おやぢの部屋2
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みんな歳を取りました
 確か、6月ごろにもコンサートをやっていた私の大学の合唱団のOBが、またコンサートを開きます。しかも同じ場所(萩ホール)で。年2回なんて、まるでニューフィルみたいなスケジュールですね。
 とは言っても、今回はメインはOBではなく、今の学生たちの合唱団です。第65回定期演奏会、というやつでした。これは年1回やっているコンサートですから、64年前から行われている行事だということになります。すごいですね。私が団員だったころは、たしか20何回目でしたからね。その頃は100人近くのメンバーがいたはずですが、今では20人にも満たない少人数になってしまいました。男声って人気がないんでしょうね。オトコばっかりですから。
 それっぽっちのメンバーでは、とてもフルステージは大変だろうということで、全国からOBが駆けつけて現役団員との合同のステージを作ることになっていたのでした。さらに、もう1団体、やはりOBが中心になって作られた市民合唱団も加わります。なかなかヴァラエティに富んだ構成ですね。
 萩ホールといえば、最近ニューフィルも使ったところです。あの時には、正規の駐車場が満車になってしまい、ホールの前の空き地まで使って停めてもらってもまだ入りきらない車があったそうなので、そんな目には遭わないように早めに行ってみました。でも、結局開場時間になってもまだ空きがあるという状態でしたね。私が聴きに来て、こんなに人が集まらなかったのは初めてですね。ですから、中に入って2階席に行こうと思ったら、柵があって入れないようになっていました。あえて2階はふさいで、1階を満席にしようということなのでしょうか(あとで気が付いたのですが、どうやらここは、出番ではない出演者が座っている場所だったみたいですね)。
 最初は現役だけのステージ。でも、よく見るととても現役には見えない人が一人混じっています。これは、私の3年下のOB。大学の職員で、この合唱団の指揮もしている人なので、トラで出演していたのでしょう。そのせいもあってか、人数の割には声が出ていたようですね。日本民謡を歌っていましたが、間宮のコンポの6番を暗譜で歌っていたのには驚きました。
 次が、たびたび外国公演も行っているという市民合唱団です。指揮が、やはりOBの大御所、以前、このホールでヴェルディの「レクイエム」を指揮された方です。情熱を込めて歌わせることにかけては定評のある方ですから、メンバーからの熱い思いは痛いほど伝わってくる演奏でした。
 そして、OBと現役との合同ステージで、6月にも歌っていたタダタケの「富士山」です。顔触れを見ると、しばらくこういうところには参加されてはいなかった大先輩の顔も見えたり、私の1年下で、東京の合唱団に入れ替わりで入ったので結局一緒に歌うことはできなかった人も見つけることが出来ました。ほぼ全員暗譜で、安心して聴いていられる演奏でしたね。
 6月に来た時も、泣き出した子供を外に連れ出すこともせずにほったらかしていた母親がいましたが、今回もそんな状況が起きていたのには参りましたね。こうなると、陰アナでケータイの電源を切る事を促すと同時に、「お子さんが泣き出したら、直ちに外へ連れ出してください」と言わなければいけないようになってしまうのでしょうか。それはあまりに悲しすぎます。
 ホールに入って客席に座った時に、すぐ後ろにいた別の合唱団のOBに、「出てないの?」と言われたり、トイレに行った時にすれ違った東京のOBに「はやく復帰してよ」と言われたりと、何かとこの合唱団のOBとして出演するのが当然みたいに見られている私ですが、しばらくは一緒に歌うことはないでしょうね。いや、一時期、オケと合唱を掛け持ちしていたことは確かにありましたが、今ではよくあんなことをやれたな、と思っていますからね。空いた時間があれば、フルートを吹くことに使いたいなと、切に思っている今日この頃です。
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by jurassic_oyaji | 2017-11-24 21:56 | 禁断 | Comments(0)
GERSHWIN
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Claron McFadden(Sop)
Bart van Caenegem(Pf)
Jos van Immerseel/
Anima Eterna Brugge
ALPHA/ALPHA 289


1987年にベルギーのフォルテピアノ奏者のインマゼールによって創設されたバロック・オーケストラ「アニマ・エレルナ」は、ピリオド楽器によるアンサンブルとしてモーツァルトの全ピアノ協奏曲を録音(CHANNEL)するなどして、広く注目されるようになりました。後にインマゼールは指揮者としてこのアンサンブルを指揮して、20世紀初頭の音楽までもピリオド楽器で演奏して、さらに別の意味での注目を集めることになります。2010年には、本拠地をブリュッヘ(ブリュージュ)に移して、名称も「アニマ・エレルナ・ブリュッヘ」と変え、現在では、この街にある「コンセルトヘボウ・ブリュッヘ」のオーケストラ・イン・レジデンスとして、このホールで定期的にコンサートを行っています。そして、それをライブ録音したものをアルバムとしてリリースしています。
今回も、もちろんこのホールでのライブ録音ですが、ここではなんとアメリカの作曲家ガーシュウィンが取り上げてられていましたよ。たしかに、ガーシュウィンといえばラヴェルあたりと同じ時代を生きた作曲家ですから、もはや「ピリオド」の領域には入っていますが、なんかジャンル的にインマゼールの立ち位置とはちょっと距離があるような気がするんですけど、どんなものでしょう。
プログラムは、まさに「名曲」のオンパレードでした。オーケストラ曲はオペラ「ポーギーとべス」からのナンバーを組曲にした「キャトフィッシュ・ロー(なまず横丁)」、「パリのアメリカ人」、そして「ラプソディ・イン・ブルー」の3曲、そこにソプラノのクラロン・マクファーディンが歌うミュージカル・ナンバーが、加わります。
そのコンサートの写真がブックレットに載っていますが、そのマクファーデンのステージでは弦楽器は下手からファースト・ヴァイオリン、セカンド・ヴァイオリン、チェロ、ヴィオラという並びなのですが、コントラバスだけ下手と上手の両端に半分ずつ分かれて配置されています。その上手のコントラバスの前にはサックスが3人います。さらに特徴的なのが、チューバのパートでは「スーザホン」が使われていることです。歌のうまいデブのおばちゃん(それは「スーザンボイル」)ではなく、例のマーチ王のスーザが考案したとされる、チューバの朝顔を前に向け、奏者は楽器を体に巻きつけて演奏するような不思議な形の楽器です。今ではほとんどプラスティック製になっていますが、ここで使われているのはオリジナルの真鍮製、これも「ピリオド」楽器なのでしょう。
これが「ラプソディ・イン・ブルー」になると、サックスが指揮者のすぐ前に座っていて、弦楽器は下手だけになっています。ですからこれは、現在のフル・オーケストラ・バージョンではなく、1924年に初演された時の「ジャズ・バンド・バージョン」なのです。ご存知のように、ガーシュウィンが作ったのは2台のピアノのための楽譜だけで、それを初演者のポール・ホワイトマンのバンドの編成に合わせて編曲したのはファーディ・グローフェです。その後、グローフェはフル・オーケストラのための編曲も行っています。
なんでも、現在はミシガン大学でガーシュウィンのクリティカル・エディションの編纂が進行中なのだそうですが、インマゼールたちもそこと共同作業を行っていて、このコンサートでは「ラプソディ」と「パリのアメリカ人」は、2017年に出来たばかりの新しい校訂版が使われているのです。さすがインマゼール、ここでしっかり彼なりのこだわりを見せてくれました。
ですから、もちろんその楽譜を使ったものとしては世界初録音になるわけです。とは言っても、この初演稿による演奏自体は昔から何種類もリリースされています。直近では2006年に録音されたものなどでしょうか。でも、ここでピアニストのバルト・ファン・クラーネヘムが弾いている1906年に作られたというスタインウェイのまろやかな音は、一聴の価値はあります。

