おやぢの部屋2
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駅の番号も付きました
 宮城県のPR動画が、評判になっているようですね。もちろん、「評判」には「よい」ものと「わるい」ものがあるわけで、これは当然「わるい評判」の方ですよね。宮城県知事は「目に付けばそれが成果」みたいなことを言ってましたが、彼はそれが自身のアホさ加減を世間に知らしめることになるとは全く気が付いていないようですね。いくら見られても、その結果全国の人に宮城県人はセンスがないと思われてしまっては、何にもならないとは思わなかったのでしょうか。
 こんな恥ずかしいことをやっているのは宮城県だけだと思っていたら、仙台市でも同じようなCMをやってましたね。こちらはネットではなくテレビCMですから、普通のお茶の間で見られてしまうという点でその害毒は大きくなっています。それは、今行われている市長選挙への投票を呼び掛けるCMです。おとなしそうに座っていた女子高生が、いきなり立ち上がってラップで「選挙、行ぐすぺ」などとがなり立てはじめるんですから、悪趣味も極まります。ネットならPCやスマホを開かない限り目につくことはありませんが、これは何の前触れもなくテレビの画面に現れますから、気が付いたらこの忌まわしいラップが聴こえてくるという最悪の露出です。正直、こんなのを聴いてしまうと選挙になんか行きたくなくなってしまいますよ。ラップ、特に日本語のラップは大嫌いという人も、世の中にはいるということを知ってもらいたいものです。
 そんな、宮城県や仙台市といったイナカではなく、大都会の東京でも、なんだかわけのわからないことをやっているみたいですね。この間東京に行った時に山手線に乗ったら、かつて広告が貼られていた場所が全部モニターになっていました。中吊りだけはまだ残っているようですけど。そのモニターには、広告以外にいろいろ案内が出てきて、次の停車駅とかそこでの乗換案内などが分かるようになっています。そこで、乗換路線の前になんだか「J〇」という2文字の記号が付いていることに気づきました。今まで、地下鉄ではそれぞれの路線にアルファベット1文字の記号が付いていましたから、それをJRも取り入れることにしたのでしょう。おそらく、オリンピック目当てでしょうね。
 ただ、そこで湘南新宿ラインは「JS」なのに、なぜか埼京線は「JA」になっているのがおかしかったですね。これでは「農協」と間違われてしまいそう。これは地下鉄にも使われた法則で、同じアルファベットが他で使われている時には、2文字目以下が使われる、というやり方なんですね。
 こんな感じ。でも、法則は分かりますが、それが果たして理にかなっているかどうかは疑問です。「JT」とか「JY」はそのまま頭文字ですからすぐわかりますが横須賀線が「JO」だということが感覚的に分かる人なんかいないのではないでしょうか。悲惨なのは鶴見線の「JI」でしょうか。TURUMIの最後の字になって、やっと使えるようになっているんですからね。分かりやすくするための略号なのに、これではかえって分かりにくくなっているのではないでしょうか。なんだか、世の中がすべて、普通の感覚が通用しないようなおかしな方向に進んで行っているような気がしてなりません。
 こういうものは、あんまり使いづらいと淘汰されることもあるんですけどね。こういう、首都圏を走っている電車のことを、昔は「国電」と言っていたものが、民営化で「E電」になったのに、そんな言葉は誰も使わなかったので、結局自然消滅した、ということもありますから。
 ということは、こういう電車は、今ではなんて呼ばれているのでしょう。あるいは、そういう名前を作る出すのはもう面倒くさいので、特に名前はないのかもしれませんね。この「J〇」だって、オリンピックが終われば自然消滅しているかもしれませんね。
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by jurassic_oyaji | 2017-07-19 22:47 | 禁断 | Comments(0)
BACH/Ich ruf' zu Dir, Herr Jesu Christ
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Stephan Genz(Bar)
Alya Vodovozova(Fl)
Hilarion Alfeyev/
Russian National Orchestra
PENTATONE/PTC 5196 593(hybrid SACD)


