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Jurassic Awards 2016
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ということで、今年も「ジュラシック・アウォード」となりました。話は変わりますが、「スウィングル・シンガーズ」の生みの親、ウォード・スウィングルは、去年お亡くなりになっていたんですね。それを調べているうちに、ネット上では彼の名前を「ワード・スウィングル」と言っている人が結構いることに気が付きました。「Ward」だから「ワード」という短絡的な発想なのでしょう。それで、「Award」も「アワード」ではなく「アウォード」と言いたいわけでした。それでは、今年のエントリー数の比較から。

  • 第1位:合唱(今年55/昨年51)→
  • 第2位:オーケストラ(33/42)→
  • 第3位:現代音楽(22/21)→
  • 第4位:フルート(14/19)→
  • 第5位:オペラ(13/14)→
  • 第6位:書籍(5/9)→


なんと、去年とまったくおなじランキングになってしまいました。
では、それぞれの部門賞。
■合唱部門
ランドール・トンプソンというアメリカの作曲家には以前から注目していたのですが、彼の「レクイエム」を聴いて、この人は本物だという確信が持てました。それと、「商品」という観点から、録音が非常に素晴らしかったのも高ポイント。
■オーケストラ部門
やはり、こういうランキングでは今や録音の良否はかなり重要なファクターとなります。とくにオーケストラでは日頃聴きなれているので評価も辛くなりがちです。そんなハードルを見事にクリアしたのが、ティチアーティが演奏したハイドンの45回転LPです。「第101番」が1曲しか入っていないという、コストパフォーマンスから言ったら問題外の商品なのですが、このフォーマットが与えてくれる音の世界は言葉では言い表せません。
■現代音楽部門
今の時代にあって、現代音楽というジャンルがそもそも成立するのかというのはさておいて、それを逆手に取った許しがたいCDが出ました。それは、あの新垣隆が作った「交響曲『連祷』」です。こういうのがもてはやされるような世の中になるのは痛くてたまりません。そういう意味で、某「レコード・アカデミー賞」にならって、この最もクズだと思ったCDが「大賞」です。
■フルート部門
はじめて聴いたポール・ラスティグ・ダンケルというフルーティストには、完全に打ちのめされました。高齢になってもこれだけの演奏ができるということに、勇気がもらえました。
■オペラ部門
ベタですが、香港フィルの「ワルキューレ」を。なによりも、BD-Aで「指環」を完成させようというレーベルの姿勢がうれしいですね。集められたのは旬の歌手、日本のオケなどとっくに追い抜いたレベルの香港のオケの力に脱帽。
■書籍部門
「明治のワーグナー・ブーム」には、目からうろこが落ちました。音楽の専門家ではない人によって書かれているというのも、興味深いところ。

