おやぢの部屋2
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次回はマーラー?
 きのうは「杜の都合」の本番でした。いつものことですが、この団体は本番までの時間が本当に短くて、練習を始めたと思ったらもう本番というスケジュールです。今回も、私は練習の前にはほぼ毎回、パフォーマンス広場で1~2時間の音出しをやっていましたね。そのぐらい曲と付き合っていないと、とてもニューフィルと同等のレベルまでにはなれませんから。要は、本番前には楽譜を見なくても自然に指が動いてくれる、というぐらいのコンディションを作っておきたいんですよね。そこまでやっておけば、決して本番になって裏切られることはありません。いや、もちろん完璧な演奏などできるわけもないので、これはあくまで本番で何かがあってもそれに対応できるだけの余裕が持てるための「保険」なのでしょうね。
 会場はこんなところ、キャパは700人ですから、この前のように「二けた」のお客さんしか来ないと、悲惨なことになってしまいます。私も、そして団員の皆さんも、かなり熱心に宣伝を行っていたようですね。
 ここは、ニューフィルの指揮練で使ったことはありますが、その時は確か反響版は使わなかったような気がします。このホールはちょっと不思議な構造になっていて、後ろの反響版が極端に前に来ています。ですから、オケがステージに乗るためには前の客席を撤去しなければいけません。
 その、取り除いた客席は、というと、
 こんなところにありました。
 なんと、反響版の裏側の方が表のステージよりずっと広くなっていたんですね。初めて知りました。なんと無駄なことをやっているホールなのでしょう。
 私は、今回は録音も頼まれてしまいました。なんでも、このホールの設備ではCDに録音するすることはできないそうなのです。ですから、提供されるのはカセットテープかDATなんですって。これも、いまどき、ですね。ですから、いつものようにステージ上のマイクからの入力をもらって、私のレコーダーで録音することになったのですよ。ですから、せっかくなのでハイレゾ(24/96)で録音しておいて、それをCDフォーマットにダウンサイジングしてマエストロに渡すことにしました。
 そんなことをホールの係員さんにお願いしたら、すぐに変換ケーブルを用意してくれましたね。ラインで送られてくるので、そのレベルも調節してくれるそうです。これは、レコーダーの方でリハーサルを録音して決めようと思っていましたから、大丈夫ですけどね。レコーダーをセットする場所も、きちんと用意してくれましたし。
 いよいよ本番が始まります。これがフルメンバー、結構多いですね(写真は、完全復帰したN岡さん)。前半は私はピッコロを吹かなければいけないので、かなり緊張していました。リラックスさえできればなんと言うことはないのですが、それが難しくて。でも、サンサーンスの決め所、最後のヴァイオリン・ソロと一緒になるハイHが見事に決まったので、とりあえず満足です。これは、ステージ脇ですぐモニターしてみたら、きれいに録れていましたよ。
 後半のブラームスは、なんと言っても第4楽章のソロが命です。これだけは、絶対にしくじるわけは行かないのでどんなことがあってもコントロールが出来るようになるまで作っておきました。その成果はこちらで聴けますよ。もちろん24/96です。
 お客さんはなんと300人近く入っていました。しかも、そのうちの80人は当日券を買って入った方なのだそうです。これはうれしい誤算でした。たしかに、ホールの中は適度に埋まっていましたからね。心配だった音響も、吹いていてはそんなにまずいところはありませんでした。録音を聴いてみても、十分に美しい音が出ていたようです。
 半年後の次の演奏会では、もっと広いホールで、なんとも無謀な曲に挑戦するそうです。弦楽器と練習時間が今の2倍あれば、十分に可能でしょうけどね。
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by jurassic_oyaji | 2017-03-13 22:00 | 禁断 | Comments(0)
Karl-Heinz Schütz plays BACH Solo
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Karl-Heinz Schütz(Fl)
CAMERATA/CMCD-28329



