おやぢの部屋2
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次回は会場も曲目も未定です
 今回の「杜の都 合奏団」のコンサートは、私にとっては初めてと言っていいほど仕上がりが悪かったですね。いままで30年近くオーケストラをやってきて、本番前に自分のパートが完全に吹けていないことなんかなかったのに、今回はどうしてもクリアできないところが残ってしまったんですよ。一人で練習している時にはちゃんと吹けるのに、合奏になると突然メロメロになってしまうという、たぶんにメンタルな要素が高いもののようですね。まだこんなところに弱点があったなんて、やはり私も普通の人間だったんですね。
 ということで、もう前日リハーサルの時点でもそこはクリアが出来ないと分かったあとは、もうそこは捨てることに決めました。出来ないものは仕方がないので、それがほかのちゃんとできるところに影響を及ぼさないように、「切除」してしまったんですね。まあ、そのせいかどうかは分かりませんが、いつもよりちょっと遅めのテンポで始まったシベリウスは、とても冷静に、そしてアンサンブルを楽しみながら演奏できるぐらいの余裕がありました。結局、第1楽章の後半にはテンポが上がってしまったので、問題の箇所は散々でしたが、その結果がそのあとの演奏に尾を引くことは全くありませんでしたね。あとでヴァイオリンの人に言われて気が付いたのですが、この本番の前に、この交響曲を全曲通して演奏したことは1回もありませんでした。それだけ難しい曲で、どんな時でも止めざるを得ないような事態が発生してしまい、楽章ごとには何度か全部を通してはいたものの、それを全部つなげての通しというのは、全くやれていなかったんですね。まさに「一発勝負」の本番だったわけです。
 後半のシューマンでは、2番の担当でしたからこれは余裕でした。もうシベリウスをさらうのに精いっぱいで、こちらはほんとにざっとしか見ていなくて、2楽章の第2トリオなどは、1番より2番の方が難しくて最初はかなりてこずりましたが、前日までにはきっちり吹けるようになっていましたからね。
 いずれにしても、シューマンは前にニューフィルでやっていましたが、私は1アシだったのでそれほどの思い出もなく、シベリウスに至ってはまともに聴いたこともほとんどなかったような曲ですから、果たして本番までにきちんと自分のものとして演奏できるのかという不安はあったのですが、終わってみれば特にシベリウスの3番の方は今の時点ではシベリウスの曲の中では一番好きなものになっていましたよ。これは、演奏もさることながら、ある意味強制的に書かされたプログラム・ノーツのせいかもしれません。正直、この2曲について何かちゃんとした解説が書けるような自信は全くなかったので、手を付けるまではとても気が重かったのですが、仕方なく色々資料を当たっていたらとても面白いことがたくさん分かってきて、出来上がってみれば大幅に指定字数を超えてしまうものになっていました。ですから、元の原稿からほぼ半分ぐらいまで削ったのが、あの完成品です。そこで新たに知ったことは、本当に興味深いものでしたから、俄然演奏に対するイメージも湧いてきましたしね。
 この解説については、メンバーは当日初めて目にして、「これを前に読んでいたかった」というようなご意見を打ち上げで聞かされて、とてもうれしかったのは事実ですが、逆にあれは単なる一つの見方として、すべての人が共有してしまうのにはちょっと危険な面もあるのではないか、という気にもなっています。まあ、そんな、私が好き勝手に書いたものとして、あくまで「参考」にしていただければ、というのが本音ですね。つい、ふだんやっている「おやぢ」のノリで書いてしまうと、あまりにマニアックすぎて役に立たない、ということがありますからね。
 きのうはなんせ仙台七夕の初日でしたし、ものすごく暑いお天気でしたから、わざわざこんなところに足を運ぶような人は、あまりいなかったのでしょうね。入場者数は95人と、このオーケストラとしては史上最低の集客になってしまいました。でも、そんな「数え切れるほど」のお客さんでも、とても温かい拍手をいただけましたし、人前でちゃんとした曲をきちんと演奏できるという場があるだけでしあわせなのですから、人数などはあまり気にはなりません。
 なんたって、ニューフィルではまず演奏できないような曲を、たっぷりやることが出来るだけで、本当にハッピーになれます。今回は、そのことを演奏の最中にしみじみと感じていました。それを一度味わってしまうと、もはやこれは私にとってなくてはならないものになってしまっていることに、気づかされます。
 なにかとせわしなかったので、私は1枚も写真が撮れませんでした。それで、メンバーのKさんがFacebookに上げた写真をお借りしました。

