おやぢの部屋2
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青椒肉絲も好きです
 きのうは、家に誰もいなかったので、近所の中華料理店「とらの子」に晩御飯を食べに行きました。最近は例えばニューフィルの練習に行く前などによくここに食べに来ています。そういう時は、練習前なのであまり重くない麺類を食べることにしています。でも、きのうはちゃんとしたものを食べたかったので、お店に入る前までにしっかり注文するメニューを頭の中で暗唱していました。やっぱり、この暑さですから辛いものがいいですね。とか。ですから、お店に入ってテーブルの前に座るや否や、メニューも見ずに、お水を持ってきたお姉さんに「アンニンドーフと半ライス、それと餃子を1枚お願いします」と注文しました。そうしたら、そのお姉さんはなんだか不思議なものを見るような目で私を見ています。普通だと注文の内容を機械的に反復してそのまま立ち去る、というのが、こういうお姉さんのパターンなのですが、なにか違います。というか、彼女はかすかに笑い顔を見せています。いや、それは、なにか「笑いをこらえている」とさえ見えるような表情でした。
 と、目の前に置いてあったメニューの写真に目が行きました。そこには、私が注文しようとした料理の写真が載っていたのですが、その下には「マーボードーフ」と書いてあるではありませんか。そこでやっと、私は今自分が置かれている状況に気づきました。どうやら、私は「マーボードーフ」を注文するつもりで「アンニンドーフ」と言ってしまっていたのですね。それに気がついて、あわてて、「いや、間違えました。マーボードーフです」と言ったら、お姉さんは堰が切れたように大声で笑いだしましたよ。アンニンドーフをおかずにご飯を食べるなんて、絶対おかしい、と思っていたのでしょうね。私も笑いながら「アンニンドーフはキャンセルします」と言ってやりました。なんか、ハッピーなひと時でしたね。
 でも、彼女が真に受けて、本当にアンニンドーフとご飯を持って来たらどうなっていたんでしょうね。私のことですから、決して自分が間違ったことなど悟られないように、そのまま食べていたことでしょうね。確かに、ここのアンニンドーフもご飯も私は大好きですが、それを一緒に食べるとなると、かなりの苦痛を伴っていたことでしょう。
 おととい送ったのに、なかなか返事が来なかったのでちょっと心配になっていましたが、おかげさまで、ニューフィルの定期演奏会の企画書もOKが出たので、今日は朝からその発送の準備です。タウン誌などに送る分にはプレゼント用の招待券も同封するので、「ご招待」というハンコを押したりします。ただ、こういう招待券はこういうところだけではなく、普通にご招待する時にも同じハンコを押して差し上げたりしているので、今回はプレゼント用のチケットの半券の方にちょっとした目印を付けておきました。演奏会が終わったあとの集計で「入場者数の内訳」を発表するのですが、その時に招待券は何枚、といったようにカウントされるので、もしかしたらその中にこのプレゼントの分がどのぐらい入っているのか、分かるかもしれません。送付先まで分かるようになっていますから、これからの広報活動の貴重なデータになるかもしれませんよ。
 送付先はせんだいタウン情報、りらく、ぱど、せんだいリビング、河北ウィークリーなどです。
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by jurassic_oyaji | 2016-08-19 21:45 | 禁断 | Comments(0)
MENDELSSOHN/Symphonien 1 & 4 WIDMANN/Ad absurdum
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Sergei Nakariakov(Tr)
Jörg Widmann/
Irish Chamber Orchestra
ORFEO/C 914 161 A




昔からなじみ深いレーベルの一つ、ORFEOですが、久しぶりに手にしてみたら、レーベルが間違っているのではないかと思ってしまうほど、ジャケットのデザインが変わっていました。かつて、アール・デコ風に統一されていた装飾が、いつの間にかなくなっていたのですね。
演奏している人たちも、トランペットのナカリャコフ以外は全く知らない名前でした。オーケストラの名前を見て、最初はイランのオーケストラだと思ってしまったぐらいですから。もちろん、これは「アイルランド」の室内オーケストラです。ただ、同じアイルランドの団体で、これによく似た「New Irish Chamber Orchestra」という名前は聞いたことがあります。ゴールウェイがベルリン・フィルを辞めてソリストになっても、まだRCAとのアーティスト契約が結ばれていなかった1974年に、一緒にモーツァルトのフルート協奏曲を録音した団体です。
しかし、実はこれは今回の「Irish Chamber Orchestra」とは全く同じオーケストラでした。1963年に創設されたこのオーケストラは、1970年から1995年までは、さっきの「New」が頭についた名前だったのだそうです。現在では正団員を22人、常トラを16人抱える編成で、コンサートマスターが指揮を行ったり、さらに2人の指揮者が「パートナー」となって演奏会や録音を行っています。ここで指揮をしている「Principal Guest Conductor / Artistic Partner」という肩書を持つイェルク・ヴィドマンはクラリネット奏者、さらには作曲家としても活躍している方です。
