おやぢの部屋2
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MYSLIVECEK/La Passione di Nostro Signore Gesu Cristo



Christoph Spering/
Chorus Musicus Köln
Das Neue Orchester
CAPRICCIO/71 025/26(hybrid SACD)



クリストフ・シュペリングという丸い形の揚げ物みたいな指揮者(それは「イカリング」、私は「オニオンリング」の方が好きですが)は、昔からちょっと目が離せないようなCDをたくさん作ってくれています。代表的なものとしては、まず、メンデルスゾーンがバッハの「マタイ受難曲」を蘇演した際のスコアを実際に音にしたというものでしょう。このCDによって、私たちはメンデルスゾーンが、現代のレベルでは考えられないような改竄を行っていたことを初めて知ったのでした。もう一つの成果はモーツァルトの「レクイエム」の「自筆稿」、つまり、未完成な楽譜をそのまま演奏して録音したというCDです。研究者はとっくに知っていたことでも、このように実際の「音」になったものを聴く衝撃には、かなりのものがありました。
そんなシュペリングが今回紹介してくれた「秘曲」は、モーツァルトの初期のオペラ(シピオーネの夢など)の台本なども手がけたことのある宮廷詩人、ピエトロ・メタスタージョのテキストによる「受難曲」です。私たちに馴染みのある「受難曲」といえば、新約聖書の福音書をそのままレシタティーヴォで歌わせて物語を進行させるというパターンでしょうが、それが18世紀を代表する台本作家の手にかかると、全く異なる次元が広がって来るという、なかなか興味のあるものになっています。「福音史家」などは登場せず、進行役はあのペテロ、そう、「私はキリストのことなんか知らない!」と、3回も言い切ってしまったイエスの弟子です。そんな事情ですから、彼はイエスの磔や埋葬に立ち会うことは出来ませんでした。そこで、実際にそこに居合わせたヨハネ、マグダラのマリア、アリマテアのヨセフの3人に話を聞くという設定で、物語が進んでいくのです。
このテキストに曲を付けたのは、ヨーゼフ・ミスリヴェチェクという、ボヘミア生まれの作曲家です。モーツァルトとほぼ同時代に活躍した人で(モーツァルト自身とも親交があったそうです)、20曲以上のオペラを始め、多くの作品を残しているということですが、もちろん私がその作品を聴くのは、これが始めてのこと、果たして大枚(2枚組で6290円)をはたいた見返りはあるのでしょうか。
しかし、そんな心配は杞憂でした。ここで聴かれる音楽は、まさにモーツァルトそのもののような屈託のなさにあふれていたのです(こういうものを聴くと、モーツァルトの音楽性というものは、彼個人に由来するものではなく、時代の中の必然ではなかったかという思いに駆られます)。まるでイタリアオペラのようなレシタティーヴォ・セッコ、そして、アリアはコロラトゥーラの粋を極めた技巧的なものが次から次へと登場してきます。特に、マグダラのマリアを歌うソプラノのためのアリアは、華麗そのもの、宗教的な趣など、これっぽっちもありません。ここで歌っているゾフィー・カルトイザーが、それを完璧に歌いきっているのが聴きものです。
ただ、そのほかの歌手がちょっと冴えないのが残念ですが、もっと残念なのは、たった3ヵ所しかない合唱が、あまりにお粗末なこと。声が全く溶け合わないで、合唱の体をなしていません。この合唱団、以前聴いたものはこれほどひどくはなかったのに。オーケストラ(もちろん、オリジナル楽器ですが)の、今時珍しい乾ききったサウンドにも、ちょっと引いてしまいます。
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# by jurassic_oyaji | 2005-05-20 22:00 | 合唱 | Comments(0)
SALONEN/Wing on Wing



Esa-Pekka Salonen/
Finnish Radio Symphony Orchestra
DG/477 5375
(輸入盤)
ユニバーサル・ミュージック
/UCCG-1241(国内盤)


ロス・アンジェルス。フィルの音楽監督を務めるエサ・ペッカ・サロネンは、指揮者としてはもちろん高いレベルにランクされていますが、「作曲家」としてもかなりの実績を持っています。以前はSONYから自作自演盤がリリースされていましたが、他のアーティスト同様、彼もこのレーベルに見切りを付けた(付けられた?)ため、今回は移籍先のDGからのリリースです。2001年以降に作られた、オーケストラのための20分程度の長さの曲が3曲収録されています。
アルバムタイトルとなった「ウィング・オン・ウィング」という曲は、ロス・フィルの新しい演奏会場として作られた「ウォルト・ディズニー・コンサート・ホール」のこけら落としのために作られた曲、このホールの「ヨットの帆が最大限に風をはらんだ」ような外観にちなんだ曲名が付けられているということです。決して、2人組のアイドルにちなんだものではありません(それは「ウィンク」)。その写真はジャケットにもありますが、ちょっとわかりにくいのでこちらでも用意してみました。
  