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by jurassic_oyaji | 2016-08-07 21:35 | 禁断 | Comments(0)
THOMPSON/Requiem
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David Hayes/
The Philadelphia Singers
NAXOS/8.559789




ランドール・トンプソンという名前の作曲家など、初めて聞いたのでは、と思っていたら、実はこちらですでに彼の作品を聴いていました。そこで取り上げられていたのは「Alleluia」という無伴奏の合唱曲でしたが、それを初めて聴いた時には、言いようのない新鮮な感じを持ったことを憶えています。とても深いところで心に訴えるものを持った、「本物」の音楽です。
もう一つ、彼はあのバーンスタインの先生だった、ということで知られています。ただ、巷間(たとえばWikipediaとか、それをコピペしたと思われるこのCDのインフォ)、「レナード・バーンスタインはハーバード大学での生徒の1人であった」とされている情報は誤りです。バーンスタインはハーバードを卒業した後、カーティス音楽院のオーケストレーションのクラスでトンプソンに師事していたのですから。
そんな、他人に「管弦楽法」を教えるほどのスキルがあり、自身の交響曲もいくつか作っているトンプソンですが、彼は主に合唱作品の作曲家としてアメリカでは広く知られています。とは言っても、実際にその作品を聴く機会はほとんどなく、この1958年に作られた「レクイエム」も、これまでに部分的に録音されたものはありましたが、全曲録音としてはこのCD(録音されたのは2014年)が世界で初めてのものとなります。
20世紀以降に作られた「レクイエム」では、もちろん伝統的なテキストによる作品もたくさん作られてはいますが、それにはあまりこだわらないもっと自由な形式のものもあります。例えば1962年のブリテンの「戦争レクイエム」では、オリジナルのラテン語の典礼文の他に、別の現代詩人の詩が用いられています。もっと時代が近い1985年のジョン・ラッターの作品でも、やはりそのような自由詩が挿入されています。しかし、このトンプソンの「レクイエム」では、そのタイトルの由来ともいえる「Requiem aeternam」というテキストすらもどこにも見られなくなっていました。彼が用いたテキストは、すべて英訳された聖書からの引用だったのです。
これはなかなかユニークな発想ですが、過去にそんな例がなかったわけではありません。それは、これより1世紀近く前、1868年に作られたブラームスの「ドイツ・レクイエム」です。したがって、このトンプソンの「レクイエム」は、誤解を招かないように「アメリカ・レクイエム」とでも言った方がいいのかもしれませんね。
もちろん、トンプソンが選んだ聖書のテキストは、ブラームスのものとは何の関係もありません。彼は、彼自身のインスピレーションに基づいて言葉を選び、再構築しているように見えます。そして、それらのテキストを、2つの無伴奏の混声合唱に振り分けたのです。そこで彼は、「第1コーラス」を、愛する人を失って悲しみにくれる「嘆きの合唱」、「第2コーラス」を、その人たちに死者の永遠の安息(これが「Requiem aeternam」)を信じさせて慰めを与える「信仰の合唱」と位置づけ、それぞれの合唱の「対話」という形で音楽、あるいはそこで描かれる「ドラマ」を進行させているのです。
そのような作曲家の意図を最大限に表現するために、演奏家と録音スタッフはそれぞれの合唱の性格を際立たせるように細心の注意を払っています。特に、録音面では、2つの合唱をそのまま録るのではなく、「第2コーラス」にはリバーブを深めにかけて、「第1コーラス」との距離感がはっきり分かるようにしています。
それだけの準備に応えられるだけのとてつもない力を、この、デイヴィッド・ヘイズが指揮をしているフィラデルフィア・シンガーズは持っていました。その芯がある音色と、完璧なハーモニー、そしてポリフォニーにおける目の覚めるようなメリスマ、それらが一体となって、この「レクイエム」は確かな命を吹き込まれ、言いようのない感動を引き起こすことになったのです。録音も超一流、機会があればぜひ24/96のハイレゾ音源で聴いてみて下さい。

CD Artwork © Naxos Rights US, Inc.
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by jurassic_oyaji | 2016-08-06 21:54 | 合唱 | Comments(0)
まだまだ綱渡り状態です
 いよいよ、明日が本番になってしまいました。七夕に出かけるついでに、お寄りになってみてください。お声掛けくださればチケットを用意(もちろん無料)しますよ。
 今回も、私がプログラム・ノーツを書いています。こんな感じの曲を演奏しますので。 
 半年ごとに開催されてきた私たち、「杜の都合奏団」の演奏会、今回は「ハ長調の魅力~大作曲家の知られざる傑作を聴く~」というテーマが設けられています。
 「ハ長調」というのは、ピアノの鍵盤の白鍵しか使わない西洋音楽の最も基本となる単純で明確な意志を持つ、言ってみれば「わかりやすい」調性です。しかし、今回取り上げた2人の作曲家、シベリウスとシューマンは、ともに非常に繊細な神経の持ち主だということもあって、そこには一筋縄ではいかない「ハ長調」の音楽が出来上がっています。

