おやぢの部屋2
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MOZART/Requiem

Miriam Allan(Sop),Anne Buter(MS)
Marcus Ullmann(Ten),Martin Snell(Bas)
Morten Schuldt-Jensen/
GewandhausKammerchor
Leipziger Kammerorchester
NAXOS/8.557728



このところ、月1回ぐらいのペースでモーツァルトのレクイエムの新譜が出ています。マニアとしては嬉しいことですが、いちいちレビューを書いていても読まされる方にしてみれば煩わしいことかも知れません。ですからこれは、別に珍しい版を使っているわけでもなく、オリジナル楽器の演奏でもないので、とりあえずリストに載せる前に聴くだけ聴いてみようと思っただけなのです。そんなノーマークのアイテム、ところが、実際に聴いてみるとこれがとても素晴らしい演奏だったのには驚いてしまいました。
ここで演奏している合唱団は、1958年生まれのデンマークの指揮者、シュルト・イェンセンによって2001年に創設されたゲヴァントハウス室内合唱団です。それほど人数が多くないと思われるこの合唱団は、非常に訓練が行き届いているという印象を、たちどころに聴く人に与えてくれるはずです。パートとしてのまとまりや、トゥッティの時の響きの同一性といった基本的な「性能」は十分にクリアした上で、最も衝撃的にアピールしてくるのが、非常に軽やかなフットワークがもたらすリズム感の良さです。そこに、大胆で自由自在なフレージングが加わります。ライナーノーツの中でこの指揮者は、「モダン楽器であっても、フレージングやアーティキュレーションによってモーツァルトの時代の演奏の『幻影』を作り出すことは出来る」と述べています。例えば、「Kyrie」のフーガを聴いてみて下さい。その言葉通り、ライプチヒ・ゲヴァントハウス管弦楽団のメンバーによって組織されたライプチヒ室内管弦楽団とともにこの合唱団が織りなす声部の綾からは、まさにその「幻影」が浮かび上がってくるのをまざまざと感じることが出来るはずです。
そして、それ以上に素晴らしいのがソリストたちです。「Introitus」でまず聞こえてくるソプラノのアランの声の、何と美しいことでしょう。これは、かつてホグウッド盤でカークビーを聴いた時以来のショッキングな体験でした。少年のように透き通った、しかし、女声の持つ細やかな感情表現もしっかり備えているという、まさにこの時代の音楽の「幻影」を見せてくれるソプラノに、また一人出会えたのですからね。
アラン以外のソリストも、まさに粒ぞろい、ブターの深みのある音色、ウルマンの澄みきった響き、そしてスネルの力強さ。それぞれの魅力が堪能できるとともに、彼らが作り出すアンサンブルの妙も最高、この曲で4人の声がしっかり溶け合った時にのみ生み出される至福の時を、久しぶりに味わうことが出来ました。
モーツァルトがこの曲で聴衆の中に引き起こしたかった音楽的な感興、それは決して、モーツァルト時代の楽器を使ったり、不完全な補作を別なものに改めない限り与えることが出来ないものではありません。ここで彼らが見せてくれた軽やかな「レクイエム」の世界、それは、ここで演奏に関わっている全ての人達のの思いが一つの方向を向いた時、とてつもない訴えかけとなって伝わってくるのです。それこそが、シュルト・イェンセンの言うところの「幻影」なのかも知れません。それにしても、こんな素晴らしいCDがせんいぇん以下で買えるなんて。
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# by jurassic_oyaji | 2006-03-10 23:30 | 合唱 | Comments(0)
VIVALDI/Flute Concertos


Emmanuel Pahud(Fl)
Richard Tognetti/
Australian Chamber Orchestra
EMI/347212 2
(輸入盤)
東芝
EMI/TOCE-55805(国内盤 3月31日発売予定)


