おやぢの部屋2
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黄泉の国がすごいですね
 「DESTINY 鎌倉ものがたり」を見てきました。これは、原作は全部読んでますから何をおいても見に行きたかったんですよね。というか、他の人の評価が出てくる前に見ておきたかったものですから。
 この映画が公開されたのは先週でした。その時には角田に行っていたので見ることはできませんでしたね。それから1週間、普通はかなりお客さんは少なくなっているはずなのに、直前にネットで空席をチェックしてみたら、2時間後の回がもう半分以上埋まっていましたね。私が好きな最後列などは1席しか空いてませんでしたよ。それから速攻地下鉄に乗って、息せき切って駅前の映画館の券売機にアクセスしたら、その席はまだ残ってましたね。ラッキー。
 結局、中に入ってみたらほぼ満席になっていましたね。少し空いていたところも、予告編をやっている間に埋まってしまいましたから。やっぱり、あれだけ番宣をやっていれば、これぐらい入るのでしょう。
 もう、最初に主役のキャストが発表された時から、この二人には違和感がありました。いや、どちらも素敵な役者なのですが、原作のイメージとはあまりにもかけ離れていたものですから。キャスティングと同様、ストーリーも原作の世界とは見事に乖離したものでした。結局「三丁目の夕日」とおなじことで、この監督の作るものは原作はあくまで設定の参考ということからスタートして、ストーリーは殆ど別物になっているのですね。まあ、あの作品の世界をそのまま映像で表現することは最初から無理だと分かっているのですから、それは当たり前のことで、ここでは全く別物として味わうという姿勢が大切なのでしょう。とりあえず、原作にあったエピソードで感動的な逸話が前半に用意されていましたしね。
 と、あきらめがつけば、これほど面白い映画もありません。後半はまさにこの監督の独壇場ですから、壮大なVFXを思う存分楽しめましたよ。そして、それまでの伏線がここで見事につながっているのも、さすがの手腕です。
 他のキャストも「三丁目」がらみの人が多かったですね。でも、三浦友和は顔を見ても全然分からなくて、どこかで聴いたことのある声だと思ってやっとわかりました。それと、天頭鬼の声は絶対に吉田鉱太郎だと思ったのですが、違ってましたね。
 音楽は、もちろん佐藤直紀。もはや、彼が作った「三丁目」のテーマは、ほとんど「昭和時代」のライトモティーフとして至る所で流れるようになっていますね。今回は、もろ「ハリー・ポッター」のテイストを持たせていたので、それも原作の世界との逸脱が感じられた一因なのでしょう。メイン・テーマのクリシェが、かなり陳腐ですね。その音楽は、ピッコロが出てくるのですが、およそピッコロとは思えないようなサウンドに仕上がっていました。そんな、やはり勘違いの多いサウンドしか聴けないのは残念です。これも、いずれWOWOWで放送されるでしょうから、その時には自宅の音で再チェックです。
 前回、我が家ではSACDのサラウンドの再生はまだ出来ないようなことを書きましたが、あれから調べてみたら、最初のBDレコーダーを買った時に、BD-ROMの再生が出来なくなったので、一番安いSONYのBDプレーヤーをサブとして買ってあったのですが、それがなんとSACDのサラウンドに対応していたのですよ。それは、もうHDMIケーブルをつなぐだけで、簡単にサラウンドが実現してしまいました。長年SACDを聴いていますが、それが私のサラウンド初体験です。
 でも、今ではSONYでもこの価格帯ではもはや対応している製品はなくなっていますし、他のメーカーには全然ありませんから、もはやSACDサラウンドはすっかり見放されてしまっているんですね。つまり、BDレコーダーでアナログ音声出力がなくなってしまっていたので、仕方なくAVアンプを導入したら、そこで初めて聴けたSACDサラウンドは、すっかり過去のものになっていたという、皮肉な結末だったのでした。
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by jurassic_oyaji | 2017-12-17 22:18 | 禁断 | Comments(0)
WAGNER/Siegfried
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Simon O'Neill(Siegfried), Heidi Melton(Brünhilde)
Matthias Goerne(Wanderer), David Cangelosi(Mime)
Werner Van Mechelen(Alberich), Falk Struckmann(Fafner)
Jaap van Zweden/
Hong Kong Philyarmonic Orchestra
NAXOS/NBD0069A (BD-A)


