おやぢの部屋2
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MERCADANTE/Messa, Requiem breve
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Annarita Di Giovine Ardito(Sop), Angela Bonfitto(MS)
Vincenzo Di Donato(Ten), Matto d'Apolito(Bas)
Agostino Ruscillo/
Orchestra & Coro Cappella Musicale Iconavetere
BONGIOVANNI/GB 2471-2




協奏曲だけが異常に有名なイタリアの作曲家サヴェリオ・メルカダンテの「ミサ曲」と「レクイエム」の2曲が収録されたCDです。
何かと問題の多いこのレーベル、今回はまずインレイにとんでもない間違いがありました。作曲家の没年が「1860年」になっているのですね。なぜそんな細かいところに気が付いたかというと、ブックレットの解説の中に、ちょっと面白いことが書かれてあったものですから。メルカダンテという人は、一応オペラの世界ではロッシーニとヴェルディの間にあって、その両者を結び付けるような役割を果たした作曲家、というような位置づけがされています(かなり乱暴な言い方)。ですから、ロッシーニが1868年に亡くなった時に、ヴェルディがイタリアの作曲家に呼びかけてその追悼の「レクイエム」を作ろうとした際に、最初に名前を挙げたのがメルカダンテその人だったのだそうです。ただ、この頃はもう彼は目も見えなくなっていて、結局そのオファーを受けることはありませんでしたが、その時点ではまだご存命だったのですよ。他の資料を見てみたら、没年は「1870年」でした。やっぱりな、と思ってしまいますよね。
「First World Recording」という意味不明の肩書の付いた「ミサ曲」は、1828年8月15日の聖母被昇天祭のにイタリアのフォッジャで演奏されたという記録が残っている作品で、何点か存在していた写筆稿を元に、ここでの指揮者アゴスティーノ・ルシッロが楽譜を復元して演奏しているのだそうです。2管編成のオーケストラと4人のソリストに合唱が加わるという大規模なものですが、「ミサ曲」とは言っても最初の2つの部分、「Kyrie」と「Gloria」のテキストしか用いられていない「ミサ・ブレヴィス」の形です。
その演奏が始まった時には、とてもこのレーベルとは思えない澄み切った響きがオーケストラから聴こえてきたことが、ちょっと意外でした。こんなまともな録音もできたんですね。オーケストラの水準もかなり高いもので、安心して聴いていられます。3曲目、ソプラノ・ソロのための「Gratias agimus tibi」の技巧的なオブリガート・ホルンは完璧です。ただ、合唱は、ギリギリ最低限の水準は維持しているものの、音楽を通して何かを訴えたいという意思が全く感じられない無気力な歌い方だったので、妙に納得してしまいます。これがこのレーベルの本来の姿でしょう。
初めて聴いた「ミサ曲」は、まさにロッシーニの作風をそのまま引き継いだような、明るく軽やかなものでした。あちこちに現れるキャッチーなメロディにはとても和みます。できれば、これをもっと上手な合唱と、素直な声のソリスト(ここでのソプラノはあまりにクセが強すぎます)で聴きたいものだ、と切に感じましたね。
「レクイエム」に関しては、ブックレットでは何の説明もありません。「ミサ曲」のことだけで精一杯だったのでしょうか。ただ、メルカダンテのバイオの中で「1831年から7年間、ノヴァーラの教会の楽長としておびただしい数の宗教曲を作った」とありますから、その中の1曲なのでしょうか。これも正式なタイトルは「Requiem breve(小規模なレクイエム)」で、その名の通り無伴奏の合唱だけで演奏するために作られています。テキストに関しては決して「breve」ではなく、長大な「Sequentia」もすべて含まれたフルサイズが使われています。それが、たった25分ほどで全曲が終わってしまうのは、それぞれの曲があまり繰り返しを行わないシンプルなものなのと、合唱ではなくグレゴリオ聖歌をそのまま歌う部分がかなりあるためです。「Sequentia」では、20節あるテキストを、合唱とグレゴリオ聖歌で交互に1節ずつ歌うという構成です。その合唱の部分は、まさにシンプルの極み、「Quid sum miser tunc dicturus?」や「Recordare Jesu pie」などは、とても美しい曲です。
残念ながら、その美しさは、ア・カペラで馬脚を現わしたこの合唱団の演奏からは十分に伝わってくることはありません。

