おやぢの部屋2
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HÄNDEL/Dixit Dominus, BACH/Magnificat
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Christina Landsmer, Diana Haller(Sop)
Maarten Engeltjes(CT)
Maximilian Scmitt(Ten), Konstantin Wolff(Bar)
Peter Dijkstra/
Chor des Bayerischen Rundfunks, Concerto Köln
BR/900504




音楽監督就任から10年近く経って、もはやダイクストラは名実ともにバイエルン放送合唱団のシェフとして不動の地位を固めたようです。同時にスウェーデン放送合唱団の首席指揮者も務めるという多忙な環境にあって、ますますその活動は注目を集めるようになってくることでしょう。
彼が以前この合唱団とバッハの「マタイ」を録音(抜粋ですが)した時には、オーケストラは「同僚」のバイエルン放送交響楽団でした。しかし、2010年に録音された「クリスマス・オラトリオ」ではベルリン古楽アカデミー、そして今回の「マニフィカート」ではコンチェルト・ケルンと、このところピリオド楽器のオーケストラとの共演が続いています。もう少しすると発売になる2013年録音の新しい「マタイ」も、やはりコンチェルト・ケルンとの共演ですので、バッハに関してはこのようなスタイルに軸足を移動したのでしょうか。
このアルバムは、ライブ録音、バッハの前にヘンデルの「ディキシット・ドミヌス」が演奏されています。バンジョーは入っていません(それは「ディキシーランド」)。ヘンデルが22歳という若さで作った曲ですが、5人のソリストと5声部の合唱という、これはカップリングのバッハの「マニフィカート」と全く一緒の声楽の編成となっています。同じコンサートで演奏するには、都合がいいでしょうね。もっとも、オーケストラの方はヘンデルは弦楽器と通奏低音だけですが、バッハでは管楽器やティンパニまで入ったきらびやかなものになっています。
編成こそ地味ですが、ヘンデルの作品は1曲目の合唱「Dixit Dominus Domine meo」から、いきなりキャッチーな華やかさで迫ってきます。パッセージが華やかなのと、コード進行が現代のポップスでもそのまま使われているような親しみのあるクリシェだというところがポイントになっています。この辺の、おそらくイタリアあたりに由来する(ヴィヴァルディなどは、こればっかりです)ハーモニー感が、ヘンデルの一つのキャラクターなのかもしれませんね。
そういう明るいキャラの音楽を、この合唱団はとても真面目に歌っています。一音一音をしっかりとていねいに歌いあげるという姿勢を、彼らはどんな時にも貫いているのでしょう。それでも、ヘンデルのもつ軽いテイストが損なわれることがないというあたりが、おそらくダイクストラの資質なのかもしれませんね。
6曲目の「Dominus a dextris tuis」では、続く「Judicabit」と「Conquassabit」が同じトラックにまとめられていて、まるでオペラのようなドラマティックな音楽を展開しています。
最後の「Gloria Patri et Filio, et Spiritui Sancto」では、フーガさえも単なる音の羅列ではないしっかりとした「意味」が感じられるものになっていました。ヘンデルのスピリッツが堅実な中にも見事に現れています。
ところが、後半のバッハになったとたん、そのような生き生きとした軽やかさが全くなくなってしまいます。何よりもダイクストラのとったテンポがあまりにも鈍重、そこでトランペットやティンパニが華やかに盛り上げても、合唱がやたら重苦しく歌っていて、なんとも気が晴れません。この合唱団の真面目さが、バッハになるとこういう形で表れてしまうとは。ただ、この重苦しさは合唱が出てくるところだけ、ソリストたちのアリアや重唱はバックのコンチェルト・ケルンの軽妙さもあって、別物の楽しさを与えてくれています。バスのアリア「Quia fecit mihi magna」の楽譜には通奏低音の伴奏しか書かれていませんが、それをアドリブで埋め尽くしているオルガンのセンスなどはたまりません。ダイクストラと同じオランダ出身のカウンター・テナー、マールテン・エンヘルチェスが歌う「Esurientes」も絶品でした。
