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Cantate Domino
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Alf Linder(Org)
Marianne Mellnäs(Sop)
Torsten Nilsson/
Oscar's Motet Choir
2xHD-NAXOS/812864019605(128DSD)




先日こちらのハイレゾ音源を購入した時に、「e-Onkyo」ではDSDのフォーマットを扱っていなかったので、仕方なく24/192のFLACを買ったら、「DSD Native」ではちゃんと128DSDが売られていたので悔しい思いをしたのですが、その時に「Lacrimosa」だけを買ったら、次にアルバムを買う時に半額になるというクーポンコードまで付いてきました。「e-Onkyo」ではそんなサービスを受けたことは1回もなかったので、すっかりこのサイトのファンになってしまいましたよ。そこで、なにか買うものがないかと物色している時に目に入ったのがこのアルバムです。
これは、そのモーツァルトの「レクイエム」と同じく、スウェーデンのPROPRIUSレーベルによって1976年1月23~25日と4月29日にストックホルムのオスカル教会で録音されたもので、最初はもちろんLP(PROP 7762)でリリースされていました。
このLPは、あの長岡鉄男氏が絶賛したことによって、広く「録音の良い」アルバムとして知られるようになりました。現在でもこのオリジナルLPは作られ続けていますし、さらにそれをリマスターして高品質のヴァイナル盤としたものもリリースされています。もちろんかなり早い段階でCD化もされましたし、ハイブリッドSACDにもなっていて、そのような新しいフォーマットが出るたびに、その録音のデモンストレーションという役目を果たすために何度も何度もリリースされてきたものです。
そんな有名なものなのに、頻繁にそのジャケットは目にするものの、いまだかつて実際に音を聴いたことはありませんでした。それが、この、ハイレゾのリマスタリングに関してはとても信頼のおけるレーベルから128DSDというフォーマット、しかも半額で手に入るというのですから、これは聴いてみないわけにはいきません。
これは、実は「クリスマス・アルバム」。ストックホルムにあるオスカル教会のオルガニストでコーラス・マスターのトルシュテン・ニルソンが、その教会の合唱団を率いて録音しています。伴奏には、1983年に亡くなっているアルフ・リンデルという人のオルガンが加わり、時にはマリアンネ・メルネスというソプラノのソロもフィーチャーされます。そして、クレジットの表記はありませんが、金管楽器のアンサンブル(おそらく3本のトランペットと3本のトロンボーン)も、2曲の中で登場しています。
アルバムタイトルの「Cantate Domino」は、イタリアの作曲家エンリコ・ボッシが1920年に作った曲です(彼は1925年に没しています)。ここではまずオルガンの勇壮なイントロが響き渡ります。その音の生々しいこと。それこそ一本一本のパイプの音がきちんと聴こえてくれるような明晰さを持ちつつ、その絶妙のミクスチャーがオルガンの魅力を最大に引き出しています。そこに、金管のアンサンブルが入ってくると、その柔らかなアタックには魅了されます。いかにも人間が息を吹き込んで音を出している、という生命感が宿った響きです。そして、それらがいったん休んだところに、ア・カペラの合唱が入ってきます。正直、ピッチとかフレージングなどにはちょっと難があってそれほど上手な合唱ではないのですが、その、やはり一人一人の声までがくっきりと立体的に浮き上がってくる音には圧倒されます。確かに、これはオーディオ装置のチューニングには格好なソースです。
全く知らない曲が並ぶ中で、「きよしこの夜」などの有名なクリスマス・ソングが突然聴こえてくると、ほっとした気分になれます。最後に演奏されているのが定番のアービング・バーリンの「ホワイトクリスマス」ですが、そのオルガン伴奏がそれまでの堅苦しいものとはガラリと変わった4ビートのスイングだったのには驚きました。なんでも、このオルガニストはかつてはジャズ・ピアニストだったのだとか。そんな、様々な面で驚かせてくれるアルバムでした。おそらく、この128DSDは、サーフェス・ノイズがない分LPをしのぐ音を聴かせてくれているのではないでしょうか。

