おやぢの部屋2
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ここには辛口ジンジャエールがあります
 私が最近参加している1発オケ、「杜の都合奏団」は、これまでに年2回のペースで6回のコンサートを行ってきましたから、もはや「1発」ではなく、「6発」の実績のあるオーケストラになっていました。でも、それも今回の「7発目」で終わることになってしまいました。このプロジェクトは指揮者のNさんがお一人ですべてのこと、人集めから会場の手配、もちろん練習と本番の指揮もすべて行っています。なんたって打ち上げの会場手配までも行っているという、まさに「ワンマン・オーケストラ」ですからね。ですから、そのNさんが仙台からいなくなってしまうことになれば、もう存続は不可能となるのです。今度のコンサートは言って見れば、「弔い合戦」でしょうか。いや、別にお亡くなりになったわけではありませんが。
 そこで、彼が選んだのが、マーラーの大曲「交響曲第5番」です。しかも、このオーケストラの今までのサイズをはるかに超える、「16型」というフルサイズのメンバーで演奏するというのですよ。普通、オーケストラの楽器編成はスコアに書かれていますが、実際に必要な人数までは書かれていません。つまり、管楽器はどの楽器が何本ときちんと決まっていて、それぞれが別々のパートを演奏しますが、オケの要である弦楽器の場合は、単に「弦楽5部」となっていて、ファースト・ヴァイオリン、セカンド・ヴァイオリン、ヴィオラ、チェロ、コントラバスの5つのパートだけ書かれているだけで、それぞれのパートが何人ずつ必要か、というのは、ほとんどの場合楽譜には書かれていません。「ほとんど」というのは、きっちり何人とスコアに書く作曲家とか、ファースト・ヴァイオリンだけで16種類の楽譜を作って、それぞれ別のことを演奏させようとしている作曲家も、「現代音楽」ではよくあるからです。
 もちろん、いわゆる「クラシック」と呼ばれているオーケストラの曲では、そんなことはありませんから、その弦楽器の数は、演奏家に任されていることになります。プロのオーケストラの場合、貧乏なオーケストラはたくさんの奏者は雇えないので、「12型」ぐらいになりますが、お金持ちだと「16型」とか、「18型」で演奏することができるようになります。この「〇型」の数字はファースト・ヴァイオリンの人数、それよりスコアで下段になるにしたがって通常2人ずつ減っていきますから、「12型」では「12+10+8+6+4=40」で40人、「16型」では「16+14+12+10+8=60」で60人の弦楽器奏者が必要になるのです。
 「杜の都」では、今まではせいぜい10型でやってきたものを、今回は16型まで増やそうとしていました。とてもそんなことは無理だろうと思っていましたね。ニューフィルでさえ、そんな人数には全然足らないので、毎回エキストラさんに加わってもらっていますからね。しかし、Nさんはそれを集めてしまいましたよ。16型の弦楽器に、一部の金管楽器にはアシスタントを付けて、総勢95人編成のオーケストラを準備してしまったのです。これは、人数だけだったら仙台のプロオーケストラよりも大きなサイズになっていますよ。これでマーラーを演奏すれば、ものすごい迫力が出せるはずです。
 とは言っても、やはりいろいろ忙しい人たちの集まりなので、最初から弦楽器が全員揃っているわけではありませんでした。張り切って人数分の椅子を並べてみても、かなり空きが目立つ、という状態が、今までは続いていますが、まあ、先は長いのでそのうちこれが全部埋まるようになるでしょう。いや、いまだって、ニューフィルの音出しの時よりははるかに多い人数がいるので、ぐっとくるところもありますからね。1楽章の最初に弦楽器でテーマが出てくるところなどは、最初に聴いたときにはゾクゾクしましたからね。
 ただ、正直、この曲で私の担当のフルートはそれほど重要な役目はありません。はっきり言ってかなりヒマ。Nさんも、私に「フルートはあんまり目立たないんですねえ」なんて言ってましたね。そして「次回は、もっと活躍してもらえる曲をやりましょう」と続けました。え?次回?・・いや、それはたぶん私の聴き間違いだったのでしょう。
 きのうは、午前中にその3回目の練習がありました。その時は弦楽器だけではなく、管楽器も、かなり空席が目立ちました。オーボエが誰もいないので、長い休みではきっかけが分からずに早く出てしまったりしてしまいましたね。でも、たまにはこんなシビアな練習も必要です。
 それが終わって、すぐそばのおなじみのイタリアン・レストランでランチを食べたら、ソースの中になんだか毛髪のようなものが見えました。ちょっとこれを口に入れていたらつらかったな、と、それをお皿に貼り付けておいたら、下げに来たフロア・スタッフさんが気が付いて、「申し訳ありません、お作りしなおします」なんて平謝りです。別にそんな必要もなかったので「いいですよ」と言ったのですが、結局シェフまで出てきて謝ってくれ、代金は要らないということになりました。誠意がありますね。ちょっと前に、東京の大きなお店でエビのてんぷらを食べたら背ワタが残っていた、ということがありましたが、その時には別に店長も出てきませんし、代金もしっかり取られましたからね。それが、東京と仙台との違いです。東京の人は、どこかで人として必要なことを忘れてしまっています。
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by jurassic_oyaji | 2017-06-18 21:29 | 禁断 | Comments(0)
