おやぢの部屋2
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STRAVINSKY/The Rite of Spring
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The Bad Plus
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アメリカのジャズ・トリオ「ザ・バッド・プラス」が演奏した、ストラヴィンスキーの「春の祭典」です。詰め物をしているわけではありません(それは「パッド・プラス」)。このトリオの中心的なメンバーはベーシストのリード・アンダーソン(左)。彼はもちろんベースを演奏していますが、それだけではなくこのアルバムのクレジットでは「エレクトロニクス」という肩書もついています。そこに、共にスキンヘッドの、ピアノのイーサン・アイヴァーソン(右)と、ドラムスのデヴィッド・キング(中央)が加わります。
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ジャズ版の「春の祭典」と言えば、昔からヒューバート・ロウズのバージョンなどがありましたが、今回のものはそれとはちょっとコンセプトが異なっています。ロウズのものはまさに「ジャズ」、オリジナルのテーマを用いて自由なインプロヴィゼーションを行うものですから、それはストラヴィンスキーが作ったものとは全然別な仕上がりになっていますが、こちらは基本的にその「ストラヴィンスキー・バージョン」に忠実な進行を保っています。種明かしをすれば、ここではストラヴィンスキー自身が作った4手のためのリダクション・スコアをそのまま演奏しているのですね。骨組みはあくまでオリジナルそのもの、そこに、ほんの少しアレンジを加えている、というだけのことなのです。
いや、「ほんの少し」というのはあくまで言葉の綾でして、それは単にオリジナルの持つ時間軸を決して逸脱しない、というほどの意味なのですがね。ということは、厳密な言い方をすればこれはもはや「ジャズ」ではないということになります。そのようなチマチマしたカテゴライズからは外れた、たとえばクラシックの用語を使えば「変容」とでも言えそうなスタイルを持ったものでした。
とは言っても、「イントロダクション」では、かなりとんがったことをやっています。まず聴こえてくるのは「心音」でしょうか、低い「ザッ、ザッ」とういうパルス、そこにLPレコードのスクラッチ・ノイズが重なってなんともダークな雰囲気が漂います。このあたりが、「エレクトロニクス」の領域になるのでしょう。ずっとバックで聴こえていた「C」の電子音を受けて生ピアノが同じ音で何度かそれを繰り返し、それがそのままファゴットのオープニング・テーマになるというかっこよさです。その先は音符的には楽譜通りのことをやっているのですが、それを富田勲風の電子音やホンキー・トンク・ピアノのサンプリング、変調されたピアノの音などで「演奏」しているので、なんとも「前衛的」な世界が広がります。フルートのフレーズが吹きあがる前の一瞬の間に「ハッ」という息を吸う音が入るのが、素敵ですね。
しかし、「春の兆し」に入ると、編曲自体は結構「まとも」になってきます。ただし、ピアニストは一人しかいないのに、ピアノの音は左右からそれぞれ別のパートが聴こえてきますから、おそらく多重録音でイーサンが二人分を演奏しているのでしょう。そこに、ベースも即興的な低音だけではなく、スコアから拾ったメロディ・パートも演奏していますから、実質「3人」によるアンサンブル、そこにドラムスがリズムを刻む、というやり方で、音楽は進んでいきます。
ただ、時折ジャズメンならではの「意地」みたいなものも聴こえてきます。「春の兆し」の冒頭で、本来は弦楽器で奏される、不規則なアクセントのついたパルスなどは、1回目はしっかりクラシカルな均等のビートなのに、2回目になるとわざとフェイントをかけたような「ダル」な演出が加わります。とは言っても、最後の「生贄の踊り」の変拍子の嵐になってくると、もう楽譜通りに演奏するだけで精一杯のような感じ、なんだか、もう種も尽きた、ということでしょうか。それでも、最後に延々とコーダを引き延ばすあたりが、精一杯の「意地」なのでしょう。ストラヴィンスキーって、結構すごいことをやっていたのですね。