シベリウス:交響曲第3番ハ長調
 ジャン・シベリウスは、交響曲第1番(1899年)、交響曲第2番(1902年)、そしてヴァイオリン協奏曲(1904年)によって、世界的な大成功を収めていました。しかし、この交響曲第3番は、それまでとはガラリと作風の変わったものになっています。その要因の一つとなったのが、1904年に、それまで暮らしていたヘルシンキを離れ、近郊のヤルヴェンパーというところに新しい住居を構えたことでしょう。豊かな自然に囲まれたまるで山小屋のようなこの家には、彼の妻アイノの名前にちなんで「アイノラ」という愛称が付けられました。
 大都会の喧騒から離れたこのくつろいだ環境の「アイノラ」には多くの芸術家が集い、新しい時代の芸術について語り合っていました。そして、シベリウスは彼らとの交流の中からこれまでとは違う作風を模索するようになります。その結果、この交響曲はそれまでの交響曲とは違い、自らの主観的な思いを強く打ち出したものになりました。当然、1907年に初演された時には、聴衆は大きな戸惑いを感じたそうです。しかし、この曲を作ったからこそ、後の交響曲がさらに深みのあるものになっていったのです。
 この曲は、一応3つの楽章から出来ていますが、その最後の楽章は2つの異なる楽想を持つものがつながったものと考えられますから、非常に古典的な「アレグロ-アンダンテ-スケルツォ-フィナーレ」という4つの楽章から出来ているように見えます。さらに、第1楽章は「ソナタ形式」という、まさに古典的な形式によって作られています。
 しかし、それはあくまでそのような形を借りているというだけのことで、その内容はとても複雑なものになっています。さらにシベリウスは、いくつかの曲を同時進行で手掛けるというスタイルで作曲を行っていくタイプの作曲家でしたから、それぞれの作品の間でモティーフのやり取りなども行われています。この交響曲の場合も、未完に終わってしまった「マルヤッタ」という作品からのモティーフが反映されているのです。シベリウスが何度も作品の題材とした長編叙事詩「カレワラ」の最後を飾るこの物語では、マルヤッタという女性が処女懐妊し、救世主たる息子が誕生します。彼は受難の後埋葬されますが、やがて復活を果たし、カレリアの王となるという、まさにイエス・キリストその人が主人公となったこの物語を元に、シベリウスは3部から成るオラトリオの構想を練りますが、結局完成には至りませんでした。しかし、その精神はこの交響曲の中に息づいているのです。

第1楽章:冒頭からチェロとコントラバスのユニゾンで聴こえてくる素朴なモティーフが、この楽章のメイン・テーマです。それを飾るように木管楽器が細かい音符のキラキラしたモティーフを重ねます。これらのモティーフは、この後も形を変えて重要な場面で登場します。その先に現れるのがチェロによって奏される哀愁に満ちたサブ・テーマです。一旦音楽が落ち着いて、弦楽器だけで静かにため息のようなフレーズが歌われるのが展開部への橋渡し、その後にフルート・ソロが先ほどのキラキラしたモティーフを、まるで小鳥の鳴き声のように奏します。それは弦楽器にも引き継がれて、テーマの展開が始まります。ここでのハイライトは、先ほどチェロで奏されたサブ・テーマがファゴットやクラリネットで朗々と歌われるのを、このキラキラモティーフでひたすら追いかけるヴィオラ・パートの孤高の姿でしょう。再現部では最初のテーマが、出てきた時とは全く異なるオーケストレーションで再現されます。そして、エンディング、フルートのキラキラモティーフに導かれて弦楽器がピチカートで場面を転換させると、次に木管とホルンによる「救世主の誕生」を表わすようなコラールが響き渡ります。それは弦楽器でも繰り返され、「アーメン終止」でこの楽章の幕が下ります。

