おやぢの部屋2
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一番売れるのは綾鷹
 このところ、なんだか蒸し暑い日が続いています。そのせいでしょうか、職場の自販機の売れ行きも、少し活発になってきたような気がします。これからが、この自販機にとってはとても忙しい時期になるのでしょう。去年新しい機械に交換した時に、扱う製品を少し整理して、極力無駄のないようにしてあったので、管理はかなり楽になっています。そのまま仕入れる製品を変えずに足らなくなったものだけを補給していれば、あとは何もしなくてもいいようなシステムがしっかり構築されていたのでした。
 ところが、半月ほど前にいつものように注文をしようとしたら、ある商品が「もう扱っておりません」と言われてしまいましたよ。それは、「アクエリアス」の280PETです。いや、「アクエリアス」そのものはちゃんとあるのですが、このサイズはもうなくなってしまったのだそうなのですよ。「500PETしかありません」と言うのですね。うちの場合、一時500PETのコーラなども扱っていたのですが、あまり売れ行きが良くなかったので、やめてしまったんですよね。500mlって、結構多いですから280mlで十分なんですよ。うちに来るような人は。ですから、「綾鷹」も「い・ろ・はす」も全て280だけで、もう500は一切扱わなくなっていたのに、ここに来てまたそれを扱わなければいけないなんて。でも、アクエリアス自体はコンスタントに売れるものですから、置かないわけにはいかないんですよ。
 まあ、機械の仕様としては、どんなサイズにも対応しています。実は、今280のアクエリアスが入っているカラムも、しっかり500まで入る大きさでした。ですから、そのまま同じカラムを使うことができるので、交換作業は簡単です。ただ、容量が変われば当然価格も変わってきますから、その交換のタイミングは慎重にしなければいけません。しかも、無駄なく全部販売できるように、280を売り切ったところで500に入れ替えて価格を変更したいものです。ですから、280が最後の1本になった時に、その上から500を1本だけ入れておきました。普通、自販機では最後の1本は出てこないようになっています。これは、空になって新しい商品を入れた時に、最初の1本だけはきちんと冷えたものを提供できるようにするためです。つまり、まだ1本残っている状態で「売り切れ」の表示が出るようになっているのです。これだと、補給した後で、とりあえず最初に買った人だけは冷たいのが飲めますが、すぐに次の人が買おうとすると、それはまだ生暖かいものになってしまいますけど、仕方がありません(いや、実は、そのカラムだけ一定時間売り切れ状態にするタイマーもあるんですけどね)。
 いずれにしても、この「2801本の上に5001本」という状態にしておけば、最後の280が売れた時点で売り切れになりますから、そこで価格を変えることが出来ます。ただ、それまではコンスタントに売れていたものが、それからはだれも買ってくれなかったようで、2日間待ってみても売り切れにはなっていませんでした。今日変更しておかないと、週末のお客さんを逃してしまいますから、もう280を売るのはあきらめて、変更作業を敢行することにしました。
 そこで、まず強制排出でその280を出そうとしたのですが、それが出来ません。なんか、排出の部分が全然動かなくなっているみたいです。調べてみると、短い280はカラムの右端に入っていたので、その上に長い500が斜めになってつっかえていました。これが引っかかって出てこれなくなっていたんですね。何とか手を入れてその500を取り出すと、やっと280が出てきました。ということは、おそらくアクエリアスを買おうとする人が来たのに、いくらボタンを押しても何も出てこないという状態になっていたようですね。あきらめてコインを戻して、別のものを買っていたのでしょう。売れるのを待っていたら、永遠に交換が出来ないところでした。
 あとは価格設定を変えて、満タンにしておいたら、数時間で2本売れていましたから、やはり買いたい人がいたみたいですね。2本目がちゃんと冷えていたことを願うばかりです。
 大げさですが、今までずっと変わらないと思っていたものを変えるのには、相応の痛み(手間)が伴うみたいですね。
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by jurassic_oyaji | 2017-06-30 22:55 | 禁断 | Comments(0)
WAGNER/Parsifal
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Jess Thomas(Parsifal), George London(Amfortas)
Hans Hotter(Gurnemanz), Iren Dalis(Kundry)
Gustav Neidlinger(Klingsor), Martti Talvela(Titurel)
Hans Knappertsbusch/
Chor und Orchester der Bayreuther Festspiele
DECCA/UCGD-9055/7(single layer SACD)


