おやぢの部屋2
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MOZART/Zaide
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Sophie Bevan(Zaide), Allan Clayton(Gometz)
Jacques Imbrailo(Allazim), Darren Jeffery(Osmin)
Stuart Jackson(Sultan Soliman)
Ian Page/
The Orchestra of Classical Opera
SIGNUM/SIGCD473




モーツァルトには未完の作品がいくつかありますが、この「ツァイーデ」もその一つです。ただ、例えば、あの「レクイエム」とは違って、こちらは単に制作上の問題である程度作ったところでもうそれ以上の作業は必要がなくなり、別の作品に取り掛かることになったので、そのまま放っておかれた、というものです。
世間では、このオペラはのちに別の人の脚本によって作られる「後宮からの逃走」のプロトタイプという位置づけがなされています。確かに脚本の骨組みはどちらも全く同じですが、音楽的には、例えば「ツァイーデ」で使ったアリアを「後宮」に使いまわす、と言ったようなことは全く行われていません。モーツァルトにとっては、そんなせこいことをしなくても、台本が変わればそれに対応して別の曲を即座に作り出すことは、いとも簡単なことだったのでしょう。
もちろん、「後宮」同様、「ツァイーデ」もドイツ語によるジンクシュピール、つまり、音楽の間をセリフでつなぐという形式がとられています。モーツァルトの死後、1838年に楽譜が出版された際には、タイトルも付けられていなかったこのオペラに、主人公の女性の名前から「ツァイーデ」というタイトルが与えられました。現在の新モーツァルト全集では、モーツァルトが実際に作った部分だけが印刷されていますが、そこではタイトルは「ツァイーデ(後宮)」となっています。曲は全部で16のナンバーが残されていますが、序曲はなく、それぞれの頭には、歌い出しのきっかけとしてその前に語られていたセリフの最後の部分が書かれています。しかし、元のセリフそのものは、もうなくなってしまっているのですね。ですから、これを実際に上演する時には、それらしい措置がとられますが、そもそも3幕物として構想されたうちの第2幕までの音楽しか作られていませんから、合理的にオペラを完結させることは不可能です。ですから、いっそこれを全く別のオペラの「素材」にしてしまおうという企て(2006年のザルツブルク音楽祭で上演された「アダマ」)なども出てくるようになります。
2012年にLINNからリリースされた「アポロとヒュアキントス」から始まったイアン・ペイジが主宰する「クラシカル・オペラ」によるモーツァルトのオペラ全曲録音のプロジェクトですが、今はレーベルがSIGNUMに変わったようですね。これらは新モーツァルト全集を使って演奏されていますから、5作目となるこの「ツァイーデ」でも、しっかり「ベーレンライター版を使用」と書いてあります。したがって、アリアや重唱しか演奏されないバージョンです。ただ、序曲だけは同じ時期に作曲された劇音楽「エジプト王タモス」の間奏曲が流用されています。「皇帝」ではなく「高低差」(それはタモリ)。
このジンクシュピールでは、「メロローゴ」というちょっと変わった様式のナンバーが2曲作られていました。それは、オペラ・セリアでは「アッコンパニャート」に相当する、オーケストラで奏でられる音楽をバックに物語を述べるというものです。それが、メロディを付けられたレシタティーヴォではなく、単なるセリフで語られています。こういうやり方は後の「後宮」では見ることはできませんから、モーツァルトは一度作ってはみたけど、気に入らなかったのか、あるいはそれは単なる流行ですぐに世の中では廃れてしまっていたのか、そんなことに考えをめぐらすのも楽しいことです。
この中の曲では、単独でも頻繁に演奏されるツァイーデの最初のアリア「Ruhe sanft, mein holdes Leben」が、まさにモーツァルトのエキスが満載のとても魅力的なナンバーです。ただ、ここで歌っているソフィー・ビーヴァンはあまり調子が良くなかったのか、なにかピッチが不安定で心から楽しむわけにはいきませんでした。その他のキャストはそんなことはなかったのに。

CD Artwork © Signum Records
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by jurassic_oyaji | 2016-11-08 23:00 | オペラ | Comments(0)
雪道にも強いのだそうです
 この週末は、お天気が良かったですね。土曜日などは気温が20°超えですって。北海道では大雪だというのに。
 実は、この間DMが来て以来、ディーラーさんからは執拗に試乗のお誘いが寄せられるようになっていました。見積もりの試算書が入ったDMだけではなく、なんと手書きによるご案内のハガキ、さらに金曜日には電話までかかってくるようになりました。まあ、私の場合試乗には行こうと思っていてこちらから連絡しようとしていたぐらいですから、渡りに船なんですけどね。
 ですから、一応その時は「明日お伺いします」と答えておきました。そして、土曜日になってこちらから都合の良い時間を聞いてみると、午後の方が確実だ、みたいな話、ちょうど駅前に行く用事があったので、それを済ませてから行くことにしました。
 駅に着いて、東口の天井を見上げてみたら、ガラスに影が映っていますが、それがどうも萩の花をデザインしたもののように見えるんですよね。どうでしょうか?