このCDは、ヴィドマンとこのオーケストラによるメンデルスゾーンの交響曲全集として計画されている3枚のうちの1枚目ですが、そのどれにもヴィドマンの自作がカップリングされている、というのが、ユニークなところです。ここでは、ナカリャコフをソリストに迎えて、2002年に彼のために作られた「Ad absurdum(耳障りなように)」というタイトルの小協奏曲が演奏されています。
メンデルスゾーンのふたつの交響曲に挟まれるような形でマスタリングされている(録音時期は全部の曲が違っています)この作品は、まさにナカリャコフの超絶技巧を誇示するために作られたようなものでした。ヴィドマンの作曲の師はヘンツェやリームだということで、どんだけ退屈な音楽なのかと覚悟して聴き始めたのですが、そんな先入観は完全に覆される、最後までとても緊張して聴いていられる刺激的な作品でした。
最初にいきなり出てくるのが、まるでかつてのペンデレツキかと思われるような弦楽器の軋み、それに乗って、ナカリャコフの無窮動が始まります。それは彼の得意技の「循環呼吸」によって、1分45秒も全くノンブレスで演奏されていたのです。まさに無休動。そのバックでオーケストラはとても難しいシンコペーションを打ち込んでいますし、フルートに至ってはそのナカリャコフ並みの早いパッセージを弾かされるのですから、大変です。このあたりは、まるでジャズ・バンドでプレーヤーがアド・リブのソロを取っているような感じ、ティンパニの壮大なソロなどは、まさにドラム・ソロに匹敵するものです。
終わり近くになって、さらなるサプライズが待っていました。なんだか、デジタル・キーボードのような音が、それまでのテンポをさらに上回る「速弾き」を始めたのです。それはとてつもないスピード、まるでナカリャコフのソロさえもあざ笑うように鮮やかなフレーズを正確に演奏しています。ライナーを読んでみたら、それは「バレル・オルガン」であることが分かりました。穴の開いた紙をハンドルで動かして音を出す、いわゆる「ストリート・オルガン」ですね。これだったら、いくらでも早く弾けます。

メインのメンデルスゾーンも、なかなか意表をつく表現があちこちに出没していて、楽しめました。ただ、特に「1番」で弦楽器の音がとても曇った精彩のない響きなのは、エンジニアがサイモン・イードンなので期待したのに、完全に裏切られてしまいました。

CD Artwork © ORFEO International Music GmbH
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by jurassic_oyaji | 2016-08-18 23:00 | Comments(0)
プログラムは先方に届いていました
 お盆が終わって今週はニューフィルの練習もお休み、やっと一息つけるようになったと思っていたら、相変わらず各方面の仕事で追いまくられる日々が続いています。まずは、今度の日曜日に迫ったニューフィルの「アンサンブル大会」です。去年は一応広報係として、出演者のスケジュールや当日のプログラムなどを「かいほうげん」の中に印刷してみんなに配って、それで済んでいたのですが、今年は発行のスケジュールと照らし合わせてみると新しい「かいほうげん」を作るだけの時間が物理的に足らないので、結局プログラムは私が作って当日持っていくことになりました。もちろん、その内容は係の人が作ってくれるので、送られてきた原稿をそのまま使えばいいのですが、私のことですから表紙に凝ったりしてしっかり4ページの冊子に仕上げました。そこでハタと気が付いたのは、その本番の日にはマンションの消火訓練があったことです。ただ、これは午前中には終わるので、そのまま直行すればリハーサルには間に合いますから問題はないのですが、プログラムは、午前中からやっているリハーサルの人にも配らなければいけませんから、朝一で持っていかなければいけません。それは無理なので、係の人のところに送ることにしました。それは、きのうにはもうファイルは出来ていたので、そのまま印刷して送ったところです。
 そのきのうは、私が出演メンバーに名前を連ねているアンサンブルの練習の日でした。モーツァルトのフルート四重奏曲(Fl, Vn, Va, Vc)をやろうというお年頃の人たちが集まって、これが3回目の練習となりました。会場は職場の会館でしたので、私はセッティングをした後いったん家に帰って、8時からの練習に備えて待機していると、メンバーから「もう集まってますけど」という電話が届きました。やっぱり、でしたね。この前の練習の時に「8時から」と決めたのですが、もしかしたら、最初の練習の時の「7時」に来る人もいるのではないか、と思っていたのですよね。まあ、お年頃の人にはありがちな勘違いでした。ですから、すぐに家を出て会場に向かいましたが、一人だけちゃんと8時に来た人がいたので、練習が始まったのは予定通りでしたね。
 1回目の時にはそれなりに形にはなったものの、ちょっと物足りないところもあったのですが、3回目ともなるとかなり演奏が練れてきて、これだったらどこに出しても恥ずかしくないかな、と思えるほどに整ってきましたね。まあ、本番ではいろいろ事故も起こるでしょうが、これだけ底上げされていれば、なかなかのものになるのでは、という予感です。
