おやぢの部屋2
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BACH/St John Passion
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James Gilchrist (Eva), Matthew Rose(Jes)
Elizabeth Watts(Sop), Sarah Connolly(Alt)
Andrew Kennedy(Ten), Christopher Purves(Bas)
Richard Egarr/
Academy of Ancient Music, Choir of AAM
AAM/AAM002




今まではHARMONIA MUNDIなどを中心に録音を行っていたアカデミー・オブ・エンシェント・ミュージックは、最近自分たちのレーベルを作ったそうです。なんでも、このオーケストラは昨年2013年に創立40周年を迎えたそうで(延々と活動を続けていたのですね)、そういう節目での心機一転、ということなのでしょうか。
その「AAM」レーベルの第2弾としてバッハの「ヨハネ受難曲」が出るという情報を見つけました。それによると、なんとそれは「1724年稿」で録音されたものだ、というではありませんか。ご存知のように、きちんとこの初演時の楽譜を復元して録音されたものは知る限りではフェルトホーフェン盤1種類しかありません。「1724年稿」というようなタイトルでリリースされたものでも、実際に聴いてみると全く別物なのでがっかりさせられたことが、何回あったことでしょう。
ですから、今回のAAM盤も現物の音を聴くまでは信用はできません。でも、発売になるのは1ヶ月も先のこと、早く聴いてみたいなあ、と思ってダメモトでNMLを検索してみたら、たった今、という感じでアップされているではありませんか。しかも、公式サイトではブックレットが丸ごとダウンロードできますから、ライナーノーツや録音データも見ることが出来ます。別にSACDではないようですので、それだったら1ヶ月も待つことはないと、さっさと聴いてしまいましたよ。
その結論はというと、これは例えばハジェット盤のような「『1724年稿』という表記はあっても、似て非なるもの」ではなく、指揮者のエガーがしっかり自分で楽譜を「復元」しているという、まぎれもなく「1724年稿」を目指したものでした。まあ「目指した」というあたりがちょっと、なのですが。
そもそも「1724年稿」がどういうものなのかは、すでに1725年稿と1749年稿を出版しているCARUSがそれぞれのスコアに詳細な対照表を掲載しているので知ることが出来ます。ただ、楽譜についてはかなりのところまで分かっているのですが、編成については今一つ不明な部分があります。それは、この時にフルートが演奏されていたか、という点です。CARUSの対照表では、1曲目だけは「フルートは入っていない」というだけで、それ以後の曲については明言を避けていますが、先ほどのフェルトホーフェン盤では、「全曲フルートはなし」という立場で、後の稿ではフルートで演奏されている部分は、全てヴァイオリンやオーボエなどの他の楽器で置き換えられています。
この点についてのエガーの見解は、それとは全く逆、「この時代のカンタータではフルートは使われていたので、当然この曲にも入っていたはず」というものでした。そして、全ての資料を当たっても、フルート奏者がいたという確実な証拠がない理由として「2人のオーボエ奏者のうちの一人が、持ち替えで吹いた」という解決策を提案しています。したがって、フルートが登場するのは9番のアリア、34番のアリオーソ、35番のアリアだけ、その他の合唱部分やコラ・パルテのコラールではオーボエの音しか聴こえてきません。
まあ、フルートの有無についてはそのような「状況証拠」しかありませんから、結論が出ることはないのでしょうが、3番のコラールでピカルディ終止になっているのと、38番のレシタティーヴォが23小節ではなく、後の形の25小節になっているという2点が、CARUSの対照表とは異なっているのが、気になります。この点に関してのエガーの説明は、ここにはありません。
エガーはここで「初期の荒削りな姿」を伝えたかったのだそうです。合唱の部分ではそれは成功しているようですが、ソリストたちのスタイルにちょっと異質なものがあるために、そこから「祈り」とか「愛」などを感じとるのはちょっと困難です。
録音はLINNのフィリップ・ホッブスが担当しています。NMLAACで聴いても、その片鱗は感じられます。

CD Artwork © Academy of Ancient Music