DSD Artwork © Proprius Music AB
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by jurassic_oyaji | 2016-07-30 21:12 | 合唱 | Comments(0)
今年は雨が降りませんでした
 あさっては東京都の知事選挙なんですね。連日ニュースでは候補者たちの演説の様子が紹介されていますが、結局何のかんのと言っても最後は自分の名前を連呼するだけになってしまうのですから、いつまで経ってもこの世界には進歩というものがありません。でも、たとえば昔はなかったインターネットなどでは、今度はあからさまな他の候補に対する悪口雑言であふれかえっていますから、これも読むに堪えません。こんなに堂々と他の陣営を貶める文章ばかり垂れ流しているのですから、まさに無法地帯、こんなことをさせる候補者たちはそろいもそろって人間としての最低の資質に欠けているとしか思えません。そんな人の中の誰かが結局知事に収まるのですから、たまったものではありませんね。ま、私には何の関係もないよその世界の出来事です。
 同じ関係のない世界だったら、ウィーンあたりにでも行ってみたいものです。知人の中には夫婦そろってヨーロッパに行ってきたなんて人もいますから、ちょっと悔しくなりますが、テレビでだったら簡単にそこに行った気分になれます。
 それは、毎年今頃BSで放送されるウィーン・フィルの夏の野外フェス、広大なシェーンブルン宮殿の中でのコンサートです。なんたって、この映像ではオーケストラの演奏よりもまわりの風景を映している方がはるかに多いという構成ですから、最初のうちは抵抗がありましたが、今ではその方がこの広々とした景色が楽しめていいかな、と思うようになってきました。最後には花火まで上がりますからね。
 今年の指揮者は、セミヨン・ビシュコフ、ソリとしてラヴェック姉妹が出るので、その関係なのかもしれません。この人の顔を見ると、いつも「アナゴさん」を思い出してしょうがないのですが。
 この唇ですよね。ただ、このキャラは原作には登場してなくて、アニメででっち上げたものですから、そもそもわたし的には違和感がありました。正直、これは原作に対する侮辱です。いや、そもそもこのアニメ自体が原作とは全く無関係な駄作なんですけどね。
 いや、ウィーンから世田谷に話がとんでどうするのでしょう。ウィーン・フィルに戻すと、このコンサートの曲目は、ラヴェック姉妹がプーランクのコンチェルトをやるということしか知りませんでした。そこで、まずイントロとして「アルルの女」の「ファランドール」が始まったわけですが、そこでフルート・ソロが出てきたときにアップになったのがこの人でした。
 去年の「ニューイヤー・コンサート」でピッコロを吹いていた、おそらくウィーンフィルでは初めての女性の木管の正団員(今年はファゴットにも女性がいましたね)カリン・ボネッリが、なんと1番フルートを吹いていましたよ。いつの間に首席に昇格したのでしょう。
 ですから、この後コンチェルトが終わると今度はラヴェルの「ダフニスとクロエ」だ、とタイトルが出た時には、すごいことだと思ってしまいましたね。彼女が、あの大ソロを吹くのでしょうか。
 でも、始まったらそこにいたのはシュッツでした。当然ですね。前半はあまりソロはないので、かるくボネッリに任せて、ここで真打登場という感じなのでしょう。いやあ、このソロは素晴らしかったですね。私は、ウィーン・フィルの3人の首席奏者の中では、このシュッツが一番好きです。
 ボネッリ(確か、シュッツのお弟子さん)はこんな風に2番を吹いてました。ピッコロはブラインシュミット(これも素晴らしいソロでしたね)、アルトの人は良く見かけますが団員名簿にはありません。
 このシーンはエンディング近く、それこそ「ジュ・ドゥ・タンブル」がどこかにないかと画面を探し回りましたが、その姿を見つけることはできませんでした。音だけは派手に聴こえてくるのに。
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by jurassic_oyaji | 2016-07-29 21:01 | 禁断 | Comments(0)
KÕRVITS/Mirror
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Anja Lechner(Vc)
Kadri Voorand(Voice), Tõnu Kõrvits(Kannel)
Tõnu Kaljuste/
Tallinn Chamber Orchestra
Estonian Philharmonic Chamber Choir
ECM/4812303




トルミスやペルトといったエストニアの作曲家たちの作品を幅広くこのレーベルで紹介してきたカリユステとエストニア・フィルハーモニック室内合唱団が、同じエストニアのもう少し若い世代の作曲家、トヌ・コルヴィッツの作品を取り上げたCDです。コルヴィッツというのは、ヒビの入った骨董品と言われたピアニスト(それは「ホロヴィッツ」)ではなく、1969年生まれの人気作曲家です。どのぐらいの人気かというと、さる音楽サイトで、こんな風に「期待の新星」と紹介されているほどです。余談ですが、この言葉をもっと意味の強いものにしようと思ってか、「期待の超新星」と書いてあるものをよく見かけますが、「超新星」というのは天文用語では星が爆発してなくなることですから、もはやなんの「期待」も持てなくなってしまった状態です。ですから、こういう使い方をするのはとても恥ずかしいことなのですね。なんにでも「超」を付ければいいというものではありません。
トヌ・コルヴィッツは、エストニアの現代音楽界の期待の新星である。彼の作品はエストニア国内と外国で何度も何度も繰り返し演奏され続けている。同じエストニアの作曲家であるトルミスの呪術的な魔力、トゥールのエネルギッシュな爆発力、そしてペルトの宗教的な瞑想の代わりに、コルヴィッツのサウンドの世界は高度に詩的で、視覚的なファンタジーにあふれていることで際立っている。彼の音楽は、自然の風景や民族的な伝統、人間的な魂と潜在意識によって、聴くものを麻酔にかけられたような旅に連れて行ってくれる。穏やかではあっても暗示の含まれた彼の作品の中のメロディは、豊かで洗練されたハーモニーのきらめきと音色の中に溶け込んでいる。