C. P. E. BACH/Quartette
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Linde Brunmaryr-Tutz(Fl)
Ilia Korol(Va)
Wolfgang Brunner(Fortepiano)
HÄNSSLER/CD HC16016


バッハのヴァイマール時代、1714年に最初の妻との間に次男として生まれたのがカール・フィリップ・エマニュエルでした。彼は作曲家、チェンバロ奏者として大成し、1740年から1768年まではベルリンでフリードリヒ大王の宮廷につかえ、それ以後はハンブルクで活躍、1788年に没します。そんなエマニュエルの、フルートとヴィオラとフォルテピアノのための作品を集めたアルバムです。
ベルリン時代の主君フリードリヒ大王は、ヨハン・ヨアヒム・クヴァンツにフルートを師事し、自身のフルート作品もあるフルーティストでしたから、1755年にエマニュエルは大王のために普通のフルートではなく「バス・フルート」のための曲を作りました。バス・フルートと言えば、現代でもそれほどなじみのある楽器ではありませんし、そもそもそんな時代にこの楽器があったのか、という疑問が最初に湧いてくるのではないでしょうか。写真でその姿を見れば、それはいかにも近代の工業技術が産んだもののように思えます。頭部管はきれいにU字型に曲がっていますから、18世紀の木管の楽器ではこんな形に出来るわけがありません。
ところが、あったんですね、そんな楽器が。この時代の楽器のコピーを作って販売しているこちらのサイトでは、1750年ごろに作られたバス・フルートのコピーが紹介されています。
サイトの写真をクリックするともっと詳細に部分的にアップされた写真も見ることが出来ます。普通のフラウト・トラヴェルソと同じ7つの音孔が開いていますが、人差し指と薬指で押さえるべき音孔は指が届かないのでキーを押さえて穴をふさぐようになっています。そして、やはり頭部管はU字型に曲がっています。その曲がっている部分だけが木製ではなく、金属(真鍮?)で作られていますが、このあたりは金管楽器の技術が使われているのでしょう。
ここで演奏されているのは、バス・フルート、ヴィオラと通奏低音のためのヘ長調のトリオ・ソナタです。ただ、ここでライナーノーツを書いているフォルテピアノ奏者のヴォルフガング・ブルンナーによれば、この曲には2つのヴァイオリンと通奏低音、そしてバス・フルートとファゴットと通奏低音という、他の楽器編成のバージョンもあるのだそうです。
これが、このアルバムで使われている楽器です。バス・フルートを演奏しているリンダ・ブルンマリル=トゥッツは、そんな珍しい楽器をいともやすやすと演奏していました。それは確かにフラウト・トラヴェルソの1オクターブ下の音ですが、その音色はきっちり保たれたまま、より幅広い深みのある音で迫ります。これは、モダン楽器のバス・フルートのちょっとハスキーな音とは明らかに異なる、とても魅力的な音です。曲自体はアンダンテ/アレグレット/アレグロという教会ソナタのような形式、特に、最初のゆったりとした楽章でのヴィオラとバス・フルートの対話と中低音の安らかな響きのハモリが素敵です。
アルバム・タイトルの「四重奏曲」は、作曲家の最晩年、1788年に作られたト長調、ニ長調、イ短調の3つの作品です。「四重奏曲」という割には楽器は3人だけ、つまり、フォルテピアノの右手と左手で「二重奏」分を賄っている形です。バロック時代にはこのような編成では左手のパートが始終チェロなどで補強されていたものですが、この曲の場合はそのような楽器は要求されておらず、あくまで3人だけでの合奏で、よりクリアなサウンドが目指されているようです。まさに、音楽の様式が変わりつつあった時代を象徴するかのような楽器編成なのではないでしょうか。
いずれも3楽章形式、真ん中の楽章はゆったりと歌い上げるというイタリア風の作品です。その、アダージョもしくはラルゴ(ニ長調では「Sehr langsam」というドイツ語表記)の楽章の深い味わいはとことん魅力的、これらの曲のどこをとってもエマニュエルでなければ作れなかったセンスであふれています。

CD Artwork © Profil Medien GmbH

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by jurassic_oyaji | 2017-06-17 20:33 | フルート | Comments(2)
かつどんが最高でした
 このところ、差し迫っての必要な仕事(「かいほうげん」の発行とか)はないので、もっぱら先の予定の下調べのようなことに精を出しています。とりあえずは来月行くことになっている渋谷駅周辺の情報収集です。目的地は駅前の「ヒカリエ」ですが、実はここが出来てすぐに行ったことはありました。確か、鎌倉で親戚の結婚式があった時に、前日に鎌倉駅前のホテルにチェックインしたらあとはヒマだったので、渋谷のタワーレコードにでも行こうかと思って、その前に食事に寄ったのでした。その時は、普通にハチ公前の改札から出て、そのまま地上を歩いてヒカリエの1階から入ったのですが、今回調べてみたら、どうやら駅から直通の歩道橋のようなものが出来ているみたいなんですね。渋谷駅から道路をまたいで、直接ヒカリエまで行けるという、仙台駅だったらヨドバシみたいになっているようなのです。それで、どこからその通路に続いているのか、色んな構内図を探して見たら、JRだと「中央改札口」からそのまま行けるようなんですね。その改札は、なんだかずいぶん高いところ、建物の3階あたりにあるようでした。