CD Artwork © Francesco Bongiovanni s.n.c.
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by jurassic_oyaji | 2016-11-19 20:34 | 合唱 | Comments(0)
お金だけ集めれば済むことではありません
 この間映画を見に駅前に行った時、駅の中を通ってみたらなんだか雰囲気が変わっていました。何が違うのかと思ったら、それまで工事をしていた南側のエスカレーターの手前に、こんなコンビニが出来ていました。
 「竹に雀」がモチーフの渋い外装、欄干まで付いて、天井の格子に合わせたような「江戸時代」っぽい感じです。そうしたら、その反対側、北側のエスカレーターの前の、これは前からあったコンビニも模様替えしてましたね。こちらは「松島」がモチーフ。
 東京あたりのあちこちの駅ではいつ行っても必ずどこかで工事中、なんて状態が多かったものですが、仙台でもそんな思いを味わうとは、と思っていたものも、これでひとまず終了なのでしょうか。でも、まだ東口の出口付近が残っていましたね。ホテルはだいぶ形が見えてきましたが、ヨドバシの大駐車場の跡地はいったいどうなるのでしょう。噂では、そこにヨドバシのビルが建つことになっていますが、その中には「音楽ホール」が作られるという計画もあるというのですね。でも、そのホールに関しては、具体的な話は殆ど聞こえてきません。
 というのも、仙台に震災復興の名のもとに新しく「音楽ホール」を作ろうという動きは、だいぶ前から財界を中心に始まっていたような気がするのですが、それに関しては東京の別の団体が絡んでいるのだとか、なんとも怪しげな噂がありました。それが、最近になったら仙台の吹奏楽連盟や合唱連盟、そしてオペラ協会など、現場の音楽関係者が中心になって活動しているとされる団体が、署名活動をやっているような動きがあったかと思ったら、実際にニューフィルの練習場にまで乗り込んできて署名用のハガキを配っていくなど、かなり熱心な活動を行っていることが私にも分かるところでその実体が見えてくるようになっていました。それは、「楽都・仙台に復興祈念『2000席規模の音楽ホール』を!市民会議」という団体なのでしょう。その代表者には、私もよく知っている方々の名前がたくさん見られます。
 ただ、それと微妙に重なるようで、全く別の方面の人たちが行っている運動も、目に入るようになっています。職場の関係で市内のさる大手葬儀社とのつながりもあるのですが、そこの社長さんが中心になったこんな、こちらはクラウド・ファンディングも、かなり活発に宣伝を行っているようなのですね。
 ヨドバシのホール構想、音楽家たちの「会議」、そしてこのクラウド・ファンディングと、いったいそれぞれが何らかの関係があるのか、あるいはまったく別々に活動しているものがたまたま同じ目的を示しているだけなのか、それは私には全く分かりません。それよりも、実際にホールを建設するのであれば、それは民間ではなく仙台市なり宮城県なりの自治体の仕事になるのでしょうから、その方面の動きも知りたいところですが、おそらく彼らは何も考えてはいないのではないのではないかと思いますね。オリンピックとか、目に見えて「経済効果」が見込まれることだったらあれほど一生懸命になれる人たちでも、「音楽ホール」などという、間違いなく経済効果は期待できない「文化」に対しては、積極的に動くことは考えられませんからね。
 ですから、いろんな動きはあることでしょうが、実際に私が生きているうちに仙台市にまともな「音楽ホール」が出来るなんてことは、まずありえないでしょうね。それと、もしできたとしても、それは各方面からの要求をまんべんなく盛り込んだ「多目的ホール」になってしまうのが関の山でしょう。そんなものは作るだけ無駄です。私が欲しいホールは、ただ「2000人」入るだけではダメなんです。具体的には「ミューザ川崎」のような、豊田さんが音響設計をして、オルガンもちゃんと設置されているホールです。そんなものが仙台に出来ることは、まず永遠にありえないと思っています。
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by jurassic_oyaji | 2016-11-18 21:35 | 禁断 | Comments(4)
SHOSTAKOVICH/Flute Sonata
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Paul Lustig Dunkel(Fl)
Peter Basquin(Pf)
Tony Moreno(Perc)
MSR/MS 1554




