おやぢの部屋2
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Schubert Songs




Peter Schreier(Ten)
András Schiff(Pf)
WIGMORE HALL/WHLive0006



ウィグモア・ホールのライブ録音シリーズ、新録音だけだと思っていたら、「Archive」ということで、昔の貴重な音源も混ざっていたのですね。この、ペーター・シュライヤーという、いつもきちんとブローをしてヘアスタイルには気を使っている名テノール(それは、「ドライヤー」・・・ちょっと引っ張りすぎ)のリサイタルも、そんな一例です。64歳となった年、1999年には「歌手」としては引退することになるシュライヤーが、その8年前、1991年の7月1日に行ったリサイタルをBBCが録音、放送したものが、このCDの音源です。
シュライヤーの声は、「リリック・テノール」と呼ばれる、細やかな情感を伝えるには最も適したものです。それは、特にモーツァルトのオペラでは最高の成果をもたらしています。声の甘さからいったらもっと魅力的な人はいるのかも知れませんが、テキストの内容を的確に表現する力からいったら、彼ほどのドン・オッターヴィオやタミーノはかつては存在してはいなかったはずです。特に、ソット・ヴォーチェで歌われた時に広がる高貴な世界といったら、まさに「至芸」の趣さえ漂っていました。それと同時に、ヴァーグナーあたりではローゲやミーメといった一癖も二癖もある性格的なキャラクターにこそ、彼の資質は結実していたのです。これも、テキストに対する深い洞察がなせる業でしょう。
今回のCD、一応あのトニー・フォークナーがリマスターを行っていますが、元々は放送用の音源ということで、声もピアノも少し潤いの乏しい音になってしまっているのが、ちょっと残念なところでしょうか。しかし、そんな録音上のクオリティの低さも、コンサートの雰囲気が手に取るように伝わってくるという「記録」としての側面が強調されているものと受け取れば、それほど気にはならなくなってきます。事実、最初に演奏された「白鳥の歌」の1曲目「愛のたより」(ここでシュライヤーは、出版された順序に演奏しています)が終わったあとの、何とも言えない安堵のため息のような客席のどよめきは、このコンサートの密度の高さを端的に伝えてくれるものでした。それほどの緊張感を強いられるほど、シュライヤーの歌には、最初から高いテンションが宿っていたのです。
さらに、4曲目の「セレナーデ」の、甘さとは全く無縁の、まるで突き放すような厳しさはどうでしょう。それはまるで、歌詞の中にある「愛の痛みLiebesschmertz」を訴えかけるような厳しさです。単なるナンパの歌だと思っていたこの曲の中にこんな歌詞があったことに初めて気づかされたぐらい、これは恐るべき演奏です。こういうものを聴く事によって、私達はシュライヤーの最大の特質が、言葉と音楽の極めて高い次元での結びつきである事をいやでも知る事になるのです。
この曲集の最後の「ドッペルゲンガー」では、その幅広い表現力に改めて感服させられます。ここには、それこそタミーノの持つノーブルなたたずまいから、ミーメが演じる絞り出すような苦悩の世界までが凝縮されている事を感じないわけにはいきません。そして、それをその場で聴いている人たちが、その余韻を、ピアノの音がダンパーで消されるまで固唾をのんで味わっている様も、ここには生々しく「記録」されているのです。
ピアノのシフの、シュライヤーにピッタリ寄り添うサポートも、驚異的です。ある瞬間、ピアノの音が全く聞こえなくなり、人の声でもピアノ伴奏でもない一体化した音のかたまりが聞こえてきた事があったのを、確かに体験する事が出来たぐらい、それは完璧な「伴奏」でした。
おそらくアンコールなのでしょう、最後に歌われた「ミューズの子」で見せた、まるで全てのものが吹っ切れたような開放感は、逆にそこに至るまでの緊張感の大きさを感じさせるものでした。そのあとに訪れる盛大な拍手が、この夜のリサイタルの充実度を物語っています。