 昔、東京近辺に住んでいた時には、確かそんなところに改札なんかなかったような気がします。だいたい行ったのはNHKホールでしたから(N響の定期会員でした)普通にホームから階段を下に降りてハチ公前に出て、そのまま公園通りまで歩くというコースです。でも、最近は渋谷駅に行くとそんな単純なことではなく、上の方に行く階段やエスカレーターがあるようになっていましたから、そこを上るとその「中央改札口」に出るのでしょうね。そういえば、前に埼京線で渋谷で降りた時も、ホームからとてもとても長い通路を歩いた末にそんなところに出たような記憶があります。おそらく、埼京線が出来たころにこの改札口が出来たのではないでしょうか。ですから、今度は山手線のホームから上に上って、果たしてそこにたどり着けるか、試してみることにしましょう。
 そんな地図を見ていたら、そのJRの改札口の真向いに、地下鉄銀座線の改札(出口専用)があることが分かりました。銀座線というのは、地下鉄のくせに渋谷のあたりでは高架になっていて、そのままビルに突っ込んでいる、というイメージがあったのですが、こんなところに出口があったんですね。というか、何度かそこまで実際に乗ってきたことがあるはずですし、渋谷駅からも何階分か階段を上って銀座線の乗り場まで行っていたはずなのですが、そんな記憶もあいまいになっていました。もしかしたら、そんな記憶のかなたにあった改札口にまた出会えるかもしれませんね。まあ、お互いだいぶ変わっているはずですから、もう昔の面影はなくなっているのかもしれませんけどね。
 渋谷での目的地は、ヒカリエの中にあるシアターオーブです。そこで、ブロードウェイ・キャストの「ウェストサイド・ストーリー」が上演されるので、見に行くつもりです。これも、いろいろサイトを調べていくと、同じ演目がこの劇場のこけら落としでやってきた時のことを書いたブログがたくさん見つかりましたが、なんだかカットされていたところがあったようですね。確かに、上演時間も劇団四季だと3時間近くかかるものが、2時間半しかかかっていないみたいでした。まあ、私だったらどこがカットされているかはすぐ分かりますから、逆にそんなところを見つけるのも楽しみです。
 今回の上演に関しても特設サイトが出来ていて、さる有名指揮者がこんなインタビューを載せていましたね。実は、プロモーション用の番組(「番宣」ですね)が放送されていたので見ていたのですが、それがそのまんまここに転載されていたのでした。写真もその時のもの、なんだか別人のようにたるんだ顔になっているな、という印象を受けましたね。このインタビューの中で彼はこのミュージカルの音楽的なことを語っているのですが、その中で重要なモティーフとして「ド、ファ、ソ」という音型を述べています。ですから、普通の人が聴いたらそれは「C,F,G」だと思ってしまうでしょうね。でも、そんな単純な音型では、何の面白味もないのでは、とも思うのではないでしょうか。本当は、これは「C,F,G」ではなく、「C,Fis,G」なんですよね。まあ、彼の頭の中では「ファ」にシャープが付いていたのでしょうが、テレビを見る人でそんなことが分かる人なんかいませんって。それよりも、どうせ移調されているんですから「ファ、シ、ド」と言った方が正確に最初の増4度とそのあとの半音がきっちり伝わるはずなのに。
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by jurassic_oyaji | 2017-06-16 22:44 | 禁断 | Comments(0)
JOHAN BOTHA
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小澤, Welser-Möst, Young, Runnicles,
Sinopoli, Bychkov, Thielemann/
Orchester der Wiener Staatsoper
ORFEO/C 906 171 B


1965年8月に南アフリカに生まれ、1998年にはオーストリアに帰化したオペラ歌手、ヨハン・ボータは、ウィーン国立歌劇場の宮廷歌手という称号も与えられ、数少ない「ヘルデン・テノール」として世界中のオペラハウスで活躍していました。しかし、51歳になったばかりという2016年9月に、ガンを患って亡くなってしまいます。同じ年の10月に来日公演を行うウィーン国立歌劇場に同行して、シュトラウスの「ナクソク島のアリアドネ」でバッカスを歌う予定でしたが、急遽ステファン・グールドが代役を務めることになりましたね。
そこで、ウィーン国立歌劇場のライブ録音を行っているオーストリア放送協会の音源を多数CDでリリースしてきたORFEOから、彼の追悼の意味が込められたアルバムがリリースされました。1996年2月にこのオペラハウスにデビューしたボータは、2015年の4月にここでの最後の公演を迎えるまで、全部で222回もの出演回数を誇っています。そこで歌った役も、全部で21種類にのぼっています。そんな膨大なアーカイヴの中から、1997年の「ローエングリン」に始まって、2014年の「ナクソス島のアリアドネ」に至るまでの8つのシーンが、ここには集められています。