今一番気に入っているフルーティスト、カール=ハインツ・シュッツのCDで、今頃になって気が付いたものがあったのでご紹介。国内盤は殆どチェックしていないので、こんなこともあります。このレーベルは伝統的にウィーン・フィルのフルーティストのアルバムを作っているようですね。
2015年に録音されたこのアルバムは、フルート1本だけで演奏される作品だけが集められていました。タイトルは「バッハ」とありますが、ただ「バッハ」とだけ書いてあるところがミソ、普通に「バッハ」という時に意味するヨーハン・ゼバスティアン・バッハのオリジナルは「無伴奏パルティータ」しかありません。それ以外は、限りなく偽作に近い「フルート・ソナタ ハ長調」と、真作ではありますが、オリジナルはチェロのための曲だったものをフルートに編曲した「組曲第1番、第2番」、それに、息子カール・フィリップ・エマニュエル・バッハが作った「無伴奏ソナタ イ短調」というラインナップです。
有名な無伴奏チェロ組曲をフルートに編曲したものとしては、1980年に録音されたオーレル・ニコレの録音が有名です。チェロの最低音は「C」なので、チェロの楽譜をそのまま2オクターブ高く吹けば、それで全く同じ調で演奏できることになります。あとは、重音などを適宜アルペジオに直せば、それで「編曲」は完成します。確かに、音域がこれだけ違えば音色や肌触りは全くの別物に変わりますが、フルートでも低音と高音の使い分けをうまく行えば、チェロと同等の音楽は出来上がるのではないでしょうか。
ただ、チェロには必要ありませんが、フルートには絶対に欠かせないのが「ブレス」です。管楽器は途中で息を吸わないことには演奏を続けることはできません。ですから、ニコレはここで「循環呼吸」という「技」を使って、音をつなげてチェロのように演奏することを可能にしていました。ただ、そのLPを最初に聴いた時には「すごいな」と思いましたが、今聴きなおしてみるとなんとも不自然に聴こえてしまいます。ニコレは音を切らないことだけに腐心して、自然なフレージングが消えてしまっているのです。あくまでも個人的な感想ですが、それはまるでロボットが演奏しているようでした。
今回のシュッツの場合はごく普通にブレスして吹いている分、とても表情が豊かになっていて、別に音が途中で切れることに何の違和感もありません。音楽としてはこちらの方がより質の高いものが提供できているような気がします。そういえば、このニコレの録音は、まだCDが出来る前のDENONのオリジナル技術によるデジタル録音によるものでしたね(フォーマットは16bit/47.25kHz)。そんな、デジタルの黎明期、これに比べると、シュッツの時代はハイレゾも登場してもっと余裕のある音が楽しめるようになっていますから、演奏も録音技術の変化と呼応していたのかもしれません。
シュッツは、全ての曲に細やかな表現を駆使して、とても1本のフルートで演奏しているとは思えないほどの色彩感を与えてくれています。もちろん、バッハならではのがっちりとした構成は決して崩すことはありません。それが、息子のエマニュエルの作品になると、大幅に自由度を増した大胆な演奏に変わります。その結果、これまであまり魅力を感じることのない退屈な曲のような気がしていたものが、一変してとても立体的で起伏に富んだものに変わっています。
録音は、豊かな残響のある建物の中で行われたものでした。そのホールトーンはあくまでも心地よく響いているのですが、肝心のフルートの直接音が右チャンネルで時折ほんの少し歪んでいることが分かります。チャンネルを変えてみたり、別の機器で再生しても同じように聴こえるので、これは録音時のミスなのでしょう。いかにハイレゾになったからといって、エンジニアの耳が不確かだったら、オイソレとよい録音ができることはありません。

CD Artwork © Camerata Tokyo Inc.

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by jurassic_oyaji | 2017-03-11 20:22 | フルート | Comments(0)
原作でもまだ結末は分からないみたいです
 そろそろ番組の改編期、新しく始まったドラマも、もはや終盤になってきましたね。結局、私が今シーズン地上波で見続けたのは「タラレバ」と「カルテット」、そして「お母さん、娘をやめていいですか?」だけでした。「お母さん」は、よもやあんな「ホラー」だったとは。斉藤由貴、ほんとに怖かったですね。あと、壇蜜も。でも、一番怖いのは案外波瑠だったりして。「カルテット」も予想外の怖さ、今週の最後にとんでもない展開になって、いったいどうなってしまうのか予想もできません。これは、台本がとてもしゃれていて素敵ですね。もう「音楽」はどうでもよくなっているのが、ちょっと気になりますが。
 結局、一番ハマったのが「タラレバ」でした。吉高由里子に対する違和感がなくなることはありませんが、こうなってくると結構我慢できるようになってくるから不思議です。榮倉奈々は予想通りの活躍ぶり、あと、坂口健太郎がいいですね。こちらもヘンな展開になってきましたが、どういう形で収拾されるのか、とても楽しみです。
 その吉高が、レストランで鈴木亮平と食事をしている時に(余談ですが、この二人は朝ドラで夫婦だったんですよね)、ナイフを左手に持っていました。なんか変だな?とは思ったのですが、まあ左利きの人だったらそれもありかな、と納得しました。とは言っても、こういうフルコースの場合、テーブルにあらかじめ使う予定のナイフとフォークが何本か置いてありますよね。外側から使うのが正しいマナーだとかね。それはもちろん、例外なく右にナイフ群、左にフォーク群がありますから、左利きの人は持ち替えるのでしょうね。
 と思ってネットをのぞいてみたら、これはそんな単純なことでは済まされない事態だったことが分かりました。このナイフ=右手、フォーク=左手というのにはしっかり理由があって、それを踏まえて出来上がったのが「テーブルマナー」なのだから、それを破ることはとても恥ずかしいことだ、みたいなことを堂々と書き込んでいる人がたくさんいるのですよ。そんなにマナーって大げさなものなんでしょうかね。私なんかは、ナイフで肉を切ったあと、右手にフォークを持ち替えて食べたりしますけど、そんなのはまさに「不作法」の極みなんでしょうね。その書き込みの中には「オバマ大統領は左手にナイフを持っていた」というのがあって、ちょっと救われましたけどね。
 まあ、物わかりの悪い人はどんな世界にもいるわけでして、さるレーベルのFacebookページを見ていたら、似たような書き込みを見つけてしまいました。そこでは、先日亡くなったスクロヴァチェフスキの追悼CDの案内をしていたのですが、担当者がコメントの中で1ヵ所「スクロヴァ」と書いてしまったのですね。それを目ざとく見つけた人が、こんな書き込みをしていました。
こういう表記の仕方は、故人に対して失礼とは思わないのかな?
恣意的な略称を用いていれば、いかにも通、みたいな輩がライターとしてはびこっているから、排他的な空気が醸成され、クラシック音楽受容は一定の数のファン層から外へ広がっていかないのだ。
反省してほしい。
 なんか、とんでもない難癖をつけている、という感じですよね。確かに、略称を使うのはあまり気持ちのいいものではありませんが(私は「ハクチョウコ」は絶対に許せません)それがクラシックの普及の妨げになっているというのは明らかな事実誤認です。だって、クラシック以外のジャンルではこの「略称」は大はやりじゃないですか。それこそ朝ドラの「ミスチル」とか。そもそも、この方はご自分が使っている機械を「パーソナル・コンピューター」とでも呼んでいるのでしょうかね。
 元のコメントを書いた人は、即座に訂正していたようです(履歴を見ればわかります)。こういうアホには、逆らわないのが一番です。
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by jurassic_oyaji | 2017-03-10 21:59 | 禁断 | Comments(0)
SHOSTAKOVICH/Cello Concerto No.1, Symphony No.5
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Xavier Phillips(Vc)
David Grimal/
Les Dissonances
DISSONANCES/LD 009