この紹介文では、ことさらコルヴィッツのことをそれまでの作曲家とは別物のように扱っていますが、そういうわけではなく、彼の中にはエストニアの先達たちの存在が大きな影を落としているのです。その中でも、特に彼が傾倒しているのが1930年生まれの合唱音楽界の重鎮トルミスです。実際に、このアルバムの中の6曲のうちの3曲までが、何らかの意味でトルミスの作品とのつながりを持っているのですからね。
「プレインランドの歌(Tasase maa laul)」では、作曲家自身が演奏するフィンランドの「カンテレ」に相当するエストニアの民族楽器「カンネル」のパルスに乗って、ストリングスがまるでプリズムのような色彩感あふれるハーモニーを醸し出している中で、エストニアのジャズ・シンガー、カトリ・ヴォーラントによってまるで囁くようにハスキーな声でトルミスの曲が歌われ(語られ?)ます。そのストリングスのきらめきはまるでペルトのよう、そして、作品全体はまるでライヒのようなテイストを持っています。
もう一つ、「最後の船(Viimane laev)」では、男声合唱にバス・ドラムとストリングスが絡むという構成、ここではトルミスの土臭い味がそのまま合唱に保たれている中を、やはりストリングスの刺激的なハーモニーが不思議な色合いを加えているといった趣です。
もう1曲のトルミスがらみの作品は、合唱とチェロの独奏による「プレインランドからの反映(Peegeldused tasasest maast)」です。これは、このCDが録音された時、2013年に初演されたものです。ここでは合唱は歌詞を消してヴォカリーズで歌う中、チェロが浮遊感溢れるフレーズを産み出しています。この曲の最後に、クレジットはありませんがやはり作曲家によるカンネルと、チェリストのグリッサンドが薄く演奏され、次の曲への橋渡しを務めています。
贅沢なことに、このアルバムではエストニア・フィルハーモニック室内合唱団だけではなく、やはりカリユステが指揮者を務めるタリン室内オーケストラと、先ほど登場したチェリストのアニア・レヒナーの演奏でも、この作曲家の器楽作品を味わうことが出来ます。それは、とても得難い上質の体験をもたらしてくれました。

CD Artwork © ECM Records GmbH
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by jurassic_oyaji | 2016-07-28 20:22 | 合唱 | Comments(0)
シューマンは、ヴィーク家のメイドと関係があったんですね
 7月ももう最後の週に入って、なにかと押し迫った感じになってきています。というのも、8月の初めには1年中で最も忙しい職場の行事を控えているからです。その準備を始めるにはまだ材料がそろっていないのですが、そのほかのことで出来ることはしっかり今のうちにやっておかないと、その時になってあわてることになるのは毎年の経験でわかっているので、そろそろ始めなければいけません。とりあえず、お客さんに配るものを入れておく白い袋に当社のロゴを印刷したシールを作って張り付けることあたりから始めてみましょうか。と思って、その袋が入っている箱を開けてみたら、前回この袋を使った時にシールだけ印刷したものが大量に入っていました。私の仕事はこんな感じ、いつも先のことを考えて、前々からできるだけの準備をしておくようにしているのですが、いざそれをやり始めるころにはそれをやったことをすっかり忘れてしまっているのですよ。自分ではやった覚えがないのに、いつのまにか誰かがしっかり準備していてくれた、そんな感じでしょうか。ですから、それを忘れて「あれをやらなければいけない」と焦っていた私は、いったいなんだったのか、と思ってしまいます。
 そんな感じで、もう来週の週末に迫ってきた「杜の都」の本番のためのプログラム・ノーツも、きっとだいぶ前に書いたものがどこかに残っているはず、とPCの中を探してみたのですが、いくら探してもまだ影も形もありませんでした。こればっかりは、書いた覚えが本当に全くなかったので、実際にも書いていなかったんですね。そうなると、遅くても今週中には書き上げないことには、各方面にご迷惑をかけてしまいますから、一つ本腰を入れて書いてみようじゃないか、と、おとといからぼちぼち書き始めてみました。
 なにしろ、私にとっては専門外のジャンルの作曲家ばかりですからかなり辛いものがありますが、家じゅうにある資料を総動員して、何とかそれらしいものが出来上がりました。下手をしたら今週中には終わらないのでは、と思っていたので、これは快挙です。あとは、校正をしっかりやって納品です。
 「本業」のニューフィルの方も、もうこの土曜日にはチラシとポスターの印刷が終わって団員の手にわたりますから、いよいよ広報係としての私の仕事も佳境に入ります。このチラシの画像自体は、もう公式サイトやFacebookにアップしてありますので、ネット上では出回っていますが、ここでまず実体のあるポスターの姿を体験していただこうと、毎回おなじみの公共の場への展開を行ってみました。今回貼付を快諾してくださったのは、広瀬通りと一番町の交差点の東映ビルさんです。なんてね。
 いつもは平らなところに貼り付けているので簡単なのですが、これは、貼り付ける場所が湾曲しているので、ちょっと苦労しましたね。でも、おかげでスキルも上がりましたから、これからはどんなところでも貼り付けられます。
 ここで使ったビルの画像は、実は6年も前のものでした。これをFacebookにアップしたら「これ、どこ?」などと聞いてきた人がいたので、今の同じ場所の写真をストリートビューで探してみました。
 震災前、震災後、ということになるのでしょうね。隣のビルなどが変わっていますし、このビルのテナントもずいぶん変わってしまいました。それと、ちょっと分かりずらいかもしれませんが、歩行者用の信号機が、今では残り時間を示すことができるものになっていますよね。
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by jurassic_oyaji | 2016-07-27 21:17 | 映画 | Comments(0)
KROMMER/3 Flute Quartets
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Andreas Blau(Fl)
Christopher Streili(Vn)
Ulrich Knörzer(Va)
David Riniker(Vc)
TUDOR/7199




