おやぢの部屋2
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パウエルでしょうね
 今日は午後からコンサートに行く予定があったので、その前にちょっと仙台駅まで行って、今飾ってある七夕の吹き流しを撮ってきました。あと1週間もすれば撤去されてしまいますから、撮れる時に撮っておかないと。もちろん、それは、今度のニューフィルの演奏会のチラシを貼りつけるためです。もう、恒例行事になりつつありますね。
 でも、実際に見てみると、前の「嵐」ほどはピッタリとハマるような部分がありませんでした。ちょっとこの吹流しでは、相性が悪いようです。でも、1個だけ何とかなりそうなのがあったので、それにニューフィルと、その前の「杜の都」の両方を貼り付けて、こんなのに仕上げてみました。
 ただ、相対的にあまりにも小さくなってしまったので、これではよく分からないでしょうから、赤枠の中を拡大しておきましょう。

 とりあえず作ったものをFacebookにはアップしたのですが、いかにもやっつけ仕事で精度がいまいちで納得できなかったので、これはもう少し手を入れています。これだったら「かいほうげん」にも対応できるでしょう。
 そして、午後には、萩ホールまで行ってきました。知り合いがたくさん所属しているさる合唱団がバッハの「マニフィカート」を演奏するというのですが、そのチラシには
 と、「BWV243a」で、しかも「挿入歌付き」とありますね(でも、やはり「マニフィカト」にはなじめません)。となると、これは第1稿の変ホ長調版ではありませんか。現行のニ長調版は「BWV243」ですからね。まだ、第1稿は生では聴いたことがないので、これはぜひ聴きたいと思っていました。ですから、同じ日にあったフルートのコンサートも行きたかったのですが、やはりこちらの方になってしまいました(Sさん、ごめんなさい)。
 でも、当日のプログラムには
 これが、今回の版の正しい表記ですね。基本は現行版で、第1稿の挿入歌だけ「移調」して歌う、という形です。確か、おそらくヘルムート・リリンクが最初に録音した時には、この形だったはずです。もっとも、2回目に録音した時にはちゃんとした「第1稿」で演奏していましたけどね。まあ、オーケストラもモダン楽器ですし、そこまでこだわることはないのでしょう。でも、私としては8曲目の「Deposuit」で、イントロのヴァイオリンが1オクターブ低く始まるのも聴いてみたかったような。
 いつものことながら、ここの合唱は素晴らしいですね。かなり人数が多いのに、それぞれのパートがとてもきれいにまとまっている上に、きっちり主張し合っています。真ん中にあったシュッツの「音楽による葬送」では、ソリストと合唱が交代に出てくるのですが、合唱の部分になると安心して聴いていられます。二重合唱も素晴らしかったですね。ただ、ソリストが色々で、素晴らしい人がいる半面、ちょっと、という人がいたりして。
 「マニフィカート」でも、その「ちょっと」の人がかなり耳障りでしたね。オーケストラは、こんなものなんでしょうか。お隣にトランペットを目当てに聴きにこられたNさんがいたのですが、家に急いで帰らなければいけなかったので、感想は聴きそびれました。1曲目のカンタータに入っていたホルンも、なんだか高音でかなり苦労していたような気がするのですが。それと、フルートのAさんは、前から木管でしたっけ。なんか、前と違うな、と感じたのは楽器のせいでしょうか。
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by jurassic_oyaji | 2017-07-30 21:42 | 禁断 | Comments(0)
MENDELSSOHN/Symphonies 1-5
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Karina Gauvin, Regula Mühlemann(Sop)
Daniel Behle(Ten)
Yannick Nézet-Séguin/
RIAS Kammerchor
Chamber Orchestra of Europe
DG/479 7337


フィラデルフィア管弦楽団と、メトロポリタン歌劇場という、アメリカを代表するオーケストラとオペラハウスの音楽監督を兼任、まさに現代の若手指揮者の筆頭に躍り出た感のあるヤニック・ネゼ=セガンですが、ヨーロッパ室内管弦楽団とはDGのモーツァルト・オペラ選集などの録音もあり、この団体の桂冠指揮者に任命されています。今回は、RIAS室内合唱団とソリストも参加した「賛歌」も入っているメンデルスゾーンの交響曲全集を、この室内オーケストラと録音してくれました。
これは、2016年2月の20日と21日の2日間にわたって、フィルハーモニー・ド・パリで行われた交響曲ツィクルスのライブ録音です。1日目は「3番(スコットランド)」と「2番(賛歌)」、2日目には「1番」、「4番(イタリア)」、「5番(宗教改革)」が演奏されています。録音データでは、その次の22日もクレジットされていますが、おそらくその日には、本番でミスをした部分を録り直したのでしょう。いや、「本番」の方も、客席のノイズがほとんど聴こえていないので、大半はゲネプロの段階で収録は完了していたのかもしれません。
この新しいツィクルスで特徴的なのは、新しい原典版の楽譜が使われているということです。1番と2番はブライトコプフ&ヘルテル版、3、4、5番はクリストファー・ホグウッド校訂のベーレンライター版という表記があります。ブライトコプフでは、最新のメンデルスゾーン全集が刊行されていますが、ベーレンライター版はホグウッドが亡くなってしまったために、交響曲はこの3曲しかありません。
そして、楽譜とともに重要なのが、ブライトコプフ版の全集に含まれている、2009年に刊行された「メンデルスゾーン作品目録(MWV)」による作品番号が、おそらく市販CDとしては初めて採用されていることです。MWVは、正式には「Felix Mendelssohn Bartholdy: Thematisch-systematisches Verzeichnis der musikalischen Werke」という長ったらしい名前ですが、この全集の「交響曲第1番」の校訂を行ったラルフ・ヴェーナーによって編纂されたもので、メンデルスゾーンの作品(Werke)をジャンル別、作曲年代順に整理した目録(Verzeichnis)です。
この目録では、全作品が「A」から「Z」までの26のカテゴリーに分類されていますが、「交響曲」は14番目の「N」のカテゴリーに入っています。これによって、今まで使われていた単に出版順につけられていた番号が、きちんと作られた順に呼ばれるようになりました。ただ、その中にはいわゆる「弦楽器のための交響曲」も含まれているので、今までの「交響曲第1番」は「MWV N 13」になっています。そのほかの交響曲のMWV番号は、5番→N 15、4番→N 16、3番→N 18です(13と17は未完の交響曲の断片)。なお、「交響曲第2番」は、交響曲ではなく「大編成宗教声楽曲=A」にカテゴライズされて「MWV A 18」という番号が与えられています。タイトルも「交響的カンタータ『賛歌』」と変わりました。詳細はこちら
ブライトコプフ版は現物を見ていないので分かりませんが、ホグウッドが校訂したベーレンライター版では改訂が行われた作品では、改訂前と改訂後の楽譜を同時に見ることが出来るようになっています。ですから、「ホグウッド版」という表記があっても、それがどの稿による演奏なのかは分かりません。ここでは、ネゼ=セガンは全て「初稿」の形で演奏しているようです。もっとも、「3番」と「4番」は普通に演奏されるのが初稿なので、特に変わったところはありません。しかし「5番」は現行版が改訂後の「第2稿」なので、「第1稿」は非常に珍しく、多分これが2番目か3番目のCDなのではないでしょうか。
「第2稿」との最大の違いは、第3楽章と第4楽章の間に長大なフルート・ソロがフィーチャーされたカデンツァが入っている点です。これを吹いているのはクララ・アンドラーダ・デ・ラ・カッレでしょうか。とても渋い音色が魅力的です。