確かに、奇才フランク・ゲーリーの設計によるこの建物は、ひときわ異彩を放っています。通り一本隔てているのが、今までの演奏会場であった「ドロシー・チャンドラー・パヴィリオン」、こんな近くに引っ越せるのですから、これほど定期会員に配慮した会場変更もないでしょう。ここで、もう1枚、このホールの内部の写真(模型)をご紹介。

なんだか、サントリーホールによく似た感じだとは思いませんか?そう、この新しいホールの音響設計を担当したのは、サントリーホールとか、札幌の「キタラ」を手がけた豊田泰久さんなのです。このホールの音響は、各方面で絶賛を博していますが、それが日本人の手になるものだというのは、ちょっと嬉しいことですね。ホールが完成したのは200310月のこと、12月には、当時アシスタント・コンダクターを務めていた日本人指揮者、篠崎靖雄さんがここで定期演奏会を指揮されたという、やはり私たちにとっては嬉しい出来事があったわけですが、どういう事情があったのかは分かりませんが、こけら落としのために作られたはずのこの曲が演奏されたのは2004年の6月のことでした。
サロネンの曲には、本質的にはとても厳しい意志が内包されています。それは、とても切りつめられたモチーフの反復という、かなり「ミニマル」の要素が強いものであり、決して甘いメロディーに流されるようなことはありません。ただ、それが「音」として聴かれる時には、彼の卓越したオーケストレーションのスキルによって、殆ど映画音楽のような華麗なインパクトを与えるものに変わるというのが、彼の「手」なのでしょう。その結果、私たちは、ちょっと「どこかで聴いたことがある」という既視感に陥ることになります。この曲の場合は、それは武満でしょうか、ラヴェルでしょうか、はたまたメシアンでしょうか。2人のソプラノの装飾的なヴォカリーズは、華麗なサウンドの味付としての役割を担うもの、そして、一瞬アヴァン・ギャルドな印象を受ける男の声(設計者のF・ゲーリー)のサンプリングすらも、このサウンドに貢献するものでしかありません。
他の2曲の場合は、もっと直接的にサウンドの渦に飲み込まれるだけの迫力があります。それは、作曲家のメッセージを受け取るにはあまりに饒舌すぎると感じるのは、私だけでしょうか。あ、念のため、オーケストラはロス・フィルではなくフィンランド放送響です。
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# by jurassic_oyaji | 2005-05-18 19:56 | 現代音楽 | Comments(0)
BRUCKNER/Symphonie Nr.5



Christian Thielemann/
Münchner Philharmoniker
DG/477 5377
(輸入盤)
ユニバーサル・ミュージック
/UCCG-1237(国内盤)