ロシア正教会の要職にある音楽家、イラリオン・アルフェイエフ様は、ごく最近行なわれ、世間の注目を集めたバチカンのローマ法王とロシア正教会の総主教との会談の「陰の立役者」なんだそうですね。そんな偉いお方が下々の民のためにこんなアルバムを作ってくださいました。かつては、このお方が作曲なさった「マタイ受難曲」などもご紹介させていただきましたが、今回はバッハの作品を指揮なさっておられるアルバムです。中には、御自らオーケストラのために編曲なさっておられる曲もございます。
まずは、オルガンのためのコラール「Ich ruf' zu Dir, Herr Jesu Christ」BWV639です。これは1972年、ソ連時代に作られたアンドレイ・タルコフスキー監督の映画「惑星ソラリス」の中で使われて有名になった曲ですね。映画の中ではシンセサイザーのような音で聴こえてきますが、当時のソ連にはまだシンセサイザーはなく、電子音を使って作られていたのだそうです。それを、アルフェイエフ様はオーケストラのために編曲なさいましたが、テーマは最初にトランペット、続いてオーボエで歌われるように作られておりました。その最初のトランペット・ソロの感じが、日本の下々の作曲家、富田勲が作ったNHK-BSの「プレミアム・シアター」のオープニング・テーマととてもよく似たテイストのように感じられるのはただの偶然なのでしょうか。もちろん、下賤な富田の曲はとてもだらしのない、何の魅力も感じられないものですが、アルフェイエフ様の編曲は一本芯が通っているようで、崇高さまで感じられてしまいます。
それに続いて、バッハのオリジナルの作品が演奏されます。まずはカンタータ「Ich habe genug」BWV82です。このカンタータは、何回か再演されて、そのたびにソリストがソプラノやメゾソプラノに替えられて、それに伴い調性も変わるのですが、ここでアルフェイエフ様が選んだのは初演のハ短調、ソリストがバスのバージョンです。これは、昨今良く聴かれるようなピリオド楽器系のちょっととんがった演奏とは対極をなす、なんとも伸びやかで安らぎが与えられるような演奏でした。バリトンのシュテファン・ゲンツは、とてもやわらかい声でしっとりとアリアやレシタティーヴォを歌っています。最初のアリアは、マタイ受難曲の39番のソプラノのアリア「Erbarme dich」とよく似ていますね。これだけ丁寧に歌われていると、メリスマの持つ意味が全く変わって感じられますし、レシタティーヴォさえもとても抒情的に思えてきます。
次は、フルートに若手のアリヤ・ヴォドヴォゾワを迎えて、「組曲第2番」BWV1067です。これは冒頭の序曲から、なんとも懐かしい、今では絶えて聴かれることのなくなったスケールの大きな音楽が現れていました。これは、おそらくバッハが現代に生きていたらこんな演奏をしていたのではないか、というアルフェイエフ様の「忖度」が反映されたものなのではないでしょうか。ひたすら「原典」を追い求めてやまない現代人の視野の狭さに対する、これはアルフェイエフ様の痛烈な皮肉なのかもしれませんね。もう、ただひれ伏すしかない、崇高な演奏です。
最後は、やはり原曲はオルガン・ソロだった「パッサカリアとフーガ」BWV582のオーケストラへの編曲です。これは、下々の指揮者、レオポルド・ストコフスキーが行った編曲も有名ですが、アルフェイエフ様は金管楽器だけのユニゾンでバス声部を提示するという、まるでこれ自体が教会の中の典礼のようなやり方で曲を始めていました。しかし、それから先の展開は、ありえないほどにぶっ飛びまくられているのには、思わずおののいてしまいました。ストコフスキーでさえも使うことをためらったチューブラー・ベルやタムタムの応酬、我々日本の田舎、奥州に住む下々のものには到底予想もできないような世界が、そこには広がっていたのです。

SACD Artwork © Pentatone Music B.V.

