おやぢの部屋2
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山形出身なんですね
 後藤美代子さんが亡くなったそうですね。だれ、それ?と言われそうですが、おそらくこの名前を知っている人は、今ではだいぶ少なくなってしまったのではないでしょうか。この方は、NHKのアナウンサーですが、特にクラシックの番組ではほとんどのものを担当していたような印象がありますね。つまり、ラジオから出てくるクラシックの曲名とか演奏家の名前などは、ほとんどこの人の声で記憶している、ということになるのですよ。私の場合。そのしゃべり方はまさに「NHK」という感じで、良くも悪くも「型にはまった」ものでした。
 そうなんですよ。とにかくこの人の語りは格調高いもので、全く隙がないんですね。それだから、クラシックを任されるようになったのか、クラシックを担当している中でそのようなスタイルになってしまったのかは、私には分かりません。いずれにしても、彼女にはなにか「権威」というものが背後に見えてしまうところがありましたね。まさに「権威としてのクラシック」という図式が、非常に分かりやすく出ている人でした。
 かつてNHKの職員だった知り合いがいるのですが、その人が「のど自慢」の出演者を案内して廊下を歩いている時にたまたま後藤さんと出会ったそうなのですが、その時の彼女が出演者を見る目からは、なにか汚いものを見ているような態度がまざまざと感じられたのだそうです。そんな、お高く留まったところもあったのでしょうね。
 ただ、今となってはそのぐらい厳しい態度でクラシックに接していたのは、逆になんか懐かしいような気持ちになります。最近は、クラシックで登場するそういうMC関係の人には、なにか大衆に媚びたところがあったりしますから、それもどうかな、という感じがしますからね。いずれにしても、一つのスタイルを築き上げた人が、これでいなくなってしまいました。
 同じNHKでやっている朝ドラは、昔から「格調」などというものとは無縁でした。そこにあるのは、整合性の取れない設定と、無理に感動を誘い出そうとするミエミエの伏線だけです。今BSで再放送されている「こころ」あたりは、そんな駄作の要素を万遍なく備えている、したがって極めて「朝ドラ」らしいドラマです。ただ、そんなへたくそな作り方に騙されたつもりになってみている分には十分楽しめるのが面白いところです。つまり、これが放送された時にはほとんど無名だった人が、いまではすっかり立派になってしまっているというケースが、結構あるからです。中学生時代の加藤諒、なんてのも出てきましたからね。
 でも、今の朝ドラは、一味違っているみたいです。細かい設定なんか超えたところで、不思議なインパクトが醸し出されているのではないでしょうか。今週の「ビートルズ来日」ネタも、虚実織り交ぜて楽しめましたね。ただ、ここでちょっと不思議なことがあったので、そのご報告。
 こういうものは先が分からないで見ている方が楽しいのですが、ネットには先の予定が書かれた「ネタバレ」がたくさん公開されています。そうなると、ちょっと気になって読んでしまうんですよね。それで、愚妻にも「ムネオの奥さんもチケットが手に入るんだよ」なんて得意げに言ったりしていました。そうなんですよ。そんな「ネタバレ」では、確かにムネオさんは、アパートの学生さんだけではなく、奥さんからもチケットをもらえることになっていたんですよ。でも、実際はただTシャツを着て外で騒いでいただけでしたからね。そのサイトを見直してみると、そのあたりは見事に上書きされていましたね。
 今までは、こんな風に予告が変わってしまったことはまずなかったような気がします。それが今回はやたらと多いんですよね。これは、もしかしたらNHKがわざと偽の情報をリークしているからではないのでしょうか。なんか、そんなところでウソをついてもしょうがないような気がしますけどね。小っちゃいですね。どうせなら、アベの一味のようなどでかいウソをついてほしいものです。
 ついにブレイクしたムネオさんが、「あさイチ」に生出演した時には、それが大雨のニュースでつぶれてしまいました。その時の映像を今日流していたのですが、それがさも生であるかのように、「私たちもちょっと着替えを」と言わせられていたMCたちも、NHKの被害者?
