おやぢの部屋2
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全曲盤はオリジナルの英語版
 前回のニューフィルのFacebookの「いいね!」の400人目のキリ番は、私の知っている方でした。こんだけ人数が増えてくると、もう私の知り合いの範疇を超えてしまっているので、最近はまず知人にお目にかかることはないのですが、こんなところでお名前を目にするとは。コール青葉の最後の本番、あと1ヶ月ですね。頑張ってください。
 私も、「杜の都 合奏団」のコンサートが、本番の日まで、もう1ヶ月を切ってしまいました。すでに「禁断」ではそのポスターをご紹介してあったのですが、それははるか昔、ほぼ3か月前のことでした。実は、私もいったいいつ出したのかわからなくて、バックナンバーを見直してしまいましたよ。あんまり早く宣伝を始めるとみんな忘れてしまうものなんですね。ですから、ここでもう一回ポスターをアップさせてください。
 前にもちょっと書きましたが、今回は会場が楽楽楽ホールですので、今までのパトナよりかなり広くなっています。ぜひたくさんの人にいらっしゃって欲しいものです。曲目もご覧のように「名曲」が揃っていますから。
 それで、いつものことなのですが、このコンサートのプログラムのための解説文を頼まれています。それも、頼まれたのはだいぶ前のことなのですが、今週あたりからやっと腰を上げて書き始めることにしてみました。暇な時に少しずつ書き溜めて、今の時点でほぼ8割ぐらいは出来上がったでしょうか。一応ゴールは見えてきたので、まずは一安心です。
 でも、私が書くんですから、ありきたりのものにはしたくないというのはいつもまず考えることです。リサーチは徹底的に行いました。序曲の「オベロン」なんかでも、おそらくこれの全曲を聴いた人などはいないだろうという前提で、それなら全曲を聴いてやろうと、まず思いました。そうしたら、いろいろな発見がありましたね。つまり、単にプログラムノーツを書くだけではなく、もっとほかのことにも生かせるような発見がたくさんあった、ということです。その結果、どんな解説を見ても絶対に書いていないネタを披露することが出来そうです。というか、スコアの解説文も含めて、なんていい加減なことがネットにはあふれているなあ、と改めて痛感です。
 ところで、このコンサートのメインはブラームスの1番なんですが、それの第4楽章に「森のくまさん」のテーマが使われていることに最近気が付きました。あの「ソド~シドラ~ソ」という有名なテーマの後半が展開された形なのでしょうが、それが断片的にチラチラ現れていたと思ったら、練習記号の「M」で、いきなり管楽器がトゥッティで「ある~ひ~」とやるんですよね(ヤンソンス/BR響だと11:53付近)。それを受ける弦楽器の「ジャカジャカ、ジャカジャカ、ジャン」というのが、熊さんに驚いて逃げる女の子の様子なんですよ。分かりますか?
 こんな風に、思いもよらないところで似てるものというのはたくさんありますが、指揮者の末廣さんと小林薫さんがよく似てる、というのは、ずっと前から思っていました。その小林さんが出演していたWOWOWのドラマが終わりました。そこでの小林さんも、やはり末廣さんそっくりでしたね。顔だけではなく、ちょっとした仕草までとてもよく似てるんですよ。歩く時の後姿、なんてのもそっくりでした。このドラマでの小林さんはかなり悲惨な役どころでしたが、もっと明るい役で出てくるときでもやっぱり似ていますから、演技に関係なく、本質的に似ているということになりますね。ただ、その証拠に、と思って画像を検索してみたのですけど、どうもスティル写真だとあんまり似てませんね。やっぱりこれは動いているところを見てみないと、その似てる感じは伝わらないのかもしれませんね。
 でも、「森のくまさん」は、全く同じものですから、すぐわかるはず。そういえば、この歌ののカバーでちょっと騒がれた人がいましたが、さっきの「オベロン」を調べている時に、その方のお父さんが書いた文章に遭遇してしまいました。ご存知でしょうが、「レコ芸」にCD評を書かれている方です。
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by jurassic_oyaji | 2017-02-17 21:52 | 禁断 | Comments(0)
BEETHOVEN/Symphony No.6 "Pastorale"
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Bruno Walter/
Columbia Symphony Orchestra
ANALOGUE PRODUCTIONS/CAPC 077 SA(hybrid SACD)