 実は、私はもう一つのグループからも主演することになっています。これは、いつも一緒にやっている同じパートのメンバーですから、それこそ一発で出来てしまうぐらいの感じなのですが、この間チラッとやってみて、「花のワルツ」の編曲がいまいちだったので、私がちょっと手を入れてみることにしました。その編曲では原曲が大幅にカットされていて、あまりにシンプルすぎるので、せめて最初のイントロだけでも加えたいと思ったのですよね。そこで、原曲ではフルート以外の木管とホルンで演奏されているコラールを、フルート4本のために直してみたのです。ホルンがinFなので、とっさに音が読めないのが難点でしたが、何とかそれなりに出来上がりました。1か所、チャイコフスキーはやっていないのですが「ナポリ」にした方がいいな、というところがあったので、そこだけ変えてみました。誰も気が付かないでしょうね。これも、おそらくこのメンバーは初見でも吹けてしまうでしょう。
 そして、同時進行で手掛けていたのが、定期演奏会用の企画書作りです。まず、指揮者の写真を探してみたら、この間の指揮練の時に撮ったのがほとんど使いもになりませんでした。ポーズがいまいちだったり、ピントが少し甘かったりして、ちょっとメディアに送るには満足できないものばかり。でも、かろうじてこんな写真で折り合いをつけることにしました。
 あとは、テキストを直して、いつも手間取る「企画の趣旨」も何とか書き上げ、これもチェックしてくれる人に送ったところです。OKが出れば発送作業が待っていますが、それが終われば今度は新しい「かいほうげん」の編集が始まるんでしょうね。松戸に行く暇なんてあるんでしょうか。
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by jurassic_oyaji | 2016-08-17 21:39 | 禁断 | Comments(0)
MOZART/Die Entführung aus dem Serail
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Jane Archibald(Konstanze), Norman Reinhardt(Belmonte)
Misha Schelomianski(Osmin), David Portillo(Pedrillo)
Rachele Gilmore(Blonde), Christoph Quest(Selim)
Jérémie Rhorer/
Le Cercle de L'harmonie
ALPHA/ALPHA 242




以前、モーツァルトの交響曲のアルバムなどで、とてもセンスの良いピリオド楽器の演奏を聴かせてくれていたジェレミー・ロレルとル・セルクル・ド・ラルモニーという黄金コンビが、ついにモーツァルトのオペラを録音してくれました。とは言っても、これはその交響曲のようなセッション録音ではなく、2015年の9月にパリのシャンゼリゼ劇場で上演されたもののライブ録音です。それも、レーベルによる録音ではなく、放送局が録音した音源がそのまま使われています。おそらく、本番だけのテイクで、編集もされていない、本当の「ライブ」なのでしょうね。同じピリオド楽器のスターたち、ヤーコブスやクレンツィスはきちんとセッションで納得のいくまで手をかけているというのに。
もう一つ気になったのは、このオーケストラをロレルとともに創設したコンサートマスターのジュリアン・ショヴァンの名前が、オケのメンバーからは消えていることです。彼は2015年の1月に「ル・コンセール・ド・ラ・ロージュ」というアンサンブルを新たに作ったために、このオーケストラから去っていってしまったのです。
そんなことを知ったのは、全曲を聴き終わってからでした。今までのアルバムが本当に素晴らしかったので、とても期待してこれを聴きはじめたのですが、なにかが違います。序曲からして、なんのサプライズもないどこにでもあるような平凡な演奏です。別に平凡が悪いというわけではありませんが、今までの彼らの演奏には確かな「意志」が感じられる瞬間が必ずあったものが、ここではそれが全く見当たらなかったのですね。そんなはずはない、と、あちこち検索してみたら、そんな事実が分かったということです。この「脱退」と演奏の間にはなんの因果関係もなかったんだったい、と思いたいものですが・・・。
さらに、この録音を聴いていまいちノレなかったのは、ベルモンテ役のテノールのせいです。このノーマン・ラインハートというアメリカ人は、テノールというよりはバリトンのような、低いところで共鳴させているような声ですから、かなり重めの音色、さらに歌い方もかなり重々しいのでこの役を歌った時に大方のリスナーを満足させることはできないのではないでしょうか。なんせ、序曲が終わって最初に声を出すのがこの役ですから、それで自ずとこのオペラ全体のテイストが決まってしまいます。そこにこの声が出てくるのは、ちょっと辛いものがあります。「アイネ・クライネ・ナハトムジーク」のアンダンテ楽章に酷似した15番のアリア「Wenn der Freude Tränen fließen」なども、とても繊細なオーケストラの前奏に続いて、この力の入り過ぎた歌が出てくると、がっかりしてしまいます。あくまで、個人的な感想ですが。
コンスタンツェ役のソプラノも、やはりちょっと重めでコロラトゥーラなどは悲惨ですが、その他のキャストは善戦しているのではないでしょうか。ブロンデ役のギルモアも、ペドリッロ役のポルティロもなかなかいい味を出していますし、オスミン役のシェロミャンスキーも、この役にはもったいないほどの知的な歌い方で、なおかつ粗野さを表現するというすごいことをやっていました。冴えないと思われていたオーケストラも、彼のナンバーのバックでは見違えるような生き生きとした姿を見せていたような気がします。セリム役の語りの人は、ちょっと甲高い声で、ほとんど威厳が感じられません。ルックス的にはかなり堂々としているのでしょうが。