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by jurassic_oyaji | 2017-07-18 22:27 | オーケストラ | Comments(0)
帰りの新幹線に乗ったら、大雨が降りだしました
 シアター・オーブの「ウェストサイド・ストーリー」、行ってきました。今回は、せっかく行くのだからと、他の用事も詰め込んであります。まずは、上野の国立西洋美術館で開催中のアルチンボルド展、そして、銀座のヤマハです。ヤマハは、来年春の曲目が決まったので、そのスコアを入手しようと思ったら、アマゾンでは2週間待ち、アカデミアでは在庫なしだったので、ダメモトでヤマハに聞いてみたら2冊在庫があるというので取り置きにしてもらっていたものの受け取りです。さらに、愚妻も一緒に行くのですが、そちらはさるブランドのお店が有楽町にあるので、そこにも連れて行ってほしいというリクエストもありました。これを全部回るために、私は分刻みのスケジュール表まで作ってしまいましたよ。
 シアター・オーブは、前もって調べてあったので渋谷駅から迷わずに行けました。あまり前評判が良くなかったようなのに、客席は満席、宣伝の効果でしょうか。私が取ったのは2階席の最前列だったのですが、これがステージからそんなに遠くなく、しかも、手すりが全く視界に入らないというありがたい設計でした。ただ、音響も照明も装置もとても素敵だったのに、肝心のカンパニーのお粗末なこと。ダンスの切れは悪いし、歌は下手だし(マリア役の人など、ほとんどオンチです)、芝居の勘所がほとんど決まっていないしと、全くいいところがありません。こうして比べてみると、劇団四季のレベルがいかに高いものであるかが分かります。
 さらに、生オケが入っていたのはありがたかったのですが、これが「本場」の人と日本から加わっているメンバーの混成チームで、なんとも危なっかしい演奏なんですね。リズムのノリは悪いわ、ブラスのアインザッツは合わないわ、テンポがとてもだらしないわと、眠気を催すほどのひどさです。最後の最後、絶対にはずしてはいけない音を当てられなかったトランペット奏者は、プロとは言えません。ほんの小遣い稼ぎに日本にやってきたのでは、と思えるような志の低さ、これでは劇団四季にさえも太刀打ちできなくて当たり前です。カーテンコールも、おざなりでしたしね。
 彼らは。ブロードウェイの引っ越し公演なんて言ってますが、実態はその程度のものだったのですね。まあ、そういうものを大々的な宣伝で持ち上げているというのが、東京の大劇場の商法なのでしょうが、そんなことがいつまでも続くわけがありませんよ。少なくとも、私はこんなものを見るためにわざわざ東京まで出かけるような無駄なことは、金輪際やるつもりはありません。
 それから上野まで行って、美術館の前に行ったら、チケット売り場の前が長蛇の列、これは全くの想定外でした。
 30分ぐらい並ばないとチケットが買えないのでは、仙台に帰れなくなってしまいます。とりあえず中に入ったらグッズ売り場が展示の外にあったので、そこで図録だけ買って、今回はあきらめました。この売店の会計でも長蛇の列で、15分ぐらい並びましたからね。でも、9月までやってますから、今度はちゃんとチケットも入手しておいてゆっくり来ることにしましょう。
 しかし、私がこの画家のことを知ったころには、マニア以外にはほとんど知られていなかったのに、こんなに人気が出ているなんて、なんだか複雑な思いです。
 そのあとは、有楽町まで愚妻を道案内した後、銀座のヤマハまで歩きました。途中に「ゴジラの像」がありましたね。
 話を聞いたときには実物大だと思ったのに、こんなちっちゃなものだったとは。しかし、東京の暑さの中で地上を歩き回るのはとんでもない苦行です。ヤマハの帰りは、たまらず地下に降りて、地下鉄で東京駅まで行きました。涼しかったですね。
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by jurassic_oyaji | 2017-07-16 22:56 | 禁断 | Comments(0)
STRAUSS/Electra
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Birgit Nilsson(Elektra), Regina Resnik(Klytämnestra)
Marie Collier(Chrysothemis), Tom Krause(Orest)
Georg Solti/
Wiener Philharmonker
DECCA/483 1494(BD-A)


このところ立て続けに往年の名録音がBD-A化されているので、なんかとても幸せな気持ちになれます。まあ、中にはマスターテープそのものが劣化していたものが使われていて、いくらなんでもこれを商品にするのはまずいだろう、というようなものもありましたが、それもある意味「歴史の証言」的な見地からだったら許してもいいかな、という気持ちにさえなってきます。というのも、中には本当にマスターテープそのものの音が味わえるものがあったりしますからね。
最近では1966年に録音されたDGの「トリスタン」が、そんなぶっ飛ぶようなものすごい音が体験できるものでした。そして今回はやはり1966年に、こちらはDECCAで、あのゴードン・パリー(とジェームズ・ブラウン)によって録音された「エレクトラ」ですから、期待は高まります。こちらもやはりSPEAKERS CORNERのLPで聴いていますから、その録音の凄さは十分に確認済み。
「エレクトラ」というオペラは、2時間にも満たない長さですから、続けて聴いてもそれほど負担にはなりません。というか、音楽的にはワーグナーのような「無駄な」ところは全くなくて、最初から最後までとても美しいオーケストラとリリカルな歌で満たされていますから、退屈さとはおよそ無縁な体験を味わうことができるはずです。しかも、この、ジョン・カルショーがプロデュースした録音では、単に音楽を聴かせるだけではなく、それらが上演されている時の歌手たちの動きや、さらにはその場の情景までが音によって再現されるように作られている、とされていますから、耳で聴くだけであたかもステージが眼前に広がっているように感じられるはずです。それは、「ソニック・ステージ」と命名されて、大々的にLPのジャケットにもそのロゴマークが掲載されていましたし、今回それを忠実に再現したこのジャケットでも、それは見ることが出来ます。
もっとも、そういう特別の録音方法が使われている、と、メディアに向かって宣言した当のカルショーが、後年「あれはただのデマだった」と証言していますから、実際はそれほどのものではありませんでした。それでも、当時の音楽評論家は見事にこのデマ(フェイク)に騙されて、結果的にDECCAの売り上げに貢献するような発言をあちこちでしてくれたのですから、カルショーは「してやったり」と思っていたのでしょうね。そんな悲しい評論家は日本にもいて、実際FMラジオでLPをかけながら「ここでは、あたかも映画のズーム・インのような効果が出ている」と語っていたことがありましたからね。先入観というのは、恐ろしいものです。
ただ、そこまでの「真実」が分かっていても、改めてこの録音を聴いてみるとその大胆な音響操作には驚かされます。なんせ、この話に登場する人たちはみんなどこか「狂って」いますから、その「狂い」の描写の音楽はそれだけでかなりの異様さを持っているところに、さらにサウンド・エフェクトを駆使してオーバー・アクションに仕上げられています。例えば、クリテムネストラが「狂ったように」笑いながら遠くへ去っていくシーンなどは、耳をふさぎたくなるほどの迫力です。ほんと、やっていることはアナログでとても幼稚なことなのですが、それに大真面目に取り組んでいる歌手や録音チームの努力には、圧倒されます。というか、あっとおどろかされます。
このBD-Aには、もちろんマルチ・チャンネルではなく2チャンネルで、LPCMとDolby True HDの2種類のフォーマットのデータが収められています。ですから、それを切り替えて瞬時に聴き比べることが出来るのですが、そうすると明らかのDolbyの音がワンランク低いものであることがはっきり分かります。繊細さがわずかになくなっているのですよね。2チャンネルであればLPCMのままでも伝送には問題がないはずなのに、なぜわざわざDolbyで音質を劣化させているのかが、理解できません。マスターテープの劣化はほとんど感じられないのに。