# by jurassic_oyaji | 2014-03-23 20:34 | 合唱 | Comments(0)
レコード芸術での、S氏のインタビュー
 「あと10日で、消費税が上がります」と、あちこちで大騒ぎですね。かく言う私も、わが社に置いてあるコーラの自販機の営業の人に、「130円に上げてください」とお願いされてしまいました。しかし、便乗もここまで来ると怒る気にもなれませんね。消費税5%を載せて120円で売っているコーラの消費税を8%にすると、いくらになりますか?123円43銭じゃないですか。どんなに頑張って四捨五入してみても、130円になんかなるわけがありませんよ。ぼったくり、ってやつですね。もちろん、これは販売者が価格を決めるものですから、わが社は値段は据え置きです。
 しかし、普通にレジでお金を払って買うものは、しっかり消費税分の増額が加算されます。「レコード芸術」の最新号を買ってきたら、その裏側にこんな表示がありました。
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 定価が2種類書いてある本なんて、生まれて初めて見ましたよ。同じ本でも、4月に入ってから買うと39円余計に取られることになるのですね。
 この雑誌、相変わらず本文は何の役にも立たないつまらないものですが、最後の最後にこんな面白い「記事」が載ってました。
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 なんか「いまさら?」って感じですが、月刊誌だとこんな間抜けなタイミングになってしまうんですね。それ以上に、この文章の間抜けなこと。いや、別に「あくまでその音楽を試聴したうえでの批評・記事であり」の後に「作曲者が誰であっても、あくまでその音楽を対象に批評・記述した」と、全く同じ意味のセンテンスをつなげる、とてもプロとは思えない美しくない文章力を嗤いたいのではなくて、そんな、誰が読んでも本気にするわけがないことを堂々とこういう場所に書く神経を、あざ笑いたいのですよ。この雑誌の中には、そのような「批評」が全くないとまでは言いませんが、こんなに自信を持って言い切れるほどの、自分のライター人生を賭けるぐらいの意気込みで書いたものなどはほんの少し、それ以外は、レコード会社から渡された資料を上手にコピペして、いかにその商品が素晴らしいものであるかをとうとうと語り上げる、という、単なる宣伝記事に終わっているものでしかないはずです。最も大切なのはレコード会社の意向、「音楽」や「作曲家」は二の次、というスタンスで作られている雑誌がこんなことを書いても、しらじらしいだけです。
 さらに「本誌は音楽専門誌であり、同氏の経歴や境遇を端から疑うことは本誌のスタンスではありません」ですって。「音楽専門誌」ですらない、単なる「音楽宣伝誌」がよく言うよ、とは思いませんか。レコード会社から頼まれたインタビューの相手を疑うなんて、そもそもあり得ませんって。「スタンス」以前の問題ですよ。
 この中の「2011年11月号」という、そのインタビューが載っているバックナンバーが、たまたま手元にありました。
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 これを読むと、ああいうことがあったから、というのではなく、こういう雑誌での「インタビュー」がどういうものなのかがとてもよく分かります。インタビューを行った山野雄大さんという「ライター」は、しっかり資料は読んでるし、おそらく著書だって読んでいるのでしょう、とてもこの場にふさわしい「いい仕事」をしているのではないでしょうか。つまり、そこでは「現代音楽を学びたくないから、音楽学校へは行かなかった」というような、ツッコミどころ満載の経歴があるというのに、そういうことには一切触れず、ひたすらこの「作曲家」の述べることを、いかに感動的な文章にまとめるかという点にのみ、腐心しているようでした。
 たまたまこんな結末を迎えたために、これがいかにむなしいインタビューであったかがはっきり分かるのですが、実際にこういう世界に片足のほんの爪の先端だけを突っ込みかけていたことがある私としては、こういう媒体での記事の基本はみんな同じだ、という気がしてなりません。
# by jurassic_oyaji | 2014-03-22 22:21 | 禁断 | Comments(0)
LE LIVRE D'OR DE L'ORGUE FRANÇAIS
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André Isoir(Org)
LA DOLCE VOLTA/147.2