ヴァン・ズヴェーデン指揮の香港フィルによる「指環」のツィクルスもほんこんと(とんとんと)進んで、後半に入りました。今回もCDだけではなくこのようにBD-Aが用意されているのがうれしいところです。最近、かなりのオーディオ・マニアなのに、SACDやBD-Aを実際に聴いたことが無いという人がいたので、何種類か貸してあげたら、「ブルーレイ・オーディオってすごいね!」と驚いていたぐらいですから、このフォーマットはもっともっと広まってもいいのに、と思ってしまいましたね。
なんせ、一時は多くのレーベルがこのフォーマットに賛同して、業界団体みたいなものまで結成されたというのに、現在では新録音を定期的にBD-Aで発売しているのは2LとLSO LIVEぐらいしかなくなってしまいましたからね。NAXOSにしても、これは久しぶりのBD-Aのような気がします。もしかしたら、この「指環」を最後にBD-Aからは手を引いてしまうかもしれませんね。
なんと言っても、長時間の連続再生が出来るというのが、オペラの場合はとても便利です。この「ジークフリート」も、丸4時間ぶっ通しで聴き続けてしまいました。実演だと、幕間に1時間近くの休憩があるので、6時間も同じ場所に拘束されてしまいますから、これはありがたいことです。
そう、ごく最近、実際にこのオペラを「生」で体験してしまったのですよ。そこで、歌手の動きやオーケストラで活躍する楽器などもしっかり頭に入れてきたので、対訳を見る必要もなく、音だけで聴いてもしっかりその時の情景が目に浮かぶようになっていましたから、十分に長時間の音楽を楽しむことが出来ました。
香港フィルは、このツィクルスで確実に腕を上げてきているのがよく分かります。ほんと、的確にストーリーの流れを作り上げている手腕は、とても満足のいくものでした。ただ、まだ低音の重量感のようなものにはちょっと不満がありますが、それはもしかしたら録音のせいかもしれないので我慢しましょう。
でも、ジークフリート役のサイモン・オニールには、ちょっと我慢ができませんでした。最初に登場した時にはミーメとの対話に終始しているのですが、よく聴いていないとどちらがミーメでどちらがジークフリートなのか分からなくなってしまうほど、しょぼい声でしたからね。以前こちらのCDを聴いて、表現には物足りないものがあるものの、声自体は紛れもないヘルデンだという印象を受けたのですが、その時の輝きはもはや彼の声にはありませんでした。さらに、以前気になっていた歌い方の変なクセも、すごく耳障りに感じられるようになっていました。去年の「ワルキューレ」を聴いたときに、翌年はオニールだと知って期待していたのですが、それは完全に裏切られてしまいましたよ。来年1月の「神々の黄昏」のキャストを見てみると、ジークフリートは別の人になっていますから、きっと降ろされてしまったのでしょう。
ブリュンヒルデは、「ワルキューレ」でジークリンデを歌っていたハイディ・メルトンです。ジークリンデはちょっと役不足だったのですが、ブリュンヒルデはまだ力不足という気がしました。そのせいかどうかは微妙ですが、彼女も、来年はキャスティングされていませんね。
その二人が初めて顔を合わせるのが、第3幕の第3場です。ジークフリートは炎の中に横たわっている鎧姿の人を最初は男だと思っていて、それが女性だと分かってとても驚くのですが、バックのオーケストラはそのパニックの様子をとても大げさに表現しています。でも、これっておかしくないですか?ジークフリートは、その前に森の小鳥に「炎の中にあなたの花嫁がいる」と言われたので、その「花嫁」に会うためにここまでやってきたんですよね。だったら、そこに人がいれば、それが目指す相手だすすぐ分かるはずじゃないですか。今のテレビドラマで頻繁に見られる無駄に盛り上げる展開は、こんなところに期限があったのでしょうか。

BD Artwork © Naxos Rights US, Inc.