半世紀以上前から「名盤」の誉れが高かったクナッパーツブッシュの「パルジファル」が、ついにSACD化されました。第二次世界大戦後に再開されたバイロイト音楽祭は、運営と演出はヴィーラントとヴォルフガングのワーグナー兄弟によって支えられていたとされていますが、演奏面で支えたのは紛れもなくクナッパーツブッシュでした。ですから、1951年から1964年まで、ほぼ毎年この音楽祭の象徴である「パルジファル」の指揮を行っていました。それらの音源は怪しげな海賊盤を含めて無数にリリースされていますが、1962年にPHILIPSによってステレオで録音されたものは、それらの中では抜きんでたクオリティの音で、各方面で絶賛され続けています。
もちろん、すでにCDにはなっていますし、2010年頃にはSPEAKERS CORNERによってマスターテープから新たにカッティングとプレスが行われ、ブックレットまで完全に復刻されたLPもリリースされています。
今回、国内盤限定でリリースされたのはシングル・レイヤーSACD、例によって3枚組で税込1万円超という、とてつもない価格設定です。すでに同じ音源のデータ配信も始まっていますが、それだと全曲が税込3680円(2,8MHz DSF、24/192 FLACとも)で購入できることを考えたら、その異常さは際立ちます。ただ、CDでは4枚組、第1幕の途中でディスクを交換しなければいけませんが、シングル・レイヤーSACDでは第1幕全体107分を1枚に収めることができるので、3枚組になっています。
確かに、ワーグナーの作品はどれも1つの幕の間中音楽は続いていますから、出来れば途中で切れ目を入れずに聴きたいものです。そういう意味ではこの「3枚組」のSACDは画期的です。もっとも、BD-Aやファイル再生だったら幕間までも止めずに聴けますけどね。
この音源は元々はPHILIPSのエンジニア、ハンス・ロウテルスレイガーの手によって録音されたもので、この劇場のライブ録音としては奇跡的なバランスと透明性を持っていました。しかし、このレーベルは今ではDECCAに吸収されているので、今回のハイレゾ・マスタリングは元DECCAのエンジニア集団のCLASSIC SOUNDによって行われています。その結果、先ほどの、PHILIPSのマスターを忠実にカッティングしたLPでは確かに感じられたPHILIPSの音が、完璧にDECCAの音に変わってしまっていました。まるで、絹のように繊細だった弦楽器の音は、かなり生々しい、あえて言えば「どぎつい」音になっていたのです。これは、以前小澤征爾の「くるみ割り人形」を聴いた時にも感じたことです。念のため、FLACのファイルを4分だけ買ってSACDと比較してみたのですが、それは全く同じ音でした。
このLPは、SPEAKERS CORNERにしてはとても良い盤質で、サーフェス・ノイズがほとんどありません。そこで聴こえてきたバイロイトのちょっとくすんだ、それでいて透明感のある音には心底圧倒されていたので、この、かなり「無神経」なSACDの音には完全に失望させられてしまいました。
もちろん、LPの音はそれだけでSACDとは全く異なっていますが、これも念のためやはりSPEAKERS CORNERのDECCA盤(ショルティの「エレクトラ」)を聴いてみると、そこからは、まぎれもないDECCAサウンドが聴こえてきますからね。
さらに、LPと比較すると、各所で「修正」された個所を見つけることが出来ます。場内のノイズがかなり「消されて」いて、特に、聴衆の咳払いはほとんどの場所で「消えて」います。もちろん、細かい演奏のミスなどは変わりませんから別テイクではありません。
そんな「些細」なことよりも、マスターテープそのものの劣化の方が気になります。この前のカラヤンの「トスカ」ほどではありませんが、このSACDのためにトランスファーされた時には、明らかにLPのカッティングの時よりも劣化は進んでいたようです。なにしろ、LPにはなかったドロップアウトが聴こえたりしますからね。
そんなものをこの値段で売りつけるのは、はっきり言って「詐欺」です。烈火のごとく怒りましょう。