来年もまた、こんな感じでよろしくお願いします。
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by jurassic_oyaji | 2016-12-31 21:44 | Comments(2)
待つのが嫌だったら、予約してください
 もう今年も終わりですね。職場もきのうからはお休み、いろいろ買い物もあったので愚妻とまず街に行って昼食にしました。前から、建物の外観だけを見てぜひ食べてみたいと言っていた鰻屋さんです。
 2階建ての民家を改造したお店で、まず玄関で靴を脱ぎます。さいわい席は空いていたので座って注文しようとすると、「少しお待ちいただくことになりますが、いいでしょうか?」と聞いてきました。まあ、本当の鰻屋さんだったら時間がかかるのは当たり前ですが、念のため「どのぐらい待ちますか?」と聞いてみたら、「約1時間」ですって。まあ、仕方がありませんね。そんだけおいしいのでしょう。
 確かに、1時間待って食べた鰻はなかなかのものでした。かすかに炭の香りがして、身もふっくらです。でも、ごはんが・・・。そんな鰻の味を完全に裏切るような、お粗末は炊き方なんですよね。がっかりです。あと、一応「禁煙」とは言っているのですが、間違いなくタバコのにおいが漂っていましたし。
 気を取り直して、今年私が出演したコンサートです。
  • 3月13日(日):杜の都合奏団「シューベルト」(パトナホール)
    すっかり年間行事として定着した感のある、年に2回の「杜の都合」、春にはシューベルトの「イタリア風序曲第1番」、「交響曲第7番」、「交響曲第8番」というプログラムでした。「8番」で1番、あとは2番です。正直、「8番」がこんな大変な曲だとは思っていませんでした。でも、これをやり切ったことで、なにか自信が付きましたね。
  • 4月15、16日(金土):仙台フィル第300回定期(日立市システムズホール仙台コンサートホール)
    他の人は前年の11月から始めていた合唱の練習に、2月から参加させてもらって、ベルリオーズの「レリオ」を歌いました。全曲暗譜ということで、死に物狂いでさらいましたね。その甲斐あって、本番でも暗譜しなくてもよい曲でも暗譜で歌えました。客席の中を走りぬけたり、指揮者の横で歌ったりと、なかなか楽しい演奏会でした。前回「ニューフィルは1回も休まなかった」と書きましたが、これのリハーサルで1日だけ休んでいましたね。
  • 4月17日(日):仙台フィル東京演奏会(サントリーホール)
    仙台の次の日に、同じプログラムでサントリーホールで歌いました。この時はP席で普通に楽譜を持って歌いました。NHKが収録していて、それを結構多くの人に見てもらえたようです。
  • 4月24日(日):ニューフィル定期(東京エレクトロンホール宮城)
    仙台フィルの1週間後の本番でした。久しぶりの篠崎さんの指揮でブルックナーの「交響曲第7番」がメインです。せっかくの篠崎さんだったのに、私は前曲の「タンホイザー序曲」で1番、ブルックナーはアシと、ちょっと物足りませんでした。
  • 8月6日(日):杜の都合奏団「ハ長調」(パトナホール)
    シベリウスの「交響曲第3番」とシューマンの「交響曲第2番」という、共にハ長調の2曲プロ。シベリウスは1番、シューマンは2番でした。こんな時でもなければ吹くことのないシベリウスでしたが、1ヵ所本番でもちゃんとできないところがあったのは心残りでした。練習で東北学院大学の泉キャンパスの礼拝堂に入れたのが、うれしい機会でした。
  • 8月21日(日):ニューフィル・アンサンブル大会(日立システムズホール交流ホール)
    フルートだけの四重奏と、弦楽器と一緒のフルート四重奏の2組に出場、モーツァルトの「フルート四重奏曲ニ長調」を全曲演奏しました。練習ではそれなりに吹けていたのに、本番では何ともふがいない演奏になってしまって、逆にこれからの課題が明らかになりました。来年は「ハ長調」でリベンジ?
  • 10月15日(土):ニューフィル定期(東京エレクトロンホール宮城)
    シューベルトの「交響曲第7番」とマーラーの「交響曲第1番」を、初顔合わせとなる井﨑さんの指揮で。マーラーの1番を吹きました。私にとっては2度目となるので、ほぼ満足のいく出来だったのではないでしょうか。
  • 12月4日(日):角田第9(かくだ田園ホール)
    恒例の「第9」ですが、今回は前曲が初めての「ふるさとの四季」という、なかなか手ごたえのあるオケの歌伴でした。私はこれで1番。なぜか1番にピッコロ・ソロがあって(村祭り)これが大ウケでしたね。マジで、ニューフィルに入ってソロで褒められたのはこれが初めてです。

 今年は合唱は実質1件だけでしたが、なんと言ってもこれが最大のインパクトでしたね。サントリーホールで歌ったことは、忘れられません。
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by jurassic_oyaji | 2016-12-30 21:47 | 禁断 | Comments(0)
MOZART, NIELSEN/Flute Concertos
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Juliette Bausor(Fl)
Jaime Martin/
Royal Northern Sinfonia
SIGNUM/SIGCD467




2016年の7月にロンドン・フィルの首席フルート奏者に就任したばかりのジュリエット・ボウザーが、まだロイヤル・ノーザン・シンフォニアの首席奏者時代、2015年の6月に、その頃の同僚をバックに録音した協奏曲のアルバムです。
彼女は1979年にウォリックシャーに生まれたイギリス人ですが、名前のスペルがフランスっぽいので、ジュリエット・ボソーと表記しているサイトがあって、それがネットでかなり拡散しているようです。でも、ここはやっぱり「ボウザー」ぐらいの方がいいような気がしませんか。というか、このナクソス・ミュージック・ライブラリーのいい加減な表記は生まれつきのものでしょうから、いまさらなくそす(なくす)ことは出来ないのでしょう。
ごく最近聴いたルーラントのアルバムでは、バッハとペンデレツキというとんでもないカップリングで驚かされましたが、その時は特に必然性はないただの偶然だったので安心したことがあります。しかし、今回のボウザーが選んだフルート協奏曲は、モーツァルトとニルセンですって。それを、2日間のセッションで録音しているのですから、これは最初から「狙った」選曲に違いありません。もはや、今の時代の音楽媒体では、モーツァルトの協奏曲だけをまとめるような名曲志向では、なかなか差別化が図れずに苦戦することは分かっているので、あえてこんな突拍子もない組み合わせで意表をつくことが必要になっているのかもしれませんね。
前半は、モーツァルトのト長調の協奏曲と、オーケストラとフルートのための「アンダンテ」、さらに、ヴァイオリン曲をフルートで演奏している「ロンド」という、まさに「フルート名曲集」といった趣のラインナップで迫ります。しかし、バックのロイヤル・ノーザン・シンフォニアは、かつてはフルーティストとしても活躍していたスペイン出身の指揮者、ハイメ・マルティーンの煽りに乗せられて、「名曲」としての振る舞いを放棄しているようでした。第1楽章のテーマなどは、シンコペーションでおとなしくフルートの伴奏を務めていればいいものを、ことさらその弱拍のアクセントで流れを断ち切ろうとしています。
それを迎え撃つボウザーのフルートも、やはり、爽やかに流れるようなものは期待できません。何か深い思慮に支えられたような、まるでモーツァルトって素直に楽しんではいけないものなのではないか、と思わせられるような吹き方にはたじろいでしまいます。そこで、一瞬聴きなれないフレーズが現れました。