ショスタコーヴィチのフルート・ソナタなんてあったかな?と思われるでしょうが、もちろんそんなものはありません。これは、ポール・ラスティグ・ダンケルという人が、ショスタコーヴィチのチェロ・ソナタをフルート用に編曲して、自身で演奏したものです。そんな曲も含めて、このアルバムでは「世界初録音」の作品が4曲紹介されています。
全く知らなかったダンケルさんは、1943年に生まれたアメリカのフルーティストです。ということは昨年行われた録音の際には72歳だったことになりますね。現在でもニューヨーク・シティ・バレエ・オーケストラ(音楽監督はアンドリュー・リットン)の首席奏者を務めています。アメリカのオーケストラには定年はないのですね。ダンケルさんは、それだけではなく指揮者や作曲家としても活躍しているのだそうです。
そんな「生涯現役」を貫いているダンケルさんの演奏を、まずショスタコーヴィチの4つの楽章から成る大曲から聴いてみることにしましょう。それは、とてもそのような高齢者の演奏とは思えないような、しっかりとしたものでした。低音から高音までとても美しい音にはムラがありませんし、息のコントロールが巧みで、かなり長いフレーズもノンブレスでしっかり吹ききっています。1、3楽章のゆったりとした音楽はとても甘く歌い、2、4楽章の技巧的なフレーズでは、とことんアグレッシブに迫って、技術的な破綻など微塵も感じられません。これは、驚くべきことです。あのドナルド・ペックがシカゴ交響楽団を引退したのは、69歳の時でしたからね。ジェームズ・ゴールウェイは70歳を過ぎた現在でも演奏活動は続けていますが、もはや往年の勢いはありませんし。
2曲目は、ダンケルさんが2014年に作った「Quatre visions pour quatre flutistes」という、文字通り4人のフルーティストのための4つの小品です。なんでも、この作品は、彼が昔参加したウィリアム・キンケイド(この人も、往年の名人)のミュージック・キャンプに参加した時の想い出がモティーフになっているのだそうです。そこでは、たくさんのフルーティストたちがオーケストラ・パートの難しいフレーズや、エチュードなどを吹きあっていました。そんな情景が思い浮かぶのが、たとえば、1曲目の「La cage des oiseaux」。タイトルは、オーケストラのオーディションではよく吹かされるはずのサン=サーンスの「動物の謝肉祭」の中のフルート・ソロのタイトルですね。それをみんなが吹いている中から、「牧神の午後」とか「ダフニス」に登場するソロの断片が聴こえてくるという、フルーティストならではのぶっ飛んだ発想の曲です。他の曲も、「La nuit des faunes」とか「Taffanel et Chloe」といった、フルートを吹く人なら思わずニヤリとしてしまうようなタイトルが並んでいます。
共演しているのは、すべてダンケルさんの同僚、ニューヨーク・シティ・バレエ・オーケストラのメンバーです。ダンケルさんの無茶振りに温かく付き合っているというのがほほえましいですね。
次は、トニー・モレロというやはりダンケルさんのお友達の打楽器奏者の2011年の作品「Episodes
for Flute and Percussion」です。なんでも、「フィボナッチ数列」によって作られているのだそうですが、そんな面倒くさいことは全く感じられない、まるでアンドレ・ジョリヴェの作品のような原始のエネルギーに満ちた作品です。フルートが奥まって聴こえてくる音像設定もあって、メインは打楽器であるかのように感じられます。
最後も、やはり友人のタマル・マスカルが作ったフルートとピアノのための2つの作品。「Sof」は元は歌だったものをフルートのために作り替えたもので、とても甘いメロディが心に染みます。もう1つの「Mechanofin」は、変拍子を多用した17分以上の大曲。まさに体力勝負といったこのミニマル・ピースも、ダンケルさんはなんなくこなしています。この歳でこんなにタフなのは、やはりユンケルのおかげなのでしょうか。

CD Artwork © MSR Music LLC
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by jurassic_oyaji | 2016-11-17 20:29 | フルート | Comments(0)
職場で買ったPCでした
 きのうの「おやぢの部屋」では、さるBDを紹介したのですが、それはもう20年近く前にテレビで放送された番組のパッケージでした。これが発売されるという告知を見た時には、「初BD化」なんてありましたから、てっきりHD(ハイビジョン)の画面なんだと思っていました。でも、実際は普通の4:3の画面で、DVDスペックをアップスケールしたものでしたから、がっかりしましたね。これをリアルタイムで見ていた時には、もちろんハイビジョン対応のテレビなんかは家にはありませんでしたが、なんかハイビジョンで放送されていたような記憶があったんですよ。まあ、勝手にそう思っていただけなんですが、それを知っていれば買ったりはしなかったでしょうね。
 でも、放送を見た時にはすごく感激していたようで、あの中からリンクされていたようにそれをネタにして、「かいほうげん」に記事を書いていました。そんな前からやってたんです。それを探し出してきてPDFを作ってアップしてみました。つまり、そのころからPCで作っていたんですね。というか、1998年の初売りでPCを買ってきて、その年初めての「かいほうげん」を、すぐそれまで使っていたワープロをやめてPCで作るようになっていたのでした。そして、その年の2回目に発行した号に、この記事を載せたのです。ですから、あの番組が放送されたのは1998年だということになりますね。それを、最初にDVDが出た時のインフォでは「1997年2月」としているのですから、ちょっと納得できません。そんな1年以上前に放送されたものを取り上げるなんて、ありえませんからね。再放送だったようなわけでもなかったようですし。
 とは言っても、そのころは印刷までプリンターで、というわけにはいきませんでした。使っていたのはまだ白黒のデジタル・コピー機でしたから、まだそれをプリンターとして使うことはできなかったのですね。しかも、最初のうちは画像をきれいに入れるようなスキルもありませんでしたから、プリントアウトしたものに画像をコピーしたものを貼りつけて、それを「原紙」にして両面コピーをして、12ページぐらいの冊子を作っていました。
 当時は、「かいほうげん」のデータはMOに入れて保存していました。今でもMOのリーダーは健在なので、それで読み取ったらしっかり読み取れましたね(これは、いずれHDDに保存しておくつもりですが、なかなか時間が取れません)。そこで、このラトルの記事を見てみると、すでに画像も取り込んでありましたね。しかし、それは今見ると本当に何も知らない人が、いい加減な解像度の画像を見つけてきて適当に貼り付けただけ、という、とても今の水準では使い物にはならないものなので、それだけは新たに別のちゃんとした画像を用意して差し替えました。
 それで、十分に見るに耐えるものになったと思って、アップしたのですが、さっき見直してみたら「校閲ミス」が見つかってしまいました。今さら直すのも面倒ですから、そのままにしてあります。興味があれば、探し出してみてください。
 それを載せた「かいほうげん」は第96号でした。今、来週の発行を目指して作っているのは、第247号です。当初、4ページ分にはなりそうな原稿をお願いしていた人が、あまりにも多忙なのでちょっと来週には間に合わないということが分かって、一瞬焦ったのですが、作り始めてみると例えば来年秋のソリストの紹介記事が結構たくさんあったりとか、去年の今頃作った角田までの地図を手直しして入れたりしたら、十分間に合いそうになってきました。いざとなれば、2ページ分ぐらいはまた私が書かなければいけないかと思っていましたが、そんな必要はなさそうです。
 とはいっても、肝心の団内の連絡事項のページが、それほどの分量がありません。そこで、スペースを埋めるために、職場の紅葉の写真をFacebookにアップしたら思いのほか好評だったので(「これだったら、京都まで見に行くこともない」なんてコメントも寄せられました)、これを入れることにしました。春は桜、秋は紅葉の東昌寺です。