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# by jurassic_oyaji | 2006-06-18 19:58 | 歌曲 | Comments(0)
ALWAYS 三丁目の夕日disc2
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 おととい届いた「三丁目」のDVD、「禁断」を書いた時にはまだメイキングの一部しか見ていなかったのですが、それから全部きちんと見て、すっかりハマってしまいましたよ。あの時にはまだ見ていなかった「オープニングの秘密」みたいなタイトルが、すごいものでした。前にこの映画を見た時にも書いたのですが、このワンカットで延々と続くオープニングがものすごいインパクトを持っていたものですから、この部分を見ただけでもう完全に「三丁目」ワールドの引き込まれてしまいましたよ。ですから、当然これは最初からねらって作った物だと思っていたのに、意外にも監督の山崎さんは、当初はこんな風にすることは全く考えていなかったそうなのですね。ここをワンカットにする事を提案したのは阿部さんというプロデューサーの人、現場のスタッフは絶対不可能なことですし、出来たとしても、手間をかけたほどの効果もないということで断固反対するのですが、阿部さんはとことんワンカットにこだわったということだったのですね。この阿部さんというのは1949年生まれ、まさに、この映画の時代をリアルタイムに生きた人ですから、どうしても最初のツカミにこのシーンが欲しかったのでしょうね。決定的だったのが「出来ないのなら仕方ない」みたいな彼の言葉だったのも、面白いですね。監督の山崎さんは本来VFXの人ですから、技術者としてのプライドに火がついて、「やってやろうじゃん」ということになったのだそうです。もちろん、この阿部さんのこだわりが確実な効果を発揮していたのは、ご存じの通りです。
 本編の方には、DVDならではの音声メニューのバラエティがなかなかのものでした。見たいと思っている殆どの作品はBSで見ることが出来ますから、今回のようにDVDを買うことなどまずないので、最近のこういう周辺の「おまけ」については全く知らない世界だったのですが、けっこうすごいことになっているみたい、英語の字幕が出せたりもするのですね。そして、一番面白かったのが、「映画館泣き笑いバージョン」という音声トラックです。これは、実際に映画館で見ているかのように、まわりの人の笑い声や、すすり泣きの声がダビングされたものなのです。と言うと、まるで「フレンズ」のような、アメリカの「シット・コム」みたいに、いかにもパターン化された馬鹿笑いを連想するかも知れませんが、これが本当に共感できる「SE」だったものですから、一緒になってつい笑ったり、そして泣いたり。エンドロールが終わったら、今度は拍手と歓声まで入っていましたよ。ほんと、かつての映画館では、確かにこんな拍手が巻き起こる状況が成立していたそうですからね。私は知りませんが、例えば月光仮面がオートバイに乗って現れると、見ていた人が一斉に拍手をしたとか、スクリーンの中の虚像ですらリアリティを持って接していた時代というのが、確かにあったそうなのです。ですから、これはもしかしたら、そんな「昭和30年代」をさりげなく再現したものなのかも知れませんね。
 この中には時間的な制約でカットせざるを得なかったシーンも入っています。「泣く泣く」カットしたものだそうですが、その中でこれは絶対入れておいて欲しかったものがありました。それは、竜之介が、淳之介に鈴木オートにテレビを見に行きたいと言われた時に「ボクはあんなものは見ないんだ」と気取る場面です。そのあと彼は誰よりも熱心に「力道山」を観戦して、揚げ句に調子の悪くなったテレビを直そうとして逆に壊してしまうことになるのですから、これを入れておけばその落差が強調されて、より面白くなったと思うのですが。
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# by jurassic_oyaji | 2006-06-17 22:02 | 禁断 | Comments(0)
VILLETTE/Choral Works




Stephen Layton/
Holst Singers