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by jurassic_oyaji | 2017-12-16 21:10 | オペラ | Comments(0)
宇宙空間にワイヤーが
 サラウンドで録画したBDを見るのは、私の新しい習慣となりつつなります。これで見ると(聴くと)、ストーリーは全然つまらない映画でも、全く別の魅力を発揮するようになるから、不思議です。確かに、昔映画館でそれがつまらないと思った時には、もっぱら音響を楽しんでいたような気がしますからね。いくらつまらなくても、これがあればわざわざ映画館まで来た価値があるとまで思っていました。それが、自宅でもほぼ同規模のものが実現できるようになったのですから、これだったらもう映画館に行く必要もないかな、とも考えてしまいます。いや、実際は映画館の音はでかいだけでクオリティはそんなによくはありませんから、自宅の方が繊細さから言ったら私にとっては優れていると思えてしまいます。なにしろ、隣や前の人を気にしたりすることは全くありませんからね。
 そんな、もっぱら音だけを楽しむために見たのが「パッセンジャー」です。これも、予告編などを見ても全く見る気はおきなかったのですが、ある時たまたまかけたWOWOWシネマでこれが流れていて、その音がサラウンド的にとてもすごかったので、これはきちんと見てみようと別の放送時間に録画しておいたんですよね。
 そのサウンドは期待通りで、とても満足しました。ストーリーの方もまあまあ楽しめます。5000人を乗せて地球外のコロニーに向かう宇宙船の中だけで物語が進むので、画面にはその宇宙船の内外しか出てきません。そこで繰り広げられるのは、目的地に着くまでの間は人口冬眠で眠っていなければいけないものが、小惑星の衝突で発生したエラーで予定より「90年」前に起きてしまった男の物語です。食料などには不自由しないものの、なにしろ、他の乗客はみんな冬眠中ですから、それが1年も続くとさびしくなって、冬眠していた女を作為的に目覚めさせてしまうのです。
 そうなれば、やることは一つだけ、というラブストーリーが展開されることになるのですが、もちろんそれだけでは済むわけはなく、さまざまな事件が起こって最後は・・・。
 その恋人たちは、宇宙服を着て外に出てデート、というしゃれたことをやったりします。無重力の宇宙空間での、文字通りのランデブー、楽しかったでしょうね。でも、演じる方は大変で、ワイヤーで吊り下げられながら、そも無重力のような演技をさせられるのですからたまったものではないでしょう。もちろん、映画を見ている人はそんなことなんかはまったく気づかずに、ロマンティックな宇宙遊泳を見ることになるのです。
 ところが、そのシーンで、バックが真っ暗なところから明るい星雲になった時、その、決して見えてはいけないワイヤーがしっかり見えてしまっているのですよ。しかも二人分。
 私が気が付くぐらいですから、当然誰かは気が付くはずですよね。編集の段階であのハリウッドのスタッフがこんなことに気が付かなかった方が驚きです。でも、もしかしたらこれはそういうことをわざと見せる「コメディ」だったのかもしれませんね。
 サラウンドといえば、もちろん映画で体験できますが、それはオーディオの世界でもやはりBDで味わえます。ブルーレイ・オーディオというやつですね。これも、最初からサラウンドで録音してあるものは今までとは違った聴き方が出来るようになりました。そこで、もう一つのハイレゾ・ソースであるSACDでもしっかりサラウンドの音源が用意されているので、それを再生することはできないかと考えてみました。しかし、かつてはSACDのサラウンドにも対応していた「ユニバーサル・ディスク・プレーヤー」とか言っていたものが、最近は市場から姿を消してしまったような感じなのです。おそらく、今SACDのサラウンドを再生できる機械を作っているメーカーはほとんどなくなってしまったのではないでしょうか。私が職場で使っているOPPOのプレーヤーは、そんな数少ないモデル、いつかは、これにもAVアンプをつないで、サラウンドを体験してみたいものです。
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by jurassic_oyaji | 2017-12-15 21:34 | 禁断 | Comments(0)
BACH/Motets
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Grete Pedersen
Nowegian Soloists' Choir
Ensemble Allegria
BIS/SACD-2251(hybrid SACD)


ほぼ毎年ニューアルバムをリリースしているペーデシェンとノルウェー・ソリスト合唱団の今年の新譜は、ちょっと今までとは様子が違っていました。これまでは、何かしらのテーマを中心にして、多くの作曲家の作品を集めたという「コンセプト・アルバム」が主体だったのですが、今回はバッハのモテット集という、ベタな選曲でした。しかも、前々作の中にあった音源をそのまま使いまわすという「手抜き」まで行われているのですから、ちょっと心配でご飯も食べれなくなってしまいます(それは「ら抜き」)。
つまり、ここでは収録曲をまとめて一度に録音したのではなく、一昨年、昨年、今年と3回に分けて録音しているのです。その一昨年の分が、すでにこちらのアルバムに含まれていたのです。
と、現象的には許しがたいことをやってはいても、このアルバムではそれがしっかり全体の中に納まっている、という結果にはなっているので、それはそれで許せるというのが面白いところです。つまり、同じ音源でも、コンテクストが変わると全くその役割が変わってくる、ということを、現実に体験できたものですから。
バッハの「モテット」に関しては、いったい何曲あるのかという問題はありますが、ここでは普通に「モテット」と言われているBWV225からBWV230までの6曲に、BWVではそのあとに記載されているBWV118を加えて7曲が演奏されています。さらに、伴奏の編成もはっきりしてはいないので、ここでのペーデシェンは、3回のセッションでそれぞれ異なった編成のアンサンブルを協演させていました。
アルバムの曲順では、まず2016年のセッションで録音された「Komm, Jesu, komm(来ませ、イエスよ、来ませ) BWV229」、「Fürchte dich nicht, ich bin bei dir(恐るるなかれ、われ汝とともにあり) BWV228」、「Der Geist hilft unser Schwachheit auf(み霊はわれらの弱きをたすけたもう) BWV226」の3曲が演奏されます。これらは全てソプラノ、アルト、テナー、ベースの4パートの合唱が2つ向かい合って歌う二重合唱の形で作られたものですが、その伴奏はオルガンにチェロとヴィオローネという編成の通奏低音だけになっていて、さらにピッチがほぼ半音低くなっています(A=415)。ですから、ここではほぼ合唱の裸の姿が披露されることになります。
それに続いては、2015年のセッションと2017年のセッション(これはモダンピッチ)のものが交互に演奏されますが、その前半の「Jesu, meine Freude (イエス、わが喜びよ)BWV227」と「Lobet den Herrn, alle Heiden(主よ讃えよ、もろもろの異邦人よ) BWV230」では、通奏低音の他にコラ・パルテ(合唱のパートと同じメロディを重ねること)で弦楽器が加わっています。そうなると、合唱は弦楽器に覆われることになり、豊かな音色が醸し出されるようになります。
そして、最後の2曲、「O, Jesu Christ, meins Lebens Licht(おお、イエス・キリスト、わが生命の光) BWV118」と「Singet dem Herrn ein neues Lied(主に向かいて新しき歌をうたえ) BWV225」では、弦楽器の他にオーボエやファゴットが加わって、さらに華やかなサウンドとなっています。BWV118などは、前奏や間奏など、合唱が入っていない部分までありますから、さらに充実したサウンドになります(お葬式の音楽なんですけどね)。
そんな感じで、以前はニューステットの作品との対比として使われていたものが、ここでは見事に同じ合唱が伴奏の形態が変わることによって、どれだけの違いが出てくるかということを見せてくれていました。
ただ、「同じ合唱」とは言っても、この合唱団のことですからメンバーは3年の間には大幅に変わっているはずです。それなのに、ブックレットではそれらを区別せずに、「1度でもこれらのセッションに参加したことのある人」を全員並べています。これはちょっと不親切。
でも、なんと言ってもこの合唱のメンバーはそれぞれにレベルが高く、ちょっと「普通の」合唱団が歌っているバッハのモテットとは次元の違う素晴らしい演奏を繰り広げてくれていますから、ぐだぐだと文句を言う必要なんか全然ないのですけどね。

