おやぢの部屋2
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BRUCKNER/Symphony No.3(1873 version)




Roger Norrington/
London Classical Players
VIRGIN/482091 2



前にご紹介したヴァーグナーの前奏曲集と同じジャケット、同じ品番、元々は別のアルバムだったものを一緒にしただけですから、一つのアイテムから2度レビューが書けるという、おいしさです。
ヴァーグナーの方は、昨年国内盤で再発されたのでそれほど珍しいものではなかったのですが、このブルックナーは初出のEMI盤はすでに廃盤、長らくリイシューが待たれていたものです。花粉症には必需品(それは「ティシュー」)。何よりも、このアルバムにはレアな魅力が2つもあります。まず、オリジナル楽器で演奏しているという事、そして「第1稿」である1873年版を使用しているという事です。
ノリントン自身、ロンドン・クラシカル・プレイヤーズというオリジナル楽器のオーケストラとの一連の録音の最後の到達点として、このブルックナーを捉えていたのではないでしょうか。現在までに世に出た全ての交響曲の録音を網羅したディスコグラフィーを見てみても、オリジナル楽器で演奏されたものは、ヘレヴェッヘによる「7番」と、このアルバムしかないのですから、いかに貴重なものかが分かるはずです。この録音が行われた1995年には、オリジナル楽器はすでに単なるこけおどしではなく、新しい表現の地平をひらくものとして認知されるようになっていました。モーツァルトから始まったそのムーブメントは、ベートーヴェンという既存の権威の塊すらも根本から揺るがすほどの力を持っていたのでした。その「力」は、19世紀後半の音楽にも通用するはずだ、と考えたのがノリントン、しかしその結果は・・・。
確かに、ガット弦による弦楽器の暖かい響きや、ビブラートを廃したことによって生まれた木管の純正のハーモニーなどは、今までのブルックナー演奏では見られなかった美点ではありますが、やはり重量感が決定的に不足していた事は、このテーゼを受容する上での大きな障害となったのでしょう。いかに本来使われていた楽器だといっても、その重量感が出せない事には、現代のブルックナー市場で通用するには大きな困難が伴ったのです。彼の後継者は、その「響き」をとことん前面に押し出した2004年のヘレヴェッヘ1人だったという事実が、その事を端的に物語っています。そして、ノリントン自身もモダンオーケストラによるオリジナル楽器的表現へのアプローチという新たな道を歩み出す事となるのです。
もう1点、「第1稿」については、前者とは違った積極的な意味を見出す事が出来るでしょう。1970年代にレオポルド・ノヴァークによって完璧に整備されたブルックナーの異稿の世界、しかし、録音に関してはいまだに初稿が陰の存在である事に変わりはありません。このアルバムが出た時点で「第1稿」による録音は、普通に流通しているものに限れば1982年のインバル盤しかなかったのですから。例えば、通常演奏される「第3稿」との違いがもっとも際だっている第4楽章でのちょっと荒削りなパッセージの扱いなどは、「ブルックナーはこんな面白い事をやっているんだよ」と得意げになっているノリントンの姿が目に映るような生き生きとしたものです。第3楽章のスケルツォのトランペットの合いの手は、この稿だけで聴ける細かいリズムのパターンなのですが、それもことさらに現行版とは違う事を強調するわかりやすさがたまりません。最近ではナガノやノットによる演奏も出揃い、このノリントン盤もやっと「第1稿」の中での位置づけをきちんと語る事が出来るほどの時代とはなったのです。
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# by jurassic_oyaji | 2005-09-05 20:46 | オーケストラ | Comments(0)
MOOG
A Documentary Film by Hans Fjellestad










ナウオンメディア/NODD-00023(DVD)