 そのあと本屋さんに行ったりしていると、今度はディーラーさんから、「もう一人試乗ご希望のお客さんが現れたので、何時ごろ来られるか教えてください」と聞いてきました。やはり、結構予約のスケジュールがタイトになっているのですね。ちょうどこっちの用事も終わったので、さっそくお店に向かいます。
 これが、試乗車。この色はパンフレットなどにあるのと同じでしたが、現物はもっと派手。ちょっとな、という感じです。
 コクピットは、ステアリングの形がユニークですね。下端が平らになってます。そして、シフトレバーは「レバー」というよりは「ボタン」といった感じ。ポジションはバックとドライブだけ、その間にニュートラルを経由することになります。というか、どちらのポジションに入れても、動き出すとニュートラルに戻ります。「ギア」ではなく「スイッチ」ですね。
 ディーラーさんが隣に座って、坂道の多いコースを指示してくれます。上り坂は軽快そのもの、ガソリン車にありがちな、上りはじめの減速感が全くありません。そして、すごいのがアクセルを戻した時の減速。これは、普通のガソリン車と同じ感じにするモードもあるのだそうですが、きのうはあえてこのEVならではの減速感を味わいます。細かい角を曲がるときにブレーキペダルに踏み変える必要は全くありませんし、下り坂でもアクセルを戻すだけで気持ちよくブレーキがかかります。ですから、そうなるとブレーキランプは点かなくて、後続車が危なくないのかな、と思ったら、ブレーキペダルを踏まなくても、速度が落ちてくるとブレーキランプが点くようになっているんですって。すごいですね。それと、駐車している車を追い越したら、「白線を超えた」という警報が鳴りました。そこまでのものになってるんですね。
 ただ、もし買うようなことがあればこの色ではいやなので、他の色の車を見たいと言ったら、本社に別な色があるということなので、それを一緒に翌日、つまり今日見に行くことになってしまいました。
 そして、見せてもらったのがこの色です。かなりインパクトがありますね。ただ、本当に見たかったのは、別な色だったのですが、それはどこにもないということでした。ただ、塗装コードが全く同じものが、前のタイプの車では出ているので、それを持っているユーザーさんのところにあとで連れて行ってくれるということでした。ところが、まさにその同じ色の車が、ここにあったのですね。
 やっぱり、これが一番いい感じですね。現物が見られてよかったです。
 それと、もう一つ偶然があって、以前お世話になっていたディーラーさんで、もうだいぶ前に出世されて別の部署に異動になった方にひょっこりお目にかかってしまいました。まさかこんなところでお会いできるなんて思ってもみなかったので、驚きましたね。その方は、私の娘の名前や、その頃やっていたことなどもしっかり覚えていてくれたというのも、驚きです。
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by jurassic_oyaji | 2016-11-06 21:26 | 禁断 | Comments(0)
Christmas
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Pentatonix
The Manhattan Transfer
RCA/88985 36282-2




ペンタトニックスは、相変わらずの大活躍ぶりを見せてくれています。ちょっと前には、Perfumeのカバーまでやってくれたのですから、驚きました。「ちょこれーと・でぃすこ」なんて日本語で歌っていうのがかわいいでぃすこ。そんな彼らの恒例のクリスマス・アルバムです。まずはジャケットを見てびっくり。なんと、ミッチが丸坊主になっているではありませんか。以前からモヒカンとかには挑戦していたようですが、まさかここまでやるとは。このジャケットのコンセプトは「金」のようですから、金色にピカピカ光る頭にしたのだ、とか。
