おやぢの部屋2
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BACH/St Matthew Passion
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James Gilchrist(Ev)
Stephan Loges(Je)
John Eliot Gardiner/
English Baroque Soloists
Monteverdi Choir, Trinity Boys Choir
SDG/SDG725


あの大震災からちょうど6年経った先週の土曜日には、マスメディアの世界は異様なことになっていますた。テレビでは普段は絶対に放送されないような地味なドキュメンタリー番組がのべつ放送されていましたし、ラジオではいつもならパーソナリティの男性アーティストは終始おちゃらけているものが、オープニングではくそまじめな口調で「被災地」からの手紙を朗読していたりします。そういう日なので、何か特別なことをやりたい、という気持ちは分かりますが、それが「その日だけ」に終わっているのが、とても情けないな、と思ってしまいます。その男性アーティストの場合は、曲が1曲かかった後には、何事もなかったようにいつもの調子に戻っていましたからね。大震災を「ネタ」にするのは、もうやめてほしいものです。
とか言って、実はその6年前にはガーディナーの「ヨハネ」を聴いて、大きな衝撃を受けていたと書いていたのでした。その時は、よもやそのちょうど6年後に今度は「マタイ」で同じような衝撃を受けるなんて思ってもみませんでした。
ガーディナーが手兵のモンテヴェルディ合唱団と、イングリッシュ・バロック・ソロイスツで「マタイ」を最初に録音したのは1988年のことでした。その頃はDGのサブレーベルARCHIVで進められていた、それまであったカール・リヒターによるモダン楽器、アナログ録音のバッハの宗教曲全集(選集)を、ピリオド楽器とデジタル録音で新たに作り直すというプロジェクトに邁進していたガーディナーでした。
それからレーベルも替わり、2016年にほぼ30年ぶりに録音されたのが、このCDです。この年には、ガーディナーたちは3月から9月までの間にヨーロッパの各都市を巡って「マタイ」のコンサートを16回行うというツアーを敢行していました。その途中ではもちろんバッハゆかりのライプツィヒのトマス教会でもコンサートは行われ、その2日後にはオールドバラ音楽祭で、DGのためにこの曲を録音した場所、「スネイプ・モルティングス」でのコンサートもありました。そして、そのツアーの最後を飾ったピサの斜塔で有名なピサ大聖堂での録音がここには収録されています。
衝撃は、やはり合唱によってもたらされました。今回の合唱は、DGの時の36人から28人に減っています。もちろん、30年前に歌っていた人は誰もいません。そういうことで演奏の質が変わることはあり得ますが、これはあまりにも変わり過ぎ、最初は、かつての端正さがほとんど失われていたことにちょっとした失望感があったのですが、聴きすすむうちにそれはガーディナーの表現が根本から変わっていたことによるものだとの確信に変わります。彼は、合唱には欠かせないパート内のまとまりやハーモニーの美しさを磨き上げる、ということにはもはや興味はなく、もっとそれぞれのメンバーの「心」を大切にして、それを表に出させようとしているのではないでしょうか。
その結果、まずはエヴァンゲリストのレシタティーヴォに挟まれた合唱が、その歌詞の歌い方のあまりのリアルさに、ほとんど「歌」ではなく「語り」に近いものに聴こえてきます。それは、コラールでも同じこと、こんなシンプルなメロディのどこにこれだけの情感を盛ることができるのかという切迫感、そこには驚愕以外のなにものもありません。
ここで聴ける「マタイ」は、まさに濃密な「ドラマ」、それが端的に表れているのが、イエスがこと切れた直後からのシーンです。最後のコラールとなる62番の「Wenn ich einmal soll scheiden」が、これ以上の緊張感はないというピアニシモで歌われ、あたりは静謐さに支配されます。そして突然の天変地異を受けての「Wahlich, dieser ist Gottes Sohn gewesen」という真に迫った合唱のあとは、再び平静が訪れ、アリアを経ての最後の大合唱「Wir setzen uns mit Tränen nieder」からは、すすり泣きさえ聴こえては来ないでしょうか。その曲のエンディングで現れる奇跡には、聴く者は言葉さえ失います。

