おやぢの部屋2
jurassic.exblog.jp
ブログトップ
<   2017年 05月 ( 27 )   > この月の画像一覧
インクを2セット買うと、新しいプリンターが買えてしまいます
 楽天は好調さを持続させているようですね。今日も大量リードを受けてピッチャーを確実に交代させていくという「勝利の方程式」とやらが使われているのだそうです。でも、いつも思うのですが、なんで「方程式」なんでしょうね。こういう使い方のように、確実に勝利につながる選手起用、という意味だったら、「公式」を使った方がいいのではないか、と、最近とみに思うようになりました。「最近」というのは、以前は私も深く考えずにこの「〇〇の方程式」を使ったことがありましたから。もちろん、その正しい使い方に気づいた今では、決して使うことはありません。というか、あれだけテレビでアナウンサーが「勝利の方程式」と連呼していれば、もうそれは正しい言葉として認知されてしまいますからね。正しくない言葉でも、頻繁に使われるうちに正しくなってしまうというのは、よくあることです。もっとよくあるのが、正しくない事実でも、時の政権が「正しい」と言い張れば正しくなってしまう、というやつです。本当に最近はそんなのばっかりです。
 おとといのコンサートの録音は、かなり近いところにレコーダーを置いたので、アラが目立ってしまうのではないかと思っていました。実際、何年か前に同じ状態で録音したものが、本番はそんなに悪くはないと思ったのに録音を聴いたらあまりのひどさにがっかりしてしまった、ということがあったので、今回もそうなってしまうのかな、と。でも、なんか会場の音響自体が、その時とは変わっているような気がしました。リハーサルを聴いていると、思っていた以上に響いていたんですね。前のコンサートは震災の前の年だったのですが、そのあと本堂では耐震工事が施されたので、そのせいなのかもしれません。具体的には、新しく壁を作って、建物の強度を上げてあります。それが、ちょうど合唱団が立っている後なので、うまい具合に反響してくれたのでしょう。
 お客さんが入って、いくらか響きがなくなったような気はしましたが、合唱はとても声がまとまっていて、ハーモニーも美しく決まっていましたから、本堂全体がとてもよく響いていたようでした。しかも、レコーダーもグレードアップしていますから、録音を聴いてみても、そんな美しさがきっちりと収められていましたね。ですから、これだったらおそらく聴かされてもがっかりするようなことはないだろうと、出演者の人数分のCDを作ってあげようと思いました。
 フォーマットは最初から16/44.1で録っていましたから、それをそのままレコーダーで編集してファイルを曲ごとに分割すれば、それをそのままCDに焼くことが出来ます。もちろん、前説や曲間のMCもすべてノーカットで入れました。さらに、ジャケットも、たくさん撮った写真を入れて作りました。それをインクジェット・プリンターで印刷すれば、結構きれいに出来上がるはずです。
 ところが、何枚か印刷が終わったところで、そのプリンターのインクが切れました。ですから、インクを交換したのですが、そのあとにエラーランプが消えなくなってしまったのです。とてもシンプルなプリンターで気に入っていたのですが、最近ハガキ印刷で酷使したので、もうおかしくなったのかもしれませんね。でも、この間予備のインクを買ったばかりだというのに。だから安物は困ります。結局、そのまま電源を切って、その日の作業は終わりです。
 でも、そのあとネットでマニュアルを調べたら、一つ解決策がありそうなので、次の日にそれを試してみたら大成功、また元通り動くようになりました。これで、全部のジャケットを印刷することが出来ます。
 こんな感じで仕上がりました。
 コンサートは一応30分ということでお願いしてあったのですが、CDにしてみると50分以上になっていました。そんなに延びてしまったのは、和尚の前説が長かったせいなのでしょう。
[PR]
by jurassic_oyaji | 2017-05-31 22:05 | 禁断 | Comments(0)
MAHLER/Symphonie Nr.9
c0039487_23463576.jpg




Mariss Jansons/
Symphonieorchester des Bayerischen Rundfunks
BR/900152(hybrid SACD)