曲順は年代とは関係なく収録されていますが、録音された年代を意識しながら聴いていくと、ボータの歌の変遷がよく分かります。というか、この人は年齢を重ねていく中で、こんなに変わっていってしまったのかと、驚かされます。最も若い時の「ローエングリン」とか、1999年に録音されたシュトラウスの「影のない女」のカイザーなどでは、本当に若くて伸びのある声を聴くことが出来ます。そこにはほのかな甘さがありますから、音だけ聴いているとどんなにスマートなイケメンが歌っているのだろう、と思ってしまうほどです(彼は、外見ではだいぶ損をしていました)。ただ、幾分線が細く、あまり力強さは感じられません。
それが、2004年のベートーヴェンの「フィデリオ」のフロレスタンやシュトラウスの「ダフネ」のアポロ、そしてパルジファルになると、その声に俄然張りが出てきます。表現力もさらに高まってきて、おそらくこのあたりがボータの最も輝いた時期なのではないか、と思えてしまいます。これは間違いなく当時の「世界一のヘルデン・テノール」でした。
余談ですが、この「フィデリオ」は、2002年から2010年まで音楽監督を務めていた小澤征爾の指揮で歌っています。ボータが小澤と共演したのは、この年の「フィデリオ」が5回と、翌2005年の「さまよえるオランダ人」のエリックの3回しかないのだそうです。「オランダ人」はあいにく録音が残っていないので、この「フィデリオ」の2004年の録音が唯一の記録となりました。ただ、この演奏はボータの声には圧倒されるものの、バックの小澤がなんとも緊張感の薄い音楽に終始しているのがとても気になります。ワーグナーなどは途中で拍手が入る隙はありませんが、ベートーヴェンはジンクシュピールですから、アリアの切れ目がちゃんとあります。そこで、ボータが歌い終わるやいなや、まだ後奏が演奏されているというのに盛大な拍手が起こります。お客さんは、小澤ではなくボータを聴きに来ていたのでしょうね。
ところが、2010年の「タンホイザー」や2012年の「マイスタージンガー」(ヴァルター)、そして2014年の「ナクソス」あたりになると、声がかなり重たくなってきます。明らかにペース配分を考えて力を抜いているところも見られますし、ちょっと歌うのが辛いのでは、と思えるようなところまで出てきます。それは、2008年に別のところで録音された「ローエングリン」を聴いた時にも感じていたこと、どうやら、このあたりで彼のピークは終わっていたのでしょう。
ルネ・コロのように、長生きをして醜態をさらすことなく、コロッと亡くなったのは、彼にとって幸せなことだったのかもしれません。

CD Artwork © ORFEO International Music GmbH

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by jurassic_oyaji | 2017-06-15 20:23 | オペラ | Comments(0)
まだ続編が作られそうな予感
 おととし公開された「ジュラシック・ワールド」は、映画館に行って見てました。それがやっとWOWOWで放送されたので、その時にどんな感想を持っていたのか、その時の「禁断」で確認しておこうと思いました。バックナンバーを繙いてみると、それが8月17日の書き込みであることが分かりました。封切られたのが8月5日だったのに、そのあたりはちょうど職場が一番忙しい時で、この頃になってやっと見に行けたんでしたね。そのころはまだ駅前には映画館が出来てなかったので、長町のMOVIXまで行ったのでした。その書き込みを読み返してみると、肝心の映画の感想はほとんどありませんでしたね。それよりは、その映画館で本編が上映される前に流されるCM映像についての苦情が書かれていました。いや、あれは本当にお金を出して見に来ている人に対してはとんでもない仕打ちだとマジで思っていましたからね。でも、最近、駅前の新しい映画館に行った時には、たしか予告編以外のものはやっていなかったような気がします。でも、MOVIXではまだ平然と流しているんでしょうね。
 正直、映画館で見終わった時には、数々の疑問点がありましたね。一番の疑問は、最後に「9番ゲート」を開けて出てくる恐竜はなんだったのか、というものでした。でも、それはそのバックナンバーを見ると解決されていたようなので、きっと見た後にネットを調べて、疑問が解けていたのでしょう。
 そんなことはすっかり忘れて、WOWOWで録画したのを見ていたら、やはりあの最後の恐竜はなんだったんだ、と思ってしまいました。というより、自宅で見ていたら途中で睡魔が襲ってきて、そのあたりの細かいところを見落としてしまったんですね。仕方がないので、もう1度、その寝込む前から見直してしまいましたよ。
 なんにしても、やはりあの映画は、辻褄が合わないところとか、登場人物たちの不可解な行動はいっさい気にしないで、ひたすらカタストロフィーを味わうことに徹した見方をしなければ全然面白くない、ということがしっかり確認できました。というか、それ以上のものは何も期待できないのが、最近のこういう大作映画なのではないか、という気さえしてしまいます。
 さっきのバックナンバーでは、「1作目へのオマージュ」なのではないか、ということが書かれていましたが、今回見直してみるとそれは間違いないことのように思えてきました。それどころか、実際に前作から連続しているような物がありましたからね。もちろん、それの最大のものが最後に登場するT-レックスなんでしょうね。実は、そんな単純なことが、最初に映画館で観た時には思いつかなくて、あれは共食いでいなくなってしまった新種の恐竜が、実は生きていたという設定なのかな、と思ってしまっていたことを、今思い出しました。
