おやぢの部屋2
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キャッチコピーがなかなか
 このところ、必要があってザルツブルク音楽祭の昔の演目を調べています。これが、そこの公式サイトに行くと簡単に分かってしまうんですね。例えば「1985年の演奏曲目」が知りたいのなら、「アーカイヴ」というページに行って、そこにずらりと並んでいる年号のアイコンをクリックするだけで、その年に行われたオペラ、オーケストラのコンサート、さらには演劇まですべて分かってしまうんですよ。知ってました?ここは「音楽祭」って言ってますけど、演劇も上演されるんですよ。オペラの場合は、出演していた歌手の名前まで全部書いてありますからね。プログラムまでダウンロード出来てしまいますよ。大体、オペラハウスのサイトだと、こういうアーカイヴが充実しているようですね。METなどにはこれでだいぶお世話になったことがあります。
 でも、オーケストラではそのような記録をアップしているところはあまり見当たりません。ちょこっと外国のオーケストラのサイトを覗いてみても、これからのコンサートの案内は熱心なのに、過去のものを丁寧に扱っているところはあんまりなかったような気がします。もちろん、日本のオーケストラでも、本格的なアーカイヴを備えているところはほとんどありません。
 そんな中で、某NHK交響楽団では、しっかりした記録がアップされていたので、さすが、と思いました。ただ、それはただ単に膨大な記録をPDFにしてまとめたものにリンクしているだけで、ザルツブルクのようにワンクリックでその年のものが見れるという親切なものでは全然ありません。なにしろ、そのPDFときたら、何年か分が一つのファイルになっているのですが、それは本当にただの「リスト」にすぎないのですからね。一つの演奏会のコマがずいぶん多いと思ったら、それは演奏曲目1曲で一つの行を使っていたりします。確かに、これは「記録」としては完璧なものなのでしょうが、外部の人に対して適切な情報を分かりやすく伝えようという意思が全く感じられません。それにしても、ここには地方公演からオペラの伴奏まで、すべてのこれまでの演奏記録が入っていますから、まあすごいと言えばすごいのですが。
 我が、仙台ニューフィルの場合は、その点ではなかなか親切なのではないか、と、ひそかに自負しています。とりあえず、創設してからのすべての演奏会については、きちんとデータが揃っていますからね。そして、サイトが本格的に運用された1998年以降の演奏会では、その時の写真なども掲載するようになっています。
 ただ、20年もそんなことをやっていると、なかなか面倒くさくなってきます。最初のうちはきちんとページを作っていたのですが、その内容は実際は「かいほうげん」の中身と一緒なのですから、できれば手間を省きたいということで、このところは「かいほうげん」の演奏会の部分のページだけをPDFにして、そこに演奏会一覧のページからリンクするようにしています。たった今も、去年の末に行った角田市での「第9」の演奏会の模様をそのような形でアップしたところです。つまり、そうなると「かいほうげん」が発行されないとサイトの方も作れないので、少しタイムラグが出てきてしまうということになるのですが、まあ、その辺は大目に見てくださいね。
 そんなことをやっているうちに、4月の定期演奏会のチラシの原案がもう出来上がってくる時期になってしまいました。今回も素晴らしいチラシに仕上がっていますから、期待してください。ただ、いつもだとテキストの間違いとか、ちょっとしたレイアウトの手直しだけですぐ印刷に回せるのですが、今回はちょっとしたことで色んな意見が出てきて、それをなかなか一本化できない、というちょっと珍しい事態が起こってしまい、その判断を指揮者の末廣さんに仰ごうということになってしまったので、その返事が来るまでちょっと作業が中断しています。別にそこまでこだわることもないような気がするのですが、納得のいくものを作りたいという関係者の熱意のあらわれだと思って、待っていてくださいね。デザイン自体はこんな感じですけどね(わかんねー!)。

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by jurassic_oyaji | 2018-01-17 22:10 | 禁断 | Comments(0)
SCHNITTKE/Psalms of Repentance, PÄRT/Magnificat, Nunc Domittis
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Kaspars Putninš/
Estonian Philharmonic Chamber Choir
BIS/SACD-2292(hybrid SACD)


