おやぢの部屋2
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指揮練は楽しすぎ
 ちょっと前まであれだけ暑い日が続いていたというのに、季節は急に秋に変わってしまいましたね。いくらこの国は四季の変化に富んでいると言われていても、これではあまりにも極端すぎます。そうなってくると、職場の自販機では暖かい飲み物の需要も出てくるはずですから、そろそろ「ホット」の準備もしなければいけません。ただ、コーヒー類はそのまま温めればホットに変わるのですが、お茶の場合は「コールド用」と「ホット用」が分かれていますから、それをまず注文しなければいけません。ちょっと値段も高くなっているんですよね、ホットは。でも、それはまだ販売が始まっていなくて、やっと今週あたりから入手できるようになるというので、それはまず注文しておくとして、コーヒーだけでもホットにしておくことにしました。
 その操作は、この新しい機械になって初めてのことになります。そこで、まずはディスプレイを直すことになります。ダミーの下にある表示を、青い「つめた~い」から赤い「あったか~い」に変更するんですよね。これが、前の機械だと1段丸ごと、細いアクリルの板が何種類かあって、それを丸ごと交換していました。
 しかし、新機種ではそれがもっと簡単にできるようになっていました。
 これが、直す前の状態、全部が「つめた~い」になってますね。これの下の段の右から6本分のダミーを「あったか~い」に変えてみましょう。
 なんと、この表示は、ベルト状のフィルムに印刷されていて、それを動かせば端から「あったか~い」に変えられるようになっているのです。
 ちょっとベルトを回すだけでこのように、6本分が「あったか~い」に直りました。
 これが全景。右端のお茶だけはまだ品物が入っていないので「売り切れ」になっています。
 このセッティングをやったのがきのうのこと、今日も寒い1日だったので、結構売れているのではないでしょうか。とは言っても、その結果は明日になるまでわかりません。今日はニューフィルの指揮者練習が丸1日あったので、こちらの面倒を見ることが出来なかったからです。
 きのうの夜と、そして今日の朝から午後まで、今度の定期演奏会のための2回目の指揮者練習が行われました。今回は、フルートのパートで出られない人がいるので、それぞれの日に別の人が代わりに吹く、ということになっていました。その「代わりの人」の中には私もいて、本番では吹かない「未完成」の1番を、代わりに吹かなければいけません。ですから、今回は私は出ずっぱり、ということになります。
 ということは、いつもなら「未完成」の時に演奏中の写真を撮ることができるのに、今回は、こんな休憩時間の写真しか撮れなかった、ということになります。広瀬文化センターのホールでやったのですが、エキストラの人たちがほとんど参加していたので、ステージはものすごい混みよう、トイレに行ったりして席を立とうとすると、ほんの少しの隙間の間を通り抜けていかなければいけないほどです。
 指揮の伊﨑さんは、2回目ともなればいよいよ本領発揮、という感じで、次々にネタを繰り出してきます。一番受けたのは、休憩が終わってリハーサルが始まる前に、おっかない顔をして「皆さんに、ぜひ教えていただきたいことがあります」と言ったやつでしょうか。てっきり、あまりにひどい練習だったので、音楽に関して私たちがどのようなことを考えて演奏に臨んでいるのかを、この際教えてもらいたい、というようなシビアな質問なのかな、と、一瞬身構えてしまいますね。そうしたら、「どうして『ずんだ餅』っていうんですか?」ですって。
 とにかく、そんなネタも挟みながらの情報量の豊富な練習が続きました。「未完成」は代吹きだとちゃんと断ってあったのに、本吹きに対するような精緻な指摘ですから、これを本人にきちんと伝えるのは至難の業です。他の指揮者だと、代吹きだと分かっていると、あまり深いことは言わないものですが、井﨑さんの場合は全体の流れでここまでやらざるを得ないのでしょうね。
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by jurassic_oyaji | 2016-09-19 22:46 | 禁断 | Comments(0)
BARTÓK/Choral Works(1)
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Kristián Kocsis(Pf)
Zoltán Kocsis/
Hungarian National Choir(by Mátyás Antal)
Slovak Philharmonic Choir(by Jozef Chabroň)
HUNGAROTON/HSACD 32522(hybrid SACD)