昨年ベルリン・フィルを定年退職したアンデレアス・ブラウが、その直前、2014年の12月から2015年の2月にかけて彼の「同僚」と一緒に録音したクロンマーのフルート四重奏曲集です。
ブラウがこのオーケストラに入団したのは1969年、あのジェームズ・ゴールウェイと「同期」でした。彼が生まれたのは1949年でしたから、その時はまだ20歳だったんですね。以来半世紀近く、このオーケストラの首席フルート奏者として常に第一線で活躍してきました。
古典派前期に活躍したボヘミア出身の多くの作曲家たちの一人、という程度の認識しかされていないフランツ・クロンマーは、1759年にモラヴィアのカメニュイツェに生まれていますから、モーツァルトの3歳年下になります。独学で作曲を修め、音楽教師になろうと1785年にウィーンに出てきますが、その頃はモーツァルトの「フィガロの結婚」やハイドンの弦楽四重奏曲が音楽愛好家たちの間の格好の話題で、彼のような田舎者の出る幕はありませんでした。そこで彼は、それから10年間ハンガリーに行ってさらに音楽修行を重ねることになるのです。苦労マンなんですね。
そして、1795年に再びウィーンに戻り、彼に目を付けた出版業者ヨハン・アンドレによってそれまで書き溜めた作品が数多く出版されることになります。クロンマーの作風は当時のウィーンで隆盛を誇っていたベートーヴェンやシューベルトにはちょっとついていけないと感じていた聴衆、特にアマチュアの音楽家達には非常に好評を博し、楽譜は良く売れたのだそうです。そして1818年にはハプスブルク家の宮廷作曲家に就任し、1831年に没するまでその地位にありました。
このCDで演奏されているのは、出版された際に90、92、93という作品番号が付けられた3つのフルート四重奏曲です。それぞれ4つの楽章から成るかなり大規模な作品です。確かに、ベートーヴェンほどの緊密さはないものの、構成は非常に巧みで、この作曲家が同時代の巨匠たちに引けを取らないスキルを持っていたことがうかがえます。テクニック的にも、メインのフルートのパートはかなり技巧的な面もありますから、ただの「アマチュア」では吹きこなすことは難しいのではないでしょうか。というより、当時の「アマチュア」、あるいは「ディレッタント」達の技量は、実はかなりのものであったという証なのかもしれません。
この3曲の中でちょっとユニークだと思えるのが、作品90の四重奏曲です。まず、楽章の並び方も、他の2曲のような「アレグロ-アダージョ-メヌエット-プレスト」という、当時の交響曲によく見られるものではなく、第2楽章がメヌエット、第3楽章がアダージョという、まるでベートーヴェンの最後の交響曲のような配列になっています。それぞれの楽章もとても魅力的、第1楽章はフルートがメインテーマをオブリガートで装飾するという意表を突くやり方で始まりますすし、エンディングも終わるかに見せてなかなか終わらないというサプライズ仕上げ。第2楽章のメヌエットは、時折ヘミオレが入ってめまぐるしくリズムが変わり、とてもかわいいトリオが付いています。第3楽章は、しっとりとしたテーマがフルートだけでなくヴァイオリンによっても歌われます。そして第4楽章では、あくまでロマンティックなテーマによって、各楽器のスリリングなバトルが繰り広げられています。
もう一つ、作品92の終楽章のロンドのテーマが、メンデルスゾーンの「おお、ひばり」とそっくりなのも、和みます。
ブラウは、おそらく木管の楽器を使っているのでしょう。とてもくつろいだ雰囲気で、オケの中とはちょっと違った面を見せてくれています。テクニックは完璧、細かいスケールや幅広い跳躍など、軽々と吹くさまは見事です。ただ、さっきの作品90の第3楽章のようなゆっくりとしたところでは、もうちょっと深く歌いこんでも、この作曲家の音楽は十分に応えてくれるような気がします。