昨年のクリスマス・アルバム同様、よく知られた昔からの讃美歌や、最近のアーティストによるクリスマス・チューン、そして彼らのオリジナルと、多彩な構成で迫るペンタトニックスです。ど頭は、まさに定番「神のみ子は今宵しも」に、ヴォイパを派手にフィーチャーしたというまさに彼らなりのアレンジで、ヘビーに始まります。
かと思うと、次の、やはり有名な「互いによろこび」では、いともクラシカルで爽やかなアレンジ、これなどはあのシンガーズ・アンリミテッドが歌っていてもおかしくないほどの、洗練されたコーラス・ワークが光ります。そう言えば、7曲目の「コヴェントリー・キャロル」は、そのシンガーズ・アンリミテッドのクリスマス・アルバムにも登場した讃美歌、やはり、彼らの中にも、このスーパー・コーラスに対するリスペクトがあったのかもしれませんね。ただ、アレンジは全くの別物で、こちらはまるでエンヤのようなぶっ飛んだサウンドに仕上がっています。
そして、3曲目、泣く子も黙る王道中の王道、アーヴィング・バーリンが作ってビング・クロスビーが歌った「ホワイト・クリスマス」では、なんとマンハッタン・トランスファーとの共演ですよ。マン・トラと言えば、おととし創設者でリーダーのティム・ハウザーが亡くなってしまって、グループも解散したのだと思っていたのですが、ちゃんとティムの後釜を迎えて、まだしっかり活動していたのですね。全然知りませんでした。ここでは、最初はペンタトニックスのいつものサウンドだという感じがしているのですが、途中でスウィングになったあたりからは、まさにマン・トラのテイスト満載のアレンジで楽しませてくれます。おなじみのジャジーなフレーズが、ジャニス・シーゲルによって軽やかに歌われているのですから、たまりません。それでも、全体としてはしっかりペンタトニックスの持ち味に支配されているのですから、すごいものです。というか、こんなすごい共演を通して、一回り大きくなってきたような彼らでした。
同じく、ビング・クロスビーが歌ってヒットした「I'll Be Home from Christmas」が続きますが、これはオリジナルの6/8のバラードを大切にしたシンプルなアレンジで、しっとり歌われます。このあたりが、彼らのもう一つのやり方。去年のクリスマス・アルバムに入っていた「Let It Go」のように、オリジナルの構成をほとんどそのまま踏襲してコーラス・アレンジを施すという手法が、このあとのカバー曲には使われています。レナード・コーエンの「Halleluyah」では、あくまでソロを中心に、まわりをコーラスで固めるという手堅さ、逆にカニエ・ウェストの「Coldest Winter」のようなエレクトリック系では、それこそダフト・パンクのカバーのようなアヴァン・ギャルドさが前面に出てきます。そして、イン・シンク(ジャスティン・ティンバレーク)の「Merry Christmas, Happy Holidays」では屈託のない明るさで迫ります。
今回のオリジナルは「The Christmas Sing Along」と「Good to Be Bad」の2曲、いずれもクリシェ・コードによるキャッチーな作品に仕上がっています。今年も、彼らのコーラスでハッピーになれました。メリー・クリスマス!(まだ早い?)

CD Artwork © RCA Records
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by jurassic_oyaji | 2016-11-05 20:48 | 合唱 | Comments(0)
日生劇場で観たこともあります
 「ウェスト・サイド・ストーリー」を見てきました。映画ではなく、オリジナルのミュージカル、劇団四季が地方公演で全国を回っていて、宮城県では仙台と名取が会場になっています。仙台の会場はイズミティ、ミュージカルには広すぎるホールですが、かなり前の席を買っていたので、とても見やすくて、ストレートにドラマに入っていくことが出来ました。でもこのチラシ、「ウェスト物 サイド語」って読めませんか?
