おやぢの部屋2
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投稿フォームで質問しても、返事はありませんでした
 今週から、朝ドラも新しいものに変わりましたね。2本。その、再放送ではない正真正銘の新しい方は、いきなり甘ったれた声が聴こえてきた時点でアウト、でした。私は、この人の声も歌い方も、そして歌詞を音符に乗せる譜割りも、全部大嫌いですから。まあ、嫌いな人がいるということは、好きな人もいるということなのでしょうから、それは好みなのでどうしようもありません。ですから、好きな人はいくらでも聴いてくださいな。でも、私は出来るなら、この歌が流れている間は耳をふさいでいるか、別のところに行って家事をしていたいと思っています。まあ、たった半年の辛抱です。
 いつだったか、小田和正が出演するクリスマスの番組で、この人がゲストに出てきて小田さんと一緒に歌ったりしていましたね。それを聴いて、小田さんは何でこんな人と共演できるのだろうと、深刻に考えてしまいましたよ。歌い方も音楽性も全然違うじゃないですか。それとも、そういう人とでも一緒にやろうとするのが「プロ」なのでしょうかね。
 と思ったら、BSでその前に放送される再放送の朝ドラのテーマ曲も、あまり好きではない人たちの歌でした。いや、これはリアルタイムで見ていた時には別に何とも思わなかったですし、どちらかと言えばいい感じの曲だな、とさえ思っていたのですが、それから何年かたってこのアーティストに対する気持ちがガラリと変わってしまいましたから。まず、このテーマ曲が、彼らが作っているのだとばかり思っていたのに、実は別な人の曲だったということ。それと、最近カバーしていたかなり有名な曲が、全くその曲本来の情感を無視した、とんでもなく無神経なアレンジと歌い方だったことで、もうこのアーティストは完全に見限ることにしたのですよ。あ、もちろん、それも単なる私だけの好みですから、それをほかの人に押し付けようなんて考えは毛頭ありませんから。なんたって、やはり朝ドラで、私が大好きだった中島みゆきが歌ったテーマ曲が大嫌いだ、という人が世の中にはいたりするのですから、同じものを聴いてもそれだけ評価が分かれるというのは当たり前の話なんですよ。
 ただ、先日書いた地下鉄のエレベーターの件では、単なる好き嫌いでは片づけられたいことがありますね。私としては、いかにもお役人らしい対応に対してちょっとからかった程度のことだったのに、あそこに「車椅子の人には、困らないような対応をしているのでしょうね」というコメントをいただいたりしたものですから、そんないい加減な気持ちで書いたことが恥ずかしくなって、きちんと調べたくなってしまいました。確かに、地下鉄には車椅子対応の車両などもありますから、バリアフリーに対しては十分な対策が講じられているはずなんですよね。車いすだけではなく、ベビーカーだって、エレベーターが使えなければ困る人は多いはずですし。
 でも、その担当部所のサイトを見てみても、そこには単にエレベーターの工事が行われるので、その間は使えなくなってしまいます、という告知があるだけで、それに対して何か具体的に策を講じている、という点には全く触れられていないのですよ。工事現場の図面まで見られるようになっていましたが、それは単にどの場所で工事を行うか、そして、それを知らせる案内がどこにあるのかということしか書いてありません。いや、もう一つ、「誘導支援員の配置」というのもありましたが、その人が実際にどういうことをするのかは何もわかりません。ここにせめて、「その誘導支援員が、車椅子を運ぶのを手伝います」ぐらいのことが書いてあれば大したものだ、と思うのでしょうが、そんなこともないようですし。いや、実はその「誘導支援員」を目撃した人がいて、その人の話では「ただブラブラしていただけ」だったようですからね。おそらく、エレベーターに乗ろうとしてやってきた人に、「今やってねがら、階段かエスカレーターを使ってけさいん」と言うだけなんでしょうね。まるで〇京都庁みたいですね。
 そんなことでお茶を濁すようなお役所は、大嫌いです。これは、他の人にも嫌いになってほしいこと。
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by jurassic_oyaji | 2016-10-07 21:40 | 禁断 | Comments(0)
DURUFLÉ/Requiem
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Patricia Bardon(MS), Ashley Riches(Bar)
Tom Etheridge, Richard Gowers(Org)
Sstephen Cleobury/
The Choir of King's College, Cambridge
Orchestra of the Age of Enlightenment
CHOIR OF KING'S COLLEGE/KGS0016(hybrid SACD)