CD Artwork © Sony Music Enterrtainment
# by jurassic_oyaji | 2014-08-26 22:26 | ポップス | Comments(0)
三善晃とエルガー
 きのうとおとといの指揮者練習の時には、東京では「遠い帆」の上演があったのですね。会場は新国立劇場、大ホールではなく中ホールですが、仙台発のオペラが数年前の「鳴砂」に続いて、この「オペラのメッカ」で上演されるというのは、ちょっとすごいことではないでしょうか。実は、この「遠い帆」の新しいプロダクションをまず仙台で上演した時には、こちらに書いたようにちょっと言葉が聴こえにくかったことが気になっていました。そこで、その中で「ぜひ字幕を付けてください」という提言を行っていたのですね。それは、合唱指揮者の一部の方には伝わっていたようなので、東京ではどうなったのか、気になっていました。それこそ指揮練がなければ東京まで行って実際にその模様を見てみたいぐらいでしたから。
 その東京公演が無事終了し、それに対する記事やコメントがネットに現れるようになると、この「字幕」に関しても情報が得られました。どうやら、東京ではしっかり字幕を使っていたようなのですね。まあ、私の書いたことが、その実現になにがしかの影響があったと思うことにしましょう。まあ、ネットでは「日本語のオペラに字幕が付いて悲しくなった」などという、それこそ「悲しくなる」ような書き込みもあったようですが、これはオペラというものを知らない人の言い分ですから無視しても構いません。この作品のメッセージをきちんと伝えるための方策を講じてくれた東京公演のスタッフには、「よくやった!」と言ってあげたいと思います。というか、字幕付きの「遠い帆」を、ぜひ体験してみたかったものです。
 そういえば、 同じ時に仙台で行われていた橘さんの練習会場には、こんなものがいつの間にか壁にくっついていましたが、これってもしや「字幕機」?
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 その指揮者練習、2日目にもエネルギッシュに進められました。まず、ラフマニノフから始まったのですが、今回はちゃんとピアノ・パートを弾く方が用意されていました。なんでも、団員の知り合いの娘さんが音大でこの曲を勉強しているところだったということで、お願いしてあったのですね。いやあ、とても素敵なピアノでした。こんな難しい曲を大学生が軽々と弾きこなせるような時代なんですね。そういえば、私の知り合いだけでも何人かお子さんを外国に留学させている人がいるぐらいですから、今の若い人の音楽的なレベルはとんでもないことになっているのでしょうね。
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 ですから、バックのオケはそのピアノを聴きながら、とても納得のいく練習ができました。本来はこういうものなのですから、カラオケだけを汗水たらしてやるのはなんか辛いものがありますが、まあこれは「月に一度の贅沢」ということで、この感じを思い起こしながらひたすらモゾモゾという練習を繰り返さなければいけません。
 実は、前の日にエルガーの練習が始まった時には、橘さんは開口一番「よくぞ、これを選んでくれました」と、「エニグマ」のスコアを捧げ持っていました。本当に好きなんですね。ですから、もう本当に愛情あふれる練習ぶり、とても中身の濃いものになっていました。そして、その夜の歓迎会では、しっかり「今度共演する時には、エルガーの『交響曲第1番』」ということになっていました。それが「伏線」となって、次の日の練習での「エニグマ」では、「こういう部分が交響曲第1番に出てきますから、(次回のために)きちんと練習しておいてくださいね」ということになります。歓迎会に出ていない人たちは、いったいなんのことだろうと思ったでしょうね。このフレーズが、その後いったい何度繰り返されたことでしょう(笑)
# by jurassic_oyaji | 2014-08-25 20:50 | 禁断 | Comments(0)
HERZOGENBERG/Totenfeier・Requiem