第2楽章:この楽章では「救世主」は死に、マルヤッタは墓地で息子の運命を嘆きます。流れるような4分の6拍子の中、低弦のピチカートに乗って2本のフルートで歌われるのは子守唄とも葬送行進曲とも感じられることでしょう。この哀愁に満ちた歌は、このゆるやかな流れに従って歌われると思いきや、時折ベースのリズムがちょっとずれたシンコペーションを産み出していますから油断はできません。しかも、そのあたりでは一瞬「ナポリの6」というちょっとびっくりするような響きが現れますよ。その後には、3つのパートに分かれたチェロによる、まさにマルヤッタの嘆きとでも言うべきコラールが響き渡ります。もう一度、今度はヴァイオリンのピチカートも加わって、「子守歌」が聴こえてきます。そのピチカートが次第にテンポを上げていくと、木管楽器が一陣の風を舞い起します。そして、3度目の「子守歌」が弦楽器によって歌われ、第2楽章が終わります。

第3楽章:冒頭に現れるオーボエのソロは、なんとものどかな雰囲気を醸し出していますが、曲が進んでいくと次第にそれは切迫の様相を呈してきます。この楽章のシベリウスのオーケストレーションはとことん奇妙、4つの声部に分かれたヴァイオリンはそれぞれが全く反対の方向を向いた音型を演奏するというハチャメチャさです。その間を縫って、他の楽器もとてもスリリングなアンサンブルに加わらなければなりません。先ほどのマルヤッタからのコンセプトでは、この部分は「受難」を表わしているのだとか、そう、ここは演奏者にとっても多くの受難が待っている部分なのです。しかし、やがて光は見えてきます。8分の6拍子の中からかすかに聴こえてくるヴィオラによる4拍子のフレーズは、「神への祈り」のテーマです。このテーマは、すでにホルンでも暗示されていたものですが、ここになってはっきりその形を表わします。そこからは、まさに「復活」の喜びが、オーケストラ全体で歌い上げられるのです。

シューマン:交響曲第2番ハ長調
 ロベルト・シューマンは、交響曲を「4曲」作ったとされています。ただ、今までこの演奏会で演奏してきたメンデルスゾーンやシューベルト同様、それは額面通りに受け止めることはできません。まず、1841年に作られた「第1番」の前にも、1832年に着手したものの、結局第2楽章までのオーケストレーションが済んだところで力尽きてしまった幻の交響曲(当時住んでいた地名に由来する「ツヴィカウ交響曲」という名前で呼ばれ、何種類かの録音もあります)が存在しています。そして、「第1番」と、今回取り上げた「第2番」との間にも、もう一つの交響曲を完成させています。それは、「第1番」と同じ年(この1841年は、シューマンの「交響曲の年」と呼ばれています)に完成されていますが、出版には至っていません。それは、10年後に改訂され、そののち出版されて「交響曲第4番」と呼ばれることになります。現在では、改訂前の「初稿」も出版されていますし、実際の演奏もかなりの頻度で行われていますから、初稿と改訂稿を別の作品とみなせば、シューマンの交響曲は全部で「6曲」あることになるのです。
 前回の演奏会で取り上げたシューベルトの「交響曲第8番」を発見したのがシューマンその人だということは良く知られています。その曲を知ったことが、彼が交響曲を作るきっかけになったとも言われており、そこで生まれたのが「1番」と「4番(初稿)」だったわけですが、それから数年経って、彼は再度そのシューベルトのハ長調の交響曲、「第8番」を聴く機会がありました。その直後、彼はメンデルスゾーンに「このところ、私の頭の中では、ハ長調のトランペットが鳴っています。ここから何かが起こるか、私にもわかりません」と語っていたそうで、この体験が、彼の新たな交響曲の作曲への意欲を駆り立てたのでしょう。

第1楽章:序奏では、ゆったりと波打つような弦楽器をバックに、先ほどのトランペットを含む金管楽器が、まさにハ長調のファンファーレを荘厳に吹き鳴らします。次第にテンポが速くなるにつれて聴こえてくるのが、付点音符の軽快なモティーフ、やがて音楽は高速にギアチェンジしてそのモティーフがメインとなった主部に突入します。時折聴こえてくる緩やかに流れるようなテーマが、この楽章の隠し味。

第2楽章:ファースト・ヴァイオリンが常に細かい音符を刻んでいるという印象が強い、スケルツォの楽章です。その間に、三連符に支配された軽快な第1トリオと、しっとりと歌い上げる第2トリオが挟まります。この第2トリオの美しさは、この交響曲の白眉でしょう。最後のコーダでは、ファースト・ヴァイオリンはさらに大活躍、1990年にレナード・バーンスタインによって創設された「パシフィック・ミュージック・フェスティヴァル」でこの曲を取り上げた巨匠は、この部分でファースト・ヴァイオリン全員を立ち上がらせ、暗譜で演奏することを要求していましたね。