SACD Artwork © Decca Music Group Limited

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by jurassic_oyaji | 2017-06-29 20:42 | オペラ | Comments(0)
「セブン」ではありませんでした
 朝ドラは、みね子が引っ越してから俄然調子が出て来たみたいですね。やはり早苗さんの出現がポイントでしょうか。今週はビートルズ来日ネタ、それに絡めて「わたしは、リンゴ」ですからね。分かりますよね。彼女もドラムをたたきながら歌ってますからね。
 きのうのニューフィルの練習では、必要だった写真をもう一人分撮ったので、これで全部の写真が揃いました。その人は私のすぐ隣で吹いているのですが、エルガーの交響曲第1番をやりながら、「これ、今度シティ・フィルが演奏するんですよね」などと、貴重な情報を教えてくれました。最近知ったのですが、彼(彼女)は日本のオーケストラの情報にはかなり詳しくて、どこのオーケストラの常任指揮者がだれかだけではなく、客演指揮者のことまでよく知っているようでした。もちろん、私が11月に聴きに行くメシアンのことも知っていました。ちょっと前に書きましたが、私がチケットを買ったので、買おうと思ったらすでに売り切れだと知ってがっかりしていたのは、彼(彼女)です。
 帰ってからそのエルガーのことを調べてみたら、確かにこちらにありました。指揮者は私もモーツァルトの「レクイエム」で指揮されたことのある藤岡さんですね。休日ですから、行ってみようかな、とも思いましたが、この日は「杜の都合」の練習と、マンションの夏祭りですでに予定は埋まってしまってました。でも、せっかくの情報ですから、ニューフィルのサイトからリンクを張っておきましたよ。考えてみれば、このサイトは全国の人が見ているのですから、演奏会の案内もなにも仙台だけに限ることはないのですよね。これからも、こんなのを見つけたら載せることにしましょう。情報、待ってます。
 その練習の後には、また選曲の会議がありました。メインはもうチャイコフスキーの5番に決まったので、その前曲の候補選びです。結局、私の希望はことごとく落とされて、なんだかしょうもないものばかりが残ってしまったようですね。ほとんどが消去法で落とされて、その結果残ったというのですから、ポリシーも何もない曲の羅列です。悪しき民主主義が、ここでも大手を振っていました。
 メインにしても、結果的に仙台市内で同じ曲がうちの演奏会の前後に並ぶことになってしまいましたね。これも、変な原則を貫いた結果です。ということで、そんな結果を客観的に伝える「かいほうげん」では、おそらく発行までには全曲は決まらないでしょうから、メインだけでも紹介して、その前後のコンサートもきちんと紹介しておきましょう。それをさっきのエルガーと組み合わせて2ページ、というのを作っておきました。これで、今回は私の仕事はほぼ終わったも同然です。
 これは、最近読み終わった本。設定がかなり非現実的なのにはちょっとたじろぎましたが、読み始めてみるととてもすんなり入っていける心地よさがありました。一応ミステリーというか、謎解きが本来の趣旨なのでしょうが、それよりも二人の不器用な友情の関わり合いにとても惹かれてしまいましたね。やはり最後にものを言うのは、いかに現実をていねいに描くか、なのではないでしょうか。
 ですから、奇抜さと非現実しか追求していない「貴族探偵」は、ドラマになっても面白いわけがありませんでした。一応最後まで見ましたが、もうずっと相葉くんがかわいそうで仕方がありませんでした。なんでこんなドラマに出演したのでしょう。あと、「謎をひもとく」という言い方は間違いです。
 その点、みね子は、着実に好感度を高め続けているのではないでしょうか。彼女からは現実味が滲み出しています。というか、現実にこんな人がすぐ周りにいそうな気がしますから。
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by jurassic_oyaji | 2017-06-28 22:51 | 禁断 | Comments(0)
VERDI/Requiem
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Erika Grimaldi(Sop), Daniela Barcellona(MS)
Francesco Meli(Ten), Michele Pertusi(Bas)
Gianandrea Noseda/
London Symphony Chorus(by Simon Halsey)
London Symphony Orchestra
LSO LIVE/LSO 0800(hybrid SACD)


オーケストラによる自主レーベルとしては先駆的な役割を果たしていたロンドン交響楽団のLSO LIVEレーベルですが、そのクオリティの高さと安定したリリースでは、他の同様のレーベルを寄せ付けない勢いです。なんと言っても、最近のリリースは全てハイブリッドSACD、場合によってはBD-Aというハイレゾのメディアですからね。そんな好調なリリースの積み重ねで、今回のアイテムは品番が「800」にもなっていました。ここは確か「001」から始まるシリアル・ナンバーがそのまま品番になっていたはずですから、ということはもう800点もの録音が揃ってしまったのでしょうか。
いや、いくらなんでもそれは多すぎます。あのNAXOSとは違ってこちらは年間のリリースはせいぜい十数タイトルでしょうから、出来てから20年にも満たないレーベルでそれだけのタイトルがあるわけがありません。その「謎」を解くために、カタログを調べてみたら、なんと、その品番からは200番台から400番台が欠落していたのです。
2000年頃から始まったこのレーベルは、当初はCDしか出していませんでしたが、やがて、SACDもリリースするようになり、それを500番台からスタートさせたのです。たとえば、コリン・デイヴィスが指揮をした「運命」などは、CDでは「090」SACDでは「590」といった具合で(例外もあります)CDとSACDの両方の品番があったのですが、しばらくすると、ハイブリッドSACDに一本化されるのです。ですから、実質的に使われている品番はせいぜい500、その中で製品として今でも流通しているのは150点ぐらいでしょうか。
最近は録音フォーマットもDSD128(SACDの2倍のサンプリング・レート)が採用されるようになり、さらに凄さを増したこのレーベル、今では少なくなってしまった最低でもSACDでのリリースというスタンスを、この先も堅持していってほしいものです。
そんな、SACDならではの繊細な音色と幅広いダイナミック・レンジは、今回のヴェルディの「レクイエム」のような曲ではとことん威力が発揮されることになります。冒頭「Requiem aeternam」の、耳をそばだてないことには聴こえてこない超ピアニシモから、「Dies irae」でのオーケストラと合唱の咆哮による超フォルテシモ、さらにそこにバンダのトランペット群が加わった「Tuba mirum」でのスペクタクルな音場と、この曲で再現してほしい音が見事に眼前に広がります。もちろん、どこを取ってもひずみや混濁は皆無です。
まずは、サイモン・ハルジーに率いられた合唱がそんなサウンドを支えてくれています。ピアニシモの肌触り、フォルテシモの質感と、申し分ありません。ハルジーという人は、サイモン・ラトルとともにバーミンガム市交響楽団を支えてきた合唱指揮者ですが、ラトルがベルリン・フィルに移ると、彼もバーミンガムのポストはそのままに、ベルリン・フィルと密接な関係にあるベルリン放送合唱団の指揮者に就任します。そして、ラトルがベルリン・フィルからロンドン交響楽団に移るタイミングを待たずに、2012年からはロンドン交響楽団の合唱団のシェフとなっていたのでした(2015年まではベルリン放送合唱団の指揮者も務めていました)。
そして、4人のソリストも、期待の新人と安定したヴェテランをバランスよく配した豪華なもの、この曲にふさわしいオペラティックな歌い方で満足感を与えてくれます。声が伸びるだけでなく、まさに感情が込められたオペラ・アリアとしてそのテキストの情景までも伝わってくる劇的な歌は、「宗教曲」というチマチマした範疇を超えて感動を与えてくれています。
それらをまとめるノセダの指揮は、とてつもない推進力を持っていました。知る限りでは、ジョルダン盤トスカニーニ盤に次ぐ速さです。特に何回も現れるエネルギッシュな「Diesi irae」は、胸がすくような爽快感にあふれています。普通はCDでは2枚は必要なこの曲が楽々1枚に収まっているのは、そのせいだ