BD Artwork © Decca Music Group Limited

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by jurassic_oyaji | 2017-07-15 21:03 | オペラ | Comments(0)
エルガー特集
 前回の「禁断」にチラシのをことを書いたら、翌日にはその現物のゲラが届いてしまいましたよ。もちろん、それはいつも通りのスケジュールに従って作業を進めていただけのことで、単にそれに沿って私がそろそろだな、と思っていたにすぎません。いやあ、今回も素晴らしいチラシが出来上がってきましたね。すぐにでもネットにアップして皆さんに見ていただきたいところですが、まだ決定稿ではないので、チラシを丸ごと公開することはできません。ただ、そのアイコンのような物だけを抽出して、元のチラシとは似て非なる出来そこないのカバーを作って公式Facebookには使ってみましたから、雰囲気だけは味わえるはずです。
 私の本来の仕事は、そのゲラを見て校正を行うことです。ほぼ完ぺきな仕上がりだったのでそんなに直すようなところはなかったのですが、細かい英語表記などは少し手直しが入る余地はあったでしょうか。その他、気づいたことを送って、それで今回は終わりだな、と思っていたら、何度か見直しているうちにちょっと違和感があるところが見つかりました。今回はチェロ協奏曲を演奏するので、そのソリストの紹介も裏面に載っていますが、その表記で日本語の「チェロ独奏」の下に英語で「Solist」とありました。別に独奏者のことは英語では「ソリスト」といいますから、そういうスペルなのでしょうね。何の問題もないように思えるのですが、何か引っかかります。たしか、英語では「Soloist」という、やはり「ソリスト」を意味する単語があったはずですよね。「Solist」と「Soloist」の違いって、なんなんでしょう?
 そこで、英和辞典を開いてみると、なんと、「Solist」という単語は載っていないんですよ。びっくりしましたね。これって、英語じゃなかったんですね。「Soloist」はちゃんとあって、そこには「ソリスト」という和訳が書いてありました。いやあ、ショックです。生まれてこの方、ずっと「Solist」は英語だと思って生きてきたというのに。いや、正確には「Solist」も「Soloist」も両方英語だと思っていましたね。ですから、CDのクレジットを書き出すときでも、きちんとしたものでは「Soloist」を使っていたような気がします。
 ただ、それを日本語で「ソロイスト」なんて口に出してしゃべる人には、それこそ生まれてこの方、面と向かって出会ったことなんてありませんよ。たまに、それこそ後藤美代子さんのような気取ったアナウンサーがそう言っていて、何かっこつけてんだ、と思ったりしたようなことぐらいはあったかもしれません。そう、「ソリスト」はもはや「日本語」として確固たる地位を確立しているのですよ。
 ただ、英語では「Soloist」ですが、ドイツ語やイタリア語やフランス語ではなぜか「Solist」になっています。このあたりが、おそらく日本語としての「ソリスト」の由来だったのでしょう。ドイツ語だと複数形は「Solisten」ですが、もうこれは「なんとかゾリステン」という名前が石を投げればぶつかるほどたくさんありますからね。あ、でも、複数形だったら英語でも「なんとかソロイスツ」というのは最近はよく見かけますね。
 ただ、私の楽器「フルート」は英語読みですね。こればっかりは「フラウト」(イタリア語)、「フレーテ」(ドイツ語)、「フリュート」(フランス語)などという人は、今ではまず見当たりません。「今では」というのは、過去には吉田なんとかさんがことあるごとに「フリュート」と言っていたようですが、その方がお亡くなりになってしまってからは、その「伝統」も失われているからです。
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by jurassic_oyaji | 2017-07-14 22:48 | 禁断 | Comments(0)
WAGNER/Comment Siegfried Tua le Dragon et cetera
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Ensemble Le Piano Ambulant
PARATY/185144