第3楽章:シューマンは、この曲に取り掛かる前の年を自ら「フーガの年」と呼んでいるように、そこでバッハなどの対位法を研究しています。その影響でしょうか、この楽章のメイン・テーマはバッハの「音楽の捧げもの」のトリオ・ソナタのテーマに酷似しています。とても穏やかなこの楽章は、続く第4楽章の喧騒の前の小休止。

第4楽章:大袈裟な幕開けの上向スケールに続いて、メンデルスゾーンの「交響曲第4番(イタリア)」のテーマが高らかに鳴り響くのには、驚かれる方もいらっしゃるかもしれません。これはそんなイケイケの楽章です。ただ、その後に軽やかな木管の三連符に乗ってヴァイオリンが急速に上昇と下降を繰り返す流れるようなテーマの中に、先ほどの第3楽章のテーマが潜んでいるのを見逃すわけにはいきません。エンディングに向かってさらに高揚してくると、ベートーヴェンの歌曲からの引用と言われているコラール風のテーマも絡み合って、神々しさまでも加わり、壮大なクライマックスを迎えるのです。

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by jurassic_oyaji | 2016-08-05 23:17 | 禁断 | Comments(0)
ja, vi elsker
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Tone Bianca Sparre Dahl/
Schola Cantorum
Ingar Bergby/
Forsvarets stabsmusikkorps
2L/2L-104-SABD(hybrid SACD, BD-A)




少し前に出たアルバムですが、とても興味のある内容なので、取り上げてみました。これがリリースされたのは2年前の2014年、その時は、このレーベルのあるノルウェーでは憲法制定200年をお祝いする行事で賑わっていたのだそうです。1814年5月18日に制定された憲法によって、ノルウェーは民主国家としての歩みを始めたのでした。魚料理がおいしいですよ(それは「民宿国家」)。
それにしても「200年」というのはとてつもない長さです。アメリカ合衆国憲法の「230年」には負けますが、ヨーロッパでは最古の成文憲法なのだそうです。もちろん、この間には何度も(400回とも言われています)改正が行われて、現在の形になったのだそうですが、最初に出来たときの理念が、その改正によって失われることは決してありませんでした。ノルウェーの国民は皆この憲法を愛していて、毎年その制定の日には国中がこぞってお祝いに参加しているのだそうです。
これは、翻ってたった70年しか経っていない「日本国憲法」の扱われ方と比べてみると、なんだかとてもうらやましいような気になってきます。「憲法記念日」という名前の祝日にはその憲法に反対する人たちが集まって気勢を挙げたりしていますし、その音頭を取っているのが、政権与党なんですからね。
以前、この国の機関に属する団体の音楽隊の入学要綱を見たことがありますが、そこには受験資格として「日本国憲法を遵守する者」という項目がありました。これだけ見ると、日本国憲法を遵守しないどころか、それを根幹から改正(いや、改悪)しようとしている人には、この音楽隊に入る資格がないということになります。つまり、日本人としての資格がないものとみなされるのでしょう。この国の政権は、そんな人たちの手にゆだねられているのですよ。そんな中では、憲法記念日を盛大にお祝いしようなどという機運が盛り上がるわけがありません。
ノルウェーの人たちは違います。このレーベルのスタッフも、おそらく子供のころからそのような自国の憲法に対しての愛着を持っていたのでしょう。それが200周年という晴れがましい記念日を迎えるということになれば、心の底からそれをお祝いしようという気持ちになるのは当然です。いつもは、なんともマニアックでとっつきにくいアルバムを作っているモーテン・リンドベリは、ここではそんなポリシーをかなぐり捨てて、誰でもいとも気安く共感できるような素敵なアルバムを届けてくれました。
まず、ここでは野外で演奏されることを念頭に置いて吹奏楽団がメインを務めています。まるでハリウッド映画のイントロのような派手なファンファーレに続いて合唱が歌い出したのは、「God Save the Queen」と全く同じメロディの曲でした。イギリスの国歌として広く知られていますが、そのメロディ自体は17世紀頃に作られた(作曲者不詳)のだそうですね。ノルウェーでも、これは「国王の歌」として親しまれています。
その後は、ほとんど聴いたことはありませんが、とてもキャッチーな行進曲系の曲が続きます。演奏している吹奏楽団は一応「軍楽隊」ということですが、かなりのハイレベル(もちろん、厳格な入団試験があるのでしょうね。そこには「憲法を遵守」する人だけが入れるのでしょう)、その辺の「ブラスバンド」のような荒っぽさは皆無です。と、突然聴いたことのある曲が始まったと思ったら、それはグリーグの「十字軍の騎士シーグル」からの「忠誠行進曲」でした。4本のチェロで演奏されるはずのテーマがサックスで吹かれているのがお茶目ですね。なんだか、全く別の曲みたいに聴こえます。
最後はもちろんノルウェー国歌「われらこの国を愛すJa, vi elsker dette landet」で締めくくられます。わが国では、「国歌」さえも偉い人に強制されて無理やり歌わされるものになってしまいましたが、こちらはそんなことはありません。ノルウェー人のように、自然に「国を愛せる」ようになりたいものです。