 映画の方はもうすっかり音楽も、そしてセリフ(英語)も頭に入っていますし、ミュージカルもこの劇団四季のものはもう何回も見ているので、それぞれのバージョンの違いなどもはっきり分かるようになっています。ただ、前に劇団四季を見た時には、緞帳が下りている間に序曲が演奏されていたのですが、今回はそれがなく、いきなり緞帳が上がってプロローグが始まりました。この序曲、その劇場の備え付けの緞帳にプロジェクターで映画のオープニングと同じ画像を映していたのですが、県民会館でそれをやると、マンハッタンのバックに「蔵王」や「松島」が浮かび上がるという、シュールなことになっていましたね。それに気づいたのかどうか、今回はそれがなくなっていました。いや、そもそもあの「序曲」は映画のために作られたもので、ミュージカルのスコアにはそんなものはありませんからね。
 なんたって作曲がバーンスタインで、そんなスコアも簡単に手に入るぐらいですから、クラシックとして結構全曲版のCDが出ているのですが、それらでは全て当然のことながらこのミュージカル版が演奏されています。映画版とミュージカル版の違いは結構大きくて、最初にこのステージを見た時にはちょっと戸惑ったものですが、今ではすっかり慣れて、今回見た時にも、やはりこちらの方がとても納得のいくプロットだということがよく分かります。やはり、映画ではナンバーの場所まで変わっていますから、なんか進行上不自然なところが出てきているんですよね。
 さらに、映画版では大幅なカットがあります。それは、第2幕ですぐ始まる「I Feel Pretty」(映画では第1幕になってます)の次の、トニーとマリアのダイアローグの後に、楽譜には「バレエ・シークエンス」から「少女」が歌う「サムホェア」を経て「ナイトメア」に至るまでの部分です。ここは、トニーとマリアの夢の世界が描かれていて、ステージではことさら現実離れした演出が見られて、この物語のテーマがくっきりと浮かび上がるとても感動的な部分です。ステージでは全員が衣装を真っ白なものに替えて踊るという、まさに非現実の世界なのですが、おそらくそれが映画とは馴染まないとカットされてしまったのでしょう。今にして思えば、こんなことをしなければ映画としての価値もワンランク上がっていたのではないでしょうかね。やはり、エンターテインメントとしての「映画」という位置づけは必要だったのでしょう。
 今回のステージを見てそのあたりの配慮がはっきり分かるのが、アニタがマリアの代わりにドックの店に行くシーン。ここで彼女はジェット団に乱暴を受けるのですが、映画ではそのあたりがきれいに処理がされていて、そのあとのアニタの怒りがいまいち理解できませんでした。それが、ステージでははっきりレイプしていることが分かる演出になっているのですよ。これだったら、あれほどひどいウソをつかなければならないほど、憎悪を募らせるのも納得です。
 今回のメンバーの中には、外国の人も入っていました。いや、今までも「外国人」はたくさんいたのですが、それらはみな東洋系の人たちばかり、外観は日本人と変わらない人だったのですが、その人はポーランドの方、もろ西洋人の顔立ちです。そういう人がオリジナルの英語ではなく、ちょっとへんてこな日本語に直されたものを歌っている、というのもなんだか不思議なことですね。彼はセリフもしゃべりますが、それはもちろん日本語です。ということは、日本人のキャストが西洋人の振りをして、日本語を話す、というこの現場で彼は、「西洋人のキャストが、日本人の振りをして、西洋人の振りをして日本語を話す」という複雑なことをやっていたことになりますね。でも、彼のダンスは素敵でした。
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by jurassic_oyaji | 2016-11-04 22:29 | 禁断 | Comments(0)
HAYDN2032/No.3
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Francesca Aspromonte(Sop)
Giovanni Antonini/
Il Giardino Armonico
ALPHA/ALPHA 673(LP)