このリマスタリング専門のレーベルは、幅広いジャンルの音源を扱っていますが、クラシックではかつてはLP時代のRCAの音源に特定してリマスタリングを施したLPやSACDをリリースしていたようです。しかし、最新のサイトを見てみたらこんなCBS(アメリカ・コロムビア)の音源がやはりLPとCDで出ていたではありませんか。契約が変わったのかな、と思ったのですが、そもそもこの一連のライセンスは今ではRCAまでその傘下に入れてしまったSONY MUSICから受けていたわけですから、そこにCBSが入っていても全然おかしくはないのでした。すでにジャズではデイヴ・ブルーベックの「Time Out」などもありましたからね。というわけで、名盤の誉れ高いブルーノ・ワルターの1958年録音の「田園」が、とても信頼のおけるSACDとして入手できることになりました。
例によって、ここではオリジナルLPのジャケットがそのまま使われています。「MS 6012」という品番まで同じものが印刷されていますから、まさにこれは「現物」そのもの、現行のCDのジャケット(右)のように、CBSのマークを消して「SONY CLASSICAL」のマークを入れたりはしていません。
品番からわかるように、これはCBSが発売した12番目ステレオのアルバムでした。そのCBSのシンボルである「目玉マーク」も、見慣れたもの(たとえば、日本の「CBSソニー」のマーク)とは微妙に違いますね。それと、「ステレオ」というロゴが大きくフィーチャーされていますが、ここにも後の「360 SOUND」という文字は入っていませんね。これは、やはりSACD本体に忠実に復刻(多少、現在のクレジットも入っていますが)されたレーベル(LPの真ん中の紙の部分)のデザインでも同じことです。ここではステレオの最も初期のデザインである「目玉マーク」が6つあるタイプになっています。「目玉マーク」が後の形になって2つに減り、「360 SOUND」という表記が入るのは、もう少し後のことなのです(たとえば、右の1964年リリースのバーンスタインの「復活」)。
色んな資料を参照してみると、この録音が行われたのは1958年1月13、15、17日の3日間でした。よく言われているように、高齢のワルターを気遣って、セッションを2日続けては行わないという鉄則が守られていたようですね。この一連のワルターのステレオ録音を企画し、録音会場探しからオーケストラのメンバー集めまですべてを仕切ったのが、2014年に84歳で亡くなったジョン・マクルーアだというのはよく知られていますが、録音エンジニアに関しては詳しい資料が残っていないようです。どうやら、CBSのエンジニアではなく、マクルーアが個人的に集めた人たちだったようですね。
演奏に関しては、いまさら何も言う必要もありません。これだけオーケストラを自在に歌わせてスケールの大きな音楽を伝えてくれるものには、なかなかお目にかかれません。
手元にはこの録音のCDはなかったので、同じ頃、1959年に録音されたブラームスの「交響曲第1番」の、マクルーア自身の「リミックス」によるCDを参考のために聴いてみました。それはもう、生々しさから言ったらそのCDとは比較にならないほどで、たった今録音されたばかりのマスターテープを聴いているような気になってしまいます。ただ、そうなると、この録音に使われた「コロムビア交響楽団」の弦楽器の少なさが、もろに分かってしまいます。マクルーアのリミックスでは、もしかしたらそんな「粗」を目立たせないために、あら、わざとぼやけた音にしたのかな?と思えるほどで、弦楽器の少なさはあまり気にならないのですが、今回はそんな「小技」は使わずに、あくまで忠実なリマスタリングを行ったためでしょう。皮肉なものです。
それと、よく言われているこのオーケストラのアンサンブルの悪さも、こんな音で聴くとしっかり分かってしまいます。1楽章で見せてくれた弦と管との絶妙な呼吸が、第3楽章あたりでも実現していればな、と思ってしまいます。

SACD Artwork © Analogue Productions

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by jurassic_oyaji | 2017-02-16 20:17 | Comments(0)
キリ番はだれでしょう
 きのうのニュースで、「内田光子がグラミー賞を受賞」と言ってましたね。そのあとで「クラシックの最優秀ボーカル・アルバム」と付け加えていましたが、てことは、内田光子は歌も歌っていたのでしょうか?いやいや、そんなことはありませんね。この「Best Classical Solo Vocal Album」というカテゴリーで受賞したのは、ソプラノのドロテア・レシュマンがシューマンとベルク歌曲を歌ったアルバム。内田光子はピアノ伴奏として参加していただけです。もちろん、レシュマンの歌を側面から支えたからこそ受賞したのでしょうが、この賞の趣旨としてはあくまで対象は「Solo Vocal」なわけですから、こんなに大騒ぎをするほどのものではないような気がするのですけどね。
 そのグラミー、数年前に五島みどりが受賞した時にはカテゴリーの数は82だったのですが、今回はそれが84になっていましたね。それだけ、新しいジャンルの音楽が出てきた、ということなのでしょうか。まあ「世界最大の音楽賞」とか言ってますが、たしかにカテゴリー数から言ったら、間違いなく「世界最大」でしょうね。
 この「Best Classical Solo Vocal Album」というのは80番目カテゴリーなのですが、その3つ前の77番目には「Best Choral Performance」というのがあって、そこで賞を取ったアルバムはこちらで聴いてました。内容的には空虚なアルバムでしたが、要は売れたかどうかが受賞の基準なのですから、こういうのがアメリカ人は好きなのでしょう。そして、ここでノミネートはされていても受賞は逃したものに私の大好きな「2L」のアルバムが入っていたのには、うれしくなりましたね。こちらの方がペンデレツキよりはずっと中身は充実していると思うのですが、これが「グラミー賞」なのですから、仕方がありません。でも、この「2L」は、他の部門でも結構ノミネートはされているのですね。なんか、うれしくなってしまいます。
 とは言っても、しょせんクラシックの部門はこの賞の中では「ついでに設けた」というイメージは避けられません。そんな結果に一喜一憂して、ここでの受賞アルバムを大々的に売り出そうとしているクラシック・レーベルの姿ほど、哀れなものはありません。
 どんなにあがいても、ニューフィルがグラミーを取ることなどはあり得ないので、こちらは淡々と日頃の活動を積み重ねていくだけです。この間、今度の定期演奏会が行われる地域への宣伝活動の話が出たことを受けて、私は早速その具体的な作業に入りました。とは言っても、実際に手をかけたのはポスターチラシに「名取市文化センターでもチケットを取り扱っています」というシールを貼りつけたことだけですけどね。実は、これは職場で大量に24面のあて名シールがあったので、それを使わせていただきました。そもそもは、郵便物を「ゆうメール」で送るときに、封筒にハンコを押す代わりにシートにコピーして貼り付けるために、ネットで安売りをしていたものを買ってあったのですが、それももう貼付が必要な封筒が残り少なくなったので(これからは、印刷してもらいます)、かなり余ってしまったんですね。ですから、2枚プリントすれば、48枚のシールが出来ますから、ほぼ1袋分のチラシに貼ることができるのですよ。
 あとは、昔多賀城でやった時に、同じように学校に配った案内状が残っていたので、それに手を入れて招待券と一緒に封筒に入れて発送すれば、出来上がりです。ただ、多賀城ではそれをやっても集客は悲惨でしたから、今回もそれほどの効果はないかもしれませんが、まあ、きっと報われることはあるはずですから。
 そういえば、ニューフィルのFacebookページの「いいね!」が、現在399件、あと一人で400になりますよ。
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by jurassic_oyaji | 2017-02-15 22:39 | 禁断 | Comments(2)
SMETANA/Má Vlast
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Jakub Hrůša/
Bamberger Symphoniker
TUDOR/7196(hybrid SACD)