対訳を見ていて、第3幕が第3場から始まっていることに気づきました。楽譜では第1場と第2場としてセリフだけのシーンがあるのですが、ここはカットされるのが慣習なのでしょう。他の録音や映像でも、ほとんどカットされていました。ここだけセリフがある「クラース」という人(セリムの家来?)の唯一の出番なのに。

CD Artwork © Alpha Classics/Outhere Music France
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by jurassic_oyaji | 2016-08-16 22:39 | オペラ | Comments(0)
6か所のプレイガイドで、好評発売中
 オリンピックは盛り上がっていますね。「ニッポン」が頑張ってくれることは別にかまいませんが、それを伝えるテレビのアナウンサーの絶叫にはなかなか慣れることが出来ません。なぜ、あれほど声高に「感動」を演出しなければいけないのか、シャイな私には到底理解できません。なんせ、本当の感動というのは、もっと深いところからジワジワと伝わってくるものだ、と日頃強く思っているものですから。
 テレビを点ければいやでもそんな「感動的」なシーンが放送されていますから、つい見てしまいます。そこでは、そんなアナウンサーだけではなく音楽も嫌でも耳に入ってきます。それが、NHKの場合は、そのサビの部分だけを繰り返し流していますから、聴かないわけにはいかず、いつの間にか無意識にハミングを始めているという、半ば「洗脳」状態にあるのが、情けないですね。
 でも、何回もそのフレーズを聴いて、さらに歌ってみると、それがなんだかどこかで聴いたことのあるとても有名な曲とよく似ていることに気づきました。それは、スティーヴィー・ワンダーの「 I just called to say I love you」(邦題は「心の愛」でしたっけ)、この曲のAメロの冒頭と、サビを組み合わせると、このNHKの曲のサビとそっくりになるんですよね。別に「パクリ」だなんて決めつけるつもりはありませんが、この曲を作った人は「 I just called to say I love you」から多大な影響を受けていることは間違いないと言い切ることぐらいはできるのではないでしょうか。なぜか、ヴォーカルの入ったオリジナル・バージョンを聴いたときにはそんなことは気が付かなかったのに、インスト・バージョンになると、それがはっきり分かるんですよね。
 職場の方も昨日あたりは盛り上がりはピークに達していましたが、今日になるとやっと先が見えてきたので、午後からは休みにして街に行ってみました。ちょっと、プレイガイドの様子を見てみたかったんですよね。今度のニューフィルの定期演奏会のチケットは今月の初めにはもう団員には渡っていて、プレイガイドも、私が行くことになっているホールの事務室にはチラシやチケットが出来てすぐ持って行ったのですが、そのほかのプレイガイドは業者任せなので、いつごろ持って行ったのかなどは私にも分かりません。担当者が別なので、その人に聞くのも面倒くさいし、実際に行ってもう販売が始まっているかどうか確かめた方が手っ取り早いですからね。そこで、三越のプレイガイドに行ってみたら、きちんと売り出されていました。ここでは、扱っているコンサートなどのチラシを、わざわざ縮小コピーして棚に並べる、というユニークな展示をしているのですが、そこにちゃんとニューフィルのチラシのミニチュアがありました。
 さらに、チラシが置いてあるスタンドを見てみると、ニューフィルのチラシもありました。ただ、それはまだ先のものなので、奥の方に置いてありましたから、無断で一番前に出しておきましたよ。これは、全部ファイルに入っているので、お客さんでニューフィルに興味があった人がチラシを出して、そのまま一番前に置いておいた、ということで、許してもらえるでしょう。
 車は市役所前の駐車場に置いてあったので、そこに行く途中に道路を挟んだ県庁側の公園を見てみると、こんな異様な光景が広がっていました。
 公園にいるほぼすべての人が、スマホを手に持って俯いているように見えますね。こういうものに何の興味も持てない私にとっては、この人たちは、なにか大きな力によって操られている、魂をなくしたゾンビの群れのようにしか見えません。とても醜い、あるいは恐ろしいものを見せられているような不快感だけが否応なしに募ってきます。こんなブームは、早晩すたれてしまうことを切に望みます。「被災地にたくさんの人に来てもらいたい」という理由で、このバカげたブームを盛り上げようとしている人が、とても愚かに思えます。
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by jurassic_oyaji | 2016-08-14 21:32 | 禁断 | Comments(0)
MELARTIN/Traumgesicht, Marjatta, The Blue Pearl
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Soile Isokoski(Sop)
Hannu Lintu/
Finnish Radio Symphony Orchestra
ONDINE/ODE 1283-2