ヤンソンスとバイエルン放送交響楽団が来日したのは去年の11月のことでしたね。あれから半年、世の中ではいろいろなことがありましたが、その時にサントリーホールで聴いたマーラーの「交響曲第9番」の余韻は、まだしっかり残っています。そして、その余韻を確かめることを強要するかのように、その日本公演の1か月前にミュンヘンで録音されていたものが、なんとSACDでリリースされました。なんでも、SACDは日本だけの限定商品なのだそうです。確かに、同時にノーマルCDもリリースされていましたね。
去年の日本公演のプログラムのメインは、このマーラーと、シュトラウスの「アルプス交響曲」でした。その「アルプス」は、ミュンヘンではマーラーの1週間前に演奏されていて、その録音もやはりCDとなり、早々と日本のコンサート会場で即売されていましたね。ただ、それはただのCDでしたし、リリースを急いだ結果編集ミスやトラック表記の間違いなどもありました。そのことを輸入代理店に教えてあげたら、何らかの手を打つような答えがあったのですが、例えばNMLなどを見てみるとそこからリンクされているブックレットやバックインレイは全く訂正されていないようですね。その後、別のレーベルのワーグナーのアルバムでもミスプリントがあったので指摘した時には、こちらにあるようにバックインレイと帯解説を速攻で訂正(あるいは改竄)したというのに。
とはいえ、このところSACDからはほとんど撤退していたようだった(最後にSACDを出したのは2010年)BRレーベルが、日本だけのためにSACD仕様のパッケージを用意してくれたというのは、輸入代理店の働き掛けによるものなのでしょう。まあ、もしかしたら「アルプス」での失態を補おうという殊勝な気持ちがあったのかもしれませんね。そのぐらいの謙虚さを、この国の首相も持ってくれるといいのに。
せっかくのSACDですから、しっかりCDとの違いを聴きとろうと、第1楽章の頭の部分を何度も聴き比べてみました。やはり、その違いは歴然としていて、弦楽器の肌触りやソロ楽器の立体感などは、全然違っていましたね。視覚的な比喩になりますが、CDでは紗幕がかかって輪郭がぼやけていたものが、SACDでは何の邪魔者もなく直接見えてくる、といった感じでしょうか。ところが、音楽が盛り上がってきて、ティンパニなども入ってすべての楽器が鳴り出すと、瞬間的にそのティンパニの音がつぶれて聴こえるところが出てきます。明らかに録音レベルの設定を間違えて入力が飽和してしまった状態ですね。ライブ録音ですから、こういうこともあるのでしょう。ただ、同じ個所をCDで聴くと、そもそも最初から音がぼやけているのでそんなことはほとんど分かりません。せっかくのSACDが、ちょっと皮肉な目に遭ってしまっていました。
会場のざわめきの中から聴こえてくるオーケストラの音は、かなり小さめ、でも、そこであわてて音量を上げてしまうと、そのあとのトゥッティになった時には耳をふさがなければいけなくなってしまいます。それほどのダイナミック・レンジが、ここでは再現できているのですから、まあ多少の歪みは仕方がないのでしょう。そこでは、ソロ楽器もホールで聴いたときと同じようにくっきりと聴こえてきます。確かに、ライブの追体験としてはこれ以上のものはありません。
ですから、あの時にヤンソンスが見せたとてもしなやかで懐の深いマーラーも、ここでははっきりと味わい返すことが出来ます。オーケストラを自在に操り、この曲の多面的な姿を存分に聴かせてくれた末に訪れる最後のピアニシモは、ここでも絶品でした。しかし、そこで一瞬会場全体が静まり返った後に、嵐のように巻き起こる歓声は、このSACDには収録されてはいませんでした。最後の静寂が現実のものであったことを知るために、そのあとの拍手はぜひ残しておいてほしかったものです。

SACD Artwork © BRmedia Service GmbH

[PR]
by jurassic_oyaji | 2017-05-30 23:48 | オーケストラ | Comments(0)
マーラーのチケットが10枚売れました
 毎年、この時期に職場で開かれている「かやの木コンサート」は、そもそもはこの若葉の季節を体いっぱいに触れる中で音楽を味わっていただこうと、国の天然記念物の「マルミガヤ」の前が会場でした。最初に始めた時には、その頃私が入っていた「仙台フルートの会」というところに出演してもらい、しばらくはそこが毎年演奏、という形でしたね。
 最近では、名前はそのままに、私以外のスタッフの知人など、音楽に限らずいろいろな分野のグループにお願いしています。去年は「すずめ踊り」でしたね。そして、今年は愚妻が所属している女声合唱団が出演してくれることになっていました。合唱団は以前、私が入っていた男声合唱団が出演したことがありましたが、その時は野外ではなく室内でやらせてほしいということで、本堂で行いました。その時には、ピアノはそこにあったアップライトを使いました。でも、やっぱり仮にもコンサートですから、なんかしょぼい感じでしたね。ですから、もし次に合唱団がやるときには、できればグランドを使いたいな、とは漠然と考えていました。
 今回は、全くの偶然でグランドをレンタルしているところが見つかり、一応はニューフィルとも仕事をしているところなので大丈夫だとは思いながらも、本当はちょっと不安もありながら、そこの楽器を借りることにしました。調律もちゃんとやってくれる、と言ってましたからね。でも、やはり実際に楽器が届くまでは、なんだか果たしてちゃんとしたのが借りられるのかどうかは全く分かりませんでした。
 コンサートの前日のきのう、その搬入の予定時間の少し前に、その調律の人がやってきました。その人は、私もニューフィルのコンサートの前に調律しているところを見ていたり、他のところでも頻繁に目にしていたSさんでした。こんな方と取引しているのだったら、そこの楽器も大丈夫だろうな、と、その時思いましたね。実際、そのグランドピアノは、とても素敵な音を本堂内に響かせてくれました。
 それにしても、この楽器の搬入と据え付けは、とても大変な作業なんですね。
 楽器が到着、前もって打ち合わせてあったように、ガードをくぐれるように、大きなトラックではなく、こんな小さな車です。
 3人がかりで中に運び入れます。
 まずは、足を2本付けただけで、起こしていきます。
 残りの1本の足は、2人が支えている中をもう一人が取り付けます。
 これで場所は決定、Sさんも仕事を始めます。
 ここまでを見届けてから、その日は「杜の都合」のマーラーの初練習に向かいます(結局、調律はそれから2時間半かかりました。)。いつもの旭ヶ丘のホールでしたが、椅子の数はもっとたくさんでした。その管楽器の席はほとんど埋まっていましたが、弦楽器はまだ空席が目立ちます。でも、これがいっぱいになることは間違いないので、そんな空席でも迫力があります。今回は新しいメンバーもたくさん参加していて、私の隣の1番オーボエの人も全くの初対面でした。でも、この人がとても上手なんですね。というか、今まで一緒に演奏して来たオーボエとは全然タイプが違っていて、とてもカッチリした吹き方をするので、ちょっと煽られてしまいそうになってしまいます。この人とぴったり合わせるのはかなり大変なような気がしますが、なんか燃えてきますね。
 そして、今日は朝からコンサートの準備、さらには指揮者やソリストの楽譜を譜面台まで置きに行ったり、合唱団の出のきっかけを指示したりと、私はステマネの真似事のようなことまで、いつの間にかやっていました。
 これが本番、ピアノはすっかり隠れていますが、よく聴こえてきました。
 せっかくですからD-100で録音もやってみました。ただ、リハーサルの時に回しっぱなしにしておいて、それを聴いてレベルを合わせようとしたら、音が全然聞こえてきません。焦ってしまいましたが、そういえば最近はもっぱらラインだけで録音していたので、入力がマイクになっていなかったんですよ。それに気が付いて再度リハを録音、ちょっとゲインが低めだったので微調整したら、本番はかなりきれいに録れていました。例によって、主催者の前説が面白かったので、それも全部含めてCDにしてみんなに配ってもらうつもりです。でも「『トロ』と『イカ』」って、私が教えたネタなんですけどね。
[PR]
by jurassic_oyaji | 2017-05-29 22:15 | 禁断 | Comments(0)
BACH/St. John Passion
c0039487_20205484.jpg