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by jurassic_oyaji | 2016-11-16 22:10 | 禁断 | Comments(0)
Sir Simon Rattle Conducts and Explores Music of the 20th Century
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Various Artists
City of Birmingham Symphony Orchestra
ARTHAUS/109 222(BD)




あの伝説のテレビシリーズ「Leaving Home」がBD化されました。1996年にイギリスで製作された7本の番組で、日本でも1998年に放送されました。その直後の感想が、これ。LD化されることはなく、2005年にDVDで7巻という形でリリースされました。価格は1巻4,000円ぐらいだとしても全部で28,000円でしょうか、結構なお値段でしたね。それが今回はBD3枚組のボックスで、希望小売価格は殆ど10,000円ほどのものを、割引やらクーポンやらポイントなどを総動員して6,000円ちょっとで購入できました。もちろん、DVDには入っていた「スペシャル・フィーチャー」というオーディオ・トラックなども、すべて含まれています。
現物を手にしてみると、その「Leaving Home」というタイトルがどこにも見当たりません。サブタイトルだった「Orchestral Music of the 20th Century」というのも、微妙に変わっていますね。でも、中身のフィルムの冒頭には、しっかりこのタイトルが入っていますし、シリーズの2回目ではラトル自身がこのタイトルの意味するところを熱く語っているのですから、この改題は全く不可解だい
ですから、新旧のタイトルに共通しているのは「Music of the 20th Century」という言葉だけです。これはある意味象徴的。おそらく、企画当初は「現代音楽」について語る番組を目指していたのでしょうが、もはや「the 21st Century」になってしまった今では、それは「現代」でも、「同時代」でもない「過去」の音楽になっていることに気づかされます。リアルタイムで見た時にはクリエティヴな番組だと思っていたものは、「たった」20年で古色蒼然たるものに変わってしまっていたのです。
改めて、このシリーズを見直してみると、ラトルたちは、これを通して伝えたかった西洋音楽の「Home」たる和声やリズムが「20世紀」には大きくそこから離れて(「Leaving」)しまったという事実を、かなり肯定的にとらえていたことが分かります。そのために、まずは「19世紀」からの生き残りであるワーグナーやマーラー、R.シュトラウスなどの仕事から論をスタートさせて、偉大なるシェーンベルクの登場を準備する、という20世紀ならではの「現代音楽」の「進化」の歴史を語る定石を踏まえます。それは、そのままブーレーズやシュトックハウゼンにつながるというのも、お決まりの流れです。
ただ、ラトルの場合は、しっかり「傍系」の流れにも目を向けることで、より立体的な視野を確保してはいるようです。それは例えばバルトーク、ショスタコーヴィチ、そしてルトスワフスキ(日本語の字幕では「ルトスフスキー」)などです。その3人に焦点を当てたシリーズの中で、ラトルはルトスワフスキを非常に好意的に紹介しているのが、ちょっと意外でしたね。
さらに、当時では「最新」だったはずのバートウィッスルやターネジといった作曲家も取り上げています。これも、今ではほとんど耳にする機会はなくなってしまった人たちですね。クセナキスとかペンデレツキとか、他に紹介すべき作曲家もいたのに、と思ってしまいますが、これはあくまでラトルの「趣味」なのでしょうから、それは仕方がありません。
誰しもがうすうす感じているように、「21世紀」になって、西洋音楽はまた「Home」に戻ろうとしています。このシリーズを新装リリースするにあたってレーベルがタイトルを変えたのは、そんな時流に乗った単なる一時しのぎの措置だったのでしょう。当然のことながら、内容との乖離は避けられません。
なお、「スペシャル・フィーチャー」には本編とほぼ同じ時間(6時間分!)のものが収録されている、というのはちょっとすごいことなのですが、シュトックハウゼンの「グルッペン」の全曲映像以外は、すべてCDからの音源だったのには心底失望させられました。しかも、それらはかなりの曲でトップメニューからのリンクが間違っていますから、これは不注意では済まされない重大な欠陥です。聴きたくもない「浄夜」がいきなり流れてくるのには、怒りさえおぼえます。