エストニア・フィルハーモニック室内合唱団は、かつてはECMで1981年にこの合唱団を創設したエストニア人のトヌ・カリユステの指揮によるトルミスやペルトといった自国の作曲家の作品を幅広く録音していましたね。
それから20年経って、2001年になると、指揮者がイギリス人のポール・ヒリヤーに替わります。レーベルもHARMONIA MUNDIが中心となり、「Baltic Voices」のようなユニークなアルバムを数多く作りました。さらに、2008年になると、今度はドイツ人のダニエル・ロイスが指揮者になります。
そんな、「中央ヨーロッパ」の指揮者の時代を経て、2014年には、エストニアとはバルト三国として近しい関係にあるラトヴィア人のカスパルス・プトニンシュという聴きなれない指揮者に替わっていました。覆面はしていません(それは「ニンジャ」)。
ただ、この1966年生まれのプトニンシュは、1994年からラトヴィア放送合唱団の指揮者を務めていて、今ではそこの「終身指揮者」という称号を得ているほどの実力者、合唱界に於いてはすでに「聴きなれた」人物だったのです。これは2017年1月に録音されたもので、彼がエストニア・フィルハーモニック室内合唱団を指揮した初めてのアルバムとなります。
ここで取り上げられているのは、アルフレート・シュニトケとアルヴォ・ペルトという、ともに、「ソヴィエト連邦」の時代から活動を始め、その国家体制の崩壊も体験しているほぼ同じ世代の2人の作曲家の作品です。
1934年に生まれ、1998年に亡くなっているシュニトケの作品は、1988年に作られたレント(四旬節)と言われる復活祭前に行われる 40日の悔悛の聖節のための16世紀の詩(作者は不詳)をテキストにした、「悔悛の詩篇」です。
ペルトは1935年生まれですが、まだご存命、少し前に生誕80周年ということでかなり盛り上がったことがありましたね。ここでは、1989年の「Magnificat」と、2001年の「Nunc dimittis」という、いずれもルカ福音書の中のテキストが用いられている作品が歌われています。
今回は、せっかくですので、SACDのマルチチャンネルレイヤーを、サラウンドで再生して聴いてみました。もはや、SACDによるこのフォーマットは再生機器のサイドからはほとんど見捨てられているような状況にありますが、サラウンドそのものはまだまだ可能性を秘めた録音手法として、真剣に追及しているエンジニアがいますからね。
まずは、シュニトケの「悔悛の詩篇」から。12の部分から出来ていて、演奏時間は45分という大曲ですが、それぞれの曲がヴァラエティに富んでいるので、退屈とは無縁です。まずは、男声だけでとても深みのある響きが味わえるのが、1曲目の冒頭です。録音会場は非常に豊かな響きを持つ教会ですから、その残響がまるでドローンのように常に持続して、リスニング空間を埋め尽くしています。これは、おそらくこの作品ではかなり重要なファクターとなって聴き手には迫ってくるはずです。この、「響きにとり囲まれる」という体験は、2チャンネルステレオでは味わうことはできません。
そのようなサウンド空間の中で、時にはテノール・ソロのピュアな声とか、とても力のある女声パートのエネルギッシュな叫びなどが、それぞれにしっかりとした存在感をもって聴き分けることができます。
さらに、それらがホモフォニックにまとまって聴かせてくれるハーモニーにも、立体的な音場の中では、とてつもない重さが感じられるようになります。それがクラスターになろうものなら、もう、その圧倒的な力にはひれ伏すしかありません。
そして、最後の12曲目では、全てがハミングで歌われるこの上なく澄み切った世界が広がります。これは、合唱音楽の可能性をとことんまで追求した傑作ではないでしょうか。
ペルトの作品になると、その様相はガラリと変わります。同じ合唱団が歌っているとは思えないほど、こちらからは、もう最初からクリアでピュアな響きが満載。無条件で至福の時が過ぎていきます。

SACD Artwork © BIS Records AB

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by jurassic_oyaji | 2018-01-16 23:05 | 合唱 | Comments(0)
スモークの店でした
 きのうは、朝の10時から夜の10時まで、ぶっ続けでオケ関係の行事が詰まっていました。まずは、旭ヶ丘で「杜の都合奏団」の練習です。他の団体の行事もこの日は多かったようで、かなり欠席者が目立ちます。前曲をやっている時などは、木管の2列目(クラリネットとファゴット)なんか誰もいませんでしたからね。もちろん、弦楽器もかなり少なめ。それでも、みっちりと、間にたった20分の昼食休憩をはさんでハードな練習は午後2時半まで続くのでした。
 そのあとは、3時半からニューフィルの団員総会です。会場は街中なので、車は駐車場に置いて(最大800円)地下鉄で向かいます。そのあとは新年会も控えていますからね。
 総会が終わって少し時間があったのですが、そんな時いつも一緒にお茶を飲んだりして時間をつぶす相手が出席していなかったので、一人で本屋さんなどに入った後、新年会の会場に向かいます。
 ビルが立ち並ぶ商店街の裏側に、終戦直後にでも建てられたような、いずれは再開発でなくなってしまいそうな建物がひしめき合っていますが、そんな中の2階建てのお店です。ここに10分前に着いたら、もう夕方だというのにライトアップもされておらず、「CLOSE」なんて看板が出ていますから、本当にここでよかったのか不安になってしまいます。そのドアも、いくら引っ張っても鍵がかかっているみたいで開きませんし。仕方がないので、しばらく前でブラブラしていると、同じメンバーがやってきたので一緒に入ろうとしても、やはり開きません。でも、中にはちゃんと人がいましたね。と、その扉を横にスライドさせたら、簡単に開きましたよ。これは「引き戸」だったんですね。引っ張っていたのでは、永久に開くことはできませんでした。
 ここを入って狭い階段を上がった2階が予約席、テーブルは3つぐらいありますが、その中の1つだけに6人、もうすでにメンバーが座っていましたよ。ちゃんと入れたんですね。でも、私は最後の一人だったようで、結局今年の新年会はテーブル一つだけ、たった7人の出席者というコンパクトなものになっていました。
 そんなメンバーですから、いきおい、話は団内の「秘め事」に集中します。得難い情報がたくさん聴けましたね。
 料理は、なかなかのものでした。コースできちんと人数分持ってきてくれます。