SACD Artwork © London Symphony Orchestra

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by jurassic_oyaji | 2017-06-27 08:45 | Comments(0)
ダブルケースも新調する予定
 今日は朝の9時から旭ヶ丘で「杜の都合」の練習です。日曜日のそんな早朝から練習なんて、たぶん初めてのことではないでしょうか。ただ、今回は管楽器と打楽器だけの分奏です。今までここではすべて合奏だけで仕上げてきていましたが、さすがにマーラーではきちんと分奏もやらないといけないということでしょう。午前中は管打、午後からは弦楽器というスケジュールです。
 少し早目に着いたら、まだホールが開いてません。そこにマエストロはもう来ていて、まず今回もプログラムノーツを書いてほしいと頼まれました。実は、マーラーなんてとても書く自信はなかったのですが、どうせ頼まれるのだろうと、資料をいろいろ集めていたところでした。まあ、それらを読んでみたら大体プランがぼんやりと見えてきたので、快諾しておきました。私自身がいつも知らないことを知らされて、とても勉強になりますからね。まだまだ先の話ですから、じっくり仕上げることにしましょう。
 せっかくの分奏なのに、オーボエとファゴットのトップが欠席していたので、なんだかマエストロは不満だったようですね。それでも丁寧に仕上げていきますから、まだ仕上がっていないところがどんどん露わになっていきます。まだまださらわないといけないな、と実感です。結局、時間が無くなって5楽章はほんの少ししかできませんでしたね。ここは私も一番ヤバいところですから、ホッとしましたけど。
 それが終わったら、急いで家に帰ってお昼を食べて、次の予定に出かけます。私が前に入っていた男声合唱団のコンサート、会場が萩ホールなので、駐車場に停めるにはだいぶ早めに行かないといけませんから。確か2週間前にも、ここで男声合唱のコンサートがあったばかり、その時は開場時間が近づいてもそれほど駐車場は混まなかったのに、今日は同じころにはもう正規の駐車場は満車になっていましたね。お客さんの列も、延々とその駐車場の端まで続いています。開場前にこれほど並んでいるのは、かなり珍しいですね。
 中に入ったら、団員のSさんがいたので、その様子を話すと「今日は4ケタの入場者が目標です!」と言ってました。あとでメールが来て、実際の入場者は1050人ですって。やりましたね。もちろん、これはこの合唱団の最高記録だそうです。
 確かに、いつの間にか人数も増えて50人を超えていましたし、今回は様々なゲストも盛り上げたくれていましたね。
 まずは、今年のコンクールの課題曲と自由曲という、いつも疑問に思ってしまうレパートリーです。まあ、でも、本番へ向けて場数を踏んでおこうという意図は理解できます。今年こそ、全国に行ってほしいものです。
 次のステージは、前回も出演した路上ライブ専門の男声合唱団。いつもながらのフットワークの軽さで沸かせます。
 前半のハイライトが、バンドが入った「昭和のヒット曲」のステージ、バンドは、パーカッションが「カホン」を使って、コンパクトにまとまってましたね。決してうるさくなく、合唱を盛り上げていました。その前の井上陽水のステージでは、この衣装でピアノ伴奏だけ、角田で演奏した唱歌集の編曲をしていたのと同じ人の編曲でした。こんなところでお目にかかれるなんて。でも、プログラムにちょっとしたミスが。
 休憩後には、仙台の作曲家への委嘱作品の初演。それに先立って作曲者と指揮者によるプレトークがありました。「とにかく、長い曲です」というので覚悟を決めて聴いたのですが、確かに、無駄に長い曲でしたね。とても律義でくそまじめという感じ。隣に座っていた人は、途中で席を立って帰ってしまいました。
 そして、最後は、このために出演者を募集したタダタケの「富士山」です。これが、2週間前にも聴いた曲です。これは素晴らしい演奏で圧倒されました。知り合いのKさんも参加してました。指揮者の趣味でしょう、左からセカンド、トップ、ベース、バリトンという「ODシフト」、うまく内声と外声が溶け合ってとても柔らかなサウンドに聴こえました。2週間前に聴いて「ちょっと」と思ったところがことごとくあるべき姿になっていて、一回り大人の音楽に仕上がっていましたね。
 結局、コンサートは2時間半かかっていました。もうおなかいっぱいです。
 でも、私はまだ行くところがありました。年に1度のフルートの点検会で宮城野区文化センター。4月にタンポ交換したフルートと、ピッコロも一緒に見てもらいました。それぞれに、ちょっと吹きにくい音があったのですが、それが見事に直ってしまいました。やはり、定期的な点検は大切ですね。
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by jurassic_oyaji | 2017-06-25 21:52 | 禁断 | Comments(0)
MOZART/Requiem
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Stephanie Culica(Sop), Lindsey Adams(Alt)
Rev. Michael Magiera(Ten), David Govertsen(Bas)
Rev. Scot A. Haynes/
Saint Cecilia Choir and Orchestra
SONY/88985424062