HYPERION/CDA 67539



1926年に生まれて1998年に亡くなったフランスの作曲家ピエール・ヴィレットは、パリ音楽院ではあのピエール・ブーレーズと同じ時期に学んだ人ですが、その作風は同じファーストネームを持つこの「アヴァン・ギャルド」とは全く異なるものになっています。彼の音楽の出発点はグレゴリアン・チャントや中世の音楽、そしてジャズでした。フォーレ、ドビュッシーあたりの流れをちゃんと受け継ぎ、プーランクやメシアン、そしてデュリュフレのようなテイストを持つに至ったその作品のエッセンスは、この、彼の手になる全てのモテットを収録したアルバムによって存分に味わうことが出来るでしょう。
そのデュリュフレの助力によって、1941年、15歳でパリ音楽院に入学したヴィレット少年が作った最初のモテットが、「Ave verum」です。ここには、まだ後年のような色彩的なハーモニーは感じることは出来ませんが、曲の最後が終止していない和音などというのは、かなりユニークなものがあります。そして、この「解決しない和音」は、後の彼の合唱曲の一つの特色ともなるのです。1954年ごろに作られたフランス語による「Hymne à la Vierge」は、美しいメロディーとジャズ風の和声が心地よい曲です。こんな素敵な曲を、将来妻となる女性に捧げるのですから、なかなかの情熱家でもあったのでしょう。
彼は1957年にはブザンソン、そして1967年からはエクサン・プロヴァンスの音楽院の校長という職務に就くことになります。ブザンソン時代に作られた「Strophes polyphoniques pour le Veni Creator」は、グレゴリアン・チャントをそのまま使うという、非常に珍しいものです。「polyphoniques」とあるのは、最後の「amen」に対する、これも非常に珍しいポリフォニックな処理。その結果、この曲は、他のモテットとは全く異なるたたずまいを持つことになりました。
彼の合唱作品は、フランス国内よりは外国、特にイギリスで早くから認められていました。その先鞭をつけたのが、ウースター大聖堂聖歌隊の指揮者だったドナルド・ハントです。1970年の半ばに、彼はヴィレットのモテットを数多く演奏会で取り上げたり、レコード録音を行います。このレコードが作曲家の耳にとまり、この2人は終生深い友情で結ばれることになるのです。そして、1983年には、その友情の証として、23年ぶりとなるモテットの筆をとります(1960年から、彼はモテットを作っていません。この間、1970年と1981年には、かなり大きなフランス語によるミサ曲を作っています)。「Attende, Domine」というその曲は、印象的な全音音階を、彼ならではの和声で彩るという、新しい境地を拓くものでした。そして、そこにはフランスの合唱音楽の伝統に根ざした豊かな世界が広がっています。
1987年に校長の職を引退してからは、作曲に専念できるようになり、そこでこのジャンルでの最高傑作と言える「Inviolata」が誕生します。最も多い部分では20声部にもなるという複雑なスコアからは、ある時は寄り添い、ある時は全く異なる音楽を奏でるという、信じがたいほど壮大な宇宙を感じることが出来るはずです。そして、その様な一つのピークを形作ったあとに作られた5つのモテット「O quam amabilis」、「Notre Père d'Aix」、「O quam suavis est」、「Jesu, dulcis memoria」、「Panis angelicus」からは、すっかり力の抜けた、清らかな世界が味わえます。それはまさに芳醇なハーモニーの極み、エンディングに仕掛けられたほんのちょっとした「罠」は、まさに老獪のなせる業でしょうか。
おそらくこれが初めてとなる「モテット全集」は、彼の作品が最も愛された国の演奏家による録音によって、豊かすぎるほどの命を吹き込まれることになりました。その完璧なハーモニーは、あくまで自らの意志でのみ曲を作り、それによって神の栄光に迫ろうとした彼の音楽を見事に形あるものにしています。その上で、レイトンの求めるダイナミックスに応じることが出来るだけの資質がホルスト・シンガーズに備わっていたならば、何も言うことはなかったのですが。