最近、あちこちで話題になっているフランスのアンサンブル「レ・ディソナンス」がショスタコーヴィチを録音したというので、思わず触手が伸びてしまったざんす。ヴァイオリニストのダヴィド・グリマルが2004年に結成した、この「不協和音」という名前のオーケストラは、指揮者は置かずにグリマルを中心に演奏を行うという、あのアメリカの「オルフェウス室内管弦楽団」のようなスタイルをとっている団体です。最初はNAIVEなどに録音を行っていたようですが、2013年に自主レーベルを発足させ、ベートーヴェン、ブラームス、モーツァルトなどの有名どころのライブ録音をどんどん行なってきました。
今回はショスタコーヴィチということで、本当に指揮者なしでも大丈夫なのか気になってしまいますが、彼らはすでにコンサートではラヴェルの「ダフニスとクロエ」第2組曲や、バルトークの「管弦楽のための協奏曲」などもすでに演奏(もちろん指揮者なしで)しているそうですから、こんなのだったら楽勝なのでしょう。
この団体は、演奏する曲によってメンバーも増減させています。メンバーでもあるチェリストのグザビエ・フィリップスがソロを担当した「チェロ協奏曲第1番」では、かなり小さな編成、弦楽器は8.6.5.5.3のようですね。演奏している写真を見ると、木管楽器の最前列(フルートとオーボエ)の前には弦楽器は配置しないで、コンサートマスターであるグリマルとの距離を最小にしています。これで、弦楽器と管楽器とのコンタクトは密になるのでしょう。これは、もっと弦楽器が増えている「交響曲第5番」でも同じこと、フルートとオーボエは、もろにお客さんの前に全身をさらしています。
「チェロ協奏曲」の演奏は、なにかとても和やかな雰囲気が漂っているものでした。ソロもオーケストラもあまり声高にしゃべることはなく、しっかりお互いのやることを聴き合いながら合奏を楽しんでいる、という感じでしょうか。大活躍するホルンのソリストも、とても伸び伸びと吹いているようです。
「交響曲」では、それだけでは済まされない、かなり周到なリハーサルで方向性を決めてきたような形跡がうかがえます。第1楽章などは、弦楽器はほとんどビブラートをかけていません。これはかなり効果的、この曲の性格を的確に伝えるのには十分なものがあります。もちろん、管楽器も極力ノン・ビブラートを心掛けているようです。ソロ・フルートなどは、間違いなく木管の楽器を使っているのでしょうが、とても暗い音色でアタックも全くつけないで吹いていますから、暗澹たる情景を演出するにはもってこいです。
おそらく、管楽器のソロは基本的に奏者の自由に任せているのでしょう。ここではそれぞれのソリストの個性がはっきり伝わってきます。彼らは、それらを大切にしつつ、全体としては大きな流れを設定する、といった姿勢なのでしょうか。
第2楽章では、アンサンブルは完璧、とても軽快なグルーヴ感が味わえます。
第3楽章では、それまでのノン・ビブラートからはガラッと変わって、弦楽器はとてもねちっこく迫る「熱い」音楽に変わります。それに対してフルート・ソロはとても冷静にそれを見渡している、という感じ、そこからは、何か醒めた視線すら感じることが出来ます。
フィナーレでは、オープニングのテンポの変化などはそれほど劇的なものではありません。あくまで、表面的な効果を狙うよりは、内面的なもので訴えようという姿勢でしょうか。それが恐ろしいほど伝わってくるのが、最後の盛り上がりの前のとても美しい弦楽器の部分(練習番号119から)です。楽譜ではずっとピアニシモのまま淡々と演奏するような指示ですが、そこで彼らはほんの少しのダイナミックスの変化を付けています。それが絶妙の極み、まるでその後に続くバカ騒ぎをあざ笑っているかのように感じられたのは、ただの思い過ごしでしょうか。