BD Artwork © Arthaus Musik GmbH
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by jurassic_oyaji | 2016-11-15 23:16 | Comments(0)
マトリョーシカは登場しません
 最近の「禁断」の流れからお分かりのように、さる事情があって、印鑑証明(正式には印鑑登録証明書)が必要になりました。となると、普通は平日に区役所に行ってもらってくることになるのでしょうが、この間「マイナンバーカード」を入手したときに、「これで、コンビニで住民票や印鑑証明が取れますよ」と言われたことを憶えていた私は、だったら実際にそれをやってみようと思いました。最初は、やはり市役所が開いている平日でないと取れないのでは、と思っていたのですが、ネットで調べると土日や祝日でも取れるんですって。だったら、今日でも取れるじゃないですか。
 そこで、セブンイレブンのマルチコピー機でやってみました。まず、ディスプレイの中から「行政サービス」というのにタッチして、あとは画面の指示に従ってマイナンバーカードをホルダーに置いたり、パスワードを入力していけば、プリントアウトしてくれます。ちょっとすごいのは、使い終えたカードを一旦どかさないと、次の段階に進めないようになっていること。これだったら、カードを置き忘れることは絶対にありませんね。気になる料金は1枚300円。これは、区役所でも同じ。休日に行けて、交通費もかからないんですから、これからはこれでしょう。
 その前に見てたのが、「オケ老人!」です。封切り2日目ですからさぞや混んでいるのでは、と思ったのですが、TOHOシネマズ仙台の134人収容のスクリーン4には、たったの30人(目測)しかいませんでしたよ。やはり今日はお天気も良くとてもあったかでしたから、みんな定義山に三角油揚げでも食べに行ってしまったのでしょう。それと、お客さんの年齢層が、明らかに他の作品とは違います。どう見ても普段はこんなところには来ないだろうという「ご老人」が、たぶん半数以上を占めているようでした。そういう期待感がこの映画にはあったのでしょうね。そんな中では、私のような若者は逆に目立ってしまいます。
 原作は前もって読んでいたのですが、主人公が男性から女性に変わっていた以外は設定も同じ、まずはお決まりの勘違いから始まったドタバタ劇が始まります。でも、「威風堂々」なんて、出てこなかったような。その後も、多くの試練を乗り越えて、主人公はこのオーケストラの演奏会を成功させる、というところで話は終わります。それだけです。つまり、原作にあった「もう一つのお話」は完全にカットされているんですね。たしかに、あれは小説だからできるトリックですので、そもそも「映像化は不可能」だったのでしょう。いや、別にあの話はなくても、これだけで十分に成立する物語ですから、こちらに特化してまとめたというのは、正解だったのではないでしょうか。あれこれ悩みながら見るより、ストレートに笑い転げながら見た方がいいに決まってます。これだったら、普段映画なんか見ないようなお客さんでも楽しめたことでしょう。
 でも、やはりこういう客層ですから、まだ終わっていないのに途中で席を立って、またしばらくしたら戻ってくる、という人が2人ほどいましたね。なんせ、予告編まで入れると2時間以上拘束されることになるのですから、普通のお年寄りだったらトイレに行きたくなることもあるでしょうね。ですから、将来この作品のようにそういうお客さんも来ることが予想できそうな時には、間に休憩をとってみたらいかがでしょうか。いや、この間「ウェスト・サイド・ストーリー」を見に行った時でも、1時間ちょっとで休憩時間は長蛇の列でしたから普通の人でも休憩は必要なのでは(最後尾を案内して手を上げている係員は知り合いです)。
 なにしろ、演奏会のど頭が「新世界」の第2楽章から始まったり、メインがそれこそ「威風堂々」という、最低限のお約束さえ守られていない脚本ですから、これは下手にオケや音楽のことを知っている人が見て楽しめる映画ではありません。ですから、せっかく見るのであれば、ひとまずそんなちょっとした「教養」は全く意識の外に置いて、杏さんの熱演ぶりをひたすら楽しむように心がけたらいいのではないでしょうか。それと、エンドロールが一旦終わったあとでも、まだオチがありますから、トイレはそれを見終わるまでお待ちください。
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by jurassic_oyaji | 2016-11-13 22:10 | 禁断 | Comments(0)
MOZART/Great Mass in C Minor
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Carolyn Sampson(Sop), Olivia Vermeulen(MS)
櫻田亮(Ten), Christian Immler(Bar)
鈴木雅明/
Bach Collegium Japan
BIS/SACD-2171(hybrid SACD)