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# by jurassic_oyaji | 2006-06-16 20:06 | 合唱 | Comments(0)
ALWAYS 三丁目の夕日disc1
 ご存じのように、ネット書店Amazonに注文する時には、合計金額が1500円を超えると送料がかかりません。最近とみにちゃんとした本屋さんへ行くのが億劫になっているので、「のだめ」と「鎌倉ものがたり」の最新刊を注文してみようと思いました。「鎌倉~」は、仙台の本屋さんでは新刊が出てもまず見かけることはないので、こちらの方が確実、もっとも、いまは「三丁目~」がブームで西岸さんも注目されていますから、事情は変わっているかも知れませんがね。しかし、この2冊の値段は、合計しても990円、これでは送料免除になりません。唐沢なをきあたりで新しいものはないかと検索してみましたが、何もありません。と、Amazonのページをあちこち見ていたら、この前見たそれこそ西岸良平原作の映画「ALWAYS 三丁目の夕日」のDVDがもうすぐ出るということではありませんか。しかも2割引、迷わずこれを「隙間ふさぎ」として、一緒に注文しましたよ。こっちの方がはるかに高くなってしまいましたが。
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 その荷物が、今日届きました。コミックの方は後回し、まずはDVDです。私が買ったのは、もちろん「豪華版」の方、分厚いケースを開けてみると、特典のおまけが出てくるは出てくるは。紙製の「メガネ」を組み立てて見る「立体写真」なんてものも入っていますよ。その中でも私のお目当ては、メーキングが収められている特典DVDです。特に、VFX関係のメーキングはぜひ見てみたいと思っていたものですから、本編より先にまずそちらをパソコンで見ることにしました。
 最初に入っていたのは、普通のメイキング、クランクインから始まって、撮影の日程通りに丹念なレポートを楽しんでいると、見慣れたシーンの裏側を見ているだけでまたまたウルウルしてきてしまうのですから、どうしようもありません。なによりも、セットにものすごい手間がかけられているのには驚いてしまいます。「鈴木オート」などは、ちゃんとした2階建ての家をまるまる建ててしまったのですからね。
 ロケ地も、全国に及んでいたのですね。動くSLの現物を撮るために京都まで行ったり、客車は大井川鉄道とか、電車通りも滑走路を使っていたとか。昔のたたずまいを残す場所を求めたのでしょう、岡山などでもロケをやっていたとは。VFXではどうしても出せない雰囲気は、こういう場所を実際に探して撮影する他はないのでしょうね。
 そして、後半はそのVFXです。「こんなものまで」と驚かされるほど、実写と変わらないものが今では出来るようになっていることがよく分かります。上野駅の改札口の遠景の人物や、都電は、全て合成されたものだったなんて。そして、ゴールデン座の看板も合成だったというのには、本当にびっくりしました。あの錆び具合とか、本物よりリアリティがありますよね。
 そう、へたをしたら本物より本物らしいものを作ってしまえるのが、今のVFXなのですね。何も知らないで見たら、「作り物」だとは気づかないまま、物語を決して邪魔することのないこの技術、これがあったからこそ、あれだけクオリティの高い映画が出来上がったのでしょうね。
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# by jurassic_oyaji | 2006-06-15 20:54 | 禁断 | Comments(0)
WAGNER/Die Walküre


Astrid Varnay, Gré Bouwenstijn(Sop)
Ramón Vinay(Ten), Hans Hotter(Bas)
Joseph Keilberth/
Orchester der Bayreuther Festspiele
TESTAMENT/SBT4 1391