CD Artwork © Dissonances Records

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by jurassic_oyaji | 2017-03-09 20:10 | オーケストラ | Comments(0)
昔のシールは剥がせません
 きのうのニューフィルの練習では、日曜日のコンサートの時にプログラムに挟むためのチラシを用意しなければいけなかったので、チェックしてみたら、もうほとんど残っていませんですた。何とかかき集めて200枚ぐらい用意しましたが、おそらくこれでは足らないでしょうから、私の配布分のチラシも一緒に持っていきましょう。それが必要になるぐらいお客さんが来ればいいですね。今回は、名取方面にかなりばらまいたので、もう残り少なくなってしまいました。つまり、現在4000枚近くのチラシが、この近辺に出回っている、ということになるのです。
 ポスターだって負けてません。今回はこんなところに貼らせてもらいましたからね。
 この間横浜に行った時に、ここに貼ってもらえたらいいな、と思ったところがあったので、そこにお願いしてこんな風にしてもらいました・・・なんてね。いや、これは前に仙台駅とか東映ビルにやったのと同じことですから。なんたって、ニューヨークのタイムズスクエアでも貼ってもらったことがありますからね。
 これは、その他の「作品」と一緒に、ニューフィルのFacebookページにもアップしてあります。公式ページでそんなことをやっていいのか、と言われそうですが、まあこんなのは「かいほうげん」でもやっていますからね。でも、慣れていない人は戸惑うかもしれませんね。そのFacebookページの「いいね!」が確かに400人まで行ったのに、その直後に少し減ってしまいました。どういうことなんでしょうね。もしかしたら、すでに「いいね」をした人がさらにクリックしてしまったので、取り消しになってしまったのかもしれません。心当たりの方は、再度クリックし直してくださいね。
 ところで、この間から始めてみたCD棚の「ソフト化」ですが、その成果には目を見張るものがありました。私の場合、合唱関係とそれ以外、という大きな分け方をまず行って、それぞれ別の棚に収納します。そして、「合唱以外」のものは、バッハ、モーツァルト、ベートーヴェン、ワーグナー、ブルックナー、マーラー、メシアン、リゲティ、ペンデレツキ以外の作曲家のCDは全てレーベル順に並べています。そこで、まずそこにたくさんある同じレーベルのものから手を付けることにしました。最初はなんたってNAXOSでしょう。これが最初の状態。もうパンパンですね。NAXOSは下から3段目。
 それが、こんなに隙間が出来ました。
 実際にやってみると、2枚組で普通のハードケースと同じ厚さのものだったら、そのまま1枚のソフトケースに収まります。CDを2枚重ねて袋に入れればいいんですからね。なんせ、これは2枚組のSACDではよく見られるやり方ですから、メーカーでも何の問題もないと思っているのはずなので、大丈夫なんでしょう。ただ、3枚組とか、紙ケースで包まれているものはだめですから、そのままにしておきます。国内盤でデジパックのものもありましたから、それもそのままです。
 次に、一番上の段にあるDGです。
 こんな感じ、思ったほど多くなかったですね。こちらもデジパックが結構あったのでそれは対象外です。
 ここまでやったら、ソフトケースは126枚使いました。当然、最初に買った100枚では足らないので、追加でもう100枚買いました。まあ、それを使い切ったら、また様子を見ることにしましょうかね。
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by jurassic_oyaji | 2017-03-08 22:16 | 禁断 | Comments(0)
音の記憶 技術と心をつなげる
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小川理子著
文藝春秋刊
ISBN978-4-16-390607-2


今では「オーディオ」といえば、一部のマニアが専門メーカーのとんでもなく高価なアンプやスピーカーを買い求めて、ひたすらよい音を追求する趣味のことを指します。しかし、何十年か前には、そんなオーディオ機器を揃えることが、百科事典を揃えるのと同等の価値観で受け入れられていたことがありました。ほんとですよ。そんな「お茶の間にオーディオを」という需要に応えるために、冷蔵庫や洗濯機を作っていた大手家電メーカーが、それぞれオーディオ専門のブランドを掲げてオーディオ製品を販売していたのです。例えば、こんなブランド。