CD Artwork © Monteverdi Productions Ltd

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# by jurassic_oyaji | 2017-03-18 20:41 | Comments(0)
電話もまともにかけられない老人にはなりたくありません
 お彼岸の入り日、特に緊急の仕事もなかったので定時に帰ろうとした時に、電話がかかってきました。登録していない番号だったのでとりあえず受けて「もしもし」と言ってみます。へたに名前を名乗ると面倒なこともありますからね。そうしたら、相手は大声で「※△Σ×♯◎!」とまくしたてます。これは間違い電話だな、と思って「どちらにおかけですか」と聞いても、全く聴こえていないようでひたすら大声を出し続けています。困りますね、こういうの。それが、だんだんその声の中に「仙台ニューフィル」みたいな単語が聴こえたような気がしたので、これはもしかしたら、と、「仙台ニューフィルのものです」と言ってみます。それでも、相手はこっちの声が全く聴こえていないようで、ばかでかい声で「名取の文化会館!」とか「4月23日!」とかをわめき散らしています。「お願いしたい!」なんてのも聞こえてきたので、これはチケットが欲しいのだな、という気がしました。そこで、「チケットはプレイガイドで売ってます」と言ってみました。
 そうしたら、なぜかその電話の声が突然険悪になって「おめえ、さっきからなに言ってんだ!ばかやろう!」と叫びだしましたよ。私は軽いパニック。いったい、私は何かその人に対して失礼なことを言ったりしたのでしょうか。全く心当たりはないのに、こんなに罵倒されるなんて。
 もう、こうなると、人間を相手に話しているという気がしないので、こっちも大声で「三越!藤崎!」と叫び続けましたよ。そこに行けばチケットを変えますよ、という意思表示ですね。でも相手は相変わらず「何言ってんだ!ばかやろう!」の一点張りです。
 結局「三越に行けば買えるんだな?」ということで、こちらの意志は伝わったなと安心はしたのですが、そのあと「ばかやろう!」と言って一方的に電話を切ってしまいましたね。いったいあれは何だったのでしょう。
 試しにプロファイリングしてみると、この人は男性、年齢70代、かなり強度の難聴、もしかしたら認知症の症状も。妻には先立たれ3人の子供は家に寄りつかない偏屈おやじ。かつては会社勤務で要職にあり、部下を顎で使うことに慣れている。こんなところでしょうか。
 そんな人が、ある日「ぱど」かなんかでニューフィルのコンサートのことを知り、柄にもなく行ってみたくなったのでしょう。あそこには私の携帯番号が書いてありますからね。それはそれで宣伝の効果があったということなのですから、私としては喜ばしいことなのですが、正直こんなおやじにはコンサートには来てほしくないですね。だって、まともに人の話も聴くことが出来ない人が、音楽を聴いてそのメッセージを受け取ることなんて不可能でしょ?
 あるいは、演奏の最中に大声で喚きだしたり、とか。そういえば、だいぶ前にそんな困ったお客さんがいましたね。もしかして、このおやじはそいつだったのでは。
 まあ、歳を取ればだれでも多少はわがままになって、他人の言うことは聞かないようになるものです。というより、自分の世界に入り込んでしまうというか。身近にそういう人がいるので、それはよく分かります。このおやぢはそのちょっと重症の人なのかもしれません。私だって、いずれはそんな風になってしまわないとも限りませんからね。そんなことを考えて、かなり憂鬱になってしまいましたね。
 でも、大多数の人は歳を取っても音楽を聴いて喜ぶことはできるはずです。今度職場でコンサートを開く時も、聴衆は殆どがご高齢の方ですからね。ですから、もちろんいい加減な演奏をお聴かせするわけにはいきませんから、最高の演奏家(合唱団)と、最高の楽器を用意することにしています。そのために、わざわざグランドピアノを調達したことは前にも書きましたね。その話がだいぶ固まってきて、ピアノと合唱の位置を決める必要が出てきました。ピアノは畳の上にコンパネを2枚敷いてその上に設置するのですが、コンパネの大きさはピアノの大きさしかありませんから、一度置いたらあとは動かすことはできません。ですから、前もってピアノの場所だけは確定させておく必要があるのです。そんな話を先方としていたら、実際に現地で検討することになり、その合唱団から団長さんと指揮者の方が職場までいらっしゃることになってしまいました。なんか、雲の上の人ですから、緊張しますね。
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# by jurassic_oyaji | 2017-03-17 22:06 | 禁断 | Comments(0)
phase 4 stereo spectacular/nice 'n' easy
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Various Artists
DECCA/483 0525