CD Artwork © Outhere Music France

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by jurassic_oyaji | 2017-11-23 20:39 | オーケストラ | Comments(0)
フライングになるところでした
 今回の「かいほうげん」、新田さんからの返事を見て、それに団長のいつもの思考パターンを加味すれば、ニルセンの「交響曲第4番」に決まるのは100パーセント間違いないと思って、第1面にはその情報をでかでかと掲載して、印刷を終わりました。スコアまで買ってしまいましたよ。
 とは言っても、何が起こるか分からないのが世の中ですからひょっとしたら、印刷した70部がすべて資源ゴミになってしまうかもしれないという覚悟は持っていたのですが、そんな心配は全く無用でした。私の予想通り、休憩時間に開かれた技術委員会では、団長は「ニルセン以外には考えられない。もし他を選ぶのなら、新田さんを納得させるだけの理由を挙げてほしい」とまで言ってましたから、それに逆らえる人などいるわけがありません。まあ、正論なんですけどね。
 ということで、「かいほうげん」は予定通りに発行できることになり、オケとしてはこの「不滅」というか「消しがたきもの」の前に演奏する曲を決めるという段階に進むことになるのです。でも、そうなるとなかなかいい曲が浮かびませんね。とりあえず思いついたのは、同じ作曲家のフルート協奏曲です。この間はエルガーのチェロ協奏曲で仙台フィルの人をお願いしましたから、フルートだってたぶん吹ける方がいるでしょうからね。と思って、スコアを調べてみたら(エルガーの作品は、全集版が簡単に見られるようになっています)、なんとも変わった楽器編成だと分かりました。いや、ソロの楽譜は持ってるし、前から曲だけは何度も聴いていたので、ちょっと普通の編成ではないな、という気はしていたのですが、始めてスコアを見てみると、オーケストラのパートにはフルートが入っていなんですよね。木管はオーボエ、クラリネット、ファゴットが2本ずつ、金管はホルン2本とバストロンボーンしかいません。それで、オケのクラリネットもかなり難しそうなので、ちょっと現実的ではないことが分かりました。そもそも、ソリストが来ない時の代吹きは誰かがやらなければいけないのでしょうが、とても私には吹けませんし。
 まあ、それは無理でも、今まで吹ける気がしなかったものがきちんと吹けるようになるのはとてもうれしいことですね。今やっている「第9」のピッコロがまさにそんな感じ。実際に何度も本番はやっていても、一度としてちゃんと吹けたことはなく、これを納得できるぐらいに吹けるようになるのはある意味「夢」だったのですが、楽器との相性が合ってきただけで、何の苦労もなく最後まで吹けるようになっていましたからね。高音のHが楽々鳴ってくれるのは殆ど快感です。
 ただ、私の場合、調子が良いと浮かれていると、バッタリ鳴らなくなってしまうことがあるので、用心は必要です。というか、楽器に限らず、裏切られた時に落ち込まないように、極力「こんな幸せは長くは続かないぞ」というスタンスをとるようにしていますけどね。なにごとも過度の期待を持たなければ、幸せに生きていけます。
 ですから、新しくしたブルーレイ・レコーダーにアナログ出力が付いていないことが分かって、とりあえず音だけは出したいためにAVアンプを買った時も、せっかくサラウンドが聴ける機能があるのだからと設定をしてみたら、全然音が出なかった時でも、「まあ、こんなこともあるさ」みたいに悠長に構えていたら、最終的にはきっちりサラウンドになる設定が分かりましたからね。これなんかは、信じて待っていれば相手の方から歩み寄ってくれる、みたいな感じでしょうかね。
 ただ、そうなった時にまた新たな疑問が湧いてきました。再生中のモードを表示できるようになったのですが、そこで、サラウンドだと「AAC 5.1 48kHz」みたいな表示なのですが、2チャンネルだと「PCM 2ch 96kHz」と表示されるんですよね。デジタル放送の音声はAACだったはずなのに、これはいったいどういうことなんでしょう?しかも96kHz。
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by jurassic_oyaji | 2017-11-22 22:31 | 禁断 | Comments(0)
Silver Voice
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Kathrine Bryan(Fl)
Bramwell Tovey/
Orchestra of Opera North
Chandos/CHSA 5211(hybrid SACD)