 CGで作られた生き物たちはとてもリアルでしたが、たまに「本物」のロボットが出てくるというのも、前作と同じこと、技術は進化しているように見えても、実際にやっていることは大して変わってはいないのですね。
 最近、職場の近くに、まるで映画のセットのような建物が出来ました。


 それこそ、中にT-レックスが住んでいそうな建物ですが、これはどうやらアパートのようなのですね。別のアングルで、入り口のドアが何個か付いていましたから。ところが、ご覧のとおり、外側に窓が一つも付いていません。たぶん、このアパートは墓地の真ん中に建っているので、住む人のことを考えて外が見えないようにしたのでしょうが、なんか不気味ですね。洗濯物や布団なんかはどうやって干すのでしょう。
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by jurassic_oyaji | 2017-06-14 23:07 | 禁断 | Comments(0)
RAVEL/Daphnis & Chloé
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François-Xavier Roth/
Ensemble Aedes
Les Siècles
HARMONIA MUNDI/HMM 905280


ロトとレ・シエクルのアルバムのレーベルが、これまでのActes SudからHarmonia Mundiに変わりました。とは言っても、制作スタッフは以前と同じですし、今までもディストリビューションはHMが行っていたのですから、それほど重要なことではないのでしょう。前回の「レ・ディソナンス」と同様、音源はレーベルではなくアーティストがしっかり管理している、ということなのでしょうね。
ですから、彼らは今までとは何ら変わらない、非常に価値のあるコンサート、そしてそのライブ録音によるアルバムのリリースに邁進することになるのです。最初に耳にした「幻想交響曲」こそ、演奏も録音もいまいちでしたが、その後バレエ・リュスのレパートリーに着手したあたりから、彼らはどんどん進化を始めていますからね。ただ、ジャケットのデザインは確実につまらなくなりましたし、彼らの新しいロゴマーク(右)からも、以前(左)のスタイリッシュな味はなくなっています。
今回のラヴェルの「ダフニスとクロエ」も、ストラヴィンスキーの「春の祭典」が上演される1年前の1912年にバレエ・リュスの公演で初演されています。現在では3部から成る全曲から、部分的に連続して切り取った2種類の「組曲」が用意されていますが、なんと言っても第3部の冒頭を少しカットして最後まで演奏される「第2組曲」がオーケストラの重要なレパートリーとなっていて、頻繁に演奏されます。もうひとつ、やはり全曲からの第1部の最後と第2部の最初の部分を抜き出した「第1組曲」は、古い録音がいくつかあるようですが、現在ではまず演奏されることはありません。コンサートでは「全曲」か「第2組曲」という選択肢しかないようですね。
もちろん、ロトたちは全曲を演奏してくれています。例によって、楽器に対するこだわりはハンパではなく、弦楽器はガット弦、管楽器も極力20世紀初頭にフランスで作られたものが集められています。ちょっと興味深いのが、キーボード・グロッケンシュピールの表記です。ラヴェルの楽譜には「Jeu de Timblesジュ・ド・タンブル」と書いてありますが、このCDの楽器リストでは「Glockenspiel à clavier Mustel」つまり「ミュステル製の鍵盤グロッケンシュピール」となっています。私見ですが、「ジュ・ド・タンブル」といった場合には、普通はトイ・ピアノのような外観の平べったい楽器を指し示すような気がしますが、ミュステルの楽器はそうではなく、チェレスタと同じような縦型なので、そのあたりを正確に記したかったのではないでしょうか。
さらにロトは、楽譜そのものもきっちり検証し、多くの間違いを正しています。さらに、合唱の位置に対する細かい指示(「ステージの後ろで」、「ステージの上で」、「近づいて」といったもの)も、ステージの両翼を使って実現させているのだそうです。ただ、この録音では合唱が「ステージの後ろ」で歌っている部分でも、とてもくっきりと聴こえてきますから、おそらく実際の音響ではなく視覚的な効果によってその位置を表現していたのでしょう。第1部の最後で合唱がア・カペラで歌われる時には、ステージは真っ暗になっていたのだそうです。
おかげで、コンサートホールを埋め尽くした聴衆も、その録音をこのDCで聴いている人たちも、このアンサンブル・エデスという2005年に結成されたばかりの若々しい合唱団の卓越した演奏を存分に味わうことが出来ることでしょう(とてもええですよ)。この曲で、合唱がこれほど重要なパートだということに、初めて気づかされました。
オーケストラでは、管楽器は言うまでもありませんが、弦楽器のなんとも言えないソノリテはやはりこの曲からは初めて味わえるものでした。
フルート・ソロのマリオン・ラリンクールは、いつものルイ・ロットから甘い音を引き出しています。ただ、「パントマイム」の大ソロは、あくまで、アンサンブルの中のフルートという感じで、それほどの存在感はありません。

CD Artwork © harmonia mundi musique s.a.s.