ほぼ2年前にモーツァルトの「レクイエム」をリリースした鈴木雅明の指揮によるバッハ・コレギウム・ジャパンが、今回は「ハ短調ミサ」を録音してくれました。「レクイエム」では鈴木優人さんの独自のエディションを用いて演奏していましたから、今回も同じようなことをやってくれるのか、と思ったのですが、ブックレットには「フランツ・バイヤー版」と明記されていました。前回の「鈴木版」はいろいろ問題の多い楽譜でしたから、やはりこれは専門家に任せた方が良いという判断なのでしょうか。
実は、「レクイエム」同様に未完に終わったこの作品では、やはり何種類かの楽譜が出版されているのですが、このバイヤー版は楽譜を入手していないので、他の楽譜との違いが把握しきれていません。というか、録音すらもきちんと聴いたこともありません。逆に、最も初期の修復稿である「アロイス・シュミット版」は、楽譜は持っているのにまだ「音」として聴いたことがありません。つまり、これが録音されていたのはかなり昔のことで、それは今ではほとんど手に入らないんですよね。やはり、原典志向がしっかり行き届いた今の世の中では、シュミット版のような悪趣味と言われそうな「でっち上げ」はもはや需要はないのでしょう、現在ではこれを使って演奏する人なんかまずいないようです。
巷では「パウムガルトナーのORFEO盤がシュミット版」と言われているので聴いてみたら、「Et incarnatus est」が終わって聴こえてきた「Crucifixus」は楽譜とは全く別の音楽でしたし。ついでに、やはり巷間「シュミット版は旧モーツァルト全集」と言われていますが、これも正しくはありません。旧モーツァルト全集に入っているこの曲の楽譜はDOVERから出版されていますが、それはシュミット版とは別物、モーツァルトが作った部分しかありませんし、「Sanctus」は8声部の二重合唱ではなく、5声部の合唱になっています。

↑シュミット版

↑DOVER版

シュミット版と同じような趣旨でモーツァルトが作っていない曲を「でっちあげ」た、「レヴィン版」だって、初演者のリリンク以外の演奏にはお目にかかったことはありませんからね。なんでも、出版元のCARUSでさえ、もうこれは見放したのか、フリーダー・ベルニウスとウーヴェ・ヴォルフの校訂による新しい楽譜をもうすぐ刊行する予定なんだそうですから。
「バイヤー版」も、もちろんモーツァルトが作った曲しか含まれていない「原典志向」の楽譜のはずですが、その曲の中にはまだモーツァルトが書き込んではいなかったパートも残っているので、それは適宜補填しているのでしょう。そこで問題になるのが、こちらで取り上げた、「Sanctus」の7小節目の合唱パートです。この部分、最初の「原典志向」の楽譜であるランドン版では、小さな音符で合唱パートが書かれていますから、ここから合唱が始まるのは何かしらの根拠があるのでしょうが、リンク先の新モーツァルト全集では合唱は歌わないことになっています。ですから、「バイヤー版」でも、とりあえずこの版で演奏されているとされているバーンスタインとアーノンクールの録音を聴いてみても、合唱は歌っていません。

↑ランドン版

↑ランドン版の「Sanctus」

それで、今回のSACDなのですが、ここではそこに合唱が入っているのですね。同じ楽譜で異なった演奏形態になっているということは、ランドン版同様、「ossia」ということで2通りの演奏が示唆されているのでしょう。きっと。
合唱はいつもながらのストイックな歌い方、なぜか録音がオーケストラに焦点を当てているので、合唱がほとんど聴こえなくなってしまう場面がたくさんあります。ですから、ここではソプラノ・ソロのキャロリン・サンプソンの華麗な歌を楽しむべきでしょう。なんと、オーボエの代わりにフルートが入っている別バージョンまで紹介されているソプラノ・ソロのためのモテット「Exsultate, jubilate」がカップリングですから。もちろん、彼女の声がより繊細に聴こえるSACDで。