まさに、デュリュフレの没後30年にあたる、2016年の1月に録音された、「レクイエム」と、その他の合唱曲を集めたアルバムです。
今回のアルバムでの「売り」は、「ピリオド楽器による録音」だったのではないでしょうか。これは「世界初」の試みです。最近では例えばストラヴィンスキーなどの20世紀の作品までもその時代の楽器で演奏されることがありますから、いつかはこういうものが出てくるとは思っていました。確かにストラヴィンスキー同様、この「レクイエム」が作られた1940年代のオーケストラでは、現在とはかなり異なる楽器が使われていました。それが、第二次世界大戦を境にしてオーケストラの楽器は大幅に変わってしまっていたのです。弦楽器では、それまではガット弦を使った楽器だったものが、このあたりから徐々にスチール弦の楽器に変わります。そして、特にフランスのオーケストラに関して顕著だったことが、管楽器の変更です。つまり、戦前までは国ごとにオーケストラで使われる管楽器は細かいところで異なっていたものが、次第に全世界共通のものに変わっていったのです。例えば、木管パートの最低音を担う「ファゴット」という楽器は、フランスでは奏法も音色も全く異なる「バッソン」という楽器が使われていました。おそらく、初演当時のフランスのオーケストラでは、間違いなくこの「バッソン」が使われていたことでしょう。ですから、この初演の時の形で今回ピリオド楽器による録音が行われたのであれば、これは非常に画期的な試みということになります。
ところが、ここで使われているのは、1961年になって作曲家が改訂したオルガンと小オーケストラのためのバージョン(第3稿)だったのですよ。この頃になると、世界中のオーケストラの楽器は現在のものとほとんど変わらないものに変わってしまっています。フランスでは「バッソン」がまだ使われていたオーケストラもありましたが、この編成では木管楽器のパートは全てオルガンに置き換わっているのですから、何の意味もありません。つまり、この第3稿を使う限りは、ピリオド楽器を使ったとしてもそこからは「演奏された当時の様子を再現する」という意味は全く存在しなくなっているのです。
クロウベリーとキングズ・カレッジ合唱団は、「レクイエム」を1988年にもEMIに録音していて、その時も同じ第3稿を使っていましたから、彼らにしてはそれがベスト・チョイスなのでしょう。ただ、今回弦楽器にピリオド楽器(ガット弦でモダンピッチ)が使われていることで、このバージョンの欠陥はさらにはっきり表れてきたような気がします。ハイレゾ録音のせいもあるのでしょうが、その弦楽器とオルガンとがあまり溶け合っていないのですね。やはり、せっかくエンライトゥンメント管弦楽団を使ったのですから、ここはオリジナルの第1稿で演奏してほしかったと、切に思います。
ただ、そのガット弦によって得られる独特の音色感は、作曲家が望んだものであるかどうか、という点ではかなり疑問が残るものの、そういう本来の「ピリオド」という意味ではなく、ある種「特殊な音色」を求めたのであれば、それはなかなかの効果を上げていたのではないでしょうか。「Pie Jesu」でのガット弦のチェロのソロは、今まで聴いたことのない独特の雰囲気を醸し出していましたし、トゥッティでのトレモロも、とれもろ(とても)やわらかい響きになっていました。
合唱は、前回の録音同様、成人とトレブルとの間の音色の違いがとても気になります。その成人男声が、かなりレベルが落ちているのも残念です。前回は楽譜通りバリトン・ソロが入っていた部分は、今回はパート・ソロになっていました。
もう一つ、せっかくオーケストラが入ったのですから、「クム・ユビロ」もオリジナルのオーケストラ版で録音してくれればよかったのに。