いちおう、モーツァルトの「レクイエム」だったら新しい録音はすべてチェックしようと思っているところに、SONYからこんなCDがリリースされました。
現物を手にしてみると、確かにSONYのロゴは入っていますが、なんか様子が違います。コピーライトのクレジットも、制作はDe Monfort Musicという聞いたこともない名前のところで、そこからのライセンスでSONYからリリースされた、みたいな書き方でした。調べてみたら、そのDe Monfort Musicというのは2012年に創設されたばかりの、主にローマ・カトリックの合唱音楽を録音するためのアメリカの新しいレーベルででした。当初のディストリビューションはUNIVERSALでしたが、2017年の1月からそれががSONYに変わったのだそうです。分かった
そのDe Monfort Musicは、シカゴのセント・ジョン・カンティウス教会と密接な関係にあり、そこで演奏されている典礼音楽をリリースしてきているのだそうです。このモーツァルトでは、この教会で活躍しているセント・セシリア合唱団とセント・セシリア管弦楽団が演奏しています。
ブックレットにはこの二つの団体に関する説明は、一切ありません。ただ、なぜかメンバーの名前だけはすべて載っています。オーケストラの場合は、彼らの「本職」まで記載されています。それで、このオーケストラは、シカゴ・リリック・オペラとかエルジン交響楽団といった、他の団体にポストがある人たちが、一時的に集まって演奏しているものだと分かります。
さらに、ブックレットにあるのは、「レクイエム」のテキストの「対訳」ではなく、「英訳」だけです。こんなのも珍しいですね。
珍しいと言えば、ここでの指揮者のスコット・A・ヘインズという人は、名前の前に「Rev.」という「神父」を意味する敬称が入っています。つまり、神父さんが指揮をしているのですね。聖職者を目指していた人が指揮の勉強もしたのか、その逆なのかは、やはりブックレットには何の情報もないのでわかりません。さらに、テノールのソリストのマイケル・マギエラという方も神父さんなのですね。
そして、ブックレットには録音のスタッフの名前はありますが、録音場所と時期はありません。まあ、場所はこの教会なので、あえて書くことはなかったのでしょう。ただ、代理店の情報によれば、これは2016年にライブ録音されたものだということです。
確かに、ライブっぽいグラウンド・ノイズたっぷりの中で演奏は始まります。ただ、なぜか聴衆の気配が全く感じられないのが不気味です。オーケストラはかなりたくさんのマイクを使っているようで、対向配置の弦楽器がはっきりと左右に分かれて聴こえます。そして合唱が登場すると、それはオーケストラとは対照的にぼやけた音像なのには戸惑ってしまいます。ただ、定位だけははっきりしていて、左からベース、テナー、アルト、ソプラノという、ふつう見かけるのと正反対の配置になっています。さらにソリストはというと、これも一人一人にマイクが付いているような生々しい音で、なぜか右チャンネルに全員固まって定位しています。なんか、とても落ち着けないマイクアレンジとチャンネル設定、まるでステレオ初期の左、中央、右だけに楽器をおいた録音のように聴こえてしまいます。さらに、ライブ録音のせいなのでしょうか、合唱は明らかにゲイン過多で、盛大に音が歪んでいます。
ソリストは、4人とも素晴らしい声ですし、合唱もかなりの名手が集まっているように聴こえます。もちろん、オーケストラも完璧な演奏です。ところが、音楽はどうしようもなくつまらないんですね。ひたすら良い声を響かせているだけで、そこには「陰」というものが全く感じられないのです。モーツァルトは、至る所で「問いかけ」と「答」を用意していたはずなのに、ここではそれが完璧に無視されているのですね。録音、演奏とも、まっとうな商品としての体をなしていませんでした。