2007年頃からリリースが始まった、HUNGAROTONレーベルの「バルトーク・ニュー・シリーズ」という、バルトークの作品全集は、おそらく全部で30枚ほどのSACD(一部はノーマルCD)で完結される予定で、現在進行中のプロジェクトです。そこでメインとなっているアーティストが、かつてはピアニスト、現在は指揮者として活躍しているゾルターン・コチシュです。チゲには欠かせません(それは「コチジャン」)。
彼は、音楽監督を務めているハンガリー国立フィルと管弦楽曲や協奏曲などの録音を行うだけでなく、室内楽でもピアノ・パートに参加するなどと、ほとんど全ての作品に関与しているというほどの入れ込みようです。ただ、オーケストラ作品で最も有名な「管弦楽のための協奏曲」だけは、同じメンバーでこの企画が始まる前の2002年に録音してしまっているので、まだこのシリーズでの録音はありません。
ただ、ピアノ・ソロのための作品は、新たに録音したのではなく、コチシュがかつて、まだSACDが出来ていなかった頃にPHILIPSに録音していたものを、そのまま使っています。したがって、その分の何枚かだけは普通のCDでのリリースです。
今回は、「合唱作品」の「第1集」というものがリリースされました。それをやはりコチシュが指揮をしている、というのが面白いところです。実は、合唱曲に関しては「2集」の方がすでに2009年にリリースされていました。そちらは児童合唱のための作品を集めたもので、指揮はデーネシュ・サボーでした。
そんな、たった2枚のCDですべてが収まってしまうのが、バルトークの合唱作品です。同じ時代のハンガリーの作曲家コダーイに比べるとそれは何とも物足りない気がします。そもそも、バルトーク自身は合唱の経験はほとんど持っていない人でした。ですから、初期の作品は外部の団体からの依頼によって作られた、というケースがほとんどでした。それは、ハンガリー周辺諸国の民謡を素材にしたものでした。
しかし、「第2集」に入っている児童合唱のための「27の合唱曲」や、このアルバムの男声合唱曲「過ぎ去った時より」などの後期の作品はそのような依頼ではなく、コダーイの勧めに従ってテキストも自分で編集して自発的に作ったものです。
ここでは、2つの合唱団が登場しています。「4つのスロヴァキア民謡」と、「5つのスロヴァキア民謡」はスロヴァキア・フィルハーモニー合唱団、残りの曲はハンガリー国立合唱団が歌っています。混声合唱で歌われる「4つのスロヴァキア民謡」だけにはピアノ伴奏が付きますが、それはクリスティアーン・コチシュという人が弾いています。あいにく、この人は指揮のコチシュとは何の関係もない人のようです。なんでも、同じピアニストの日本人の奥さんと一緒に、仙台市に住んでいるのだとか。
そのピアノの前奏に続いて聴こえてきたスロヴァキアの合唱団は、しばらくぶりに味わう素朴なテイストを持っていました。とても上手、なにしろ、最初のソプラノのチューンは丸ごと終わるまでに完全にカンニング・ブレスで歌いきっていたのですからね。その上で、やはり北欧やイギリスとは全く異なる「泥臭さ」が満載なのですよ。それは、バルトークには絶対に欠かせないファクターでしょう。というか、この「ニュー・シリーズ」全体が、ことさらバルトークの「泥臭さ」を強調しているような演奏で統一されているのでは、と思えて仕方がありません。
他の曲を歌っているハンガリーの合唱団は、もう少し洗練された味がありますが、基本的な「泥臭さ」はやはり健在でした。特に、ハンガリーの音楽に特有な「タ・ター」というリズムは、やはりとても自然に歌われています。
男声合唱のための「4つの古いハンガリー民謡」は、そもそも1910年に作られ、それを1926年に改訂して出版したものですが、ここにはその両方が収録されています。その違いは、なかなか興味深いものがあります。

SACD Artwork © Fotexnet Kft
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by jurassic_oyaji | 2016-09-17 20:45 | 合唱 | Comments(0)
キーボードを分解しかけました
 私の自宅のラップトップは、ワイドのキーボードで右側にテンキーが付いたタイプのものです。CDのデータなどをよく打ち込んだりしますから、これは欠かせません。ですから、Enterキーも、その右側に付いている方をもっぱら使っていますね。ところが、おとといのこと、シャットダウンしようと思って、いつものようにWindowsキーを押したのち、右の矢印キーで「シャットダウン」を選択、Enterキーを押すというほとんど無意識で行う動作をしたところ、いつまで経っても画面が変わりません。仕方がないのでマウスを使ってシャットダウンはしたのですが、それ以降、そのEnterキーが全く作用していないことに気づきました。それだけではなく、テンキーも全く使えなくなっていたのです。
 まあ、Enterキーもテンキーも別のところにもう1セットありますから、それを使えばいいのでしょうが、やっぱりそれはとても使いずらいことが分かります。なぜこんなことになってしまったのか、まずはNumLockキーのチェックです。でも、これは間違えてよく押すことはあるのですが、その時には単に数字が打てなくなるだけで、そのほかの機能は使えますからね。しかも、そもそもEnterキーはNumLockとは全く無関係ですから。
 そこで、ネットを調べてみたら、もう一つ、テンキーが使えなくなるセッティングがどこを見ても書いてありました。でも、それもチェックしても異常はありません。こうなってくると、とても嫌な気持ちになって、すごく落ち込んでしまいます。原因が分からないのに異常が出ているというのは、本当につらいものです。いっそ、テンキーだけ別に買ってこようか、とさえ考えてしまいましたよ。
 しばらくして、やっとその原因が分かりました。
 それは、このEndキー。青い色で何やら絵が書いてありますが、これはテンキーのマークです。青い色の付いたファンクション・キーと一緒にここを押すと、このあたり一帯が作用しなくなってしまうという「テンキーオフ」のキーだったのです。これはもちろんこれだけ押したのでは作動はせず、もう一つのキーと同時に押さなければいけません。そんなことが偶然にできるとは思えないのに、たまたまそうなってしまったのですね。もちろん、それを「テンキーオン」にセットし直したら、以前と全く変わらない状態に戻ってくれました。
 でも、なんでこんな機能が付いているのでしょうね。わざわざテンキーが使いたいためにこのキーボードを選ぶ人がほとんどのはずなのに、それをキャンセルさせる必要なんて、あるのでしょうか。
 まあ、世の中は間違いだらけですから、そんなことを言っても仕方がありません。特に、ネットの音楽配信サイトの間違いはもう救いようがありませんからね。今回は、たまたま、ゴールウェイの昔の録音を聴いていたら無性に別のものも聴きたくなって、確か「ロ短調」をカラヤンと録音していたはずだ、と思ってNMLを検索してみました。最近は、ここでDGなどのメジャー・レーベルのものも聴けるようになったので、もしや、と思ったのですが、それは見事にありました。ところが、一番聴きたかった「Benedictus」は、フルートではなくヴァイオリンのソロでした。これが録音されたのは1973年頃ですが、カラヤンはまだ旧全集を使っていたのですね。仕方がないので「Domine Deus」だけを聴いたのですが、それだけでもゴールウェイの凄さがよく分かりました。この部分では、カラヤンではなく、完全にゴールウェイがイニシアティブをとって音楽を作っているのですからね。しかも、ソロの間は、全くブレスをとっていません。循環呼吸には聴こえませんから、うまくテープをつないだのでしょうか。
 いや、そんなことではなく、問題はこの画面です。