今年の春先、東京でこのロバート・アーサー・モーグのドキュメンタリー・フィルムが公開されているという事を知った時、どんなにか見に行きたいと願った事でしょう。なにしろ、映画が始まる前に「テルミン」の生演奏まであるというのですからね。しかし、その映画は単館上映という上に、さらに、上映時間は夜中の9時過ぎだけという、超マイナーというかマニアックなものでした。とても日帰りで○○から出かけていくのは無理だと、涙を飲んだものでした。そんなコアなものが、なぜか連日満員御礼、ついにはこうしてDVDまで出てしまうのですから、すごい世の中です。
ロバート・モーグといえば、「シンセサイザー」という「楽器」の発明者として、おそらく後世の音楽史には必ず登場するに違いない人です。この映画では、彼自身がナレーターとして出演、まずは彼の最新の仕事が紹介されます。彼が作った「楽器」は、まさに音楽のあり方まで変えてしまうほどのすごいものだったわけですが、現在では何と言っても「デジタル・シンセサイザー」が主流、彼の「アナログ・シンセサイザー」などもはや誰も見向きもしない・・・と思っていました。しかし、彼は今でもこの「アナログ」にこだわって、名器「ミニモーグ」の改良型である「ミニモーグ・ヴォイジャー」を、本当に小さな工場(「工房」といった方がいいかも)で作り続けているのですね。そこで「回路」とか「基板」について語っている姿は、殆ど「楽器職人」といった印象がふさわしく思えます。彼の自宅の菜園なども紹介されますが、そこで語られる「オーガニック」指向と彼の楽器との結びつきも興味深いものです。
それに続くのが、この「楽器」を開発する際の協力者であったハーブ・ドイチとの対談に始まる、「モーグ」を世に広めたさまざまな音楽家たちとの対話です。中でも興味深いのが、リック・ウェイクマンとの話。彼は「モーグからは100%魅力を引き出す事が出来るが、デジタル・シンセでは10%程度の機能しか使っていない」と語っています(その後に、「それは女房と同じ事」と言いだして、ちょっと下ネタになるのですが)。単音しか出せない上に、いくつもある「ツマミ」を細かく調整して、やっと自分の求める音が出せるといった不自由さ、しかし、そこにはしっかり演奏者との暖かいつながりが存在しているのでしょうね。ただ、この楽器が世に出るきっかけとなった「スイッチト・オン・バッハ」というアルバムを作ったウェンディ(ワルター)・カーロスからの協力が一切得られなかったため、彼女(彼)に関する映像が使用できなかったというのは、残念です。
後半では、やはり彼が、実はシンセサイザー以前から関わっていた「テルミン」が紹介されます。こちらでも述べられているように、最近になって日本でもブームを巻き起こしているこの不思議な楽器は、モーグなくしては今日まで生き延びる事は出来なかったものです。この楽器の演奏家の最先端、何とウォーキング・ベースそっくりの音までも出してしまうというパメリア・カースティンとの対談が見物です。
DVDだけの特典映像の中で、モーグは日本向けに、彼の会社の最新の製品を紹介してくれています。先ほどの「ヴォイジャー」や「テルミン」の最新モデル「テルミン・プロ」、いとおしげに自分の楽器を売り込むとともに、「まだまだ計画中のものがある」と語っていたボブ・モーグは、このDVDが日本でリリースされた直後の8月21日、脳腫瘍のため71歳で帰らぬ人となりました。もうぐ(喪服)を着て、ご冥福をお祈りします。
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# by jurassic_oyaji | 2005-09-02 19:44 | 映画 | Comments(1)
MacMILLAN/Seven Last Words from the Cross