ヴァーグナーの「指環」のステレオによる全曲録音といえば、ジョン・カルショーが1958年から1965年にかけてスタジオで行ったものが、「世界初」とされています。しかし、そのカルショー自身もその著書「Ring Resounding」の中で述べているように、これに先だつ1955年に、すでにそのカルショーのレコード会社DECCAが、バイロイト音楽祭の「指環」全曲をステレオでライブ録音していたのです。その時に、この生まれて間もないテクノロジー「ステレオ」の技術担当として、実際にその録音に立ち会ったのが、後に「チーム・カルショー」の一員となるゴードン・パリー、彼がバイロイトで得たノウハウが、後のスタジオ録音の際に大きく寄与している、というのが、カルショーがその著書の中でこの録音に関して触れた記述です。その前の「その録音の商業的発表を妨げるさまざまな契約と直面(黒田恭一訳)」という述懐こそが、まさにこのCDが50年の歳月を経て初めて世に出た録音である事を裏付けるものなのです。
そんな貴重な「お宝」、先日の「ジークフリート」に続いての、「ヴァルキューレ」の登場です。他の2作も順次リリース、今年中には「世界初」のステレオ録音による「指環」が全てCDで揃う事になります。
定評のあるTESTAMENTのマスタリング、そしてもちろん、当時最先端を誇っていたDECCAの録音技術は、この50年前の録音から、信じられないほど生々しい音を届けてくれました。弦楽器の音はあくまで艶やか、もちろん第1ヴァイオリンが上手から聞こえてくるというバイロイト独自のシーティングが、きっちりとした音場となって伝わってきます。管楽器も目の覚めるようなクリアな録られ方、ソロ楽器もはっきりと聞こえます。そして何にも増して素晴らしいのが、ステージ上の歌手の声です。制約の多いライブ録音で、これほど多くのソリストがしっかり「オン」で捉えられているのは、殆ど奇跡に近いものがあります。第3幕の冒頭の、ヴァルキューレたちがお互いを呼び交わす場面など、とてつもないリアリティに溢れています。これで50年前の録音!
そんな素晴らしい録音で、「凄さ」を存分に味わえるのが、ブリュンヒルデ役のアストリッド・ヴァルナイです(そういえば、これはCDだけではなく、ヴァイナル盤も発売されるとか)。第3幕半ばでのヴォータンに対するモノローグの鬼気迫る歌唱には、圧倒されてしまいます。よく響く低音を生かして、完璧に自分の歌として歌わない限り決して生まれないような独特のルバートを交えて奏でられるこの「アリア」は、まさにライブ録音ならではの格段の魅力を持つ事になりました。しかし、それに対するヴォータンのハンス・ホッターは、この10年後にカルショーのセッションに臨む時には、もはやコントロールのきかないビブラートでボロボロになってしまう予兆を感じさせる、うわずった音程が気になってしょうがありません。
カイルベルト指揮のこの劇場のオーケストラは、この録音がまさに「記録」としての価値を持つ事をまざまざと見せつけてくれるものでした。これによって私達は、半世紀前の「ヴァーグナーのメッカ」ではどのような演奏がなされていたかを、まさに今録音されたばかりのようなみずみずしい音によって、手に取るように知る事になるのです。指揮者の趣味もあるのでしょうが、それは煽り立てるエネルギーは有り余るほどあるくせに、繊細さが決定的に欠けているという、「無骨」などという形容詞すら褒めすぎかも知れないと思えるほどのものでした。金管楽器の乱暴なまでの力強さがそれに花を添えます。「ヴァルハラのテーマ」を吹くヴァーグナーチューバほどのおおらかさはありませんが、その音程のアバウトさには、つい微笑みを誘われてしまいます。
カルショーが彼の「指環」を制作した時には、バイロイトが反面教師になったと、先ほどの著書では述べられています。それはもちろんヴィーラント・ヴァーグナーの演出に対するコメントなのですが、もしかしたらその中にはこんなオーケストラの印象も含まれていたのでは、と想像してしまうほど、それは醜いものでした。
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# by jurassic_oyaji | 2006-06-14 20:09 | オペラ | Comments(0)