 小さくて見えないでしょうから、問題のところを拡大してみましょう。


 カラヤンがこの時期にウィーン・フィルを指揮するのは別に不思議ではありません。しかし、聴こえていたのは確かにゴールウェイの音、もしかしたら彼は「ウィーン・フィル」でも吹いていたことがあったのでしょうか。
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by jurassic_oyaji | 2016-09-16 20:54 | 禁断 | Comments(0)
RUTTER/Psalmfest
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Elizabeth Cragg(Sop), Pascal Charbonneau(Ten)
Mike Allen(Tp), Tom Winpenny(Org)
Andrew Lucas/
St Albans Cathedral Choir and Abbey Girls Choir
Royal Philharmonic Orchestra
NAXOS/8.573394




ジョン・ラッターが1993年に作った「Psalmfest」という曲集を2014年に世界初録音したCDです。イギリス合唱界の重鎮作曲家として、多方面からの作曲の委嘱が殺到しているラッターですから、今までに「詩編(Psalm)」をテキストにした合唱作品も数多く作っています。そんな、ほとんど20年もの間に渡って紙片に書きためたそれぞれ独立した「詩編」から8曲を選び、さらに1曲新しいものを加えて、教会での礼拝ではなく、コンサートの場で演奏されるように50分ほどの長さにまとめたものが、この曲集です。
その9曲は、元々キャッチーなラッターの作品の魅力を最大限に発揮させるために、まず真ん中(5曲目)には無伴奏で歌われる曲をおいて、その前後には華麗な編曲のオーケストラの伴奏に乗ったアップテンポの曲とバラードっぽいものとを交互に配置するという曲順がとられています。その効果は絶大なもの、とてもリズミカルで心躍るような曲のあとに、しっとりと歌い上げる曲が来る、という絶妙の配置で、そこには一気に最後まで聴けてしまうような楽しさが潜んでいます。
ですから、タイトルはこのレーベルでは「祝祭詩編」と訳されていますが、そんな堅苦しいものではなく(正直、このタイトルを見たら、どんだけつまらない曲が並んでいるんだ、と、引いてしまいましたよ)、素直に「詩編祭り」あたりにした方が、この作品全体の雰囲気と、ラッター自身の意図がよりよく伝わってくるはずです。
ここで演奏しているのは、セント・オールバンズ大聖堂付属の合唱団です。ここには少年と成人男声による合唱団と、少女だけの合唱団があって、今回はその2つが合同で録音に参加しています。1曲目の「詩編100(O be joyful in the Lord)」で、とても賑やかなオーケストラの前奏に続いて聴こえてきたトレブルの声が、あまりに情けなかったのでどうなることかと思ってしまったのですが、それ以降は何の問題もない素晴らしい声に変わったのはなぜでしょう。いずれにしても、ア・カペラの「詩編96(Cantate Domino)」では、とても力強い歌声を聴くことが出来ます。この曲の後半には、プレーン・チャントの「Veni Creator Spiritus」が引用されているという、ラッターにしては珍しい作り方になっています。
「詩編祭り」ならではの配慮なのでしょう、オリジナルは合唱だけのために作られたものが、ここではソプラノとテノールのソロに置き換わっている部分があります。そのうちの1曲、「詩編23(The Lord is my shepherd)」は、1985年に作られた彼の「レクイエム」のための曲です。この2つのバージョンを比べてみると、ソロが入ったことによってまるでミュージカルの中のナンバーのような味わいが出てきます(実際、テノールのソリストはミュージカル・シンガー)。この曲はオーボエのオブリガートがとても素敵ですが、それもさらに甘く響きます。
この曲集のために新しく作られた最後から2番目の「詩編84(O how amiable are thy dwellings)」は、最初から2人のソリストしか歌いません。それはまるで「West Side Story」の中の「Tonight」のように聴こえます。そして、それが静かに終わった後に聴こえてくる終曲「詩編148(O praise the Lord of heaven)」には、同じミュージカルの「America」のリズムがてんこ盛り。
そのほかに、2011年のウィリアム王子の結婚式の時に歌われて全世界の人が聴いた「This is the day」など、華やかな式典のための曲が3つ収められています。
録音エンジニアはサイモン・イードン。1970年にDECCAに入社、数々の名録音を世に送りますが、1997年にDECCAの録音部門が閉鎖されたために、かつての同僚たちと独立して「Abbas Records」という録音プロダクションを設立し、フリーランスのエンジニアとして活躍している人です。ここでは、合唱やオーケストラの質感が圧倒的に感じられる、まさに「DECCAサウンド」そのものを聴くことが出来ます。そのあまりのすばらしさに、やはり彼の手になるジンマンの「復活」を改めて聴きなおしてしまいましたよ。