スペイン風オムレツ。

自家製ベーコンと燻製卵のシーザーサラダ

丸ごと玉ねぎロースト。ピクルスが乗ってます。

自家製スモーク盛り合わせ。砂肝、レバー、スズキでしたかね。

石巻産ムール貝の白ワイン蒸し 。

彩菜鶏のスモークチキンBBQグリル。

最後は魚介と鶏肉のミックスパエリアです。
 最初は貸し切り状態だったのですが、しばらくすると別のお客さんの一団も入ってきました。その人たちはタバコを喫っているんですよね。せっかくおいしい料理を出しているのに、ここは「喫煙可」なのでした。残念。
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by jurassic_oyaji | 2018-01-14 20:07 | 禁断 | Comments(0)
BERNSTEIN, SCHOENBERG, STRAVINSKY, ZEMLINSKY/Sympnonic Psalms & Prayers
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David Allsopp(CT)
Nigel Short/
Tenebrae
BBC Symphony Orchestra
SIGNUM/SIGCD492


「詩篇」というのは、旧約聖書のコンテンツで、神をたたえた150の詩が集められたものです。元々はそれ自体が実際に歌われていたのでしょうが、現在ではそのオリジナルを知る手立てはありません。しかし、それぞれの時代の作曲家たちは、これらの詩をテキストにして様々な音楽を作ってきました。それは、歴史の中で大きくスタイルを変えてきた西洋音楽に、まるで地下水脈のように普遍的なテキストを提供し続けていたのです。
このアルバムを聴けば、いずれも20世紀に活躍した4人の大作曲家の作品を通して、「詩篇」がどのような音楽として結実したかを繙くことができるはずです
タイトルには「交響的な詩篇」と、「祈りの歌」という2つの言葉が入っています。この中で最も早い時期、1907年に作られたアルノルト・シェーンベルクの「地には平和を」という曲だけは、その「祈りの歌」の範疇に入るものです。つまり、この曲は「詩篇」ではなく、スイスの詩人コンラート・フェルディナント・マイヤーが1886年に作ったドイツ語の詩をテキストにしています。さらに、この曲だけは合唱だけのア・カペラで歌われているので、「交響的」というカテゴリーからも外れています。実際は初演の時の合唱団(某ウィーン楽友協会合唱団)のスキルが低かったため、「音取り」が出来なくて演奏できなかったということがあり、補助として1911年にオーケストラの伴奏も作られていました。しかし、確かに、無調的なテイストは多分に含まれてはいるものの、基本的にバッハからブラームスまでの西洋音楽の流れに沿った作品ですから、今ではアマチュアの合唱団でもオリジナルのア・カペラで楽々歌えるぐらいまでに、合唱界のレベルは上がっています。
同じころ、シェーンベルクとは親しい関係にあり、妹がシェーンベルクの最初の妻でもあったアレクサンダー・ツェムリンスキーは、音楽的にはグスタフ・マーラー(彼が恋焦がれていた女性を妻にしました)に近いものがありました。この、1910年に作られたドイツ語訳の歌詞による「詩篇23」は、奇しくもマーラーの「交響曲第8番」と同じ年に初演され、両者には明らかな類似点を見出すことが出来るはずです。色彩的なオーケストラが、スペクタクルに迫ります。
イーゴリ・ストラヴィンスキーが、「詩篇交響曲」を作った1930年には、生涯に何度も作風を変えていた彼はもはや「春の祭典」のようながむしゃらな曲を作ることはありませんでした。そもそも「交響曲」というタイトルも、額面通りに受け止めることはできない、アイロニカルなものだったのです。オーケストラの編成からはヴァイオリンとヴィオラが取り除かれ、ピアノ2台が加わっていました。詩篇の歌詞はラテン語です。
そして、この中では唯一20世紀後半の1965年に作られたのが、レナード・バーンスタインの「チチェスター詩篇」です。これは、ユダヤ人であるバーンスタインのこだわりで、そもそもの形であるヘブライ語のテキストによって作られています。ミュージカル作家としてのキャリアがまだ影を落としていて(というか、生涯その作風は変わらなかったような・・・)リズミカルな明るさと、メロディアスな抒情性(彼の代表作「Tonight」そっくりのメロディですが)にあふれています。
そのような、なんとも多彩なラインナップで、確かに「詩篇」がいかに多様性をもって扱われているのかはとてもよく分かるアルバムです。ところが、肝心の合唱がいまいち期待外れなんですね。今まで聴いてきたこの合唱団のすばらしさが、ここでは全く感じられないのですよ。特に悲惨なのがソプラノ・パート。余裕のない声は、聴いていて辛くなってしまいます。
それと、合唱だけの「地には平和を」では、およそプロのエンジニアとは思えないようなお粗末な歪みが2か所(5:19と9:44)もありました。商品としては、リコールものの欠陥ですよ。サイズが違ったブラみたいに(それは「ワコール」)。