このレーベルから、ジョナサン・ノットの指揮で数多くのSACDをリリースしてきたバンベルク交響楽団ですが、ここではノットではなく(not Nott)ヤクブ・フルシャという人が指揮をしています。2000年からこのオーケストラの首席指揮者・芸術監督を続けていたノットは、2015/2016年のシーズンを最後に、このオーケストラを去りました。現代曲が得意な指揮者という印象があったので最初はミスマッチだと思っていましたが、ちょっと田舎っぽかったこのオーケストラのイメージを一新してくれました。これで、フルシャは創設時の指揮者ヨーゼフ・カイルベルトから、ジェームス・ロッホラン、ホルスト・シュタイン、ジョナサン・ノットを経て5人目の首席指揮者に就任したことになります。
新任のフルシャは、このジャケット写真ではおっさんに見えますが、実際は1981年生まれ、まだ30代半ばですから、指揮者の世界では「若造」です。名前からわかるように、生まれたのはチェコのブルノ、チェコに起源を持つこのオーケストラが、初めてチェコのシェフを迎えたことになります。フルシャは最初はピアノとトロンボーンを学んでいましたが、やがて指揮者に転向、22歳の時にはクロアチアのザグレブで行われた「ロヴロ・フォン・マタチッチ指揮者コンクール」で入賞します。それからは、彼の支援者であった指揮者のビエロフラーヴェクの後押しもあって、チェコ国内のほとんどすべてのオーケストラを指揮する機会を得ることが出来ました。
その後は、イギリスでも活躍、フィルハーモニア管弦楽団やグラインドボーン音楽祭の指揮者を務めます。さらに、ヨーロッパとアメリカの数多くのメジャーなオーケストラと共演しています。日本でも、東京都交響楽団の首席客演指揮者を、2010年から現在まで務めています。
2010年の「プラハの春」のオープニングで演奏を任されたということで、フルシャにとって、スメタナの「我が祖国」は特別な存在となりました。彼がこれを演奏する時にはあるこだわりがあって、コンサートの時のプログラムはこの曲だけで、決してほかの曲と一緒には演奏しないとか、普通は3曲目が終わったあとで休憩が入るものですが、彼は全曲を休まずに一気に演奏するようにしているのだそうです。
今までのノットとの録音同様、これはこのオーケストラの本拠地、コンツェルトハウス・バンベルクのヨーゼフ・カイルベルト・ザールでのセッション録音です。弦楽器の並び方も、ノットの時と同じ対向配置になっていました。この間ブロムシュテットと来日した時にもこの並び方でしたね。1曲目の「ヴィシェフラド」には2台のハープが彩りを添えますが、それがお互いに離れた位置で演奏しているので、スペクタクルな音場が楽しめます。オーケストラの音色はあくまでクリア、SACDで聴くとちょっと線が細くなりますが、繊細の限りを尽くす弦楽器のトィウッティは、やはりノットによって磨き上げられたものなのでしょう。
ですから、今まで聴いてきた「わが祖国」の、いわゆる民族的な泥臭さは、ここからはほとんど漂っては来ません。それよりも、フルシャが一気に最後まで演奏することを主張していたことを裏付けるように、単なる6つの交響詩の集まりではなく、堅固な構成力によって結びつけられた大きな作品としての姿がまざまざと浮かび上がってきます。
この録音は、前半と後半で2度に分けて行われています。1曲目から3曲目まではそれほど求心力は感じられなかったものの、4曲目から最後までの切迫感はかなり激しいものがありました。正直、続けて聴いているとこのあたりで退屈してしまうものが、ここまで魅力的に迫ってくるのを感じたのは、多分初めての体験です。
ブックレットには最新のベーレンライター・プラハ版の楽譜を使用したとありますが、その版で特徴的な「ヴルタヴァ」での1オクターブ高いピッコロは、ここでは演奏されていないようでした。