CD Artwork © Naxos Rights US, Inc.
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by jurassic_oyaji | 2016-09-15 20:58 | 合唱 | Comments(0)
お彼岸の最中に指揮練です
 今週は、私はニューフィルの練習はありません。先週2回分をまとめてやってしまったためですね。たまにはこんなのもいいかな、なんて思っていたのですが、いざその週が来てみると、なんか勝手が違います。なんか肝心なことをやり残しているというか、「まだ水曜日?」って感じなんですよね。やはり、私の生活の中には「火曜日」というその週のハイライトがすっかりデフォルトとして設定されているのでしょうね。言い方を変えれば、「ニューフィルに対する『プライオリティ』が非常に高い」となるのでしょうか。「プライオリティ」なんて、大嫌いな言葉ですけどね。
 そんなダラダラとした週になってしまったので、今週中にはやらなければいけない「かいほうげん」の印刷もなかなか取りかかれないでいました。もうとっくに版下は完成していたのですが、あまりに緊迫感のない進行日程なので、なんか、このまま印刷してしまってもいいのだろうか、と思えてしまうんですよね。もしかしたら、大事なことを入れ忘れていたのではないか、とか。
 そうしたら、きのう、なんとも驚くような情報が伝わってきました。それはさる方の訃報だったのですが、別に直接ニューフィルには関係はないものの、なぜかその方が在籍されていた団体の事務局から私宛に「関係の皆様にお伝え願えれば」というような文面で、そのメールが届いたのですよ。たしかに、その方は間接的にはニューフィルとも深い縁のある方だったので、とりあえずその情報をニューフィルのFacebookページにアップしておきました。私よりもっと密接な関係のある人には、ぜひ伝えておきたいことでしたからね。
 というか、私がそんなことをしなくても、そちらの団体の、それこそFacebookページなどには真っ先に載るはずだ、と思っていたのですが、そんな動きはなく、私がアップしてしばらくしてから公式サイトにそのことがアップされていたようでしたね。公式ツイッターでも全く触れられていないようですから、そんなところに私が情報をアップしたのは、なんだかお門違いなのかな、という気がしています。この辺の加減は難しいですね。いや、そもそも、あんまりまわりが静かなので、私に来たメール自体がいたずらだったのではないか、とすら思ってしまいましたからね。
 でも、公式サイトに発表されてからは、ゾクゾクとお仲間たちのコメントが表面に出てきました。実は、よくよく考えてみたら、私もたった1度だけ、ほんとに短時間でしたが、この方のレッスンを受けていたことを思い出しました。確かに、それは、それまでいろいろ迷っていたことがすっきりと解決してしまったような爽快感のある体験でした。
 ということで、おそらくこれを私は待っていたのだろう、という判断のもとに、その訃報を「かいほうげん」の最後のページに入れてみたら、やっと全てのパーツが揃ったな、という気になりましたね。これさえあれば、もう印刷してしまっても大丈夫だろうということで、今日の午前中に一気に印刷と製本を終わらせてしまいました。配るのは日曜日の指揮練の時。その4日も前に出来上がるなんて、いまだかつてなかったことではないでしょうか。
 そして、これが終わって1ヶ月も経たないうちに定期演奏会の本番になるのですが、その時にも次の「かいほうげん」を出す予定にしています。それは、もうすでにコンテンツとして期待できるものが決まっているからです。もう、私としてはその原稿が出来上がってくるのを待つだけ、おそらく、私は全く手を下さなくても、それだけですっかりページが埋まってしまうはずですから。
 その演奏会向けの企画書を送ったところから、掲載紙が届きました。これは、あさって配布予定の「ぱど」です。紙面の関係で写真も何もない小さな案内になってしまいましたが、確かにこの中には載っていますから、お宅に届いたらぜひチェックしてみてくださいね。
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by jurassic_oyaji | 2016-09-14 22:11 | 映画 | Comments(0)
DURUFLÉ/Complete Music for Choir and Organ
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Benjamin Sanders, Daniel Justin, Adriana Falcioni(Org)
Thomas Leech/
The Choir of Leeds Cathedral
Skipton Building Society Camerata
BRILLIANT/9264