60小節目の最後から3番目の音符(A)が、1オクターブ高く演奏されていました。その2小節先で全く同じフレーズが出てくる時にはきちんと楽譜通りですから、もしかしたらそのような新しい楽譜が出ているのでしょうか。別にこれはライブ録音ではありませんから、もし仮に「吹き間違い」だったとしても、誰かは気が付くはずですし。
第2楽章はとても美しいメロディをたっぷり歌う、というのではなく、やはり内面を深く追及しているような「深さ」が感じられます。そして、第3楽章も軽やかさはあまり感じられません。
「アンダンテ」と「ロンド」も、そんな普段聞きなれた「モーツァルト」とはちょっと違う重ったるさがあったので、ちょっと辛くなりかけた時に、ニルセンが始まりました。これが、とても素直に心に入ってくるのですね。この曲は今まで何人ものフルーティストの演奏で聴いていましたが、その都度何か壁がはだかってあまりなじめない、という印象があったのですが、今回は全然違います。何がそうさせたのかは分かりませんが、それぞれの楽章のテーマはすんなり聴こえてくるし、それぞれの変奏もとても納得のいくものとして聴こえてきました。この人は、こういう曲で本領を発揮できるのかもしれませんね。この選曲が最初から狙ったものであったのなら、すごいことです。

CD Artwork © Sigunum Records Ltd.
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by jurassic_oyaji | 2016-12-29 21:05 | フルート | Comments(0)
いつも椅子並べをやってます
 きのうは今年最後のニューフィルの練習でした。結局、今年は1日も休まずに出席できましたね。管楽器の場合、その日の練習ではやらない曲に乗っているという「降り番」があるので、行く必要がないことがあるのですが、私の場合はそういうこともなかったので本当に全部の日に出席でした。あ、でも、1日だけ台風で一旦「中止」となったものが、結局お天気は回復したので何人かは集まったという日がありましたね。私は、そんなところに行っても本来の合奏は全く期待できないので最初から全く行くつもりはありませんでしたから、これは正規の練習日とは認めませんから。
 私の場合は、全部出席しただけではなく、遅刻も1回もなかったはずです。いや、というより「遅刻は出来ない」といった方が正しいでしょうか。なんせ、準備もしないでソロを吹いたときのみじめさは何度も味わっているので、合奏が始まる前には十分に楽器と体を温めないことには不安でしょうがないんですよね。というか、それが一人で1パートをまかされている管楽器奏者の最低条件だと思っていますから、少しでも早く練習場に到着してウォーム・アップをする、というのは絶対欠かせないルーティンになっています。そうでないと、弦楽器の人たちに申し訳ありません。きのうの練習でも、チェロやヴィオラのパートからは、もうそのまま本番を迎えてもおかしくないほどの、完成された音が聴こえてきてましたからね。
 時間は少し戻りますが、仕事を終えてまずは晩御飯を食べようと、いつもの中山のてっぺん付近にある中華料理店に向かいます。その時間だと普段はあんまりお客さんはいないのですが、きのうはけっこう混んでいて、いつもだったら私が一人で占領している真ん中の大テーブルにも、もう一人のお客さんがやってきました。もう私が注文したのは来てたので、それを食べることに集中していたのですが、ふと目をあげて横を見ると、そのお客さんは私の知り合いでした。もちろん女性です。こんなところでは絶対に会うはずはないのですが、考えてみると彼女の家はそんなに遠くはありませんから、まあいてもおかしくはないのでしょう。でも、驚きましたね。それからは、お互いに最近のことに関しての情報交換に精を出します。世の中、なかなか興味深いことがまだまだあるのだな、という気にさせられましたね。そのあとは、共通の知人の話で盛り上がりました。「〇〇さんが今は△△なんですって!」みたいな。
 気が付いたら、もう店を出ないとそれこそ遅刻してしまいそうな時間になっていたので、あわてて車で練習場に向かいます。その道は、中山から桜ヶ丘まで、かなり急な下り坂が連続しています。そこで、速度計のあたりを見ていると、e-POWERの表示で車輪からバッテリーに向かってどんどん充電されている様子が分かります。下り坂の場合、私の車はブレーキを踏まなくてもアクセルを戻すだけで完全に必要なだけの減速が出来ます。つまり、モーターの回転を遅くしようとしているのに、それ以上の回転数を要求されている状態なので、モーターは逆に発電機になってエネルギーを放出して、その力がブレーキとして働いているのですよ。要は、坂道を転げ落ちる力で発電をしているのですね。その結果、
 「燃費計」はこんな数値を表示するようになりました。ありえない数値ですよね。もちろん、世の中には下り坂ばかりではなくて、それは同時に上り坂にもなっているわけですから、坂を上るときには燃費はガタッと落ちることになりますから、まあそのあたりの平均が最終的な燃費になるのでしょう。実際、北根交差点のあたりになったら、このぐらいに落ちていました。
 この表示は「トリップ・コンピューター」というのだそうです。燃費に関しては「トリップ燃費」と「平均燃費」の2種類が表示されます。これは「トリップ燃費」の方。停止状態の車が走り出してから止まるまでの平均値です。「平均燃費」の方は、リセットするまでそれが積算され続けます。そのほかにも「平均車速」とか「航続可能距離」とか、飛行機みたいな数値も表示されますから、面白いですよ。このペースで走っていれば、残った燃料であと何キロ走れるかが分かる、というものです。最近はそんなに遠出をすることは少なくなりましたから、これが活用できる機会なんかないでしょうけど、なんだかワクワクしてきますね。なんて、まんまとメーカーに乗せられているだけなのかも。この会社のキャッチコピーは「今までなかったワクワクを」ですからね。
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by jurassic_oyaji | 2016-12-28 22:27 | 禁断 | Comments(0)
DURUFLÉ, TAVENER, ELGAR etc/Remembrance
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Jennifer Johnston(MS), Neal Davies(Bar)
Guy Johnston(Vc), Matthew Jorysz(Org)
Graham Ross/
Choir of Clare College, Cambridge
HARMONIA MUNDI/HMU 907654