録音は、ほとんどCDであることを感じないほどの、伸びのある音を聴かせてくれるものでした。

CD Artwork © BRmedia Service GmbH
# by jurassic_oyaji | 2014-04-08 23:04 | 合唱 | Comments(0)
再建工事
 きのうの「おやぢ」で取り上げたCDを聴くまでは、モーツァルトの40番の第2楽章がこんなことになっていたとは知りませんでしたよ。いや、この曲がクラリネットが入っていない初稿と、それが加わった改訂稿があるということぐらいは知ってましたが、それ以上は別に何もないと思っていましたからね。確かに、ベーレンライター版のポケットスコア(音友版)の最後には、なんか変な楽譜が「付録」として付いていましたが、そんなものは大した意味はないのだと無視してましたし。
 でも、さっきのCDを聴くときに、まずライナーをしっかり読んでみたら(ライナーとデータはどんな時でもきちんとチェックします)かつてはこの部分が元の楽譜に加わっていたものが出版されていたことがあって、そのCDでもそのバージョンで演奏してる、というのですから驚いてしまいました。そこで、初めてスコアにあった校訂報告の序文もちゃんと読んでみたんですね。いや、正直、このCDは編曲も演奏もとことんしょうもないものでしたから、殆どボツにしようかと思っていたのに(そういうのが結構あります)、こんなにおいしいポイントがあったなんて、まるでゴミの山の中から杉浦茂の初版本を見つけ出したような気分でしたよ。
 その際に、これがいかに貴重な(もちろん、単に「版」的に、というだけですが)ものかを確かめるために、他に同じことをやっている録音はないか、調べてみることにしました。しかし、手持ちのものと、もちろんNMLを総動員しても、そんなことをやっているものは見つかりませんでしたよ。やはり、あそこを8小節に拡大するのは、どんだけこじつけようとしても普通は無理だと分かるものだったのですよ。たまたま、同じ楽譜を使って録音しているものも見つかったので聴いてみたら、それもしっかり4小節に直して演奏していましたからね。
 それと、いろいろ聴いた中で、問題の後から加えられた楽譜(テーマを木管ではなく弦楽器が演奏しているバージョン)に差し替えて演奏しているものは、「第1稿」と「第2稿」を両方とも録音しているホグウッド盤しかありませんでした。もちろん、差し替えられているのは「第1稿」の方です。これこそ、「オーセンティック」を気取るピリオド系だったら他にもありそうな気もするのですが、今のところ見つけられてません。もし、見つけた方はご一報を。
 そんな、一度バラバラになったものを、きちんと元の姿に戻すというのは、なんにしても興味深いものです。職場のお隣の青葉神社で、震災の時に倒れてバラバラになってしまった鳥居を再建する工事が、3年以上経ってやっと始まりました。少し前から石段のところに重機が入れるように鉄板を敷いたりしていたのですが、いよいよ本格的にその姿が現れようとしています。
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 まだ土台部分しか見えませんが、ほどなくこの上に立派な鳥居が立つことになるのでしょうね。ここはいつも通勤の途中に通る場所なので、こんな間近のアングルで写真も撮れますから、楽しみです。おそらく、完成の目標は今年の青葉まつりなのではないでしょうか。まだ1カ月以上ありますから、きっと出来上がることでしょう。
 姿を現してきたのは、他にもあります。先日ご紹介した池の中の卵が、だいぶ育ってきて、こんな風になってます。
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 黒い粒粒が、それぞれ小さなオタマジャクシです。これがそのまんま大きくなるのですから、これは壮観ですよ。もしかして、人によっては正視できないような写真がこれから載るかもしれませんから、こういううじゃうじゃ系が苦手な方は、ご用心を。
# by jurassic_oyaji | 2014-04-07 21:29 | 禁断 | Comments(0)
HUMMEL/Mozart's Symphonies Nos. 38, 39, 40