今年、2016年は、モーリス・デュリュフレが亡くなって30年という記念の年です。それにしては世の中ではそれに関したイベントやコンサートが大々的に行われるような情報は伝わってこないような気がしますが、どうなのでしょう。レコーディングの方では、新しい、ピリオド・オーケストラによる録音がリリースされているそうなので、それはいずれご紹介できることでしょう。今回は、かなり前に録音された、彼の合唱曲とオルガン曲を「全て」収めた2枚組のアルバムですが、つい最近目についたものですからこれも聴いてみることにしました。
ご存知のように、デュリュフレが残した作品は非常に少なく、作品番号が付けられて出版されたものは14点しかありません。その中の10曲までが合唱とオルガンのための作品です。その内訳は合唱曲が4曲、オルガン曲が6曲です。今回のアルバムでは、遺作となった「Méditation」と、未出版の「Hommage à Jean Gallon」という、作品番号の付いていないオルガン曲も2曲演奏されています。この「8曲」入りのオルガン全集は、今までには2006年のフェアーズ盤や2012年のクロウセー盤などがありましたね。
ところで、この2つのジャンル以外の作品は4曲ありますが、そのうちの「作品3」が「前奏曲・レシタティーヴォと変奏」というフルートとヴィオラとピアノのための作品です。これは、ピアノをハープに替えればドビュッシーのソナタと同じ編成になりますが、まさにドビュッシー風の前奏曲に、フルートとヴィオラによるレシタティーヴォを挟んで、グレゴリオ聖歌風のテーマによる技巧的な変奏が続くという、なかなか魅力的な曲です。
このアルバムは、2012年の3月に、たった4日間のセッションで録音されたものです。なんたって、目玉は「レクイエム」でしょうね。こんなセッションですからてっきりオルガン版(第2稿)だと思って聴きはじめたら、小編成のオーケストラが入った第3稿による演奏でした。なんと贅沢な。やはり、金管楽器やティンパニがしっかり入っていた方がこの曲の味がきちんと出てきます。
その代わり、というわけでもないのでしょうが、ソリストのパートは合唱団員の担当です。「Pie Jesu」のメゾ・ソプラノはソロですが、「Domine, Jesu Christe」と「Libera me」のバリトンはパート全員で歌っています。
1曲目のテーマがテナーで出てきた時、普通の合唱の声ではなく、まるでオリジナルのグレゴリア聖歌のようなダミ声が聴こえてきたので、もしかしたらそのようなアプローチの演奏なのかな、と思ってしまいました。そんな演奏が一つぐらいあってもいいですよね。しかし、それは単に合唱団の声が揃っていないだけなのだということが、しばらくすると分かります。一応、トレブルは少年少女、男声パートは「セミプロ」が集まっているのだそうですが、どうも合唱としての訓練はあまり行われてはいないような気がします。トレブルはまあこんなものでしょうが、男声はおそらく個人的には良い声の持ち主なのでしょうが、それが全体の中に溶け合わないのが困ったところです。
それでも、デュリュフレの場合は結構聴けてしまうのが不思議です。確かに、フル・ヴォイスで歌うところでは破綻していますが、軽めの声で歌っている分には、ハーモニーもきれい、いや、ひょっとしたらされるような部分があるかもしれません。ですから、「4つのモテット」などはなかなかいい感じ、でも、さすがに男声合唱の「Cum jubilo」はこの男声には荷が重くなっています。ソロはとても立派ですが。
オルガン作品でのソロは、アドリアーノ・ファルチオーニというイタリアの方、アランにも師事していたそうですが、録音がちょっとおとなしいために、デュリュフレの魅力があまり伝わっては来ません。