この間もカラヤン盤をご紹介したばかりの「ニーベルングの指環」ですが、あの時は全曲の演奏時間は15時間でした。そんな長いものを、普通のハイレゾのフォーマットで1枚のBDに入れるのは不可能なので、Dolby True HDというマルチチャンネル用に大幅に圧縮された音源に変換されていましたね。
つまり、音を犠牲にしてそんなせこいことをしないと、1枚には収まらないほどの長さを持った作品だ、ということです。
ですから、実際にこちらのように、余計なものを取り除いて全体を半分以下、6時間15分のスリムなものにして上演するような試みも行われていました。まあ、これだったら普通に「オペラ」として鑑賞するには充分の内容を持っています。
今回のCDでは、それがさらに削られ、なんと51分39秒ですって。編成も、オリジナルは100人を超えるオーケストラに、主だったところでも20人は下らないソリストに合唱を加えると200人近くは必要な演奏家が、たったの6人で済んでいます。正確には、それにナレーターが1人と、プログラマーとミキサーが加わりますが、それでも総勢9人ですからね。なんという軽さでしょう
タイトルも、ですから「ニーベルングの指環」みたいな重苦しいものではなく、フランス語で(演奏家はフランス人)「ジークフリートはどのようにして竜を殺したのか、その他」という軽さ、こんなタイトルの曲が全部で17曲あります。そしてサブタイトルは「ポケットに入る4部作」ですって。粋ですね。
ただ、なんと言っても1時間弱に物語を収めるには、大幅なカットが必要で、「4部作」のなかの「ワルキューレ」は丸ごと削除されていましたね。まあ、ここでのプロットはアルベリッヒがラインの乙女から黄金を奪って作った指環が、アルベリッヒ→ヴォータン→ファフナー(竜)→ジークフリートとめぐって、最後はラインの乙女に返されるというものですから、ジークムントやジークリンデの出場所はなくなってしまいます。
ただ、それではあんまりだというので、「ワルキューレの騎行」だけは、そのモティーフが現れる「神々の黄昏」の第1幕第3場に相当する部分で演奏されています。ある意味「反則」ですが、有名な曲はあった方が良いので、許しましょう。
演奏家の内訳はキーボード、フルート、オーボエ、ヴァイオリン、チェロ、エレキ・ベースの6人ですが、それぞれ別の楽器も持ち替えますし、なんと「セリフ」も喋ります。もちろん、フランス語で。
なんたって、ワーグナーには絶対に必要な金管楽器が全く欠けているというのが、この編成の特徴です。しかし、それは2台のシンセサイザーと、専門のライブ・エレクトリックスの担当によって、壮大な音響(さらには自然音のサンプリング)が提供されていますから、ダイナミックスから言ったらフル・オーケストラよりもすごいものがあります。オリジナルを知っている人であれば、「良くやったね」と思ってしまう個所が続々と現れてくるのを楽しめるはずです。
セリフだって、かなり変調されているので、へたくそな歌を聴かされるよりはよっぽどインパクトがありますよ。
こんなにコンパクトになっていても、ワーグナーの音響と、ストーリーに託した思想は存分に伝わってくるというのがすごいところ、というか、「指環」の世界は、実はこの程度に収まってしまうぐらいの矮小なものだったのか、と気づかされるのが、ちょっと怖いというか。
ただ、フルート奏者はフルートにピッコロ、そしてアルトフルートも演奏していますが、なにかピッチが微妙なのが気になります。「ジークフリートの葬送行進曲」ではトランペットの代わりにピッコロがジークフリートのモティーフを吹いているのですが、これがとてもチープに聴こえます(チープフリート)。
最後にきゃりーぱみゅぱみゅの「もったいないとらんど」が聴こえてくるのが、ほほえましいですね。