CD Artwork © De Monfort Music LLC

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by jurassic_oyaji | 2017-06-24 21:06 | 合唱 | Comments(0)
フィンランディアを演奏したくなりました
 きのうの「おやぢ」では、ブックレットの間違いだけではなく最後にはNMLの間違いを指摘していましたね。そこではシベリウスの合唱曲「フィンランディア」についての情報が間違っていたのですよ。
 「フィンランディア」というのは、シベリウスが作った、おそらく彼の作品の中ではもっとも有名な管弦楽曲ですね。その中間部にとても美しい旋律の部分があるのですが、それを合唱に直したものもよく演奏されます。シベリウス自身が編曲したのは、最初は無伴奏の男声合唱のためのバージョンで、その時の歌詞はヴァイノ・ソラという人のものでした。さらに、内容がもっと愛国心が強調されたヴェイッコ・アンテロ・コスケンニエミの歌詞のものも作られます。この2つのバージョンは、ア・カペラで歌われますが、オーケストラ曲と同じAs-durで書かれていますから、そのままオーケストラと共演することもできます。
 さらに、シベリウスは混声合唱のア・カペラ・バージョンも作ります。この時の歌詞はコスケンニエミのもの。そしてキーは男声版と同じAs-durでした。しかし、シベリウスはこれではなく、キーをF-durにして、編曲も手直ししたものを出版します。つまり、混声の場合、F-durのバージョンが「決定稿」となっているのですね。
 ということで、シベリウスが作った合唱曲としての「フィンランディア」は、男声2種類、混声2種類の計4種類残されていることになります。もちろん、現在ではそれ以外に多くの人が勝手に編曲したバージョンがいくらでも作られているので、「フィンランディアの合唱版」と呼ばれている曲は、無数に存在していることになります。
 シベリウスの2種類の混声版「フィンランディア」は、単にキーが異なっているだけではなく、編曲そのものが違っているようです。IMSLPではオーケストラの楽譜しかなく、合唱バージョンは見つからないので確実なことは言えないのですが、一応2つのバージョンを聴き比べると、はっきり違いが分かるところがありました。それは、最後の音。As-durでは和音で終わっているのに、F-durでは、最後の音だけ単音になっているんですね。あの、とても有名な「K」で始まる曲のオーケストラ(もしくは吹奏楽)バージョンで、ずっとハーモニーが付いているのに、最後にはユニゾンになってしまう、という、とても間抜けなアレンジとよく似ています。
 ですから、きのうのアルバムで歌われていた「シベリウスが編曲した『フィンランディア』」がAs-durのバージョンであることはすぐに分かりました。ところが、NMLで同じアルバムを見てみたら、ジャケットやブックレットにはキーに関しては何の説明もないのに、わざわざ「混声合唱によるヘ長調版」などと書いてありましたよ。いったいどこからそんな情報を持ってきたのでしょう。というか、実際に聴いてみればそれが「ヘ長調」ではなく「変イ長調」なのはすぐわかるはずなのに。
 もちろん、担当者がこんなのをいちいち聴いてチェックできないことはよく分かります。このサイトでは音源は毎日ものすごい量で増え続けていますから、すべてを聴いて中身を確かめるなんてまず不可能でしょうね。ですから、私は別のところでやはりものすごい間違いを見つけた時には、さっそく「レビュー」として投稿してやりましたよ。そこでは「ダフニスとクロエ第2組曲」が、日本語表記だけ「第1組曲」になっていました。つまり、「第1組曲」を聴いてみたくなって検索したらこれがヒットしたので聴いてみたら、紛れもない「第2」だったんですよね。ですから、「間違ってますよ」と投稿してみました。レビューに反映されることなんかは期待してなくて、直接教えてあげれば、間違いが訂正されるのでは、と思ったからです。他にも検索した人がいたりすれば、恥をかくのはこのサイトの担当者ですからね。でも、ご覧のように、もう何週間もたつのに訂正されてはいないようですね。
 ですから、「フィンランディア」も、こっそり教えるのはやめて、こんな風に誰でも読める形にしました。なにを言っても無駄なような気はしますがね。
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by jurassic_oyaji | 2017-06-23 21:53 | 禁断 | Comments(0)
FINLAND
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Marcus Creed/
SWR Vokalensemble
SWR/19031CD