CD Artwork © Signum Records

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by jurassic_oyaji | 2018-01-13 22:34 | Comments(0)
写真の加工が大変でした
 前回行った「ビッグボーイ」には、サラダバーの使い方についての注意書きがありました。それは、お代わりをするときには、容器を新しくしろ、というものです。以前はそんなことは別に言われていなかったような気がしますね。ですから、お皿が空いたら、そこにまた別のサラダを取ってくる、ということを繰り返していました。でも、そんなことをするなと言われれば、仕方がありません。その結果、食べ終わった時にはこんなにお皿がたまってしまいましたよ。まるで回転ずしみたいですね。
 ここに行ったのが8日の月曜日、成人の日の休日でした。その前の日にお願いしてあった原稿が届いたので、その連休にはまずそれを編集していましたね。ざっと見たらそのヴォリュームはほぼ10ページ、そのまま作ったら「かいほうげん」の半分以上を占めてしまうので、そうなると他の記事が入りませんから、それは避けなければ。というわけで、2日がかりで7ページにまで絞り込みました。もちろん、いただいたテキストは全てノーカットで使いましたよ。それを、フォントを変えたりレイアウトを工夫したりして、そこまでのダイエットに成功させました。
 そして、週明けから残りのページを作って完パケを完成させ、水曜日には印刷が出来ればいいな、というのが、皮算用でした。でも、やっているうちに手を加えたいところがたくさん出てきて、結局印刷は配布当日の木曜日にずれ込んでしまいました。でも、今までの経験で、印刷と製本は2時間かからないで終わることは保障されていましたから、お昼前には終わらせようとさっそく印刷を始めました。
 いつもの手順で、両面印刷が終わったものから順に二つ折りにして、それを4枚重ねてホチキスで綴じるという作業が始まります。その行程の繰り返しだと、全く無駄な時間がないんですね。印刷される速度と、折って綴じる速度とが見事にシンクロしているので、それをたった100回繰り返すだけですべての作業が終わってしまいます。もうやっている時は殆どトランス状態、何も考えなくても体が自然に動いて一連の作業を行うという、まるでロボットになったような気分を味わうことが出来ます。
 ところが、それが何サイクルか繰り返された時にふと見ると、印刷されたもののまわりの余白に、何やら薄くスジのようなものが入ってるではありませんか。あわててジョブを削除してプリンターを止め、チェックしてみると、かなり前からそんな現象が起こっていたことに気づきました。最初はなにもなかったものが、5セット目ぐらいから目につくようになっていましたよ。
 これは、以前にも経験したことがありました。両面印刷をやっていると、ドラムに転写されたトナーが完全に落ち切らずに、裏面にそのまま転写されてしまうんですよ。ここは、サービスを呼んで修理してもらうしか方法はありません。どんなに遅くてもその日の営業時間のうちには必ず来てくれますから、最悪でも練習の途中には出来上がるはずです。さいわい、私は前半は降り番でしたからね。
 結局、サービスは午後一番で来てくれました。20分ぐらいで調整と清掃は終わり、さっきまでのスジは全く消えましたから、あとは安心です。余裕を持ってすべての印刷が終わりました。
 実は、新入団員の写真が1枚撮れていませんでした。ですから、最初はその人が練習に来た時に写真を撮ってから発行しようと思っていました。ただ、そうなると間に団員総会が入ってさらにコンテンツが増えることになってしまうので、結局こんなスケジュールに落ち着いていました。写真も、この間の「第9」の時に撮ったのをチェックしてみたら、おあつらえ向きにはっきり顔が分かるアングルのものがあったので、それが使えました。なにより、その人はその日の練習には出席していなかったので、発行を先送りにしていたら、後悔していたでしょうしね。
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by jurassic_oyaji | 2018-01-12 21:31 | 禁断 | Comments(0)
GENZMER/Wie ein Traum am Rande der Unendlichkeit
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Emmanuel Pahud(Fl)
Margarita Höhenrieder(Pf)
SOLO MUSICA/SM 159