SACD Artwork © Tudor Recording AG

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by jurassic_oyaji | 2017-02-14 22:16 | オーケストラ | Comments(0)
「新世界」2楽章の木管コラールにはブレスが入ります
 先月の末から、毎週週末にはコンサートに行くということが3回続いてしまいました。まずは東京の新国で「カルメン」、次は楽楽楽ホールで「仙唱」、そしておとといはパトナホールで「オペ協」でした。オペ協って・・・。とりあえずみんなに合わせて4音節で略してしまいましたが、本当は「仙台オペラ協会」のことですね。
 会場に入ったら、いつも使っているこのホールの反響版が、真っ白い布に覆われていましたよ。前からこうでしたっけ?その下にはなんとも乙女チックなカーテンまでかかって、ステージにはおしゃれな生花スタンド、やはり「オペラ」だけあって夢のある演出ですね。
 ところが、客電が落ちて暗くなったら、その白い布の上にピンクに囲まれたハートが浮かび上がりました。そう言えば、このコンサートのタイトルは「ヴァレンタイン・コンサート」でしたね。オペラ協会の皆さんが、それぞれ親しみのある歌を歌う、というコンサートです。ニューフィルでご一緒した方もいましたね。これが、前の週に聴いたホールとは全然音が違うんですよ。ソリストだけではなく合唱の皆さんも、それぞれまるでマイクを付けているようにはっきりと声が聴こえてくるんですね。これがホールの音響というやつなんですね。それが、前の週の楽楽楽には全くありませんでした。もっと言うと、イズミティでは大ホールも小ホールも、そんなものは一切ありません。ですから、今度ドイツのちゃんとしたオーケストラが仙台にやってくるのですが、会場がここだと聞いて行くのをやめましたからね。あんなところで聴くぐらいなら、東京まで行った方がましです。
 そして、「オペ協」の次の日には、ニューフィルの最初の指揮者練習です。こちらの会場は、青年文化センターのシアターホール。ここはだいぶ前に使ったことがありましたが、やはりそんなに響くホールではなかったような印象がありますから、ちょっと不安です。私にしては珍しく、最初の練習からレコーダーを持ち込んで生録もやってみるつもりですから、できればいい音で録りたいのに。
 でも、練習が始まると、ここも十分に豊かな響きのホールだったことが分かりました。少なくとも楽楽楽よりはずっと響きます。指揮者の田中さんはいつものように伸び伸びとやらせてくれますから、なおさらリラックスして吹くことが出来ましたね。あとで録音を聴いてみたら、やはりとても素敵な音で録音されていました。
 実は、この日は練習以外にいろんな仕事を抱えていました。まずは「かいほうげん」の配達。ステージのセッティングが終わって譜面台を立て終わったところで、その上に置いておきます。それから、この間袋に詰めたチラシとポスターも、こちらに運んであったので、それをステージの前に持ってきて、担当の人たちにそれぞれの配布先を書いた紙を配ります。そこで、「私、別のところも行けます」みたいな人も出てきたので、そのあたりも調整、これで、市内の市民センターにはもれなく行き渡ることになりました。
 そうしたら、「名取市内の中学校に配ったらどうでしょう」という人も現れました。現場の先生だった方ですので、その辺の事情に詳しいのでしょう、私も漠然と考えていたことを、「市内には5つの中学校があります」とまで言ってくれたので、さっそくその計画を採用させていただくことにしました。結局、中学校だけではなく高校にも配ったら、ということになって、次の日には「名取バージョン」のシールづくりに励むことになります。演奏も、ただの「名曲集」には終わらないぐらいの気迫で臨んでいますし、これだけの広報の力があれば、きっとお客さんもたくさん集まることでしょう。
 練習の後は、恒例の指揮者を囲んでの飲み会。いつものところで、私は「辛口ジンジャエール」飲み放題コースです。田中さんの、まさにこの世界で長く生きてきた方にしかわからないような「秘話」は、面白かったですね。というわけで、夕べは遅かったので「禁断」は今日にシフトです。別に、それで気をもむような人はいないでしょうから。休みがあると、こういう時楽ですね。
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by jurassic_oyaji | 2017-02-13 20:46 | 禁断 | Comments(0)
KANNO/Symphony No.1 "The Border"
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藤岡幸夫/
関西フィルハーモニー管弦楽団
DENON/COGQ-103(hybrid SACD)