ロイヤル・スコティッシュ・ナショナル管弦楽団の首席フルート奏者であるキャスリン・ブライアンは、そのオーケストラと頻繁に録音を行っているスコットランドのレーベル「LINN」とこれまでに3枚のアルバムを作ってきましたが、今回はレーベルが「CHANDOS」に変わっていました。当然、エンジニアも今までのフィリップ・ホッブスからラルフ・カズンズになったのでフルートのサウンドもずいぶん変わりました。LINNでは息遣いまで生々しく聴こえていたものが、CHANDOSではもっとソフトで暖かいものになっているようです。ブックレットにカズンズがソリストのためのサブ・マイクのセッティングをしている写真がありますが、それを見るとフルーティストの前ではなく後ろにマイクが立っています。確かに、これだと刺激的な息音は避けて、フルートの響きだけをうまく録音できるのかもしれませんね。
それと、彼女のアルバムは今までずっとSACDでしたが、最近LINNはSACDからは撤退していますから、もしかしたら、SACDで出したかったので、CHANDOSに移籍したのかもしれませんね。
しかし、アルバムのコンセプトは、LINNでの最後のアルバムのタイトルが「Silver Bow」と、ヴァイオリンのレパートリーをフルートで吹いていたのですが、今回は「Silver Voice」で、「声」で歌われるオペラ・アリアをフルートで演奏するという、ほぼ同じものになっています。
ただ、全部がオペラ・アリアでは、いくらなんでもフルーティストのアルバムとしては物足りないということで、最初と最後ではオペラの中のメロディを集めてフルートのために編曲した「ポプリ」が演奏されています。その、最初のものはモーツァルトの「魔笛」。ロバート・ヤンセンスが編曲したものですが、いきなり序曲から始まるのは意味不明(ナンセンス)。その後には、お馴染みのナンバーが次々に現れます。このオペラの中で大活躍しているオリジナルのフルート・ソロもそのまま使われていますね。
そして、そのあとには普通のオペラ・アリアが9曲並びます。中には、ガーシュウィンの「サマータイム」のような渋い歌もありますね。ただ、やはりフルートで吹いて映えるのは、しっとり歌い上げる曲よりは軽やかで華々しい曲の方でしょうね。ですから、この中ではグノーの「ファウスト」からの「宝石の歌」や、「ロメオとジュリエット」の「私は夢に生きたい」あたりが彼女の場合は最も成功しているのではないでしょうか。
いや、しっとり系、たとえばプッチーニの「私のお父さん」とか「ある晴れた日に」でも、磨き抜かれた高音でとても美しく歌われてはいます。でも、何かが足りません。それは、前作のヴァイオリン編で引き合いに出したゴールウェイと比較すると分かってきます。ゴールウェイは、フレーズの最後まできっちり輝かしい音で歌いきっているのに、彼女は最後の最後ではとても遠慮がちに音を処理しているのですね。確かに、この方が「上品な」歌い方にはなるのでしょうが、フルートでは全然物足りません。それと、モーツァルトの「フィガロの結婚」の中の伯爵夫人のアリア「楽しい思い出はどこに」などでは、ピッチがかなり悪いのが目立ちます。
最後の曲は、フルーティストのレパートリーとして定着しているフランソワ・ボルヌが作ったビゼーの「カルメン」のポプリです。オリジナルはピアノ伴奏ですが、ここではイタリアのアレンジャー/指揮者のジャンカルロ・キアラメッロの手になるぶっ飛んだ編曲でのオーケストラ伴奏を聴くことが出来ます。これは、打楽器を多用して、まるでシチェドリンが作った「カルメン組曲」のような「現代的」なサウンドが発揮されていますし、オーケストラの対旋律も、意表を突くようなメロディが使われていたりします。
そんな中で、キャスリンはとても伸び伸びとフルートの妙技を披露してくれています。爽快感という点だけでは、ゴールウェイに勝っているでしょうか。