James Gilchrist(Ev), Neal Davies(Jes), Sophie Bevan(Sop)
Iestyn Davies(CT), Ed Lyon(Ten), Roderick Williams(Bas)
Stephen Dleobury/
The Choir of King's College
Academy of Ancient Music
CHOIR OF KING'S COLLEGE/KGS0018(hybrid SACD)


ケンブリッジのキングズ・カレッジ合唱団の起源は15世紀までさかのぼるのだそうです。それが、レコードなどによって広く知られるようになったのは、1957年から1974年まで音楽監督を務めた故デイヴィッド・ウィルコックスの時代あたりからでしょうか。ウィルコックスの引退後にそのポストを譲り受けたフィリップ・レッジャーの後任として、1982年に音楽監督に就任したのが、現在のスティーヴン・クリーブリです。このDleoburyという方の日本語表記は「クレオベリー」や「クロウベリー」など何種類かあるようですが、どうやら「クリーブリ」というのが最も近い発音のようですね。コーヒーには入れません(それは「クリープ」)。例によって、こういう「正しい」表記が今までのものと置き換わることはめったにありませんが。
今回の「ヨハネ」は、キングズ・カレッジの2016年のイースターでのライブ録音です。クリーブリとキングズ・カレッジ合唱隊が演奏したバッハの受難曲は、「マタイ」が1994年、「ヨハネ」が1996年のそれぞれやはりイースターでライブ録音されたCDが、BRILLIANTのバッハ全集としてリリースされていました。さらに、こちらにあるように、「ヨハネ」ではCDとは別テイクのDVDも、別のレーベルから出ていました。ここで興味を引いたのは、CDでは普通の新バッハ全集の演奏の後に、1725年の第2稿で新たに作られた曲が演奏されていたことでした。それだけではなく、DVDでは最初からその第2稿で演奏されていたのです(厳密には、第2稿そのものではありませんでしたが)。クリーブリは、ちょっと詰めが甘いところはありますが、「ヨハネ」の異稿についても彼なりのアプローチを行っていたのでした。
ですから、今回彼らのレーベルで初めてバッハの作品を取り上げた時に、その「ヨハネ」のバックインレイにこんなことが書いてあれば、ちょっと期待をしてしまいます。
ここには、確かに「1724年稿」、つまり「第1稿」によって演奏されている、と書かれていますね。しかし、その次の行には「ベーレンライター社の新バッハ全集」とも書いてあります。この2つの言葉は、全く異なる別の楽譜を指し示すはずなのですが、それが並べられているというのはいったいどういうことなのでしょう。
一つの可能性として、「新バッハ全集」の「付録」が関与しているのではないか、という考え方があります。この楽譜の後半には「新バッハ全集」では採用しなかった「初期稿」と「第2稿」と「第4稿」などの情報が収められているのですよ。ですから、それを使えば、「1724年稿」で演奏することも不可能ではありません。同じようにクリーブリがこの「付録」を見ながら演奏していたのが、先ほどのDVDでの「第2稿」だったのですからね。
ところが、このSACDを聴いてみると、最初の10曲は「1724年稿」ではなく「新バッハ全集」でした。もちろん、「付録」ではなく本体を使っての演奏です。つまり、「1724年稿」という表示は全く事実無根、もっと言えば、「1724年稿」が聴きたくてこのアルバムを買った人にとっては、「偽装表示」という「犯罪行為」にほかなりません。
ここで演奏しているアカデミー・オブ・エンシェント・ミュージックのメンバーとエヴァンゲリストのギルクリストは、2013年に「1724年稿」のようなものを実際に演奏しているのに、この間違いには気づかなかったのでしょうか。
この合唱団の場合、メンバーの入れ替えが激しいので時期によっての出来不出来の差が大きいのですが、今回はどうなのでしょう。とりあえず1996年の録音と比較してみると、こちらの方は限りなく「不出来」に近いようでした。トレブルは仕方がないとして、アルトのパートがかなり悲惨なんですね。それは、コラールなどではごまかすことは出来ても、「Wir haben ein Gesetz」とか「Lasset uns den nicht zerteilen」といったポリフォニーで各パートがソロになると、隠しおおせなくなくなってしまいます。