どの国の音楽でも、その国の合唱団以上の共感をもって素晴らしい演奏を聴かせてくれているSWRヴォーカルアンサンブルですから、新しいアルバムは聴き逃すわけにはいきません。今回はフィンランドです。
ここで取り上げられている作曲家は、なんと言っても外せないシベリウス以外では、録音セッションが持たれた時点ではすべてご存命だった、まさに「現代作曲家」ばかりです。それは、録音が完了した数日後に亡くなってしまったラウタヴァーラと、サーリアホという重鎮、そして1955年生まれのユッカ・リンコラ、1970年生まれのリイカ・タルヴィティエという名前を聞くのも初めての方々です。
1928年生まれ(↑ブックレットには1925年と)のラウタヴァーラは、1970年代、1990年代、2010年代と、ほぼ20年のインターバルで3つの作品が紹介されています。1978年に作られた「Canticum Mariae virginis」では、まるでリゲティのようなクラスターが流れる上をプレイン・チャントのようなスタイルの聖歌が朗々と歌われる、という二重構造を持ったもの、結果的にそのような手法は絶妙に「ヒーリング」として成立しうるということを感じさせてくれるもので、以降の彼の基本的姿勢が見て取れます。
次の、東京混声合唱団からの委嘱で1993年に作られたという「我が時代の歌」では、その構成はさらに複雑になっていくにもかかわらず、訴えかける力はより強くなっているようです。2曲目の「最初と最後の瞑想」は、キラキラしたオスティナートのなかを、ゆったりとテーマが歌われるという形ですが、そこからラヴェルの「ダフニスとクロエ」第2組曲の冒頭の夜明けの部分が連想されてしまいました。
それが、まさにこのSWRの委嘱で、この録音の直前に完成した「Orpheus singt」では、テキストがリルケということもあるのでしょうが、まるでロマン派の合唱曲を思わせるようなホモフォニックでシンプルなものに変わっています。
1952年生まれのサーリアホの「Nuits adieux」という作品は、1991年に四重唱とエレクトロニクスのために作られたものを、1996年に4人のソリストと無伴奏混声合唱のために作り直したものです。オリジナルは聴いたことがありませんが、まるで電子音のような効果音を出している合唱と、「無調」のフレーズを歌うソリストという組み合わせはまさに「前衛」音楽です。ただ、合唱は時折しっかりハモっているというのが、「現代的」ですし、後半になってはっきりとリズミカルな部分が登場するのには和みます。
初体験の作曲家、リンコラが2003年の「月の手紙」という作品で見せてくれたのは、まるで合唱コンクールの自由曲にでも使えそうな、適度に難解さを残した手堅さです。そして、タルヴィティエの方は、紛れもない「ジャズ・コーラス」です。ここにヴォイパが入ればそのまんまPENTATONIXになってしまいそうなリズムとテンション・コードの応酬、その中から北欧っぽい抒情性が漂うのですからたまりません。
そして、アルバムの最初と最後を締めているのが、シベリウスです。「恋人」は、彼の代表的な合唱曲、1893年にYL(ヘルシンキ大学男声合唱団)のコンクールで第2位となった作品です。ここでは1898年に改訂された混声バージョンが演奏されています。さらに、1912年には弦楽合奏のバージョンも作られました(↓ブックレットには、なぜかこの弦楽合奏が作られた年代が)。
最後はもちろん「フィンランディア」。無伴奏混声は2種類のバージョンがありますが、ここでは最初に出版されたヘ長調ではなく、変イ長調の方が演奏されています(こちらではなぜか「ヘ長調」となっていますが、もちろんこれはデタラメ)。さらに、アレンジも少し手が入っていて、2番の頭でベースだけ休符なしで拍の頭から入っていたりします。
期待通り、これだけ異なる様式で作られた曲たちを、この合唱団は万遍なく完璧に歌い上げています。極端に遅いテンポで迫る「フィンランディア」などは、まさに絶品です。いや、むしろエロい(それは「インランディア」)。

CD Artwork © Naxos Deutschland Musik & Video Vertriebs-GmbH

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by jurassic_oyaji | 2017-06-22 20:42 | 合唱 | Comments(0)
エルガーは大変です
 きのうはニューフィルの合奏でした。その前の週は分奏だったので、なんか久しぶりという感じ。この旭ヶ丘市民センターの大ホールは、今の時期になると晴れた日などはもうサウナのような暑さになっていることがあります。それでも確か6月にならないと冷房は入れられない、みたいな規定があるようで、そんな時はもう地獄ですね。きのうも、4階のエレベーターを降りたらなんとなくムッとしていたので、これはまだ冷房は入っていないと思いました。ですから、みんなが集まってきて椅子並べなどをやっていると、もう汗びっしょりになるぐらいでしたね。そこで、一応事務室に、ダメかもしれないけれど冷房を入れてもらうように頼んでみることにしましたよ。このまま練習を始めたら、きっと熱中症で倒れてしまう人が出てくるかもしれませんからね。
 いや、もちろんそれはウソで、今まで練習中に暑さで倒れた人なんか見たことはありません。ただ、最近はかなりお年を召した人も団員の中に出てきましたから、そういう人はもしかしたら、と思うじゃないですか。
 それで、内線電話できいてみると、受付の人は「もう冷房は入れてありますよ」ですって。なんでも、しっかり室温も分かるようになっているので、、それでちゃんと管理しているから、間違いないのだそうです。でも、実際に全然涼しくないのですから、現場では全く冷房が入っていないと判断せざるを得なかったのですが、そこまでいうのならしばらくしたらいくらかは涼しくなるのでしょうから、我慢することにしましょうか。部屋にあった温度計を見ると、確かに26度ぐらいになっていましたから、それだと「温度管理」の範囲内には違いありませんからね。
 結局、前半の私の出番が終わるころになって、やっと涼しいかな、と思えるぐらいの温度には下がって来たみたいですね。でも、やはりこれは「温度管理」ではなく、使っている人が「暑いな」と思う感覚の方を大切にしてもらいたいものですね。でも、来週あたりは寒すぎるぐらいにギンギンに冷えていたりするかもしれませんね。そんな攻防は、夏一杯続きます。
 そろそろ「かいほうげん」の準備に入らなければいけない時期になっているのですが、いまいちインパクトのあるネタが集まらないので、ちょっといつ発行できるかは分からない状況にあったのですが、今年も「アンサンブル大会」をやることになって、その案内を出してほしいという希望が出されたので、それに合わせて具体的に動き出すことにしました。そうなると、それまでに確実に準備をしておかなければいけないことが出てきますから、それを順次片づけていく、というのが、私の手順です。
 そこで、まずは新入団員の写真を撮ります。今回、載せなければいけない人は全部で6人にもなっていましたから、早めに撮っておかないと間に合わなくなってしまいます。顔を合わせるのは毎週の合奏の時しかないので、その人がお休みされてしまうとどうしようもありませんからね。それで、網を張っていると、そんな被写体が続々とやってきました。その人が荷物を置いて楽器を組み立て終わるのを待って、「ちょっと、顔、貸してください」と、隣の個室に誘い込みます。そこで、とてもネットでは公開できないような写真を撮ることになるのです。
 いえ、別にヘンタイなアブない写真ではありませんよ。こんなふうに、そこにある白い扉をバックにして、楽器と一緒に撮影するだけのことです。
 結局、合奏が始まる前には、5人分の写真が撮れてしまいましたよ。すごいですね。もう一人も、休憩時間には来ていたので、これで全員分が撮れました。幸先がいいですね。これさえあれば、もうあとはいつもお願いしている原稿も締め切りまでには確実に入ってくるでしょうから、これで次号は完成したも同然です。
 写真を撮った人のほとんどは、今回が再入団で私のことは知っていますが、その他の人はまだ誰がどんな仕事をしているのかわからないはずです。一人の人は、私が「かいほうげん」を作っているということを知って、とても驚いた様子でした。「アマチュアの内部資料で、こんなすごいの作ってるなんて、信じられません」なんておっしゃってましたね。そうなんですよ。この前のお寺でのコンサートの住職の前説と同じで、慣れていない人は一様に驚くんですよ。
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by jurassic_oyaji | 2017-06-21 21:14 | 禁断 | Comments(3)
CM WORKS
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デューク・エイセス
UNIVERSAL/UPCY-7036