SACD & BD Artwork © Lindberg Lyd AS
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by jurassic_oyaji | 2016-08-04 23:07 | Comments(0)
予定していた合宿は中止になりました
 突然ショッキングな画像をお見せして申し訳ありません。これは、私が生まれて初めて撮った大腸内視鏡の画像です。染色液をかけて撮っているので、何とも毒々しい色になっていますから、なおさら気持ち悪いですね。
 毎年今頃受けている検便で、なぜか「陽性」という判定が出てしまったのが事の始まり、何事もなければはがき1枚が届くだけなのに、厚ぼったい封筒が届いたときには「ついに来たな」と思ってしまいましたね。開けてみると、案の定「大腸がん検診の結果、陽性となりました」という恐ろしい言葉が書いてあります。そして、「医療機関で早めに詳しい検査を受診してください」ともありました。えらいことになりました。大腸の内視鏡検査ですよ。まあ、「大腸がん」はともかく、そんな検査は一生受けたくはないな、と日頃思っていましたからね。だって、お尻からカメラを突っ込むんですよ。他人にお尻をさらけ出すなんて、とても耐えられません。
 でも、仕方がないので、仕事が終わってから行けて設備もちゃんとしていそうな病院を探して、まずは予約に行ってみます。これは、その日のうちに受けるわけにはいかず、いろいろ「前処理」が必要なんですよね。要は、大腸の中を空っぽにしなければいけないのですから、それがどういうことかは私でもわかります。
 そこで検査の日を決めて、その前々日から必要な薬と、「食事」を薬局でもらってきました。
 手前の一番小さな瓶に入っているのが「下剤」です。これを、前々日と前日に半分ずつ飲みます。「夜寝ている時に、トイレに行きたくなるかもしれませんよ」と言われてましたが、私の場合次の朝まで大丈夫でしたね。そして、「クリアスルー」というのが、前日の食事です。3食分レトルトパックが入っていて、その日はそれ以外のものは食べられません。まあ、量的には満腹にはならないまでも、そんなに少ないという感じではありませんでしたが、鶏肉なんかはまずかったですね。
 そして、検査当日に飲むのが、、手前のポリ袋に入っていた粉末を、2リットルの水で溶いたものです。真ん中の瓶の薬も一緒に入れます。それを、2時間かけて飲むことになります。10分おきににコップ1杯というペースですね。その間に何回かトイレに駆け込むことになります。次第に透明になってくるのが分かりますね。でも、これが本当にまずいのには参りました。少しでも飲みやすいようにと思ってか、なんかしゃれた味が付けられているのですが、それが最大の勘違い、こんなまずい飲み物は、小学生の時に飲まされた「海人草(かいにんそう)」以来です。
 それが収まったころ、バスで病院に向かいます。一応検査の時に麻酔をかけてもらうことにしてあるので「車では来ないでください」と言われてますから。病院では、まず着替えをさせられます。そこでは、パンツまで履き替えさせられました。それは、後ろにスリットが入っているんですね。そうか、これだったら恥ずかしいところを全く人目にさらさなくても検査が出来ますね。
 横向きになって寝そべっているところに、お医者さんがやって来て、「お尻にクリームを塗りますね」と言って、そのようなことをされたことまでは覚えていました。でも、そこで「安定剤」の注射液が入ると、それからのことは何にも覚えていません。気が付いたら、病室のようなところに寝かされていましたね。検査が始まって1時間近く経っていたみたいです。
 この病院では、大腸にポリープなどが見つかった場合にはその場で切除する、ということもやっていたので、それもお願いしてありました。いや、本当は何もないことを期待していたのですが、起こしに来た看護士さんに聞いてみたら、「ポリープ、取ったみたいですよ」と言っていたので、ちょっとがっかりです。
 それから少し休んで、写真を見ながらお医者さんの話を聞くと、ポリープは3つ切り取ったのだそうです。
 これが、さっきの写真の色素を付ける前のポリープ。
 たぶん、これが切ったあとでしょうね(あくまで、私の想像)。
 そして、これが、その傷口から出血しないようにクリップで留めたところなのでしょう。これが、一番ショッキングな画像でしたね。いま、おなかの中がこんなことになっているなんて。このクリップは、用が済めばそのまま外に出てくるのだそうですけど。
 そして、お医者さんの最後の言葉、「切り取った組織を検査に出しますので、2週間後にまた結果を聞きに来てください」が、それからずっと重くのしかかることになります。もしものことを考えると、夜も眠れませんでした・・・というのはウソですけどね。
 きのうが、その2週間目の日。お医者さんはモニターで検査結果の文書を見ています。日本語ではないので、ちょっと私には分かりません。と、「何も異常はありませんでしたね」という彼の言葉。「よかった!」と、心から思いましたね。そこで、調子に乗っていただいてきたのが、これらの画像です。ちょっと嫌がってましたが、強引にいただいてきましたよ。ま、こんなものを公開できるようになったのが、一番うれしいですね。別の結果が出ていたら、いくらなんでもこんなことはできませんからね。
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by jurassic_oyaji | 2016-08-03 22:17 | 禁断 | Comments(0)
BACH/Markus-Passion
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Ulrike Eidinger(Sop), Ulrich Weller(CT)
Samir Bouadjadja(Ten), Lars Eidinger(Nar)
Peter Uehling/
Ensemble Wunderkammer
COVIELLO/COV 91605