菅野祐悟さんといえば、映画やドラマの音楽ではおそらく今一番良い仕事をしている作曲家だとゆうごとが出来るのではないでしょうか。「MOZU」の音楽を聴いたときには、圧倒されてしまいました。そんなに大げさなしぐさではないのに、一瞬ですべての世界を変えられるような力を持っている人だな、と思いましたね。それと同時に、決して音楽がでしゃばらないという点を非常にわきまえているのだ、とも感じました。ですから、おそらく最新作であろう「東京タラレバ娘」の音楽を彼が担当しているのは知っていたのに、最初の数回分はそれが全く聴こえてきませんでした。最近ではやっと聴こえてくるようになりましたが、それ自体は非常にシンプルなのに、それだけで全体の雰囲気を作り出しているんですよね。たしか、武満徹もそんな映画音楽を作りたい、みたいなことを言っていたのではないでしょうか。
そんな菅野さんの初めての「交響曲」、全体は古典的な「交響曲」そのままのフォルムを持っていました。そしてその4つの楽章も、かっちりと作り上げられた堂々たる第1楽章、少し軽妙な第2楽章、ゆったりとして抒情的な第3楽章、そして圧倒的な迫力で締めくくるフィナーレいう、まさに「交響曲」のパーツとしての性格を持っています。しかも、第1楽章などは紛れもない「ソナタ形式」で作られていますから、これは次第にその本来の枠を超えて肥大化してしまい、最近ではペンデレツキのようにいったいどこが「交響曲」なんだ、と思えるようなものまでが作られるようになってしまった「交響曲」の世界では、きっちりとそのあるべきフォーマットを押さえているという、まさに「交響曲」の原点に帰ったものとなっているのです。
そのように外枠を決めてしまえば、あとは稀代のメロディ・メーカーでもあり、卓越したオーケストレーターでもある菅野さんにとっては、現代人の耳にとっても十分なインパクトを与える「交響曲」を作り上げることなど、たやすいことだったのではないでしょうか。
ドラマ音楽のクライアントは様々なことを要求してきますから、それに応えるための引き出しを菅野さんはたくさん持っていることは容易に想像できます。その中には、単に美しく響く曲調だけではなく、今では見捨てられてしまった前衛的な作曲技法とか、もちろん、ジャズやラテン音楽といった「非クラシック」のジャンルの音楽も含まれていることでしょう。この「交響曲」を作るにあたっては、菅野さんはそんな「素材」を惜しげもなくひっぱり出してきて、作品全体に深みを持たせています。
菅野さん自身は、タイトルの「Border」の意味を「意識と無意識の境界線」という難解な言葉で語っていますが、もしかしたら音楽的にはクラシック的な要素と、それ以外、例えば頻出する「無調」や「ジャジー」、あるいは「ミニマル」といった要素との境界を意味しているのでは、とも思えるのですが、どうでしょう?いずれにしても、これは、まさにそんなさまざまな要素が混在している「現代」でなければ作ることのできない、紛れもないマスターワークです。
ブックレットでは、あの前島秀国さんが、詳細な「楽曲解説」を著しています(ここでも、先ほどいくつかのタームをその中から引用させていただいています)。その的確な解説は、間違いなくこの作品を正当に鑑賞する際の指針となることでしょう。今ではあまり見ることのなくなった「〇小節からの第1主題は・・・」みたいな表現も、なにか懐かしさを感じます。ただ、ここまで書くのなら、音楽の時系列を「小節」ではなく「〇分○秒」で表示してほしかったように思います。これはマンフレート・ホーネックなども、自分の録音を解説する時に使っている手法。なんせ、聴いている人はスコアは持っていないのですからね。これだと、単に「おれはスコアも読めるんだぞ」という自慢に見えてしまいますし(笑)。

SACD Artwork © Nippon Columbia Co., Ltd.