SACD Artwork © The Choir of King's College, Cambridge

[PR]
by jurassic_oyaji | 2017-05-27 20:22 | 合唱 | Comments(0)
今日は楽天は負けました
 来週月曜日の職場でのコンサートの準備として、私がやっておかなければいけないことは全部終わりました。というか、もう今週の火曜日の時点で当日のプログラムの印刷は終わり、お土産などと一緒に袋詰めにする作業もすでに終わっていたのです。しかし、そこに、ゲストの合唱団から「コンサートの案内は入れていただけましたか?」という問い合わせが来ました。そうだった、確かに、打ち合わせの時にプログラムの中に秋に行われるその合唱団のコンサートの案内も入れておきますよ、と言っていたことを、すっかり忘れていました。いや、実はそれも含めての原稿をお願いしてあったのが、結局資料だけ渡されてあとはお任せ、みたいなものに変わってしまったので、その時点で先方も忘れていたようですね。ですから、私も最初は全員合唱用の歌詞カードの裏側にでも印刷しようかと思っていたのですが、実際に歌詞カードを作っている時にはそんなことは完全に頭の隅からも消えていましたよ。
 ですから、構想通りに、袋詰めをしてしまった歌詞カードを全部抜き出して、その裏側に案内事項を印刷すればいいのでしょうが、それではせっかく袋詰めした労力が全く無駄になってしまいます。だったら、本物のチラシを作ってそれを袋に入れてやろうじゃないか、と思いつきました。ここのチラシはいつも見ていますし、ほぼ同じものが手元にあったので、それをスキャンして加工し、まるで本物のようなチラシを作るのは簡単なことです。せっかくだから、トンボを入れて、まわりを切って余白のないものにしてみましょう。
 ほんの2,3時間でそれは出来上がり、お客さん全員に配れるだけの枚数のプリントを始めました。それを、印刷が終わったものから順次トンボで切断していくと、なんだかまわりの余白にスジのようなものが入るようになってきました。そこであわてて一番新しい印刷チラシを見てみると、もう余白が真っ黒になるぐらいの汚いものになっていましたよ。これは、一旦止めてサービスを呼ばないとダメですね。どうやら、ドラムを交換する必要がありそうです。
 サービスはすぐに来たので、そのプリントを見せると、サービスマンはドラムではなく、トナーの清掃系の部品の摩耗だということで、その場で部品をバイク便で手配して交換しました。そうしたら、すっかりきれいに印刷できるようになりましたよ。ひとまずこれで安心です。でも、もし、最初のプランで歌詞カードの裏側に印刷していたら、それも使えなくなっていてもっとひどいことになっていたところでした。まあ、とんだところで被害を最小限に抑えることが出来たということですね。
 そんなわけで、今日の夕方にはやっと時間が取れたので、今年の「駅コン」に行ってみました。毎年、新田さんが指揮をして仙台フィルが駅のコンコースで演奏するのですが、今年はなんとイベールのフルート協奏曲を全曲演奏するというので、だいぶ前から楽しみにしていました。
 仙台駅は最近大々的な改修工事が行われて、コンコースの1段上の階がとても広々となりました。ですから、そこから下を見渡せるスペースが格段に広がりました。でも、私が行った時には真ん中あたりはもう一杯、かろうじて上手寄りがあまり人がいなくて、一人ぐらいだったら一番前に入れそうなスペースがありました。そうしたら、そこは空いてはいるのですが、なんだか両手を大きく広げて「席取り」をしている風の人がいました。そんなことをしても人がいないのでは意味がないよ、ということで、わざとトートバッグをその手のそばに置いて中からカメラを出してみたら、その人は驚いたように私の顔を見て私の名前を呼びました。一瞬誰かと思ったら、それはニューフィルの元団員でした。なんでももう一人の、やはりニューフィルの今の団員と一緒に見るために、席取りをやっていたんですって。そして、私の顔ではなく、カメラを見て、そこにいたのが私だと分かったのだそうです。結局、もう一人の人もすぐ来たので、3人の新旧ニューフィル団員が並んで駅コンを楽しむことになりました。
 今年も満席、コンコースの椅子席は、1時間ぐらい前にいっぱいになっていたそうです。
 新田さんはMCも担当。でも、風邪でもひかれたのでしょうか、声がガラガラだったのがお気の毒。でも、指揮ぶりはいつもの通りきびきびとしたものでした。
 イベールの協奏曲を生で聴いたのは初めてのことでした。仙台フィルの戸田さんのフルートは素晴らしかったですね。
 客席には、音楽監督のヴェロさんも。
 終わってから新田さんにご挨拶しようと思っても、なんだか忙しそうなのであきらめました。そうしたら、偶然フルートのAさんが通りかかって、しばらく立ち話。ニューフィルの「レニングラード」を聴いてくれたのだとか。冷や汗ものですね。
 こんな写真をFacebookにアップしたら、自動的に新田さんにタグ付されてしまって、新田さん宛ての「いいね!」が私のところに殺到しています。
[PR]
by jurassic_oyaji | 2017-05-26 22:09 | 禁断 | Comments(0)
PENTATONIX/Vol.IV Classics
c0039487_20170449.jpg