HUMMEL/Mozart\'s Symphonies Nos. 38, 39, 40_c0039487_20374688.jpg



Uwe Grodd(Fl), Friedemann Eichhorn(Vn)
Martin Rummel(Vc), Roland Krüger(Pf)
NAXOS/8.572841




フンメルという、まるで下剤のような名前の作曲家(それは「糞出る」)によってフルート、ヴァイオリン、チェロ、ピアノという編成のアンサンブルに生まれ変わったモーツァルトの交響曲です。彼は8歳の時にモーツァルトの家に住み込んでピアノのレッスンを2年間受けていて、生涯その師に対する尊敬の念を持ち続けますが、これもそんな気持ちの表れだったのでしょう。
このような編成ですから、おそらくコンサートでお客さんを前にして演奏するというよりは、実際に自分たちで演奏して楽しむ、といった需要に答えて作られたものなのでしょう。基本的に、プロではないけれど、かなり達者にピアノが演奏できる人が中心になってモーツァルトの交響曲の骨格を演奏、それにオブリガートという形で他の3つの楽器が絡む、と言った感じなのではないでしょうか。
ですから、これらの編曲を聴いていると、アンサンブルのそれぞれのパートにしっかりとした必然性があるとは、なかなか思えてきません。例えば、39番の第3楽章のトリオでは、オリジナルは弦楽器の薄い刻みに乗って2本のクラリネットと1本のフルートが、文字通り「トリオ」として、2番クラリネットのベースラインの上で1番クラリネットとフルートが掛け合い演じるという絶妙のアンサンブルが展開されているのですが、この編曲では、なんとフルートのフレーズとピアノとが重ねられているのです。これは、原曲を知っている人にはとてつもなくダサいアレンジに聴こえるはずです。
したがって、こういう楽譜を演奏するのであれば、ピアノ以外の楽器は極力「邪魔にならない」ようにふるまうのがセオリーとなるはずです。ところが、このCDではピアノのクリューガーがとても素晴らしい演奏を聴かせてくれているのに、フルートのグロットが、まるで自分が主人公のようにふるまっているものですから、事態は深刻です。このフルーティストは、特にピッチがなんとも不安定なためにいやでも目立ってしまって、アンサンブルをぶち壊しているのですからね。
ところで、このCDを聴いていると、40番の第2楽章の中で2ヶ所、ちょっと「変だな」と思えるところがあることに、誰でも気付くはずです。それは正確には、提示部の29小節から32小節と、再現部の100小節から103小節のそれぞれ第2主題の中ほどの4小節間。原曲では木管が切れ切れに三十二分音符の下降スケールを4小節に渡って交代に吹くという部分です。そこで全く同じ形のものが多少アレンジを変えて丸々2回繰り返されています。つまり、オリジナルの4小節が8小節に拡大されているのですよ。実は、モーツァルトの自筆稿ではここで確かに新たにその4小節分の楽譜が加えられているのですが、それは現在では「代替用」として加えられたものだと考えられています。しかし、当時の写譜屋がそれを「追加用」と勘違いして誤ってそこに挿入してしまったために、最初の出版譜では「8小節」として印刷されてしまいました。もちろん、後の楽譜ではその箇所は「4小節」に訂正されているのですが、フンメルがこの編曲を行った時にはまだその「誤った」楽譜しか世に出ていなかったのですね。
しかし、今回新しく楽譜を校訂したグロットは、その部分はそのまま「8小節」にしています。なんでも、1997年に「その部分は『追加用』とみなされるべきである」という説が発表されたのだそうなのですよ。しかし、実際にここで音になっているその部分を聴いてみると、「8小節」にするためにその「4小節」を4小節目の最後から1小節目の最初につなごうとすると、その間の和声が絶対にモーツァルトではあり得ない進行になってしまうのですね。それは、新モーツァルト全集の校訂者のロビンス・ランドンも言っていること、まともな審美眼の持ち主であれば、ちょっと、この「新説」には同意しかねるのではないでしょうか。
この部分は、こちらで聴くことが出来ます。第2楽章の01:31からと05:32からです。なお、2006年に録音されたヘンリク・ヴィーゼなどによるCD(BIS-1567)では、ここは「4小節」で演奏されています。

CD Artwork © Naxos Rights US. Inc.