SACD Artwork © BIS Records AB
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by jurassic_oyaji | 2016-11-12 20:34 | 合唱 | Comments(0)
結婚式は日産のショールーム
 「ラジコ」をインストールしてから、結構「タイムフリー」機能で、きのうより前の番組を聴くようになりました。いや、別に「今日の」番組だって聴けるんですけどね。
 今までは、車に乗っている時しかラジオは聴くことが出来なかったのですが、もっと聴いていたいな、と思っても目的地に着いてしまったので車を降りなければいけなくなれば、もうそれ以上は聴けません。そんな「残尿感」を解消するのにはもってこいのツールですね。
 それと、まず車に乗ることはないだろう、という時間帯の番組も、暇な時に簡単に聴くことができるようになりました。それは、日曜日の朝の7時から放送している「サンデークラシックス」という番組です。まさか、この地元のFM曲でクラシックの番組なんかやっているわけはない、とずっと思っていましたから、こういうものがあることを知った時にはかなり驚きました。まあ、確かに、この曲にはクラシックも強そうな女性のアナウンサーもいますからね。でも、その後のリサーチで、担当しているのは別の男のアナウンサーだと知った時には、なんだかがっかりしてしまいました。その人は朝の番組でしょっちゅう耳にしていますが、クラシックなんかには全く縁のなさそうな人でしたからね。
 でも、どんなものかは実際に聴いてみなければわかりませんから、何回か聴いてみました。最初に聴いたときは、いかにもタイアップという民放FMならではの選曲で、「やっぱりな」と思ったのですが、2回目に聴いたときには「フルートのジェームズ・ゴールウェイ」なんて言ってましたから、びっくりです。それも、いかにもな小曲集なんかではなく、モーツァルトのD-durのコンチェルトを全曲放送してくれましたよ。ただ、始まる前には、クラシック番組では必ず聞くことができるオケや指揮者の名前は一切言いませんでした。ですから、私としてはこれはいったいどの録音なのか、考えてしまいますよ。普通に手に入るものでは4種類の、それぞれ別の指揮者との録音がありますからね(一つは吹き振り)。音はあくまでのびやか、指の動きも完璧そのものの爽快さがありますから、これはかなり若いころの録音なのでは、とは思いましたね。そうしたら、全部終わったところで、そのアナウンサーはやおら指揮者とオーケストラを言ってくれました。そうしたら、それは1995年のマリナーとの録音だったのです。ということはゴールウェイは50代後半、まさに円熟の極みだったんですね。正直、このあたりのゴールウェイはCDは買ってもそんなに熱心に聴いてはいなかったのでしょう。まさか、このFM局にこんないいものを聴かせてもらえるなんて。
 同じ日曜日の夕方にやっている「NISSAN あ、安部礼司」も、最近は良く聴くようになりました。もう10年以上続いているんですね。始まったころはなんてつまらないんだ、と思っていたのですが、だんだん味が出てきましたね。タイトルからも分かるように、これは日産がスポンサーになっています。ということで、ドラマの中では車がらみのシーンもよく出てきますね。それで、先週のON AIRはちょっとした期待をしながらタイムフリーで聴いていました。その日の話は、飯野平太がついに結婚することになって、そのフィアンセと「今年中に3つのミッションをクリアする」と宣言していました。「新居、車、結婚式場」なんですって。その「車」でやはり反応してしまいます。案の定、結婚式場に行った帰りに、偶然通りかかった「N社」のショールームで、ひときわ輝くオレンジ色の「ノートe-POWER」を見て、二人とも一目ぼれしてしまう、という展開でした。あまりにも見え透いたお話なので、ラジオ(というかiPhone)を聴きながら爆笑してしまいましたよ。まだ、テレビのCMなんかは始まっていませんが、こんなところからジワジワ攻めていこうという戦略なのでしょうかね。でも、私はプレミアムコロナオレンジ(上)よりソニックブルー(下)の方が好きですね。

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by jurassic_oyaji | 2016-11-11 21:15 | 禁断 | Comments(0)
ヨナス・カウフマン | テナー
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トーマス・フォイクト著
伊藤アリスン澄子訳
小学館刊
ISBN978-4-09-388511-9




あのヨナス・カウフマンの評伝の日本語訳が出版されました。彼のファンであれば、この、まさに「スーパースター」の今までの経歴や、世界中を股にかけて演奏活動を行っている間の舞台裏などを知ることのできる、とても貴重な資料の出現には、狂喜することでしょう。ただ、現物を手に取って、まずその帯を見た時には愕然としてしまいました。そこには「人気絶頂のテノール歌手の初の自伝」という惹句が踊っているのですが、たったこれだけのフレーズの中に3つも引っかかるところがあるのですからね。
まずは「テノール歌手」。この本のタイトルが「テナー」なのに、ここであえて別の表記を使っているのはなぜでしょう。そして「初の自伝」というのも、これが「初」ではなく、決して「自伝」でもないというところで引っかかります。「自伝」というのはイモトの病歴ではなく(それは「痔伝」)、実際に書いた人が別の人であっても、一応その人が一人称で自分のこれまでの生涯を語る、という体裁で作られたものですが、これはトーマス・フォイクトというジャーナリストがヨナス・カウフマンについて語った本、その中にカウフマン自身のインタビューが含まれている、というものですから、正確には最初に書いたように「評伝」というべきでしょう。
そして、「初」というのもウソ。原書が最初に出版されたのは2010年。それを2015年に大幅に改訂したものが、この日本版の元になっているのですからね。もっと言えば、それ以降、2016年の7月現在のデータまでここには加えられているのですから、正確には「3度目」ということにはなりませんか?
著者のトーマス・フォイクトは、音楽関係のジャーナリストとして幅広い活躍をしている人です。自身もヴォーカル・コーチとしてのキャリアもあるそうで、すでにカウフマンのCDを持っている人であれば、いくつかのアルバムでインタビュアーとしてブックレットに登場していますから、おなじみの名前でしょう。しかし、この本における彼の立場は、単なるインタビュアーではなく、もっと彼の主張、あるいは告発が色濃く感じられるものです。主導権を取っているのはあくまで著者たるフォイクトのような気がします。
とは言っても、やはりカウフマンのとても素直で情熱にあふれた語り口には魅力があります。なんと言ってもショッキングなのは、彼がヴォイス・トレーナーとしてのマイケル・ローズに出会い、劇的に声が変わってしまったというエピソードでしょう。今のカウフマンからは想像もできませんが、それまでの彼は全然ヘルデンっぽくなかったんですって。
ローズによって最強のツールを与えられたカウフマンは、今ではモーツァルトやワーグナーのみならず、ヴェルディやプッチーニでも最高レベルの歌手として認知されるようになりました。もちろん、それはそのツールを自在に使いこなせる自らの力と熱心な探究心があってのことです。
もはやすべてのオペラのテノールのロールを征服したうえに、シューベルトやシュトラウスのリートまで最高の味で聴かせる彼、そんな彼が「ビフォー・ローズ」の時点では歌っていたバッハなどは、「アフター・ローズ」となった今では、もう聴くことが出来ないのでしょうか。この本のインタビューの中ではマタイのエヴァンゲリストに関する言及がありますから、もしかしたらペーター・シュライアーをしのぐほどのエヴァンゲリストを聴ける日が来るのかもしれません。それまでは、生きていたいものです。
最初にカウフマンがこのような本に関する打診を受けた時に、彼は「早すぎる」と反応したのだそうです。この改訂版がドイツで出版されて、さらにその後の追記まで含めての日本語訳が出るまでにたったの1年というのも「早すぎる」ような気がするのは、ざっと読んだだけでも2か所の重大な「校閲ミス」を見つけることができたせいでしょう。