SACD Artwork © BIS Records AB

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by jurassic_oyaji | 2017-12-14 20:13 | 合唱 | Comments(0)
管楽器は全員出席
 角田の「第9」が終わって、翌々日にはニューフィルの次の定期演奏会へ向けての練習が始まることになります。でも、その日は朝から雪が降り積もっていて、もしかしたら雪かきをしなければいけないような感じでしたから、私は長靴を履いて出勤です。でも、おそらく夕方までにはもう雪は融けていそうな降り方だったので、一応普通の靴も持っていきます。案の定、駐車場の車にはしっかり5センチぐらいの雪が積もっていましたが、道路はすでに雪はすっかりなくなっていて、職場への坂道も何の問題もありませんでしたし、駐車場もほとんど雪は融けていたので、長靴も必要なし、やっぱり普通の靴を持ってきて正解でした。長靴で練習に行ったりしたら、ちょっと恥ずかしかったでしょうね。
 でも、やっぱり夕方にはまだ少し雪もちらついていましたし、おそらくこのままだと道路も凍ったりするでしょうから、練習場での出席者の出足はちょっと鈍いようでした。私が音出ししようと席に座った時には、ヴァイオリンには1人しかいませんでしたからね。でも、次第にポツリポツリと集まってきました。入団希望者のような人もいましたね。
 と、ヴァイオリンの席から、いきなり「バキッ!」というような音が聴こえました。そっちを見ると、床の上に楽器が落ちていました。手が滑って落としてしまったのでしょうか。かなり大きな音がしたので、もしかしたら壊れてしまったのかもしれません。その楽器の持ち主は、楽器を拾い上げて手に持ったら、遠目には下を向いて涙ぐんでいるようでした。大変なことをしでかしてしまった、というような雰囲気が、体全体から漂ってきましたよ。周りの人も心配して声をかけたりしていますが、その人は泣きじゃくるだけです。
 でも、あとで聞いてみたら楽器には別に問題はなく(そのあと、ちゃんと弾いてました)、あまりの出来事で一瞬パニックに陥ったようですね。いや、私でもフルートやピッコロでそんなことが起こったら、とても冷静ではいられませんから、気持ちはよく分かります。
 その日の練習は、チャイコフスキーの5番と「火の鳥」、私は「火の鳥」は降り番なので、まずはチャイコフスキーのトップでだけ、ピッコロの出番はありません。この曲はもう本番で3回も吹いてますから、難なく吹けてしまうだろうと思っていたのですが、さらってみると意外と面倒なところがあって、思い出すまでに時間がかかりましたね。というか、そもそも私はこの曲はあまり好きではありません。パートを決める時にも、できれば「火の鳥」の方をやりたかったのですが、その願いはかないませんでした。とにかく、フルートは吹いていて面白いところが全然ないんですよね。今までやった他の交響曲、「1番」、「4番」、「6番」だそれぞれに吹きごたえがあるところがあるのですが、この「5番」はそれがありません。まあ、聴いていればそれなりに楽しめるのですが、演奏している時にはほとんど魅力が感じられないという(もちろん、フルート・パートだけですよ)珍しい曲です。
 休憩時間に委員会があって、雑談でこの前の「第9」の印象などが聴こえてきましたが、やはり私と同じことを感じていた人は多かったようですね。合唱はとても素晴らしかったんですけど、ソリストの何人かは・・・。
 後半の「火の鳥」は、もう帰ってもよかったのですが、どうせいつかは代吹きをやる時があるはずですから、その時のために一通り通すところを聴いてました。やはり大変な曲なので、交響曲のようにほぼ1回で通すというわけにはいきませんでしたが、やったことがある人も多かったので、けっこうちゃんと演奏出来てましたね。これだったら、本気でさらわないと。
 今年中の合奏は、来週でもう終わりです。職場の方も年末のDMの発送準備で大わらわ。徐々にあわただしくなっていく気配です。
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by jurassic_oyaji | 2017-12-13 21:53 | 禁断 | Comments(0)
Silence & Music
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Paul McCreesh/
Gabrieli Consort
SIGNUM/SIGCD 490