現在のミュンヘン・フィルの本拠地は、1985年に作られた「ガスタイク・ホール」。なんか、すごい匂いがしそうなところですが(それは「ガスタンク」)、2400人収容という、なかなか立派なコンサートホールです(もちろん、オルガンも付いています)。かつて、あのチェリビダッケがこのホールでこのオーケストラを指揮した映像が有名ですから、この、木材を多用した内部を持つホールは私たちには馴染みのあるものです。しかし、このCDのライナーにも写真が載っているのですが、いつも疑問に感じるのは、このホールが正確にはどういう形をしているのか、ということです。特にステージの形が、どんなアングルから見ても左右対称には見えません。レンズによるゆがみとも思ったのですが、どうもそうではなさそう、どこかにここの平面図でも掲載されてはいないでしょうか。
そのガスタイクで、2004年の10月に行われたのが、ティーレマンのミュンヘン・フィル音楽総監督就任記念のコンサートです。このCDは、その時に演奏されたもののライブ録音(もちろん、何回かの本番とリハーサルが適宜編集されています)です。
私が聴いたのは国内盤、そのコシマキには「このCDは長時間収録(8234秒)のため、一部のプレーヤーでは再生できないことがあります」という表示がありました。これには、3つの意味で驚かされました。まず、CDの収録時間がここまで伸びたのかという驚き、同時に、もしかしたら再生できないかもしれないような商品を堂々と販売しているメーカーの厚かましさに対する驚き、そして、普通だったらCD1枚に楽々収まるはずのブルックナーの5番にこれだけの時間を要しているという驚きです。前々任者のチェリビダッケが同じオケを振った録音が88分という突出して長い演奏時間を誇っていますが、一般的には70分台がまず妥当と思われるテンポなのですから。
しかし、スピーカーの左奥からとてつもないピアニシモのコントラバスのピチカートが聞こえてきたとき、そこには、ミュンヘン・フィルのメンバーが、この新しいシェフの元で、チェリビダッケあたりからたたき込まれたブルックナーについての美学を、思う存分開花させてくれるのではないかという予感のようなものを感じることが出来ました。それは、第1楽章の最初のテーマの広々とした歌い方によって、さらに現実のものとなります。第2楽章の不思議なリズムの重なり合いも、全く自然のたたずまいとして聴くことが出来ましたし、スケルツォでの生気あふれるアッチェレランドにも、作為的なものは全く感じられません。そして、長大なフィナーレでは、幾分冗長だと思えるようなまだ推敲の手が施されていないのでは、と思える場所をきちんと受け止められるだけの余裕すら感じることが出来ます。だからこそ、一番最後の殆ど「オマケ」に近いフレーズにさえ、確かな存在感を感じることも出来たのでしょう。そして、ここでは演奏時間から想像されるような「遅さ」は、全く感じられることはありませんでした。それどころか、このテンポだったからこそ、このガスタイクに輝かしく重厚な音を響き渡らせることが見事に成功したのでは、と思えるほど、それは納得のいくテンポだったのです。
一人一人の奏者の息づかいまではっきり受け取ることが出来るほどの優秀な録音によって、この、指揮者とオーケストラが幸運な船出を成し遂げた場の、いかにもブルックナーにふさわしい密度の高い音響空間は、このCDの中に確かに永遠の記録として残りました。
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# by jurassic_oyaji | 2005-05-16 19:47 | オーケストラ | Comments(2)
BRUBECK/The Gate of Justice

Dave Brubeck Trio
Kevin Deas(Bas)
Alberto Mizrahi(Can)
Russel Gloyd/
Baltimore Choral Art Society
NAXOS/8.559414



デイヴ・ブルーベックというジャズ・ピアニスト、かなり有名な人だと思っていたのですが、クラシック・ファンの間では殆ど知られていないという事実を発見して、ちょっと驚いているところです。彼の代表作とも言える5拍子という変拍子を用いた「テイク・ファイブ」という曲は、ジャズ・インストとしては初めて100万枚を突破する売り上げを記録した大ヒット曲、現在ではブラスバンドあたりのレパートリーにもなっているというのに(ちなみに、1959年に作られたこの曲は、ブルーベックではなく、カルテットのメンバー、サックス奏者のポール・デスモンドが書いたものです)。この曲を含む「Time Out」というアルバムは、ジャンルを超えた永遠の名盤として、歴史に残るものです。

そんな風に、ブルーベックは、彼のカルテットを率いてジャズシーンで「クール・ジャズ」の大御所として名をなしたわけですが、同時に、ダリウス・ミヨーにも師事したという彼は、クラシックの分野でも作曲を行ってみようとしました。実際にバレエやミュージカルを含む数多くの作品が今までに完成しているのですが、そんな、彼の別の面を明らかにしてくれるのが、このアルバムです。1969年に作られた「ゲイト・オブ・ジャスティス」という曲、ユダヤ教の聖書だけではなく、前の年に暗殺されたキング牧師の言葉などをテキストに用いた一種のオラトリオです。そこには、クラシックだけではなく、ジャズ、ゴスペル、そしてポップスなどの要素も渾然一体となって取り入れられています。と聞くと、最近新録音の出た、あのバーンスタインの「ミサ」を思い起こす人がいるかもしれません。あの曲も、作られたのは1971年、そんな時代だったのでしょうね。
曲の規模も、楽器編成も、バーンスタインほど大規模なものではありませんが、この曲の場合ももちろん普通の「オラトリオ」とはかなり異なった様相を見せています。中心になるのは、混声合唱と2人のソリスト、そのうちの一人はテノールの音域をカバーするものですが、ここで歌っているのは「カントール」という肩書きの付いた、ある種の「司祭」のようなもの、ちょっと独特のだみ声を聞かせてくれています。もう一人のソリストはバス・バリトン、テキストの内容に即して、黒人によって歌われます。そして、バックにはこのアルバムにはなぜかなんのクレジットもないのですが、おそらくはホルンやチューバなども含んだビッグ・バンドが用いられています。そして、そこにブルーベック自身が参加するトリオ編成のコンボが加わります。
作品の構成はかなりヴァラエティに富むものになっています。始まりは例の「カントール」のソロによる、ちょっとヘブライ風のコブシのきいた曲。そこにいかにもクラシカルな合唱が入ってきますが、次第にリズミカルな要素が多いものになってきたかと思うと、かなり唐突に「もろジャズ」のピアノトリオが入ってくるといった具合です。しかし、全体的には「平和」とか「自由」といったメッセージを素直に受け取ることが出来るだけの高揚感を伴ったもの、不自然な押しつけがましさなどは皆無です。真ん中辺で歌われる、「Lord, Lord」という、ブルーベック夫人のアイオラの歌詞によるナンバーが、とてもキャッチーで心にしみます。「カントール」が、アンサンブルの中では完全に浮いているのと、合唱の特に女声パートに拙さが残るというわずかな欠点も、ジャズとクラシックとの融合が放つ、時を経ても充分に色あせない魅力を、決して妨げるものではありません。それにしても、録音当時すでに80歳を超えていたブルーベックのプレイの若々しいこと。
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# by jurassic_oyaji | 2005-05-14 21:31 | 現代音楽 | Comments(0)
BEETHOVEN/Piano Concertos Nos.3&4