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by jurassic_oyaji | 2017-02-11 20:51 | 現代音楽 | Comments(0)
オペラシティは新国の隣
 今日は10日、ということは、市民センターなどの予約で、抽選に漏れたところにリベンジできるようになる日です。何のことだか、とお思いでしょうが、普段の練習などに市の施設を使うためには、ネットで予約が必要で、その応募が複数あれば当然そこで抽選が行われることになります。2か月先の予約の抽選結果が、毎月2日に発表になるんですよね。そこで当選したところは、それぞれ意志表示をして予約が確定することになるのですが、中には他と二股をかけて予約している人もいますから、両方とも当選したので要らなくなったものは先着順に取ることができるようになります。その申し込みが始まるのが毎月10日なんですよ。
 実は、ニューフィルの場合、その2か月先の予約で、落選してしまったものが2件ありました。まあ、それは練習に使うのではなく、ちょっとした仕事のために小さい部屋を借りる、というだけですので、最悪取れなくても別な日を探せばいいのですが、もしかしたらそんな放出物件になっていないかと思って、チェックしてみました。そうしたら、見事にそこは2日とも丸一日空っぽ、つまり、どの時間帯でも取れるようになっていましたよ。私もアカウントを持っているので、自分でそのまま予約も出来たのですが、ここは一応役割があるので、その担当者に「空いてますよ」とメールをしました。それを送信したのが、13:53。そうしたら、14:05に「取れました」というメールが来ました。よかったですね。でも、これで大丈夫、と時間を見たら、一つが朝の9時からとなっていました。私の感じではその日はお昼頃かな、と思っていたので、念のためその予約サイトに行ってみたら、9時から午後2時までの時間帯が埋まっているではありませんか。9時からというのが、うちでとったものですから、それを取る前に10時から午後2時までがすでにほかの団体に取られてしまっていたんですね。ですから、私がメールを出してほんの数分の間に、同じ場所取った人がいたということですね。なんという偶然でしょう。というか、9時から10時の間だけでも残しておいてくれてよかったですね。
 でも、この日は私も当番になっているので、お昼頃だったらそのまま別のところに練習に行けばいいのですが、これだとこの仕事をした後、一旦家に帰らないといけませんね。仕方がありません。
 そんなニューフィルの仕事の一つ、新しい「かいほうげん」も、無事に出来上がりました。今回は私が書いたものが6ページ分あって、それの校正にかなり時間を取られてしまいましたね。というか、印刷間際になってレイアウトをすっかり変えたくなったりして、もう大変でした。そのどさくさで、画像が入れ替わっていたことに印刷する時に気が付いて、またまたあわててしまいました。
 結局、印刷は予定通りに今日の午前中に全部終わったのですが、なんか心に引っ掛かるところがあったんですよね。もしかして、と、それに関することを調べてみたら、やはり私は間違ったことを書いていたことが分かってしまいました。いや、頭の中ではその概要はしっかり把握していたはずなのに、楽譜を見た時に別のことだと勘違いしてしまったんですよね。なんと恥ずかしい。でも、いまさら印刷しなおすなんてできませんから、ここは黙ってそのまま見ていただくしかありませんね。おそらく、途中で面倒くさくなってしまってそこのところまできちんと読んでもらえるかどうかも分かりませんから。
 でも、ペーパー版は仕方ないとしても、ネットにアップするのはきちんと直しておきたいので、それは正しいものに差し替えたPDFをすでにアップしてあります。興味があればこちらをごらんになってみてください。もちろん、こちらは直した方ですから、どこが間違っていたかなんてわかりませんね。みんなに配るのはあさっての指揮練の時になります。それを見れば、なんて馬鹿な間違いをしたのか、分かってしまいますけどね。
 実は、「かいほうげん」全体もすでにこちらにアップしてあります(こちらは要認証)。表紙に乗せた写真が、これ。

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by jurassic_oyaji | 2017-02-10 21:05 | 禁断 | Comments(0)
GRIEG/Piano Concerto etc.
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Alexey Zuev(Pf)
Kenneth Montgomery/
Orchestra of the 18th Century
NIFC/NIFCCD 106


10年前に聴いた同じレーベルのダン・タイソンのアルバムでは、ショパンのピアノ協奏曲をピリオド楽器で演奏していました。もちろん、オーケストラだけではなくソロ・ピアノもショパンと同時代のエラールの楽器が使われていました。魚類ではありません(それは「鰓、ある」)。オーケストラはフランス・ブリュッヘンの指揮による18世紀オーケストラでしたね。そして、今回のアルバムでは、ショパンより30年以上後に生まれたノルウェーの作曲家、エドヴァルド・グリーグのピアノ協奏曲が、同じオーケストラ、そして全く同じピアノによって演奏されています。
ただ、オーケストラは一緒でも、その創設者だったブリュッヘンは2014年に亡くなってしまいましたから、ここではイギリスの中堅指揮者ケネス・モンゴメリーが指揮をしています。というか、ブリュッヘンが亡くなったのが8月13日ですが、このライブ録音が行われたコンサートは同じ年の8月29日に開催されていますから、もしかしたら急遽代役を頼まれていたのかもしれませんね。しかし、このオーケストラは、ブリュッヘンがいなくなった後も活発に演奏活動を続けているようですから、頑張ってほしいものです。カリスマ指揮者を失ったオーケストラの悲劇は、古くはトスカニーニのNBC交響楽団などの例もありますからね。
ブックレットにはオーケストラのメンバーが記載されていますが、それによると弦楽器の編成は7.8.5.4.2と、現在普通に演奏される時のほぼ半分の人数です。なぜか、セカンド・ヴァイオリンの方がファースト・ヴァイオリンより多いというのが、面白いですね。
演奏が始まると、いかにもピリオドっぽい音色のティンパニのロールに続いて、あのピアノのファンファーレが鳴り響きますが、そこでちょっと今までになかった体験を味わいました。その4オクターブに渡るユニゾンのフレーズが、ひと塊ではなく、それぞれ別のパートとして聴こえてきたのです。それはあたかも、1台の楽器ではなく、いくつもの楽器によるアンサンブルのようでした。現代の楽器は何よりも低音から高音までのキャラクターが均一になるように作られていますから、そんなことはまず感じないのですが、このエラールでは、高音、中音、低音がそれぞれ全く異なった音色と、もしかしたら異なったテクスチャーを持っているので、このようなことが起こるのでしょう。もちろん、それは「欠点」などではなく、エラールが持っていた愛すべき特徴なのではないでしょうか。
ロシアの俊英ズーエフは、そんな楽器を慈しむように、細やかな表情を繰り出しています。その鄙びた音色とも相まって、そこからはとてもローカル色の濃い音楽が漂っています。オーケストラも、先ほどのような少なめの弦楽器が、ガット弦の柔らかい音色でしっとりと迫ります。そして、管楽器の扱いでも、第3楽章でフルート・ソロがテーマを奏でるところなどは今までとは全然様相が変わってしまっています。そのフルートは、いとものどかな音色で合奏の中に溶け込んでいて、普通に聴かれる堂々とした存在感などは全くありません。確かに、このころすでにベームの新しい楽器は世の中にはありましたが、それが北欧のオーケストラにまで使われるほどには浸透していなかったはずですから、これがグリーグの考えたバランスだったのでしょう。
CDの後半では、ズーエフのソロで「抒情小曲集」から何曲かと、「バラードト短調」が演奏されています。その「バラード」だけ、エラールではなく同じ時代に作られたプレイエルの楽器が使われています。これは、それまで聴いていたものとは全然違う音でした。録音会場も時期も一緒ですから、その違いはそのまま楽器の違いなのでしょう。やはりこの時代は、メーカーによって明らかに求めていた音が異なっていたのですね。それに比べたら、現代のピアノは個性なんか全くなくなってしまっています。