以前こちらでやはり「Remembrance」というタイトルのアルバムをご紹介したことがありました。その時とまったく同じコンセプトによって作られたのが、今回のアルバムです。
指揮者のグラハム・ロスは、ライナーノーツの中でこの「Remembrance」というタイトルに込められた意味をまず語っています。「Remembrance Day」と言えば、ヨーロッパ諸国では第一次世界大戦を終結させる調印が行われた1918年11月11日(+午前11時)を記念して、現在では第二次世界大戦までも含めた戦争での犠牲者を偲む日のことを指します。そこで、ロスは、さらに普遍的な意味をこの言葉に込めて、音楽によって死者や犠牲者に対する気持ちを表現しようとしていました。そのために、世紀を超えて歌われている、追悼の意味を込めた英語の歌詞の作品を導入部として、第二次世界大戦の最中に作られたデュリュフレの「レクイエム」を演奏しているのです。
ただ、このアルバムのタイトルはあくまで「Remembrance」ですから、その記念日に特定しているわけではなく、例えば最初に歌われる16世紀の聖歌「Call to remembrance」のように、大戦とは無関係な詩編のテキストの作品も含まれているのです。
その記念日は、なぜか日本語では「英霊記念日」という、靖国神社的な世界観に立った言葉に置き換わっています。それで、日本の代理店はこのアルバムに「英霊記念日のための音楽」という「邦題」を付けました。これは、このアルバムのコンセプトを全く理解していない愚かな誤訳としか言いようがないのでは(そんなこと、どうでもいいよう)。
まず、無伴奏で歌われるのが、16世紀ごろに作られたものから現代の作曲家のものまで、すべて英語の歌詞による聖歌です。この合唱団は少年ではなく大人の女声が入っていますが、それぞれの歌詞に込められた深い情感が、とてもよく分かるような歌い方がされています。たとえば、「When David Heard」というトマス・トムキンスの曲で「O my son」と歌う時の女声は、まさに死んだ我が子に対する胸が張り裂けるほどの思いがこもったものでした。
これらの曲の中では最も新しく作られたジョン・タヴナーの「Song for Athene」では、中世を思わせるような平穏なたたずまいの中にふと現れるちょっと刺激的な和声への対応が、とても的確に感じられます。エドワード・エルガーが作った「They are at rest」という曲は初めて聴きましたが、あの「威風堂々」や「愛のあいさつ」のようなノーテンキなところは全く見られない、ほとんど凍りつくような情感は、もしかしたらこの合唱団だからしっかり伝わってきたのかもしれません。
そして、メインの「レクイエム」は第2稿のオルガン版、「Pie Jesu」にはチェロのソロが入るバージョンです。よくあるような、バリトンとメゾ・ソプラノ独唱のパートを団員が一人、あるいはパート全体で歌うことはなく、それぞれにとてもキャラの立ったソリストが起用されています。「Pie Jesu」のジェニファー・ジョンストンは強靭な声で最高音のF♯を朗々と歌い、この作品全体がただの追悼ではないもっと「力」のこもったものであることを強く印象付けてくれます。「Domine Jesu Christe」と「Libera me」でのニール・デイヴィースは、別な意味での雄弁さ、つまり、表情の豊かさを最大限に発揮して、ほとんど「世俗的」ともいえる身近さを感じさせてくれます。
もちろん、最大の功労者は合唱でしょう。それぞれのパートは深みのあるテクスチャーで曲全体を立体的なものに仕上げ、やはり安住しがちな優しさよりは、もっと意志の勝った厳しさを伝えてくれています。時折見せる、パートの人数を減らしてより厳しい表現を持たせているやり方も効果的、「Agnus Dei」の途中でソプラノとアルトが半数ずつ現れるところでは、さらに距離的な演出も含めて驚かせてくれました。だからこそ、最後の最後、「Requiem」というテキストの超ピアニシモが、信じられないほどのインパクトを与えてくれるのです。