このジャケット、「パユさま」が物憂げに下を向いているショットがなかなか素敵ですね。ただ、このアングルだとおでこのサイドの部分がかなり上がってきてるのがはっきり分かってしまって、そういう意味での哀愁が感じられてしまうのはファンにとってはちょっと辛いことかも知れません。ある特定のアングルからの写真は決して認めないというゲ○バーのようなピアニストとは異なり、「全ての面で私を愛して欲しい」という気持ちの表れなのでしょうか。それとも、「外観ではなく、音楽で勝負」という境地に、ついに彼も達したという事なのでしょうか。
ヴィヴァルディの有名な作品10の協奏曲を中心としたパユの最新録音は、共演にオーストラリア室内オーケストラという新鮮な組み合わせを得て、今までになく斬新な味わいを持つ仕上がりになりました。このオーケストラは特に指揮者というものは置かず、コンサートマスターのリチャード・トネッティが中心になって、音楽を作っていくという形を取っています。そこからは非常にフットワークの軽い、自発的な音楽が生まれてきていることを感じることが出来ることでしょう。特に、アルバムを聴き始めてすぐ気付くのが、ダイナミックスの自在な変化です。作品10の1「海の嵐」の冒頭で、わずか1小節の間に急激なクレッシェンドとディミヌエンドを加えられているのを聴けば、そこからはショッキングなまでの躍動感が得られることを誰しもが感じないわけにはいきません。このような、生命感溢れる表情付けは、このアルバムを通して貫かれている彼らの一つの主張になっています。人によっては、終わりごろには「もういいや」と思う人がいてもおかしくないほど、それは執拗に迫ってきます。
パユのフルートは、そんな、ある意味作為的な流れの中で、特にソロとして目立つことのない、アンサンブルの中にしっかり溶け込んだ堅実な演奏ぶりを見せてくれています。しかし、それは見かけ上のことで、その様なさりげないそぶりの中に、実はものすごいテクニックと集中力が秘められていることには、果たしてどれほどの人が気づくのでしょうか。細かい音符が続くパッセージの中で、まるで一陣の風が吹き抜けたような錯覚に陥ったのは、絶妙なフラッター・タンギングのなせる技だったとは。
ゆったりした楽章では、彼らはもう少しの別の表情を見せています。そこでは極力ビブラートを抑えたパユのソロが中心になることによって、極めて禁欲的な佇まいが広がることになるのです。ある時などは、これ以上抑制したらもはや音楽ではなくなってしまうのではないかというほどの、ギリギリの段階で踏みとどまった極限のピアニシモに導かれて、あたかも異次元の世界の中にいるような体験が味わえるはずです。
もしかしたら、これはヴィヴァルディの音楽ではない、と感じる人がいたとすれば、それは、私達がランパルやゴールウェイによって開かれた健康的で豊饒な世界を知っているからなのかも知れません。例えば、作品10の5のような夢見るような穏やかな曲の中からも深刻な翳りを引き出さずにはいられないパユたちのアプローチによって、私達はヴィヴァルディの根源に関わるような問いを彼らから投げかけられていることを知るのです。その様なヴィヴァルディが果たして真実の姿なのか、あるいは一過性の流行なのか、それは歴史が証明してくれることでしょう。それまでは、ピーナッツの殻でもむきながら(それは「落花生」)気長に待つほかはありません。
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# by jurassic_oyaji | 2006-03-09 19:37 | フルート | Comments(0)
TAVENER/The Protecting Veil



Raphael Wallfisch(Vc)
Justin Brown/
The Royal Philharmonic Orchestra
MEMBRAN/222881-203(hybrid SACD)



以前クリスマスアルバムをご紹介したロイヤル・フィルのバジェット・シリーズ(とは言っても、サラウンド・レイヤー付きのSACDという立派なもの)、まさに玉石混淆のラインナップなのですが、その中に「癒しの帝王」タヴナーの名前がタイトルになったものがあったので、とりあえず曲名も見ずに買ってみたら、これが輝くばかりの「玉」でした。
ジョン・タヴナーといえば、このサイトでもお馴染み、瞑想的な曲調の合唱曲がよく知られています。しかし、ここで演奏されているのは、独奏チェロと弦楽合奏のための「奇蹟のヴェール」というインスト曲です。1987年にスティーヴン・イッサーリスのために作られたもので、2年後にはロンドンの「プロムス」で初演されています。そして、1991年には、イッサーリスによる世界初録音が行われました(VIRGIN)。その後、このような現代曲には珍しく、多くのチェリストがこの曲を取り上げるようになり、1996年にヨー・ヨー・マがSONYに録音するに及んで、一躍「有名曲」となってしまったのです。ラファエル・ウォールフィッシュによるこのCDは1994年の録音、おそらく、イッサーリスに次いで録音されたものでしょう。
タイトルの「奇蹟のヴェール」というのは、コンスタンチノープルを聖母マリアがヴェールで覆って、サラセン軍の攻撃から守ったというギリシャ正教での故事に基づいています。切れ目なく続く8つの部分から成るこの曲は、まるでイコンを順番に眺めていくような構成が取られており、最初と最後がこの「奇蹟のヴェール」、そして、その間に聖母マリアの生涯を描いた6つのイコンが置かれています。そう、まるであのムソルグスキーの「展覧会の絵」のような体裁を持っているのですが、そこでの「プロムナード」に相当するのが、「鐘のテーマ」です。それまでの瞑想的な曲調が、この、殆どクラスターといってもいい弦楽器の高い音の密集した和音の激しい刻みで断ち切られ、聴き手はそこで新たな風景を求める、という仕掛けです。その他にも、以前聴いた「徹夜祷」でも触れた彼の律儀な仕掛けは、その「鐘のテーマ」に続くFEという短9度の下降跳躍音型にも込められています。このパターンが登場するたびに、下の音Eのあとの音が一つずつ増えていって、最後に出てきた時には8つの音が揃うことになります。その最後の音から、この曲全体の「メインテーマ」が再現されて、一瞬の沈黙の後に次のイコンに移る、ということが、場面転換のたびに繰り返されているのです。
8つの「イコン」は、とてもヴァラエティに富んだものです。「受胎告知」や「キリストの復活」のような明るくリズミカルなものから、まさに「癒し」の極地、無伴奏のチェロだけで奏でられる瞑想的な「キリストの架刑と聖母の嘆き」まで、その振幅の広い組み合わせは、飽きることがありません。このチェロ独奏のあとでは、「鐘のテーマ」さえ穏やかなものに変わっています。そして、なんといってもハイライトは最後から一つ前の「聖母の死」でしょう。独奏チェロによって繰り返される同じテーマは、最初はドローンに乗ってほのかにたゆとうていたものが、次のシーンではいきなり不協和音で彩られ、それが最後には輝かしいばかりのハーモニーに包まれていくさまは、まさに感動的です。これは、まるで重厚なギリシャ正教の聖歌を聴いているような体験、このようなインスト曲の中にも、タヴナーの合唱曲の魅力は秘められていたのですね。
それにしても、全く休みなく演奏し続ける独奏チェリストの集中力は、大変なものだと感服させられます。ここでのウォールフィッシュも、最初から最後まで緊張感を保った演奏を聴かせてくれています。何でも、ライブでは譜面をめくる余裕さえないため、ちゃんとそのための人が横に付くのだとか。でも、とても難しい譜面ですから、その人は3年間練習したといいます(譜めくり3年)。
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# by jurassic_oyaji | 2006-03-06 21:55 | オーケストラ | Comments(0)
BACHARACH/At This Time