シベリウスが生まれてから10年後の1875年に、現在はロシア領となっているカレリア地方のカキサルミで生まれたのが、エルッキ・メラルティンです。正直、このあたりの北欧の作曲家にはそれほどなじみがありませんから、この人の名前も今まで全く知りませんでした。それが、CDを出せば必ずチェックしていたハンヌ・リントゥとフィンランド放送交響楽団とのONDINE盤でこの人が取り上げられていたのと、さらに、その曲目の中に「マルヤッタ」というタイトルがあったので、俄然興味が湧いてきました。
実は、最近シベリウスの「交響曲第3番」に関していろいろ調べる機会があったのですが、その時に、同時に作曲を進行していた「マルヤッタ」というタイトルのオラトリオのことを知りました。結局それは完成には至らなかったものの、そこで用いられていたモティーフがこの交響曲の中で「再利用」されているということで、同じ素材がこのメラルティンの作品ではどのように扱われているのかを知りたくなったのですね。
「マルヤッタ」というのは、フィンランドの長編叙事詩「カレヴァラ」の最後に登場するエピソードです。なんでもマルヤッタという名前の少女が野に生えていたベリーの実を食べたことで男の子を出産し、その子がそれまでの王だったヴァイナミョイネンに替わって王となる、というような話なのだそうです。もちろん、それはキリスト教の要素がこの民話にも影響を及ぼした結果なのだ、と説明されています。
シベリウスの場合はその物語の中の「救世主の誕生」や「受難と死」、そして「復活」といったモティーフが、交響曲第3番の中に反映されているのだ、とされています。
それがメラルティンの場合は、ソプラノ・ソロとオーケストラのための、15分にも満たない曲に仕上がっていました。それは、まるでアニメのサントラのような、情景描写に主眼を置いた音楽のように思えます。冒頭からカッコーの鳴き声の模倣が聴こえるのは、確かにマルヤッタがカッコーと語り合うシーンと呼応しています。テキストはもちろんフィンランド語ですが、対訳の英語でそのあらましは理解できます。それによると、ここでは先ほどの「受難」や「復活」といった場面は登場せず、いきなりヴァイナミョイネンが現れて、カンテレを男の子に手渡して去っていく、といった情景で曲が終わっているようでした。シベリウスの場合は3つの部分から成る大オラトリオだったと言われていますが、それに比べるとずいぶんコンパクトな感じがしてしまいます。音楽も常に明るく、耳にすんなり馴染むものでした。
アルバムには、もう2曲収録されています。まずは、「マルヤッタ」の少し前に作られた「Traumgesicht」というドイツ語のタイトルが付いたオーケストラのための作品です。「夜の情景」といった意味でしょうか。サンクト・ペテルブルクでの、アレクサンドル・ジローティの指揮するコンサートのために作られたものです。これは、ヨーロッパ音楽の伝統をそのまま受け継いで、あえて民族的な要素は取り入れていないような作風です。オーケストレーションもとても色彩的な響きを重視していて、ほとんど映画音楽のような派手な作りになっています。そんな中で、それぞれのエピソードが何の準備もなしに唐突に登場するというあたりが、サプライズとしての面白さになっています。時々聴こえてくるドビュッシーのようなモーダルなテーマが、隠し味。初演後に何度か演奏された後はすっかり忘れ去られていたものが、2013年にリントゥとフィンランド放送交響楽団によって81年ぶりに甦演されたのだそうです(もう疎遠ではありません)。
もう1曲のバレエ曲「青い真珠」は、海を舞台にしたおとぎ話。作曲家の晩年の作品で、まるでチャイコフスキーのバレエ曲のようなキャッチーな作品です。最後から2番目の「ヴェールをかぶった魚」というナンバーが、ファンタスティックで素敵です。

CD Artwork © Ondyne Oy
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by jurassic_oyaji | 2016-08-13 20:27 | オーケストラ | Comments(0)
お茶が一番売れます
 職場の行事が終わったあとは、その後始末に追われます。当日受け取ったはがきと現金をつきあわせてそのリストを作成した後は、行事に来た人以外に「会報」を発送する作業が始まります。行事が9日、その集計が10日、そして、11日に発送用の名簿作成と、封筒への印刷です。ハガキをまず50音順に並び替えて、フルの名簿から行事に来た人を削除し、そのデータを印刷するんですね。いくら、一部を削除したからって、まだ1000人近く残っていますから、それを封筒に印刷するには優に丸一日必要です。この間、プリンターの調子が悪くなった時には別のプリンターを使ってあて名シールに印刷してそれを封筒に貼る、という作業をやってみましたが、それは本当に大変だったことを痛感しましたから、新しく買い換えたプリンターは本当にありがたいものでした。
 印刷は封筒さえ供給しておけば、一人でやってくれますから、その間に「会報」を封筒サイズに折っておきます。これは前もってやっておけることだったのですが、他のことに紛れて途中までしかやれてなかったものが、結局印刷の合間に出来てしまいましたね。ですから、あとはその封筒に畳んだ「会報」を入れて封をするだけのことです。これも、今日一日あれば終わって、明日には発送できるでしょう。