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by jurassic_oyaji | 2017-07-07 22:55 | 禁断 | Comments(0)
WAGNER/Tristan und Isolde
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Birgit Nilsson(Isolde), Wolfgang Windgassen(Tristan)
Chrisra Ludwig(Brangäne), Eberhard Waechter(Kurwenal)
Martti Talvelr(Marke), Peter Schreier(Ein junger Seemann)
Karl Böhm/
Chor und Orchester der Bayreuther Festspiele
DG/479 7291(BD-A)


1966年のバイロイトのライブ録音、カール・ベーム指揮の「トリスタン」全曲がBD-Aになりました。もちろんワーグナーのオペラで、西部劇ではありません(それは「ウエスタン」)。とは言っても、必ずしも全面的に歓迎できる出来ではなくなっているのが最近のこういう古いアナログ録音のハイレゾ化ですから、現物を確かめるまでは油断が出来ません。
まずは、ジャケットがオリジナル通りだったのにひと安心。いや、こちらにあるように、決してオリジナルが「正しい」ものではないのですが、半世紀前に入手したLPと同じジャケットに出会えたことには喜びを隠せません。
CD化された時には、ジャケットの写真が反転されてしまった(そちらが本来の写真なのですが)のと同時に、LPでは5枚組の最後の1面が余っていたので、そこに「おまけ」で収録されていた第3幕の冒頭からのリハーサルの録音もなくなっていました。まあ、CDだとちょうど3枚に収まってしまいますからそんな「余計なもの」は必要なかったのでしょう。それが、今回のBD-Aでは最後のトラックに全く同じものが入っていました。これでやっと、LPの正確な追体験が可能になりました。
というのも、このLPを買った時に、まずは全曲、何度も裏返しながら聴き通しましたが、そのあと何か聴き直すときにもっぱら聴いていたのが、この最後の1面だったのですよ。あまり頻繁に聴いたものですから、そこでベームがしゃべっていたことまで、一緒に刷り込まれてしまっていました。いわば、「トリスタン・リミックス・フィーチャリング・カール・ベーム」といった感じで、それだけで成立している音楽になっていたのですよ。これはすごいですよ。オーケストラへの細かい指示とともに、そこで歌い始める、後のウィーン国立歌劇場の総支配人、エーベルハルト・ヴェヒターと一緒にデュエットまで始めますからね。
そのLPは輸入盤に日本語の対訳などを加えたものだったのですが、何しろ当時のDGの輸入盤は盤質が悪かった、というか、高温多湿の日本の気候には合わない素材だったために、しばらく経つとコンパウンドの中の添加剤が表面に移行したのか、明らかに音が劣化してきました。あれほど美しかったニルソンの声も、醜く歪むようになっていたのです。その時点で手放してしまったので、そのLPはもはや手元にはありません。ですから、これは本当に久しぶりに再会できたリハーサル、ベームの声が聴こえてくると、そのころの身の周りのことまでがしっかり蘇ってきましたね。
同時に、そのリハーサルから見えてくる「そのころ」のベームの音楽も、まざまざと蘇ってきます。ベームといえば、すっかり枯れてしまった晩年の演奏ばかりが語られている、という印象がありますが、ここではとてもきびきびとした仕草で音楽を作っている姿がはっきり分かります。そして本番の演奏でも、常にドライブ感を絶やさずに突進している爽快感が伝わってきます。例えば、第2幕でイゾルデが待っているところにトリスタンが現れる場面とか、第3幕で、イゾルデに会えると分かった時のトリスタンの大はしゃぎする時のバックのオーケストラなどは、まるで踊りだすようなテンションにあふれています。その分、この作品では欠かせないと言われている耽美性のようなものはやや希薄になっているのでしょうが、それが「そのころ」のベームだったのですよ。