CD Artwork © Deutsche Grammophon GmbH

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by jurassic_oyaji | 2017-07-29 22:28 | オーケストラ | Comments(0)
タワレコのインストアライブを見に行きました
 最近、テレビに米倉涼子さんがよく出てますね。これは、もうすぐ「シカゴ」が始まるので、その番宣なのでしょう。実は、この間渋谷のシアター・オーブに行った時には、そのポスターがでかでかと貼ってありましたから、そういうのもあるんだな、と思っていました。彼女が5年前に単身ブロードウェイに乗り込んで、このミュージカルの主役をあちらの劇場で演じてきたことは知っていましたが、今年もそのキャストで再演があって、それをそのまま渋谷に持ってきたものが、来月から始まるということなのですね。ためしにチケットぴあで調べてみたら、すでに全公演が満席になっていて、1枚も買うことが出来ない状態になっていました。それだったら、別にこんなに宣伝することなんか必要ないと思うのですが、もうすでにテレビ出演のスケジュールが決まっていて、今さらキャンセルはできなかったのでしょうか。読みが甘かったんですね(逆の意味で)。
 でも、私が行った「ウェストサイド・ストーリー」では、間近になっても売れていなかったようですし、当日券もしっかり販売してましたから、やはりこれは「日本人が本場で成功している姿を日本で見てみたい」と思っている人がたくさんいた、ということなのでしょうね。私はこのミュージカルの映画版は見ましたが、正直そんなに面白いものではありませんでした。まあ、チケットが手に入った人は、楽しんできてください。
 考えてみたら、私がそこに行ってきたのはほんの2週間前だったんですね。なんか、ずっと前のことのような気がしてしょうがありません。仙台に帰ってきて、なんだか毎日忙しい思いをしていたせいでしょうか。いや、普通の仕事だけではなく、家族のことでもちょっとイレギュラーな時間がとられてしまうことがあったからかもしれませんね。いずれは辿る道なので、おろそかにはできませんから、真正面から立ち向かわないことには。
 渋谷に行った時には、お昼ご飯は同じ「ヒカリエ」の中にあるトンカツ屋さんで食べようと思っていました。実は、ここがオープンしてすぐぐらいに一人でここに来たことがあって、かつ丼が信じられないほどおいしかった記憶があるものですから、それをもう一度味わってみたかったんですよね。それで、念のためフロアマップで調べたら、まだちゃんとそのお店はあったので安心したのですが、そこで「酢重」も同じフロアにあることが分かりました。このお店は東京駅の新丸ビルにもあって、そこのサバの塩焼きは絶品だと聞いていて食べに行ったら、それは平日だけのメニューでがっかりした、ということがありましたが、こちらの方は普通にメニューにもあるみたいですから、それだったらそこに行こうと思いました。
 着いたのは開店直後だったのですが、すでに窓際の席は満席になっていましたね。まあ、別に渋谷駅周辺の乱立したビルを見てもしょうがありませんけど。ほんとに、このあたりは収拾がつかないほどみっともないことになっていますね。
 これが、目指すサバの塩焼き定食。身がとても柔らかでとても満足しました。ご飯とみそ汁のお代わりが出来るので、どちらももう1杯ずついただきました。アブラゲの味噌汁もいいですね。
 注文した後で店員さんがやって来て、「シアターオーブにいらっしゃいますか?」と聞いてきました。そういえば、ネットで調べた時に、チケットを見せるとレストランでサービスを受けられるようなことが書いてあったので、それをやってみようと思っていたのに、すっかり忘れていましたよ。聞かれなければ、せっかくのサービスが無駄になってしまうところでした。
 それで、食後に出てきたのがこのみつまめです。量は少ないですが、あっさりしていておいしかったですね。
 それからエレベーターで6階から11階まで登ったところがホールの入り口ですが、本当の入り口はそこからさらに2階分エスカレーターで登らなければいけません。
 公演が終わると、このエスカレーターは下りに変わります。そこにはお客さんが殺到するだろうと思ったので、少しでも早く出ようと最初のカーテンコールが終わったらすぐ席を立ったのですが、結局カーテンコールはそれしかなかったので、他のお客さんもすぐに出てきてしまって、それほどのアドヴァンテージはなかったですね。「劇団四季」だったら、延々とオケが演奏していたものですが。まあ、そんなあたりに、お客さんに対するサービス精神の違いを見てしまったんですね。なんか、なめられてるな、と。「シカゴ」ではどうなのでしょうか。
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by jurassic_oyaji | 2017-07-28 22:51 | 禁断 | Comments(2)
ジャジャジャジャーン!
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田中マコト著
講談社刊(マガジンエッジコミックス KCME21/76
ISBN978-4-06-391021-6/978-4-06-391076-6


