おやぢの部屋2
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チャーハンも絶品でした
 お約束通り、きのうは名取に行ってきました。その日には長町の楽楽楽ホールに知り合いの合唱団のコンサートを聴きに行く予定があったので、そこまで行くのならちょっと足を延ばして、しばらく行っていなかった名取のイオンでお昼でも食べて来ましょう。なんせ、私は、そこが出来たばかりの、まだ「エアリ」とか呼ばれていたころに1回行っただけですからね。
 相変わらず、広すぎる駐車場に迷いそうになりながら、レストラン街に行ってみたら、昔行った時にとてもまずいステーキが出てきたステーキ屋さんはまだやっていました。そこはパスするとして、今度はここでどこに入ろうか迷ってしまいましたね。結局、愚妻のお勧めで中華の「紅虎」に入ってみます。
 私は青椒肉絲を食べてみました。いつも「とらの子」で食べなれた料理ですが、それと比べてみるつもりでした。そうしたら、それはまさに「とらの子」とまったくおなじ味でした。肉や野菜の切り方もそっくりでしたね。こうなると、他の料理も食べてみたくなります。ニューフィルの本番の時のお弁当は、ここから取りましょう。
 それから、文化会館に向かいます。前もって電話をして、必要な書類は揃えていったので、すんなり受け取ってもらえました。さらに、ネットで調べておいた「市民活動支援サンター」というところにも行ってみました。そこにもチラシやポスターを置いてもらいに行ったのです。ただ、ここは名取の「市民活動」を「支援」する施設なのでしょうから、仙台の市民の活動までは支援してくれるかどうかは分かりません。まあ、一応名取市の後援もいただいているので、そこを押していけば何とかなるだろうと思いますが。
 入ってすぐのところに事務所があったので、そこでお願いすると、職員のおばさんは快く引き受けてくれました。チラシを見せると、「わあ、素敵ですね!」なんて言ってくれましたよ。私が「有名な曲ばかりなので、みなさんに聴きに来ていただきたいんです」と言うと、「本当ですねえ」と相槌を打ってくれて、「心がやすまりますものねえ」なんてうっとりしてました。もちろん、持って行ったのは「名取バージョン」のチラシ(↓)です。
 「こんなに手をかけていただいて」などと言ってくれましたが、別にそれほどのことではありませんし。でも、これだったら間違いなくここに置いてくれることでしょう。それで、文化会館に置いてきたチケットが売れるといいんですけどね。「足らなくなったら、いくらでも追加しますから」と言ってきましたから、そんなことが実際に起こるといいですね。
 それから、楽楽楽ホールでコンサートを聴いたのですが、このホールは響かないですね。今度の「杜の都合」はここで本番なんですが、今まで使っていたパトナに比べたらもう雲泥の差。ちょっと今回は苦戦しそうですね。
 そして、今日は朝のうちから、そのホールと同じ建物の中にある展示ホールで「杜の都合」の3回目の練習です。ブラームスだけ集中しての練習でしたが、だいぶ方向性がまとまって来たのではないでしょうか。
 実は、今日は6月に新国立劇場で上演される「ジークフリート」の「ゲスト会員」のための先行発売の日でした。私は、この間ネットで買ったので、いつの間にかその会員になっていたんですね。ただ、本当はその上に、ちゃんと年会費を払う「アトレ会員」というのがいて、その人たちはすでに昨日から受付が始まっていたそうです。それでも、一般の人よりは早めに買えるので、本当は朝早くから挑戦したかったのですが、まさか練習中に取るわけにはいきませんから、それが終わって帰ってきてからPCを開けてみると、私が行く予定をしていた日の分は、もうB席はすべてなくなっていましたよ。A席もなんだかなあ、というところしか残っていなくて、それならS席を買ってしまおうと、なんとかいい席を取ることが出来ましたよ。朝一だったら、もうちょっと安くていい席があったのでしょうかね。でも、先行でこれだけなくなっていたのでは、一般の人は殆どまともな席は手に入らないでしょうね。恐ろしいことが起こっていたのでした。いずれにしても、この日は2時から始まっても終わるのは8時ですから、最終の新幹線で帰ってこなければ。
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by jurassic_oyaji | 2017-02-05 20:42 | 禁断 | Comments(0)