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Franziska Bobe(Sop), Barbara Bräckelmann(Alt)
Maximilian Argmann(Ten), Jens Hamann(Bas)
Matthias Beckert/
Monteverdichor Würzburg
Thüringen Philharmonie Gotha
CPO/777 755-2(hybrid SACD)




この前のヘルツォーゲンベルクの合唱曲に続いて、彼の「葬送」がらみの作品が全て収められている2枚組SACDです。それは、1890年に作られた「レクイエム」、1892年に作られた「葬礼」、そして、1895年に作られた「埋葬の歌」の3曲です。それぞれに、作られた動機も、そして用いられているテキストも全く異なるものが、彼の晩年に2~3年ずつの間隔をおいて作られたというのは、なんとも不思議な因縁です。
おそらく、「死者を悼む」という意味からは最も重要なものは、1892年の「葬礼」ではないでしょうか。それは、この年の1月に、44歳の若さで亡くなってしまった彼の妻のエリザベートのために作られたものなのですからね。ブラームスの弟子でもあったエリザベートは、夫の作曲活動にも多大の協力を惜しみませんでした。そんな大切な伴侶の突然の死に臨んで、ヘルツォーゲンベルクはいたずらに嘆き悲しむようなことはなかったそうなのです。そうではなく、彼女の想い出を、しっかり音楽の形にして、永遠の生命を持たせるように、と考えたのですね。なかなかできることではありません。そこで彼は、まず、彼女の助言を受けて作っていた作品を仕上げたり、彼女自身が作曲したピアノ作品のスケッチを校訂したりします。
そして、彼女の一周忌を迎えるまでに、と、この「ソリスト、合唱、管弦楽とオルガンのための『葬礼』」の作曲に着手するのです。これは、彼が聖書から選んだドイツ語のテキストが用いられ、音楽はバッハの大規模なカンタータ(全体が2部に分かれています)のスタイルを取り入れています。最初は「葬送行進曲」と題された合唱、それに続いてバス独唱によるレシタティーヴォとアリア、といった具合ですね。そのあとに、ボーイ・アルトのソロと合唱の応答という、ちょっとユニークなものが挟まり、第1部の最後を飾るソプラノ・ソロと合唱になります。その時の歌詞が「私は復活であり、生命である」というもの、ここには、確かに彼の妻に対する思いがしっかりと表れています。
続く第2部でも、合唱ではなくソリストの四重唱で歌われるちょっと民謡っぽい曲のバックにトランペットで静かにコラールが流れたり、ソプラノのアリアでは伴奏で小鳥のさえずりが聴こえてきたりと、最後までのどかで穏やかな風情、まさに天国で過ごしている妻の幸せな姿を思い浮かべているような音楽です。
その2年後に心不全で急死したのは、まだ52歳だったヘルツォーゲンベルクの盟友(ライプツィヒのバッハ協会をともに創設)フィリップ・シュピッタでした。その翌年に墓石を建立するにあたって、その屋外でのセレモニーのために作ったのが、「テノール・ソロ、男声合唱とブラス・バンドのための『埋葬の歌』」でした。ほんの5分程度の短い曲で、テキストはヘルツォーゲンベルク自身が書いています。それも彼の心がしっかりと込められたものでした。
お目当ての「レクイエム」は、実はそのような追悼の対象のないところで作られています。モーツァルトなどの先人にならって、あくまで「シンフォニックな宗教曲」を作りたい、という欲求を満たすためだけに作られた曲ですから、ラテン語の典礼文をテキストに用い、型どおりの手続きは踏んでいても(それにしてもオーケストラのイントロは長すぎ)なにか心に迫るものがほとんど感じられません。それを助長しているのが、ここで歌っている合唱団のあまりの無気力さ。正直、こんな型どおりの音楽を、こんな退屈な演奏で聴き通すには、かなりの忍耐力が必要なのではないか、という気がします。ソリストが入っていれば、多少のアクセントになったはずなのに、合唱とオーケストラだけで演奏するスコアですからどうにもなりません。
確か、これはSACDだったはずですが、録音会場の教会のアコースティックスのせいか、そのメリットも全く味わうことはできません。