久しぶりの本格クラシックマンガ、まずは「帯」に注目です。こういうものにはよく「推薦コメント」というものがあって、関係業界の名士による歯の浮くようなコメントが読めるようになっているものですが、ここにはそういうものは一切なく、代わりに、「クラシック業界関係者黙殺!?/いくつもの推薦コメント依頼に返信まったくなし!(第1巻)」とか「クラシック業界関係者激怒!?/推薦コメント依頼にNGの嵐!(第2巻)」といった、とてもインパクトのあるコメントが並んでいます。いや、ヘタな太鼓持ちコメントより、こちらの方がずっと読者の食指を誘うものになっていますね。
このマンガは、少年マガジンエッジ(アダルト誌ではありません・・・それは「少年マガジンエッチ」)に2015年から2017年にかけて連載されたもので、単行本は第1巻が去年の7月、第2巻が今年の7月に刊行されました。もう連載は終わっているので、この2巻で完結のようです。
作者の田中さんは、女性です。彼女はそもそもミュージカル歌手を目指して武蔵野音楽大学音楽学部声楽学科に入学するのですが、まわりの人たちのあまりのレベルの高さに、音楽家への道を断念しかけます。そんな時に「のだめカンタービレ」の作者、二ノ宮知子さんが大学に取材に来て、彼女は「その姿に触発されて」マンガ家を志すようになったのだそうです。それから修行に励み、10年以上の下積みを経て、晴れて世の中に認められるようにようになったというのですから、経歴自体がすでにマンガですね。そうか、「のだめ」ってそんな昔のことだったんですね。
そんな、音大卒マンガ家が世に問うた、クラシック・ギャグマンガが面白くない訳がありません。ギャグそのものはかなりスベってはいるものの、まずはデフォルメされまくっている大作曲家の「絵」には感動に近いものがあります。特に秀逸なのはシューベルトと滝廉太郎。シューベルトの顔の汗と、右手は最高ですね。そして、滝廉太郎。先ほどの帯コメントが事実だったとしたら、推薦コメントが断られたのは絶対この人の描かれ方のせいでしょう。なんたって、「日本のクラシック音楽の開祖」と祀られて、この国の音楽アカデミズムの中枢ではこんな銅像まで飾られているという人ですから、これはまずいです。だから、面白いんですけどね。
とは言っても、やはり先輩格の「のだめ」同様、気になるところはたくさんあります。
そもそも、毎回のタイトルの「第〇楽章」としたあたりで、普通のクラシックファンの感覚とは微妙にずれていることを感じないわけにはいきません。最後は「最終楽章」で何の問題もありませんが、そのひとつ前が「第21楽章」ですって。このぐらいの楽章数の作品がないわけではありませんが、それはかなり特殊なものですからね。
楽器はピアノ以外はほとんど登場しないので大丈夫だと思っていると、そのピアノでいきなりこんなのが出てきました。なんか、ボディのデッサンがおかしいですね。
それは、こちらの天板と比べると、はっきり分かります。
校歌を作るエピソード(第4楽章)では、モーツァルトくんが作った「怒れ!!」という歌詞が登場しますが、これは「レクイエム」の中の「怒りの日」を元ネタにしたものですね。それはなかなか面白いのですが、それに対するベートーヴェンのネームから、それが旧約聖書からの「引用」であることが示唆されています。しかし、このテキスト自体は聖書から取られたものではありませんから、これはベートーヴェンの勘違い。
そして、音楽大学が登場する「第17楽章」では、滝廉太郎が「音楽大学と銘打っているだけでも10校以上、一般大学の音楽科なども含めたら40校以上はあります」と言っているのも事実誤認。こちらを見ると、日本には優に100校以上の「音楽大学」があることが分かります。滝くんはWIKIのいい加減なデータを鵜呑みにしたのでしょう。