以前こちらでご紹介したDECCAの「フェイズ4」ボックスの続編です。こちらはクラシックではなく、タイトルにあるような「イージー・リスニング」系のミュージシャンのアルバムが集められています。この、当時は画期的といわれていた録音方式によるレコードは、そもそもはこういうジャンルのために開発されたものですから、こちらの方が「先」にあったのですが、なぜかクラシックより「後」に出ることになりました。
今となってはごく当たり前のマルチトラックによるレコーディングですから、正直、録音面からは、今これをわざわざ聴くという価値はほとんど見出せません。それでも、当時は確かに輝いていたアイテムが、全部でアルバム50枚分も、当時の価格の1/10以下の値段で手に入るのですから、これはそそられます。
登場するアーティストは、ロニー・アルドリッチ、スタンリー・ブラック、フランク・チャックスフィールド、テッド・ヒース、マントヴァ―ニ、エリック・ロジャース、エドムンド・ロス、ローランド・ショーといった面々です。かつては一世を風靡した人たちばかりですが、今ではすっかり忘れ去られているのではないでしょうか。
最後のローランド・ショーは、フランク・チャックスフィールドの「引き潮」などが入ったアルバムでのアレンジャーを務めていた人ですね。その、1964年にリリースされた「Beyond the Sea」というアルバムは、1965年の「The New Limelight」というアルバムとで「2 on1」の1枚のCDに収まっているのですが、ジャケットはダブル仕様で両方のものが印刷されているといううれしい扱いです。ただ、このCDでは、ブックレットのトラック表示が、それぞれ別のアルバムのものに入れ替わってるという痛恨のミスプリントが。
このように、収録時間の短いもの20枚が、そういうダブルジャケットに入って10枚のCDになっているほかは、全て表裏オリジナルジャケット仕様の紙ジャケに1枚ずつ入っています。
録音されたのは1961年から1975年まで、クレジットを見るとプロデューサーはトニー・ダマト、エンジニアはほとんどアーサー・バニスターとアーサー・リリーという二人が担当しているのが分かります。実は、この人たちはクラシック編でもほとんどのアルバムの制作を担当しているのですよ。ストコフスキーの「シェエラザード」もトニー・ダマトとアーサー・リリーが担当していますから、あんな音になっていたのは納得です。今回のボックスでの弦楽器のわざと歪ませたのではないかというほどのザラザラした音は、ジャンルを問わずに彼らのポリシーとなっていたのですね。
ですから、この中ではあまりストリングスが活躍していないエドムンド・ロスあたりが、サウンド的にはとても気に入りました。この人はバンドマスターだけではなく、歌も歌っていたのですね。ゲストにカテリーナ・ヴァレンテを迎えたアルバム「Nothing But Aces」などは最高です。
フランク・チャックスフィールドのビートルズ・アルバムでは、ジャケットが素敵ですね。録音されたのは1970年1月、前年の9月末にリリースされたばかりの「Abbey Road」からのナンバーがすでにカバーされています。
DECCAの看板スターだったマントヴァーニは、ここには1枚しか入っていません。どうやら、彼がDECCAに残した膨大なカタログの中で「フェイズ4」で録音されたものは、この「キスメット」というミュージカル・アルバムしかなかったようですね。
1953年にブロードウェイで初演され、1954年には映画版も作られたというこのミュージカルは、アラビアあたりを舞台に全編ボロディンの作品の素材を使って作られたものです。この中で歌われる有名な「Stranger in Paradise」というナンバーは、「ダッタン人の踊り」がそのまま使われている曲だったんですよ。それを全曲、こんなところで聴くことが出来るなんて。ここでは、ジョン・カルショーとは別のアプローチで「ステージ」を再現させている試みが見られます。