Burt Bacharach
SONY BMG/82876734112
EU輸入盤)
BMG
ジャパン/BVCM-31186(国内盤)


輸入盤のレーベル、しっかり「SONY BMG」となっていますね。日本にいたのではなかなか分かりづらいのですが、この2つの巨大レコード会社は、今ではすっかり一つの会社としての体裁を整えたという事が、このレーベルからはっきり分かります。今まで「仲の良いお友達」だと思っていた二人が、実はいつの間にか入籍をして夫婦になっていた、というようなものでしょうか。例えば、アンドリュー・デイヴィスのドヴォルザークのコンプリート・コレクションのように、音源はSONYなのですが、標章はレッド・シールというRCAのマークがついているにも拘らず、SONYから発売になって混乱した、というような状況が起こっているのです。ただし、日本ではこの二つの会社の日本法人が融合することはないそうです。これは親会社の関係だそうで、SONYはあくまでも家電会社として独立しているからだそうです。
さて、バッハBachの次はバカラックBacharachという、分かりやすいつながりです。50年代、60年代に数々のヒット曲を産んだ偉大なソングライター、アレンジャーとしてのバート・バカラックは、とっくの昔に「オールディーズ」という範疇に入ってしまっていたという認識でしたから、まさかこんな時に(というのが、アルバムタイトル)ニューアルバムが出るなんて、思っても見ませんでした。
今年78歳を迎えるバカラック、彼の28年ぶりのニューアルバムは、もはや功成り名遂げた者にのみ許されるような、本当に自分の作りたい物を心ゆくまで追求した、素晴らしい仕上がりになりました。バカラックと言えばまずヒットソングの作り手として知られていたものですが、ここでは、その様なヒットを狙う小細工など微塵も感じられない、あくまで良い音楽だけを作ろうとする真摯な姿を見ることが出来ます。住む家など、オンボロでも構いません(それは「バラック」)。
あえて「ヒットソング」を避けたという制作態度は、ヴォーカルの扱いに見て取ることが出来るはずです。殆どのトラックはまるでインストナンバーのように、バカラック自身のピアノやキーボードを中心に進んでいきます。(実際、純粋なインストナンバーも、2曲含まれています。)そこでのメインテーマは、ヴォーカルが受け持つことはまずありません。従って、ここで主にヴォーカルを担当している人達は、アレンジの範囲内での、言い換えれば極めて個性に乏しい歌い方に終始しているように見えます。そして、これは昔からのバカラックの魅力であった、厚ぼったいストリングス。ヴァイオリン19、ヴィオラ8、そしてチェロ4という編成は、殆どクラシックのオーケストラの編成と変わりません。そこから紡ぎ出されるゴージャスなサウンドは、たとえ今はやりのヒップ・ホップからリズム・ループを導入しようが、バカラックの本質には何の影響も与えないほどの存在感を持って迫ってくるのです。
彼のユニークなコード進行は、このようなインストが前面に出てきた作られ方によって、より必然性を感じられるものになりました。これらは一つの「作品」として、ジャンルを超えてその価値を主張できるだけのものに仕上がっているはずです。
とは言っても、やはり「ヒット曲」としての楽しみも欲しいものです。盟友エルヴィス・コステロが参加した「Who Are These People?」などは、変拍子も交えてヴォーカルが前面にフィーチャーされた、そんな願望を満たしてくれる曲なのでしょう。「Where Did It Go?」では、何とバカラック自身のヴォーカルも聴くことが出来ます。全ての歌詞を初めて自ら書いたというバカラック、この「作品」の持つある種の「暗さ」からは、それがヒット狙いではなかったからこそ、確かなメッセージを感じ取ることが出来たのかもしれません。
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# by jurassic_oyaji | 2006-03-03 19:55 | ポップス | Comments(0)
BACH/Cantates profanes BWV 207 & 214