Book Artwork © Kodansha Ltd

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by jurassic_oyaji | 2017-07-27 20:40 | 書籍 | Comments(0)
「涼宮城」が命取り
 先日の仙台市長選挙、私は正直言ってそれほど関心はありませんでした。というか、現職の市長と宮城県知事までが全面的に応援していて、経済界のバックもしっかりしているS候補には、いくら市民連合で現職の国会議員をかつぎだしても勝てないだろうと思っていましたからね。それが、よもや東京都議会議員選挙と同じ展開でK候補が勝ってしまうとは。
 ですから、選挙期間中もその運動の様子には全く無関心でした。それで、終わってからテレビでそういうものをゾロゾロ放映してくれたのでそれを見ていたら、県知事あたりはとんでもないことをやっていたんですね。なんか、自分の立場が分かっていないというか、あまりにも露骨な応援活動には完全に引いてしまいますね。そして、最近明らかになったのが、S候補が震災後に行った土地の不正取得問題です。なんでも、「半壊」になったビルを土地ごと買うことになって、ビルの解体費用を差し引いて売買契約を結んだのに、その契約を締結する直前までに売主に無断で再度調査を行って評価を「大規模半壊」にしてもらい、契約通りの価格で買った上に、解体は公費で行った、というのですから、これはヤバいですよね。こんな人がもしかしたら市長になっていたかもしれないなんて、ゾッとします。
 一応S候補は公約で「音楽ホールの建設」を謳っていました。ですから、それに釣られて投票してしまった人も私のまわりにはいたようですね。確かに、この人はそういう運動の一翼を担っていたような気はしますが、前にも書いたように、その全体像がいまいち見えてきていないところがありました。それこそ知り合いの音楽家たちが役員として名を連ねている団体とはどのような関係にあるのかは、いまだによく分かりません。そこにこんなことが明らかになってしまったのでは、ホールは出来たけれど、そこには得体のしれない金の亡者のスキャンダルが絡み付いていた、なんてことにもなりかねませんでしたよ。
 いろんな見方はあるかもしれませんが、今回の仙台市民の選択は、立派だったと思います。もちろん、私もK候補に投票しました。
 ただ、音楽ホールに関しては、確実に実現からは遠のくでしょうね。それとも、もうすぐ行われる県知事選挙では、現職の対立候補に、その方面に積極的な方を担ぎ上げるとか。今の知事は、おそらく壇蜜愛を貫いた結果、自滅してくれるでしょうからね。
 東京には、「2000人収容の音楽ホール」なんかいくらでもあります。ちょっと小さめですが、1600人収容で非常に良い音のする東京オペラシティのコンサートホールで毎年コンサートを行い、常に満員のお客さんを集めていた合唱団が、このたびそのラスト・コンサートをそこで開催しました。あいにく私はニューフィルの指揮練があったので行けなかったのですが、音楽監督のPさんからその時の模様を収録したCDが送られてきました。さっそくそれを聴いて、お礼のメールをPさんに送ったら、「ハイレゾもありますよ」という返事が来たので、もちろんお言葉に甘えてDLさせてもらいました。CDでは2枚組でしたが、そのデータは24/192のLPCM(.WAV)だったので、全部で8.5Gにもなりましたね。最初は自宅のWI-FIでやっていたのですが、とてつもなく時間がかかりそうなので、LANケーブルにしたらすぐDL出来ました。
 それをちゃんと聴くには、職場のシステムが必要なのですが、待ちきれなかったのでとりあえずPCでCDと聴き比べてみましたが、それでもきちんと違いが分かりましたね。ですから、翌日ちゃんとUSB-DACを通して聴いてみたら、もうその違いは歴然としていました。いや、CDでもかなりのクオリティで、市販のCDよりもはるかに良い音で聴こえていたのですが、ハイレゾは別物でした。CDで聴いてちょっと不満が感じられていたところが、ことごとく意味を持っていたことが分かるんですよね。
 最後のステージでは、このホールのオルガンも使われていました。その音が、CDでは電子オルガンのように聴こえていたものが、ハイレゾではきっちりパイプオルガンの音になっていた、と言えば、その違いがはっきりするでしょうね。エンジニアは小貝俊一さん、このコンサートの1回目から彼が録音を担当されています。すべてが「一流」でした。この合唱団は。
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by jurassic_oyaji | 2017-07-26 23:00 | 禁断 | Comments(0)
MAHLER/Symphony No.5
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Osmo Vänskä
Minnesota Orchestra
BIS/SACD-2226(hybrid SACD)


フィンランドの指揮者、オスモ・ヴァンスカは、今ではアメリカのオーケストラの音楽監督に就任して、インターナショナルな活躍をしています。ただ、このBISレーベルからリリースされているCDでの彼のレパートリーは、お世辞にもインターナショナルとは言えません。やはり、なんと言っても突出しているのはシベリウスでしょう。かつての手兵だったフィンランドのラハティ交響楽団との共演では、シベリウスに関してはかなりマニアックなものまでレコーディングを行っていましたし、交響曲ではラハティ、ミネソタ両方のオーケストラとの全集を完成させていますからね。なんたって、その中には双方に「クッレルヴォ交響曲」まで含まれているのですから、これはそうとう画期的。
ただ、その他の作曲家では、交響曲全集を完成させたのは同じ北欧のニルセン(BBCスコティッシュ管)とベートーヴェン(ミネソタ管)しかなかったような気がします。そんなところに、いきなりマーラーの交響曲のツィクルスを始めたという情報が入ってきました。その第1弾として登場したのがこの「5番」です。
もちろん、オーケストラのコンサートでは今までにマーラーを取り上げたことはあったことでしょうし、1994年には室内楽版(シェーンベルク版)で「大地の歌」を録音していますから、別にマーラーが苦手だったわけではないのでしょうね。
この曲では、冒頭でのインパクトで、どれだけお客さんを引きつけられるかが、最大のポイントなのではないでしょうか。たった1本のトランペットから始まったものが、瞬時にとてつもない音響にまでたどり着くという場面、これは指揮者の腕の見せ所でしょう。そのトランペットのソリストは、素晴らしい音でその「運命のモティーフ」を吹いていました。そこには、どんな奏者でも見せるようなナーバスなところは全く感じられません。それどころか、まるでそれはニニ・ロッソの「夜空のトランペット」のようなリラックス感さえも持っていたのです。いかにもアメリカのオーケストラらしいという気はしますが、もうちょっと緊張感があってもいいような。
そして、すぐに最初のクライマックスがやってきます。この部分は、最近生で何度も聴いているので期待していたのですが、そのあまりのしょぼさには完全に失望させられてしまいました。SACDのダイナミック・レンジだったら、バスドラムの低音などはもっと重量感をもって聴こえてくるはずなのに(そういう音源はたくさん知っています)この、いかにも安全運転然とした録音はいったいなんでしょう。
そのあと、ヴァイオリンとチェロで現れるゆったりとしたテーマも、なんか薄っぺらな音で、ハイレゾならではの質感が全く伝わってきません。最近のBISの録音では、こういう弦楽器がとてもおざなりなものがよくあるのですが、これもそんな傾向が強く出てしまった、あまり感心できない録音なのでしょう。
ヴァンスカの指揮ぶりも、そういう録音のためなのかもしれませんが、なんか受け身に回ってしまった消極性のようなものが感じられてしまいます。あまり自分の主張を出さずに、もっぱらプレーヤーの自主性に任せる、みたいな感じ。
第2楽章も、同じようになんとも気の抜けた、戦闘意識の全く感じられない演奏です。第3楽章も、変に整っていて、マーラー特有の「汚なさ」が見られません。録音のせいもあるのかもしれませんが、クセのあるへんてこなメロディをあっさりと隠してしまっているので、とてもお上品になってしまっています。そして、第4楽章も、陶酔感からは程遠い乾いた音と歌いまわし、第5楽章も、何か居心地がよくありません。正直言って、こういうマーラーは嫌いです。
この後には「6番」と「2番」が控えているのだそうですが、とても購入する気にはなれません。というか、この程度の音だったらSACDでなくても構わないので、NMLで聴くぐらいが相応なのでは。