CD Artwork © Tudor Recording AG
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by jurassic_oyaji | 2016-07-26 22:56 | フルート | Comments(0)
合唱が間違って立ったところも、映ってませんでした
 最近、Facebookページのカバーのレイアウトが変わったようですね。今までは、基本的に普通のFacbookのように、カバーの左下にプロフィールがかぶさる、というものだったのですが、今ではそれが完全に分離して、こんなことになっています。よそのページですけど。
 こういう風に変わったことが分かったのはつい最近なのですが、それは私のPCの場合だけで、実はMacあたりではもうちょっと前から変わっていたらしいというのは知ってました。つまり、OSによってレイアウトが違っていた状態がしばらくの間続いていたのでしょうね。もちろん、Facebookのことですから、それがいつからすべてのOSに適用されるのかなんて情報は伝わってきませんから、その時点でチラシのパーツを使わせていただいて私が作ったニューフィルの定期演奏会仕様のカバーは、普通にプロフィールで隠れる部分には文字情報が含まれていないものでした。
 私の場合ニューフィルのFacebookページを覗くのは新しい書き込みをするときだけですから、そんなに頻繁なことではありません。ですから、いったいいつから変わったのかは全く分からないんですが、きのう見てみたら、見事に変わってしまっているではないですか。つまり、この間抜けな隙間の空いたカバーが、何日かの間表示され続けていたということですね。もうすぐにでも直したかったのですが、これの元になったレイヤーは職場のPCにしか入ってないので、今日までほったらかしておくしかありませんでした。
 そして、今日になって作り直したのが、これです。
 使える空間が広がったので、チラシにはあった指揮者の写真も入れました。さらに、前はレイアウトの制限があったので、マーラーの顔を裏焼きにしたのですが、ここではちゃんとオリジナル通りになっています。つまり、こうなれば作ったものがそのまま表示されるのですから、デザインの自由度がはるかに上がります。というか、やはりFacebookページというのは宣伝用のツールなのでしょうから、最初からこのようにするべきだったんでしょうね。これがまた元に戻らないことを、祈るばかりです。
 ところで、夕べの「クラシック音楽館」はご覧になりましたか?私は、普段はこの番組をリアルタイムで見ることなどまずないのに、始まると同時にかじりついて見てしまいましたからね。仙台でもサントリーでも、前半の「幻想」の時はリハーサルも含めて全く目にすることはできませんでしたから、これが初めて。あんなことをやっていたなんて初めて知りましたよ。ただ、ハープは4台用意されていて、我々の入るリハーサルの時にそのうちの3台は片づけていたので、それが本番では4台編成になっているのだけは知ってました。これはサントリーだけのバージョンですから、ハイレゾで聴いていた仙台とは音も違っているはずですね。確かに、その4台のハープがフィーチャーされた第2楽章はゴージャスの極みでしたね。
 そして、番組の上ではあたかも連続して演奏されたように「レリオ」が始まりました。これはなかなかすごいこと。本番ではまず不可能なことでしたから、こんな風にして作曲家が意図したとおりに見れるというのは、感激ものです。合唱が入るカットも、さすがNHKという手慣れたものでしたね。合唱が見えてほしいという時には、きちんと頭から合唱のアングルに変わっていましたからね。
 ただ、私が立っていたところは、ちょっと微妙な位置だったので、もう1人分カメラを振ってくれれば入るのに、というカットがいくつもあったのは残念でしたね。あとは、ステージの上から合唱がいたP席を撮っている無人のカメラがあったのですが、そこからのアングルだともろに前にいた〇枝くんの顔が私と重なってしまって、私のちいさな顔はまるまる隠れてしまっていましたね。
 でも、それなりには全身が映っているようなところもあって、「すぐに分かったよ」みたいなことをいろんな人に言われたりしましたね。でも、「ソリストが暗譜なのに、なぜ合唱は楽譜を見ているの?」と言ってる人もいました。確かに、あの「山賊の歌」だけは暗譜で歌いたかったですね。仙台では暗譜でしたから。
 それにしても、テレビを見ながらつい歌を口ずさんでしまう私。3か月も経ったのに、まだしっかり覚えているなんて。
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by jurassic_oyaji | 2016-07-25 21:58 | Comments(0)
WAGNER/Die Walküre Act 1
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Kirsten Flagstad(Sieglinde)
Set Svanholm(Siegmund)
Hans Knappertsbusch/
Wiener Philharmoniker
DG/UCGD-9047(single layer SACD)




昔、この「ハンス・クナッパーツブッシュ」という指揮者の名前を文字で目にしたときには、一体なんと発音するのだろうと悩んでしまったものです。最大のネックは3つある「ツ」の扱い、大文字なんだか小文字なんだか分かりません。現に、「クナッパーッブッシュ」と、全部小文字にして苦労している友人が身近にいましたからね。多くの人が、そんな面倒なことは考えずに単に「クナ」と言っているのだと知ったのは、だいぶ後のことでした。
第二次世界大戦後に再開されたバイロイト音楽祭を支えた指揮者として非常に有名な方で、そのバイロイトのライブ録音は数多くリリースされています。1962年にPHILIPSのスタッフによって録音された「パルジファル」は、演奏、録音ともに最高のものとの評価がなされている名盤です。
しかし、そのような劇場における実際の上演のライブ録音ではなく、スタジオでのセッション録音になると、彼に対する評価は著しく低下します。なんせ、実際にそんなセッション録音を仕切ったプロデューサー自身が公にこのようなことを書いているのですから。
In the theatre I believe that he was a Wagner conductor of supreme ability. But on records he was a total failure. [...] He was a nineteenth-century professional, and to the end of his life the gramophone was a newfangled toy. We could not do him justice.