CD Artwork © Brilliant Classics
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by jurassic_oyaji | 2016-09-13 21:12 | 合唱 | Comments(0)
新聞連載のエッセイも、最近はあまり面白くありません
 この間、WOWOWでとっても面白い映画をやっていました。ここでは、まだ日本では上映されていない映画、なんてものも放送される、というものもあったりします。そんな中に、ダスティン・ホフマンとジュディ・デンチが共演しているものがありました。こんな大スター(かつては、ですが)が出ているのに日本で上映されなかったなんて、と、逆に興味が湧いてきましたよ。タイトルも「素敵なウソの恋まじない」と、なんだか楽しそうですから、ダメモトで見てみることにしました。
 いやあ、久々に和みましたね。基本は、お年寄り同士のラブストーリー、一人暮らしのさびしい老人が、アパートの下の部屋に住んでいるやはり高齢の女性を好きになってしまうのですが、それを告白する勇気はありません。そこで目を付けたのが、女性が飼っている1匹の亀。女性はそのペットを溺愛していますが、「なかなか大きくならない」という不満を漏らしているという話を、ベランダを挟んでお話しする、ぐらいの間柄にはなっていますから、その関係をさらに発展させようと、彼は一計を案じます。それは、毎日唱えれば間違いなく亀が大きくなるという呪文を教えてあげる、というものです。もちろん、ほんとうにそんなことはできるわけがありません。彼は、それを実現させるために、ペットショップで100匹以上の大きさの違う亀を買ってきて、女性が留守の間に彼女の亀を自分の家に特別の道具で運び込んで、それより少し大きな亀を代わりにベランダに置いておく、という事を繰り返すのでした。しばらくすると亀は倍近くの大きさに「成長」し、女性はとても喜んで、彼の告白を受け入れる、というのが、ざっとしたプロットです。
 実は、この原題は「 Roald Dahl's Esio Trot」という、邦題とは似ても似つかないものでした。でも、「ロアルド・ダール」といえば、あの「チャーリーとチョコレート工場」の著者ですから馴染みはあります。それで、映画を見終わった時にそちらも読んでみました。それは、さっき書いたようなとてもシンプルなお話、ほんの10分ぐらいで読めてしまうぐらいの長さしかありません。正直、それだけ読んだのではあんまりおもしろくはありません。それが、1時間半の映画にするために様々な枝葉を加えられると、面白さがとても膨らんでいたのですよ。映画では、もう一人嫌われキャラを設けて、ストーリーに起伏を付けていますし、さらに物語の進行のためだけのキャラも用意して、その設定が最後になって明かされる、というサプライズまで加わっていますから、最後の最後まで楽しめます。いや、じつは、それ以上のサプライズが待っているのですが、そこまでは書きませんよ。
 演じているダスティン・ホフマンは、いくつになっても役作りが巧みですし、ジュディ・デンチなどはもう80歳ぐらいでしょうが、とてもそんな高齢とは思えないようなかわいらしさが漲っていますから、エンディングでは本当に「よかったね」と思えてしまいます。
 なぜ日本では上映されなかったかというと、これは劇場用ではなく、テレビ用の映画、BBCが制作したものでした。でも、DVDなどは出ているみたいですね。このタイトルですが、もちろん「Esio Trot」という、それこそ「おまじない」みたいな言葉が原作本の原題です。ちょっと考えれば、これが「Tortoise」を逆に読んだものだ、ということが分かります。まさに「亀」そのものですよね。ですから、それを尊重して、日本訳の本ではこんなタイトルになっています。
 でも、映画では、そのあたりの配慮が全くなされていない、つまらない邦題になっていましたね。でも、いい映画なんで、そんなことはどうでもいいんです。
 でも、同じころにやはりWOWOWで放送されていた「ギャラクシー街道」は、そんないい映画を見た後だという点を差し引いても、どうしようもなくひどい映画だと思わずにはいられません。なにしろ、泣けるところはおろか、笑えるところも全くなかったのですからね。今までとても面白い映画をたくさん作ってきたのに、こんなものを作ってしまったら、もう三谷幸喜そのものが全否定されてしまいますよ。いや、今にして思えば「清須会議」あたりでも、すでに「三谷ブランド」は崩壊していたような気が。
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by jurassic_oyaji | 2016-09-11 21:57 | 禁断 | Comments(0)
AKSEL!/Arias by Bach, Handel & Mozart
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Aksel Rykkvin(Tre)
Nigel Short/
Orchestra of the Enlightenment
SIGNUM/SIGCD435