この間の「60TH ANNIVERSARY」の時に一緒に購入した、やはり「60周年」がらみのアルバムで、デューク・エイセスが歌ったCMを集めたものです。今までこういう企画はありませんでしたから、この中のものは初めてCDになった曲が殆ど、とても貴重な記録です。今までずっと聴きたいと思い続けていたものが、やっと聴けるようになりました。
録音年代を見てみると、1964年以前、まだ谷口さんが加入していない、おそらく小保方さんがトップ・テナーを務めていたころのものもありました。それは、いかにも和やかな、まるで「ダーク・ダックス」のような端正な味わいを持ったコーラスに聴こえます。それが、谷口さんに替わってからのものになると、ガラッとそのテンションが別物になっていることが感じられます。さらに年代を経て、谷口さんから飯野さんに替わっていると思われる時期のものが2曲ほどありますが、ここでは確かに別の人が歌っていることは分かりますが、コーラス自体の音色やベクトルはほとんど変わっていないことも気づかされます。ここでも、飯野さんが必死の思いでデュークの黄金期のサウンドを守り続けようとしていたことがはっきりと伝わってきます。
今でこそ、CMに使われる音楽は最初からタイアップを前提に制作されたり、既存のヒット曲そのままだったりするので、音質的には単独で聴いても何の問題もありませんが、この頃はまさに「使い捨て」のノリで作られ、録音されていたのでしょう。しかも、このCDに使われているのはそもそもオリジナルのテープではなく、何度かのダビングを経たり、場合によってはエアチェックされた物だったりしますから、音質から言ったらひどいものです。しかし、そんな劣悪な音で聴いても、デュークのハーモニーは完璧に聴こえてきます。それはまさに、今まで聴けなかった「宝の山」です。だから、こんなところでもデュークのしっかりとした足跡が聴けるのはとても幸せです。
そして、そんな現場で作られた曲たちは、もちろん後世に残ることなどは全く考えられずに作られていたはずなのに、「作品」としてもしっかりしたレベルに達していることにも、驚かされます。それだけの才能をもった作曲家が、この頃はいたのでしょうね。
前田憲男などという大御所は、服部時計店のCMではルロイ・アンダーソンの「タイプライター」を下敷きにしたユニークな曲を作っていましたね。小林亜星も、本田技研のCMなどは、よく知られているキャッチーで親しみやすい作風ではなくもっと尖ったジャズっぽいテイスト満載の曲でした。彼は、普通に考えられているよりはるかに優れた作曲家だったのでしょう。
同じように、CM界で大活躍していたのがいずみたくです。この人の場合はまさに予定調和の積み重ねで曲を作るというタイプなのでしょうが、その中に時折キラリと光るようなものを発見できる瞬間があります。デュークにとっては、いずみたくとのCMの仕事と、「にほんのうた」シリーズとは、まったく同等の価値をもって取り組むことが出来た対象だったのではないでしょうか。日本生命保険の「♪ニッセイのおばちゃん~」というCMは、そのまま「にほんのうた」の中の曲になっていてもおかしくないほどです。
実際、彼らはコンサートではこれらのCMもきちんとレパートリーにしていましたからね。その片鱗は、このCDの最後のトラックの、コンサートのライブアルバムからのメドレーでうかがうことが出来ます。
ただ、ぜひ聴きたかった「♪光る光る東芝~」という、「東芝日曜劇場」のオープニングテーマが入っていなかったのは残念でした。これは、最初はダーク・ダックスが歌っていたということで、遠慮したのでしょうか。
それと、ジャケットで和田誠による最新のメンバーの似顔絵が使われているのは、全く理解できません。トップとセカンドは、このアルバムの中では1曲も歌っていない人たちなのですからね。

CD Artwork © Universal Music LLC

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by jurassic_oyaji | 2017-06-20 21:39 | 合唱 | Comments(0)