STRAUSS/Elektra, Der Rosenkavalier(Suites)
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Manfred Honeck/
Pittsburgh Symphony Orchestra
REFERENCE/FR-722SACD(hybrid SACD)



ホーネックとピッツバーグ交響楽団とのこのレーベルでのデビューアルバムが、たしかシュトラウスの交響詩だったのではないでしょうか。それから多くの作曲家の曲を録音してきて、おそらく6枚目となるこのアルバムでまたシュトラウスに帰ってきました。あ、もちろん「ヨハン」ではなく「リヒャルト」の方ですからね。
ただ、今回は交響詩ではなく、オペラの中の曲を集めた「組曲」でした。しかし、「ばらの騎士」の方は普通に使われるアルトゥール・ロジンスキの編曲ですが、「エレクトラ」の方は新たにホーネック自身が構成を考えて、トマーシュ・イレという作曲家が実際に編曲したという、これまでもヤナーチェクの「イェヌーファ」やドヴォルジャークの「ルサルカ」でとったのと同じ手法による組曲です。ですから、これは初めて録音されたものになるのでしょう。
「エレクトラ」についてのホーネックの思い入れは、かなりなものがあるようです。彼が初めてこのオペラを体験したのは、まだウィーン・フィルの団員だった頃にクラウディオ・アバドの指揮で演奏した時のことだったそうです。その時のオーケストラのサウンドには圧倒されてしまい、まるでこのオペラの主人公はオーケストラのようだと感じたのです。そして、なぜ、今までこれをオーケストラの曲に編曲した人がいないのか、とても不思議だったそうです。たしかに、ここでのオーケストラは多くの楽器が加わって人数もかなり多くなっていますから、それはかなり困難を伴うことなのでしょうが、いつかはそれを演奏してみたい、とずっと思っていたのでしょうね。そんな長年の夢が、ここでかなうことになりました。
出来上がったオーケストラ曲は、オリジナルのオペラとは全く異なった様相を見せていました。そもそも、オペラでは冒頭に1度だけ奏される印象的なアガメムノンのテーマ(「ボルガの舟歌」に似てませんか?)は、このホーネック版では2回繰り返されているのですからね。
オペラではどうしても耳に入るのは歌手たちの歌う声、「エレクトラ」の場合、それはあまりリリカルなものではなく、正直聴いて魅力を感じるようなものではありません。でも、それを取り去ってオーケストラだけになると、そこには様々なテーマ有機的に結びついて、なんとも雄弁に物語を綴っていました。ですから、これを聴くと、まるで最初からシュトラウスが「交響詩」として作ったのではないか、と思わせられてしまうほどです。
演奏も、とても緊張感があふれる素晴らしものでした。何よりも聴きごたえがあるのが、本当に小さな音で不気味な雰囲気を醸し出している部分です。これだけやってしまうと、歌がなくても完全に音楽として成立しているのではないでしょうか。いや、もしかしたら、へたに歌を入れるよりこちらの方がコンパクトに「エレクトラ」の世界が味わえるのかもしれません。
「ばらの騎士」の方は、そもそもの音楽の作られ方が「エレクトラ」とは異なっていますから、この組曲からはきっちりとオペラの世界が広がってきます。そうなると、もろにこのオペラに必要なセンスというか、「色気」のようなものが求められるのですが、この演奏ではそれがちょっと欠けているような気がしてなりません。「銀のばらのモティーフ」は録音のバランスもあるのでしょうが、絶対に聴こえて欲しいチェレスタのきらめきが全く感じられません。そして、「オックス男爵のワルツ」も、何とも鈍重なリズム感に支配されています。このあたりが、アメリカのオーケストラの苦手なところなのかもしれませんね。
録音そのものは、いつものようにとても生々しい音で、パワーも繊細さもきちんと感じられるのですから、やはりオーケストラのセンスにちょっと難があった、ということなのでしょう。こればっかりは、いくらホーネックがを折ってもどうなるものではなかったのかもしれません。

SACD Artwork © Reference Recordings

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by jurassic_oyaji | 2017-02-04 20:45 | オーケストラ | Comments(0)