こちらの、「トラウトニウム」という電子楽器のための作品を作った人として注目していた作曲家、ハラルド・ゲンツマーには、フルートのための作品もあることが分かって、急遽取り寄せたのがこのアルバムです。演奏者はエマニュエル・パユ。メジャー・レーベルへのおびただしい録音がある彼が、こんなマイナーな作品をマイナーなレーベルに録音していたのには、なにかホッとする気持ちです。彼のEMI(今ではWARNER)への録音には、ほとんど心を動かされることはありませんでしたからね。
ゲンツマーという人は、1909年に生まれていますが、つい最近2007年までご存命だったのですね。ヒンデミットに師事したという経歴は、先ほどのトラウトニウムのアルバムでも紹介されていましたが、彼は師と同じく多くの作品を残していて、それは交響曲から室内楽曲までの広範なジャンルをカバーするものでした。彼自身はピアノとクラリネットを演奏していましたが、作品の上で好んで用いたのはフルート、ピアノ、ハープ、そしてチェロだったのだそうです。
フルートとピアノのための「ソナタ」は3曲、フルート・ソロのための「ソナタ」もやはり3曲作られています。このアルバムの前半に収録されている、その3番目のフルート・ソナタと、やはり3番目のソロ・フルート・ソナタは、ともに彼の晩年2003年に作られました。
そして、翌年2004年に作られたのが、アルバム・タイトルとなっている「無限の縁での夢のような」というサブタイトルの、フルートとピアノのために「別れの幻想曲」です。この曲は、ここでパユとともに演奏しているピアニスト、マルガリータ・ヘーエンリーダーのために作られたものです。彼女はゲンツマーとは30年来の友人なのだそうです(へー)。
初演は彼女とパユによって2009年にローマで行われています。もちろん、このアルバムのために2011年にバイエルン州のポリング修道院で行った録音が世界初録音となります。
ヒンデミットにも、ピアノとフルートのためのソナタと、フルート・ソロのための「8つの小品」という作品がありましたが、ここで初めて聴いたゲンツマーの同じ編成の2つの作品は、そのヒンデミットの、フルーティストにとっては馴染みのある曲と非常によく似たテイストを持っていました。一見古典的なようで、その実かなり屈折した和声とハーモニーで、聴くものにある種の緊張感を与えるかと思えば、緩徐楽章ではとことんロマンティックに迫る、といった感じでしょうか。おそらく、20世紀の前半だったらもてはやされたはずのものですが、21世紀にこのスタイルは、ちょっと辛いような気はします。
それに続いて、ヘーエンリーダーのソロでピアノのための「6つの小品」が演奏されています。これは、まるでバルトークの「ミクロコスモス」を思わせるような、かわいらしい曲が集められた曲集でした。時折民族的なメロディも見え隠れして、とても楽しめます。それぞれはほんの1分足らずの曲なのですが、最後の「死の音楽」というタイトルの曲だけは4分ほどの「長い」もので、これはその名の通りとても重たい楽想にあふれています。
そして、アルバムの最後に置かれているのが、メインの「別れの幻想曲」です。作られたのは先ほどの「ソナタ」たちとたった1年しか違わないのに、その作風は劇的に変わっていました。タイトルからしてなにやら哲学的なものがありますが、もっとストレートに受け止められる確かなメッセージが感じられます。
曲は5つの部分から出来ていますが、4番目の「終わりのない安らぎとともに-夢のかけら」というタイトルが付けられている部分は、フルートの瞑想的な歌と、それと対話するピアノとが、深い「安らぎ」を与えてくれます。
ここでのパユは、他の曲でこれをやられると鼻に付いてしまう彼の得意技である超ピアニシモで、切ないほどの情感を伝えています。