バッハの「マルコ受難曲」の新しい録音が出ました。ある意味、この作品は単なる「素材」のようなものですから、それをどのように扱ってきちんとした曲にまとめるかというのは演奏家の裁量に任されているようなところがあります。ですから、新しい録音であれば、まずそのあたりの、この作品を演奏するにあたってのコンセプトが問われることになるのです。
今回の演奏者は「アンサンブル・ヴンダーカンマー」という名前の団体です。全く聞いたことのない名前ですがそれもそのはず、結成されたのは2014年という、つい最近のことなのだそうです。ただ、その時の形はこのような受難曲を演奏できるほどの規模の大きな(合唱も、このアンサンブルに含まれています)ものではなく、たった4人で集まって作られたごく小さなアンサンブルでした。その4人のピリオド楽器の演奏家たちの名前の中で、ヴィオラ・ダ・ガンバ奏者が「サラ・パール」という名前だったのに、ちょっと反応してしまいました。同じような名前のガンバ奏者がいたはずなのに、と記憶をたどってみると、それは「ヒレ・パール」というかなり有名な人でした。調べてみると、「サラ」はこの「ヒレ」の娘さんなのだそうです。以前やはりヒレが娘さんと共演していたアルバムでは、「マルテ」という子だったようですから、ヒレの娘さんでガンバ奏者になった人は2人いるということですね。「サラ」と「マルテ」は姉妹なのでしょう。
その他のメンバーは、チェンバロのミラ・ランゲ、チェロのマルティン・ゼーマン、そして指揮者でオルガニストのペーター・ユーリングです。このアンサンブルとして17世紀や18世紀の音楽、さらには現代の音楽まで幅広く演奏するとともに、今回のような編成にまで拡大してこのような曲に挑むこともあります。ここでは、ユーリングは中華料理(それは「ユーリンチ」)ではなく指揮に専念、残りの3人で通奏低音をきっちり固めたうえで、弦楽器は各パートそれぞれ1人という、最小限の編成になっています。もちろん、合唱が必要な時には、そのためのメンバーも集まってきます。ただ、彼らはプロではなく、アマチュアで日常的に活動を行っている人たちなのだそうです。
この「マルコ」の演奏では、おそらくディートハルト・ヘルマンによる修復稿を使って演奏されているのでしょう。エヴァンゲリストによる聖書朗読の部分は、レシタティーヴォで歌われるのではなく、ナレーターによって「朗読」されています。しかし、その部分で彼らが行っていることは、かなり衝撃的でした。ナレーターのバックでは、低音楽器たちが即興的に「音」を加えていたのですよ。最初のうちは単音のドローンのようなものだったのが、次第にその自由度はエスカレートしてきて、それは殆ど「20世紀音楽」的な刺激的な「音響」に変わっていきます。
確かに、これはこれで単に朗読だけを聴いているのよりははるかにイマジネーションが掻き立てられるものには仕上がっています。ただ、そこからは当然のことながらバッハの音楽は全く感じられません。事実、このような「朗読」のあとにコラールが歌われると、その二つの世界の間にはとても越えられない隔たりが存在していることがまざまざと感じられてしまいます。
しかも、そのコラールにしても、いかにもアマチュアの集まりだと思えるような、あまりに主体性のない歌い方には、当惑させられます。もし、これはそんな朗読のバックに合わせた恣意的な表現だとしたら、それは本末転倒というべきでしょう。
ソリストたちも、不思議な挙動に終始しています。ソプラノはかなりロマンティックな演奏で臨んでいるのに、カウンター・テナーの人は、まさに「前衛的」というよりははっきり言ってピッチも発声もかなり怪しげな歌い方だったりしますからね。
着眼点は面白いのですが、それが全体に浸透しなかったのが敗因でしょう。