Carolyn Sampson(Sop),Ingeborg Danz(Alt)
Mark Padmore(Ten),Peter Kooy(Bas)
Philippe Herreweghe/
Collegium Vocale Gent
HARMONIA MUNDI/HMC 901860



思い出したようにバッハのカンタータを出してくれるヘレヴェッヘ、今回は世俗カンタータが2曲カップリングされているアルバムです。教会の礼拝のために定期的に作らなければならなかった教会カンタータとは異なり、何かの機会に特別に注文を受けて作られたものが世俗カンタータ、この2曲も、就職祝いと誕生祝いという、おめでたい席のためのものです。ちなみに、バッハ作品目録(BWV)の201番から215番あたりまでが普通は「世俗カンタータ」と呼ばれていますが、その大半には「音楽による劇Dramma per musica」というイタリア語のタイトルが付いています。生涯オペラなどの「劇音楽」とは縁がなかったバッハですが、それに近いものをこのような形で作ってはいたのですね。R-15指定だって作っていますよ(それは「風俗カンタータ」)。
BWV207「鳴り交わす弦の相和する競いよVereinigte Zwietracht der wechselnden Saiten」は、ゴットリープ・コルテという人がライプチヒ大学の教授に就任したお祝いの席で演奏されたものです。ここでは4人の独唱者がそれぞれ「勤勉」、「名誉」、「幸福」、「感謝」という「配役」を与えられて、お芝居仕立てでこのセレモニーを盛り立てる、という形を取ることになります。
ところで、この第1曲目を聴くと、なんだかどこかで聞いたことのあるような気になるはず。それも当然のことで、これは有名な「ブランデンブルク協奏曲第1番」の3曲目をそのまま転用、そこに合唱を加えたという、いわゆる「パロディ」だったのです。こういう「使い回し」はバッハのように日々の職務に忙しくてなかなか期日までには新しい曲を作り上げるのが難しい人の場合、日常的に使っていた手法ですから、別に目くじらを立てることもないでしょう。この曲の中程、バスとソプラノの二重唱の後に「リトルネッロ」という部分がありますが、これも同じブランデンブルク協奏曲第1番の4曲目の第2トリオ、こういう形で使われると、逆に親近感が湧いては来ませんか?
BWV217「鳴れ、太鼓よ!響け、トランペットよ!Tönet, ihr Pauken! Erschallet, Trompeten!」は、その逆のケース。冒頭の合唱は「クリスマス・オラトリオ」の最初の曲だというのは、誰でもすぐ分かるはずですが、こちらの方が元ネタになっています。この曲の合唱とアリア5曲のうちの4曲が、翌年に作られた「クリスマス~」に転用されることになるのです。こちらはザクセン選帝侯妃マリーア・ヨーゼファの誕生日のお祝いのための曲、やはり4人のソリストが、平和、戦争、知恵、風評を司る4人の女神に扮して選帝侯妃を褒めちぎるという趣向です。お馴染み、タイトルそのままのティンパニとトランペットが華々しく盛り上げる1曲目がキャッチーですが、5曲目のアリアのしっとりとしたオーボエ・ダモーレのオブリガートを担当しているマルセル・ポンセールの演奏には、思わず耳を奪われてしまいます。
独唱陣は、ヘレヴェッヘの趣味でしょうか、いずれも軽めの声の持ち主で、爽やかな印象を与えてくれています。特にソプラノのサンプソンの可愛らしさは魅力的、バスのコーイも嫌みのないあっさりとした歌い方がなかなかです。しかし、テノールのパドモアは軽さが度を超して浮つきすぎ。そして、アルトのダンツ。昔はもっと深みのある声だったのに、いつの間にこんなに薄っぺらになってしまったのでしょう。
合唱は、この派手なオケに隠れてしまって、いまひとつ存在感が主張できていないように見えます。パートとしてのまとまりがいまひとつ、これも昔はもっと充実した響きを持っていたはずですが。
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# by jurassic_oyaji | 2006-03-01 19:32 | 合唱 | Comments(0)