SACD Artwork © Classic Produktion Osnabrück
# by jurassic_oyaji | 2014-08-24 19:28 | 合唱 | Comments(0)
「マタイ」と「エニグマ」
 今日は、長い一日でした。というか、これを書いている時点で、もう「明日」になってますね。
 本来、今日はニューフィルの指揮者練習の1日目でした。ところが、数週間前、たしか3年前でもうお役御免となったはずのさる教会の音楽部長から、今年は夏に「マタイ」をやることになったのだが、管楽器が揃わないのでぜひ出てほしいという連絡がありました。もちろん、その本番はもろに指揮練とぶつかっているので、即断るつもりでしたが、その中で「49番のソロをぜひ吹いて頂きたい」というのですね。これには、ちょっと心を動かされましたね。確かに、このソプラノソロのフルート1本で演奏するオブリガートは、フルーティストであればぜひ一生に一度は演奏したいと思っているものですから、そんな機会があればそれを断るのはバカです。まんまと口車に乗ってしまい、いつの間にか指揮練の代吹きの手配を終わらせて、その「マタイ」への出演を承諾していましたよ。幸い、ちょっと外せない「エニグマ」は後半の予定だったので、前半の時間に「マタイ」、それが終わったらニューフィルに駆け付けるという、とんでもないスケジュールが出来上がってしまいました。
 練習は前の日に1回だけ、行ってみたら、管楽器は私一人しかいませんでした。もう一人のフルートは当日しか来れないということですが、それでもフルート2本、まあ、これは前に出た時にも経験した編成ですから、前もっとオーボエのパートも練習して行って正解でした。ということで、オーボエのオブリガートも引き受けて、全部で5曲のアリアのうちの3曲のオブリガートを私が演奏することになってしまいましたよ。もちろん、そのうちの1曲は49番の「Aus
Liebe」です。
 そして、本番のリハーサルは10時過ぎから。もう一人のフルートは前にも一緒にやった人で、どこまで出来るかは完璧に把握出来ていますから、極力出来ないところは無視するという方針で、ストレスからは逃れて、自分のパートに集中です。でも、まあ予想以上に頑張っていたので、少しは助かりました。

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 お昼ご飯は、こんな感じ、その間にみんなが自己紹介などをしていたら、昔の合唱仲間が私のフルートを初めて聴いて、なんだかとても感心されてたようですね。
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 本番はこんな感じ、これも、合唱時代の知り合いがビデオ担当だったので、カメラを渡して撮ってもらいました。合唱がだいぶ人数が増えていたので、なかなか聴きごたえがあったのではないでしょうか。それにしても、この曲をフルートだけで吹くのは無謀です。というか、こんなことを引き受けられる人は、なかなかいないのでしょうかね。私は、念願のソロが吹けたので、もうこれで十分です。いい思い出になりました。
 それが終わって、旭ヶ丘に走ったら、まだラフマニノフをやっている途中でした。もう代吹きの人に任せているので、私は客席で聴いたり写真を撮ったり、こんなこともなければ出来ないことに励みます。
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 エルガーは普通に参加です。やはり、こうしてみると、当たり前ですがニューフィルのアンサンブルは素敵ですね。さっきまでやっていたのはいったい何だったのか、という思いに駆られてしまいます。やはり、私の居場所はここしかありません。
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 練習後は、恒例の指揮者の歓迎会にも出席しました。翌日のこともあるので、まあ10時ごろにはお開きになるだろうと思っていたら、結局11時過ぎまで盛り上がっていましたね。ほんと、長い1日でした。
# by jurassic_oyaji | 2014-08-24 00:45 | 禁断 | Comments(0)
WAGNER/Orchestral Works and Arias