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by jurassic_oyaji | 2017-06-13 23:00 | オーケストラ | Comments(0)
まだステレオ放送は始まっていません
 だんだん調子が上がってきて、ギャグもなかなか決まるようになってきた朝ドラですが、このところの展開は同じ脚本家の「ちゅらさん」そっくりになってきたのがちょっと気になりますね。いや、別に設定が同じでも全くちがう話がこれから始まるのでしょうから、そんなのはどうでもいいことです。要は、見て笑えて泣けれさえすれば、上質の朝ドラと認めてもらえるのですからね。
 時代的にも、この頃だと全く同じころに幼少期を過ごしたという世代がたくさんいることでしょうから、考証なども念がいっているようです。その時どきの実際の映像なども流すなど、同時代感をしっかりにじませているのではないでしょうか。ただ、細かいところではそんな考証が行き届かないところも出てきますから、そんなところもたかがドラマ、と言いながら許してあげるようにしましょうね。もしかしたら、作っている人はわざと間違った情報を織り込んで、見ている人を試しているのかもしれませんからね。
 ですから、こちらもきちんとそれに応えてあげなければいけません。今日のオンエアでは、かなり「気になる」部分がありましたからね。
 まずは、「事務員ではありません。オフィスレディです」というセリフ。これはちょっとギリギリ、という気はするのですが、この頃はまだ「ビジネスガール(BG)」と言っていたのではないでしょうか。もう少ししてから「BGというのはもっといやしい職業を指し示す言葉だから、オフィスレディ(OL)と言いなさい」というお触れが出ることになるのだ、というのが私の記憶です。
 もう一つ、「アプレ」という言葉も出てきましたね。確か、フランス語で戦後(アプレ・ゲール)をあらわす言葉を略したもののように記憶していますが、これなんかは私の親の世代の流行語だったような気がしてならないんですけどね。
 まあ、このあたりは、文献によっても様々ですから、確実に間違いだ、と決めつけるわけにはいきません。地域格差、というのもありますしね。
 でも、退職金代わりにもらったトランジスタラジオがアップになったとあっては、そんなことも言ってはいられません。
 なかなか精巧に作られた小道具ですが、「とと姉ちゃん」のように当時の現物を探し出してくればいいものを、なまじ丸ごとそれらしいモデルを作ろうとして、完全に墓穴を掘ってしまったようです。ちょっと見ただけでも分かる間違いが、3か所は見つかりました。
 まずは、この機械の名前。
 右下の部分をアップすると、こんな文字がありました。「FM/AM 2BAND RECEIVER」ですね。確かに、この頃はFM放送は実験段階でしたが始まっていましたから、FMとAMの2つのバンドがあるのは構いません。ただ、「レシーバー」というのは、当時はFM/AMチューナーが組み込まれていたアンプという、オーディオ機器の呼び名として定着していて、このような携帯用の機器には使われることはありませんでした。これは単なる「トランジスタラジオ」以外に呼びようのないものなのですよ。
 そして、この部分です。
 ダイヤルを合わせる目盛りが上下2段になっていますから、それぞれFMとAMとに対応しているのでしょうが、下段が「MW」となってますよ。その横には「Medium Wave」とありますから、それは「中波」の略であることが分かります。上段がFM、つまり「Frequency Modulation」なのですから、それに合わせればここはAM(Amplitude Modulation)でなければいけません。これは、それぞれ「周波数変調」と「振幅変調」のことですから、同じカテゴリーになるのですが、「Medium Wave」というのは波長のカテゴリーですから「Short Wave(SW)」つまり「短波」とセットで使わなければいけません。現物の「トランジスタラジオ」ではこんな感じですね。FMがまだ放送されていないころのラジオでは、このようにAMの「中波」と「短波」しか聴けなかったのです。
 そして、確実に間違いだと自信を持って言えるのが、「MHz、kHz」という周波数の単位です。下の「現物」では「KC」とか「MC」になっていますね。これは、当時は周波数には「C(サイクル)」という単位が使われていたためです。「C」(正確には「c/sec」)から「Hz」に変わるのは1972年のことなのですね。ですから、このドラマの時代にこんなラジオは絶対に存在していないのです。
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by jurassic_oyaji | 2017-06-13 00:08 | 禁断 | Comments(0)
今度のニューフィルの定期もここです
 私はもうすっかり足が遠のいていますが、大学の合唱団のOBたちがこのところ活発に演奏会を開いているようです。その出演者からチケットをいただいていたので、行ってきました。今日は、北海道、仙台、東京、九州のそれぞれ国立大学の長い伝統を誇る男声合唱団のOBが集まったジョイント・コンサートです。会場の萩ホールのまわりには、出演者のお友達でしょうか、お年を召した人がひしめいています。いいお天気なので、みんな日陰に座って休んでいますね。そのうちに列が出来始めましたが、それは屋根のない炎天下に延びていったので、それに耐えられる人しか並びません。私も、そんなに長い時間ではないと思ったので並んでいましたが、結構きましたね。やっと開場になって中に入ったら、冷房がきいていたのでホッとしました。