CD Artwork © Paraty Productions

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by jurassic_oyaji | 2017-07-13 21:04 | オペラ | Comments(0)
前に演奏したことのある曲ばかり
 今まで、ニューフィルの練習の前には必ず寄って晩御飯を食べていた「とらの子」が、5月の連休の後から改装工事を行うということでずっと休業していました。いや、「ご飯」とは言っても、食べるのはお米ではなく麺類なんですけどね。
 それが、2ヶ月経って無事工事も終わり、リニューアル・オープンを迎えることになりました。その日は7月10日だというのは、ここのサイトと、そしてお店の前に置かれた看板によって知っていました。ですから、こういうことが大好きな愚妻は、ぜひともその日に行ってみたいと言っていました。それで、その日の夕方、新しくなったお店に行くことになりました。
 改装の前に、どんなふうに変えるのか、ちょっとお店の人に聞いてみたことがありました。そうしたら、基本的に内装は変えないで、主に厨房を新しくする、という話でした。ですから、そんなに大幅に変わっていることはないだろうとは思っていましたが、入り口のドアなどは新しいものに変わっていましたね。それと、一部のテーブルが前は4人掛けで一つのテーブルだったのが、2人掛けが2つ、くっつけたり独立したりして使えるようになっていました。この店は基本的に合い席にはしないので、これはありがたい措置ですね。ただ、真ん中にあった大テーブルは、そのままでした。これが少し背が高すぎたので、これは直してほしかったですね。
 ただ、予想はしていたものの、メニューを見るとかなりのものが値上げになっていたのは残念でした。まあ、味は変わっていなかったので一安心ですが。実は、この時には、もう一人私の妹も一緒に食べていました。ほとんど食べ終わった時に、なんだか麺の中に短い髪の毛が入っているのを見つけたので、それを店員さんに知らせると、すぐさま、「申し訳ありません、すぐに新しいのをお作りします」と言って、本当にすぐに新しい麺を持ってきましたね。結局、それは食べきれなかったので、私も半分ぐらい手伝いましたが、全部は食べられませんでした。どっちかといえば、この間の「ティーズ」のように、「御代は要りません」と言ってくれた方が良かったですね。もちろん、店主が謝りに来るということもありませんでした。ちょっと残念。
 そして、きのうの練習の前には、そんなことにもめげず、いつも通りにここに来て、いつもと同じチャーシューメンを頼みました。これはしっかり値上げされていたメニュー、以前(左)は税抜880円だったものが、きのう(右)は税抜950円になっていましたね。こうして比べてみると、チャーシューの大きさまで小さくなっているように見えますが、きのうの方が厚みはあったので、それはなんとも言えません。ただ、以前はとても柔らかくとろとろしていたのが出てきた時もあったのですが、きのうのはちょっと硬めでしたね。これも、いつも同じものが出てたわけではないので、判断はできません。
 そして、練習に向かうと、前半の交響曲が終わったところで来年春の定期演奏会の曲目の会議がありました。メインのチャイコフスキーは決まっていたのですが、その前に置くプログラムが指揮者から伝わってきたので、その通りにムソルグスキーとストラヴィンスキーに決まりました。これで、来春は「3大スキー」によるコンサートになりました。詳細は、公式サイトかFacebookをご覧ください。
 そのFacebookは、このところ特に目新しい事件もなかったのでしばらく投稿がありませんでした。そこで、満を持してこの情報をアップしたら、おそらく皆さんも情報に飢えていたのでしょう、リーチ数がものすごいことになって、丸1日で1500にもなっていました。これは久々の大ヒット、この調子でお客さんもたくさん来てくれるといいですね。ただ、その前には、およそお客さんが来そうもないオール・エルガー・プログラムの秋の定期です。演奏する方も、2ヶ月経ってやっと勘所が分かってきた、というぐらいですから、よっぽど頑張らないと、萩ホールで「4ケタ」は難しいでしょう。でも、もう少しするとまた素晴らしいチラシが出来てきますから、それで攻めていくしかないですね。
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by jurassic_oyaji | 2017-07-12 21:52 | 禁断 | Comments(0)
SCHUBERT/Symphony No.8 "Unfinished"
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Mario Venzago/
Kammerorchester Basel
SONY/88985431382


いろいろ突っ込みどころ満載のジャケットです。まず、曲のタイトルとして最初に「The Finished "Unfinished"」、つまり「完成された『未完成』」という、不思議なセンテンスが掲げられています。いわゆる「未完成」というニックネームで広く親しまれている、シューベルトのあのロ短調の交響曲は、その名の通り本来なら4つの楽章があるはずなのに前半の2つの楽章しか作曲されていないという作品なのですが、それを「完成」させてしまったというのですね。完成すればもう「未完成」ではなくなるのに、ちゃんと「交響曲第8番『未完成』」と、理不尽なタイトルなのが、まず笑えます。
ジャケットの写真の方も、普通に見ると重苦しく漂う雲を撮ったものだと思ってしまいますが、ブックレットを裏返すと、そこにはまだつながっていない工事中の橋が。これで「未完成」を表現しているのでしょう。でも、曲の方はもう「開通」しているのに。
「未完成」を「完成」させたのは、何も今回が初めてのことではありません。1981年から1984年にかけて、ネヴィル・マリナーがPHILIPSにシューベルトの交響曲全集を録音した時には、イギリスの音楽学者ブライアン・ニューボールドによって、多くの交響曲が「復元」されていましたが、1983年に録音されたこのロ短調の交響曲でもしっかり4楽章までの「フルサイズ」のものになっています。ご存知のように、この曲のスケルツォ楽章は最初の20小節はオーケストレーションが完了していますし、そのあともトリオの断片までがピアノ譜で残されていますから、ニューボールドは一応シューベルトが望んだであろう形に復元することは可能でした。ただ、フィナーレの楽章はそのような下書きめいたものは残されてはいませんから、ほぼ同じ時期に作られた劇音楽「ロザムンデ」の間奏曲第1番をそのまま使っています。
今回は、指揮者のヴェンツァーゴが自らの仮説をもとにこの2つの楽章を復元したものが演奏されています。ただ、「ヴェンツァーゴ版」はここで初めて披露されているわけではなく、すでに2007年に録音されたジョアン・ファレッタ指揮のバッファロー・フィルの録音(NAXOS)でも使われていました。ここでは第3楽章がニューボールド版、第4楽章がヴェンツァーゴ版によって演奏されています。ただ、同じヴェンツァーゴ版と言っても、今回自らが指揮をして演奏しているものとは少し異なっている部分がありますから、この10年の間に「改訂」が行われているのでしょう。
ヴェンツァーゴの説によれば、シューベルトは最初からこの交響曲は4つの楽章まで作っていたそうなのです。そして、「ロザムンデ」の注文を受けて急いで仕上げなければいけなかった時に、この交響曲の第3、第4楽章からモティーフを転用したのですが、その際に交響曲の楽譜が散逸してしまった、というのです。ですから、その逆の手順、つまり「ロザムンデ」の中の何曲かの素材を組み合わせることによって新たに復元された第3、第4楽章が、ここでは演奏されています。
今まで首席客演指揮者のジョヴァンニ・アントニーニとの演奏でベートーヴェンの交響曲などを聴いてきたこのバーゼル室内管弦楽団は、ここでも7.6.5.4.3という編成の弦楽器と、木管楽器以外はかなりピリオドに近い楽器を用いるというやりかたによって演奏を行っていました。特にユニークなのは、第1楽章をきちんと楽譜通りの「アレグロ」のテンポにしていることでしょう。確かに、これによってこの曲の新たな姿は浮かび上がってきます。ただ、それを受ける「新しい」楽章たちからは、逆に冗長な印象を与えられてしまいます。第3楽章で、第2トリオを新たに「ロザムンデ」の素材で付け加えていますが、それを間にスケルツォを挟まず第1トリオのすぐ後に置いているのはあまりに風変りですし、第4楽章もコーダで第1楽章のテーマが再現されているのには、違和感が募るだけです。だれも、原曲がこうだとは思わないでしょう。