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Heidi Melton(Sop)
Paul Daniel/
Orchestre National Bordeaux Aquitaine
ACTES SUD/ASM 22




おそらく、勘違いだったのでしょう。このアルバムのレーベルと品番を見たときに、これはあのロトとレ・シエクルの新しい録音か何かだ、と思い込んでしまったのですね。そこで中身も確かめずに注文したら、こんな予想もしないものが届いてしまった、というわけです。
それは、B6版のハードカバーの書籍そのものでした。AVではありません(それは「ハードコア」)。なんだか、絵本か写真集のようですね。確かに「写真」はたくさん載っています。でも、それは楽器を持ったオーケストラのメンバーの写真。最後の方のページには、そのオーケストラのメンバー表らしきものがありますから、やはりこれは本のような体裁で作られたCDのジャケットなのでしょう。
その「容れ物」があまりに立派なので、もしかしたらCDなんかは入っていないのではないか、とさえ思ってしまうぐらいですが、それは一番あとのページに「袋とじ」になって入っていましたから、ご安心ください。
しかし、このフランスのレーベルによる「CD」は、完璧に全編フランス語で押し通していますから、いったいどのような意図でこんなCDを制作したのか、というようなことが、そのライナーノーツからは殆ど読みとれないのが悔しいところです。ドイツ語だったら半分、英語ならもちろん全部分かるのですが(え?)。
どうやらこれは、昨シーズンから音楽監督となったポール・ダニエルにひきいられたフランス国立ボルドー・アキテーヌ管弦楽団(2008年に、「ラ・フォル・ジュルネ」で来日してるそうです)が、ソプラノのハイディ・メルトンを迎えてワーグナーの作品を演奏したコンサートのライブ録音のようでした。取り上げているのは「タンホイザー」、「トリスタン」そして「神々のたそがれ」で、それぞれオケだけの曲を1曲と、エリーザベト、イゾルデ、ブリュンヒルデのソロを歌うという趣向です。
さらに、たくさんの写真は高名な写真家の作品なのだそうで、リハーサルの合間のオーケストラのメンバーの「打ち解けた」様子がとてもリアルに撮られています。というか、それらは「音楽家」というよりは、その辺のただのおじさん、おばさんというノリで談笑しているところを不覚にも撮られてしまった、というような気さえするものでした。
そんな中に、日本人らしい人を発見。写真に写っているのはチェロ、ヴァイオリン、チューバですが、メンバー表によるともう一人ヴィオラにもいるようです。特に、チューバの「ミズナカ」さんというのはかなり有名な方で、佐渡裕の番組でも紹介されていたようですね。
ライブ録音のせいでしょうか、なにか弦楽器が引っ込んでいるような録音状態が気になりますが、最初の「タンホイザー」ではもちろん「パリ版」を使用、序曲に続いて「バッカナール」が演奏されています。こういうものこそ、このオーケストラだったら嬉々としてやりそうなものですが、なんだか乗りが悪いのはどういうわけでしょう。しかし、メルトンの「殿堂のアリア」が始まったとたん、まわりの空気がグッと引き締まります。なんという存在感のある声。これは間違いなくワーグナーには最も適した声です。それが、適度に力を抜いて、肝心のところでは思いきりヘビーに迫るという「賢い」歌い方をしてくれるのですから、たまりません。もちろん、イゾルデもブリュンヒルデも、今までになかったようなキャラクターで絶妙に迫ってくれました。これが聴ければ、多少オケがへなちょこでも大丈夫です。
いや、このオケ、盛り上げてほしいところで各セクションがバラバラの方を向いているものですから、ワーグナーらしいクライマックスが作れないんですよね。ただ、さっきの「ミズナカ」さんのチューバだけは、「黄昏」の「葬送行進曲」ではバリバリ聴こえてきますから、とても気持ちがいいのですけど。


CD Artwork c Actes Sud/Opéra Nationl de Bordeaux
# by jurassic_oyaji | 2014-08-22 22:52 | オーケストラ | Comments(0)