SACD Artwork © The Choir of King's College, Cambridge
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by jurassic_oyaji | 2016-10-06 21:20 | 現代音楽 | Comments(0)
「えき」って音読みなんですね
 きのうのニューフィルの練習は木管の分奏でした。会場はいつもの会館、私は鍵を開け、照明を少しだけ点けておいてから、晩御飯を食べに出かけます。いつも行っている中華のお店ですが、最近ちょっと気になることがあったので、それを確かめる必要もあったものですから。
 それは、チャーシューメンの中に入っているチャーシューの枚数です。以前は確かに5枚入っていたはずなのに、最近になってそれが4枚になってしまっているんですよね。でも、その5枚というのは、もしかしたら私の勘違いなのかもしれない、と思うようにもなっています。「本当に5枚だったのか?」と強く問われたら、答えるだけの自信がありません。そこで、これからはチャーシューメンを頼んだ時には写真を撮って、枚数を記録しておこうと思いました。まずは、その「商品テスト」のスタートということで、頼んだチャーシューメンを見てみたら・・・
 ちょっとこの写真では分かりずらいですね。もうちょっとアップして、
 これならわかるでしょう。どうやら5枚入っているようですね。もちろん、現物にも5枚入っていましたよ。ということは、やはり5枚入っていたことは間違いなかったのです。それが4枚になったのは、今にして思えば1枚1枚のチャーシューの大きさ、というか面積が大きい時のような気がします。大きさによって、4枚か5枚を選択していたのですね。
 でも、これはもう少しデータが集まらないと、確実なことは分かりませんから、引き続きサンプリングを続けることにしましょうね。そのうち、チャーシューの大きさを測りはじめたりして。
 食べ終わったらまたさっきの会館に戻ります。結局これが本番前の最後の分奏ということで、なかなかちゃんと合わせることが出来なかったところが納得のいくまで確認できて、収穫の多い練習でしたね。
 終わることには外は真っ暗になっていました。この会館の前の駐車場は少ないので、私は車をちょっと離れた本堂の前に置いておきました。そこに、本堂に向かって置いてあった車に乗り込んで前を見ると、暗闇の中で、本堂に通じる階段の前に、なんだか物が置いてあるのが見えました。いや、よく見てみるとそれは生き物、それも服を着た人間のようですね。ここでエンジンをかけると、ライトが付いてそこに当たりますから、それが何なのかは分かるはず、でも、それをちゃんと見るのがものすごく怖くなってきましたよ。よく、明かりが当たった瞬間に起き上がったりすることがありますからね。それが、こっちに向かってきたりしたら、どうしましょう。でも、車を動かさなければ家に帰れませんから、勇気を振り絞ってキーを回すと、そこに浮かび上がったものは・・・・・

 とにかく、今はこうしているので、私はなんともありませんでした。でも、世の中には本当に理解の出来ないようなものはいくらでもあるんですね。
 これは、地下鉄のエレベーター。なんでも今日から4か月ぐらい、工事で使えなくなるんですって。困る人もいるでしょうね。
 ですから、「お困りの方」に向けてのメッセージが貼ってありました。でも、「お知らせ」したところで、どんな解決策があるのか、私には全く理解できません。
 それより「駅務員」は「駅員」とは違うのでしょうか。
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by jurassic_oyaji | 2016-10-05 21:32 | 禁断 | Comments(2)
AS DREAMS
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Grete Pedersen/
Oslo Symfonietta
The Norwegian Soloists' Choir
BIS/SACD-2139(hybrid SACD)