これが2007年にはこんな風に訳されています。
「劇場の中では無上の能力をそなえたワーグナー指揮者だったと確信している。しかし、レコード上での彼はまるで落第だった。・・・彼は19世紀的なプロフェッショナルであり、死ぬまでレコードは新奇な玩具だった。私たちには、彼を正当に扱うことができなかった。」

お判りでしょうが、これは英DECCAのレコーディング・プロデューサーだったジョン・カルショーの「Ring Resounding」という著作の中の一節です。彼がショルティとウィーン・フィルを使って、ワーグナーの「指環」の、完成した時には世界で最初のスタジオ録音による全曲盤となるレコードを作りはじめる丸1年前に、同じ会場で同じレコーディング・エンジニアの元に、同じオーケストラ(と、同じ歌手)を使って録音されたものが、この「ワルキューレ」の第1幕なのです。
ただ、なぜかこのSACDでのクレジットは、こうなっています。しっかりしてくれじっと

ここで述べられているように、クナッパーツブッシュと仕事をしてつくづくこの指揮者がスタジオ録音にはなじまないと痛感したカルショーですから、当然このアルバムも「失敗作」だと思っていたのでしょうね。そして、これはもう「なかったこと」にして、この後、彼はここでジークリンデを歌っていた稀代のブリュンヒルデ、キルステン・フラグスタートをフリッカ役に立てて、「ラインの黄金」の録音に邁進することになるのです。
しかし、そんな製作者の思いとはうらはらに、いまではこんなシングル・レイヤーSACDにもなりうるような、高いクオリティのレコードが出来ていたのでした。何よりも、ゴードン・パリーの録音には圧倒されます。ここでの低音の充実ぶりは、後の「指環」にそのまま受け継がれているのでしょう。そして、クナッパーツブッシュの演奏も、当時カルショーが考えていた規格には当てはまらなかった分、生身の鋭い音楽がそのまま伝わってくるような気がします。前奏曲でのアッチェレランドには驚きましたね。
カルショーが「20世紀には対応できない」と言い切ったクナッパーツブッシュの「レコード」は、21世紀になってやっと正当に評価されるようになったのかもしれません。
LPでリリースされた時には、2枚組の余白に、その前年にやはりウィーン・フィルと録音された、「神々の黄昏」の序幕と第1幕の間の間奏曲と、第3幕の「葬送行進曲」の2曲が入っていました。その後、CD化された時には、このカップリングは外されて1枚になっていましたが、今回はシングル・レイヤーSACDでの長時間収録で、このかつての「おまけ」が復活しています。こちらもゴードン・パリーの録音が存分に楽しめます。

SACD Artwork © Decca Music Group Limited
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by jurassic_oyaji | 2016-07-24 20:22 | Comments(0)
ニューフィルで「ダフニス」をやりたくなりました
 きのうの「おやぢの部屋」では、懐かしいアイテムをご紹介させていただきましたが、その中でもっと書きたいことがあったのを、字数の関係で削除しなければいけませんでした。別に、ただのブログですから、そもそも「字数制限」なんてあるわけはないのですが、私が勝手に1回分は必ず1500字から1600字の間にまとめるという「制約」を設けているものですから、それに従っているだけのことです。こういうフォーマットを決めておくと、意外と楽に書けるようになるんですよね。それと、たまにこれをニューフィルの「かいほうげん」にコピーして使うこともありますから、そのちょうど1ページ分に収まる字数だ、ということもあります。
 ということで、はみ出してしまった部分を、せっかく思いついたのでこちらに書いておきましょう。
 あのアルバムは久しぶりにきちんと聴いたのですが、そこでパパゲーノが歌うアリアのバックに「グロッケンシュピール」のオブリガートが入っています。それについて、以前こんなトークを作っていたのですが、SACDで改めて聴くと、それがグロッケン(鉄琴)とチェレスタの両方を使って演奏されていることがはっきり分かります。左手の部分をチェレスタ、右手の部分を鉄琴で弾いているのですよね。ただ、このアリアの「3番」になると、和音を押さえるようなところがなくなるので、そこでは鉄琴だけで演奏しているようでした。同じように、第1幕のフィナーレで、モノスタトスたちが踊り出すところでも、鉄琴だけで演奏されていましたね。この時代、「キーボードグロッケンシュピール」という楽器はまだ「復活」されていなかったので、普通はチェレスタで代用するところを、このようにオリジナルの音に近づけようという試みもあったのでしょう。
 ところが、よく考えてみると、そんな20世紀の半ばでも、「キーボードグロッケンシュピール」と呼んでも構わないような楽器はしっかり存在していたのですよ。それは、「ジュ・ドゥ・タンブル(Jeu de timbres 正確には Jeu de timbres a clavier」という楽器です。フランス語で「鍵盤の付いた鉄琴」という意味ですね。例えば、ラヴェルの「ダフニスとクロエ」のスコアには、
 このように、その楽器の名前が書いてあります。どんなところで使われているかというと、「第2組曲」の最初の「夜明け」で最高に盛り上がる部分で、チェレスタと一緒にキラキラした音を提供しています。
 始まってから4分少々経ったあたりでしょうか。CDではなかなか聴こえませんが、初期のDECCAの録音、例えばピエール・モントゥーとロンドン交響楽団との録音などでははっきり聴こえてきます。それともう1か所、曲全体のエンディングでも楽譜上では大活躍していますが、他の楽器も目いっぱいがんばっているので、ほとんど聴こえません。
 この楽器は、チェレスタを発明したミュステルが作ったものです。外観はチェレスタとそっくりです。
 おそらく、先ほどのページで「キーボードグロッケンシュピール」となっていた演奏でも、実際にはこの「ジュ・ドゥ・タンブル」が使われていたのかもしれませんね。ただ、この楽器はモーツァルトの時代のキーボードグロッケンシュピールに比べると、やはり洗練された音になっているのでしょうね。
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by jurassic_oyaji | 2016-07-22 22:02 | 禁断 | Comments(0)
MOZART/Die Zaubeuflöte
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Franz Crass(Sarastro), Roberta Peters(K. d N.)
Fritz Wunderlich(Tamino), Evelyn Lear(Pamina)
Dietrich Fischer-Dieskau(Papageno), Lisa Otto(Papagena)
Karl Böhm/
RIAS Kammerchor, Berliner Philharmoniker
DG/UCGG-9089/90(single layer SACD)