CD Artwork © Narodowy Instytut Fryderyka Chopina

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by jurassic_oyaji | 2017-02-09 20:28 | Comments(0)
ニコレは真ん中
 夕べのニューフィルのパート練習が終わって帰る時には、すごく寒かったですね。案の定、今朝起きて外を見てみたら、結構な雪が積もっていましたね。これは長靴の出番かな、と思って長靴を履いて表に出ると、駐車場では車の通ったところはアスファルトが見えてるではありませんか。あわてて家に戻って普通の靴に履き替えます。職場の広い駐車場はまだ車が通っていないので雪はしっかり積もっていましたが、別に雪かきもしなくてもすぐに融けてしまいましたね。もう今年は雪かきはしなくても済むかもしれません(なんて言うと、思いがけずドカ雪が降ったりします)。せっかくの新しい新車も、本当の雪道ではどうなのかというのも、来シーズンまで分からないのでしょうか。
 その新車、発売された11月には、ついに月間販売台数が1位になったというのはお伝えしてありましたが、12月には僅差で(ほんとに僅差、373台差)プリウスに負けてしまいました。しかし、今年の1月には再度首位を奪還していましたね。しかも、2位も同じメーカーの車で、プリウスは3位でした。その差は2934台、大きく引き離していますね。だいたい、新しいプリウスのデザインは私だったら絶対に買いたいとは思わないひどいものですからね。あの、やたらとげとげしいフォルムを好きになれるのは、暴走族だけなんじゃないですか。
 いやいや、そんな外見だけで他人(他車)を判断しては行けません。きのうの「おやぢ」で取り上げたフルーティストの方だって、正直ジャケットを見た時には絶対に友達にはなりたくないな、と思ってしまいましたけど、そんな外観を見事に裏切ってくれた素晴らしい音を聴かせてくれていましたからね。
 このメーク、というか、レースかなんかをかぶっているのでしょうか、最初はタトゥーを入れているのかと思ってしまいましたよ。ただ、それ以外にも演奏するうえでちょっとユニークなところはありました。この写真でも分かりますが、フルートに息を入れるための穴が、自分の顔の右側に開いていますね。
 この写真だともっとはっきり分かるのですが、鼻と唇の間にある「人中」という溝が、左に寄っています。つまり、唇の右半分が真ん中付近に移動してきて、そこに穴が出来ているのです。実は、どんな教則本を見ても、「フルートは唇の真ん中で吹きなさい」と書いてあるのですが、そんな吹き方をしている人はそんなに多くありません。例えばランパルなどは左側で吹いていますからね。
 ですから、左で吹けるのなら、右で吹くのも同じことだと思うかもしれませんが、「左」の人はたくさんいるのに(あのゴールウェイも「左」です)「右」の人は殆ど見当たりません。私は、何人かのフルーティストは知っていますが、それは殆どトラヴェルソの奏者、モダンフルーティストのCDのジャケットでこれだけはっきり「右」の人を見たのは殆ど初めてです。実際は、この楽器は右側に構えるので、「右」で吹くと右手が曲がってしまってちょっと窮屈になってしまうのかもしれませんね。ゴールウェイのマスタークラスに行った時には、彼は「右腕を伸ばして、唇の左から息を出すように構えろ」と言っていたぐらいですから。ただ、その時に、通訳をしていた日本のフルーティストが「それは個人差がありますから」とフォローしていましたけどね。
 実は、私も最初は「右」でした。しかし、初めて本格的な先生のレッスンを受けた時に、「それだと将来苦労するかもしれないね」と言われてしまったので、必死になって「左」に直したんですよね。次の週に「左」で吹いたら、その先生はびっくりしていましたけど。ただ、長いことフルートを吹いているうちに、やはり私の本来のポジションは左ではないような気がしてきました。それで、最近は穴は左ですが、それを真ん中に持ってきて吹くようにしています。それだとかなり安定した音が出るようになっているので、どうやらそこが私にとってのベストポジションなのでしょうね。でも、まだまだ奥は深いものがあります。
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by jurassic_oyaji | 2017-02-08 21:46 | 禁断 | Comments(0)
WAJNBERG/Works for Flute
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Antonina Styczeń(Fl)
Zuzanna Federowicz(Hp)
Paweł Czarny(Va)
Wojciech Rajski/
Polish Chamber Philharmonic Orchestra Sopot
TACET/232