 本当はバルコニーで聴きたかったのですが、あそこはあまりに目立ちすぎるので2階席を目指します。入ってみると、後ろ半分には出演者のような人たちが座っていました。その中に知り合いがたくさんいたので、まずはご挨拶、前半分はまだガラガラだったので、一番前に座ります。
 4つの団体は、それぞれ20分程度のステージをこなしていました。最初に出てきた団体の中に、杖を突きながら入場している人が2人ほどいたのにちょっと驚きました。そのうちの1人は椅子を用意してもらっていたようですね。でも、その方は初めのうちは椅子に座らずに、必死で立って歌おうとしていました。もう立っているのもままならないほどで、楽譜もめくれないほどですから、心配になってきますね。でも、考えてみればOBというのはこういう世代の方が中心になっているのですから、こういう方がいてもおかしくないはずです。あの「オケ老人」の世界ですね。大半はしっかりしている人のはずなのに、演奏も老人感が満載で、ちょっと聴いていてつらくなってしまいました。
 でも、次に歌った団体は、同じ年代のOBのはずなのに、全然違う前向きさがありました。テナーの声もよく出ていて、老人感は皆無です。それでも、歌っている曲では「時間をください」みたいな歌詞があって、なにか切実な思いまで伝わってきます。これには、圧倒されましたね。
 休憩後の団体は、コダーイの女声合唱のための曲を歌っていましたが、日本語の訳詞が付いていましたね。やはり、気持ちは分かりますがこれを男声、しかもかなりの高齢者が歌うのは、相当の違和感があります。ハーモニーはとてもきれいでしたけど。
 そして、最後が私の大学のOB合唱団。曲はタダタケの「富士山」です。それを、今回最大の人数(100人近く)で歌ったのですから、迫力はものすごいものがありました。このホールは低音がかなりブーストされますから、ベースの質感はとてつもないものです。トップテナーも、よく知っている安定感のある人の声がしっかり聴こえてきますから、安心して聴いていられます。まさに、大人数男声合唱ならではの魅力がフルで迫ってきます。もちろん、それだけで聴きごたえは十分なのですが、これだけの声が出ているのなら、もっと細かいところまできちんと仕上げれば、もっともっと素晴らしいものができるのでは、という残念感も、ちょっとは感じてしまいます。
 実は、2週間後に同じ会場で、やはりこのぐらいの人数の「富士山」を聴くことになっています。それはどんなものに仕上がっているのか、楽しみです。私の場合、この曲が合唱を再開してみようと思ったきっかけですからね。
 そして、最後出演者全員(250人だとか)による演奏です。最後の「箱根八里」だけピアノ伴奏が入りますが、その人が楽譜を落としてしまったのに、すぐに拾って何事もなかったように弾き始めたのが、すごかったですね。
 「富士山」の途中で、客席の赤ん坊が泣きだしました。その泣き声は曲が終わるまで聴こえ続けていました。これは絶対にあってはいけないこと、こういう時の母親がとるべき道は、速やかに赤ん坊を抱えてホールの外に出ること以外にはありえません。
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by jurassic_oyaji | 2017-06-11 22:01 | 禁断 | Comments(0)
BEETHOVEN, MOZART, SCHUBERT
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David Grimal/
Les Dissonances
DISSONANCES/LD 007



2004年に結成された新進気鋭のアンサンブル「レ・ディソナンス」、今回は、その自らのレーベルからの5枚組というヴォリュームたっぷりのアルバムです。ベートーヴェンの「1番」、「6番」、「9番」を除いた6曲の交響曲とヴァイオリン協奏曲、モーツァルトのオーボエ協奏曲と「グラン・パルティータ」、それとシューベルトの「7番」です。何曲かは、このレーベルが出来る前に、すでにAPARTE()から出ていたものですが、それらをまとめて新録音も加えてのオールタイムベスト、という感じですね。さらに、このハードカバー仕様のブックレットに印刷されているパスワードを使えば、彼らのサイトからブラームスの4つの交響曲の全曲映像を見ることが出来ます。この映像からは、指揮者なしで演奏を行うこの団体の緊密なアンサンブルの取り方をしっかり確認することが出来ます。木管楽器の前には弦楽器はいないので、直接コンサートマスターのグリマルとのコンタクトが取れています。使っている楽器もよく分かります。フルートはおおむね木管、ホルンはウィンナ・ホルンのようですね。ただし、この映像は、画質は問題ありませんが音声はオーディオ的には何の価値もありません。最近になって、ごく稀にハイレゾで配信されるようにもなってきましたが、一般的にはまず圧縮音源がネット配信のスタンダードですからね。しかも、この音源はモノラルですから、全く鑑賞の対象にはなりえないものらる(ものなの)です。