「アクセル!」というタイトルのアルバムですが、歌っているのはアクセル・ローズではなく、アクセル・リクヴィンという、2003年生まれのノルウェーの男の子です。なんでも、「天才ボーイ・ソプラノ」として、今ブレイク中なのだそうです。録音が行われたのは今年の1月ですから、アクセルくんは12歳でしょうか。
ここで取り上げたのは、バッハとヘンデル、そしてモーツァルトのアリアなどです。いずれも、ただ声が美しいだけでは人を感動させることはできない、かなり高度なスキルが要求される曲ばかりです。それを、アクセルくんは難なくクリアしていきます。前半に置かれたバッハとヘンデルはとても見事、すごいのは、メリスマがただの音の羅列にはならずに、そこできっちりと「意味」が感じられるように歌われている、ということです。こんなことは、普通の大人では、いや、大人だからこそ、とてつもなく難しいことなのではないでしょうか。それをこともなげに成し遂げているアクセルくんは、確かに輝いています。
でも、そのあまりにも緻密なテクニックが、時として退屈さを呼ぶのはなぜでしょう。そんなことを思いながら、最後のコーナーのモーツァルト、ケルビーノのアリアが聴こえてきたときには、そんな気持ちはどこかに行ってしまいましたよ。大人の女声では絶対に表現できないようなはかなさが、そこからはあふれ出ていました。これこそは、「男の子」としてのケルビーノの理想の姿なのではないでしょうか。そして、最後の「アレルヤ」で聴かせてくれたメリスマは、バッハやヘンデルとは全く異なる次元のものでした。音の一つ一つから、喜びがあふれ出ていますよ。なんという美しさでしょう。
それは、こんな素晴らしい歌を聴けるのは、いや、歌えるのはあと2,3年だ、ということが分かっているからの、まさに最後の輝きだったのかもしれません。
しかし、オーケストラはこの間の「後宮」の時と同じなのに、その音が全然違います。弦楽器には潤いというものが全くなく、薄っぺらで安っぽい音です。これはCDではよくあることなので、一応ハイレゾが出ていたらそれを聴いてみてあらぬ疑いを晴らしてあげようと思ったのですが、あいにく「e-onkyo」でSIGNUMのレーベルを探してみても、まだこれは配信されていないようでした。
そこで、これは全くの余談なのですが、その中に今年の6月に配信が開始された、キングズ・シンガーズの「Postcards」というアルバムがありました。なんでも世界の民謡を集めたもののようなのですが、こんなのをCDで見たことはなかったので、配信だけのリリースかな、と思ってしまいましたね。
というのも、そこにはライナーノーツのようなものが付いていたのですが、その中のメンバー表にはテナーのジュリアン・グレゴリーの名前があったのですよ。さらに、そのライナーには「長い歴史を誇るグループだけあって、オリジナルメンバーはすでに残っていないが、最古参のデイヴィッド・ハーリーと2014年に加入したジュリアン・グレゴリーでは、グループ内活動歴は24年の違いがある」とまで書いてあります。これだけのデータがあれば、ここでは当然ジュリアンくんが歌っているのだ、と思ってしまいますよね。
ですから、この間のアルバムの他にも、すでにジュリアンくんが参加している録音があったのか、と思いましたね。ところが、実はこのCDはちゃんと2014年にリリースされており、そのインフォでは、テナーはまだポール・フェニックスになっていましたよ。これが録音されたのが2014年の3月ですから、それは当然のこと、ジュリアン君が加入したのは同じ年の9月なんですからね。
ということで、「e-onkyo」のライナーは、とんでもないデタラメだということになりますね。この会社は、いつまで「アカバネ電器製造」みたいなことを続けるつもりなのでしょう。
「余談」の方が長くなるなんてことも、あるのだよん

CD Artwork © Signum Records Ltd.
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by jurassic_oyaji | 2016-09-10 20:24 | オペラ | Comments(2)
新居の主はお知り合い
 夕べはすごい雨でしたね。実は、私はきのうはニューフィルの練習がありました。つい2日前にやったばかりなのになぜ?とお思いかもしれませんが、それには事情がありまして。ニューフィルの場合は、2回全体の合奏をやると、次の週はパート練習や分奏という基本的なスケジュールになっています。木管の場合はそのうち、定期演奏会の前の2回ほどはトレーナーの方に来ていただいてレッスンを受ける、ということがこのところ定例化しています。それで、今回もそのトレーナー、泣く子も黙る仙台フィルファゴット首席のMさんにお願いしてあったのですが、スケジュールの都合でどうしても1回しか取れませんでした。それならと、別にパート練習だったら何曜日にやっても構わないので、急遽きのうにお願いした、ということなんですね。
 しかし、よりによってそんな日にこの大雨がぶつかろうとは。それこそ、先週の合奏に続いてこのパート練までも「自由参加」とかになってしまったら目も当てられません。実際に、「きょうは練習ありますか?」というメールが事前に届いていましたからね。なんと言っても、ちょうど練習をやっている時間帯が最も激しく雨が降っている時間帯だ、という予報が出ていましたから、気が気ではありません。
 でも、ご近所では新しい住宅の建設がまさにクライマックスを迎えている(実は、もう完成予定より大幅に遅れている)ということで、激しく降り続く雨の中で高所作業車が出て電気の配線工事などをやってましたね。よくこんな中でやれるな、と思っても、そんな時でも作業をしないと納期がさらに延びてしまうので、仕方がないのでしょうね。ですから、練習もこの日しかやれるときはないのですから、仕方がありません。
 私は一応、いつもの会場をセッティングした後、晩御飯を食べに外に出たのですが、その時には大した雨ではありませんでした。でも、「とらの子」の駐車場に着いた途端、ものすごい量の雨が急に降りだしましたよ。でも、食べ終わって外に出るとまた雨は止んでいるという、先の読めない降り方が続いていたようですね。練習場に戻ったのが、ちょうどそんなものすごい雨がまた降り始めた時で、少し小降りになるまで車の中で待っていなければいけませんでしたよ。
 練習が始まったころは小降りだったのに、少し経つとかなり密閉されている室内でもはっきり聴こえるほど、激しい雨音です。この部屋のそばの庭の中には大きな池があって、このぐらいの雨だとその水かさが増して浸水することがあるので、用心のために排水ポンプを回しておきました。
 でも、気が気ではないので、休憩時間には外に出て、そのポンプの様子とか池の水の状態を見て回っていましたよ。まあ、このあたりでは何事もなく済んだようで、練習が終わるころにはほとんど雨は止んでいましたね。
 ところが、家に帰ってテレビを見ると、その同じ時間ごろに駅前あたりでは道路が冠水していたというではありませんか。同じ市内なのに、なんであんなところが、という感じですよね。ですから、ちょっと間が悪ければ、いつかのように家へ帰ることが出来なくなってしまうこともあり得たのですね。何ともラッキーだったとしか言いようがありません。
 今日になってその池を見てみたら、大きなザリガニがたくさん見つかりました。
 そして、新築住宅の電線の引き込み工事も、無事に終わっていたようですね。
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by jurassic_oyaji | 2016-09-09 20:50 | 禁断 | Comments(0)
親子で学ぶ音楽図鑑/基礎からわかるビジュアルガイド
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キャロル・ヴォーダマンほか著
山崎正浩訳
創元社刊
ISBN978-4-422-41416-4