# by jurassic_oyaji | 2014-04-06 20:39 | オーケストラ | Comments(0)
花嫁の父
 たまりにたまった新聞からいしいひさいちの「ののちゃん」を切りぬいてスクラップするのは、このところ3ヶ月に1回というペースで行われています。いや、べつにそんなにまとめる必要はさらさらないのですが、ついつい面倒くさくて後回しにしていると、このぐらいになるまではやる気が起きないのですよ。しかし想像してみてください。新聞3ヶ月分というのはかなりの厚さですよ。15センチではききませんね。30センチぐらいはあるでしょう。それが部屋の中にあれば、早くなんとかしてくれという声がどこからともなく聴こえてきますよ。そこで一念発起、切り抜き作業が始まることになります。
 切り抜きを始めると、いやでも紙面に目が行ってしまいます。なんせ、去年の年末からの分がありますから、その見出しだけを追って行っても感慨深いものがありますよ。そう言えば、こんなことがあったなあ、とかね。それで気が付いたのですが、小保方さんがSMAP細胞を発見したのは、佐村河内氏の偽装が発覚したのより前のことだったんですね。SMAPの方は、発見された時より「捏造ではないか」と騒がれた時の方が印象が強く残っていますから、ついこちらの方が後だったような気がしてしまいました。そうなんですよね。やはり他人の「成功」よりも「失脚」の方が、メディア的には喜ばれますから、それだけ取り上げ方が過激になって、強いインパクトが与えられるものなのでしょう。
 そんな風に、ちょっと油断をしていると半年や1年なんてすぐに経ってしまいますから、それなりの準備は早いに越したことはありません。というのも、最近ネットで、こんな動画(下の画像からリンクしてます)が出回っていて、つい泣かされてしまっているものですから。
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 これは、岩手県にある東山堂という楽器店が作ったCMなのだそうです。このお店、「とうさんどう」というんですってね。なんでこんな縁起の悪い名前を付けたのか、本気で心配になってきますが(倒産したらどうするのでしょう)、これはとてもただの宣伝とは思えないような、しっかり胸に響く仕上がりになっていますよね。もちろん、しっかり泣かせどころを押さえている、ということもありますが、私としては、ついこの不器用な山中さんに感情移入してしまうのですよ。まあ、そんなに遠くない将来には、間違いなくこういう立場になることが予定されているものですから、山中さんの頑張りが他人事とは思えなくなってくるのです。一瞬停まってしまった時には、私も本気で「頑張って!」と叫んでいましたよ。
 もちろん、シチュエーションはかなり違っています。山中さんと同じ感動を与えるためには、まず一人娘の母親が亡くならなければいけません。それがないことには、こんなたどたどしいピアノを弾いたって、何の意味もないのですからね。でも、それはちょっとあり得ない話なので、私がこんなドラマティックなことをサプライズで仕掛けることは不可能です。とても残念ですが。
 でも、座を盛り上げるために、何か芸をするのはいいことなのかもしれません。ピアノや弦楽器(びおらとか)は難しいから無理でも、フルートぐらいだったら簡単でしょうから、今から音楽教室に通えば、今年中にはパッヘルベルの「カノン」ぐらいはなんとか吹けるようになるかもしれませんね。誰か、いい先生をご存知でしたら紹介してもらえませんか?