そんな、最初にまっさらなLPに針を落とした時に聴こえてきた音が、今回のBD-Aではしっかり再現されていました。そして、懸念されたマスターテープの歪みは、全くありませんでした。これは驚くべきこと、いつ、どのようなコンディションでハイレゾ・デジタル・トランスファーが行われたのかは全く分かりませんが、ここで聴ける音は間違いなく劣化していないマスターテープそのものの音です。この弦楽器の繊細な肌触りやソリストの立体的な存在感は、CDでは決して味わえません。

BD Artwork © Deutsche Grammophon GmbH

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by jurassic_oyaji | 2017-07-06 20:50 | オペラ | Comments(0)
返信には10円切手が必要
 この間、職場で顧客DMを出すのをすっかり忘れていて、普通はどんなに頑張っても丸2日かかるハガキ印刷を、プリンター2台を動員して1日でやってしまったということがありました。そんな危ない橋はもう決して渡りたくないと思ったので、今度は8月に行われるイベントの案内ハガキの準備は、早めにやっておこうと思いました。さらに、インクジェットのプリンターで表と裏を印刷するのは、経費と時間にかなり無駄なところがあると実感させられたので、あて名はシールにレーザープリンターで印刷することにしました。
 これは、予想通り大成功、インクジェットでハガキに1枚1枚宛名を印刷していた時には、それだけで1日かかってしまいましたが、あて名シールだと、12面のシールが100枚必要でも、レーザープリンターだったらほんの数分で終わってしまいますから、もう信じられないぐらいの早さです。もちろん、それを今度はハガキに手で貼らなければいけませんが、これは裏面の通信面をプリントしている時間にやれる仕事ですから、時間はかからないのと同じ、大体1枚印刷している間に2枚から3枚のシールを貼ることができるので、印刷が終わった時にはシールも全部貼り終わっていることになりますからね。
 ということで、あて名シールにすれば作業時間は今までの半分になることは分かりました。ただ、世の中はそんなにうまく行くものではなく、こんなに便利なものには落とし穴があるというのは昔から言われていることです。果たして、このやり方に問題はないのでしょうか。
 私が今まで宛名の直接印刷にこだわっていたのは、郵便番号のためでした。ハガキや封筒には必ず右上に郵便番号を記入する赤枠がありますよね。その大きさはしっかり決まっていて、そこに丁寧な字で数字を書き込まなければいけない、と、昔から教わってきました。機械でその番号を読み取るのですから、その場所をちょっとでも外れたり、読みにくい数字なんかだと読み取りがうまく行かず、そういうものははねられてあとで人間が目で見ながら仕分けをするのだ、と、聞いたこともあります。やはり、そんな手間をかけさせては気の毒ですから、郵便番号もしっかり赤い枠内に印刷してくれる方が親切ですよね。確かにあて名シールにも郵便番号は印刷されますが、それは赤枠からは遠く離れたところですから、絶対に機械で読めるわけはありませんよ。
 と、生まれてこの方ずっとそのように思っていたのですが、今回調べてみたら、そんなことは全く必要ないのだ、ということが分かってしまいましたよ。郵便番号を読み取る機械では、別に赤枠の中に書かなくても、自動的に番号を見つけ出して読み込んでいるという、ものすごいことをやっているんですって。それも、最近そんな風になったのではなく、もう何十年も前から普通にそういうことが出来ていたようですね。いやあ、知りませんでしたよ。
 逆に、シールに郵便番号が書いてあるのに、わざわざ赤枠に同じことを書いたりすると、かえってエラーが出てきて迷惑してしまうそうですね。今回、作業が早く終わったので、せめて郵便番号ぐらい手書きで入れてやれば親切だろうと、本気で考えていましたが、それもいらぬおせっかいになってしまうんですね。ま、それをやる前に調べてこういうことが分かったので、無駄でしかない「おせっかい」はしなくて済みましたから、よかったんですけど。
 あ、それと、番号の前に「〒」という記号を書いたりするのもダメなんですって。確かに、あて名シールには番号だけしか印刷されてませんでした。
 そういえば、ハガキは6月から62円になっていましたね。ですから、駆け込みで5月中に大量のハガキを買っていた人がいたそうです。普通、なにかが値上げされるという時には、そういうことは普通に行われますよね。でも、ハガキの場合は5月に52円で買ったものは、6月に出すときには10円切手を貼らないといけないのだそうです。知ってました?