ペーデシェンとノルウェー・ソリスト合唱団からの毎年の贈り物が届きました。今回のテーマは「夢」でしょうか。タイトルは、シェークスピアからの引用だそうで、元は「We are such stuff as dreams are made on, and our little life is rounded with a sleep.(私たちは夢と同じもので作られている。そして私たちの短い人生は眠りで包まれている)」という、「テンペスト」からのセリフです(そんなものを翻訳する時にも「おやぢ」の性が)。まあ、なんとも含蓄のある言葉ですね。一つ言えるのは、ここで「夢」と言われているものは、「夢がかなう」という風に使われるかなりハッピーなものとは違ったものなのではないか、ということです。例えば「悪夢」にも通じるようなネガティヴな意味の方が強いのではないか、というような感触ですね。
ということで、今回のアルバムには、決して口当たりが良いとは言えないような曲が並ぶことになりました。いわゆる「前衛的」と呼ばれる、普通の西洋音楽のイディオムには全くとらわれない作品のオンパレードです。そんなこととは知らずに、まずはペア・ネアゴーという、スウェーデンの本来は「前衛的」なスタイルを持っているはずの作曲家の「Dream Songs」という、いともまったりとした曲で、一旦は和んでしまうはずです。これは、まさに北欧民謡そのもののノスタルジックなチューンを、美しいハーモニーに乗せて歌うという、とてもハッピーな口当たりですが、そこに打楽器が加わって何とも不安定なポリリズムを繰り出した後には、さっきの美しいメロディにはとても気持ち悪い、ほとんど「悪夢」ともいえるようなハーモニーが付けられるという、その後のこのアルバムの進行を予告するような役割を持っていました。
案の定、続くヘルムート・ラッヘンマン(なんだか懐かしい名前)が、世界中がそんな「前衛音楽」の波にもまれていた頃の1968年に作った「Consolation II」は、まさに「そんな」音楽でした。「声」によるあらゆる表現方法を駆使した、当時としては合唱の新しい可能性に向けての先鞭を切っていたという思いで作られたものなのでしょうが、今となってはなんとも空回りしている面しか感じられません。しかし、この素晴らしい合唱団が、とてもしっかりとその「当時の思い」を再現しているのには、感服させられます。
次の、アルフレード・ヤンソンというノルウェーの作曲家は初めてその作品を聴きましたが、ラッヘンマンの曲と同じころに作られた、ニーチェの「ツァラトゥストラ」をテキストにした「Nocturne」では、そのような「前衛的」な手法は、すでにある種の効果を演出する場合のみに有効に活用するという、今の時代にもそのまま通用するような作風が見られます。
次に、フィンランドの作曲家、サーリアホのとても短い「Überzeugung(確信)」という、3人の女声とヴァイオリン、チェロにサンバル・アンティークという薄い編成の、不思議な雰囲気が漂う静かな曲が挟まります。その後には、冒頭のノアゴーが、ここでは本領を発揮して、シューベルトの曲の断片を取り入れたりしつつ、ある意味中途半端な「前衛」を展開しています。
そして、クセナキスの「Nuits(夜)」です。これまで聴いてきた、チマチマとした技法を超越したところにあるのがこの作品、まさか、この曲をこの合唱団で聴けるとは思っていなかったので、感激もひとしおです。彼らは、普段は見られないような「汚れた」歌い方まで駆使して、ひたむきにこの作品に奉仕しているように思えます。これは名演です。
最後に、サーリアホの作品をもう1曲聴くことが出来ます。「Nuits, adieux」という、まるでクセナキスの作品を挑発するかのようなタイトルですが、「前衛的」な手法も結局は美しいハーモニーに集約せざるを得なかったところで、「現代」における「現代音楽」の宿命を感じざるを得ません。「夢」が終わるとともに、「現代音楽」も死に絶えるのでしょう。