「オーレックス」 | 「オットー」 | 「オプトニカ」 | 「ダイヤトーン」 | 「テクニクス」 | 「ローディー」

それらを展開していた家電メーカーは

三洋電機 | シャープ(早川電機) | 東芝 | 日立製作所 | パナソニック(松下電器産業) | 三菱電機

さあ、どのブランドがどのメーカーのものか、分かりますか?全部分かる人なんていないかもしれませんね。
もちろん、今ではこんなブランドは殆ど消滅してしまいましたし、メーカーそのものがなくなってしまったものさえありますから、分からなくても全然恥じる必要なんかありません。ただ、「ダイヤトーン」と「テクニクス」だけは、今でもしっかり存在しているのです。そのうちの三菱電機のブランドの「ダイヤトーン」は、ほとんどカー・オーディオの製品ですが、パナソニックのブランドである「テクニクス」は、ピュア・オーディオのすべてのコンポーネンツでのハイエンド製品を送り出しています。ここが最近こんな新聞広告(2面見開き)を出したために、その知名度は一気に上がりました。
実は、「テクニクス」というブランドは、ある時期完全に消滅していました。他の家電メーカーと足並みをそろえるように、オーディオ機器からは撤退してしまったのですね。それが、最近のオーディオ事情の変化(たとえばハイレゾ化)を察知してか、再度この業界に参入してその昔のブランドを復活させたのです。さっきのターンテーブルの広告も、その流れを象徴する出来事です。
この本では、著者がパナソニック(当時は「松下電器産業」)に入社、希望していた部署に配属されてユニークなオーディオ製品を開発していた輝かしい時代、そこから撤退したために別の部署で活躍をしていた時代、さらに、そのブランドの最高責任者として「テクニクス」を復活させた今に続く時代までの、彼女自身の姿が自らの言葉で克明に語られています。そのような意味で、この本は、一つの企業内の歴史、あるいは業界全体の貴重な証言となっています。
そんな「証言」で、今となっては非常に重要に感じられるのが、CDが開発された頃のオーディオ技術者の対応です。それは、実際は彼女が職場に入る前のことなのですが、そのようなデジタル録音に対して、それまでアナログ録音で「原音を忠実に再現する」ことを追求してきた技術者たちは、オーディオの将来を真剣に憂えた、というのです。CDで採用されたフォーマットでは、20kHz以上の周波数特性は完全にカットされてしまいますからね。もちろん、当時のオーディオ評論家たちは、そんなことは決して口にはしないで、今となっては未熟なデジタル技術の産物に過ぎないCDの登場を歓迎しまくっていたのでした。
それと同時に、彼女は社内の上司の勧めで、プロのジャズ・ピアニストとしても活躍するようになります。そのような、まさに「二足の草鞋」を完璧に実現させた彼女の人生そのものも、語られています。このあたりは、まるでドラマにでもなりそうなプロットですね。アメリカでの活躍を勧められたプロデューサーと、幼馴染である婚約者との三角関係、とか。
それだけで十分な満足度を得られるはずだったのに、最後に余計な章を加えたために、稀有なドキュメンタリーがごくフツーのありきたりなハウツー本に成り下がってしまったのが、とても残念です。

Book Artwork © Bungeishunju Ltd.