CD Artwork © harmonia mundi usa
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by jurassic_oyaji | 2016-12-27 23:20 | 合唱 | Comments(0)
2台並んだところは、写真を撮れませんでした
 新しい新車が届いてから1週間とちょっと、その間に、走っている途中や駐車場では、まず同じ車種、同じカラーの車に出会うことはありませんでした。同じ車種でも、今日になってやっと1台、グレーの車を見かけただけです。そのうち、同じ色もどんどん走るようになるのでしょうから、優越感に浸られるのは今のうちだけなんですけどね。
 でも、カラーに関しては、なんかやたらとブルー系の車が目についてしょうがありません。しかも、ほとんど同じ色合いの車の多いこと。特にT社のAなどは、すれ違ったりすると一瞬同じ車かな、と思ってしまうほど色が似ています。
 ですから、どこかで一緒に並んで色を比べられるところはないかと思っていたのですが、たまたまいつも行くとんかつ屋さんの前を通ったら、その隣のお店の駐車場に、まさに同じ色のAが駐車していましたよ。そこで、すぐ隣に私の車を停めて外から見てみると、これは全く同じ色なのではないか、という気がしました。すぐ隣に並べてもほとんど違いが分からないほどですから、別々に見たらもう同じ色だと思うことは間違いないでしょうね。
これが、カタログの色。
 私の車はこちらです。
 別の光で撮ったものがこれだけ似ているのですから、現物がどれほど似ているかは分かるのではないでしょうか。しかし、このように比べてみると、はっきり違いがあるのはフロントグリルぐらいのもので、その他のデザイは本当によく似てますね。全体の形もそっくりですし、ヘッドランプなんて同じものを使っているのかと思うぐらいです。「流行」というのは分かりますが、逆にそれが「没個性」になってしまうのでは、何にもなりませんね。
 ところでクリスマス、ですね。お茶の間のケーキ密度は最高に高まっていることでしょう。私もケーキは大好きですから、この季節は毎年楽しみです。まずは、きのうランチを食べたところに、期間限定のデザートがあったので、無性に食べたくなりました。「丸ごと林檎」なんて、どうやって食べるのでしょう。
 出てきたのは、こんなのでした。ちょっとソースのかけ方にムラがあるので、写真の「林檎」のイメージとはちょっと違いますね。
 ナイフが付いてきたので、まずそれで切ってみると、中からキャラメルが出てきます。丸ごと焼いたリンゴの中をくりぬいて、そこに細かく切った実とキャラメルを入れたのでしょう。
 なんか、見た目はあまり良くありませんが、あっさりとした味でおいしかったですよ。
 今日も、せっかくなのでまた他のも食べてみようと、セブンイレブンでザッハトルテを買ってきました。
 これは逆に、想像以上に濃厚な味で、思いがけなく贅沢な甘さを堪能できました。
 スーパーでは、クリスマスとお正月のディスプレイが共存してました。明日からは正月商戦まっしぐらです。

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by jurassic_oyaji | 2016-12-25 21:54 | 禁断 | Comments(0)
ORFF/Carmina Burana
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安井陽子(Sop), 松原友(Ten), 小森輝彦(Bar)
山田和樹/
仙台フィル「カルミナ・ブラーナ」合唱団(by 佐々木正利)
NHK仙台少年少女合唱隊(by 原田博之)
Onebitious Records/0008206935.200(2.8MHz DSD)




