おやぢの部屋2
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Moodswings




Elvis Costello, Sting, Björk etc.(Vo)
Brodsky Quartet
BRODSKY RECORDS/BRD3501



弦楽四重奏とヴォーカル、それもロック・ヴォーカルとの組み合わせなどと言うものは、ヴォーカル・インストゥルメンタルの黎明期の「ザ・ビートルズ」ですらすでに手がけていたことでした。「イエスタデイ」や「エリナー・リグビー」でのバックに弦楽四重奏(もっと多いとも言われていますが)を起用したジョージ・マーティンのセンスは、当時の聴衆にはきわめて斬新に映ったはずです。ただ、ロックだけではなく、クラシックにも愛着を持っている人の場合は、そのストリングスの使い方には、少なからぬ違和感があったのではないでしょうか。基本的に、ヴァイオリンなどはリズムを刻むことには適していない楽器。リズムこそが命のロックとの、それが一番の齟齬だったのかもしれません。ポールがギター一本で弾き語りした「イエスタデイ」の方が、「ヘルプ!」というアルバムに収められているオリジナルバージョンより遙かに美しいと感じられるのは、私だけではないはずです。
大きく分けて2通りのコンセプトから成るブロドスキー・カルテットの新しいアルバムですが、その一つの側面、大物シンガーに自作を歌ってもらい、その伴奏をカルテットが行うという部分では、いまだこのビートルズの次元にとどまったままの安直な共演に終わってしまっているという誹りは免れません。当のエルヴィス・コステロが、「弦楽四重奏で伴奏するなんて、おめえら狂ってんな」と、看護婦さんの姿で(それは「コスプレ」)言ったというのがジョークに聞こえないほど、アルバムタイトルでもある彼の曲「My Mood Swings」での旧態依然たるバッキングは、情けないものです。リチャード・ロドニー・ベネットなどという作曲界の重鎮が自ら歌っている「I Never Went Away」あたりも、ある種のお遊びとしか聴くことは出来ません。それが、ビョークの「I've Seen It All」になると、彼女の開き直りに近いクラッシックへのアプローチにより、とても新鮮な味が出てくるのには驚かされます。異質なものを無理に融合させようとしない、これは彼女のひらめきの勝利です。
その意味では、もう一つのコンセプト、カルテットのメンバーがイギリス国内の学校を巡り、ティーンエイジャーたちとの共同作業の中から曲を生み出すというプロジェクトの成果の方にこそ、より刺激的なものを感じることができます。これは、メンバー以外に、作曲家も参加、生徒たちは曲や詞にアイディアを出したり、あるいはコンサートの企画やアートワーク(パンフレットやステージング)に加わって、何らかの形で一つのパフォーマンスに関わるというちょっと素敵なものです。中でも、イアン・ショーという人が歌っている「Venus Flytrap」と言う曲は、作詞も作曲も全て生徒によるもの、とてつもない発想のメロディーラインと、それにからみつく弦楽器が、ジャンルを超えた真の意味での「コラボレーション」を実現しています。
リズムに命をかけるロックと、メロディーを偏愛することから始まるクラシック。この2つのものが、ともに何かを作り上げようとするときには、何を大切にすべきか、あるいは、何を捨てるべきか、そんなことを深く考えさせられる、かなり重いアルバムです。
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# by jurassic_oyaji | 2005-03-27 00:02 | ポップス | Comments(0)
TAVENER/ The Veil of the Temple


Patricia Rozario(Sop)
Steven Layton/
The Choir of thr Temple Church
The Holst Singers
RCA/82876 66154 2(hybrid SACD)