1964年に録音されたカール・ベームの指揮による「魔笛」が、シングル・レイヤーSACDになってリリースされました。今まで幾度となく形を変えてリリースされていたヒット作ですが、SACDになったのはこれが初めてなのではないでしょうか。まだ、ハイレゾ音源も配信はされていないようですし。
個人的には、これは生涯で初めて自分のお金で買ったオペラ全曲盤という、記念すべきアイテムです。おそらく、国内盤が最初にリリースされた時に購入したのでしょう。ただ、その頃はまだきちんとした再生装置までそろえるほどの余裕はありませんでしたから、回転式のサファイヤ針のカートリッジが付いた安物のプレーヤーにラジオをつないで聴いていましたね。しばらくして何とかまともな「ステレオ」一式がそろったので、ちゃんとしたダイヤ針のMMカートリッジで聴けるようになった頃には、そのLPはさんざん高針圧にさらされて聴くも無残な音に変わっていたのでした。しかも、30㎝Φのターンテーブルに乗せてみると、それはいい加減なプレスでお椀状に反り返った盤だったことも分かりました。
そんなわけで、このレコードからは音自体もなんだか安っぽいもののような印象を、最初から受けていましたね。CD化された時はすぐに入手したのですが、やはりそんな印象はぬぐえませんでしたから、全曲を聴きとおすこともありませんでした。
ですから、このシングル・レイヤーSACDは、久しぶりに、まともに向き合ってしっかり聴く機会を与えてくれたものとなりました。まずは、今まで入手していた2種類のCDとの音の比較になります。元々はLP3枚、6面に収録されていたものですが、最初に買った時には、それが3枚組のCDになっていました。つまり、第2幕が77分以上かかっていたので、当時ではCD1枚にすることが出来なかったのですね。ただ、それではあまりにも余白が多くなってしまうので、同じモーツァルトのたった5曲の音楽しかないジンクシュピール「劇場支配人」全曲がカップリングされていました。
そのCDはジャケットもオリジナルとは違っていたので、それこそ「オリジナルス」で1997年に、今度は2枚組で出たものも買ってありました。それらを今回のSACDと比べてみると、意外にも初回のCDがかなり健闘していたことが分かります。当時のクレジットでは録音エンジニアのギュンター・ヘルマンス自身が「デジタル・リミックス」を行ったとありますから、そのあたりが原因なのでしょうか。オリジナルスの方は変に音を作っている感じがして、なじめません。そして、SACDは最初のヒス・ノイズからしっかり入っていて、とてもナチュラルな雰囲気が漂っています。それは、今まで抱いていた悪印象を払拭するには十分なものでした。

ただ、今回のジャケットは、なぜかLP(↑)のものとは微妙に異なっています(特に出演者のフォント、もちろん、チューリップの下は2行)。

さらに、パッケージのどこを探しても録音スタッフの名前が見当たりません。これはどうしたことでしょう。ふぉんとにこの会社の仕事ときたら。
演奏自体は、今まで多くの人によって語られてきたものですから、いまさら付け加えることはありません。ヴンダーリヒは最高のタミーノを聴かせてくれますし、フィッシャー=ディースカウのパパゲーノという超豪華なキャスティングもうれしいところ、ただ女声陣はちょっと弱体、特にピータースの夜の女王は間違いなくミスキャストでしょう。それと、やはり「3人の童子」は少年に歌ってほしかった。
この録音の特徴は、グスタフ・ルドルフ・ゼルナーという、当時ベルリン・ドイツ・オペラの総監督だった演出家の手によって、セリフの部分がきっちり演出されているということです。そこまでやっているレコードなんて、ありませんよ。ここでは、おそらくゼルナーによってコンパクトに切り詰められたセリフが、歌手たちによってとても生き生きと語られています。