SACD Artwork © BIS Records AB

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by jurassic_oyaji | 2017-07-25 23:12 | オーケストラ | Comments(0)
プログラムノーツを公開します
 8月6日に開催される杜の都合奏団のプログラムノーツが出来上がりました。毎回、私が書いている、こんな曲を演奏します、ということを会場に来た皆さんに知っていただくためのコメントです。もし興味がわくようなことがあれば、ぜひ演奏会にいらしてみてください。

 私たち杜の都合奏団は、創設時から小人数の弦楽器による室内オーケストラとして活動を行ってきましたが、今回は弦楽器のメンバーを大幅に増やして、グスタフ・マーラーの大作「交響曲第5番」に挑戦することになりました。それに先立って、マーラーより6年早く、1854年に生まれた作曲家、エンゲルベルト・フンパーディンクの歌劇「ヘンゼルとグレーテル」の前奏曲をお聴き下さい。
フンパーディンク:歌劇「ヘンゼルとグレーテル」前奏曲
 この作曲家の名前を聞いて、1960年代から1970年代にかけて「Man Without Love(愛の花咲く時)」とか「Love Me With All of Your Heart(太陽は燃えている)」といった曲を歌って大ヒットを飛ばしていたイギリスのポップス・シンガーの名前を思い出す人もいらっしゃるかもしれません。もちろん、それはこの作曲家にちなんだ芸名です。ただ、芸名を付けるにしても、ふつうのアーティストだったら、たとえば「グスタフ・マーラー」などのようにクラシックの作曲家としてきちんと認知されている人の名前なんか絶対に名乗りたくないでしょうから、そのあたりからこのフンパーディンクさん(作曲家の方)の微妙な立ち位置が分かろうというものです。生前は作曲家、あるいは教育者(あのクルト・ワイルの先生でした)として名声を博していたフンパーディンクでしたが、現在ではこの「ヘンゼルとグレーテル」1曲しか知られていませんから、まさに「一発屋」です。さいわい、この歌手はそうはなりませんでしたが。
 当時は偉大なワーグナーによって「ニーベルンクの指環」のような巨大なオペラが作られてしまった後でしたから、作曲家がその偉業を引き継いで新たにオペラを作ろうとした時には、かなりの困難が待ち構えていました。一部では、実際に同じような大規模なオペラも手掛けられますが、もっと別な道、ワーグナーの「指環」の中でも「ジークフリート」が色濃く残していた「メルヒェン」としてのオペラを目指す作曲家が数多く出てきます。フンパーディンクもその一人、多くの「メルヒェン・オペラ」を世に送りました。
 彼は若いころ実際にバイロイトでワーグナーのアシスタントを務めていたこともありますから、その音楽は師匠を正当に継承するものでした。彼が作った「メルヒェン・オペラ」は、確かに良く知られたドイツの子どもの歌の引用はありますが、それらはワーグナー風の厚いオーケストレーションで彩られ、無限旋律の中に埋め込まれているのです。
 開幕前に演奏されるこの前奏曲は、オペラの中で登場する重要なモティーフを使って、このお話の内容を簡潔に語っています。最初にホルンで演奏されるとても美しいコラールは、まさにこのオペラのテーマとして何度も何度も繰り返し劇中に現れます。それが最初に登場する時にはグレーテルによって、「お父さんから教えてもらった讃美歌よ」という説明の後に、「本当に困った時には、神が手を差し伸べて下さる」という、その讃美歌のテキストが歌われます。
 このコラールが朗々と何度も繰り返されたあと、音楽はアップテンポに変わります。その瞬間にトランペットで登場するのがお菓子の魔女のモティーフです。それに絡む半音階の進行が、魔女の不気味さを表現しています。と、そこに流れるように澄み切ったようなモティーフが現れます。これは、第3幕での霧の精がヘンゼルとグレーテルを目覚めさせる時に歌う歌の中に出てくるうメロディです。そして、途中で断片的に表れていた浮き立つようなモティーフが、終わり近くで完全な形で出現します。これは終幕で魔女に眠らされていた子供たちの魔法が解けて元気に歌う合唱のモティーフです。これに先ほどの目覚めのモティーフが加わって盛り上がったのち、最初の讃美歌のモティーフが静かに流れて、この前奏曲は終わります。