ジョン・タヴナーの最新作は、彼にしてはちょっと珍しいRCAというレーベルからのリリースです。余談ですが、RCAは「BMG」というグループの一つのレーベルであったわけですが、このCDのジャケットには「SONY BMG」というロゴがみられます。そう、だいぶ前から騒がれていたことなのですが、「BMG」と「SONY」という世界の音楽業界を牛耳ってきた二大音楽ソフトグループが、ついに一つのものになってしまったのですよ。チョコとバニラの二色(それは、「ソフトクリーム」)。元をたどれば「BMG」は「ビクター」そして「SONY」は「コロムビア」、LP時代にはともにライバルとして君臨していた2大勢力が「結婚」してしまうのですから、もはやこの業界では何が起こっても驚くことはありません。
ここで演奏されているタヴナーの作品も、規模という点からしたらメジャーレーベルほどのものを持っています。いや、「作品」と言うよりは、夜を徹して遂行される「徹夜祷」という、実際には7時間を要するという宗教行事(ラフマニノフニに「晩祷」という合唱曲がありますが、これが、本来はこの「徹夜祷」と呼ばれるべきものなのです)そのもの、その中で演奏される音楽の部分だけを集めても、この2枚組のアルバムぐらいの長尺ものになってしまうということです。その音楽は、まさにバラエティに富んだもの、ギリシャ正教、ロシア正教、そしてチベットあたりの仏教の臭いがする様々なパーツが、ほとんど脈絡なく次から次へと現れてくる様は、壮観です。ここでは、「結婚」などという生やさしいものではなく、ほとんど「後宮」あるいは「ハーレム」の様相を呈しています。ただ、注意深く聴いてみると、その果てしない流れの中にある秩序を見いだすのは容易なことです。それは、この「徹夜祷」が行われたロンドンのテンプル・チャーチの聖歌隊と、有名な「ホルスト・シンガーズ」という大人の合唱団が、別々に歌うセット、「Kyrie Eleison」あるいは「Lord Jesus Christ」という歌詞を持つ部分です。この歌詞が、最初はホルスト・シンガーズによって、まるで中世のトゥルバドールの歌のような不思議なテイストで歌われたあと、聖歌隊によって移動ドだと「ミファミソ~、ミファミラ~、ソラソド~」という単調なメロディーが、見事な純正調のハーモニーに乗って歌い上げられるのです(ライナーには、この演奏者が逆に表記されていますが、作曲者と指揮者の写真を裏焼きのまま印刷するような校正のレベルですから、これはおそらく間違いでしょう)。しかもそれが、最初は「ニ長調」だったものが、曲、というか、式典が進むにしたがって、「ホ長調」、「ヘ長調」・・・と全音階的にキーが上昇してゆき、最後の部分では「ハ長調」になってフィナーレを迎えるという仕組みになっています(その最後の部分だけは、このメロディーが合唱ではなくソプラノソロによって朗々と歌われます)。この骨組みにさえ気づいてしまえば、その前後に繰り広げられる呪文のような東洋的な朗唱から、それこそラフマニノフのような大地の響きを持つ堂々たる合唱まで、存分に味わうことが出来ることでしょう。そして、全てを聴き終わったとき、高揚を続けてきた音楽とは裏腹に、体の中のどこかがいつの間にか浄化されているように感じるはずです。それこそが、タヴナーの音楽の目指したものなのかもしれません。
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# by jurassic_oyaji | 2005-03-25 19:54 | 合唱 | Comments(0)
DURUFLÉ/Requiem


Patricia Fernandez(MS)
Michel Bouvard(Org)
Joël Suhubiette/
Ensemble Vocal les Éléments
HORTUS/018