 と思っていたら、実は「明日」は発送は出来ない日だったのでした。普通の郵便物だったら、ちょっと大きめの郵便局に持っていけば受け付けてもらえるのですが、わが社がこのところ利用している「ゆうメール」の場合は、土日は受付が出来ないのですよ。ということは、今日中、できれば午前中に封筒詰めを終わらせて、午後に持って行ってもらうというスケジュールで進めないと、発送が来週にずれ込んでしまいます。せっかく時間をフルに使ってやってきたのに、そんなロスは許されません。でも、果たして午前中に1000通の封筒詰めなんてできるのでしょうか。
 そこで、まず、果たして今日中に集荷に来てもらうことは可能なのか、試しに100枚ほどやってみましたよ。そうしたら、ほぼ15分で終わってしまいました。1枚当たり9秒ということになりますね。まあそんなもんでしょう。このペースだったら、全く休まないで作業をすれば2時間半で完了することになります。実際は、その間に適宜休憩が入りますからもう少しかかるでしょうが、これで間違いなくできることが分かったので、午後の3時に取りに来てもらうように電話をしておきました。あとは、ひたすら単純作業に邁進するだけです。
 ほぼ予定通りに終わらせる目途がついたので、自販機のチェックもしておきましょう。新しい自販機に替えてから、初めてのシーズンですから、いろいろ気になります。まずは、最も期待していた、カラム連動機能の効果です。これは、大量に出る可能性がある品目を、最初から複数のカラムにセットして、それを、順番に作動させていく、という機能です。例えば、3つのカラムでグルーピングしておいて、それに対応するボタンも複数セットしておくと、どのボタンを押しても、その3つのカラムの中から順番に品物が出てくる、ということができるようになっています。前の機械ではそんなことが出来なかったので、単純にボタンごとにカラムを設定していたのですが、そうすると、必ず右側のボタンの方が多く押されてしまい、片方のカラムだけが早く無くなる、ということになってしまいました。そうなると、そこに新しい瓶を供給すると、まだ冷え切ってない商品が出てくることになってしまいます。それが、今ではきちんと順番で出てきますから、どのカラムも同じペースで売れていき、かなりなくなっても、まだ冷えている商品はたくさん残っている、ということになるのですからね。これだったら、多少チェックをサボっていても、余裕をもって作業ができます。期待通りの働きでした。
 ですから、忙しい間でも新しいCDを聴いたりも出来ます。きのうの「おやぢ」もそんな感じでざっと聴いて思ったことをそのまま書いてアップしておきました。それが、あとでもう少し裏を取ろうと検索してみたら、かなり重要な事実が分かって焦ってしまいました。ですから、あとで「追記」を2つほど加えておきました。でも、あの「テクニカル・ノーツ」は、読めば読むほどさらに胡散臭く感じられるようになるのは、なぜでしょう。他人のCDの「捏造」を科学的に実証できるスキルを持った人だからこそ、完璧な「フェイク」を作ることが出来たのではないか、と。
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by jurassic_oyaji | 2016-08-12 20:58 | 禁断 | Comments(0)
VERDI/Requiem
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Herva Nelli(Sop), Fedora Barbieri(MS)
Giuseppe di Stefano(Ten), Cesare Siepi(Bas)
Arturo Toscanini/
The Robert Shaw Chorus(by Robert Shaw)
NBC Symphony Orchestra
MEMORIES/MR2482




ヴェルディの「レクイエム」では極めつけの名盤と言われてきた、1951年1月27日にカーネギーホールで行われたNBCの公開録音によるトスカニーニ指揮のNBC交響楽団の録音は、本来はラジオ放送のためのものでした。そこでNBCによって設置されたマイクから独自に録音を行ったRCAは、リハーサルと本番の演奏から編集をして、レコードとしてリリースします。それは、全世界でリリースされましたが、今ではもちろんCDによっても何種類かのものが発売されています。さらに、わざわざイギリスでプレスされたLPを使って板起こしを行い、CD化されたものも、日本で作られていたりします。それを、以前こちらで聴いていましたね。
トスカニーニの演奏は、最晩年の1954年ごろになると最初からステレオで録音されたものも出てきます。ただ、この「レクイエム」のころはまだそんなことはとても無理な時代でしたから、これは当然モノーラルで録音されたものです。
それが、突然こんなヒストリカルのレーベルから、この有名な録音の「World Premire Stereo Recording」というものがリリースされました。しかし、このCDから得られる情報は、そのクレジットが黄色い文字でレーベルのマークの前に横たわっているだけで、それ以外のことは何も書いてありません。

ところが、なぜかこのCDを販売している日本の代理店が作った「帯」には、「偶然にもマイクが二か所に同時に立っていたので、それを合成してステレオ録音が出来上がった」というようなことが書かれています。レーベルが公開していない情報を、この代理店がなぜ入手できたのか、という点で、まずこのコメントは信用する気にはなれませんが、それ以前に、全く別のマイクで、別のレコーダーに録音されたものを使って録音されたもので「ステレオ録音」を実現させるなんてことが、いかに技術が進歩したからといっても可能だとは到底思えないのですけどね。