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by jurassic_oyaji | 2017-03-07 23:27 | 書籍 | Comments(0)
昔は自転車で通いました。
 「杜の都 合奏団」の本番はもう1週間後になってしまいましたね。ですから、きのうはその最後の練習になってしまいました。ただ、それは夜なんですが、その前にもう一つの予定をこなさなければいけません。それは、さる合唱団のコンサート。愚妻がかつて団員だったので、案内が来ました。
 そのコンサートの会場が、若林の文化センターだということで、かなり早めに家を出ます。ここは駐車場が少ないので、ギリギリに着いたりすると入れなくなってしまうんですよね。私も、以前別の合唱団に入っている時にここでのコンサートに出たことがありますが、その時にはせっかく来たのに駐車場に入れなくて、あきらめて帰ってしまったお客さんが結構いたのだそうです。
 そこに行くには、いろいろな経路がありますが、せっかくのe-Powerなのでまだ通ったことのない道を使ってみようと思いました。普通は二番丁を南下して、荒町から三百人町を通って三角公園に出るのですが、地下鉄が開通した時に連坊小路の先に新しい道が出来たというので、そこに行くために東口から南下している都市計画道路から連坊小路に入りました。確かに、そこからちょっと行ったところで南下すると、そのまま三角公園まで出るようになっていました。
 その前に、連坊小路にある私の母校の前を通るのですが、なんとそこには学校の敷地の中に地下鉄の出入り口が出来ていましたよ。究極の立地になっていたんですね。もう一つの母校でも、構内に駅が出来ましたし、便利になったものです。
 あとはさらに東に行けば目指す文化センターです。そこで駐車場に入ろうと右折車線に入ると、なんだか向かい側の区役所の駐車場に入っていく車が見えました。休日は閉鎖されていたはずなのに。そのまま右折して駐車場に向かうと、入り口に人が立っていて、なんか案内しています。窓を開けてみると、「図書館ですか?コンサートですか?」と聞かれました。コンサートだというと、「Uターンして向かいの駐車場に入れてください」ですって。最近は、ホールで催し物がある時にはさっきの向かいの駐車場を開放するようになったんですね。もちろん、こちらは無料です。そちらにも案内の人が立っていましたが、おそらくシルバー人材センターの人でしょう。来月ニューフィルでもこのホールを使いますが、その時にも開放してくれないでしょうかね。
 このホールで他の人の演奏を聴くのは久しぶり。最初のステージは無伴奏で古今の宗教曲。ペルトとニューステッドの間をほとんど空けないで演奏していたので、一瞬同じ曲だと思ってしまいましたが、やはりこの二人はハーモニーのベースが全く違うことがよく分かりました。次のステージはピアノ2台の伴奏で三善晃が編曲した唱歌集。ほとんど、角田で演奏したのと同じ曲だったので、そのあまりの編曲の違いにびっくり。やはり三善は、こんな素材でもしっかり自己を主張しているんですね。
 そのあとは、合唱界では有名な高校の女声合唱団。指揮者が何もしなくても、自主的に自分たちの音楽を作れるような団体ですね。若いのに、ちょっと暗めの音色に聴こえたのは、発声ではなく発音に違和感があったためでしょうか。そこまで聴いて、私は次の予定を控えているので、途中で帰ってきましたが、なかなかヴァラエティに富んだコンサートでしたね。
 帰りはさっきの道を通って宮城野通に出てパルシティの「生涯学習支援センター」にチラシとポスターを置いてきます。これで、私の担当分はあと4か所を残すだけとなりました。家へ帰って愚妻を降ろし、そのまま旭ヶ丘に。まだ練習開始まで1時間ちょっとありますから、いつものパフォーマンス広場で音出しです。きのうもとても混んでいて、座れるところは全部使われていたので、こんなところを陣地にすることにしました。
 ステージの端に座って、脇の階段に足を延ばすとちょうどいい感じ。ただ、ステージの上ではジャグリングをやっている人がいましたが、そのうち皿回しを始めたらもう落としてばっかりですから、楽器だけはしっかり守らないといけません。ピッコロを吹く時には、フルートはしっかりケースにしまっておきました。確認できただけで、ここには合奏団のメンバーが私を含めて5人いましたね。途中で、もう帰る人が「椅子、お使いになりませんか?」とそれまで使っていた椅子を示して私に話しかけてきました。そんな、赤の他人との交流があるのがうれしいですね。
 そして、練習は全員入ったらかなり窮屈な練習室4でみっちりです。コンチェルトもだいぶ仕上がって、面白くなってきましたよ。今度の日曜日の3時から楽楽楽ホールです。よろしく!
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by jurassic_oyaji | 2017-03-06 22:50 | 禁断 | Comments(0)
OPERA JAZZ BLUES
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Hibla Gerzmava(Sop)
Trio of Daniel Kramer
MELODIYA/MEL CD 10 02466