このサイトのマスターの自慢はデュリュフレのレクイエムの録音のコレクション。花粉症はちょっと辛いでしょうが(それは「ハクション」)。したがって、私佐久間としても、新譜が出たのなら、チェックしないわけにはいきません。しかし、このアイテムはCD店の新譜コーナーではなく、普通のところにあったので、危うく見逃すところでした。おまけに指揮者も合唱団も、全く聞いたことのない人たち、指揮者に至っては読み方すら分かりません。ジャケットもなんだか投げやりなデザイン、これでちゃんとした演奏が聴けるのかと不安になりましたが、マニアにとってはたとえどんなものであっても価値があるのだろうと、とりあえずゲットです。
かなりおどろおどろしいオルガンの響き(これは、第2稿オルガンバージョンです)の中から聞こえてきた合唱は、しかし、独特の美しさを持ったものでした。パートのまとまりやきちんとしたハーモニーといった、基本的な能力を全て満たした上で、さらに何か猥雑な雰囲気を漂わせるという、かなり高度な嗜好を満たしてくれるような魅力が、そこにはあったのです。そして、しばらく聴いているうちに、このような肌触りは、この曲にはもっともふさわしいものではないだろうか、という気になってきました。デュリュフレのレクイエムは、よくフォーレの同名曲と並べて語られることが多く、この2曲がカップリングされているアルバムも数多く存在しています。しかし、構成的には似ている部分があったとしても、そこで繰り広げられている音楽のテイストは、かなり異なっていることに、気づくべきでしょう。そんな、デュリュフレにはふんだんに含まれていても、フォーレにはちょっと似つかわしくはないような雰囲気、それが、この演奏からは止めどもなく発散されていたのです。
それに気づいてしまうと、ちょっとうるさく感じられたオルガンも、そんなある種の猥雑さを確かに助長しているものだと分かります。そう、このオルガンバージョンのオルガンの役割は、イギリスの団体によくあるような、取り澄ました合唱をただサポートするものではなく、オーケストラ版のエキスとも言うべきものを提供することだったのです。
実は、レクイエムの中ではバリトンソロのパートを合唱が歌っているのですが、これがまた凡庸なソロよりずっと素晴らしいのです。ですから、余白に入っているプーランクの「パドヴァの聖アントニオのラウダ」という男声合唱のための曲での、この合唱団の男声パートの伸びやかと軽やかさに、またびっくりさせられてしまうことになるのです。ただ、残念なことに、「Pie Jesu」でのメゾソプラノソロが、このようなアプローチとは完璧に相容れない重苦しいものであるために、このトラックだけが全く別の世界のものとなってしまっています。なぜこんなソロを使ったのか、理解に苦しむところです。
このCD、しかし、どうやらそのお店にあったのはこの1枚だけだったようで、それ以後補充される様子はありません。一つ間違えば、こんな素晴らしいものを見逃してしまって入手できなかったかもしれないと思うと、幸運さを喜ばずにはいられません。
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# by jurassic_oyaji | 2005-03-22 19:33 | 合唱 | Comments(0)
Pauer/Concerto for Fagot and Orchestra



Karel Bidlo(Fg)
Karel Ancerl/
Czech Philharmonic Orchestra
SUPRAPHON/SU 3697-2 001



「アンチェル・ゴールド・エディション」というシリーズが、チェコのSUPRAPHONで継続してリリースされています。1973年に亡命先のカナダで亡くなった往年の名指揮者カレル・アンチェルがチェコ・フィルとともに残した録音を、最新のリマスタリング技術で蘇らせようというものです。全部で42枚から成るそのラインナップを見てみると、今まで抱いていたドヴォルジャークやスメタナのオーソリティといったイメージとはちょっと違う、かなり広範なレパートリーにちょっと驚かされてしまいます。マーラーやショスタコーヴィチまで振っていたのですね。
その中で目に付くのが、聞いたこともないようなチェコの作曲家の名前です。チェコ語の表記はアルファベットにアクセント記号のようなものが付きますからすぐ分かります(インターネット環境ではそれが表記できないのが残念です)。カベラーチ、ハヌシュ、ヴォルジーシェク、ヴィツパーレク、マーハ、パーレニーチェク、スラヴィツキー、ボルジコヴェッツ、オストルチル、クレイチー、パウエル、ドビアーシュ、バールタ。どうです、この中に、知っている名前がありましたか?私は、全て初めて聞くものばかりでした。アンチェルは、彼が活躍していた20世紀の半ばには、おそらく、このような同時代の(だと思います)作曲家の作品を積極的に演奏会で取り上げ、録音として後世に残すことをある種のライフワークにしていたのでは、という思いが、この、現在の普通のクラシック音楽のリスナーにとってはまるで暗号のような意味不明の文字の羅列を眺めることによって沸き起こってはこないでしょうか。
あるいは、この中には思いもかけぬ名曲の沃野が広がっているのではないか、という予感のようなものに惹かれて買ってしまったのが、このCDです。イシャ・クレイチーという1904年生まれ(1968年に亡くなっています)の方のセレナーデと交響曲第2番、そして、イルジー・パウエル(「ジリー・パウアー」という表記を見かけますが、それは間違いです)という、1919年生まれでまだ存命の方のファゴット協奏曲が収録されています。いずれも第二次世界大戦の直後に作られたものですが、そこには、音楽史の王道であった中央ヨーロッパのたどった道からは見事に隔離された、スメタナ、ドヴォルジャークから直結している純粋培養のロマン派の世界があったのです。もちろん、それなりに「新古典主義」あたりの洗礼は受けてはいますが、「12音」や「セリー」とは全く無縁の懐かしい響きが、そこにはありました。多少散らかってはいますが(それは「セーリとは無縁」)。
アンチェルがこれほどまでに肩入れしたチェコの「現代」作曲家たち。21世紀の現代に於いてはそれらは完璧に忘れ去られているかに見えます。しかし、当時、大きな流れから見たら辺境の地であったが故にしっかり培われていたロマンティシズム、これは、人間の魂への根元的な訴えかけとなって、再評価されることもないとは限らないという確かな感触を、このCDによって得ることが出来るでしょう。付け加えれば、これらはモノラルも混じった古い録音ですが、リマスターの成果は驚くべきものがあり、古さを全く感じさせないみずみずしい音を聴くことが出来ます。
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# by jurassic_oyaji | 2005-03-20 19:48 | オーケストラ | Comments(0)
French Connection