仙台フィルが「ミュージック・パートナー」の山田和樹を迎えて行った一連のコンサートの中の、今年の10月13日の「カルミナ・ブラーナ」の演奏が、ハイレゾによって配信されていました。「ハイレゾ」とは言っても、使われているレコーダーは民生用のポータブルタイプで、最高位のフォーマットはPCMで24bit/192kHz、DSDで2.8MHzですから、プロ用の機材に比べれば大したことはありません。そこに、ステージ上方の三点吊りにセットした2本のマイクからの信号を入力しています。使用マイクは、おそらくDPAでしょう。
ミキシング用の機材などは全く使わず、レコーダーからヘッドフォンを通してモニターを行うだけで、それを、DSD2.8で録音した(ということになっています)ものをそのままと、PCM24/96に変換したものの2種類がリリースされています。いちおうDSDネイティブの再生ができる環境にあるので、もちろんDSDバージョンを購入です。
そんな、ほとんどアマチュアの「生録」のようなノリで製作が行われている一連の仙台フィルのハイレゾ音源は、今までに昨年の「第9」と、今年の春の第300回定期演奏会のものを聴いたことがありました。それらは、やはりマイクが2本しか使われていないということで、とてもシンプルというか、素人っぽい仕上がりのものだ、という印象が強くありました。何よりも、録音レベルがかなり低く抑えられているので、なんかしょぼい音になっていたんですよね。実は、同じレコーダーを使って、同じ会場で同じようなマイクアレンジでのオーケストラの録音を実際に何度かやったことがあるのですが、やはり一番の問題は録音レベルの設定でした。生のオーケストラのダイナミックレンジはとてつもなく広いものですから、最も強い音の場面でも飽和させないように設定すると、どうしても低めのレベルにせざるを得ません。それも、PCMで録音する場合なら、非常に精度のよいリミッターを作動させて、飽和した部分だけ低めのレベルで録音していたデータに差し替えるということができるのですが、DSDではそのような機能は使えませんから、より低いレベル設定が必須となるはずです。
しかし、今回の「カルミナ」では、そのレベルが格段に高いものとなっていました。何か、録音に際してのノウハウが見つかったのか、あるいは、商業録音ではよくやられているように、DSDを一旦高解像度のPCM(DXD)に変換してさまざまな編集を行った後に、再度DSDに変換したのでしょうか(あるいは、最初から24/192のPCMで録音していたのかも)。いずれにしても、これでようやく「プロが録音した商品」というグレードのものが聴けるようになったのは、うれしいことです。
コンサートの時には、混声合唱はオーケストラの後ろに並んでいますが、このホールはステージが狭く、これだけの人数だとそれ以上の人数が入る場所がないので、児童合唱は下手の花道に配置されています。ソリストは指揮者の脇で歌います。それをワンポイントのマイクで録っているのですが、児童合唱は何の問題もなく聴こえてくるのに、ソリスト、特にバリトンがやけにオフになっています。ソリストだけでもサブ・マイクを使っていれば、さぶ(さぞ)「プロっぽい」録音になっていたことでしょう。
「カルミナ」の演奏は、どの曲にも何かしら新しい発見があるというとても新鮮な息吹が感じられるものでした。特に、既存の合唱団だけではなく、このコンサートのためにオーディション(歌曲をピアノ伴奏つきで1曲歌わされるのだそうです)を勝ち抜いた人までが加わった高スキルのメンバーによる合唱は、単なるテクニックを超越したところでの勝負が見られて、感動的でした。後半になって配置換えを行ったのでしょう、それまでは上手に集まっていた男声パートが、ステージの端から端まで広がって押し寄せてくるさまは、圧巻でしたね。

DSD Artwork © Label Gate Co.,Ltd
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by jurassic_oyaji | 2016-12-24 20:28 | 合唱 | Comments(0)
来年は酉年です
 きのう、家へ帰ろうと車に乗ってスタートボタンを押したら、いつものように「チャラ~ン」となりながらスタート状態にになるという「儀式」が一向に始まりませんでした。もうさまざまな種類の警告灯は点きまくり、バッテリーすらもヤバいという状態です。これは何かの間違いだろうと思って、一旦スイッチを切ってから再度トライをしてみても結果は同じ、そもそもギヤ(セレクター)が作動しなので、どうにもなりません。ただ、ちょっと気になるのが、踏んでいるブレーキペダルの違和感です。いつもはある程度踏み込めるのに、全く動きません。まるで何かロックがかかっているようです。
 ん・・・? ロック?もしかして・・・ハンドルロック?そういえば、前の車でもこんな風になったことがありました。あれはキーを手で回す方式でしたが、それが全然動かなくなっていたんですよね。それを思い出して、スイッチを入れる時にハンドルを少し動かしてみたら、ブレーキペダルも踏めるようになって見事にスタートできました(本当は「エンジンがかかりました」と言いたいところですが、エンジンはまだ回りません)。簡単なことだったんですね。考えてみたら、朝駐車した時に、ちょっとハンドルが真ん中に来てなかったので、少し動かしていました。その時にロックがかかってしまったんでしょう。一時はどうなることかと思って、買ってすぐ故障か、とがっかりしてしまいましたが、そういうわけでした。というか、こういうEVでもちゃんとハンドルロックがかかるようになっていたなんて、知りませんでしたよ。
 ただ、不思議なのは、もう読むのも嫌になりそうなマニュアルが付いてきたのですが、それを我慢して全部読んでみても、どこにもこの「ハンドルロック」、あるいは「ステアリングロック」という言葉が載っていません。ただ、もう1部、「早わかりガイド」という、ダイジェスト版も付いてきたのですが、それには「ガソリン車のみ」ハンドルロックの解除の仕方が書いてありました。つまり、私のようなe-POWERの車ではそもそもハンドルロックは起こらないことになっているのですね。でも、現実にそれが起こっていたのですから、これは問題ですね。今度の点検の時に、追求してみましょう。
 年末の3連休、ロックが解除できた新しい新車で遠出でもしたかったのですが、あいにくこの時期には別の仕事が入っていました。それは、年賀状の印刷です。もう版下はちょっと前に出来ていたので、今日は住所録から年賀状を送る人を抽出する作業と、それを印刷する作業、そして本文の印刷までできればいいなと思っていたら、もうお昼過ぎには私の分はすっかり終わってしまいましたよ。こんなに早く投函できるのは例年にないことでした。それをポストに出すついでに、ちょっと買い物にも行ってみたら、その間にラジオでかかっていたDATE FMでは、なんと「かくだ田園ホール」からの生放送をやっていましたよ。あのホールに放送機材を運びこんで、毎週普通にやっている番組を、MCの本間ちゃんなんかが出演してお客さんの前で放送しているのですよ。ですから、そこに角田の関係者なども出演して、インタビューも受けていましたね。そこで、このホールを使ってのイベントのような話の時に出てきた人が、名前を聞くとどうもこの間の「第9」の時にいろいろ走り回っていた合唱団の方のようでしたね。クラシックだけではなく、幅広いイベントも手掛けているようでした。
 ただ、とても気になったのは、「角田」と言う時には「かくだ」というアクセント(太字)なのに、「かくだ田園ホール」と言う時には「くだでんえんほーる」と、東北人らしからぬところにアクセントを付けていることでした。これは本間ちゃんだけではなく、名護ちゃんあたりもそういうアクセントだったのが、とても意外、こういう風に、同じ言葉が後に着く言葉によってアクセントが変わるということは、あるものなのでしょうか。例えば「東京」だったらどうでしょう。これは多分「とうきょう」でしょうから、「角田方式」に従うと「東京文化会館」は「うきょうぶんかかいかん」になるのでしょうが、そんなことは絶対にありませんからね。
 でもなあ、「仙台」だと、最初の音にアクセントなのに、「仙台市」だと2番目以降の音にアクセントが移るんですよね。でも「仙台ニューフィル」では最初の音だ、と。いずれにしても、そこの最新の「かいほうげん」はきのうのうちにほぼ完成しています。