CD Artwork © Solo Musica

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by jurassic_oyaji | 2018-01-11 23:05 | フルート | Comments(0)
「チキングリル」は「チキンステーキ」になってました
 かつて、自宅のすぐ近くに「ビッグボーイ」というファミレスがありました。北環状線と、北四番丁大衡線との交差点です。今では、そのあたりの再開発のためにそのお店も、まわりにあった本屋さんもすっかりなくなって広い更地になっていますね。そうなってからもう何年も経つのに、新しい建物が建つ気配は全くありません。いったい何があったのでしょう。
 その「ビッグボーイ」は、かつては「ミルキーウェイ」という名前のお店でした。お店に入ると、店員さんが「ようこそ、ミルキーへ!」と言って迎えてくれましたね。さすがに恥ずかしかったのか、しばらくするとやめてしまいましたけど。
 そのお店が、いつの間にか「ビッグボーイ」という名前に変わっていました。ただ、変わったのは名前だけで、メニューなどには殆ど変化がなかったのではないでしょうか。目玉はサラダ・バー。料理を注文すると、必ずついてきて、サラダが食べ放題でしたし、スープ・バーもありましたね。そのうち、「カレー・バー」というのも始まりましたね。おなかがいっぱいになりたいときには、これほどありがたいお店もありませんでした。
 おそらくその時点で、仙台市内では「ミルキーウェイ」は全て「ビッグボーイ」に名前が変わってしまったのではないでしょうか。でも、その、よく行く近くのお店がなくなってからは、とんとその名前のお店自体にも足を運ぶことはなくなっていました。
 それからしばらくすると、今度は、「『ビッグボーイ』は、すべて『ミルキーウェイ』と名前を変える」というような情報が出回るようになりました。たしかに、たまにそんなお店の前を通るとしっかり看板を変えているところが続々出てきていましたね。でも、中には、いつまでたっても「ビッグボーイ」のままでいるお店もあることにも、気づきました。例えば、愛宕橋のそばにあるお店などはそうでしたね。でも、それは、単に経費のやりくりの都合で変えないだけなのだと思っていました。そして、おそらく名前を変えても変えなくても、やっぱりメニューはずっと同じだろうとも思っていましたね。
 ですから、久しぶりにサラダ・バーを食べたくなって、かつての「ビッグボーイ」だった「ミルキーウェイ」のお店に行ってみました。ところが、そこは以前の「ビッグボーイ」とは全然違っていたのです。まず、オーダーは全てタブレットで行うようになっていました。まあ、これは回転ずしでもやっていますから、こういうお店の一つの流れなのでしょうね。でも、お店の中を見ると、めざすサラダ・バーはどこにも見当たりません。当然のことですが、メニューも全く別のものに変わっていました。メインはハンバーグ、私がよく食べていたチキングリルは、もうここにはありませんでした。
 見た目がちょっとおいしそうだったので、ハンバーグとコロコロステーキのセットを頼んでみたのですが、そのステーキはひどいものでした。固くて噛み切れないのですよ。ハンバーグも期待していた味には程遠いものでした。
 さらに、料理の鉄板と、ご飯が一緒のプレートになっているのですが、ご飯とサラダが載っているのはプラスティックのトレイ、まるで学校給食のような味気なさです。ご飯なんか、すぐに冷めてしまってましたね。ですから、今までの慣例とは違って、今回は名前を変えるとともにその内容を大きく変えたお店に「生まれ変わって」いたのですよ。もちろん、それは全くダメな方へ向かった変化でした。肝心の料理がおいしく無くなったのですから、全く意味のない変化です。
 あんまりがっかりしたので、別の日にさっきの、まだ名前を変えていない愛宕橋の「ビッグボーイ」に行ってみました。そこは、メニューは多少は変わっていましたが、サラダ・バーやカレー・バーは健在でした。もちろん、ボタンを押せばちゃんと店員さんが来て注文を取ってくれます。まあ、サラダ・バーの中身は確実にしょぼくなっていましたが、カレーにはしっかりお肉も入ってましたから、満足できましたよ。
 どちらのお店も同じ会社が経営しているはずなのに、この違いは何なんでしょうね。
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by jurassic_oyaji | 2018-01-10 21:22 | 禁断 | Comments(0)
HAMILTON/Requiem
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Ilona Domnich(Sop), Jennifer Johnston(MS)
Nicky Spence(Ten), David Stout(Bar)
Ian Tindale(Org)
Timothy Hamilton/
Cantoribus, Rosenau Sinfonia
NAXOS/8.573849