このジャケットの、まるで、デブになる前のネトレプコみたいな美人はヒブラ・ゲルズマーワ、ロシア、正確にはジョージア(グルジア)西部のアブハジアに1970年に生まれたオペラ歌手です。ガッキーではありません(それは「ニゲハジ」)。まだ学生だった1994年にチャイコフスキー・コンクールの声楽部門で優勝し、1995年にはスタニフラフスキー & ネミロヴィッチ・ダンチェンコ・モスクワ・アカデミック音楽劇場でキャリアをスタートさせました。ロンドンのロイヤル・オペラハウスやニューヨークのMETにもデビュー、現在では世界中の歌劇場で活躍している、まさに世界的なプリマ・ドンナです。なんでも、彼女の母国のアブハジアでは、「ヒブラ・ゲルズマーワ・インヴァイツ」という音楽祭が2001年から毎年開催されていたのだそうですが、最近では国外、ウィーンのムジークフェライン・ザールとかニューヨークのカーネギー・ホールなどでも開催されるようになっているのだとか。すごいですね。
そんなゲルズマーワが、ジャズ・ピアニストのダニエル・クラマーとのコラボレーションでこんなアルバムを作りました。「オペラ、ジャズ、ブルース」というタイトルですから、コンセプトはそのまんまですね。
全く予想の出来ないフレーズのピアノだけのイントロから、「椿姫」の最初のアリアが始まります。彼女の声はまさに正統的なベル・カント、当然ピッチはかなり微妙なものになってしまいますが、やはりそれは「ジャズ」とはかなりミスマッチなような気がします。「オペラ」ではない、シューベルトの「アヴェ・マリア」なども歌われますが、やはりこういうしっとりとした曲はなんだか馴染みません。
それが、モーツァルトの「エクスルターテ・ユビラーテ」の「アレルヤ」になったら、俄然ノリが良くなってきましたよ。こういうアップテンポの曲だと、バックのトリオ(ピアノ、ベース、パーカッション)ともうまく合ってくれるのでしょう。次の「アイネ・クライネ・ナハトムジーク」の終楽章のロンドになると、今度はスキャットなどを始めました。なかなかオペラ歌手でここまでやってさまになる人はいないでしょうね。ただ、やはりちょっとした「クセ」はつい出てしまうようで、ロンドのテーマのアウフタクトの前でしっかりブレスをしていて、そこで一瞬グルーヴが停滞するのが、ご愛嬌。
ドヴォルジャークの「我が母が教え給いし歌」あたりになってくると、次第に彼女の声に慣れてきたのか、同じしっとりした曲想でもずっと抵抗なく聴けるようになっていたのは不思議です。「ジャズ」という概念を捨てて、真摯に彼女の歌を味わえばいいんですね。要は、間奏の時に思い切りトリオだけで「ジャズ」をやってくれているだけで、彼女は全然「ジャズ」を歌っているつもりはないのだ、ということに気づきさえすればよかったことなのです。そうすれば、カールマンのオペレッタの中での、彼女のコロラトゥーラとピアノとのツッコミ合いも素直に笑えることになります。
最後には、祖国アブハジアのフォークソングも歌われています。これはとても素敵でした。
このCDには、いまどき珍しい「ADD」という表記が入っていました。
今となっては何のことかわからない方もいらっしゃるかもしれませんが、これはアナログ録音をデジタルでミックスしてCDにした、という意味です。録音されたのは2016年ですが、メロディアのスタジオにはアナログの録音機材しかなかったのではなく、あえてアナログで録音した、という気がします。なにしろ、ピアノといいヴォーカルといい、とてものびやかで素直な音なんですね。彼女の超高音も、何のストレスもなく再生できています。アコースティック・ベースも、なんともふんわりとした空気感が伝わってきますね。ハイレゾのデジタル録音よりも、アナログ録音の方がずっと音が良いというのは、本当のことなのかもしれません。このアルバムをLPで聴いてみたくなりました。

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by jurassic_oyaji | 2017-03-04 20:39 | ポップス | Comments(0)
ハードケースは紙を折るときに役に立ちます
 数日前から、CLASSICAさんのブログで、CDのソフトケースに関してのレポートが連載されています。普通のハードケースというのはけっこうな厚みがありますから、CDが増えてくるとその収納がだんだん困難になってくる、というのは、この方にとっては切実な問題なのでしょう。いや、これは他人事ではなく、私にとっても最近とみに切実さを増している案件です。この間大きな棚を導入して、これでしばらくはもつな、と思っていたのに、相変わらず部分的にもう隙間がなくなって、空いているところに移動させて場所をつくらなければいけないような事態が頻出していますからね。
 ですから、最近では真剣にCDの処分を考えるようになりました。もう物理的に棚を置く空間がなくなっているのですから、それ以外の選択肢はない、と思ったのですよね。具体的に選別を始めてみようかな、と思い始めた矢先に、このブログを見て、うん、この手があったか、と納得してしまいましたね。すでに、映像の方では録画したディスクは全て不織布の袋に入れただけで保管していますから、今のところそんなに困るようなことはありません。それと同じことを、CDでもやればいいという話なんですよね。
 ただ、市販のCDにはブックレットとかインレイさらにものによっては日本の代理店が作った「帯」なども付いていますから、それもきちんと保存するとなると、ただの袋では役に立たないんですよね。それが、このブログに紹介している商品だときっちり解決出来てしまうんですよ。それをAmazonで確認してから、100枚まとめて購入してしまいました。
 まず手始めに、おそらく持っているCDの枚数は一番多いはずのNAXOSのアイテムで、試してみましょうか。これは、ほとんどが普通のハードケースですから、まずこれを「ソフト化」すれば、かなりスペースが空くはずですからね。
 これが、元の商品の形。「帯」は裏側はまるまるケースを覆う大きさです。
 ケース以外のすべてのパーツをバラバラにすると、こんな感じ、CD本体、ブックレット、インレイ、そして巨大な「帯」です。
 それらを全てこのケースに収納できます。
 そうすると、このように「帯」の背面がきちんと見出しとなって見えるようになります。帯がない時でも、インレイの折り返しがここに来ますから、やはり背文字が見えることになります。これは、重ねて棚にしまっておいても、なんとなく横から見えてきますから、とても便利です。
 左のハードケースに入っていたものが、右のようにこんなに薄くなりました。半分以下の厚さです。これは使えますね。
 空いてしまったケースは、捨てないで取っておこうと思います。これは箱に入れて物置にでも放り込んでおけばいいんですから、邪魔にはなりません。というのも、いつのことか分かりませんが、これらのCDが全く必要なくなる時、つまり持ち主がいなくなってしまった時には、また元のケースに戻さないと中古屋では買い取ってくれませんからね。
 そうなんですよ。いくらCDがあっても、私以外の人にとっては殆どクズ同然のものですから、あとに残された人はこんなものは困るだけです。せめて、ケースだけでもちゃんとしておけば、葬儀費用の足しにはなるんじゃないでしょうか。
 いや、そのころには、もはやCDなんて何の価値もないものになってしまっていて、それこそ本物の「ゴミ」になっているかもしれませんけどね。せめてそうなる前に売ってしまうのが、正しい「終活」ってやつでしょうか。
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by jurassic_oyaji | 2017-03-03 21:57 | 禁断 | Comments(0)
BACH/Johannes-Passion
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Verokika Winter(Sop), Franz Vitzhum(CT)
Andreas Post(Ten), Christoph Schweizer, Thomas Laske(Bar)
Rainer Johannes Homburg/
Stuttgarter Hymnus-Chorknaben
Handel's Company
MDG/902 1985-6(hybrid SACD)