チケットの手数料は10パーセント
 あっという間に1週間が終わったような気がします。なんだか今週は毎日仕事づくめだったような。いや、職場の仕事は雪かきにかなり時間を取られるようなことがありましたが、まあ、それは通常業務の範疇ですから何でもありません。「仕事」というのは、ニューフィル関係の雑務です。
 まずは、今度の演奏会のための、フリーペーパーなどに届ける企画書を、少し早目に作っておきました。締め切りの関係で、たとえば「りらく」なんかでは、チケットプレゼントの告知が出ても、それが本番までにあまり余裕がないので「申し込みはお早めに」というような扱いになっていたのですね。そうならないで、余裕をもって対応できるように、もうチラシが印刷できたらすぐにでも送れるように用意しておいたのです。
 そうしたら、月曜日になって、今度の演奏会場でもチケットを預かったくれそうだ、という情報が入りました。それまでは置いてはくれないということで進んでいたので、すでに印刷に入っているチラシやポスターには間に合いませんが、その会場周辺に配る分ぐらいには、ちゃんとこの情報を載せておきたいじゃないですか。ですから、そのためのシールを作ってみました。つまり、今度の演奏会は仙台市内ではなく名取市ということなので、その辺はきちんと対応しておかないとお客さんが集まらない可能性もありますからね。やれることは全部やっておかないことには。
 そして、水曜日には新しいチラシやポスターが出来てきました。そこでまず、作っておいたシールを貼りつけます。チラシの場合は150枚作りましたから、名取界隈に置いておけば間に合うでしょう。足らなければまた作ればいいんですから。実は、明日そっちの方に行く予定があるので、少し足を伸ばして名取の文化会館にチケットを置いてきて、ついでにチラシなどもそこともう1か所に置いてくる予定です。
 そして、これは先週の終わりからぼちぼち始めていたことですが、今度の「かいほうげん」のための原稿を作っていました。今回の号はこの間の総会以外にはこれといったこともなかったので、結構ページが空いていました。どうも6ページぐらいは使えそうな感じになっていたので、それを目いっぱい使って、今練習している曲についてのエッセイをヒマがあるときに書き続けていて、それが今日あたりでほぼ完成を見ました。テキストは5500字になったので、それにいろいろな資料を加えれば楽に6ページにはなるはずです。結構な長さですが、ほとんどはすでにサイトに載せてあった記事を集めて、再構成しただけの話です。言ってみれば「セルフ・コピペ」でしょうか。なにしろ、私のサイトの情報量はハンパではありませんから、すぐにこのぐらいのものは集まってしまいますよ。
 そこで、本当に大昔、サイトを始めてすぐぐらいに作ったコンテンツも取り込んでいると、その時に作った楽譜のデータが間違っていることに気づきました。ですから、即座に正しいものに差し替えて、ついでに、その頃のフォントなども今のものに変えておきましたよ。なんせ20年前ですから、今考えると幼稚なところが結構ありますから、こんな風に何かの機会にチェックをしておかないと。それにしても、20年間も間違ったままの情報をさらしていたなんて、なんと恥ずかしい。まあ、おそらく気が付く人は誰もいなかったのでは、と思っているのですが。
 しかし、いざ割り付けをやってみると、中に入れる画像のレイアウトなどを考えると、どうしても6ページには収まらないことが分かってしまいました。まあ、それも念頭に置いて、「捨て」の部分も作っておいたので、そこを削ったら見事に収まりましたけどね。
 それのゲラを、今校正というか「校閲」しているところです。発行は今度の指揮者練習の時ですから、まだ1週間ありますが、その間には別のことが入ってくる可能性があるので、できる時にやっておこうという、いつもながらの貧乏性です。
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by jurassic_oyaji | 2017-02-03 21:20 | 禁断 | Comments(0)
Polska/Choral Works by Penderecki, Szymanowski, Górecki, Lutosławski, Haubenstock-Ramati