 これの「角田」の写真集は、すでに公式サイトの「歴史」からこちらにリンクを張ってあります。

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by jurassic_oyaji | 2016-12-23 22:14 | 禁断 | Comments(0)
MOZART/Missa in c
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Sarah Wegener(Sop), Sophie Harmsen(MS)
Colin Balzer(Ten), Felix Rathgeber(Bas)
Frieder Bernius/
Kammerchor Stuttgart
Hofkapelle Stuttgart
CARUS/83.284




12月の初めごろに、ドイツのCARUS出版からモーツァルトの「ハ短調ミサ」の新しい楽譜が刊行されました。それと同時に、その出版社の系列のレーベルから、その楽譜の校訂にもかかわっていたフリーダー・ベルニウスの指揮による録音も発売されています。この出版社は、以前バッハの「ロ短調ミサ」の新しい校訂譜を出版した時にも、同じようなタイアップを行っていましたね。
このCDは、ですからまだ国内で販売されてはいませんし、今のところ発売予定すら伝わっては来ていませんから、楽譜を買うついでにセットで注文してみました。それが、例によって最低ランクの運賃なのにたった1週間でドイツからさっと届いてしまうのですからありがたいものです。
モーツァルトの「ハ短調」は、ご存知のように途中で作曲家が作るのをやめてしまっていますから、フル・ミサの中の「Credo」の後半の「Crucifixus」以降と、最後の「Agnus Dei」は全く作られていません。そして、「Credo」の前半も、合唱による「Credo」とソプラノ・ソロによる「Et incarnatus est」の2曲として声楽パートや低音はほぼ完成されているのですが、その他のオーケストラのパートはまだ書きかけのまま残されてしまっていました(「Sanctus」にも一部欠落があります)。1882年に刊行された旧モーツァルト全集ではそんなスカスカのままの楽譜が出版されていましたが、1983年の新モーツァルト全集では、ヘルムート・エーダーが適宜まだ書かれていないパートを補筆しています。
ただ、当時の慣習では「Credo」では「Gloria」と対になってフル編成を取ることが多いのに、このエーダーの補筆によるオーケストレーションには、「Gloria」で使われていたトランペット、ティンパニ、トロンボーンが欠けていました。ですから、その後の修復版であるモーンダー版やレヴィン版(これは、モーツァルトが作っていない部分も他の作品を流用してフル・ミサを再構築させています)、ケンメ版などでは、それらの楽器がしっかり補われています。

今回の新しい楽譜の校訂には、ベルニウスの他にもう一人、新バッハ全集で「ロ短調」の校訂にあたっていたウーヴェ・ヴォルフも加わっています。ここでも、修復のプランは自筆稿には書かれていない楽器も加える、というものでした。もちろん、その他のパートだけ指定されていて音符が書かれていない部分も埋めることになるのですが、それは全くの「創作」になりますから、今までの修復稿とは全然異なるフレーズが記入されていたりします。
そんなことを総合的に踏まえて今回の楽譜を見てみると、当たり前のことですが、これが「決定的」なものと言うことはできません。どんなに頑張ったとしても、モーツァルトが書いていなかったものを再現するのは不可能なのですからね。あとは、センスの問題になるのでしょうが、「Et incarnatus est」では、ソプラノのソロのバックでヴァイオリンが同じメロディをなぞっているところが随所に見られるというのは、ちょっとダサい気がします。今までのもののようにシンプルに和音の補充だけをしていた方がすっきりするのにな、というのは、もちろん個人的な感想ですが。
このCDでは、最後にボーナス・トラックとして「Credo」の自筆稿の形態がそのまま演奏されています。かつて、「レクイエム」でも同様のことをやっていた人がいましたが、「ハ短調」でそれをやったのはもしかしたらこれが初めてだったのではないでしょうか。実際に元の形を「音」として聴けるというのには、かなりのインパクトがありました。ですから、本編の演奏でも、「Gloria」の最後の「Cum Sancto Spiritu」の壮大な二重フーガが終わった後に、盛大にトランペットとティンパニのリズム隊が聴こえてくると、やはりこれがあるべき姿なのでは、と思ってしまいます。
ベルニウスの手兵である合唱もオーケストラも、極力感情は込めず、この楽譜の目指すところを端正に表現しているのではないでしょうか。