ほんの4年先の2020年の東京オリンピックでさえ、まだきちんとした計画が出来ていないというのに、そのさらに12年先、2032年を見据えてのプロジェクトなどというものを考えている人たちがいるんですね。それは、「ヨーゼフ・ハイドン財団」と、ALPHAレーベル。その年は、ハイドンが生まれてから300年という記念すべき年なので、それまでに彼の全交響曲を録音しよう、というもののようですね。やはり今の時代、このぐらい時間をかけないと100曲以上の交響曲を録音することはできないのでしょうか。というか、16年後には果たして「レコード」(CDなども含めたフィジカルな媒体)というものが存在しているかどうかも分からないというのに。
アンタール・ドラティが最初にハイドンの交響曲全集を作った頃はまだレコード業界は元気でしたからDECCAは1969年からたった4年で録音を完了させてしまいました。しかし、次に同じことを企画したアダム・フィッシャーは、途中でレーベル自体がおかしくなってしまうという事態に遭遇して、結局1987年に始まった全曲録音(NIMBUS/BRILLIANT)が完了するのはその14年後でしたからね。その間にフィッシャーの演奏スタイルは変わってしまいます。
その後、1995年から2006年にかけては、デニス・ラッセル・デイヴィスがライブ録音による全集(SONY)を完成させています。
それらは、いずれも30枚以上のCDになっています。実は、今回のアントニーニによるハイドン・ツィクルスのリリースは、2014年に始まっていました。それから2年経ってやっと3枚目のアルバムが出たというのですから、このペースでは果たして2032年までに終わるのか、という危惧さえも抱いてしまいます。
これまでの2枚は確かCDだけのようでしたが、この3枚目では何を思ったのか、LPも同時にリリースされています。CD1枚分の曲を収めるためにそれは2枚組のLP、豪華なリネン装のダブル・ジャケットは、厚ぼったい写真集まで入っていてまるで特別な理念が込められた工芸品、1000組限定発売で、シリアル・ナンバーまで付いています。しかも、そこにはCDも同梱されているだけではなく、ダウンロード・コードが記入された紙が入っていて、音源データを入手することもできます。もちろんタダで。

と、そこまでは何とも気前のいい話なのですが、その音源はなんとMP3なんですよ。LPまで出しているのですから、ここは当然ハイレゾでしょう。そんな勘違いは、LP本体にも及びます。このジャケット、見かけは豪華なのですが、LPを出し入れしようとするととても窮屈な思いをしなければいけません。LPなんか作ったことのない人が、とりあえずサイズだけ合えばいいだろうと適当に作ったという感じ、さらに、ここには帯が巻かれているのですが、それは「横」に巻かれているのですよ。ということは、そのままではLPは出せない、ということになりますね。普通、帯は「縦」に巻くものだ、ということを知らなかったのでしょう。
そして極めつけは肝心のLPの盤質の悪さ。サーフェス・ノイズはLPの宿命ですが、それが異様に大きすぎます。カッティングのレベルが低いことも手伝って、もう最初から最後までノイズだらけのものを聴かなければなりません。
結局、まともに聴けるのはCDだけ、ということになってしまいますが、それも曲順の表記が間違っています。何のためにこんな「豪華な」ものを買ってしまったのか、一生悔み続けることでしょう。

収録曲も、このジャケットでは全く分かりません。「SOLO E PENSOSO」というのは、カップリングのコンサート・アリアのタイトル、交響曲は「4番」、「42番」、「64番」、それにオペラ「無人島」の序曲が入っています。演奏はさすがアントニーニ、とても刺激的でメリハリのきいたもので、ハイドンもついにここまで、と思わせられますが、緩徐楽章での弱音器を付けたヴァイオリンの繊細なニュアンスは、CDでは伝わっては来ません。

LP Artwork © Joseph Haydn Stiftung & Alpha Classics
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by jurassic_oyaji | 2016-11-03 21:55 | Comments(0)
まだ、ダウンを着るほどではありませんが