1973年生まれのイギリスの作曲家/指揮者、ティモシー・ハミルトンが作った「レクイエム」の世界初録音です。これは、第一次世界大戦の勃発から1世紀となる2014年に、その犠牲者の追悼のためのセレモニーが行われるにあたって、2012年にロンドンのセント・ジョンズ・ウッド教会から委嘱されました。
初演は2014年にその教会の音楽監督のマイケル・ケイトン指揮で教会の聖歌隊が歌って行われましたが、その時には全12曲の中の7曲だけしか演奏されませんでした。
全曲が初演されたのは2015年の11月12日のこと、その時には作曲者自身が指揮をしました。彼が創設した合唱団「カントリブス」(田舎の醜女)など、その時のメンバーがそのまま2週間後に再集結して録音されたのが、このCDです。
編成は、4人のソリストと混声合唱に、オルガンと小編成のオーケストラ、テキストは、基本的にラテン語の典礼文ですが、それは例えばフォーレの作品のように、「Dies irae」の部分は全てカットされていますし、その後の「Donime Jesu Christe」も、前半はカットして後半の「Hosteas」から始まっています。そのカットされた部分に挿入されているのが、「戦士の詩篇」と呼ばれている第91篇の英訳のテキストです。
さらに「Prelude」と名付けられた第1曲目では、アイザック・ウォッツの有名な讃美歌「Give us the wings of faith」のテキストが使われています。そこの冒頭にはホルンによってB♭-Fという5度跳躍の音型が現れます。それは、まるでマーラーの交響曲第2番の終楽章の、合唱が始まるちょっと前の神秘的な部分のよう。あの曲のような深淵を味わわせてくれることを期待してもいいのでしょうか。
ただ、その後に「モア」という有名な映画音楽とよく似たメロディで讃美歌がア・カペラの合唱によって歌われると、俄然音楽は俗っぽいものに変わります。これがこの作曲家の持ち味なのでしょうが、なにか小手先だけで感動を引き出そうというあざとさが、チラチラと垣間見られます。
それは、この合唱団の資質によるものなのかもしれません。確かに、歌が上手な人たちが集められてはいるのですが、ピアニシモで歌っている時にはハーモニーもとてもきれいなのに、盛り上がってくるとそれぞれのソリスティックな声がだんだん目立ってきて、結果的に合唱としての重みのある盛り上がりを作ることが出来なくなっているのですよ。
2曲目の「Introit」では、「Requiem aeternam」のメロディには、酔いしれるものがあります。それが「exaudi」からは一転して激しい音楽に変わるのですが、最後にもう一度「Requiem aeternam」が繰り返されるところが、フォーレの作品の冒頭そっくりなのにはがっかりさせられます。
「Kyrie」を経て4曲目が、「戦士の詩篇」です。かなり長大なテキストなのですが、ここで作曲家は、もはやそれに美しいメロディを付けることをあきらめてしまったのでしょう。まるでラップのような、陳腐な抑揚の中にたくさんの言葉を詰め込んだ、全く魅力を感じることのできない音楽です。
「Sanctus」と「Benedictus」の後には、型通り「Hosanna」が続きます。それがなんとも大げさでハイテンションなんですね。さらに、後半にはフーガまで作られています。それがこの合唱団によって歌われると、なんともおぞましいものに変わります。
「Pie Jesu」と言えば、フォーレでもデュリュフレでもラッターでもロイド=ウェッバーでも、ソリストは女声(もしくは少年)と相場が決まっていますが、ここではなんとバリトンで歌われています。まるで女湯に飛び込んだじじい、みたい。
ハミルトンは、この「レクイエム」が委嘱された背景を考慮したのでしょうか、曲の中にさまざまな「戦争」に関するモティーフを取り入れているように思えます。1曲目の冒頭の5度跳躍は軍隊の就寝ラッパなんですって。さらに、後の曲で音楽が盛り上がる時に決まって現れるのがスネア・ドラムのロールです。気持ちは分かりますが、なんか低次元という気がしませんか?

CD Artwork © Naxos Rights Europe Ltd

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by jurassic_oyaji | 2018-01-09 21:50 | 合唱 | Comments(0)
東芝製
 我が家の冷蔵庫は、もう買ってから20年近く経っています。でも、こういうものは別にそのぐらい使ってもほとんど故障なんかしないようになっているようですから、もっと長い間使っている人も普通にいるはずです。でも、この冷蔵庫は、数年前から「冷えなく」なってきました。冷蔵庫の癖に冷えないなんて、もう冷蔵庫ではありません。まあ、程度問題ではあるのですが、真夏にアイスが融けてしまうんですから、もうダメですね。
 ということで、今年の初売りの時に、新しい冷蔵庫を買うことにしました。その時の条件としては、今まで使っていたものと使い勝手が変わらないこと、というものが挙げられていました。具体的には、一番下に冷凍庫があって、その上に野菜庫がある、という構成ですね。それが今まで使っていたもので、それに慣れていましたし、野菜庫の方が使う頻度が高いんで、それを腰をかがめずに出し入れることができるのが、ポイントでした。
 ところが、お店に行って見てみると、今ではそういうタイプはほとんどなくなっているのでした。「野菜庫は一番下」というのが、今の冷蔵庫業界のトレンドだったのですよ。
 でも、なぜか、今まで使っていたメーカーだけは、「野菜庫は真ん中」というポリシーを貫いているのでした。正直、たった20年で「冷えなく」なってしまうようなメーカーの製品は絶対に買うつもりはなかったのですが、そこしか希望するタイプのものがないのでは仕方がありませんから、それを買うことにしました。
 もちろん、持って帰るわけにはいきませんから、配達をお願いして、それがきのう届きました。今回は、その時に古い冷蔵庫を取り出して、新しい冷蔵庫を据え付けるまでのドキュメンタリーです。

 これが、古い冷蔵庫。買ったのはこれと同じ横幅で、少し高さが高くなっています。


 前もって、玄関からここまで、スムーズに運搬が出来るように、邪魔なものを全部よけておき、通路を確保しておきました。それを見て、配達の人は「これだったら大丈夫です」と喜んでいましたね。まずは、冷蔵庫を引き出して、それを前にあるシートに乗せます。