ジャック・ル・カルヴェという人が1972年に創設したフランスのレーベルが、CALLIOPEです。アナウンサーではありません(それは軽部真一)。普通は「カリオペ」と呼ばれていますが、フランス語読みだと「カリオップ」となるのだそうです。
そのCALLIOPEが、創設直後から1976年にかけて敢行したプロジェクトが、このタイトル、日本語では「フランス・オルガン音楽の至宝」となります。それは、全部でLP30枚分という、膨大なアンソロジーでした。ルネサンス期の作品からメシアンまでをカバーするという、それまでに前例のない企画、中でも、17世紀から18世紀にかけてのフランスのオルガン作品が独自の輝きを持っていた時代のものが、これだけ体系的に録音されたのは初めてのことでした。その中で、メシアンの6枚はルイ・ティリーが演奏していましたが、残りの24枚は、アンドレ・イゾワールが一人で録音したものです。そのうちの10枚のアルバムに収録されていたものが、今回6枚のCDとなって、ボックスとしてリイシューされました。
実は、このシリーズが最初にLPでリリースされた時には、国内盤がビクター音産から出ていました。それが、まずオーディオ的なすごさによって大評判となります。確かに、ル・カルヴェとタッグを組んでいたエンジニアのジョルジュ・キセロフによる録音は、まさに驚くべきものでした。ですから、国内盤では飽き足らず、わざわざ秋葉原まで行って何枚かフランス盤を買ってきたほどです。それは、ジャケットもとても凝ったもので、見開きのダブルジャケットのLPを入れる部分に、さらに折り返しがあって埃の侵入を完全に防ぐ工夫が施されていました。
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今回のボックスでは、そんな初期のジャケットの片鱗すらもない、ケバいデザインに変わっていました。ただ、その外箱に日本語が印刷してあるのにはちょっとびっくり、ブックレットも、しっかり全文がフランス語、英語、そして日本語で印刷されています。おそらく、このレーベルのファンが日本には多いことを考慮してのことなのでしょう。先ほどから「カリオップ」とか「キセロフ」といった、見慣れない表記があるのは、その訳文からの引用だからです。
ご存知のように、ル・カルヴェは2010年に自らの手でこのレーベルを終息させてしまいました。その後、権利とカタログは他人の手に渡るのですが、そんな中で2011年に、このLA DOLCE VOLTAという新しいレーベルが、CALLIOPEのカタログのリイシューのために設立されました。ただ、それとは別にCALLIOPEのレーベル名までも引き継いで、同じようにリイシューを行っているところもあるので、ちょっと事情は複雑です。
このボックスに関しては、今までCDでは出ていなかったものが多く含まれているので、かなり貴重です。実際、手元にあったLPと重なっていたのは1枚だけでした。当時は欲しくても全部は買えなかったものが、その一部分でも安価に聴けるようになったのは何よりです。リマスタリングも、LPと比較さえしなければ充分に聴きごたえのあるものですし。何よりも、このブックレットには、LPでは見ることのできなかった、演奏しているオルガンの写真がすべてカラーで載っていますから、それだけでも感激です(データが一部間違っているのは、この際見逃しましょう)。
とは言っても、やはりLPと比べると、その音のしょぼさはどうにもなりません。せめてSACDにしてくれていたら、さらに、こんな出し惜しみをしないで全アイテムを出してくれたら、と、ないものねだりは果てしなく続きます。何より、ノイズの乗り具合など、今回2013年に行われたリマスタリングで使われたマスターテープは、劣化が進んでいることがはっきりわかります。もはや取り返しのつかない状態になっているのですね。もっと早い段階でハイレゾのデジタル・トランスファーを行っておけば、というのも、やはりないものねだりです。

CD Artwork © La Dolce Volta
# by jurassic_oyaji | 2014-03-21 20:54 | オルガン | Comments(0)
凱旋パレード
 今日は朝から雨降り、こんな風に本格的に降るのは久しぶり、まあこれだけ降れば、まだほんの少し残っている雪の塊も、跡形もなく流れてしまうことでしょう。なにしろこの雨ですから、お客さんもほとんどありません。部屋でのんびり、たまった仕事を片づけることにしましょうか。
 そんな、外の景色も見ないでデスクワークにいそしんでいる時に、ふと外を見ると、なんと雪が降っているではありませんか。それも、もうかなり積もっていますよ。いつの間にこんなことに。天気予報では雨が降るとは言ってましたが、雪なんて一言もありませんでしたから、本当にびっくりです。なんでも、まわりにはもう車のタイヤを交換してしまった人もいるそうで、そんな人も「まさか」ですよね。