かつては「ARCHIV(アルヒーフ)」のアーティストだったポール・マクリーシュのCDを初めて聴いたのは、20年近く前のある日でした。すでにその頃は「アーリー・ミュージックの先駆的なレーベル」ではなく、単なるDGのサブレーベルという扱いになっていたこのレーベルですが、そこではマクリーシュは、当時は「これこそがバッハ演奏の本来の姿だ」ともてはやされていた「1パートは一人で演奏する」というジョシュア・リフキンの主張の実践者として邁進していたはずです。
最近になってSIGUNUMからCDを出すようになると、いつの間にか彼はやたらと大人数の合唱での録音に邁進するようになっていました。ベルリオーズの「レクイエム」では、なんと400人の合唱ですからね。なんか、極端から極端に走る指揮者だな、という印象がありましたね。
そんなマクリーシュの最新のアルバムでは、さらに意表をつくように、「普通の」合唱団としてのレパートリーで勝負してきましたよ。つまり、ここで取りあげられている作品は、全部ではありませんが基本的にアマチュアの合唱団が歌うことを前提にして作られています。ほとんどがソプラノ、アルト、テナー、ベースという4つのパートが伴奏なしで歌われるというシンプルな編成のものです。「パートソング」という言い方をされることもありますね。
とは言っても、ここで取り上げられているのは、エルガー、ヴォーン・ウィリアムズなどのイギリスの大作曲家が作ったものばかりです。マクリーシュはブックレットの中でのインタビューに答えて、「合唱専門の指揮者としてではなく、あくまで交響曲などの指揮もする一般的な指揮者として曲に対峙した」と語っています。さらに、この中で歌われているエドワード・エルガーの2つの合唱曲を引き合いに出して「私のようにエルガーの交響曲や『ゲロンティアスの夢』のような大曲を指揮したことがあれば、必然的にこれらの4分前後の作品に対して別の視野が開けてくるだろう」とも言っています。
なんか、それこそ「合唱指揮者」が聴いたら確実に「やなやつ」と思ってしまうような、高慢な発言ですね。でも、彼の場合はそれをきちんと演奏面で実践しているのですから、何も言えなくなるのではないでしょうか。確かに、このアルバムの中の「小さな」曲たちは、ただのパートソングには終わらない広がりと深みを持っていました。
最初に歌われているのは、エルガーと同世代の作曲家、スタンフォードが作った「The Blue Bird」という曲です。偶然にも、つい最近聴いたキングズ・シンガーズのニューアルバムでも、この曲が取り上げられていましたね。あちらの演奏は、少人数ならではの小気味よくハモるという楽しさが十分に伝わってきて、それはそれで完成されているものでしたが、そのあとにこのマクリーシュの演奏を聴くと、ほとんど別の曲ではないかと思えるほど、広がる世界が異なっていました。
なによりも素晴らしいのが、そのダイナミック・レンジの広さでしょうか。20人ほどの編成なので、特に大きな音で迫ることはありませんが、反対に弱音までの幅がかなり広く感じられるのですよ。超ピアニシモでのエンディングだけで、そのスキルの高さは存分に伝わってきます。
大半は、20世紀の前半に作られた曲で、もちろん作曲家は物故者なのですが、このなかに2曲だけ、ジェイムズ・マクミランとジョナサン・ダヴという、ともに1959年に生まれた、バリバリの「現代作曲家」の曲も歌われています。スコットランドの素材をクラスター風に重ねたマクミランの「the Gallant Weaver」、ミニマル風の細かいフレーズの繰り返しを多用したダヴの「Who Killed Cock Robin?」と、イギリス音楽の伝統を受け継ぎつつ、新しい時代のイディオムもふんだんに盛り込んだこれらの作品にも、たしかな命が吹き込まれています。
男声だけで歌われるヴォーン・ウィリアムズの「Bushes and Briars」と「The Winter is Gone」がちょっと大味なのは、見過ごしましよう。