SACD Artwork © Chandos Records Ltd

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by jurassic_oyaji | 2017-11-21 23:04 | フルート | Comments(0)
やっと、全ソースがサラウンドで聴けるようになりました
 ついに雪も降ってきたので、秋ももう終わりですね。でも、今年はまだ栗ごはんを食べていないので、スーパーで栗を1袋買ってきました。そこで、まずは私の仕事の「皮むき」が始まります。去年もやったことがあるので、要領は分かっています。外の固い皮は簡単に剥けますが、面倒くさいのはその中の渋皮ですね。これはもう根気よく剥がしていくしかありません。でも、しばらくそんなことをやっていたら、こんな風に全部皮が剥けました。
 ここまでできれば、あとは愚妻に任せるだけですので、私は一人で練習に行ってきます。とは言っても、オケの合奏ではなく、いつものパフォーマンス広場での個人練習です。ですから、その前に、その近くにある行きつけの鳥料理屋さんでお昼ご飯を食べましょう。
 南光台にあるこのお店は、結構有名なのですが、ネットでの評価だと「愛想が悪い」というのがたくさん見つかります。確かに、ここでは店員さんが3人いて、一人は調理専門ですが、あとの2人、おそらく親子の女性が揃いも揃ってとてもおとなしいのですよ。別に私は気にならないのですが、食べ物屋さんの店員さんは元気がいいものだと決めつけているネット住人にとっては、あんまり評判はよくなくなるのでしょうね。でも、長いことここに通っていると、店員さんは私たちが何を注文するか分かって来たようです。私が2人分まとめて注文すると、出来上がった料理は間違いなくそれぞれの前の置かれていましたからね。
 最近は、今日みたいに私一人で行くことが多いのですが、もう席に着くなり「定食でよろしいですね?」と聞いてきます。もう、すっかり私は常連さんと認識されているんですね。なんだかうれしくなってしまいます。それこそ、何も言わなくても「いつもの、お願い」というだけで通じるような飲み屋のノリですね。余談ですが、自分では常連だと思って「いつもの」と注文しても、お店の人はそこまでの親密さを持っていなかった場合、自分の思っていたものと別のものが出てきた時に、そのお客さんはどういう態度をとるのが正解なのでしょうね。まあ、プライドがあるので絶対に「これは違う」とは言えないはずですから、間違っていたものでもさもそれが注文したものであるかのように「うん、ありがとう」と受け取るのが、店員にバカにされない対応ですね。いや、その前にすでにバカにされていますが。
 そのあと、たっぷり2時間マーラーのフルートや、「第9」などのピッコロをみっちりさらって、帰ってきたら録画してあった「オケ老人!」を見てみました。映画館で見た時には原作とのあまりの違いにちょっと不満でしたが、改めてみてみるとそれなりに完成されたものに見えてきます。ただ、相変わらずサラウンド放送のはずなのにさっぱりリア・スピーカーから音が出ないのが気になります。
 そうなんですよ。先週、小さいスピーカーを買ってきて、サラウンドのリア・スピーカーとして配線を行ったのですが、BD-ROMではしっかりサラウンドが体験できるのに、放送のソースでは最初は確かにそれぞれのチャンネルの音が出ていたのに、いつのまにかリアが全く出てこなくなってしまっていたのです。ROMでは問題がないので、これはアンプではなくレコーダーのトラブルだと、まず思いましたから、他のレコーダーやプレーヤーをHDMIでつないで試したみたのですが、プレーヤーの音声設定をいくら変えても、一向にリアが出てこないんですよ。もう何が原因なのか分からなくなって、そもそものアンテナ入力まで疑ってみました。我が家はマンションにCATVが引いてあって、契約していない人でもそこからスルーでBSや地デジのアンテナ端子につなげるようになっています。そこで、その会社に電話してみたら、対応した人はいったい何のことだかわからないようで、何度もあちこち調べていたようですが、結局「アンテナに問題はありません」とヤケになってましたね。
 ところが、その「オケ老人!」を見ている時に、アンプの前を見ていたら、前になんだかわからなくてちょっと触ってみたスイッチがあることに気が付いたので、そこをあれこれいじってみたら、なんと、音がリアからも出てくるようになったではありませんか。これだったんですね。1週間かかって、やっとまともな設定が見つかりましたよ。これで、めでたく放送のソースでもしっかりサラウンドが体験できるようになりました。
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by jurassic_oyaji | 2017-11-19 21:05 | 禁断 | Comments(0)
FAURÉ/Requiem & other sacred music
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David Hill/
Yale Schola Cantorum
HYPERION/CDA 68209


イギリスの合唱界で名声を博した指揮者、デイヴィッド・ヒルは、現在はアメリカのイェール大学の合唱団「イェール・スコラ・カントルム」の首席指揮者を務めています。イェール大学と言えば、アメリカでは1.2を争うランキングを誇っていますから、政界、実業界、そして芸能界にも多くの人材を輩出していますね。
この合唱団は、2003年にかつてのキングズ・シンガーズのメンバー(バリトン)、サイモン・キャリントンによって創設され、その後多くの有名な指揮者と共演を果たしています。その中にはサイモン・ハルジー、ポール・ヒリアー、スティーヴン・レイトン、ジェイムズ・オドネルなどといったそうそうたるメンバーの名前が躍っているのを見ることが出来ます。バッハ・コレギウム・ジャパンの鈴木雅明も、首席客演指揮者として参加していますし。宴会にも出るんでしょうね(それは「酒席客宴指揮者」)。
そんなエリートぞろいの学生の中からオーディションによって選ばれた人たちが、これだけの指揮者によって鍛えられるのですから、その実力はかなり高いことが期待できるはずですね。
ただ、キャリントンが指揮者だった時代、2006年に録音されたこの合唱団たちの演奏によるバッハの「ヨハネ受難曲」を、こちらで聴いたことがありましたが、その時には、そんなに心を動かされるような合唱ではなかったような気がします。
今回、このHYPERIONという、ヒルが数多くの名演を残しているレーベルに、この合唱団のアルバムが初めて登場しました。ここで演奏されているのはフォーレの「レクイエム」を始めとする宗教曲です。合唱曲だけではなく、オルガン・ソロの曲なども入っているというユニークな選曲になっています。いや、もっとユニークなのが、その「レクイエム」でヒル自身が小アンサンブルのために編曲したバージョンが使われているということでしょう。この曲では、オリジナルでも何種類かの楽譜がありますが、ここでヒルは合唱パートはフル・オーケストラ・バージョンをそのまま使い、そこにヴァイオリン、ヴィオラ、チェロ、コントラバスがそれぞれ2人ずつに、ハープとオルガンが加わった10人の編成による伴奏を付けているのです。
この編曲に対する違和感は、1曲目の「Introït et Kyrie」から気づかされます。「Requiem aeternam」と歌う時の、本来静かに漂うように流れてほしい合唱が、拍の頭でブツブツ切れて聴こえてくるのです。その原因は、その部分にオリジナルにはないハープのアコードが入っているためです。本来、この作品でのこの楽器の役割は「Sanctus」のようにアルペジオで曲を優雅に彩ることです。それを、こんな乱暴な使い方をすれば変なアクセントが付いてしまい、そこで音楽が区切られてしまうのは分かりきったことです。ヒルほどの人がなぜこんな愚かなことをやったのか、全く理解できません。
ここではソリストも全員合唱団のメンバーが担当しているように、その個々の技術的なレベルは非常に高いことは十分にうかがえます。ピッチは正確ですしユニゾンでのまとまりも素晴らしいものがあります。ただ、そのダイナミックスの変化は、まるでまるで前もってプログラミングされているかのように、なんとも機械的に推移しています。そしてテンポも、きっちりクロックに従って均一に刻まれているだけです。その中には、普通は「表情」と呼ばれている、心の中から湧き出てくる情感の反映が、感じられないのです。つまり、そこからは全く「歌」が聴こえてこないのです。
これが、単にこのエリート集団の合唱団員の責任だけではないのでは、と思えるのは、「Agnus Dei」の途中の「Lux aeterna」に移るところです。ここの素敵な転調はいつ聴いてもワクワクさせられるものなのですが、ヒルのこの演奏ではなんともあっさりと素通りしているのにはがっかりさせられます。この部分は、彼が1996年に録音したウィンチェスター大聖堂聖歌隊との録音(ラッター版/VIRGINE)でも、同じような感じでしたね。