逆に今の時代、かつてのモノーラルの録音をステレオに作り直すなんてことは、とても簡単なのではないでしょうか。いや、現実に、かなり昔からそういう技術はありましたからね。EMIの「ブライトクランク」などはかなり良くできた「疑似ステレオ」だったはず、それは、今のテクノロジーをもってすれば、さらに「本物らしい」「疑似ステレオ」を作ることなど、わけもないはずです。
そんな、最初から疑いの目をもって聴くというのは良くないことかもしれませんが、なにしろこの業界はこんなふうにあてにならないことばかりですからそうせざるを得ません。この「レクイエム」、オリジナルに比べるととても耳あたりが良くなっていて、確かに楽器群やソリストの定位もはっきりしていますから、リアル・ステレオのように聴こえますが、逆にその定位がはっきりしすぎているのが怪しいんですね。一番よく分かるのは、「Dies irae」のバスドラム。これが、はっきり右の端から聴こえてきます。こういう音場にするためには、ほとんどバスドラムだけで1本マイクを使う必要があるはずです。「偶然同時に立っていた」マイクが、バスドラの真ん前にあったなんてありえません。オリジナルでも、この楽器の音は際立っていますから、これだけを抽出して右チャンネルに振り分けるのはとても簡単だったのではないでしょうか。
それと、全体的に低音がオリジナルよりも大幅に減衰しています。これは、もしかしたら楽器を振り分ける際の位相がうまく合わなくて、低音が打ち消しあってしまった結果なのではないでしょうか。
いずれにしても、レーベルはこの録音の出自について、自ら説明を行う責任があるはずです。絶対に誰にも信用されないようなデマで飾るのは最悪です。
最後の拍手だけは、なぜかモノーラルになっています。これは、この前で、「もう一つのマイク」の音がなくなっていたと思わせたい小細工にしか聴こえません。モラルを疑います。

追記1:
実は、このCDは、別の音源の海賊盤のようでした。オリジナルのテクニカル・ノーツが見つかりましたが、それによるときちんとしたものであるようですね。


追記2:
この「修復」を行った方は、過去にこんなところで有名になっていたそうです。だからと言って、彼の仕事を鵜呑みにすることはできません。

CD Artwork © Memories Excellence
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by jurassic_oyaji | 2016-08-11 22:36 | 合唱 | Comments(0)
ニューフィルも、来週はお盆休み
 毎年のことですが、お盆の前の8月9日は、私にとっては最高に忙しい日になります。それは、「お施餓鬼会」という行事です。「おせがきえ」と読みます。知らない人は「おせがきかい」と言ったりしますけど。「え、そうかい?」。あるいは、「よせがき」だと思い込んで、ずっとそう言ってる人もいますし。これは、かつてはお盆には和尚さんが檀家さんのお宅を回ってお経をあげ、先祖供養を行うという風習があったものが、最近では特に都市部ではそのようなことが難しくなったために、お寺で全部の檀家さんの供養をまとめて行うために行われるようになった催し物です(諸説あります)。ですから、檀家さんは実際にお寺に出向いて直接その法要に参加するのもよし、行けない人でも、今この時間に我が家のご先祖も含めた全檀家さんの供養が行われているのだ、と思いながら過ごすのもよし、という、ありがたい法要です。
 それに備えて、前日には「施餓鬼棚」というのが設置されます。
 この外観を整えるのが、私の仕事。竹藪に行って竹を1本切り倒し、その枝をつかって四方を飾り、このようなカラフルな幡を吊るします。
 当日には、この祭壇に野菜やお米などがそなえられ、「餓鬼」に「施す」所作が行われる中、ほぼ1時間近く読経が続き、最後にはそれぞれの和尚さんによって、すべての檀家さん(ここでは1200軒以上)の名前が読み上げられます。
 私は、この日は朝から受付に貼りついていなければいけません。実際に始まるのは午後1時からなのですが、その時間には都合の悪い人などが受付だけを行って、帰っていくこともありますから、その応対をしなければいけません。その時に、記念品などのほかに、毎年発行している「会報」を一緒にしてお渡しするのですが、その会報は全ての檀家さんに渡されるべきものなので、後日来れなかった人には郵送します。そのために、実際に手渡しをした方をチェックしておかなければいけません。そのために、1か月前に案内のハガキを発送してあって、当日はこれを持ってきていただいてそれと引き換えに記念品を渡すというシステムになっています。さらに、せっかく来るのだから、例えばお墓の掃除の費用などの、それぞれの方に分担していただいている経費の支払いなども一緒に行いたいという人のために、そういう現金の授受も行っています。それを、ピーク時には瞬時にそのような作業を行わないと混乱をきたしてしまいますから、そのハガキには前もってお支払されるものの詳細を印刷してあります。ですから、ハガキとお金を持ってこられた方にその内訳をうかがって、それをはがきにチェックして、お金と一緒に積んでおくのですね。