CD Artwork © Decca Music Group Limited

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# by jurassic_oyaji | 2017-03-16 21:04 | ポップス | Comments(0)
名取のタウン誌にも掲載されます
 ニューフィルのコンサートの企画書を送っていたフリーペーパーなどからは、この間中掲載記事のゲラなどが送られてきていました。それの実物の第1号が届きました。
 まあ、こんな感じで、これからは多くのメディアで紹介されるはずですから、各種フリーペーパーは捨ててしまう前にチェックをしてみてください。とは言っても、これも前もって言われてなければ絶対わからないような小さな記事なんですけどね。
 日曜日のコンサートは、Facebookに写真をアップしたりしたら、かなり反響があったようですね。というのも、最近ではこちらで何もしなくても、勝手に私の「お友達」の顔を認識して、それが写っている写真にタグ付けしてくれるもんですから、そのタグ付けされた人のFacebookからも反応があったからなんですけどね。それはそれでありがたいことではあるのですが、以前は私が自分でタグ付けをしないと、決してこんなことにはならなかったような気がするのですけどね。というか、実際にタグ付した人からちょっと不都合なことがあるので、タグを解除してほしい、というような申し入れもあったりしましたから、それ以来、私は決してそういうことはしないようにしていたのに、今では有無を言わせずタグを付けられるようになってしまっています。
 もちろん、それは私が解除することは簡単で、実際、写っていない人の名前があったのでそれは削除しましたけど、今度は逆に削除して恨まれる、みたいなこともないわけではないでしょうから、本当に困りますね。
 それと、コメントも私にではなく、タグ付けされた「お友達」に対するものが寄せられることもありますから、その対応もなかなか難しいものがあります。まあ、コメントの内容で大体分かることなのでしょうが、それも微妙なものがありますからねえ。とは言っても、こんなことでコンサート自体の話が盛り上がって、次は聴きに行きたいな、と思う人が出てきたりしたら、それはそれでありがたいことですね。
 この時の録音は、一応チェックしたら最後まで何の事故もなくきちんと録れていました。それで、火曜日にはまた顔を合わせることになる人のために、すぐ編集作業を始めることにしました。こういうことはできる時にやっておかないとなかなかできないものですから。
 いつもは、会場で録音されたCDを元に編集するので、邪魔なものはほとんど入っていませんから、単純に曲ごとに分割するだけでいいのですが、今回は私がスタートボタンを押さなければいけなかったので、結構要らない部分が入っています。それと、普通は入っていないオープニングの陰アナもちゃんと録っておきましたから、それも含めて編集しました。余計な部分をカットする時も、ただカットしただけだと切れ目が分かってしまうので、その前後にきちんとフェイド・インとフェイド・アウトを入れて、絶対に分からないように仕上げましたよ。
 そうやって、楽章ごとにファイルが出来たら、それをCDに書き込むだけです。1枚では収まらないので、2枚使うことにしましょう。それはマエストロに渡す分だけでいいのですが、なんか1枚だけ作るのも、数枚作るのは手間は一緒なので、その他にすぐもらえたら喜ばれそうな人のためにもう何枚か焼いておきました。そうしたら、それをただ渡すのもちょっとさびしい気がしてきたので、この間ソフトケースに移した2枚組用の空のCDケースに収納して、ついでにインレイとジャケットを作って、本物のCDみたいにしてみましたよ。インレイには曲目リスト、ジャケットはN岡さんが撮ってくれた写真にタイトルを入れたものです。
 それをきのうのニューフィルの練習の時に配ったら、やはり大好評でした。今日になって、写真を撮っておけばよかったな、と後悔しています。私の手元には、音源はハイレゾとCDフォーマットの2種類が残りましたが、フィジカルなCDはもうありませんでした。
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# by jurassic_oyaji | 2017-03-15 22:28 | 禁断 | Comments(0)
ELGAR/Cello Concerto, TCHAIKOVSKY/Rococo Variations
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Johannes Moser(Vc)
Andrew Manze/
Orchestre de la Suisse Romande
PENTATONE/PTC5186 570(hybrid SACD)