1991年に生まれ、ジャック・ゾーンなどに師事したという、ポーランドのフルーティスト、アントニーナ・スティチェンのソロ・アルバム、名前すら知りませんでしたから、もちろん彼女の演奏はここで初めて聴くことになります。でも、音を聴く前に、このジャケットの写真でインパクトを与えられてしまいました。彼女の横に本物の馬が顔を摺り寄せていますね。なんでも、彼女はフルート以外にも乗馬でチャンピオンを目指しているのだそうです。
彼女の音は、とても素晴らしいものでした。高音は伸びがあって、キラキラ輝いています。そして、低音が、それほどパワーはないのですがその代りとても繊細な音色の変化が出せています。こういう、ただ弱いだけではない、しっかりと芯がある中で倍音を無くしてピアノの音色を出すという技は彼女の最大の「武器」になるはずです。
ここで演奏されているのは、1919年にポーランドに生まれ、当時のソ連に亡命してソ連の作曲家として一生を終えたヴァインベルクのフルート作品です。2曲の協奏曲は、こちらで聴いていましたが、それ以外の「フルートと弦楽オーケストラのための12のミニアチュール」と、「フルート、ヴィオラ、ハープのためのソナタ」は今回初めて聴きました。
最も若いころ、1945年に、フルートとピアノのために作られた「ミニアチュール」は、その名の通り1分ほどの小品を12曲集めた曲集です。一夜の過ちではありません(それは「アヴァンチュール」)。1983年にピアノ伴奏を弦楽オーケストラに編曲したバージョンが、ここでは演奏されています。それぞれの曲はしっとりと歌うものから超絶技巧を誇示するものまでそれぞれ特徴を持っています。また、1曲目の「Improvisation」はずっとフルートだけで演奏されていたものが、最後だけ伴奏が付いて一緒に終わるようになっていますし、7曲目の「Öde」では逆にずっと伴奏だけで、最後にフルートが一吹き、というちょっとユーモラスなところも見せています。8曲目の「Duett」で聴くことのできる彼女の低音のピアニシモは絶品ですよ。全体に新古典派風の作り方ですが、なにかアイロニカルな側面が顔をのぞかせています。
1961年に、親交のあったルドルフ・バルシャイが指揮をしていたモスクワ室内管弦楽団のフルート奏者、アレクサンドル・コルニエフのために作られたのが、「フルート協奏曲第1番」です。ここでのオーケストラは弦楽器だけの編成です。全体にプロコフィエフによく似たテイストを持っていますが、もう少し親しみやすい感じでしょうか。第1楽章の軽やかなテーマはドップラーの「ハンガリー田園幻想曲」の最後に出てくるテーマととてもよく似ています。第2楽章でのスティチェンのピアノの低音も素敵ですが、この楽章はもっと歌ってほしいような気もします。最後の楽章は陰のあるワルツで、ヴァイオリンソロとの掛け合いがスリリングです。
もう一つのフルート協奏曲は作曲家の晩年、1987年にやはりコルニエフのために作ったものです。作風は前の協奏曲とは大きく変わり、不思議な浮遊感が漂っています。最後の楽章に唐突にグルックの「精霊の踊り」とバッハの「バディネリ」が引用されているのは、友人だったショスタコーヴィチの影響でしょうか。
もう一つ、1979年に作られたのが、「フルート、ヴィオラ、ハープのためのトリオ」です。この楽器の組み合わせはドビュッシーの「ソナタ」と同じ。武満の前に、この編成で曲を作っている人がいたんですね。この曲もやはり3つの楽章から出来ていて、最初の楽章ではドビュッシーからの引用が見られますが、なんともダークな雰囲気に支配されています。真ん中の楽章で使われているフラッター・タンギングは、その不気味さを助長しています。
このレーベルは録音の良さでは定評がありますが、これは普通のCD。やはり、いつものBD-Aだったら、弦楽器がもっと柔らかく聴こえただろうに、と思ってしまいます。

CD Artwork © TACET

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by jurassic_oyaji | 2017-02-07 22:57 | フルート | Comments(0)