 そういう仕事は、ふつう3人ぐらいいないと完全にはこなせません。私以外にもう2人必要なのですが、今年はその中に初めての方が入ることになりました。単純な仕事ですから、なんと言うことはないのですが、なんせお金を扱いますから、一通り説明をして、あとは実地に応対していただきながら、私が後ろからダメを出す、ということになりますね。でも、その方はとても勘の良い方で、すぐに仕事を呑みこみ、さらにご自分の個性までそこに反映させることにまで成功していましたよ。その方が受け取ったハガキを今日チェックしてみたら、その仕事ぶりは完璧でした。というか、私が長年かけて築き上げてきたシステムには、そのような最小の指導だけで実を結ぶほどの完成度があったのだ、ということなんでしょうね。
 そんな「知的」な喜びに浸っていると、本堂の中に置くためにレンタルしてあったパイプ椅子の撤去に、業者がやってきました。まだ終わったばかりで、他の人は別のことで忙しく、椅子を片付ける人は私しかいません。業者は中に入らないで外で待っているだけなので、私一人でほぼすべての椅子を畳んで入り口まで運んで手渡す、という作業を行わなければいけませんでした。久々の体力勝負、それが終わったらニューフィルでマーラーを吹かなければいけないというのに。
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by jurassic_oyaji | 2016-08-10 22:01 | 禁断 | Comments(0)
音楽する日乗
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久石譲著
小学館刊
ISBN978-4-09-388499-0




「『日乗』って?」と、まず思ってしまいました。音楽をでっちあげるんじゃないですよ(それは「捏造」)。「日常」の間違いなのか、あるいは、もっと気取って「日譲」だったのか。とは言っても、なんせ一冊の本のタイトルですから間違いなんてありえません。あわてて国語辞典を引いてみたら、しっかりこの言葉がありました。「日乗=日記」なんですって。ということは、このタイトルは「音楽する日記」となるのでしょうが、そうなると日本語としておかしくないですか?実は、この本は同じ出版社の「クラシックプレミアム」という雑誌に、隔週で連載されていたエッセイを集めたものなのですが、その時のタイトルは「音楽的日乗」でした。これならきちんと意味が成立していますし、ほのかに「日乗」と「日常」とを絡めたような味さえも感じられますね。それが、「的」を「する」に変えただけで、どうしようもなくへんちくりんなものになってしまいました。
著者は、一連のジブリのアニメのサントラやテーマ音楽で多くのファンを持っている作曲家です。今回の著書では、巻末に30ページにも渡ってその「作品」のリストやディスコグラフィーが掲載されていますが、それは膨大な量。そのような「作家」としてだけでなく、彼は実際にピアニストや指揮者として、時にはシンフォニー・オーケストラとともにステージに立っていたりします。なんでも、そのようなコンサートは、チケットが発売されるやいなやソールド・アウトになるという、まるでAKBやジャニーズのようなアイドル並みのファンを獲得しているというのですから、すごいものです。これは、そんな著者の日常を綴った「日乗」なのでしょう。
通常、そのような読み物は、実際に本人が執筆するのではなく、インタビューのような形で本人が語ったことを、ライターさんが原稿に起こす、といったような形で雑誌には掲載されるのでしょう。ただ、ここでは「著者」はそのような部分と、実際に自分の手で原稿を書いた部分とがあることと、それがどの部分であるのかをきちんと明記しています。今時珍しい「正義感」にあふれた人なのでしょう。
ただ、そうなってくると、ご自分で書かれた部分での「粗さ」がとても目立ってしまいます。別に著者はプロのライターではないのですから、だれも文章の美しさなどは期待していないのですが、やはり「久石譲」という名前を背負っている文章としては、それなりの内容のクオリティは期待されています。毎回の原稿は2000字程度でしょうか、そんな決して多いとは言えない字数のなかで、半分近くを原稿が書けない言い訳に費やしているのを見るのは、とても辛いものがあります。ここは、きっちり「プロ」の手を借りて、多くの人に読まれても恥ずかしくない程度のものにはしておいてほしかったものです。いきなり「今の若い者は」みたいなジジイの説教が現れるような駄文は、誰も読みたいとは思わないはずです。平均律の話をするときに「1オクターブは上のラ(440Hz)から下のラ(220Hz)を引いた220Hz」などととんでもないことを言い出したのには、言葉を失いました。この人、ほんとに音楽家?
とは言っても、やはりこれだけのキャリアと人気を誇る作曲家ですから、そんな駄文のなかからでもなにがしかの知的な閃きを探し出すことは不可能ではありません。たとえば、「ユダヤ人」に関する彼の視点。これは、常々疑問に思っていたことが、少しは氷解するきっかけにはなったかもしれません。それと、きちんと「理論はあとからついてくるもの」という認識を持っているのは、さすがですね。
仙台に住んでいるものには、彼が作ったこの地方の電力会社のCMの音楽を聴けるという特権があります。1日に何度となくテレビから流れてくるその音楽は、とことん陳腐で退屈なものでした。なぜこんなものを恥ずかしげもなく公に出来るのか、この本を読んで少しは分かったような気がします。

Book Artwork © Shogakukan Inc.
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by jurassic_oyaji | 2016-08-09 22:11 | ポップス | Comments(0)