 急に寒くなりましたね。とうとうコートを着て通勤ということになってしまいました。ちょっと前まではTシャツの上にシャツを着ただけだったのに。ですから、ニューフィル練習日前の恒例の「とらの子」も、今までは麺類はちょっと暑かったのにもうちょうどいい感じになった来ましたね。そこで、いつものチャーシュー・チェック。今回もしっかりと5枚乗ってましたが、この間よりは小さいかな。でも、それよりも前回はちょっと引っかかって、ブログのタイトルに忍ばせていた、面のゆで具合が、きのうは全然問題がなかったんですよね。ますます、店主が私のブログを見て、それを調理の参考にしているという「疑惑」は、真実味を増してきました。なんて。
 そこからは、道もすいていたので、いつもより早めに練習場に着きました。とは言っても、普通は誰かは来ているような時間なのに、なんと私の前には誰も来ていませんでしたよ。そこで、鍵をもらって来て中に入り、照明を点けたりしていると、ぼちぼち他の人もやってきました。誰かが「ちょっと寒~い」と言ったので温度計を見てみると、室内の気温は20°、まあ、これから締め切ったところに人が入ればこれがどんどん上がって、逆に暑くなってしまうので、暖房はいいかな、という感じでした。この市民センターの場合、こういう微妙な時には言わないと冷暖房は入れてくれません。
 でも、練習が始まっても一向に温度は上がらない様子、基本的に暑い時に練習するのは嫌な私も後半には少し厚着にしてやっとちょうどいいぐらいでしたから、まわりには寒さでブルブルしている人もいましたね。おそらく、外気温が急激に夜になって下がったからなのでしょう。これだったら暖房を頼んでおいてもよかったな、と思っても後の祭りでした。でも、もう少しすると日中は夏日になる日もあるのだとか、なんだか難しいお天気が続きます。
 ですから、遂に自宅でも石油ストーブを入れてしまいましたよ。そこで、タンクに石油を入れようと思って去年まで使っていた電動の給油ポンプを点検してみると、スイッチを入れても全然動きません。電池切れかな、と思って新しいのに交換しても、全く動く気配がありません。そういえば、去年はスイッチの接点が少し気まぐれになっていたような気がします。それが、とうとうダメになっていたのでしょうね。そこで、新しいポンプを買おうとホームセンターに行ったら、同じ電動ポンプの横に、「電池の要らないポンプ」というのが置いてありました。まあ、昔はみんなそんなタイプだったのですが、これはそれよりはちょっと大げさな感じ、何でも、タンクの中に空気を送り込んで、その圧力で石油を出す、という仕組みなのだそうです。確かに、タンクは密閉されていますから、その中の空気を圧縮すればそのぐらいのことはできるのでしょう。まあ、電池を交換するのも面倒になってきたので、ちょっとこれを試してみることにしました。
 それは、説明書の通りにポンプの先を何回か押し込んで行くと、次第に圧力が感じられるようになってきましたから、そこでホースの先のバルブを開いてタンクにあけると、石油は出てきました。でも、それは思ったほどの勢いはなく、ちょろちょろと出たところでもう止まってしまいましたね。それは、おそらくタンクにもう一つある蓋の気密性が悪くなっていたせいだな、と思いました。もう長いこと使っていて、フタのパッキングは完全にへこんでいますから、空気どころか、中の石油さえもその蓋の間からしみだしてくるぐらいですからね。そこでまず、新しい蓋を買ってきました。同じホームセンターで1個100円。確かに、よく見てみると、
 古い蓋はパッキング(白い部分)が完全にへこんで筋が出来ていますが、
 新しい蓋はそこがまっ平らですね。その蓋に替えて、ポンプを動かしてみたら、前とは全然手ごたえが違っていて、もうこれ以上は押せない、というところまで来ます。そこでバルブを開けると、勢いよく灯油が出てきましたよ。とは言っても、この感じで1回チャージしても、とても満タンにはならなくて、同じことを5~6回は繰り返さないといけないみたいですが、まあそのぐらいの方が間違って石油をあふれさせることもないので、ちょうどいいのではないでしょうか。
 今シーズンもまた、スタンドまで行って灯油を買ってくるという苦行が始まることになるのですね。
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by jurassic_oyaji | 2016-11-02 22:29 | 禁断 | Comments(0)
WAGNER/Die Walküre:Act 1
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René Kollo(Siegmund)