CD Artwork © Hyperion Records Limited

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by jurassic_oyaji | 2017-11-18 20:13 | 合唱 | Comments(0)
デンマークの作曲家の作品です
 この間書いたエッセイが仕上がったので、もう今度の「かいほうげん」のコンテンツは全部揃いました。あとは写真などを適当にちりばめてレイアウトを決めればほぼ出来上がりです。とは言っても、まだ表紙のページのネタが決まってはいませんでした。まあ表紙ですから、記事が何もなくても、なんか雰囲気だけがありそうな紙面にすればそれで済むので、そんなに焦ってはいませんでした。ところが、先週の練習のあとの会議で新田さんに出した来年秋の定期演奏会のメインプロの候補曲から、もう「これにしましょう」という返事が届いてしまったのですよ。いや、正確には「あえて順位を付ければこれが1位ですが、その他の候補とは僅差しかないので、どれでもよろしいですわよ」という言い方だったのですが、その1位の曲をやりたいのはミエミエなのでした。それに対して、今度の練習の時の休憩時間にもう1度集まって承認する、という手順を踏めば、それで正式決定になるはずです。
 ですから、これは表紙を飾るには格好のネタになりますから、ぜひ使うことにしました。問題は、それで作ったものを出すタイミングです。まあ、穏当に考えればその正式決定の次の週に出せばいいのでしょうが、せっかく決まるはずのものを1週間も取っておくのも嫌なので、今のところは印刷は来週やっておいて、休憩で決定した後に出そうと思っています。万が一、決定が覆されることも考えて、部数は出席者の分だけにしておきましょう。
 あとは、定期演奏会の時の写真集も作りました。これは、いずれ公式サイトからもリンクすることになるので、あくまで「公式」の写真ですから、Kさんが鼻の穴をほじくっているような面白い写真を載せるわけにはいきません。あくまで、忠実な「記録」としての写真集を目指して作り始めました。
 そこで、前半と後半のステージの写真を大きく使うことにしたのですが、後半だと交響曲を演奏している時には、アンコールの時だけ使う楽器があるので、その分空っぽの椅子が置いてあるのが見えます。それよりは、全員揃ったところの方がいいと思って、そのアンコールの写真を見てみたら、全員が写っているのは最後に立ちあがったところしかないんですよね。やはり、楽器を持って演奏している写真の方が、見栄えはいいですよね。
 ということで、多少現実は歪めても、写真としての価値を高めるために、ちょっとした手を加えることにしました。ベースは交響曲の時の写真。山台の最上段の下手に空っぽの椅子があります。
 アンコールの時に、この場所で演奏している写真はこういうアップのものしかありません。これを切り抜いて、
 それを合成します。
 どうです。見事に全員が揃って演奏している写真が出来ましたね。
 でも、考えてみたら、この鈴が登場するのは盛り上がって他の打楽器もみんな立って演奏している時のはずです。というか、それまでの打楽器の人の数では足らないので、わざわざ別の人が加わっているのですから、その2人が演奏しているのに他の人が何もしないで座ったまま、というのは、本当はおかしいことになりますよね。
 でも、これは作った本人だから分かることであって、何も知らないでこれだけを見たら、別に変だとは思わないのでは、という気がしませんか?現に、チラッとネットに流したら、誰も気が付かなかったみたいですから。だから、これはその「修正版」の方を使うつもりです。
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by jurassic_oyaji | 2017-11-17 22:05 | 禁断 | Comments(0)
ティンパニストかく語りき
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近藤高顯著
学研プラス刊
ISBN978-4-05-800818-8