Stephen Layton/
Polyphony
Britten Sinfonia
HYPERION/CDA 67460



1959年生まれのイギリス、というかスコットランドの作曲家、ジェームズ・マクミランの合唱曲集、1993年に作られたタイトル曲の他に、これが初録音となる「聖母マリアのお告げ」(1997)と、「テ・デウム」(2001)が収録されています。
この世代で多くの宗教曲を作っている作曲家では、ジョン・タヴナーやもう少し上ではアルヴォ・ペルトが有名ですね。しかし、殆どヒーリングと変わらないほどの穏やかな風景の表出に終始している彼らに対して、マクミランの場合は、そのようないわゆる「聖なるミニマリスト」とは一線を画した、もっと厳しい作風を見ることが出来るはずです。彼にとって、「ミニマリスト」たちが築き上げた「安定した」技法は、数多くの表現手段の一つに過ぎません。そこにさまざまの技法を組み合わせることによって、ただの綺麗事ではない、彼が言うところの「喜びから悲劇までが存在する人間の日常生活」の諸相を、宗教音楽に於いても表現しているのです。
「十字架上の七つの言葉」の第1曲目で、そのようなマクミランの語法が明らかになります。ひっそりとした静寂の中から立ち上るかすかな弦楽合奏に伴われて、まさにイノセントそのものの女声合唱が聞こえてきますが、これは、まさにペルトあたりが用意する典型的な風景。しかし、しばらくしてその平穏なたたずまいは、リズミカルで攻撃的という全く異質のテイストを持つ合唱によって一変します。オーケストラ(弦楽合奏)が奏でるのも、また別の音楽、ここでは、相容れることのない3つの要素が独立してそれぞれの存在を主張するという、実にスリリングな光景を味わうことが出来るのです。
2曲目では、冒頭ア・カペラの合唱のとてつもない迫力にビックリさせられることになります。同じ歌詞で繰り返される短いモティーフが繰り返されるたびに微妙に味わいを変えるのが、とても魅力的です。それにしても、前の曲の全くキャラクターの異なるパートの歌い分けと言い、この曲での度肝を抜くような殆ど「叫び」に近い、それでいて完璧なハーモニーを持つ歌い方といい、この合唱団の表現力の幅の広さには驚かされます。時折見られる、スコットランドに固有の旋法(まるで、中世の音楽のような雰囲気を持っています)も、この合唱団の手にかかると見事にその土着性が失われずに新たな主張が生まれます。
オーケストラも、時には合唱に寄り添い、時にはことさら異質の要素として振る舞うという縦横無尽の活躍、殆ど「クラスター」に近いものでも、この音楽の中では確かな存在を見せています。そして迎えるエンディング、高音にシフトした繊細な弦楽器たちは、さまざまな過程を経て一度は終止形を迎えますが、それは音楽の終わりではありませんでした。その後に続く解決の出来ないアコード、そう、それはあたかもキリスト自身のため息でもあるかのように、永遠に終わることはないのかもしれないと思わせられるほど、延々と繰り返されるのです。
2002年の「ゴールデン・ジュビリー」のために作られた、オルガンと合唱のための「テ・デウム」では、まるでギリシャ正教のような(これは、タヴナーのツール)輪郭のはっきりした要素が加わります。この曲でも、オルガンによるエンディングには、ちょっと期待を裏切られるような新鮮な驚きが潜んでいます。このベジタリアンの作曲家(それは「ニクイラン」)、レイトン指揮のポリフォニーという最高の演奏を得て、確かに私の琴線に触れるものとなりました。
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# by jurassic_oyaji | 2005-08-31 20:06 | 合唱 | Comments(0)
The Phantom of the Opera










STYLEJAM/ZMBY-2301(DVD)


先日公開されたばかりの映画が、もうDVDになりました。すでにサウンドトラック盤はご紹介済み、もちろん、音楽的な内容はその時のものと変わる事はありません。あの時に、オペラの「ハイライト盤」と「全曲盤」について書きましたが、今回は言ってみれば映像も付いたオペラのDVDのようなものでしょうか。
ミュージカルとしての「オペラ座の怪人」は、もちろん音楽として非常に完成度の高いものです。これでもかというほどに贅沢に登場する極上のメロディ、それらが有機的に絡み合って、実際、下手なオペラをしのぐほどの感動を与えてくれるものです。しかし、ここで描かれているファントム、クリスティーヌ、そしてラウルを巡る愛という、ある意味完結した世界は、ガストン・ルルーの原作が持つ暗く猥雑な世界からは少し距離を置いたものでした。
この映画で監督のシュマッカーが最もこだわったのは、その原作の持つ世界観を取り戻す事だったのではないでしょうか。ミュージカルでは舞台作品という制約上、ある程度部分的に切り取った形でしか再現できなかったものを、映画の特性を最大限に使い切って、その細々とした設定をしっかり見せてくれている、というのが、今回の映画化の最大の功績だと思えるのです。それが最も良く現れているのが、オーバチュアの部分。ミュージカルでは、シャンデリアが上がっていく間に薄汚れたオークションの会場が豪華なオペラハウスに変わる、という、もちろんかなりインパクトのある場面転換があるのですが、この映画では、その上に、多くの人々でごった返す舞台裏の喧噪を事細かに描写してくれています。そこで私達が目にするのは、観客の目に触れないところで広がっている、まるで一つの独立した「町」ででもあるかのようなオペラ座の裏方。その入り組んだ迷路のような空間は、確かにファントムが誰の目に触れる事もなく出没できるという原作の描写が納得できるものになっています。
この作品、もちろんすでに劇場で何度も体験したものですから、今回、映像はパソコンのディスプレイで見、音はヘッドフォンで聴く、という究極のパーソナルな味わい方を試みてみました。そうすると、大画面とはまた違った魅力を発見する事になりました。最大の収穫は、映像のディーテイルが、劇場よりも鮮明に理解できたことです。意外かもしれませんが、劇場では時としてスクリーンの全体ではなく、ごく一部分しか見ていなかった事がはっきりしてしまったのです。今回は全体を見据えた上での細部という見方が出来、先ほどのような感想も生まれたのでしょう。
もう1点、音の面で、劇場のスピーカーは、特にサラウンド用のサブスピーカーのクオリティが意外に低い事がよく分かりました。ヘッドフォンで初めて聴けた生々しいSE、例えばファントムがバラの花びらをバラバラとちぎる音に込められた怨念などは、劇場のスピーカーからは決して聞き取る事が出来なかったものでした。
こんなすごい体験がご家庭で味わえるなんて、これは絶対お買い得。
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# by jurassic_oyaji | 2005-08-29 20:17 | オペラ | Comments(0)
HASSE/Requiem