マーラー:交響曲第5番
 1860年にボヘミアのカリシュトという村に生まれたグスタフ・マーラーは、その50年の生涯で11曲の交響曲を手掛け、そのうちの10曲を完成させました。彼が作った交響曲たちは、それまでのこのジャンルのしきたりを大きくはみ出した、とてつもない様相を呈していました。特に顕著なのが他のジャンルである歌曲との相互乗り入れと、規模の大きさです。
 そんな交響曲の中で、おそらく今日最も頻繁に演奏されているのが、この交響曲第5番ではないでしょうか。もちろんここにも、彼の歌曲からの引用はありますし、合唱こそ入っていませんがオーケストラの編成はかなり大きなものですから、その特徴は端的に継承されています。しかし、この交響曲がここまでの人気を獲得したのは、ひとえにその5つから成る楽章の4番目、「アダージェット」という表題を持つ楽章のお蔭でしょう。これは、トーマス・マンが自分自身とマーラーをモデルにして1912年に出版した小説「ヴェニスに死す」が1971年にルキノ・ヴィスコンティによって映画化された時にサウンド・トラックとして使われて、広く知られるようになりました。さらに、あの大指揮者カラヤンの死後、1994年にこの曲がメイン・チューンとして収録された「アダージョ・カラヤン」というコンピレーション・アルバムがドイツ・グラモフォンからリリースされ、全世界で500万枚もの売り上げを記録するに至って、「アダージェット」はヒーリング・ピースとしても多くの人の心をつかむことになったのです。
 マーラーがこの交響曲の製作を始めたのは、1901年ごろとされています。その年の11月には、彼にとって人生の転機ともいえる出来事が起こります。それは、アルマ・シントラーとの出会いです。その時のアルマは22歳、マーラーは41歳でした。いわゆる「ひとめぼれ」というやつで、二人は会った瞬間にお互いを好きになり、翌年3月には結婚します(その時、新婦は妊娠3か月でした)。アルマはとても聡明な女性で、それまではツェムリンスキーの元で作曲の勉強もしていました。結婚を機に、彼女は夫の命令で作曲をすることは禁じられますが、その分、夫の片腕として尽くすようになります。具体的には夫の楽譜の浄書、いや、時にはラフな下書きを渡されてオーケストレーションを施すようなことまで行っていたとされています。この交響曲第5番では、その初演前のリハーサルをこっそり聴きに行って、オーケストレーションが変えられていることに落胆したという彼女の回想録が残っています。
 単にそのようなアシスタントとしての実務ではなく、彼女の存在自体がマーラーの作曲意欲を盛り上げたのは間違いありません。いわば、アルマはマーラーにとってのミューズだったのです。ただ、アルマにとってのマーラーは、単なる「最初のオトコ」でしかありませんでした。マーラーと彼女との結婚生活は彼が亡くなる1911年まで続きますが、そのころにはヴァルター・グロピウス(バウハウスを創設した建築家)との不倫が発覚しての泥沼状態でしたからね。
第1楽章「葬送行進曲」(正確な歩みで、厳格に、葬列のように)
 「交響曲第5番」というタイトルで最も有名なものは、俗に「運命交響曲」と呼ばれているベートーヴェンの作品でしょう。それをマーラーが意識したのかどうかは分かりませんが、この交響曲の冒頭には、ベートーヴェンが使っている「タタタ・ター」というリズムのモティーフがソロのトランペットによって現れます。同じ音が続いた後、短三度上の音に跳躍するのですが、同じタイミングで半音高い長三度上の音になると、これは有名なメンデルスゾーンの「真夏の夜の夢」の中の「結婚行進曲」になってしまいます。単なる偶然なのかもしれませんが、こんなところにもマーラーのアイロニカルな視点を感じてしまいます。
 このトランペットのソロに続いて、音楽は一気に盛り上がり、約30秒後にはとてつもないクライマックスを迎えます。これも見当外れかもしれませんが、マーラーの4歳年下で、ある意味ライバルだったリヒャルト・シュトラウスの「ツァラトゥストラはこう語った」の冒頭のファンファーレ(こちらはスタンリー・キューブリックの映画「2001年宇宙の旅」で有名になりました)と同じ種類のカタルシスを見る思いです。
第2楽章(嵐のように激しく、一層の激しさをもって)
 この交響曲は5つの楽章から成っていますが、マーラーはさらに第1楽章と第2楽章をまとめて「第1部」、第3楽章を「第2部」、第4楽章と第5楽章をまとめて「第3部」として、第3楽章を中心にしたシンメトリカルな構造を提起しています。したがってこの第2楽章は「第1部」の後半という位置づけになり、前の楽章で現れたモティーフが変形されて現れています。コンサートでは、第1楽章から続けてそのまま演奏されます。
 冒頭のまさに「嵐のよう」な場面が収まった時にフルートで現れるのが、お馴染みの「タタタ・ター」のリズム、しかも、ここではメロディまで「運命」と同じ長三度の下降になっています。そのリズムに乗って聴こえてくるのは、チェロによる第1楽章のゆったりとしたテーマです。楽章の終わり近くになって、金管楽器が奏する、まるでブルックナーのように壮大なコラールにもご注目。
第3楽章「スケルツォ」(力強く、速過ぎないように)
 スケルツォとは言っても、これはもっとテンポの遅い、ヨハン・シュトラウスのウインナ・ワルツのような音楽です。しかし、なんせマーラーのことですから、いつまでもそんな軟弱な音楽が続くわけがありません。クラリネットはまるでニワトリのように啼き叫び、フルートは超高音で悲鳴を上げています(マーラーはフルート奏者が嫌いだったのでしょう、楽章の最後には「あわててピッコロに持ち替えろ」という無茶振りがあります)。
 この楽章ではまるでホルン協奏曲のようにホルン・ソロが大活躍します。ですから、ホルン奏者は立って演奏します。彼の名人芸にも酔いしれてください。
第4楽章「アダージェット」(非常に遅く)
 管楽器は全員お休み、弦楽器とハープだけで演奏される、まさに世紀末(いや、すでに世紀は変わっていましたが)的な頽廃感の中でエロティシズムさえ漂う、濃厚な媚薬のような音楽です。この楽章のために集まった総勢60人の弦楽器奏者が醸し出す、身も心もとろけるような極上の響きをご堪能下さい。
第5楽章「ロンド‐フィナーレ」
 そして、やはり間をおかずに最後の楽章が始まります。ホルンに続き、木管楽器のソロがそれぞれに素朴なメロディの断片を奏でます。この中には、マーラー自身の歌曲集「子供の不思議な角笛」からの引用もあり、その歌詞からマーラーのこの楽章、あるいは交響曲全体への「深読み」が試みられています。それは主に、第2楽章の最後に現れ、この楽章の最後でもさらにパワーアップして金管楽器によって響き渡る壮大なコラールに対する謎解きです。マーラーはそこにブルックナーのパロディという、どす黒い意志を込めているのだとか。
 ここに至るまでのとても長い時間、オーケストラは多くの声部が入り乱れてそれぞれの歌を歌うという複雑なポリフォニーを展開しています。それがこのコラールにたどり着いて、その勢いのままにエンディングを迎えるのかと思うと、最後の最後で現れるのはなんとドビュッシー風の全音音階です。印象派の音楽に対しては何の関心も持っていなかったとされるマーラーは、何を思ってこんなことをしたのでしょうか。


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by jurassic_oyaji | 2017-07-23 23:07 | 禁断 | Comments(0)
BACH/Messe h -Moll
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Julia Doyle(Sop), Alex Porter(CT)
Daniel Johannsen(Ten), Klaus Mertens(Bar)
Rudolf Lutz/
Chor & Orchester der J.S.Bach-Stiftung
J.S.Bach-Stiftung/B384