彼らは、フランス東部のスイスにも近い都市ディジョンにあるディジョン・オペラとはレジデントという関係で共同作業を行っています。とは言っても、ピットに入って演奏するわけではなく、そのカンパニーが主催しているオーケストラコンサートを、その本拠地であるディジョン・オーディトリアムで継続的に行っている、ということなんですけどね。そこで行われたこれまでの演奏のライブ録音が、このCDには収録されていま。もちろん、ライブ映像も、ここで撮影されました。
まずは、2010年から2013年にかけて収録されたベートーヴェンです。基本的にノン・ビブラートでピリオド的なフレージングというきびきびしたスタイルがとられていますから、テンポもかなり速めな設定です。それが、指揮者がいないとは思えないほど自由自在にテンポが変わるのがとてもエキサイティング。というより、指揮者に強制された無茶なテンポではなく、あくまでプレーヤーの自発的なテンポなので、説得力があります。もちろん楽譜は原典版が使われていますが、「5番」の第3楽章ではベーレンライター版にはない繰り返しが採用されていたりします。
問題はシューベルトの「7番」(CDの表記は「8番」)。いくらピリオドでも、これは早すぎるだろうというテンポ設定は、ちょっとついていけません。特に第2楽章は、まるでワルツのようですからね。さらにちょっとしたユーモアのつもりなのでしょうが、そのあとに「第3楽章」を、オーケストレーションが完成している20小節まで演奏して、そこでプッツリやめる、ということをやっています。お客さんには受けているようですが、笑えません。それと、この曲だけ明らかに他のものとは音響が違って聴こえます。確かにデータには「フィルハーモニー・ド・パリ」とありますし、そこで演奏している写真もあるのですが、録音されたのが「2013年」というのは、このホールが出来たのが2015年ですからありえません。
最近録音されたモーツァルトは、管楽器がメイン。「オーボエ協奏曲」ではメンバーのアレクサンドル・ガテがソロですが、とても穏やかな演奏で、第3楽章のテンポなどはなんとも和みます。弦楽器はコントラバスだけで、あとは管楽器セクションだけで演奏される「グラン・パルティータ」でも、それぞれの奏者は気持ちよさそうに歌っています。最初の楽章の序奏で、しっかり複付点で演奏してくれているのもうれしいですね。

CD Artwork © Dissonances Records

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by jurassic_oyaji | 2017-06-10 20:26 | Comments(0)
まだ、新宿駅の西口からは外に出られません
 この間東京に行った時には、新しい道が見つかったり、前もって調べておいた隠れルートに実際に行ってみたりと、オペラ以外にも楽しいことがありました。
 まずは、朝に東口の駐車場に車を置いて、駅に行こうとしたら、いつものエスカレーター(写真に左端)の前に新しくオープンしたばかりのホテルの入り口があって、その中にエスカレーターが見えました。「仙台駅」と書いてあるぐらいですから、ここから駅まで行けるはずです。
 予想通り、仙台に初めてできたという「成城石井」の横を通って、中央通路に出ました。
 そこからは、この、前からある新幹線改札への直行入口からまたエスカレーターに乗れば、最短で行けます。
 一方、終点の東京駅の方では、前から気になっていることがありました。八重洲口の改札口は北、中央、南と3つあるのですが、それ以外にも「日本橋口」というものがあるのです。ただ、確かにこれは看板は目にしたことはあるのですが、実際にそこから出たことはありません。というか、新幹線を降りて普通にホームから下に降りると、そんなところに行く案内は全然ないのです。
 構内図で見るとこんな感じ。ピンク色の構内からは左上の「日本橋口」は完全に隔離されているんですよね。いったい、ここから出るには、どこを通ればいいのでしょう。
 それは、そこにもう1枚の構内図、ホームの配置図を重ねれば分かります。日本橋口は、新幹線のホームの北の端から直結しているのですね。
 ですから、私も、降りたらまっすぐホームを北に向かって歩きました。他のお客さんはみんな階段やエスカレーターで下に行ってしまいましたから、この案内があるあたりには誰もいませんでした。
 その先、本当にホームの端っこが、改札口への入り口でした。こんなところがあるなんて、知ってました?
 そこから出てくると、右手にはすぐキッチン・ストリートの看板があります。
 これで、今まで謎だったことが一つ解明されました。おそらく、これで東京駅の通路は、ほとんど手中に収めたことになります。もう、どこからでも出たり入ったりできるようになっているはずです。
 でも、それで喜んでいてはいけません。来月は渋谷駅のあたりに行くことになっています。道玄坂ではないですよ。あそこは東京駅以上に複雑ですから、いったいどうなることでしょう。というか、埼京線のホームって、あれはいったいなんですか。ほとんど隣の駅じゃないですか。まあ、東京駅の京葉線よりはましでしょうが。
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by jurassic_oyaji | 2017-06-09 21:39 | 禁断 | Comments(0)