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Marcus Creed/
SWR Vokalensemble
SWR/19017CD



HÄNSSLERからNAXOSに移行したSWRレーベルは、最初のうちは以前と同じ品番をそのままつけていましたが、最近になって独自の番号の付け方に変わっていますね。パートナーが変われば、身も心もオトコの流儀に変わる女心、みたいなものなのでしょうね。
そんな環境の変化にもかかわらず、このクリードとSWRヴォーカルアンサンブルの国別対抗アルバムは好調にリリースを重ねています。その最新盤はポーランドです。とは言ってもショパンの合唱曲が紹介されているわけではなく(そんなのあったっけ?)登場する作曲家はシマノフスキ、ルトスワフスキ、ハウベンシュトック=ラマティ、ペンデレツキ、グレツキという、「現代」作曲家たちです。ハウベンシュトック=ラマティなんて名前、久しぶりに聞きました。
今、作曲家の名前を挙げた時には、おそらく有名な順番に従って並べたであろうタイトルには逆らって、あえて生年順にしました。ペンデレツキだけはまだご存命ですが、他の方は全てお亡くなりになっていますから「現代(modern)」作曲家ではあっても、もはや「同時代(contemporary)」作曲家ではないというところがミソ、ちょっと前の音楽を歴史的な視点で俯瞰する、といったスタンスのアルバムなのでしょう。
そういう意味で、シマノフスキあたりはまさにポーランドの「現代」音楽の始祖、的な存在になってきます。ここで演奏されているのは「6つのクルピエ地方の歌」。クルピエというのはポーランドの北東部に位置する独自の文化を持った地域ですが、そこに伝わる歌が書物として残っています。その歌詞の中から、結婚式の一連の流れを歌ったものを抜き出し、オリジナルのメロディを付けて出来上がったのがこの作品です。その音楽は、あくまで民族的な素材に忠実なものとなっていて、奇しくも同じ年(1882年)に生まれたハンガリーのコダーイとの類似点を見出すことは容易です。
これが、1933年生まれのグレツキになると、同じクルピエの歌を素材としていても、その音楽はガラリと様相を変えることになります。1999年に作られた彼の「5つのクルピエ地方の歌」では、題材も愛の歌(別れの歌も含む)から取られ、音楽はあくまで流れるようなこの頃のグレツキの作風に沿ったものになっています。メロディは洗練され、同じパターンが幾度となく波のように押し寄せる、という、いわば「ヒーリング」的な音楽ですね。
ペンデレツキの場合も、この中の「ケルブ賛歌」(1987年)や「Veni, creator spiritus」(1989年)を作ったころには、どっぷりとこの「ヒーリング」の作風に浸かっていました。「ケルブ」はロシア正教の聖歌、「Veni」では、かつての「Stabat mater」(1962)の厳しいイディオムが、なんとも軟弱に引用されています。
この作曲家がこのような「変節」を完了したのは1973年のことですが、彼の先輩のハウベンシュトック=ラマティの場合は、1970年に「Madrigal」を作った時点では、若き日のペンデレツキをもたじろがせるほどの尖がった音楽をやっていました。この、メロディもハーモニーもない、今聴くととても新鮮に感じられる曲の前後に、ペンデレツキの甘ったるい2つの作品が演奏されているというのは、ある意味快挙です。
最後に演奏されているのは、ルトスワフスキが1951年にポーランド軍からの委嘱によって作った「兵士のテーマによる民謡集」からの抜粋です。元々は男声合唱のための曲でしたが、それを1968年生まれの、まぎれもない「現代」作曲家、パヴェウ・ウカシェフスキが混声合唱用に編曲したバージョンで歌われています。
SWVヴォーカルアンサンブルの、それぞれの曲に応じた適応性には驚くべきものがあります。それだからこそ、同じ「ポーランド」とは言ってもさまざまな作曲家が登場していたことが如実に分かるのでしょう。というか、グレツキとハウベンシュトック=ラマティを、同時にこれだけの共感をもって歌えるなんて、すごすぎます。

CD Artwork © Naxos Deutschland Musik & Video Vertriebs-GmbH

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by jurassic_oyaji | 2017-02-02 20:16 | 合唱 | Comments(0)