現役のオーケストラ奏者が書いた文章には、どんなライターさんでも決してかなわないリアリティが存在しているものです。たとえば、N響の首席オーボエ奏者の茂木大輔さんがお書きになった「オーケストラは素敵だ」を始めとする一連のエッセイ集など。そこには、茂木さんの修業時代から始まって、様々な体験を通じてオーケストラや、そこで演奏している人々の等身大の姿が描かれていました。
それと同質のテイストを持っていたのが、新日本フィルの首席ティンパニ奏者、近藤高顯(こんどうたかあき)さんが書かれたこの本です。茂木さんの本と同様に、これまで他の出版物の中で披露されていた体験談などをまとめて1冊に仕上げたものです。
「高顯」などという、まるで明治時代の政治家のような難しいお名前なので、さぞかし古風な家系の方なのだろうと想像したら、どうやらごく普通のご家庭みたいだったのでそのあまりのギャップに驚いてしまいました。なにしろ、最初は「家具調のステレオでヴェンチャーズを聴いていた」のだそうですからね。
しかし、そのバンドのドラマー、メル・テイラーのコピーを始めたというのが、彼の楽器演奏の始まりだというのですから、やはり打楽器に対する興味は備わっていたのでしょうね。それから、学生時代は別の楽器を演奏することになっても、最後はやはり打楽器に戻っていくのですが、その時も、あくまでクラシックのオーケストラの中の打楽器であるティンパニを志望したというのは、やはりその「家具調ステレオ」で聴いたベートーヴェンの交響曲、それも、他人のLPのおかげだったんですね。しかも、そのLPの中にプレゼント企画として入っていた応募ハガキを投稿したら、なんとカラヤンとベルリン・フィルのコンサートのチケットが当選してしまったというありえない偶然が重なって、しっかりクラシックへの思いが強まっていきます。
さらに、彼の「出会い」は続きます。藝大の音楽科に進んだのちに再度聴いたカラヤンとベルリン・フィルとのコンサートで、ティンパニを演奏していたオスヴァルト・フォーグナーという人の圧倒的な演奏に衝撃を受けて、ぜひこの人に弟子入りしたいと思ったのだそうです。結局、それも実現することになるのですが、このあたりの、しっかり目標を見据えて、その達成のために全力を尽くすという姿勢はすごいですね。というか、これほどの目標に出会えたということ自体が、なんか現実とは思えないほどの「運命」のようなものを感じてしまいます。確か、オーボエの茂木さんの場合もギュンター・パッシンという「目標」があったんでしたね。
ここではまず、ティンパニには「アメリカ式」と「ドイツ式」という2つの種類があることを知らされます。漠然と、奏者から見て左から低音→高音と並ぶのが「アメリカ式」で、その逆に高音→低音と並ぶのが「ドイツ式」だな、ぐらいは知っていましたが、ここではそれぞれ起源が異なることや、音楽的な意味(ドイツ音楽は低音を重視するので、力が入る右手で低音を叩く)まで教えられました。
もちろん、近藤さんは日本ではまだ知られていなかった「ドイツ式」を勉強することになるのですが、そこではマレットは竹で出来ていて、しかもそれを自作しなければいけないのだそうですね。これも、オーボエのリードを自作するようなものなのでしょうか。
そして、なんと言っても面白いのが、ここで描かれている近藤さんが実際に共演した指揮者たちの素顔ではないでしょうか。山田一雄などは秀逸ですね。指揮が止まってしまった時にオーケストラの奏者たちがどのような対応をとったのか、まさにドラマのようです。
ソロで共演した、同じ打楽器奏者の林一哲(和太鼓)とのバトルの様子などは、まるでジャズのセッションを味わっているようで、とても興奮させられました。
ところで、ティンパニストって、女たらし?(それは「ナンパニスト」)。

Book Artwork © Gakken Plus Co.,Ltd.

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by jurassic_oyaji | 2017-11-16 20:15 | 書籍 | Comments(0)
ハイレゾって、なに?
 今回の「かいほうげん」では、少し紙面が余りそうなので、久しぶりに私のエッセイを載せてみることにしました。テーマは「ハイレゾ」、私が体験したことが中心になっていますから、まあ読んでみてください。4ページ分ですから長いです。

■身近になったハイレゾ
 ハイレゾというと、普通に生活している分にはなんの関係もないような気がしますが、実は世の中ではすでにかなりのところに浸透してきています。早い話が、ニューフィルの定期演奏会でも、このところ毎回ハイレゾで録音を行っています。ホールでは三点吊りのマイクロフォンをステージの上に設置して、それをCD-Rに録音してくれていますが、バックアップとしてそれと同じ音声信号をホールとは別に自前でハイレゾのレコーダーを持ち込んで録音しています。
先日の演奏会では、ホールの機材がCD-R1枚で80分までしか録音できないところに最後の交
響曲の前に指揮者が少し時間を取ってその曲に関するレクチャーを15分ぐらい行いましたから、その後1時間ちょっとの交響曲とアンコールまでを演奏したり、その間の拍手や指揮者の出入りの時間を含めると、全ての演奏が終わったころには80分を超えてしまいました。そこで、最後のアンコールの途中で録音は終わってしまっていたのです。そんな時でも、このバックアップがあったので問題なく団員頒布用のCDを作ることが出来ました。
そのレコーダーで録音したハイレゾ音源は簡単にCDのフォーマットにダウンコンバートできますから、それをCDには使います。そして、元のハイレゾの音源は、公式サイトのサーバーにアップロードして、どなたでも入手できるようにしています。
 アマチュアでもそんなことができるぐらいですから、今の時代のプロの録音の現場では、40年近く前に制定されたCDのフォーマットは、すでに標準ではなくなっているのです。クラシックに限って言えば、おそらく現在新録音としてリリースされているCDの大多数のものは、録音時にはハイレゾのフォーマットが使われているはずです。そして、映像のパッケージ、DVDやブルーレイでは、すでにハイレゾが標準的な規格になっています。

■なぜハイレゾか
 それには、しっかりとした理由があります。1982年にCDという形で華々しく世の中に登場したデジタル録音(デジタル録音自体はその前から存在していました)は、音質ではそれ以前のアナログ録音には及ばないことが次第に分かってきたからです。CDに採用されたフォーマットは、デジタル録音といってもPCM(Pulse Code Moduration)という、時間軸に沿ってアナログ録音の波形を細かく切り取り、その時の音の大きさを数値化したものです(このような多分に情緒的で不正確な表現は出来るだけ現象を分かりやすくするための方便だとお考えください)。切り取った時の細かさが「サンプリング周波数」、音の大きさが「量子化ビット数」と呼ばれる単位で表わされます。当然のことですが、それらの数値が大きいほど、より元の波形に近いものになりますから、実際の音もより元の音に近づきます。
 CDの場合、その量子化ビット数は16bit、サンプリング周波数は44.1kHzでした。ここでサンプリング周波数に注目すると、それは音を1秒間に44,100回切り刻むということになります。一方、例えば純音の場合、左のようにサインカーブでその様子が表示されることがありますが、それは基点から上に上って最高値となり、さらに下に下ってきて最低値となりまた起点に戻るという「サイクル」を一つの単位として数えます。周波数の単位であるHz(ヘルツ)は、かつては「c/s(サイクル毎秒)」と呼ばれていた通り、1秒の間に何個の「サイクル」が入るかをあらわすものです。ですから、一つの「サイクル」を表現するには、上限と下限の2つの点の場所を指定しなければいけません。つまり、例えば20,000Hzの音をデジタルで表現するためには、その倍の40,000回切り刻む必要があるということです。逆の言い方をすれば、サンプリング周波数が44.1kHz(44,100Hz)の場合には、その半分の22.05kHzの周波数の音以上は表現できないということになります。実際には、それ以上周波数が高い音があるとエラーが発生するので、この場合は20kHzより高い音は最初からフィルターでカットされています。
 面倒くさいことを書きましたが、要するにPCMの場合は、サンプリング周波数の半分以下の周波数の音しか録音できない、ということだけを知っておいてください。そして、CDのフォーマットでは20kHz以上の高い音は全く録音されていない、ということも。
 もっとも、人間の耳が認識できる周波数は、ほぼ20Hzから20kHzの間だ、とも言われています。CDのフォーマットはその範囲内なのだから、なんの問題もないのだ、というのが、CDが開発された時の「大義名分」でした。あのカラヤン先生も、それで太鼓判を押してくださったのです。ところが、実際にその音を聴いてみると、アナログ録音には確かにあったはずの繊細さとか空気感といったものが失われていることに、人々は気づきはじめました。そして、その原因はカットされてしまった20kHz以上の音にあるということも分かって来ました。それに伴って、2000年頃からは、録音スタジオでは24bit/96kHzか、それ以上のPCMが使われるようになってきます。このように、ビットレート、サンプリング周波数のどちらか一方か、あるいは両方の数値がCDの規格である16bit/44.1kHzよりも、大きな状態で録音されたものが、「ハイレゾ(High Resolutionの略語)」と呼ばれるのです。当然ですが、それはCDで再生することはできません。