CD Artwork © Signum Records

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by jurassic_oyaji | 2017-12-12 22:20 | 合唱 | Comments(0)
後奏は目いっぱい吹きました
 今年も、「第9」の季節となりました。ニューフィルでは毎年角田市の団体から依頼を受けて演奏を行っていますから、まさに年中行事です。もちろん、会場は角田ですので、前日と当日は現地まで行って、あちらの合唱団とのリハーサルと本番ですから、片道1時間強の道のりを2往復しなければいけません。これが結構大変なんですけどね。特に帰り道が、もう仙台市内では「光のページェント」が始まっていますから道路は大混雑ですので、注意が必要です。
 今年はきのうがその本番でした。ですから、おとといの土曜日のお昼過ぎに、角田までのドライブです。バイパスを過ぎると、ほとんど車が通らないような一本道になるので、そこまで行ってしまえばあとは楽ですね。堤防沿いの細い道を走るときは、いつも、なんて辺鄙なところまで来てしまったのだなあ、と思ってしまいますね。
 会場の「かくだ田園ホール」につくと、役員さんたちが入り口に立っていて案内してくれていました。その中に、事務局長(?)のNさんもいましたね。私はいつも走り回っていてお名前を呼ばれていますから、一方的に存じ上げているのですが、その方が私に「いつもFacebookでお世話になっています」とあいさつしてくれたのには、驚きました。確かに、私はネットで角田のこの団体とかこの方とは相互にやり取りしていましたが、あちらは私の顔までは知らないはず、まあ、どこかに写真ぐらいはあるでしょうが、それで私本人をきっちり認識してもらえたのは、うれしかったですね。
 それから、いつものようにオーケストラだけの「第9」の3楽章までと、合唱を加えての4楽章、それに前曲の子供合唱も入るメドレー曲のリハーサルが始まります。私のパートは、どちらもピッコロがメイン、去年まではそんな時にもものすごいプレッシャーを感じたものですが、新しい楽器に変えてからというものは、そんなものとはさっぱり無縁となってしまいましたよ。フルートも2番ですが、メドレーの編曲がとても素敵なフレーズがいっぱいあるので、それも楽しいですし、こんなに楽でいいのかな、と思ってしまうほどです。
 それでも、この編曲にはピッコロのソロみたいなところもあるので、そういう意味での緊張感はありましたね。合唱のテンポが微妙に指揮とずれているところにそのソロが入る、なんてスリリングなところもありましたしね。それと、1か所、ワルツの前で指揮者が仙台でやった時にうまくフルートとピッコロが入れないところがありました。どこで入るのか、さっぱり分からないんですよね。それで、ひとこと「ここ、分かりません」と言ってみたら、しっかり振り方を変えてくれていました。そうなると、今度は別のところで分かりづらくなってしまい、そこだけは本番でうまく行くかどうか不安でしたね。まあ、結局うまく行きましたけど。
 その合唱が、なんだかいつもよりとても安定していましたね。最初の「ヴィバルディ」(プログラムにそう書いてありました)で女声が聴こえてきた時には、声がとてもまとまっていて、びっくりしてしまいました。そのあと入ってきた男声も、とても柔らかな声でしたね。安心して一緒に演奏できる合唱でした。今年から新しい指導の方がいらっしゃったそうですが、おそらく基礎的なことからじっくりと練習を重ねてこられたのでしょうね。
 こども合唱団も、こちらはとても元気が良くて気持ちいい演奏でしたね。「カンタロー!」という叫び声まで入れてましたし。これは、あとで写真を見ていたら、しっかりこんなポーズをとっていたんですね。
 こちらも写真を見て初めて知ったのですが、クリスマスの曲の時にはしっかり「かぶりもの」を使っていたんですね。いつの間にこんなのを持ち込んでいたのでしょう。
 「第9」では、ソリストが全員角田では初めての人ばかり。アルトとテノールの方は今まで仙台で何度も聴いたことがある人ですが、ソプラノとバスは初めて声を聴きました。ソプラノの方は、コンディションが悪かったのでしょうかねえ。ちょっと残念でした。こちらの合唱も、人数は80人ほどでしょうか、ちょっとフル・オーケストラの中では埋もれてしまいそうだったのですが、男声などは少ないなりにとても頑張っていたようですね。でも、マーチではピッコロは極力抑えて吹いてみました。おそらく、前の楽器だったらそこまでのコントロールは出来なかったでしょうね。
 お弁当は、これも恒例のずんだ弁当、これにお肉かお魚が一品付いていれば、もっとうれしいのですが。
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by jurassic_oyaji | 2017-12-11 22:37 | 禁断 | Comments(0)
HÄSSLER/360 Preludes in All Major and Minor Keys
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Vitraus von Horn(Pf)
GRAND PIANO/GP686-87