Pentatonix
Dolly Parton
RCA/88985423412


最近ではテレビCMにも出演して、「お茶の間デビュー」を果たしたペンタトニックスの最新アルバムです。タイトルが「第4巻」というのは、4番目のEPということですね。それぞれ6,7曲しか入っていないアルバムなので、かつての7インチ径、45回転のレコードの名前を転用してそのように呼ばれています。でも、この言い方は「EP=シングル盤」という認識が刷り込まれている人にとっては馴染めないでしょうね。
それはともかく、きちんと10曲以上が収録された彼らの2015年の「フル・レングス」のアルバムの冒頭を飾っている「NA NA NA」というオリジナル曲までが、日本ではビールのCMの中で使われていますね。ですから、このEPの国内盤には、この曲がボーナス・トラックとして収録されています。もちろん、アルバムを持っている人にはこんなものは要りませんから、輸入盤で十分です。
このEPは、全曲カバーということで「クラシックス」と、今まで彼らのCDにはクリスマス・アルバム以外には付いていなかったサブタイトルが付けられています。もちろん、これは「クラシック音楽」とは全く別の意味の言葉で、「ポップス界の名曲」といったぐらいの意味です。まあ、「クラシック音楽」は全てカバー曲なので、完全に「別」とは言えないのかもしれませんが。
ここでカバーされている名曲は、クイーンの「ボヘミアン・ラプソディ」、ジョン・レノンの「イマジン」、アンドリュー・シスターズの「ブギ・ウギ・ビューグル・ボーイ」、ジュディ・ガーランドの「オーバー・ザ・レインボウ」、A-haの「テイク・オン・ミー」、エルヴィス・プレスリーの「好きにならずにいられない」の6曲と、輸入盤ではボーナス・トラックになっているドリー・パートンの「ジョリーン」の、計7曲です。「好きにならずにいられない(Can’t Falling in Love)」はそれ自体がカバーですね。
彼らは、もちろん今までも数多くのカバーを手掛けてきましたが(Perfumeまで!)、多くの場合、オリジナルを大切にしたアレンジを施す、という姿勢がとられているのではないでしょうか。彼らを一躍有名にした「ダフト・パンク」にしても、それぞれの曲はかなりオリジナルに近いもの、それをいかにア・カペラで再現するかというところが聴きどころだったはずです。
ですから、最初の「ボヘミアン・ラプソディ」では、オリジナルの複雑な構成とサウンドがそのまま5人だけのアンサンブルで再現されていることに驚かされてしまいます。そこでは、フレディがピアノの弾き語りで左腕を交差させて高音フレーズを弾いている映像までが眼前に広がってくるようでした。
「イマジン」では、オリジナルは正直あまり良い曲だとは思っていませんでした。構成があまりにシンプルすぎて嘘くさいんですね。忙しい人が強いて聴くほどのものではない、と(「暇人」だったらいいのかも)。ところが、今回のバージョンでは、そんなシンプルさを逆手にとってとても細かいところで心に突き刺さってくるような憎いアレンジになっています。何より、コーラスで歌い上げられた時のメッセージの強さと言ったらジョンの貧弱なボーカルの比ではありません。まさにオリジナルを超えたカバー、聴きながら涙がこらえられないほどのすばらしさです。
最後の曲は、オリヴイア・ニュートン・ジョンのカバーも有名ですが、作ったのはドリー・パートン、ここではなんと彼女自身がフィーチャーされているというサプライズ付きです。ご存知でしょうが、このトラックは2016年9月にYouTubeにアップされたもので、今年のグラミー賞を受賞しています。カテゴリーは「最優秀カントリー・デュオ/グループ・パフォーマンス」ですね。これで、ペンタトニックスは3年連続グラミーを受賞なのだとか、「カントリー」まで制覇して彼らはますます凄さを増しています。
ただ、1日1回は目にする「パズドラ」のCMからは、おそらく、この凄さは伝わってくることはないでしょう。あれはオリジナルがひどすぎます。