Emmanuel Pahud(Fl)
Paul Meyer(Cl)
Eric Le Sage(Pf)
EMI/557948 2
(輸入盤)
東芝
EMI/TOCE-55720(国内盤 4月20日発売予定)


昔こんなタイトルの映画がありましたね。確か、その映画が評判になっていた時に「フレンチ・コレクション」というパロディのタイトルでアルバムを出したアーティスト(某キングス・シンガーズ)がいましたが、今回のアーティスト(だか、プロデューサーだか)には、それほどのセンスは備わっていなかったのでしょう。しかし、そんなベタなセンスを補ってあまりあるほどの、これは聴き応えのあるアルバムです。
「レ・ヴァン・フランセ」としてアンサンブル活動を行っているフルートのエマニュエル・パユとクラリネットのポール・メイヤーが中心になり、オーボエのフランソワ・メイヤーとピアノのエリック・ル・サージュが適宜加わるという、まさに気心の知れた仲間による演奏、これが、楽しくないはずがありません。アルバムを聴き終わったとき、このグループの名前「フランスの風」のような、一陣の爽やかさが吹き込んできたのを、誰しも感じるはずです。「フランスの風邪」はちょっと勘弁してほしいものですが。
そんな爽やかさを引き出したのは、最初と最後に、まるで表紙のように収録されているショスタコーヴィチのかわいらしい「ワルツ」なのかもしれません。アトウミャンという人が、フルート、クラリネットとピアノのために編曲した、ともに2分足らずの小品ですが、彼の「ジャズ組曲」などにみられるようなとことんキャッチーな味わいが、力の抜けた二人の管楽器奏者によって、いっそう穏やかなテイストをもって私たちを包み込んでくれます。特に、最後の方の第4番のワルツでは、パユは本来の指定楽器であるピッコロではなく、フルートによって同じ音域を(高すぎて出ないところは、もちろん下げて)吹いているために、その脱力感は際だっています。
本編の方には、ヴィラ・ロボス、フローラン・シュミット、ミヨー、ジョリヴェ、そして、初めて聞いたモーリス・「エマニュエル」という人の、なかなか聴くことの出来ない珍しい曲が並んでいます。このエマニュエルさんの作品、3楽章から成るフルート、クラリネットとピアノのためのソナチネなのですが、その最初と最後の楽章に「メリーさんの羊」そっくりのテーマが出てきて、なかなか和めます。しかし、おそらく最大の聴きものは、フルートとクラリネットだけで演奏されるジョリヴェのソナチネではないでしょうか。ここで終始聴くことの出来る、パユのレゾン・デートルともいえる「スーパー・ピアニシモ」は、まさに絶品です。世界中を探しても、こんな音を出せるフルーティストはほかにはいないのではないかと思わせられるほどの、独特なソノリテ、パユの奏でる音は、「フルート」という楽器を超えた、別の次元の響きを運んできてくれています。もしかしたら、彼はもはや「フルーティスト」ですらなくなっているのかもしれません。そう、私がこのアルバムの価値を認めながらも、無条件で身をゆだねることが出来なかったのは、彼の「フルーティスト」としての魅力が伝わってこなかったからなのでしょう。
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# by jurassic_oyaji | 2005-03-18 19:09 | フルート | Comments(0)