 実は5月末に往復はがきを出したら、その返信が6月になって届きました。そこにはもちろん10円切手なんか貼ってありません。さあ、こういう時はどうなるのでしょう。
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by jurassic_oyaji | 2017-07-05 22:37 | 禁断 | Comments(0)
MOZART/Requiem, BRUCKNER/Motets
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Max Emanuel Cencic, Derek Lee Ragin(CT)
Michael Knapp(Ten), Gotthold Schwarz(Bas)
Peter Marschik/
Wiener Sängerknaben, Chorus Viennensis
Symphonieorchester dere Wiener Volksoper
CAPRICCIO/C8018


1994年に録音されて、1995年にリリースされたCDが、このカプリッチョ・レーベルの「ENCORE(もういっちょ)」シリーズとしてリイシューされました。ウィーン少年合唱団など、ウィーンの演奏家によるモーツァルトの「レクイエム」です。
ウィーン少年合唱団はおなじみの合唱団ですが、少年合唱ですから変声期を迎えて「少年」でなくなれば退団しなければなりません。このあたりの悲哀を描いた映画なども数多く作られています。ただ、「少年合唱」は辞めても「合唱」まで辞めることはないわけで、そんなウィーン少年合唱団の「卒業生」たちを集めて1952年に作られた合唱団が、ここで少年たちと一緒に歌っている「コルス・ヴィエネンシス」という男声合唱団です。ウィーン少年合唱団は基本的に児童合唱、つまり女声合唱のパートを歌う合唱団ですが、混声の曲を歌う時には、このコルス・ヴィエネンシスが男声パートを担当することになります。
さらに、「大人」になっても「少年」の声を残せた人もこの合唱団にはいました。そんな、奇跡とも言えるソリストが、カウンターテナーのマックス・エマニュエル・ツェンチッチです。彼は、ソプラノの音域まで歌うことのできるカウンターテナーとして、世界中で活躍していますが、ここでも「レクイエム」のソプラノ・ソロを歌っています。
普通に、大人の声の歌手として大成した人ももちろんいます。ここでのテノール・ソロ、ミヒャル・クナップは、やはりウィーン少年合唱団の元団員、そしてバスのソリスト、ゴットホルト・シュヴァルツは、ライプツィヒのトマス教会合唱団の元団員です。
アルト・ソロも、アメリカのカウンターテナー、デレク・リー・レイギンが歌っています。つまり、この「レクイエム」は、声楽パートは全てオトコによって演奏されているという、かなりユニークな陣容なのです。
もちろん、指揮をしているのは当時のウィーン少年合唱団の指揮者、ペーター・マルシクです(彼は1991年から1996年までこのポストにありました)。そんなラインナップだと、ちょっとユル目のいかにもウィーン風(それがどういうものかはよく分かりませんが)の演奏を思い浮かべてしまいますが、実際は予想を全く裏切られた、とても締まりのある演奏だったのには、ちょっとびっくりしてしまいます。確かに少年合唱のパートは、「大人」の合唱のパートに比べるとちょっと消極的な歌い方と表現ですが、何か「大人」たちがしっかりバックを固めて励ましているような感じがして、とてもまとまりよく聴こえます。
指揮者が目指している音楽も、とてもメリハリがきいていて新鮮です。使っている楽譜はジュスマイヤー版ですが、その中に指揮者の主張もしっかりと織り込んでいます。たとえば、「Rex tremendae」の6小節目で合唱と管楽器だけが付点音符で書かれているところは、その前の弦楽器のリズムと合わせて複付点音符で演奏していますし、「Confutatis」の11小節目では、テナーの「付点四分音符+八分音符」というリズムを、ベースと一緒になるように「複付点四分音符+十六分音符」にしています。
ただ、ソリストはツェンチッチだけが、ちょっと異様なビブラートとオーバーアクションで一人だけ浮いてしまっています。
うれしいことに、このアルバムではブルックナーのモテットが3曲カップリングされています。これは、今回のリイシューでのコンパイルではなく、初出のアルバムがすでにそういうカップリングで、同じ時期に同じ場所で録音されています(モーツァルトの「Ave verum corpus」まで入っています)。ブルックナーはア・カペラですから、合唱がもろに聴こえてきますが、ここでも少年のパートを支える大人のパートが素晴らしい演奏を聴かせてくれています。7声の「Ave Maria」では、3声の少年がピアノで始まってフォルテまで盛り上がった後、そこにピアニシモで4声の大人が入ってくる部分などは、ゾクゾクするほどの美しさです。