# by jurassic_oyaji | 2014-04-05 21:23 | 禁断 | Comments(0)
BERLIOZ/Symphonie Fantastique
BERLIOZ/Symphonie Fantastique_c0039487_2030435.jpg



Eugene Goossens/
The London Symphony Orchestra
EVEREST/KKC-4026(hybrid SACD)




「エヴェレスト」というのは、ステレオLPが開発された1950年代後半にアメリカに登場したレーベルです。何よりも、最初からステレオによる優秀な録音を目指していましたから、発売当初から音の良さには定評がありました。日本でもオーディオ・マニアの間でその音は高く評価されています。
初期のものは普通の録音テープを使って録音されていましたが、やがて「35mm磁気フィルム」を使うようになると、その音のクオリティはさらに高まることになります。これは、当時映画のために開発されたもので、映画用の35mmフィルムのベースに磁性体を塗布して、録音用のテープとして使ったものです。標準の録音テープより幅も広く、走行スピードも速いので、当然音のクオリティも上がります。さらに、両端に穴が開いていますから、回転ムラも軽減されます。当時はマーキュリーやコマンドといったレーベルもこの究極のアナログ録音方式を採用して、多くのLPが世に出たのですが、いつの間にかこのシステムは世の中から消え去っていましたね。
そんな新興レーベルを演奏面で支えたのが、19世紀末に生まれたイギリスの作曲家でもあった指揮者、ユージン・グーセンスです。「春の祭典」のイギリス初演を行ったり、アメリカやオーストラリアのオーケストラで常任指揮者を務めるなどして「サー」の称号まで授与されたのですが、晩年にちょっとした問題を起こしたために、楽壇から半ば追放された状態になってしまいます。いえ、別に他人に曲を作らせて、それを自作と偽って大儲けしていたというわけではないのですけどね。
そんな「干された」巨匠がいたからこそ、エヴェレストは今日まで語り伝えられるほどの価値のあるレコードを数多くつくることが出来たのです。彼がいかがわしい女性と関係を持ったりしていなければ、半世紀以上前のアナログ録音が、最新のSACDとなって今日の市場をにぎわすことはなかったでしょう。
もちろん、もはやエヴェレストというレーベルは存在していませんから、そのようなトランスファーを行ったのは別の会社です。しかし、それに関して販売元のキング・インターナショナルは「オリジナルの35ミリ磁気テープからSACDマスタリングを施した」と言っていますが、それは正確ではありません。調べてみたら、2007年に「HDAD」という耳慣れないフォーマット(もはや完全に消滅した「DVD-Audio」の進化系)で発売されたアイテムと全く同じマスターが今回使われていたことが分かりました。その時のスペックは24bit/192kHzPCM、つまり、もはやヴィンテージものとなってしまった35mm磁気フィルム再生用のプレーヤー(Westrex-1551)からデジタル変換を行った時には、PCMにトランスファーされていたのですね。したがって、このSACDは、それをさらにDSDに変換したものなのですよ。したがって、「磁気テープ→SACD」としているさっきのキングの表記は全くの嘘っぱち、それは、「マス」を「サケ」と表示するのよりたちの悪い偽装に他なりません(こんな、すぐにばれる嘘は、ふつうの人は避けます)。
確かに、ここからは最良のアナログ録音ならではの、たっぷりと「実の詰まった」音を味わうことは出来ます。音場設定も、第2楽章の冒頭で聴こえる2台のハープの位置関係までしっかり分かるものでした。そして、なんと言っても圧巻は第5楽章に登場する「鐘」の音です。その存在は、まさにその場で叩かれているようなリアルさで迫ってきます。
ところが、オーケストラ全体の音が、なんとも鈍いのですね。特に、ピッコロの音は絶対聴こえてほしいところでは全く聴こえてきませんし、第4楽章のトロンボーンのペダルトーンも、全然聴こえません。はっきり言って、これは音楽に必要な音がなくなってしまっている欠陥商品です。鐘の音に惑わされてこんなものをほめちぎるオーディオ評論家は、音楽をきちんと聴き取れるだけの耳は持っていないのでしょう。

SACD Artwork © Countdown Media GmbH
# by jurassic_oyaji | 2014-04-04 20:33 | オーケストラ | Comments(2)