SACD Artwork © Deutsche Grammophon GmbH
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by jurassic_oyaji | 2016-07-21 23:12 | オペラ | Comments(0)
宮城野通もまだ出来てませんでした
 この間の日曜日の「クラシック音楽館」の最後の方で、仙台フィルの活動のドキュメンタリーが放送されていましたね。2011年のあの大震災の影響をもろに受けた仙台市にあるプロのオーケストラとして、仕事場であるコンサートホールは完全に閉鎖され、もちろんクラシックのコンサートなどはそもそも全く期待されていないという状況にあって、彼らがどのようなことを考え、どのような活動を行っていたか、という記録です。この「復興支援コンサート」については、リアルタイムに情報が入ってきましたから、彼らがそのようなことを非常に熱心に行っていたということは知っていました。しかし、実際にその映像をきちんと見たのは、これが初めてのような気がします。
 そんな貴重な映像の最初のものは、そもそもの始まりだった「見瑞寺」でのコンサートです。佐藤寿一さんの指揮で行われたこのコンサートで演奏されていたバーバーの「アダージョ」や、菅英三子さんのソロによるバッハ/グノーの「アヴェ・マリア」など、おそらくここでのハイライトといえる部分をたっぷり聴かせてくれた上で、聴衆の涙ぐむ姿を丁寧に映していた映像は、まさに感動的でした。
 ただ、私にとっては、この「見瑞寺」という場所が、かなり思い入れがあるものですから、それとは別の意味での感慨がありましたね。この番組の中では全く触れられてはいませんでしたが、このお寺は仙台フィルが発足した時、まだ「宮城フィル」という名前だった頃の指揮者を務めていた(のちに理事となります)方が住職だったところです。それで、まだ私がフルートを本格的に始めて間もないころ、職場つながりでこの方から「吹きに来てみない?」と誘われて、ちょっと行ってみたのが彼らがその頃練習場に使っていたこの見瑞寺だったのです。「お寺でオーケストラが練習」などというと、まるで東昌寺みたいに畳敷きの大広間の襖を取っ払って、みたいな印象がありますが、こちらのお寺はそんなのではなくちゃんとした床がある会場がありました。その住職さんの奥様がダンサーで、境内にダンススタジオをお持ちになっていたのですよ。私がそこに行った時には、別の部屋からパイプ椅子やなんかを運んできて、セッティングをしていましたね。この時期は、まさに宮城フィルがプロとして再スタートする直前のことだったので、フルートにもちゃんとしたプロの奏者が入ってきて、私はすぐにお払い箱になりましたね。まあ、そこで2,3回練習に加わっただけで、とてもこれではオーケストラはやっていけないとはっきり分かったので、そのあと、ちゃんとした先生について一から勉強し直すことになるのですが。
 この番組の中で、仙台フィルの団員の方々がインタビューに答えて震災当時のことを語っていたことは、同じオーケストラをやっているものとして、私たちにも共通したものがあるように思えました。しかし、決定的に違っていたこともありました。それは、彼らはこの震災で「オーケストラがつぶれるのではないか」と語っていたことです。考えてみたら、ニューフィルの人たちで、そんなことを思っていた人なんかいなかったのではないような気がします。あくまで趣味として本業の合間を縫って活動しているだけのことですから、そもそも「つぶれる」などという発想は湧いてきませんでしたね。まあ、いろいろ困難な状況にあって、多少参加者は減ったりすることはあっても、オーケストラ自体は当面は演奏会を開くことは出来なくても、いずれはまた再開できるだろうと思っていたのではないでしょうか。
 しかし、オーケストラという「職業」は、確かに他の確実に「世の中の役に立つ」職業とは違って、こんな状況では存続する意味すらもなくなってしまうものなのかもしれません。そのような危惧は、プロだからこそ抱くものなのでしょう。そんな中で、自らの職業の社会的な意味を問い直し、その答えを求めて果敢にその社会に働きかける、そんな、今まで誰も向き合うことのなかった問題に真摯に挑んでいたプロの音楽家たちの姿が、そこにはありました。
 最後に、次週の予告がありましたね。それは、そんな仙台フィルが、これまでの各方面からの支援のお返し、という意味で開催した東京でのコンサートのライブ。なぜか、合唱で私も参加していましたから、画面のほんの片隅には出てくるかもしれませんよ。おそらく、ベルリオーズの「レリオ」をNHKが放送するなんて、初めてのことなのではないでしょうか。今度の日曜日の夜9時から、合唱の出番は後半です。
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by jurassic_oyaji | 2016-07-20 22:13 | 禁断 | Comments(0)