Book Artwork © Shogakukan Inc.
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by jurassic_oyaji | 2016-11-10 20:23 | 書籍 | Comments(0)
普通はスパムだと思って削除します
 以前、近くの地下鉄の駅で、エレベーターの工事が始まった事を書いていました。その時の駅側のあまりにいい加減なやり方にちょっと腹が立ったので、投稿フォームで「車椅子の乗客に対する手は打っているのか」というような趣旨の質問を送っていました。それが10月の6日、それに対する返事なんかまず来ることはないだろうと思っていたら、それから1ヶ月以上経った今日、こんな文面のメールが届きました。

「交通局へのご意見」へのご回答
平成28年11月10日
あなた様へ
 日頃より、本市地下鉄をご利用いただきまして誠にありがとうございます。
 交通局では平成25年度からエレベーターの更新工事を始め、現在、北仙台駅のエレベーター更新工事を行なっております。工事に伴い、ご利用のお客様には大変ご不便をおかけしております。
 ご質問にありました工事期間中の車イスご利用のお客様への対応につきましては、車イスご利用の団体へ工事の予定を事前にお知らせし、工事期間中、隣接駅をご利用して下さるようお願いをしております
 車イスご利用の団体は、工事の予定及び内容を各団体の関係者のみなさまに伝えてくださる等、工事へのご協力をいただいてまいりました。
 また、日頃北仙台駅をご利用いただいている車イスご利用のお客様にも工事内容を説明し、ご協力をいただいております。
 しかしながら、事前のお知らせをお知りにならない車イスご利用のお客様や歩行が困難なお客様が来られた場合に備え、北仙台駅のエレベーター地上部にインターホンを設置し、駅務員が対応できる体制を整えております。  
 工事期間中大変ご不便をお掛けいたしますが、今後ともお客様が快適に地下鉄をご利用いただけるよう努力してまいりますので、引き続き本市地下鉄をご利用いただきますようお願いいたします。
仙台市交通局鉄道管理部 
駅務サービス課 課長○○ 〇

 フォームを送信した直後に届いた自動送信メールにはちゃんと私の名前があったのに、ここでは「あなた様」ですって。そもそも、日付を間違えているあたりがおかしいですね。これについては、すぐ同じ文面で件名だけ【回答文の日付を誤ったので再送付いたします】が付いたメールが届きました。お役所仕事丸出しですね。ツッコミどころは満載ですが、とりあえず下線の部分。要するに、「車椅子の人は、この駅を使うな」ということなんでしょうね。「駅務員が対応できる体制」ったって、具体的なことが書いてなければ意味がありませんし。
 もう、こっちは返事なんか来ないものだと思って、「まあ、そんなものだろう」と気持ちを整理し終わったころにこんなものが届いたって、逆に誠意のなさをよりはっきりさせたことになってしまっているんですから、どこまで愚かなんだか。
 そんな愚かなことがもう一つ私のまわりであったのですから、嫌になります。それは、こちらの「おやぢ」でやり玉に挙げたキングインターナショナルのインフォの間違いですが、最近そこを見てみたら、修正されていました。おそらく、ここを見ていて(あるいは見ていた人に指摘されて)ヤバいと思って直したのでしょう。それはそれで結構なことなのですが、直す前のインフォはすでに多くのところに掲載されているので、自分のところだけを直しても何にもならないんですよ。というか、こういうものは販売店のインフォの方がよく見られているはずですから、あまり意味がなく、逆に「姑息な改竄」と思われてしまうのがオチなんですよね。
 つまりこういうことです。今現在の表記は、
○キングインターナショナル
なお、ガーディナーは、ウィーン・フィルと、1997年に1833年版、そして98年には1834年版の第2楽章から第4楽章をセッション録音しましたが、今回は1833年版を採用しての演奏となっています。
(これは正しい内容。しかし以前は下のものと同じでした)
○HMV
なお、ガーディナーは、ウィーン・フィルと、1997年に現行版、そして98年には1833年版の第2楽章から第4楽章をセッション録音しましたが、今回は1833年版を採用しての演奏となっています。

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by jurassic_oyaji | 2016-11-09 22:03 | 禁断 | Comments(2)