SACD Artwork © BIS Records AB
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by jurassic_oyaji | 2016-10-04 22:58 | 合唱 | Comments(0)
仙台には音楽専用ホールがないので、外国のオーケストラにはスルーされています
 週末は、ニューフィルの秋の定期演奏会の指揮者、井﨑さんとの3回目、つまり最後の指揮者練習でした。会場は若林区文化センター、ここは駐車場が少ないので、注意が必要です。いや、以前は向かいの区役所の駐車場を無料で開放していたので、非常に便利だったものが、そこがいつの間にかこのホールの利用者は使えないことになってしまったので、館内の駐車場だけになって、それまでの半分以下の台数しか入れられなくなってしまったのですよ。
 ですから、土曜日には、私は前半は降り番だったので少し遅く行っても構わなかったのですが、もしかして駐車場がいっぱいですぐには入れないとなると、その待ち時間も見込んでおかないと不安ですから、殆ど他の人と同じぐらいの時間に行ってみました。
 でも、結果的にはまだまだ余裕がありましたね。とにかく無事に車を置けてよかったな、と思い、せっかくなので時間を有効に使おうと、この前にはできなかった写真撮影に励むことにしました(あの時は代吹きもやったので写真を撮る余裕がなかったんですよね)。
 これはごく一部、そのほかにもっとアップで演奏者を撮ったものもたくさんあります。それはFacebookページにアップしてありますが、あとで全部の写真を、演奏会の時のものと一緒に公式サイトにアップする予定です。ただ、今回は本番の時にはメインのマーラーでは降り番の人がいないので、それを誰に撮ってもらうのか、あるいは写真は「未完成」のものだけになってしまうのか、でしょうね。
 井﨑さんの練習は本当に楽しいものでした。というか、指揮者練習がこれほど楽しかったのは久しぶりのことです。だいぶ前ですが、まだ駆け出しの若い人でこんな感じで全身で笑わせてくれる人がいて、その人は本当に楽しい練習を作ってくれていました。でも、その人はしばらくして賞を取ったり大きなオーケストラのポストが出来たりと「えらく」なってしまい、とても忙しくなってしまったのですが、何とか時間を作っていただいてもう1度ニューフィルの指揮をお願いしたことがありました。でも、その時の練習は全然面白くありませんでしたね。立場が変わるとあれほどに人間性が変わってしまうのか、と、びっくりしてしまいました。
 でも、おそらく井﨑さんは、これから先も同じように「楽しくてためになる」指揮ぶりを続けていかれるのでしょうね。ぜひまたご一緒したいものです。いや、その前の本番(今月の15日)がとても楽しみです。こんなに楽しいリハーサルが出来た上での本番ですから、いい演奏が出来ないわけがありませんからね。
 今日の練習の時には、見慣れない人がいて、きのうみんなに配られていたこんなものを回収に来ていました。
 これは一種の署名。震災を機に、きちんとした音楽ホールを作ろうという市民運動が盛り上がっているそうなので、そのための署名をもっと増やそう、という趣旨なのでしょう。正直、この運動はいまいち方向性がはっきりしていないので全面的に応援は出来ないと思いつつも、何もやらないよりはいいな、と、裏側に要望を書く欄があったので、「きちんとした、オルガン付きのコンサートホールを作ってほしい、多目的ホールなんていらない」といったようなことを書いて提出してやりました。私としては「キタラ」や「ミューザ川崎」と同じタイプのホールが、仙台には絶対必要だと思っているのですが、どうもこの人たちはそうは思ってはいないようで、全く期待はできませんけど。
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by jurassic_oyaji | 2016-10-02 22:21 | 禁断 | Comments(0)
MENDELSSOHN/Symphony No.1, No.4'Italian'
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John Eliot Gardiner/
London Symphony Orchestra
LSO LIVE/LSO0769(hybrid SACD, BD-A)




