはやめておこうと思っていますから、それはいつもスルーしているのですが、それがいつの間にか、こちらが承認してもいないのに勝手にインストールを進めるようになっているようなのですね。これもそれだったのでしょう。ですから、もうそれはやめてもらうように設定してあるので、以後はこんな勝手なことはできないはずなのですが、そうもいかなくて、「いつのまにか10に変わっていたわ」みたいな書き込みがSNS経由で伝わってきますね。
 これは、とんでもないおせっかい、というよりは、紛れもない「押し売り」なのではないでしょうか。それとも、Microsoftには、なんとしても10に変えさせたいという理由でもあるのでしょうか。7や8にはとんでもない欠陥があるので、それが発覚する前に10に変えてしまおうという、「隠蔽工作」なのではないかと疑いたくなりますね。だいたい、これは7月ごろには有料になるのですから、それまで待っていた方が会社としては有利だというのに、あくまで無料で事を納めようというのはやましい魂胆がミエミエ。これは、絶対に怪しいですよ。というか、なにか不気味で恐ろしくなってきますね。
 
 これは別に「押し売り」ではないのですが、CDしか出ていないと思って買ってしまった「マタイ」が、SACDでもリリースされているのを知って、そちらも買ってしまいました(左)。ハイブリッドなのですから、なぜ最初からそれで出さなかったのかと、Microsoft以上に怒っているところなんですが、当然もう右のCDは聴くことはないので、欲しい人がいれば格安で(3枚組で2000円)お譲りしたいと思っているのですが、どうでしょう?先着お一人様限りですので、お早めに(買い手が見つかりましたので、締め切ります)。
 それと、ニューフィルの公式サイトのデザインを、ちょっと変えてみました。今までだとFacebookを埋め込んだ場所がずっと下の方だったので、あまり目につかないだろうと思って思い切り上に上げてみました。そんなことをやっている暇があったら、早く定期演奏会の写真集をおアップしろ、と言われそうですが、これも週末には仕上げようと思っていますから、もう少しお待ちください。
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by jurassic_oyaji | 2016-05-20 21:15 | 禁断 | Comments(0)