CD Artwork © Sony Music Entertainment Switzerland GmbH

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by jurassic_oyaji | 2017-07-11 22:32 | オーケストラ | Comments(0)
浦島太郎ですからね
 テレビで沖ノ島が世界遺産に指定されたというニュースをやっていましたね。それがめでたいことなのかどうかは分かりませんが、少なくとも私にとっては何のメリットもないことで全く関心はありません。まあ、好きにしてよ、というスタンスですね。ただ、そのニュースの映像を見ていると、その会議をやっている場所がとても気になってしまいました。
 こんな感じ、これは間違いなくワインヤード・タイプのコンサートホールですよね。客席やステージがサントリーホールなんかと同じです。調べてみると、これはポーランドのクラクフにある「コングレス・センター」というところなのだそうです。客席の椅子の上にテーブルを置いて、そこにマイクなんかが設置されているみたいでした。コンサートホールで国際会議なんて、ちょっと素敵ですね。さすがはポーランドです。というか、このように明らかに音楽専用ホールとして設計されているところを、会議などに多目的に使う、という発想がユニークですね。
 こういう感じのコンサートホールを作ろうという動きが、なんだかよく分からない形で進行していることは知っていましたし、実際にその関係団体のアンケートに答えたりもしていました。そうしたら、その運動のリーダー的な存在の人が、今度の市長選挙に立候補したというのですね。この方は、私の職場とも密接な関係がある人で、じっさいに、公示前に職場にあいさつに来ていたのだそうです。まあ、そんな人が市長になれば、もしかしたら音楽ホール建設も実現するかもしれません。
 と、そこだけを考えるとそんな人に市長になってもらって、ぜひとも音楽ホールを作ってもらいたいものだ、と思ってしまいますが、この人のバックが自民党というのでは、ちょっと、ですね。まあ、結局この国では、クラシック音楽は権力の庇護がなければ到底やっていけないものなのでしょう。今さら音楽ホールを作ると言っても、できるのははるか先のことでしょうから、もはや私あたりが実際にそのホールのステージに立つようなことはなくなっているかもしれませんからね。というより、あの、くそ面白くない観光CM動画を作った県知事が応援している、というのもとても不快ですしね。あの動画、当然県知事もOKを出したのでしょうが、ああいうもので宣伝効果があると考える時点で、首長としてのセンスを疑ってしまいます。制作した人は恥ということを知らないのでしょうね。あんなクリエティビティの全くないものを作ったら、壇蜜の部下の小林司クンみたいにクビになってしまいますよ。普通の会社だったら。そもそも、宮城県は全然「涼しく」ありませんし(「涼・宮城」で「りょうぐうじょう」ですって。泣きたくなりますよ)。
 それでも、もしかしたらニューフィルはいずれはその新しい音楽ホールを使えるかもしれませんが、「杜の都合」は確実に無理でしょう。でも、せっせと間近の目標に向けて精進に励んでいるところです。実は、本番までに1ヶ月を切ったのを機に、Facebookのイベントを作って、「お友達」に送信してみました。そうしたら、意外と食いつきがいいのですね。このままだと手持ちのチケットでは対応できなくなってしまいそうなので、さらに追加させてもらいました。ですから、Facebookに縁のない方でも、直接ご連絡をいただければ十分にチケットはご用意できますから、お申し出くださいね。
 おとといの練習では、間際になって序曲には私しかいないことが分かったので、1番を吹きました。ですから、こちらでも序曲に関しては全パートを代吹きで制覇したことになります。
 そして、マーラーは、細かいところをチェックする段階がある程度終わったということで、1楽章と2楽章は初めて続けて通して演奏していました。緊張感が、結構気持ちよかったですね。外は全然「涼しく」ない真夏だったのに、若林の展示ホールは冷房がききすぎて寒いぐらいでした。
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by jurassic_oyaji | 2017-07-09 21:59 | 禁断 | Comments(4)
WAGNER/Der Ring des Nibelungen
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Many Soloists
Herbert von Karajan/
Chor der Deutschen Oper Berlin(by Walter Hagen-Groll)
Berliner Philharmoniker
DG/479 7354(BD-A)