確か、バッハのカンタータの全曲録音を目指して2006年にスタートしたはずの、この「バッハ財団」のプロジェクトですが、その後の進捗状況はどうなっているのでしょう。公式サイトによると、カンタータのCDは第20巻までリリースされているようですが、それぞれ3曲入っているとしてまだ60曲しか完成していませんね。200曲以上あるカンタータが全曲手元に届くのは、そんなにカンタンなことではありません。
ただ、このプロジェクトでは、カンタータは実際の公演のライブ録音ですが、それ以外の宗教曲のスタジオ録音も行っていました。その第1弾が、2012年に録音されたこちらの「マタイ受難曲」でしたが、今回のCDはそれに続いて2016年に録音された「ロ短調ミサ」です。
まず、楽器や合唱の成り立ちから。オーケストラの楽器はピリオド楽器、弦楽器はヴァイオリン11人、ヴィオラ4人、チェロ3人、ヴィオローネ2人で、通奏低音はチェンバロとオルガン、リュートなどは入っていません。合唱はソプラノ12人、アルト7人、テナー6人、ベース8人、ソリストは合唱とは別に4人です。合唱でソプラノだけ多いのは、かなりの曲でソプラノのパートが2つに分かれているためでしょう。おそらく、現代ではこのぐらいの人数が、ストレスなくきっちりピリオドっぽいサウンドを味わえるスタンダードなのではないでしょうか。もはや「1パート1人」のブームは完全に終わっているようです。
ここで指揮をしているルドルフ・ルッツは、オルガニストやチェンバリストとして即興演奏には定評のある人です。この録音ではそれらの楽器は他の演奏家に任せていますが、特にクレジットはないものの、この中でそんな即興演奏を披露しています。1枚目のCDを聴き始めたら、普通はオーケストラと合唱で「キーリエ」と始まるはずのものが、なぜかチェンバロの独奏が聴こえてくるのです。いわば「前奏」を即興演奏で弾いていたのですね。さらに、2枚目のCDの頭でも、今度はオルガンで「クレド」の前奏を弾いています。ライブでは、そのあとですぐ指揮をしなければいけないので、これはちょっと難しいでしょうが、スタジオ録音ということでこんなお茶目なことをやってくれたのでしょう。なかなか粋なアイディアです。
ただ、これはライブの時こそ役にたつやり方なのかもしれませんね。「キリエ」も「クレド」も合唱は何も音がないところから歌い始めなければいけません(「クレド」はたいてい休憩後の最初の曲になります)から、前もって音を取っておかないといけません。あるいは、なにかの楽器で演奏前に音を出すとか。これは、かなりみっともないことですが、こんな風に「前奏」を付けてしまえば、堂々とそれで音取りが出来るのですから、これはもしかしたら新しいブームになるかもしれませんね。
もちろん、この合唱団には、そんなことは必要ないでしょう。長年オーケストラと一緒にバッハのカンタータを歌ってきたこのメンバーは、オーケストラとの歌い方を完璧にマスターしているように思えます。自分のパートが、今オーケストラのどの楽器とユニゾンになっているのかを知って、その楽器にしっかり寄り添って歌っていますから、まるでそれは一つの楽器のように聴こえてきます。こんなすごいことができる合唱団なんて、なかなかいないのではないでしょうか。
テキストの歌い方も、しっかり揃っているのがうれしいですね。「グローリア」の「グロ」をしっかり前に出して歌うのは、日本人にはなかなかできません。
オーケストラでも、ソロ楽器はあまり目立たないで全体の奉仕している姿が心地よく聴こえます。トランペットなどは、全く出しゃばらないのにしっかりとその存在感は伝わってくる、というセンスの良さです。しっかり装飾も入れてますし。ただ、これは好みが分かれるでしょうね。もっとバリバリ吹いてほしいと思う人もいるでしょうから。

CD Artwork © J.S.Bach-Stiftung St.Gallen

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by jurassic_oyaji | 2017-07-22 22:22 | Comments(0)
マーラーの5番です
 今週は、練習漬けの1週間になろうとしています。火曜日、木曜日、そしてあさっての日曜日がニューフィル関係、そして明日の土曜日は杜の都合です。
 火曜日は、来月行われる「ニューフィル夏のアンサンブル大会」の初練習でした。去年結成されたニューフィルの精鋭を集めたカルテットです。ただ、メンバーには年齢制限があるというのがユニーク。その条件を満たしている人はほとんどいないので、必然的にこのメンバーになってしまった、というものなんですけどね。モーツァルトのフルート協奏曲は全部で4曲あるのですが、それを4年かけて制覇しようという、いわばツィクルスの完成を目指しています。去年はD Durをやったので、今年はC Durにしようと、去年のうちに楽譜を配って今年の大会に備えていました。
 私は、4曲ともフルートパートはいつでも吹けるようになっているのですが、それをアンサンブルで合わせるということになると、これが全くの初めてになります。テンポなどもちょっと遅すぎるぐらいでやってみると、それがなかなかしっくりくるので、それで行こうということになります。ただ、それだと息が持たないので途中でブレスが入ってしまって、ちょっとみっともないので、そこをどうするかが課題です。でも、やっぱりアンサンブルは楽しいですね。特に、こういう弦楽器の人たちとはなかなか機会がないので、これは貴重な経験です。
 木曜日はニューフィルの定時の練習、今週は火曜日が市民センターの休館日だったのでこの日にシフトしてました。エルガーもだいぶ馴染んできて、とても吹けないと思っていたような面倒くさいスケールなども克服できるようになってきましたね。最後までてこずるのではないかと思っていた4楽章頭のファゴットとのユニゾンの超絶パッセージも、ちゃんと吹けないのはただ走っているせいだということが分かってからは、すんなり吹けるようになっていました。ですから、残る課題はいかに他のパートの間に収まるか、です。エルガーのオーケストレーションはとてもヘンで、ユニゾンなのにずれて演奏していても、それが間違っているようには思えないところがありますから、よっぽど注意していないとその「罠」にハマってしまいます。きのうはまさにそれをやってしまいました。なんか変な感じなのに、妙な充足感もあったのでそのまま吹いていたら、確実に他のパートと一緒になるところで1小節早く出ていたことに気づいてしまいました。これは、もう場数を重ねるしかないですね。
 でも、今度の日曜が、初めての指揮者練習ですから、そんなことを言っている余裕なんかありません。指揮練とは言ってもスケジュールの関係で夜の3時間しかありませんから、通すだけで精一杯、そんなところで間違えたりしてはいられません。
 早いもので、その演奏会のチラシの原稿が出来上がってきました。
 これを見ただけで、コンサートに行きたくなるようなチラシですね。小さくて見えないかもしれませんが、「イギリス音楽界の巨人」というコピーは、私がオヤマダさんの著作からパクったフレーズです。
 指揮練の前の日には、杜の都合です。この前の練習の時に、5楽章でオーボエとユニゾンなのにいつもリズムが合わないので変だと思ってスコアを見たら、
 なんと、フルートだけが別のリズムでした。でも、手元のCDを聴いてみたら、全部オーボエの形で演奏しているようでしたね。前に末廣さんとニューフィルでやった時には、こんなことは気づきませんでした。同じ楽譜、というか、今回はその時のパート譜をそのまま使っているのに、何の書き込みもありませんでしたよ。不思議です。
 こちらは、演奏以外にも期限までに間に合わせなければいけないものがあったのですが、何とか出来上がりました。それを、明日の練習で全曲の通しを聴いて、忘れていたことがなかったか確認すれば、晴れて納品できます。
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by jurassic_oyaji | 2017-07-21 21:55 | 禁断 | Comments(0)
The Venice Concert
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Sergej Krylov(Vn)
Ezio Bosso/
Orchestra Filarmonica della Fenice
SONY/88985439022