CD Artwork © Capriccio

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by jurassic_oyaji | 2017-07-04 23:15 | 合唱 | Comments(0)
自由通路が仙台駅と似てますね。
 「ブラタモリ」で大宮をやっていましたね。この番組、今の行政区名にこだわらないタイトルを使っているのが、なんだかありがたいですよね。「博多」の時にも、「福岡市」なんて言ってませんでしたから。今回も「さいたま市」とは言わずにきっちり「大宮」ですから、うれしくなります。実は私はかつて大宮市民だったことがありますから、なんか今の「さいたま」にはなじめないんですよね。
 その頃勤めていた会社が大宮にあって、最寄りの駅は高崎線の宮原駅、最初はそのそばの独身寮に住んでました。そのうち寮を出て川口市に新しくできた公団アパートに引っ越したのですが、会社に通う時には京浜東北線に乗って大宮で高崎線に乗り換えていましたね。そのころは東北、上越の新幹線と、在来線は高崎線と東北線、京浜東北線、それに東武線も同じ駅舎内にありましたね。
 それが、今ではいったい幾つの線路がこの駅に入っているのでしょうね。昔はなかった「湘南新宿ライン」とか「宇都宮線」なんて名前もありましたし、新幹線もずいぶん増えましたね。確かに、この番組のテーマの「鉄道の町」にふさわしい駅でした。そこであえて鉄道博物館を取り上げなかったのは、一つの見識ですね。
 氷川神社なんかも、確かに行ったことがありますし、大宮公園なんて、確か会社のお花見で真夜中に行ったことがあったことを思い出しましたよ。今では完全に新幹線の通過駅(たまには乗換駅)になってしまっていて、駅で降りて市内に行くなんてことはなくなっていますけどね。それにしても、ネットで検索したら、大宮駅の構内にはこんなタペストリーが飾られていたことが分かりました。もうこうなると「観光資源」ですね。この番組は。仙台でもこの番組に出た人が、一躍有名人になってましたからね。
 まあ、ここに住んでいたころには、よもやオーケストラに入ってマーラーを演奏しているなんて想像もできませんでしたね。フルートを手に入れて初めて吹いてみたのがこの頃でしたからね。そんなわけで、いつの間にかマーラーの5番と、エルガーの1番を別のオーケストラで同時に練習をする、などという、アマチュアのフルーティストにしてはかなりハードな現実に直面していることになっています。
 エルガーの方はまだ先の話ですが、マーラーはほぼ1か月後が本番となりました。今日の練習はお昼からだったのですが、いつものように少し前にパフォーマンス広場で音出しです。予定では、最初に私は降り番の序曲をやることになっていますが、誰からも欠席の連絡は来ていないので私が行く必要はなさそうですから、その時間もここでみっちり吹き込んでおきましょう。と思っていたらメールが来て、1番の人が少し遅れるということでした。それだったら代吹きをしなければいけないので、会場のホールに向かいましょう。
 そうしたら、練習開始ギリギリに、その1番担当が間に合いました。でも、まだピッコロ担当が来ていません。何の連絡もなかったのに、と思ったら、だいぶ前に今日はお休みと言っていたことを思い出しました。結局、代吹きはしなければいけないのでした。やはり、きちんと時間通りに来ていないと。
 序曲のピッコロパートを吹くのはこれが初めて、ピアニシモで高音の「C」を出さなければいけないような、結構大変なピッコロパートなのですが、それが軽々と吹けるようになっていたのはうれしいですね。
 メインのマーラーも、弦楽器はおそらく今までで一番の出席率、多くても2人しか休んでいないという、限りなく全員出席に近い状態でしたから、とても充実した音が出ていましたね。これがまだ1か月かけて練り上げられるのですから、本番にはものすごいハイレベルの演奏が聴ける期待が大きくなってきましたよ。
 木管も、全員トップが揃っていたので、ユニゾンとか受け答えもしっかり合わせられるようになりました。ただ、私のパートはたまに長い休みがあるので、その間に楽天戦の経過をスマホで追ってました。最初の頃は勝っていたのに、いきなり逆転されていたのを見た時には、一瞬何が起こったのか分からなくなってしまって、気が付いたときには私の出番が始まっていたのにそれに入れずマゴマゴしてしまいましたよ。練習中のスマホは禁止です。