エルガーのチェロ協奏曲の2016年の6月に録音されたばかりのSACDがリリースされました。おそらく今現在では最も新しいものと言えるがー
今回の録音でのソリストは、1979年に、ドイツ人とカナダ人の音楽家同士の家族に生まれたヨハネス・モーザーです。2002年のチャイコフスキー・コンクールのチェロ部門では1位なしの2位という最高位を獲得しています。それ以降、世界中の有名オーケストラ、大指揮者との共演を果たしている、人気チェリストです。
このアルバムでは、エルガーの他にチャイコフスキーの「ロココ風の主題による変奏曲」と、あと3曲、チェロとオーケストラのための作品が演奏されています。そのうちのオリジナルは「カプリッチョ風小品」だけですが、「夜想曲」と「アンダンテ・カンタービレ」はチャイコフスキー自身が自作を編曲したものです。
つまり、チャイコフスキーには最初からこの編成で作られた作品が2曲ある、ということになります。しかし、その最も代表的な「ロココ」にしても、現在普通に演奏されているのは実際はチャイコフスキーのオリジナルではありません。いや、正直言って、このSACDでわざわざ「オリジナル版」と書いてあったので、初めてそのことを知ったのですけどね。
例えばあのロストロポーヴィチあたりが使っていたのは「フィッツェンハーゲン版」と呼ばれている楽譜でした。これは、この作品を献呈され、初演も行ったチェリスト、ヴィルヘルム・フィッツェンハーゲンが「改訂」した楽譜です。彼が行った改訂では、チャイコフスキーのオリジナルの曲順が大幅に変更されています。その結果、本来あった8つ目の変奏がカットされて、主題と7つの変奏の形になっています。主題では、前半と後半をそれぞれリピートさせて、テーマをより強く印象付ける工夫がなされましたし、変奏も派手なものを最後に持ってきて、とても分かりやすいクライマックスが味わえるようなものになっていました。
出版も、フィッツェンハーゲンが主導権を取って行ったため、彼の改訂が反映されたものしか、世の中には出回りませんでした。かくして、この作品はこの改訂版の形態がほぼ確定されてしまって、これで多くの人の耳に届くことになってしまいました。1950年代になって、やっとオリジナルの楽譜も出版されるようになりますが、やはり今までの慣習には逆らえなかったのと、その出版の際にはスコアだけでオーケストラのパート譜などはなかったために、このオリジナル版はなかなか実際に演奏されることはありませんでした。それが、この作品を課題曲としているチャイコフスキー・コンクールで、2002年からは「オリジナル版に限る」という指定がなされたのです。
2002年といえば、このアルバムのソリスト、モーザーが最高位を取った年ですよね。ですから、彼はここでもその「オリジナル版」を演奏しています。調べてみたら、すでにジュリアン・ロイド・ウェッバーやスティーヴン・イッサーリスなど、多くのチェリストがこの版での録音を行っていました。
初めて聴いたこのオリジナル版、確かに今まで聴きなれたものとは全然異なる印象を与えられるものでした。それは、フィッツェンハーゲン版では最後に置かれていたとても派手な「第7変奏」は、オリジナルではもっと前に置かれていた「第4変奏」だったというあたりで、かなりはっきりしてきます。そして、オリジナルでの終わり方は、フィッツェンハーゲン版では3つ目に置かれていた、ゆったりとした変奏曲のあとに、カットされていた軽やかな「第8変奏」を経て、コーダになだれ込むという形、こうすることで、より中身が深くなったように感じられます。もはや、「改訂版」を演奏し続ける理由は何もないことが確信できるのではないでしょうか。
肝心のエルガーは、デュプレを聴いてしまうとあまりにあっさりしているように感じられます。

SACD Artwork © Pentatone Music B.V.

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# by jurassic_oyaji | 2017-03-15 00:15 | オーケストラ | Comments(0)