CD Artwork © Carus-Verlag
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by jurassic_oyaji | 2016-12-22 20:21 | 合唱 | Comments(0)
仙台にはない音のいいホールが、名取や多賀城や加美にはあります
 ニューフィルの練習は、きのうが分奏でした。いつもは管楽器は木管と金管が別の会場を使ってそれぞれやるのですが、この日はあいにく会場が取れなかったので、まあ、たまには一緒にやろうか、ということになって、こういう形で行うことにしてあったのです。まあ、何回に一度はこの編成でやる必要はあるのですが、それが会場の都合に左右される、というのは嫌ですね。というのも、最近はこういう施設を使う団体がたくさんいるようになったために、同じ時間に同じ場所を借りたいところが出てきます。うちの市の場合は、それが全部ネットで処理されるようになっていて、毎月抽選でそれが決まることになります。いつも合奏で使っている広いところは、なぜかまず外れることはない(というか、他の団体がエントリーしてこない)のですが、パート練習に使う小さな部屋は、それだけ需要が多いためか、申し込んであってもまずそのうちの半分は「外れ」てしまいますね。
 でも、抽選に落ちても、そのあと「当選」した団体がキャンセルすることがかなりあるので、それを探していけばまず必要な場所は確保できるんですけどね。ただ、それは平日だからであって、休日にはその倍率が跳ね上がりますから、それを取るのは至難の業になってきます。ニューフィルの場合は指揮者練習は大体土日にやっていますから、その会場探しが毎回悩みの種なんですよね。ですから、倍率を少しでも上げるために、これはどこの団体もやっていることなのですが、個人名義でアカウントを取って一斉に申し込む、という手を使ったりします。まあ、それでもなかなか取れないのは、やはり他の団体もそのようにしているので、結局倍率が下がることはないからなのでしょう。とは言っても、何もしなければ絶対に当選は出来ませんから、もういたちごっこですね。
 じつは、私の愚妻も音楽団体に入っていて、この間、その演奏会のための会場取りだけのために、アカウントを取ることを指示されたのだそうです。それで、私もどんなことになるのかその様子を横から見ていました。取ろうとしたのは青文のコンサートホール、エントリーも終わりに近づくころにその予約状況を見てみたら、なんと40倍ぐらいになっていましたね。でも、実際は、締め切り間際になったらそれがついに100倍を超えてしまったのだそうなのです。もちろん、同じ日に使いたい団体がそんなにあるわけがありませんから、これはもうひたすら個人のアカウントからのエントリーのなせる技なのでしょう。結局、愚妻の団体では、誰一人として当選した人はいなかったそうですね。何とも不毛な戦いが、このあたりでは繰り広げられているわけです。
 ネット抽選が導入される前は、たぶん実際に会場まで行って、そこでくじ引きとかやっていたのでしょうね。ネットではそんな大変なことをしなくてもよくなった代わりに、こんなひどい状態になってしまいました。これはもう今のシステムでは避けられない事態ですから、どうしようもありません。困ったものですね。
 今年の練習は、まだあと1回残っています。その時にもう1度「かいほうげん」を発行するつもりで、今その準備の真っ最中です。この間の「角田第9」の様子を、できれば年内に扱っておきたいですからね。その時には、私は降り番がなかったので、別の人に写真を撮ってもらおうとカメラを預けておいたのですが、予想以上に活躍してくれて、いろいろな写真が手に入りました。逆に多すぎてその中から選ぶのが大変だったぐらいですね。
 実はまだ、6ページ分の原稿が届いていないのですが、それは今日中には手に入るはずなのですよ。ですから、それが来たらそれに専念できるように、残りのページを全部作っておきました。そこで、やっぱり最後のページが、かなりスカスカになってしまいそうでした。前回は、そこに職場の紅葉の写真を入れたりして何とか形を整えましたが、今回は何も見つかりません。ですから、今度の初めて本番に使うホールの写真でも入れて、ついでにいろんなデータ、例えば、音響設計はあの永田音響設計がやっていたことなども盛り込もうと思いました。そこで笑ってしまったのが、ホールの収容人員。そこには、「固定席 1279席+スタッキング席48席=1327席」とあるではありませんか。「スタッキング席」って「スタッキング・チェア」のことですよね。こうやって積み上げて(スタック)しまっておくやつ。
 こんなのを堂々と客席に置いて座ってもらう、というホールなんですね。ここは。そういえば、かくだ田園ホールもそうでしたね。

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by jurassic_oyaji | 2016-12-21 21:55 | 禁断 | Comments(0)