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by jurassic_oyaji | 2017-07-02 20:56 | 禁断 | Comments(0)
ピリオド楽器から迫るオーケストラ読本
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「音楽の友」編
佐伯茂樹監修
音楽之友社刊(ONTOMO MOOK)
ISBN978-4-276-96263-7


「ピリオド楽器」という言葉は、現在ではかなり知られるようになってきました。とは言っても、その正確な意味を把握している人はそれほど多いとは思えません。
これは「特定の時代の楽器」という意味。これとほぼ同じものを指し示す言葉として「オリジナル楽器」と「古楽器」がありますが、これらは正確さにかけては「ピリオド楽器」に負けてます。「オリジナル楽器」には時代的な意味が全く感じられませんし、「古楽器」には、「古い」時代しかカバーできないようなイメージがありますからね。
つまり、「古楽器」と言うと、バロック時代以前の楽器が連想されるのが普通のことではないでしょうか。確かにこの時代の音楽に使われた楽器やその演奏スタイルについての研究が進んで、世の中は今の楽器とは外見ではっきり異なっている「古い」楽器を使った演奏がほぼスタンダードになりつつあります。
しかし実際は、もう少し時代が進んだ「古典派」や「ロマン派」の音楽でも、今の楽器とは微妙に異なった楽器が使われていたわけで、最近ではそれを演奏面で実践している団体もたくさん出てきているのです。そんなまさに、そんなに「古く」ない時代の音楽でも、「その時代の楽器」が使われるようになってきた、という流れを受けて、そこまでカバーできるタームとして俄然主役に躍り出てきたのが「ピリオド楽器」という言葉なのです。
今回、音楽之友社から、こんなムックが出るようになったのも、そのような最近の流れがかなりの現実味を帯びてきたことの表われなのでしょう。実は、「古典派」や「ロマン派」の時代の楽器の方が、それ以前の「バロック」の時代の楽器よりも正しい情報が広まっていないのだそうで、その辺の間違いや勘違いを正す、といった意気込みさえも、ここには込められているようです。
なんたって、監修者としてほとんどの原稿を執筆しているのがこの時代の楽器のオーソリティの佐伯さんですから、これはとても読みごたえがあります。写真も豊富に使われていて、いかにこの時代の楽器と現代のものとは異なっていたかがはっきり分かります。何より重要なのは、作曲家がその曲を作った時には、間違いなく当時の楽器を念頭に置いていた、ということが、ここでははっきり示されている、ということではないでしょうか。クラシック音楽の場合、演奏家の使命は作曲家の意図を正確に再現することに尽きますが、その際に手掛かりになるのは楽譜だけではなく、その当時の楽器の情報だ、という監修者の主張が、至る所から伝わってきます。
たとえば、「(ピッコロは)王侯貴族の趣味の楽器として親しまれてきたフルートとは違い、野外の行進などで遠くまで通る鋭い音を持っていた。ベートーヴェンの交響曲第5番の第4楽章でも、オーケストラ全員がffで鳴らしている場面でもピッコロのパッセージが浮かび上がる」というような記述には、実際に普通のオーケストラの中でこのパートを演奏して報われない思いを体験したものにとっては、激しく同感できる部分があります。
とは言っても、「ワーグナー・テューバ」の説明で、いわゆる「テューバ」との「混同を避ける」ために「テノールテュー」と「バステュー」と表記しているのは、明らかな間違いでしょう。スコアにドイツ語で「Tuben」とあるのは複数形で、単数形は「Tuba」なんですからね。
もう1点、ここではピリオド楽器を使っている団体の紹介もされていますが、その中で「レ・シエクル」の扱いが異様に多いのが気になります。確かにこの団体は現在最も注目に値するオーケストラであることに異論はありませんが、この極端さは、裏表紙全面に広告を掲載しているこの団体のCDの販売元(キングインターナショナル)に対する「忖度」だと思われても仕方がありません。「損得」しか考えられない出版社とは、なんと悲しいことでしょう。

Book Artwork © Ongaku No Tomo Sha Corp.

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by jurassic_oyaji | 2017-07-01 21:03 | 書籍 | Comments(2)