■DAT、衛星放送によるハイレゾ
 そういう意味で、最初に登場したハイレゾの録音システムはDAT(Digtal Audio Tape)ではないでしょうか。CDをそのままデジタルコピーされることを防ぎたいというCD業界の姑息な事情で、16bit/48kHzというまさにハイレゾのフォーマットが1987年に採用されました。そのフォーマットはNHKが1989年に衛星放送(BS)を開始した時にも、音楽用のBモードとして使われることになります。しかし、2000年にアナログからデジタルに変わった時に(アナログ放送は2011年まで継続)、音声フォーマットは圧縮音源であるAAC(Advanced Audio Coding)に変わってしまいました。ですから、現在の衛星放送の音は、決してハイレゾとは言えないものになっています。これは、同じソースを市販のDVDなりBDと比べてみると、誰でもわかります。BDの場合、最高のフォーマットは24bit/192kHzですからね。

■DVDによるハイレゾ
 オーディオ用のパッケージとして最初にハイレゾが取り入れられて商品化されたのはそのDVDでした。最高で24bit/192kHzまでのハイレゾに対応し、従来の2チャンネルステレオとともに5.1サラウンドなどのマルチチャンネルも再生可能な規格が1999年に統一されて多くのソフトも供給されましたが、現在ではもはや新しいソフトのリリースは全くありません。

■SACDによるハイレゾ
 それは、同じ1999年に規格化されたもう一つのハイレゾ対応のパッケージ、SACD(Super Audio CD)との競争に敗れたからです。こちらは見た目もCDと同じで、ほとんどの製品は普通のCDも聴けるハイブリッド・タイプですし、再生機器も積極的に発売されましたからより浸透しやすかったのでしょう。
 しかし、SACDの場合は、DVDオーディオと同じ2チャンネルのハイレゾ音源とサラウンド用のマルチチャンネル音源が収録されていますが、それはデジタル録音でもPCMではなくDSD(Direct Stream Digital)という、別の形でデジタル化された音源が使われていました。フォーマットも1bit/2.8MHzという、PCMとはけた違いに高いサンプリング周波数になっています。その原理は、デルタ・シグマ変調と言って、正直非常に難解なものなのですが、ざっくり言ってしまうと、PCMのように、ミクロ的に見ると階段状になっている波形を、次の階段との差(デルタ=Δ)を前の階段に加える(シグマ=Σ)ことによって、波の形を滑らかにする、というものです。
 PCMは、時間軸に沿った直線的なデジタル化(そのため、「リニア・PCM=LPCM」とも呼ばれます)ですから、途中で切ったりつなげたりという編集作業が容易に行えます。サンプリング周波数を変えるだけで、テンポを変えるようなことさえ可能です。それに対してDSDは、そのようなフィードバックが入っているので、原理的に編集は不可能だというデメリットがあります。ですから、普通は例えば24bit/352.8kHz(CDの8倍のサンプリング周波数)といった超ハイレゾのPCM(DXD=Digital eXtreme Definitionと言います)にいったん変換して編集作業を行い、その後DSDに戻すということを行っているようです。

■ブルーレイによるハイレゾ
 PCMでのハイレゾのパッケージも、頓挫したDVDオーディオのあとを継ぐような形で、メディアをBD(ブルーレイ・ディスク)に変えて開発されました。それがブルーレイ・オーディオです。これは一部では「Pure Audio」というネーミングで、多くのレーベルで採用されています。こちらの場合も最高のフォーマットは24bit/192kHz、サラウンドも5.1だけではなくさらにチャンネルの増えたフォーマットにも対応できるようになっています。再生も、普通のブルーレイ・プレーヤーがそのまま使えます。

■インターネットによるハイレゾ
 しかし、ハイレゾの音源として最も出回っているのは、このようなパッケージではなく、インターネット配信によって直接入手できるハイレゾの音楽ファイルでしょう。すでにCD以下の音質の非可逆圧縮音源(mp3やAAC)での配信はかなり広まっていますが、ハイレゾのデジタルデータは、例えば24bit/96kHzのPCMの場合、1時間の音楽では約2GBという巨大なものになってしまいますから、それほどの広がりはありませんでした。しかし、ブロードバンドの普及や、音質を変えずにPCMデータのサイズを半分近くに出来る可逆圧縮(FLAC=Free Lossless Audio Codec)の開発によって、そのような大きなファイルでも容易にダウンロードできる環境が整ったため、このような販売方法が可能になってきました。
 最近ではそのような音楽配信の躍進で、CDなどの売り上げは低迷を続けています。SACDでも同じことで、それまでSACDを販売していたレーベルでもCDだけになってしまうケースも多くみられるようになってきました。インターネットで配信されるハイレゾの音源の再生に関しても、多くの再生機器が登場し、ノウハウも蓄積されてきましたから、将来的にはこの形が主流になっていくのではないでしょうか。なによりも、DSDでは、SACDに採用されている1bit/2.8MHz(このサンプリング周波数はCDの64倍なので「64fs」と呼ばれます)の上位フォーマットである128fs(1bit/5.6MHz)あるいは256fs(1bit/11.2MHz)による音源は、現在はインターネット配信以外で入手することはできませんから。