最近、センセーショナルなほどの注目を集めている音楽家、エツィオ・ボッソは、1971年にイタリアのトリノに生まれ、最初はバンドのベーシストとして音楽活動を始めます。その後、クラシックの音楽家を目指して、ウィーンで学び、現在では指揮者、作曲家、ピアニストとして大活躍、映画音楽でも、2003年に公開された「ぼくは怖くない」などで高い評価を得ています。
初期のアルバムでは、ベーシストとしてボッテシーニの室内楽を集めたものが1995年にSTRADIVARIUSからリリースされていますし、映画音楽のサントラ盤もありました。ピアニストとしては、2015年にリリースされた「The 12th Room」という、自作を含む多くの作曲家の名曲を集めたアルバムでデビューしています。さらに2016年には、SONYから2004年から現在までの音源を集めた2枚組のアンソロジーが、最新の映像のDVDと一緒にリリースされています。
今回のアルバムは、2016年10月17日にヴェネツィアのフェニーチェ歌劇場で、そこのオーケストラを指揮したコンサートのライブ録音です。1曲目のバッハの「ブランデンブルク協奏曲第3番」では、自らチェンバロを弾きながら指揮をしています。2曲目は2006年の彼の作品「ヴァイオリン協奏曲第1番」を、初演者であるセルゲイ・クリロフのヴァイオリンで、そして最後はメンデルスゾーンの「交響曲第4番(イタリア)」という、ヴァラエティに富んだプログラムです。
最初のバッハは、ドイツ風の厳格なものではなく、まさにバッハがお手本にしたイタリアの協奏曲のような明るく自由な雰囲気に満ちていました。彼はクラウディオ・アバドとも親密な関係にあったそうで、彼のスタイルには心酔していたようですから、このあたりの演奏家の自発性をとことん重視するという姿勢が現れることになるのでしょう。ただ、アバドの場合はこの「ブランデンブルク」もソリスト級の人が集まっていてアンサンブルも完璧でしたが、このイタリアのオーケストラではそこまでのスキルはないようです。第3楽章になるとテンポもかなり速くなり、ちょっと収拾がつかなくなるところも出てきますが、ノリの良さでカバー、でしょうか。楽章間のカデンツァは、アレッサンドロ・マルチェッロの「オーボエ協奏曲」をバッハがクラヴィーア用に編曲した「協奏曲BWV974」の第2楽章を、そのまま移調して演奏していました。このあたりが、ボッソの作曲家としての立ち位置を象徴しているように感じられます。
次に演奏される彼の「ヴァイオリン協奏曲」は、全3楽章、演奏時間は30分という大作です。とは言っても、時間的な長さに比べて、そこに用いられている素材があまりにも少ないのには、ちょっとひるんでしまいます。言ってみれば「ミニマル・ミュージック」の世界、そうなると、聴く者としては身を構えて音に込められた作曲家の思いを受け止めるというよりは、ひたすら意識を殺した音の流れの中に身を任せる、という姿勢が求められるはずです。中でも、真ん中に置かれたゆっくりした楽章はそれだけでほぼ半分の時間を費やしていますから、これはもうほとんど極上の「ヒーリング」の世界です。途中でトイレに行きたくなるかもしれません(それは「ご不浄」)。いつの間にか無意識のかなたに連れて行かれそうになると、突然元気のよい第3楽章が始まって、目を覚ます、という体験が待っています。
メンデルスゾーンの「イタリア」も、良く聴くことが出来る引き締まったスマートな演奏には程遠い、まるで晩年のチェリビダッケのような持って回った表現です。おそらく、もっと上手なオーケストラだったら、この気まぐれな指揮に順応して素晴らしいものが生まれていたのでは、という感慨だけが残ります。
彼は、2011年に筋萎縮性側索硬化症(ASL)を発症したのだそうです。現在ではピアノを弾く時にはとても高い椅子に座って、ほとんど立った状態で演奏していますし、指揮もやはり椅子に座ったまま、指揮台には車椅子のためのスロープが設けられています。

CD Artwork © Sony Music Entertainment Italy SpA

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by jurassic_oyaji | 2017-07-20 22:50 | オーケストラ | Comments(0)