CD Artwork © RCA Records

[PR]
by jurassic_oyaji | 2017-05-25 20:19 | 合唱 | Comments(0)
本当は具がないのが多数派
 今回の朝ドラ、相変わらずサントラのセンスの悪さには引いてしまってばかりですが、職場の合唱団が登場するようになってちょっと印象が変わってきましたね。つまり、この間までBSで再放送をやっていた「てるてる家族」に通じるものがあるのでは、という気がしてきたのですよ。「てるてる」で音楽を担当していたのは、宮川泰、今の朝ドラの担当の宮川彬良のお父さんですね。彼がやったのは、ドラマをミュージカル仕立てにすることでした。それこそ、何の前ぶれもなくいきなり登場人物が歌い出すんですから、最初のころは「これはひどい!」と思いましたね。でも、こういうものは慣れるとだんだん面白くなるもので、逆に「朝ドラでよくこんなことができたな」と心配になったこともありましたね。確かに、もう使いたい曲を無制限に歌わせていたようで、後にDVDを出すときに使用の許諾が得られなくて、その部分だけカットしなければいけなかったようですね。ですから、完全版の映像という商品はそれまで存在していなくて、この再放送はとてもレアなものになっていたのだそうです。そんなことを知ったのは、もう半分以上ドラマが終わってしまった頃ですが、それで別に悔しいとは思いませんでしたけどね。
 そんな父親と同じようなことを、息子の方はまず合唱団で実現させました。最初に「手のひらを太陽に」が出てきた時には、まだこの曲は作られてはいないんじゃないか、と思ったのですが、調べたらギリギリで間に合ってましたね。その次は「トロイカ」でしょうか。「『トロイカ』ってなに?」と聞くと「それは『トロ』と『イカ』だよ」なんてベタなセリフが出てくるわけもなく、きちんと博学な子が説明してくれましたし、もしかしたら、と思っていた「バイヤン」も、きちんと「あのアコーディオンみたいな楽器」なんて答えるんですから、この子の知識には驚くしかありません。「本当は『バイヤン』じゃなくて『バヤン』だよ」と言ってくれたら、もっと驚いたことでしょう。
 それにしても、音取りもパート練習もしないで、初見の曲を歌ってしまうんですから、この合唱団の力はすごいですね。そのあとは「椰子の実」とか「夏の思い出」とか、最近ちょっと調べている曲が出てきたのもうれしかったですね。「夏の思い出」はイントロを聴いただけですぐわかりました。もしかしたらそのうち父親の曲なんかも歌わせるようになるかもしれませんね。「ウナ・セラ・ディ東京」なんかはもう出来ていましたから。
 そして、今日はまさかの「ウエストサイド物語」です。しっかり体育館のダンスを踊りだすのですから、もう間違いなくミュージカル路線への伏線ですよ。つい、素朴な茨城弁に騙されそうになってしまいますが、このドラマには実は洗練された最先端のエンターテインメントの要素が込められているのです、なんてね。
 ただ、ここで「ステージで演奏される『ウエストサイド物語』を見てみたいなあ」と指揮者が言っていましたが、調べてみたらこの前にすでにブロードウェイ・キャストが来日していたそうですね。てっきり劇団四季あたりが最初だと思っていたのですが、もっと前にそんなのがあったんですね。私も知らなかったので、このドラマの関係者(宮川さんも含めて)が知らないのは仕方がありません。
 その、劇団四季のミュージカルでは、しっかり生のオーケストラがピットに入っていました。そこで指揮をしていたのが高橋悠治だったというのは有名な話です。というか、実際に私はこのステージを見ているのですが、そこで、それまでずっと現代音楽のコンサートで追っかけていた高橋悠治が指揮をしていたのを知って、とても驚いたことがありました。それより驚いたのは、映画と同じ編曲で音楽が演奏されていたことです。あの映画を見た時には、音楽はかっこいいのに、なんか編曲が野暮ったいというか、ちょっと古臭いような気がしていたんですよね。ですから、それからかなり年月が経っていたので、もっと「現代的」なアレンジで聴けると思い込んでいたものですから。その後、いろいろなことを体験して、そんなことはあり得ないことを知るようになるのですが、その時には本気でそう思っていましたよ。
 たとえば、私の体験では、カツカレーのカレーには「具」もきっちり入っているものでした。ですから、この間「KAYA」で「具」のないカレーのカツカレーが出てきたので心底がっかりしたのですが、きのうの練習前に同じものを頼んだら、そこには
 ちゃんとたくさんの「具」が入っていました。カツも心なしか大きめ、この間のカツカレーは、いったいなんだったのでしょう。
[PR]
by jurassic_oyaji | 2017-05-24 22:02 | 禁断 | Comments(2)
MANSURIAN/Requiem
c0039487_22532360.jpg

Anja Petersen(Sop)
Andrew Redmond(Sop)
Alexander Liebreich/
RIAS Kammerchor
Münchener Kammerorchester
ECM/481 4101