イギリスで出版された「Help Your Kids with ...」というシリーズが、「親子で学ぶ〇〇図鑑」と訳されて日本でも出版されていますが、そこにこの「音楽図鑑」が加わりました。本国ではすでに10種類以上の「図鑑」が出ているようですが、その表紙には「著者」であるキャロル・ヴォーダマンという人の写真が載っています。

この方は、イギリスではとても人気のあるテレビタレントなのだそうです。この表紙だと「知的なおねえさん」といった感じですが、

こんな写真だと、ちょっとお子様相手の本には似つかわしくない巨乳のおばさん、というイメージですね。
この方は、ほとんど「客寄せパンダ」的な存在なのではないでしょうか。もちろん、それは商売には必要なこと、実際に原稿を書いた人たちのスキルさえしっかりしたものであるのなら、なんの問題もありません。
元々はイギリス人を対象に出版された本なのですが、こと音楽に関してはイギリスと日本とでは、使われる用語などにしてもかなり異なっています。案の定、ここでは「音」の呼び方について、ちょっとした混乱に陥っているようです。というか、おそらく今の教育現場でも困惑している人は多いような気がしますが、日本のクラシック音楽の世界では「音」の名前に2通りの呼び方が存在しています。それは「音名」と「階名」。しかし、イギリスでは「階名」というものはありませんから、音の名前はすべてA、B、C・・・で表わされています。もちろん、調性も英語で「Cメジャー」、「Aマイナー」の世界です。「階名」である「ドレミ」はどうなっているかというと、この翻訳では「階名」という言葉自体が全く使われておらず、「フランス語、イタリア語、スペイン語では『C D E F G A B』の代わりに『ドレミファソラシ』を使います」とあるだけです。これは困ります(本当は、フランス語の場合は「do」ではなく「ut」が使われます)。この本を使って勉強した人が小学校に入って、初めて「ドレミ」には階名としての働きもあることを知ったら大変でしょうね。
原本にも、明らかにおかしなところがたくさん見られます。ざっと読んだだけで発見できたものをいくつか挙げてみましょうか。

これは、ちょっと自信がなかったので弦楽器の演奏家に聞いてみたのですが、「ボウイングの記号に、このような意味はない」ときっぱり言われてしまいました。まあ、「アップ・ボウ」の場合は、歌を歌う時の「ブレス」の記号とよく似ていますから混同したのでしょうが、なぜ「ダウン」が「フレーズの始まり」になってしまったのかは謎です。

これも、なぜキイを押すとこのようになるのか、金管楽器の専門家でもきっと分からないでしょうね。

そしてこれはちょっと高度な問題。そもそも「ナポリ」などという言葉は、おつまみとは違いますから(それは「なとり」)普通に生きている人は一生のうちにまず使うことのないものです。いや、和音としては日常的によく聴こえてくるのですが、それが「ナポリ」だなんて意識する人はほとんどいません(一例を挙げると、「翼をください」で「飛んでいきたいよ」の「よ」の音の前半に付けられたコードがナポリ)。しかし、「ナポリ」というのは短調の場合にのみ成立する和音ですから、最初の小節は「Cの短三和音」でなければいけません。そうでないと、3小節目のAになぜフラットが付いているか説明できませんよ。上の説明文も、「Cマイナーでは、ナポリの和音はD♭を最低音とする長三和音」ということになります。つまり、その平行調の「E♭メジャー」で「D♭メジャー」がナポリになるのですから、「Cメジャー」でナポリになるのは「B♭メジャー」なんですよ。
そのほか、楽器についてもデタラメなイラストと、おかしな呼び名のオンパレード、この本は、そんな間違いを探して大笑いをするために作られたものなのですから、間違っても「親子で学ぶ」ために使ったりしてはいけませんよ。

Book Artwork © Sogensha Inc.
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by jurassic_oyaji | 2016-09-08 23:05 | ポップス | Comments(0)