 そのまま、シートを滑らせて廊下へ向かいます。

 出口はすぐそこです。

 入れ替わりに、新しい冷蔵庫を運び込みます。ドアの間にあまり隙間はないので、慎重に運んでいます。

 それを立てて、さっきのシートの上に乗せます。

 さっきとは逆のコースで運んできます。

 元の場所に押し込みます。

 あと少し。

 ピッタリ収まりました。ここまでの所要時間はたったの7分でした。

 これが、新しい冷蔵庫です。

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by jurassic_oyaji | 2018-01-07 21:26 | 禁断 | Comments(0)
MAHLER/Symphony No.2
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Chen Reiss, Annette Dasch(Sop), Karen Cargill(MS)
Daniele Gatti/
Netherlands Radio Choir(by Klaas Stok)
Royal Concertgebouw Orchestra Amsterdam
RCO/RCO 17003(hybrid SACD), RCO 17108(BD)


ジャケットの裏を見ると、オーケストラの名前が「Royal Concertgebouw Orchestra Amsterdam」となっていますね。実は、このオーケストラは昨年の11月に来日しているのですが、その時のプログラムにも、ちゃんとその名前が印刷されていました。
昔は「アムステルダム・コンセルトヘボウ管弦楽団」と呼ばれていたオーケストラが、いつの間にか「ロイヤル・コンセルトヘボウ管弦楽団」と改名していたのですが、また「アムステルダム」を復活させることになったのでしょうか。
いや、そんなことよりも、このジャケットのクレジットでは、ヤンソンスの後任として華々しく登場したダニエレ・ガッティが、首席指揮者に就任した直後の2016年9月に行った「復活」のコンサートのライブ録音の曲目なのに、SACDとBDとではソプラノ歌手の名前が違っているということに驚いてほしいのですよ。上がSACD、下がBDです。
このように、それぞれのメディアのクレジットを見ると、同じ日に収録されていて全体の演奏時間や各楽章の演奏時間が全く同じなのに、ソプラノだけが別の人という、理解不能なことになっています。これはいったいどういうことなのでしょう。
調べてみると、このコンサートは、同じものが4日間開催されていたことが分かりました。9月の14、15、16、18日の4日です。そこでは、最初の3日間はアンネッテ・ダッシュがソプラノ・ソロとして出演していたのですが、最後の日はそれがチェン・レイスに変わっていたのですよ。オペラやミュージカルではないので、ダブルキャストということはまず考えられませんから、おそらく何らかのアクシデントのためにダッシュがキャンセルしたために、レイスが猛ダッシュで代役のために駆けつけた、というところなのでしょうね。
したがって、ここではBDの録音日のクレジットは明らかな間違いでしょう。そして、演奏時間も、トータル・タイムは88分は軽く超えていましたから、それも間違っているはずです。
そんないい加減なパッケージなのに、使われている楽譜は「キャプラン版」だ、というのはきっちりと表記されています。ということは、合唱は歌い出しの時には座ったままなのでしょう。
実は、最初はSACDだけしか買わないつもりだったのですが、それが分かったので実際に確かめてみようと、BDも購入していたのでした。このレーベルは、以前もヤンソンスの指揮での録音を出していましたが、その時にはSACDと一緒にDVDがオマケで付いていましたね。
ですから、その時もヤンソンスはキャプラン版を使っていて、合唱は最初は座って歌っていることが分かります。ただ、キャプラン版での指示(というか、注釈)は「マーラーは合唱の入りでは座ったままで歌わせた」というだけで、立ち上がるタイミングまでは分からないんですよね。ですから、同じオーケストラと合唱団でも、ヤンソンスとガッティとでは合唱が立ちあがる場所が異なっていることも分かります。今回のガッティの方が遅くて、最後のクライマックス、ホルン群のベルアップに続いてオルガンが初めて登場するところで立ち上がっています。こちらの方が、かっこいいですね。
そう、このガッティの演奏は、そんな「かっこよさ」が随所にみられる、とてもチャーミングなものです。ただ、SACDでのソプラノ、レイスは、BDでのダッシュに比べるとチャーミングという点では完全に負けてます。なぜ、SACDではダッシュのテイクを使わなかったのでしょうか。
今回、この2種類のメディアを、サラウンドで聴き比べてみました。BDはDTS-HD Master Audio 5.0(96/24)というフォーマット、SACDではサラウンドに関しては何の表記もないのですが、2チャンネルと同じ2.8MHzDSDなのでしょうね。2チャンネルでは、今まで聴いてきたどのソースでもBD>SACDだったのですが、サラウンドになるとさらにその傾向が強まっているようで、圧倒的にBDの音の方がクリアで瑞々しく聴こえます。

SACD & BD Artwork © Koninklijk Concertgebouworkest

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by jurassic_oyaji | 2018-01-06 21:10 | オーケストラ | Comments(0)