最近、例えばビートルズが来日してから半世紀とか、先日のベームのバイロイトでの録音から半世紀とか、なにかと「半世紀」ネタが世の中にはあふれているような気がします。そこに来て、今年2017年は、「ザルツブルク・イースター音楽祭」が始まってからやはり「半世紀」なのだそうです。夏に開催される「ザルツブルク音楽祭」は戦前からあったものですが、「イースター」の方は文字通り復活祭の時期に、カラヤンが自らの理念を実現させるために1967年3月19日にスタートさせた音楽祭です。オープニングを飾ったのはワーグナーの「ワルキューレ」、それは3回上演され、その間にはバッハの「ブランデンブルク協奏曲(1、2、3番)」と「組曲第2番」、ブルックナーの「交響曲第8番」、ベートーヴェンの「ミサ・ソレムニス」の3種類のコンサートが2回ずつ開かれました。もちろん指揮は全てカラヤン、それだけではなく、なんと「ワルキューレ」では演出まで自ら手掛けていたのですから、もうこれはカラヤン一色のイベントでした。お赤飯はありません(それは「おべんとう」@朝ドラ)。
さらに、この「ワルキューレ」はその前の年に同じキャストによってベルリンで録音されていたのです。つまり、ニューアルバムをレコーディングして、それをプレイリストにしたツアーを行うという、まるでポップス界のアーティストのようなことを、カラヤンはやっていたのですね。そんなことを4年間繰り返して、あっさり史上2回目となる「指環」全曲のスタジオ・レコーディングを完成させてしまいました。
1989年にカラヤンが亡くなったのちも、この音楽祭はベルリン・フィルとその時の指揮者によって継続されました。しかし、2013年からは、ティーレマン指揮のドレスデン・シュターツカペレという新しいホストによる体制に変わっています。今年の音楽祭では、「半世紀」の記念としてこのメンバーによってカラヤンが使った舞台装置や衣装を復元した「ワルキューレ」が上演されました。いまだにカラヤンの亡霊は消えることはありません。
そして、その「半世紀」の記念グッズとして登場したのが、このBD-Aによる「指環」の全曲盤です。ワーグナーの「指環」が、1枚のBD-Aに収まったものとしては、その最初のスタジオ・レコーディングであるショルティとウィーン・フィルのものがありました。ただ、それはトランスファーが行われたのが1997年で、その頃のフォーマット、つまり24bit/44.1kHzによるものでしたから容量25GBのBD1枚に楽々収まっていました。しかし、カラヤンの場合、全曲の演奏時間は「899分5秒」なのでほぼ15時間、それを24bit/96kHzのPCMで録音するとメモリーは30GB以上必要になってBD1枚では足りませんね。ただ、どうやら最近のBD-Aでは「DOLBY TRUE HD」でロスレス圧縮されているので、サイズはかなり小さくなって、これだけのものでも1枚に収まるようになっているのでしょう。
ただ、手元には1998年頃にリマスターが行われた「オリジナルス」のCDがありますが、それと比較すると明らかに元のマスターテープのコンディションが違っています。音に影響が出るほどの磁性体の劣化はほとんど感じられないのですが、明らかにテープを編集した時につないだ跡がはっきり聴こえる個所が、今回のBD-Aでは無数に見つかりました。おそらく、その部分はスプライシング・テープが剥がれてしまっていたのでしょう。
音そのものは、劣化こそないものの、CDと比較すると前回の「トリスタン」ほどの目覚ましい違いはありません。そこで、「神々の黄昏」の「ジークフリートのラインの旅」のトラックだけ24/96のFLACデータを購入して比較してみたのですが、BD-Aの音とは明らかに違っていました。それがDOLBYのためなのかどうかは、分かりません。
「神々」の冒頭の木管のアコードで、フルートの音がとても主張を持って聴こえてきました。これが録音されたのは1969年。もうゴールウェイはベルリン・フィルのメンバーになっていました。

BD Artwork © Deutsche Grammophon GmbH

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by jurassic_oyaji | 2017-07-08 21:03 | オペラ | Comments(0)