アルメニアの作曲家、ティグラン・マンスーリアンは、毎月新作を発表していますが(それは「マンスリー」)、2011年には「レクイエム」も作っています。
この年号を見て「もしや」とも思ったのですが、この年に日本で勃発した大災害とは何も関係はないようです。というより、作り始めたのは2010年ですから、まだあの悲劇は起こってはいませんでした。作曲家によれば、ほぼ1世紀前、1915年から1917年にかけての、トルコによるアルメニア人の虐殺の被害者の想い出のために作られたのだそうです。それは、彼自身の家族へもおよんだ事件だったのです。
委嘱は、このCDで演奏しているRIAS室内合唱団とミュンヘン室内管弦楽団からのものでした。初演はもちろんリープライヒの指揮するこの団体によって、2011年11月19日に、ベルリンのフィルハーモニーの室内楽ホールで行われました。それに続いて、23、24、25の3日間ドイツ国内で演奏が行われ、2013年1月16日には同じメンバーによるアルメニア初演も行われました。
それ以降、今日までに韓国、アメリカ、ポーランド、メキシコ、オーストリア、エストニア、スイスなど、世界中で演奏されています。
今回の録音は、作曲家の立会いのもと、献呈者、つまり初演メンバーによって2016年1月に行われました。会場はかつてカラヤンとベルリン・フィルが使っていたベルリンのイエス・キリスト教会です。ブックレットに写真がありますが、オーケストラは弦楽器だけが6.5.4.4.2で、左からVnI、Va、Vc、VnIIと並び、Vcの後ろにCbが来るという、変則的な対向配置になっています。合唱も、左からベース、アルト、テナー、ソプラノというやはりちょっと珍しい並び方です。楽譜には特に配置に関しての指定はないようなので、これは演奏家のアイディアなのでしょうか。特にオーケストラでヴァイオリンが左右に分かれているのは、同じ音のロングトーンを受け渡すようなシーンでとても効果的です。
まずは、その会場の響きを熟知し、完璧な音を記録した「トリトヌス」のペーター・レンガーとシュテファン・シェルマンの2人のエンジニアの仕事ぶりに圧倒されました。全体はしっとりと落ち着いたモノトーンに支配され、豊かな残響に包まれています。オーケストラはそれほどの人数ではありませんが、とても充実したサウンドが広々とした音場で広がっています。そして、合唱は40人ほどですが、全く歪のない透き通った音は驚異的です。
この「レクイエム」は、伝統的なラテン語のテキストによって作られています。ただ、作品は演奏時間が45分程度とちょっと短め。それは、テキストのうちの長大なSequentiaからは、「Dies iras」、「Tuba mirum」、「Lacrimosa」の3つの部分しか使われていないからです。
なんでも、アルメニアというのは、世界で初めてキリスト教を「国教」と定めた国なのだそうです。作曲家によれば、全く同じテキストでも、ローマ・カトリックの教会での受け止め方とはかなり異なっているということです。おそらく、それはこの曲を聴いたときにはっきりと聴衆には伝わってくるはずです。時折ユニゾンで聴こえてくる聖歌のメロディは、カトリックでの音楽がベースとしたグレゴリア聖歌とは、微妙なところで雰囲気が別物です。
とは言っても、やはり死者を悼む気持ちを表現する時には、そのような些細なことはあまり問題にならなくなってきます。「Reqiem aeternam」の冒頭の和声は、まるでメシアンのように響きますし、次の「Kyrie」でのリズミカルな変拍子の応酬は、まるでバーンスタインの音楽かと思ってしまうほどです。そして、全体の雰囲気が、大好きなデュリュフレの作品とどこかでつながっているような気がしてなりません。またお気に入りの「レクイエム」が増えました。
中でも、ヴァイオリンのソリストのグリッサンドによる下降音から始まる「Lacrimosa」は、直接的に「悲しみ」が伝わってくる感動的な曲です。心の震えを抑えることが出来ません。

CD Artwork © ECM Records GmbH

[PR]
by jurassic_oyaji | 2017-05-23 22:57 | 合唱 | Comments(0)
ネタバレはありません
 子供のころは、「少年サンデー」と「少年マガジン」を創刊号からずっと読んでいましたが、大人になってからはそういう習慣はなくなっていました。かろうじて「ビックコミックオリジナル」だけは、毎週欠かさず立ち読みをするだけです。それも、最近では読むものが極端に少なくなっていて、「黄昏流星群」と「どうらく息子」しか読まないようになっていましたね。それ以外のものは、全く読もうという気にならないのですよ。特に絵が、生理的に受け入れられないようなものばかりで。とりあえず「どうらく」の方は読みごたえがあるので、毎号楽しみにしていました。
 ところが、きのうの最新号を見てみたら、その「どうらく」が載ってません。よくよく考えてみると、その前の号でも読んだ覚えがありません。そう、それでもう1度読み返して確かめてみようと思っていたら、すでに次の号が出ていたんですね。休載なのかな、と目次を見ても何の告知もありません。そうしたら、なんとこれはもう終わっていたというのですね。ですから、その「最終回」は確かに読んでいました。でも、記憶をたどると、とてもこれが最後とは思えないような内容だったような気がしますけどね。物語からしても、まだまだ先があるような作り方でしたし。
 ということは、これは体のいい「打ち切り」だったのでしょうか。なんか、とても気になります。
 もう一つの「黄昏」も、もうただ習慣で読み続けている、というだけですね。最近は完全に予想通りの展開、つまり、全く当たり前の結果しか出てこないというのには、本当にがっかりさせられます。もうストーリーを作り出すことが出来なくなっているのですから、潔く引退したらいいのにな、と思ってしまいますね。今の養殖漁業の話が終わったら、もう「オリジナル」を立ち読みすることはなくなるでしょう。これも創刊号以来という長い付き合いでしたが、これが潮時というものです。何事にも終わりはあります。
 こんな先が見通せる安直なコミックではなく、もっと強固なプロットを持った本は、やはり読んでよかったと思えるものがたくさんあります。最近読んだのが、この2冊。
 「京都寺町三条のホームズ」は、なんか軽いものが読みたくて「ジャケ買い」した第1巻がとても面白かったので、続巻が出るたびに読んでいます。それが今では7巻目、高校生だった主人公がそろそろ大学生になってしまうので、もうこのシリーズも終わりかな、と思って読んでみると、あとがきにはまだ続ける用意があるようなことが書いてあったので、まずは一安心。この作者だったら、いたずらに長引かせて「黄昏」の轍を踏むようなことはないでしょう。というのも、巻を重ねるにつれて、どんどん中身が濃くなってきていますからね。最初のころは、なんとも他愛のない話だったのが、今回などは恐ろしいほどの深いところまで行きついていましたよ。ある意味、登場人物の成長譚なのですが、作者自身も成長しているというのがよく分かります。
 成長はやはりどんな人にも必要なものなのではないでしょうか。それをやめてしまった人には、もう何の興味もなくなってしまいます(〇谷〇喜とか)。
 もう一つの東野圭吾については、もう完成されている世界ですから、新しい本を読んで裏切られたことはありません。ただ、この「虚ろな十字架」では、途中でちょっと「これは」と感じてしまうような場面がありました。ちょっと、「主張」が強すぎるんですよね。それも、かなりデリケートな問題で、相当の断定的な主張が登場人物から発せられるんですよ。ちょっと引いてしまいましたね。でも、それにはきちんと意味があったことが、最後になると分かります。いつもながらの、どこにも無駄のない伏線がきちんと張られていたのでした。つまり、清貴くんが葵ちゃんと別れたようなものなんですね。
[PR]
by jurassic_oyaji | 2017-05-21 21:27 | 禁断 | Comments(0)
唱歌・童謡 120の真実
c0039487_20494656.jpg