Eva-Maria Bundschuh(Sieglinde)
John Tomlinson(Hunding)
Klaus Tennstedt/
London Philharmonic Orchestra
LPO/LPO-0092




毎回ジャケット写真の中に「★」を探すのが楽しいロンドン・フィルの自主レーベル、今回は四半世紀前、1991年に録音されていたアーカイヴです。これがこんな形で世に出たのはおそらく初めてのことでしょう。なんと、テンシュテットによるコンサート形式の「ワルキューレ」第1幕のライブ録音です。
この幕は、出演者が3人しかいませんから、こんな風に手軽に演奏することはとても簡単です。もちろん、そのコンサートが成功するか否かは、ひとえにその3人の人選にかかっていることは言うまでもありません。ここでのソリストは、その当時のまさにドリーム・キャストですからとても楽しみです。指揮のテンシュテットも、キャリアの初めのころにはオペラハウスでの指揮も行っていて、ワーグナーも得意にしていましたが、実際のオペラの録音はほとんどありませんから(全曲録音は皆無)これはとても貴重な記録です。
まずは、そのテンシュテットの指揮ぶりを、前奏曲(日本語の帯には「序曲」とありますが、これは何かの間違いでしょう)から聴いてみましょう。録音状態もとてもよかったようで、低弦のエネルギーはものすごいもの、さらに金管の輝きが迫真の力で迫ってきます。ワーグナーはこうでなくっちゃ。さらに、普段はあまり聴こえてこない木管も、ここぞというところで顔を出してきますから、それはとても色彩的。そして、そのようなダイナミックなシーンと、もっと物語が進んでしっとり歌い上げるシーンとの切り替えがとても巧みです。ジークムントとジークリンデのデュエットのバックのオーケストラの柔軟さには、うっとりさせられます。
歌手では、やはりそのジークムント役のルネ・コロに注目でしょう。1969年に「オランダ人」のかじ取り役でバイロイトにデビューしてからは、ワーグナーのテノールのロールには無くてはならない歌手として世界中で活躍した人です。いわゆる「ヘルデン・テノール」として、オペラハウスに出演、もちろん多くの録音も残しています。さすがに晩年は声も衰えて往年の輝きはなくなっていましたが、このCDのコンサートが行われたはまだまだ現役として通用していたはずです。
ただ、ここで聴ける彼の声は、ちょっと「ヘルデン」というには力強さに欠けるような感じがしてしまいました。それこそカウフマンあたりが最近そのハイテンションぶりを見せつけてくれた「Wälse! Wälse!」という叫びが、あまりに弱々しいのですね。その代わりに、「Winterstürme wichen dem Wonnemond」からの甘いシーンでは、テンシュテットの指揮とも相まってまさに禁断の甘美さをおなか一杯味わうことが出来ました。これはこれで、幸福な体験です。
ちょっと気になったので、コロのデビュー頃の録音で、1970年の「マイスタージンガー」を聴いてみたら、大詰めのワルターのアリアは、カラヤンの指揮のせいもあるのでしょうが、ワーグナーの楽劇というよりは、ほとんどフランツ・レハールのオペレッタの世界でしたね。そう言えば、コロはオペレッタでも定評のある歌手でした。ということは、彼はまさに今や大人気の「えせヘルデン」、クラウス・フローリアン・フォークトの先駆けだったのですね。
他の二人、ジークリンデのブントシューとフンディンクのトムリンソンもワーグナー歌いとしては定評のある歌手でしたから、ツボを押さえた歌が聴けます。考えてみたら、ジークムントはまだ「英雄」ではないのですから、コロも適役だったのでしょう。
彼がノートゥンクを引き抜いた後は、テンシュテットは一気にシフト・アップしてエンディングへと向かいます。圧倒的な高揚感とともにこの幕の最後、トロンボーンのペダルトーンが響き渡る中、終止の直前に現れる何とも浮遊感が漂うCm6のコードの味わいは絶品です。G-durのアコードが打ち鳴らされた直後、瞬時に起こる拍手と叫び声、お客さんも大満足だったことでしょう。

CD Artwork © London Philharmonic Orchestra Ltd
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by jurassic_oyaji | 2016-11-01 23:02 | オペラ | Comments(0)