■PCMとDSDとの違い
 PCMとDSDでは、微妙なところで味わいが異なるとされています。ただ、単に解像度という点で比較すると、24bit/96kHzのPCMと、64fsのDSDが同等だと言われています。つまり、パッケージでは、ブルーレイ・オーディオによる24bit/192kHzの方がSACDよりも解像度が高いことになりますし、個人的な印象ですが、同じ音源でこの2者を比べてみると、明らかにブルーレイ・オーディオの方がより精緻な音に聴こえます。もしかしたら、CDの規格を制定した時に間違いを犯したように、SACDもハイレゾとして聴くには不十分なフォーマットで妥協していたのかもしれませんね。

■終わりに
 正直な話、普通に音楽を聴く分にはCDのフォーマットで十分です。再生するオーディオ機器も、実際にハイレゾの配信音源をきちんと再生するための手順は、単なる音楽愛好家にとってはハードルが高いことは否めません。それでも、しかるべき再生手段を整えて、ハイレゾの音を体験してしまうと、確実にCDの音では物足りなくなってしまうことは間違いありません。無理にはお勧めしませんが、現在のデジタル録音が到達した音を、機会があれば味わってみても損にはならないはずですよ。
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by jurassic_oyaji | 2017-11-15 19:53 | 禁断 | Comments(0)
FRANCK, FAURÉ, PROKOFIEV/Flute Sonatas
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Sharon Bezaly(Fl)
Vladimir Ashkenazy(Pf)
BIS/SACD-2259(hybrid SACD)


このレーベルお抱えのフルーティスト、シャロン・ベザリーの最新アルバムは、なんとウラディーミル・アシュケナージとの共演でした。最近はもっぱら指揮者としての活動の方がメインとなった感がありますが、まだピアノを弾いていたんですね。それにしても、もはや80歳を迎えているなんて。このアルバムのブックレットにはこの二人と、アシュケナージの奥さんとの3人が一緒の写真がありますが、奥さんの方はもうしわくちゃで年相応の外見なのに、アシュケナージの肌艶のきれいなこと。まるで母親と息子のように見えてしまいます。
彼はもちろん、ピアノのソロだけではなくヴァイオリンとの共演も数多く行ってきましたが、フルートと一緒に演奏したことなどはあったのかな、と調べてみたら、こんなエミリー・バイノンのバックでオーケストラを指揮しているアルバムがありました。バイノンに続いてベザリー、若くて(?)美しい(?)女性との共演は羨ましいですね。
ここでベザリーと演奏しているのは、フランクとフォーレとプロコフィエフの「フルート・ソナタ」です。これらの曲は全て「ヴァイオリン・ソナタ」として演奏されることもありますよね。正確には、フランクとフォーレ(第1番)はオリジナルがヴァイオリン・ソナタ、そしてプロコフィエフはオリジナルはフルート・ソナタですがヴァイオリンで演奏されることもある、というのが本当です。結局、この3曲はフルーティストにとってもヴァイオリニストにとっても、とっても大切なレパートリーとなっています。
ただ、その中でも微妙な温度差はあって、フォーレだけはフルーティストが手掛けるのはちょっと少ないような気がします。これはやはり、ヴァイオリンで演奏してこそのものなので、フルートで演奏するにはあまり向かないのではないでしょうかね
フランクとプロコフィエフは、もう完全にフルーティストにとってはなくてはならない曲になっています。多くのフルーティストたちの名演がゴロゴロしていますから、ベザリーにとってもハードルは高くなります。
プロコフィエフは2016年の3月に録音されています。その時が、この二人の初顔合わせだったのでしょうか、ここでのベザリーは最初から「ベザリー節」満載でこの巨匠と対峙していました。彼女にしてみればもう完全に手中にしているルーティンのレパートリーでしょうから、ピアニストがだれであろうとひたすら自分のペースで、その、ちょっと乱暴な表現を押し出していたのでしょう。怖いもの知らず、というやつでしょうか。なんか、アシュケナージ もオタオタして取り乱しているような気配が見られますし。
しかし、同じ年の11月にイギリスの同じホールでフォーレとともにセッションが持たれていたフランクの場合は、ちょっと様子が違います。まずはピアノの前奏で始まるこの曲で、アシュケナージは思い入れたっぷりにゆったりとしたテンポで弾き始めました。もうこうなると、主導権はアシュケナージが握っているのは明らかです。フルートがなんとも繊細にやわらかく入ってきた時には、とてもベザリーが吹いているとは思えないほどでした。それはもう、アシュケナージの深~い懐の中でか細く漂っているかのよう。ここでは、彼女は完全にアシュケナージに手なずけられていまでした。ベザリーからこんなしおらしい一面を引き出すことができるなんて、さすが巨匠です。
とは言っても、彼女の音の後ろをふくらますという変なクセは、相変わらずのようでした。フレーズの最後など、一旦収まったかと思うとそこからさらにもうひと踏ん張り、という感じで伸ばしますから、もう品がないったらありません。それと、ピッチがずいぶん怪しくなってきましたね。これも最後の音が下がりがちなので、それを修正しようとしてさらに頑張って音を出すということをやっているので、目も当てられません。循環呼吸の「鼻息」はうるさいですし。

SACD Artwork © BIS Records AB

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by jurassic_oyaji | 2017-11-15 00:07 | フルート | Comments(0)