タイトルが「すべての長調と短調のための360の前奏曲」ですよ。のけぞりますね。バッハの「平均律」という曲集が、やはり「すべての長調と短調のための前奏曲とフーガ」でしたよね。長調も短調も12ずつ存在しますから、全部で24曲、バッハはそれを2セット作りましたからそれでも48曲に「しか」なりませんよ。いったいどうやったら「360曲」も作れるのでしょう。
バッハの場合は、鍵盤の順番にハ長調→ハ短調→嬰ハ長調→嬰ハ短調と並べていますが、このヘスラーさんの場合は、ハ長調→ハ短調の次は、その5度上(シャープが一つ増えます)のト長調→ト短調というように「5度圏」で進んでいます。そうすると、これは「円」で表わすことが出来るようになりますから、その円の一回りの角度である「360度」にちなんで360曲作ってしまおう、という発想ですね。ほとんど「しゃれ」ですが、あまり笑えん
ヨハン・ヴィルヘルム・ヘスラーという人は、1747年にドイツのエアフルトに生まれたオルガニスト兼作曲家です。バッハの最後の弟子の一人であったヨハン・クリスティアン・キッテルの弟子ですから、バッハの孫弟子になります。若いころはヨーロッパ中を渡り歩いていましたが、その後ロシアに永住し、1822年にモスクワで亡くなりました。
現在では作曲家としては全く忘れられた存在ですが、彼はモーツァルトのお蔭でかろうじて音楽史に足跡を残すことが出来ました。それは、モーツァルトが1789年にベルリンへ向かう途中で立ち寄ったドレスデンでのこと、モーツァルトはそこに滞在していたヘスラーと、オルガンとピアノでの「弾き比べ」を行ったのです。その時の様子をモーツァルトはコンスタンツェに宛てた手紙の中で「彼は古いセバスチャン・バッハの和声と転調をおぼえているだけで、フーガを正しく演奏することはできない」とか「ぼくが、ヘッスラーにピアノをきかすことになった。ヘッスラーもひいた。ピアノではアウエルンハンマーだって、これと同じ位よくひく」(吉田秀和訳)とか、ぼろくそに書いています。
モーツァルトにしてみればそんな残念なヘスラーでしたが、彼はモスクワ時代にはなにか生まれ変わったようになって、それまでに作っていた作品に新たに「Op.1」から作品番号を付けて書き直したりしています。このアルバムにカップリングされている「Op.26」の「Grande Sonate」などは、ほとんどベートーヴェンの初期のピアノソナタのような高みに達しているのではないでしょうか。
この「360の前奏曲」は、それより後、彼の晩年の1817年にOp.47として出版されています。CDでは1枚半に収録されていますが、トラック数は24しかありません。つまり、一つの調の中にはそれぞれ15曲が入っているのです。24×15=360ですね。ところが、それぞれのトラックの演奏時間は4分とか5分といったとても短いものでした。ですから、前奏曲「1曲」はほんの10秒か20秒ほどで終わってしまうのですね。これはもうワンフレーズを演奏しただけのものですから、言ってみれば究極の「ミニマル・ミュージック」ではないですか。この世にそういう名前の音楽が生まれる1世紀半も前に、こんなことをやっていた人がいたんですね。
とはいっても、いくら短くても、それぞれが全く異なる「360個」のフレーズを作るなんて、ある意味ものすごい作業ですね。ただ、ヘスラーさんは意気込んで作り始めたものの、すでに「ト長調」のあたりではかなり投げやりな作り方になっているようですね。無理もありません。全体的に、長調よりも短調の方が楽想が豊かなのは、ロシア風の素材が使えたからでしょうか。
そして、何とか24トラック目の「ヘ短調」にたどり着くと、最後の気力を振り絞って、10分3秒という最長のトラックを作り上げました。その中の5曲目などは、なんと1分48秒「も」ありますよ。なんたって、一番短い前奏曲は3秒で終わってしまいますから、これは「大曲」です。

CD Artwork © HNH Intrnational Ltd.

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by jurassic_oyaji | 2017-12-09 22:36 | ピアノ | Comments(0)
日曜日は朝が早いです
 もうだいぶ昔の話になりますが、8月にニューフィルのアンサンブル大会の時には、係の人が固定カメラで録画もしていました。録音の方はすでに私が即刻CDを作ってほしい人に配ったのですが、その録画はいつまでもDVDなどになる気配がないので、もうそういうことはやらないのかなと思っていたら、この間の練習の時にいきなりWさんからディスクを1枚渡されて、「これを、ファイルに保存しておいてください」と言われました。記録として、今までの演奏会のすべての録音と録画を保存してありますから、ちゃんとそこに入れておいてほしい、ということなのでしょう。それを見た時には、確かめる時間もなかったのでなんでCD?と思ってしまいました。そもそも、あの録音はCD1枚には収まりませんからね。
 帰ってからよくよく見たら、それはブルーレイディスクでした。録画はしても、なかなか編集したり焼いたりできなかったんですね。さっそく見てみましたが、少人数のアンサンブルなのでとてもはっきり写ってました。あいにく、私は常に端っこにいたので、横顔しか見えませんでしたが、こまごまとした動作ははっきり分かりましたね。眼鏡を上げたり楽器を吹いたり、落ち着きがないですね。
 音の方はすでに私が録ったので聴いていましたが、こちらはカメラのマイクで録ったのでしょうから、いい意味でアラが目立たなくて気持ちよく聴けましたね。ただ、レベルがオートで変わっているようで、急に音質が変わったりするのでびっくりしますが。でも、フルートアンサンブルでは、私は4番を吹いていて低音でメロディを吹くところがあったのですが、それがとてもパワフルに聴こえましたね。まるでゴールウェイみたい(なわけはありませんが)。遠くで聴くとこんな風に聴こえるんだったら、けっこううれしいですね。
 枚数限定で、掲示板から注文できるみたいですよ。
 話は変わりますが、今朝職場に行ったらこんな旗が立ってました。
 そういえば、前からこんなチラシが置いてあったのも思い出しました。
 なんでも、こういう全国的な組織があるそうで、仙台では2回行われることになっているうちの1回が、私の職場だったんですよ。いったいどのぐらいの人数が集まるのか気になったので聞いてみたら、男女合わせて80人ですって。ですから、2回に分けて午前と午後に40人(20組)ずつやるんですって。結構な規模ですね。なぜか、女性の方が申し込みが多かったので抽選になったのだそうです。普通は男性の方が多いようですけどね。やはり、こういうところでやるのは、信用が出来ると思われているみたいですね。
 せっかくなのでちょっと覗いてみたかったのですが、「本番」は、角田第9と同じ今度の日曜日ですから絶対無理ですね。
 その角田第9は明日がリハーサルなのですが、明日だと楽器倉庫が開けられないので、今日のうちにトラックに積み込んでおく段取りになっていて、さっきその手伝いに行ってきました。毎回当番が決まっていて、今日は木管が担当だったんですよね。8時からという予定だったのですが、15分前に着いたらもう始まっていて、8時にはほとんど終わっていました。こういう手際よさは、もうすっかりニューフィルの日常になっています。そして、明日と明後日は角田までの往復です。今のところ雪が降ることはなさそうなので、楽に行ってこれることでしょう。忘れ物をしないようにしなければ。
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by jurassic_oyaji | 2017-12-08 21:40 | 禁断 | Comments(0)
GOLD
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The King's Singers
SIGNUM/SIGCD 500