ロンドン交響楽団の自主レーベル「LSO LIVE」では、DECCAを離れて独立したニール・ハッチンソンやジョナサン・ストークスなどがエンジニアを務めていて、ハイレベルの録音を行っていることが売りになっています。しかも、かなり早い段階から録音フォーマットのクレジットが「DSD」と明記されていました。それが、2015年の録音分からは「DSD128fs」と、ひと品多い表記になりました。つまり、それまではSACDと同じフォーマットである「DSD64fs」だったものが、サンプリング周波数(fs)が倍の、より解像度を増したフォーマットを採用することになった、ということです。
今回のガーディナーとロンドン交響楽団のメンデルスゾーン・ツィクルスの3枚目、交響曲第1番と第4番「イタリア」では、それぞれ録音時期が違っていたために、2014年の「4番」は「DSD64fs」、2016年の「1番」は「DSD128fs」によって録音されていました。もちろん、SACDではどちらも64fsになってしまうので違いは分かりませんが、同梱のBD-Aは24/192というフォーマットですから、間違いなくSACDよりもハイスペックのはず、もしかしたらそこにトランスファーされたDSD128fs(5.6MHzDSDとも言う)とDSD64fs(2.8MHzDSD)との違いを実際に体験できるかもしれませんよ。
確かに、DSD64fsの「4番」では、SACDとBD-Aの違いはほとんどありませんでした。しかし、DSD128fs「1番」では聴いてすぐに分かってしまうほどの違いがあったのには、逆に驚いてしまいましたよ。ここでは、おそらくガット弦をノン・ビブラートで演奏しているのでしょうが、その生々しさがSACDとは全然違うんですよ。それと、やはり木管楽器の存在感ですね。最近の体験から、DSDは128fsになって初めて真価が発揮できるのでは、と思うようになっていましたが、やはり64fsと128fsの間には、このぐらいはっきり分かる違いがあったのでした。ですから、やはりSACDのフォーマットも最初から128fsにしておけばよかったんですよね。というより、SACDが出来た時には、CDと同じことでこれが最高のフォーマットだと思われていたのですから、仕方がないのかもしれませんが。
この演奏では、ガーディナーはどちらの交響曲にも普通に使われている楽譜以外のものを使っていると、輸入元のキング・インターナショナルのインフォにははっきり書いてありました。確かに、「1番」の第3楽章については、1829年にイギリスで演奏した時に、1824年に作っていた第3楽章の「メヌエット」の代わりに、1825年に作った「弦楽八重奏曲」からの「スケルツォ」にオーケストレーションを施したものを使ったという史実に則って、二通りの「第3楽章」を演奏しています(実際にライブで並べて演奏したのだそうです)。
しかし、「4番」に関しては、なんの変哲もない「現行版」、つまり「1833年版」で演奏しているのに、それがさっきのインフォではあたかも現行版とは別のものであるかのように書かれているのには絶句です。少なくとも、音を聴いた時点でその間違いに気づくはずですよ。なんと恥ずかしい。これは、ガーディナーが1998年にウィーン・フィルと録音したDG盤で、初出の国内盤に「茂木一衞」という人が書いたデタラメなライナーノーツを、2011年のリイシュー盤でもそのまま使いまわしているユニバーサルと同様の恥ずかしさです。
その、1998年に鳴り物入りで「改訂版」(もちろん、1833年以降に作られたもの)を「世界初録音」したガーディナーですが、それは単なる物珍しさで終わったようで、もはや何の関心もなくなっているのでしょう。
そんな些細なことではなく、少なめの弦楽器(ファースト・ヴァイオリンもセカンド・ヴァイオリンも10人)を対向配置にして、それをノン・ビブラートで弾かせるという、もう少し本質的な点に目を向けるようになったガーディナーの「成長」ぶりこそを、ここでは味わうべきでしょう。キング・インターナショナルのインフォは、それを削ぐことにしかなりません。すぐ、直しましょうね。

SACD & BD-A Artwork © London Symphony Orchestra

(11/8追記)
どうやら、キングインターナショナルはインフォを訂正したようですね。元の文はこちらのHMVのインフォに残っていますから、比較してみて下さい。

現時点でのインフォは、

キング
なお、ガーディナーは、ウィーン・フィルと、1997年に1833年版、そして98年には1834年版の第2楽章から第4楽章をセッション録音しましたが、今回は1833年版を採用しての演奏となっています。

HMV
なお、ガーディナーは、ウィーン・フィルと、1997年に現行版、そして98年には1833年版の第2楽章から第4楽章をセッション録音しましたが、今回は1833年版を採用しての演奏となっています。
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by jurassic_oyaji | 2016-10-01 23:02 | オーケストラ | Comments(0)