Hans-Christoph Rademann/
Dresdner Kammerchor
Dresdner Barockorchester
CARUS/83.175



石井宏さんの快著「反音楽史」によれば、ヨハン・アドルフ・ハッセは「ドイツ人によって音楽史から抹殺されてしまった作曲家」の代表ということになります。ドイツ人による「偏った」音楽史では、生涯に74曲ものイタリア・オペラを作った作曲家は、ドイツ人であっても正当に評価されることはない、というのが、石井さんの見解なのでしょう。そりゃあ、半纏みたいなものを着てれば、そうも思いたくなるでしょう(それは「ハッピ」)。そのハッセが作った「レクイエム変ホ長調」の世界初録音盤です。
1699年、北ドイツ、ハンブルク近郊のベルゲドルフという町に生まれたハッセは、もともとはテノール歌手としてハンブルクの歌劇場で活躍していたのですが、次第に作曲にも手を染めるようになり、本格的にイタリア・オペラを学ぶために、1723年にイタリアへ留学します。1724年にナポリでアレッサンドロ・スカルラッティに師事しますが、そこでたちまち頭角を現し、師匠をもしのぐ超人気オペラ作曲家として大成功をおさめるのです。1730年にはヴェネツィアへ移り、ファウスティーナ・ボルドーニというイタリア人のプリマ・ドンナと結婚し、文字通り「イタリアの血」を獲得します。
1733年にハッセは故郷のドイツへ戻り、ドレスデンの宮廷楽長に就任します(ここは、現在のドレスデン・シュターツカペレ。実は彼が就任する200年近く前から存在していた「楽団」なのですから、その歴史はすごいものがあります)。ハッセはここで、1763年に庇護者であったザクセン選帝侯フリードリッヒ・アウグスト二世が亡くなるまで、宮廷楽長を務めました。そのアウグスト二世の葬儀のために作られたのが「レクイエムハ長調」、こちらはすでにいくつかの録音が出ています。今回の「変ホ長調」は、アウグスト二世の後を継いだフリードリッヒ・クリスティアンが突然亡くなってしまったために、1764年に作られたものです。ただ、「Sanctus」と「Agnus Dei」は、以前に作られていた「変ロ長調」のレクイエムのものが使われています。そちらも聴いてみたいものです(オペラ同様、ハッセは宗教曲もたくさん作っていて、ミサとレクイエムを合わせると、全部で25曲もあるそうです)。
曲は40分程度の長さを持ち、合唱とソロ、あるいはアンサンブルが交替して現れるというものです。「Requiem」の中間部「Te decet hymnus」と、「Agnus Dei」の後半「Lux aeterna」で、男声だけでグレゴリア聖歌を歌っているというのが、ちょっと珍しいところでしょうか。「Dies irae」以外の合唱はあまり印象に残らない軽い作風、その分、ソロには力が入っていて、長年オペラで培われたリリシズムが、非常に魅力的です。中でも、アルトソロ(本来はカストラート)によって歌われる「Lacrimosa」は、深い叙情をたたえた名曲です。先日のミヒャエル・ハイドンの「ガセビア」ではありませんが、これはあのモーツァルトも聴いていた可能性はあり、彼の作品に影響を与えたかもしれないと思えるほどの類似性が認められますよ(そう思うのは私だけかもしれませんが)。
このレーベルの常連ラーデマンが、20年前、まだ学生の頃作ったというドレスデン室内合唱団は、特に男声を中心にまとまりのある柔らかい響きを聴かせてくれています。曲の性格によるものかもしれませんが、表現を強く前に出すというよりは、響きの美しさを重視しているような爽やかな印象を与えてくれています。ただ、肝心のソリストたちは今一歩。中でもアルトはもう少しランクの高い人に歌って欲しかった、という思いは残ります。
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# by jurassic_oyaji | 2005-08-28 19:41 | 合唱 | Comments(0)