戸塚区のオケでした
 前回は肝心なことを書き忘れていました。新国で観たのはビゼーの「カルメン」だったのですが、そこで使われていた楽譜について、ちょっと不思議なことを見つけてしまいましたよ。ご存知のように、このオペラには2種類の楽譜があって、最初に出版されたのはビゼーの没後にギローが改訂した「ギロー版」、そして、後にギローが改訂した部分をオリジナルの形に直した「アルコア版」です。今ではどこのオペラハウスでもこの「アルコア版」が使われているはずなので、そのつもりで聴き始めました。確かに、最初の違いが出てくる「衛兵の交代」のシーンでは、きちんとアルコア版の「メロドラマ」が演奏されていたので安心していたら、なんと、そのあとはセリフの部分がを全てレシタティーヴォに変えられてしまっていたではありませんか。要するに、これは「アルコア版」と「ギロー版」の折衷版なのでしょう。アルコア版のセリフの部分を、ギロー版のレシタティーヴォに置き換えて演奏していたのですね。
 これは、プログラムの中にはちゃんと書いてありました。
1960年代半ばまでの上演は、ギロー版に基づいた慣用版に沿って行われていた。その後は、セリフ入りのオペラ=コミックの形による上演が一般的になってきたが、今回はレチタティーヴォをはさんだ形で上演される。
 なんか、とてものらりくらりとした文章ですね。もっとストレートに「セリフは入りません」と書けば、しっかり意味が伝わるというのに。つまり、この日本で唯一のオペラハウスでは、「一般的な」上演形態ではなく、半世紀以上前に廃れてしまっていたスタイルで上演を行っている、ということなんですよね。
 なぜそんな時代遅れのことをやらなければいけないのかは、明白です。日本人のオペラ歌手ではフランス語の「セリフ」をしゃべることが出来ないからなのですよ。例えば、今ツィクルスを上演している最中のワーグナーの「指環」のような、最初から日本人が歌うのは無理だと分かっている物だったらほぼすべてのキャストを「本場」の歌手を呼んできて歌わせるのでしょうが、この「カルメン」の場合は、「本場」の歌手は3人だけ、残りは全部日本人ですから、その人たちが「オペラ=コミック」としてセリフをしゃべることなんか出来ないと決めつけているのでしょうね。それで、レシタティーヴォだったらそんなにボロは出ないだろう、ということで、こういう形に決まったのでしょう。
 確かに、日本人のオペラ歌手がしゃべるフランス語のセリフなんか聴きたくもありませんが、アルコア版で「一般的な」上演をしたいと思っているのなら、全部のキャストをきちんとフランス語がしゃべれる人にすればいいんじゃないですか?それが出来ないのなら、最初から全部ギロー版で上演すればいいんですよ。それが「身の丈」というものです。
 そんな、版の違いまで分かるようになったのは、ニューフィルでも「カルメン」の抜粋を演奏した時にいろいろ調べたことがあったからです。もちろん、フルートのパートも演奏しましたが、結構コアな部分までやっていたので、今回観た時にはほとんどの場面がオケのパートまでしっかり馴染みがありましたね。つくづく、ビゼーのオーケストレーションではフルートが大切な役割を担っていることを痛感しました。
 もう一つ、最近やはりニューフィルの演奏曲について準備したものが、他の人の役に立つ、ということがありました。だいぶ前に末廣さんとマーラーの5番を演奏した時に、その前曲として「リュッケルトの歌曲集」をやったんです。その時に、その歌詞の対訳を私が作って、プログラムに載せました。もちろん、私が書いたものなので、そのままサイトにもアップしておきました。そうしたら、2月にその時と同じ曲目で演奏会を開くアマオケの方から連絡があって、ネットで見つけたその対訳を、その演奏会のプログラムに使わせてほしい、と言ってきたのです。確かに、「リュッケルト」と「対訳」で検索すると、一番先にその私の対訳がヒットしましたね。一応、その方には「私の名前(仙台ニューフィル)」というクレジットを入れてください、と言っておきましたが、これでニューフィルは横浜の人にも名前を知られるようになることでしょう。
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by jurassic_oyaji | 2017-02-01 22:39 | 禁断 | Comments(0)