全く聞いたことのない指揮者と合唱団、アンサンブルが演奏している「ヨハネ」ですが、どんなサプライズが潜んでいるかわかりませんから一応聴いてみました。とりあえず、ソプラノのヴェロニカ・ヴィンターだけは、例えばシューマン版の「ヨハネ」で知っていましたから。でも、よく見たらアンサンブルの中にヒレ・パールがヴィオラ・ダ・ガンバで参加していましたね。これはもうけもの、さらに、彼女のパートナーのリー・サンタナまで、リュートで加わっていました。ヒレの方はちゃんと写真入りのプロフィールが紹介されているのに、リーはその中にちょっと登場するだけ、というのがかわいそう。
そのほかに、なにか珍しい楽器がないかと録音の時の写真を見てみると、そこには「コントラ・ファゴット」の姿がありました。バロック時代の楽器ですから、長さが3メートル近くもあるので、すぐに分かります。ということは、もしかしたらこのあたりの楽器が補強されている「第4稿」を使って演奏しているのでしょうか。
その件に関しては、指揮者のホムブルク自身が書いたライナーノーツに、明確な説明がありました。
1749年に、バッハはこの曲の4度目の演奏を行った。そこで彼は、それまでの演奏の中で行った改訂をすべて捨て去って、25年前のオリジナル・バージョンに立ち戻った。ただ、楽器編成だけは少し大きくした。特に、通奏低音はコントラ・ファゴットまで加えて拡大されている。ここで録音されているのは、そのバージョンだ。
これだけ読むとその「1749年」に演奏された「第4稿」がここでは使われている、と普通は思いますよね。でも、この演奏で使われている楽譜はごく一般的な「新バッハ全集」であることがすぐ分かります。もちろん、それは1749年に使われた楽譜ではありません。先ほどの指揮者のコメントで楽器編成のことが述べられていましたが、それに関してはただコントラ・ファゴットを加えただけで、「第4稿」で行われたその他のもっと重要な楽器の変更(たとえば20番、35番などのアリアのオブリガート)は全くありませんでした(このあたりの詳細はこちらで)。
そんなわけで、ここではまた一つ「1749年に使われた楽譜」についての誤解が生んだ悲劇が誕生していました。
でも、確かに実際にコントラ・ファゴットを加えた演奏は非常に珍しいものですから、そのサウンドにはインパクトがあります。ポジティーフ・オルガンでは出せない低音が、ビンビン聴こえてきますからね。
さらに、合唱が「少年合唱」というのも、ちょっとユニーク。本当はこれがバッハ時代のサウンドなのでしょうが、最近ではなかなか聴く機会がありません。というか、このアルバムはこの少年合唱をメインとしたものなのでしょう。「シュトゥットガルト少年聖歌隊」というこの団体は、なんでも1900年までその起源が遡れる長い歴史を持っているのだそうです。そこの6代目の指揮者に2010年に就任したのが、ここでの指揮者ホムベルクです。そして、彼が1999年に設立した「ヘンデルズ・カンパニー」というピリオド楽器のアンサンブルが共演しています。
この合唱、もちろんテナーとベースのパートは「青年」が担当していますが、それもかなり「若い」音色なので、少年たちともよく調和して、全体としてはとてもまろやかなサウンドを聴かせてくれます。その、あまり芯のないフワフワとした感じがなんとも言えない「癒し感」を与えてくれますし、そんな声とはちょっとミスマッチに思える、群衆の合唱のポリフォニーもなかなかのもので、不思議な充足感を味わえます。
同じような軽い声でアリアも歌っているエヴァンゲリストのポストも、そんな流れとはぴったり合っています。とても心地よい「ヨハネ」を聴くことが出来ました。こんなデタラメな楽譜ではなく、ちゃんとした「第4稿」だっタラレバ

SACD Artwork © Musikproduktion Dabringhaus und Grimm

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by jurassic_oyaji | 2017-03-02 19:53 | 合唱 | Comments(0)