Yefim Bronfman(Pf)
David Zinman/
Tonhalle Orchestra Zurich
ARTE NOVA/82876 64010 2
(輸入盤)
BMGファンハウス/BVCE-38087
(国内盤 5月25日発売予定)


ブロンフマンというピアニスト、昨年11月にはゲルギエフとともに来日したウィーン・フィルとの共演で、大きな話題を呼びましたね。最近、その模様がテレビで放送されたものを見る機会がありましたが、会場での聴衆の熱狂ぶりはものすごいものでした。大きな体でラフマニノフのピアノ協奏曲第3番をいとも易々と演奏する様もさることながら、アンコールでスカルラッティのソナタという、非常にかわいらしい曲を軽やかに弾いていた姿が、私にはとても印象的でした。そういえば、あのホロヴィッツもスカルラッティを好んで演奏していましたから、ブロンフマンも、この世紀のヴィルトゥオーゾのようにこの愛らしい曲にテクニックを超えたところでの愛着を感じているのかもしれませんね。
そのブロンフマンが、ジンマン指揮のチューリッヒ・トーンハレというコンビをバックにベートーヴェンのピアノ協奏曲を録音しました。最近のこの指揮者の実績を考えると、これはあまり相性が良さそうな組み合わせではあるとは思えません。果たして、どんなことになるのでしょう。
そんなある意味「負」の予感は、「第3番」の冒頭のハ短調の分散和音が弦楽器によって奏でられたとき、見事に的中してしまったことを実感しないわけにはいきませんでした。例によって、当人たちは「オリジナル楽器」のポリシーを込めたつもりでやっているであろう、一つ一つの音を無愛想に短く切るという演奏、もちろん、彼らだけでそういうことをやっている分にはなんの問題もないのですが、そこにブロンフマンの洗練されたピアノが入ってくると、それは瞬時に色あせた安っぽい表現に見えてくるのです。このピアニストが紡ぎ出す、ムラのない音色や、輝かしい響き、そのバックとして、このような素っ気ない表現、そして、ビブラートをかけないで弾かれるガット弦の甲高い音色や、ゲシュトップがかかったナチュラル・ホルンのちょっとひなびた響きほど、ふさわしくないものはありません。「第4番」のフィナーレでは、弦楽器の導入に続いてソロのチェロだけを伴うピアノソロが入ります。最初にこの部分を聞いたときには、私のリスニングルームの外を、バイクでも走っていったのかという錯覚に陥ってしまいました。それほどこの華麗なピアノが鳴り響いている中では異質な音色でしかない「オリジナル」っぽいチェロの響き、このミスマッチを、私たちはどのように受け取ればいいのでしょうか。
例えば第3番の第2楽章などでは、ジンマンは見事なまでにピアノをサポートして、一体となった美しい音楽を作り上げています。しかし、オーケストラが前面に出て来る楽章では、その違和感は拭いようがありません。ジンマンは、ブロンフマンをソリストに選んだ時点で、それまでのかたくなな姿勢を改めるか、あるいは自らの意向に忠実なフォルテピアノの演奏家を新たに指名するか、どちらかの道を選ぶべきだったのです。そうしていれば、価格の安さしかじんまん(自慢)出来ないようなアルバムにはならなかったはずです。
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# by jurassic_oyaji | 2005-05-12 19:29 | ピアノ | Comments(0)