CD Artwork © Coviello Classics
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by jurassic_oyaji | 2016-08-02 23:58 | 現代音楽 | Comments(0)
マイクの場所は完璧だったのに
 先週の週末は、本当に忙しく過ごしました。基本的にその2日間は、ニューフィルの指揮者練習だったので、それだけで十分に忙しいわけですが、それに加えてなんやかやと。
 まず土曜日は、「キリンアルカリイオンの水」が箱買いで安いというので、近所のスーパーに朝一で行って買ってきました。6本入りが300円台なんてなかなかありませんからね。お一人様2箱限りというのですが、最初は普通のレジで2箱、それを車に運んで、さらにセルフレジで2箱と、全部で4箱買ってしまいました。それを家まで持って帰るだけで、もう大汗をかいてしまいましたよ。
 そして、まずはお昼前に、旭ヶ丘で出来たばかりのチラシとポスターの袋詰めの仕事です。団員にチケットを渡すためにチラシとチケットを数えて袋に入れるという作業ですが、そこで広報用のチラシとポスターのセットも一緒に作ってしまおうというイベントです。そこで、誰にどこに置いてきてもらうか、というようなリストを渡して、市内のすべての市民センターなどに配布する準備が整うわけですね。
 それが終わると、指揮練の会場、街のど真ん中にあるエルパークの6階に向かいます。そこで私は、せっかくホールの担当者がマイクをセットしてくれたので、そこからの出力をレコーダーに入れて、練習の一部始終を記録します(その録音は、すでに公式サイトにアップしてあります)。ただ、あとでモニターしてみたら、ところどころにドロップアウトがありました。どうやら、あちらで用意してくれたケーブルが、軽く断線していたみたいですね。
 あとは、降り番の時に写真撮りです。たくさん撮ってその場でiPhoneに転送してFacebookページにアップしたのですが、写真を選ぶ時にカメラのモニターしか見れなかったので、あまりいい写真を選ぶことが出来ませんでした。これなんかはFacebookに載せたのよりずっといいですね。
 あとは、これなんかも、鋭い目つきがリアルですね。
 この日は、終わってから指揮者を囲んでの懇親会があったのですが、私は重い荷物をもって車まで歩くのが大変だったので、遠慮して体力を温存することにしました。そこで、写真だけでも誰かに撮ってもらいたいと思っていたら、Nさんが名乗りを上げてくれてので、カメラを預けてお任せで撮っていただくことにしました。その模様は、やはりFacebookページにアップしてあります。
 Nさんに預けた写真をチェックしてみたら、こんなヘンなのが入ってました。Nさんて、結構お茶目なんですね。
 日曜日は、午前中は降り番だったのに、ちょうど自宅の網戸の修理を頼んでいた業者が都合がいいというので、まずはその応対をさせられました。そして、午後の練習に間に合うように、旭ヶ丘の駐車場に車を置いて、地下鉄でエルパークに向かいます。久しぶりに乗った地下鉄ですが、車内放送で「席をお譲り下さい」みたいなことを言っているな、と思っていたら、「お酒を呑んだ方には、席を譲りましょう」と言っていましたよ。なんで、酔っ払いに席を譲らなければいけないのか、全く意味が分かりません。聴き間違いかと思って、もう1回それが流れるのを待っていたのですが、結局降りるまでそれは聴けませんでした。本当はどうだったんでしょうね。
 旭ヶ丘に車を置いたのは、ニューフィルの練習が終わってから、今度はそこで「杜の都」の練習があったからです。なぜか、フルートは私一人、シベリウスはともかく、シューマンの1番を通して吹いたら、もう本当に嫌になるくらい音符が多いのには、驚きましたね。「一日中オーケストラの練習をしていた方には、席をお譲り下さい」なんて言われてみたいものです。
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by jurassic_oyaji | 2016-08-01 21:42 | 禁断 | Comments(0)