公式には1968年に結成されたイギリスの6人組のヴォーカル・グループ「キングズ・シンガーズ」は、来年の2018年には創立50周年を迎えることになります。その記念に2016年10月から2017年2月にかけて録音されたのが、この3枚組のアルバムです。「金婚式」という意味合いでしょう、そのタイトルは「ゴールド」、さらに品番が「500」というのですから、もうすべてがお祝いモードですね。あんまりはしゃぎ過ぎて、メンバーの間柄が冷たくなってしまうことはないのでしょうか(それは「コールド)。
50年の間には何度も何度もメンバーが変わっているこのグループですが、2016年の9月にカウンター・テナーがデイヴィッド・ハーレーからパトリック・ダナキーに替わった時点で、全メンバーが21世紀になってからの加入者となりました。そういう意味で、「長い結婚生活」ではなく、「新しいパートナーとの再出発」的な意味も、このアルバムには込められているのではないでしょうか。
3枚のCDにはそれぞれ「Close Harmony」、「Spiritual」、「Secular」というタイトルが付けられており、このグループのレパートリーの根幹をなす3つのジャンルの曲が演奏されています。「Close Harmony」は、元々は「密集和音」という音楽用語ですが(対義語は「開離和音(Open Harmony」)、ここでは音域が狭いのでそのようなハーモニーを使わざるを得ない無伴奏男声合唱のことを示す言葉として使われています。もっとも、このグループはカウンター・テナーで女声のパートを歌うことができるので、やっていることは「Open Harmony」なのですが。
ここでは、彼らのライブでの定番の、ポップスや民謡などを編曲したものが歌われています。今回新たに編曲されたものもありますが、この中の2曲のビートルズ・ナンバーは、1986年に録音された全曲ビートルズのカバーのアルバムで使われたものと同じ編曲で歌われていました。「And I Love Her」は、その録音時にテナーのメンバーだったボブ・チルコット、「I'll Follow the Sun」は、その前任者のビル・アイヴズの編曲です。30年前に録音されたこの2曲を、まさに「セルフ・カバー」である今回の新録音と比べてみると、その表現には全くブレがないことに驚かされます。彼らの伝統がしっかり演奏上の細かいところまで受け継がれつつ、メンバーチェンジが行われていたことに、改めて気づかされます。
とは言っても、ソロのパートではそれぞれのメンバーの個性の違いはしっかりと分かります。特に、30年前のテノールだったチルコットの悪声は、現メンバーの日系人、ジュリアン・グレゴリーでは完全に払拭されていました。
「Spiritual」では、広い意味での宗教曲が歌われています。その中に、男声合唱の定番、プーランクの「アッシジの聖フランチェスコの4つの小さな祈り」がありました。これは、テナー、バリトン1、バリトン2、ベースという4つの声部の曲ですから、彼らの場合はカウンター・テナーのパートを除くと残りの4人だけで完璧に歌える曲ですね。ということは、テナーを歌っているグレゴリーくんの声がはっきり聴こえてくるということになります。6人で歌っている時にはちょっと目立たない声でしたが、ここではとても芯のある声のように聴こえました。歴代のメンバーの中では最高のテナーだと思っているビル・アイヴズには及びませんが、それに次ぐ人材なのではないでしょうか。
3枚目の「Secular」は、文字通り世俗曲ですが、宗教曲以外の合唱曲のレパートリーということでしょう。お得意のマドリガルなどに交じって、1987年に武満徹に委嘱した「Handmade Proverbs(手づくり諺)」が入っていたのには驚きました。同じ年に日本で初演された曲ですが、もしかしたらこれが初録音なのでしょうか。いかにも武満らしいハーモニーが素敵です。
このアルバムを携えてのワールド・ツアーがすでに始まっています。丸1年以上をかけて行う大規模なツアーですが、あいにく日本でのコンサートはないようですね。

CD Artwork © Signum Records

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by jurassic_oyaji | 2017-12-07 20:10 | 合唱 | Comments(0)