竹内喜久雄著
ヤマハミュージックメディア刊
ISBN978-4-636-91064-3


「唱歌」や「童謡」についてはかなりのことを知っていると思っているのですが、本屋さんにあったこんなタイトルの本の帯に「名曲誕生伝説のウソを徹底調査!」などという挑発的なコピーが躍っていれば、手に取って読んでみないわけにはいきません。
タイトル通り、ここには全部で120曲の、主に子供が歌うために作られ、時代的には「唱歌」、「童謡」、さらには「こどものうた」とその呼ばれ方を変えてきた歌の詳細なデータが掲載されています。それぞれの歌は1曲ずつ見開きの2ページに印刷されているのが、とても見やすい工夫です。左のページには、歌詞と楽譜、そして作詞者、作曲者はもとより、その曲が初めて世の中に現れたデータまでもがきちんと載っています。特にうれしいのは、今までは「文部省唱歌」という表記だけで、個別の作家の名前が全く分からなかった曲に、しっかりクレジットが表記されていることです。
明治政府がどのような姿勢で「唱歌」を作り、流布させたかということに関しては、以前ご紹介した「歌う国民」という本に詳しく述べられていましたが、そこでは作詞家や作曲家の名前は明らかにしないという方針が貫かれていたのですね。みんなとてもよく知っている曲なのに、単に「文部省唱歌」とだけ表記されて、実際に作った人の名前のないものが、かつてはたくさんありました。それが、近年の研究によってかなりのものの作者がきっちり特定できるようになりました。その成果がここでは生かされています。たとえば、1987年に出版された「ふるさとの四季」という唱歌を集めた合唱のためのメドレーには11曲の唱歌が使われていて、そのうちの6曲が「文部省唱歌」となっていたのですが、ここではそのうちの4曲にしっかり作家の名前がありました。どんな歌にも必ずそれを作った人はいるのですから、それを明確に表記するのはとても大切なことです。
「唱歌」と「童謡」との境界線はなにかということに関しては様々な見解があるでしょうが、単に楽譜が出ただけではなく、それが実際に「音」となって世の中に広まった物が「童謡」だ、という見方もあるかもしれません。ということで、初出データも、ある時期からはレコードがリリースされた時のレーベルやアーティストになってきます。こんな扱いも、おそらく今までのこの手の本にはなかったことなのでしょう。
長年気になっていたことが、初めて腑に落ちた、というものも有りました。それは「おもちゃのチャチャチャ」の作詞家の件です。この曲では作詞家のクレジットは野坂昭如となっていますが、そこに「補作詞:吉岡治」と書いてあるものも有るのです。常々、野坂の小説の世界とこの曲の歌詞との間にはあまりにも大きな隔たりがあると思っていたのですが、その疑問は氷解しました。
ただ、気になることはいくつかあります。巻末には参考文献として「インターネット」というカテゴリーもあるのですが、その筆頭がWikipediaというのは、ちょっと情けないですね。さらに、それらの文献からの「参考」では済まない、ほとんどコピペのような文章にも、しばしば出会えます。先ほどの「おもちゃのチャチャチャ」などは、その一例です。
そして、これは2017年3月に刊行されたばかりの新しい書籍なのですが、実は2009年9月に、同じ著者による「唱歌・童謡100の真実 ~誕生秘話・謎解き伝説を追う~」という書籍が出版されているのです。この件に関して著者は「追記」として、「本書は、最初の構想では第1章から第4章までの100曲で完結していた。それが、さらに20曲について言及する『付章』を加えることになった」とは書いていますが、2009年版に関する言及は全くありません。これは、ちょっとアンフェア。
「カチューシャの唄」を「野口雨情作詞」としているちょっと恥ずかしい誤記(134ページ)もありますし(語気を強めて抗議しましょう)。

Book Artwork © Yamaha Music Entertainment Holdings, Inc.

[PR]
by jurassic_oyaji | 2017-05-20 20:51 | 書籍 | Comments(2)