 帰る時に車には、重たい雪がべったりと積もっていました。ただ、雪は殆ど雨に変わっていたようです。ですから、地面は雪と雨がまじりあってグジャグジャ、靴の中に水がしみ込んできます。でも、このまま雨が続けば、あしたの朝までにはもう溶けてしまうでしょう。
 と油断していると、またいつの間にか雪が降り始めてきました。なんともめまぐるしく変わるものです。一体明日の朝にはどういうことになっていることでしょう。まさか、この間みたいに車が出せないほど雪が積もっている、なんてことはないでしょうね。もう3月も末というのに、まだまだ用心は必要ですね。
 4月になれば、まさか雪が降るなんてことはないでしょう。オリンピックで金メダルをかっさらってきた仙台出身の選手の「パレード」の概要が、このたび決まったようですね。宮城県が発表したのがこちらです。楽天のときとは、なんとなく感じが違いますね。ちょっと規制が窮屈なような。いや、そうではなく、その日にちが4月26日というのが、ちょっと問題です。しかも、時間は1時半から2時まで。これは、ニューフィルの定期演奏会のまさに直前ではありませんか。一体どんな状況になるのか想像もつきませんが、演奏会に来ようと思っていた人にとっては、ちょっと微妙なところでしょうね。まあ、パレードを見てから来てもらっても、多分2曲目ぐらいには間にあうでしょうが、ユヅル君の雄姿を見て感動した後に、クラシック音楽なんか聴く気分になるかどうか。逆に、パレードなんかどうでもいいなんて人もいるかもしれませんが、そういう人も駐車場に入れるのに大変なことになるかもしれませんし。
 まあ、決まってしまったことは仕方がありません。出来るだけ、混雑に合わないように注意してご来場ください、みたいな告知を出して、しっかり周知を図ることにしましょうね。確か、ちょっと前に国際センターでやった時には、美術館が混みそうなのでやはり注意が必要、みたいなことをやってましたからね。
 もう一つ決まったことが、ニュースで流れていました。駅前にあったパルコが、もう1軒出来ることになったんだそうです。そんな場所、あるのかな、と思ったら、確かに1等地が残っていましたね。旧エンドーチェーンとエンタツパーキングの間ある駐車場ですね。いつまでこんな無駄な使い方をしているのだろうと思っていましたが、そうですか、ここに「パルコ2」が出来るとは。そのニュースの中で、「映画館が入るかどうかは決まっていない」と言っていましたが、これはぜひ実現してほしいものですね。もう知る人もいませんが、かつては、あの交差点の辻向かいに2軒の映画館があって、しのぎを削っていたのですからね。どうせ入るなら、浦和のパルコみたいに、IMAX対応になるといいなあ、とは思いませんか。東北初めて、ってことになりますよ。そこで、IMAX版の「ジュラシック・パーク4」なんかが見れたら、最高なんですがね。
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追記:すっかり勘違い。演奏会は6:30開演でした。お客様には何の影響もありません。我々はGPの時間なので、パレードを見に行くことはできませんが。
# by jurassic_oyaji | 2014-03-20 21:30 | 禁断 | Comments(0)
MOZART/Requiem
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Joanne Lunn(Sop), Rowan Hellier(Alt)
Thomas Hobbs(Ten), Matthew Brook(Bas)
John Butt/
Dunedin Consort
LINN/CKD 449(hybrid SACD)




常にひとひねりある楽譜を使った演奏で、聴く者を驚かせているジョン・バットとダニーデン(ダンディン)・コンソートのチームが今回取り上げたのはモーツァルトの「レクイエム」のジュスマイヤー版です。もちろんそこは腐ってもバット、彼が使ったのは、ただのジュスマイヤー版ではありませんでした。
それは、2013年に出版されたばかりの、「新しく校訂された」ジュスマイヤー版です。そのようなものはすでにベーレンライターからきちんとしたものが出ていたのですが、今回はペータースから、デイヴィッド・ブラックという人が新たに自筆稿などの資料を洗い直してよりきちんとした楽譜を作ったのですよ。
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もちろん、そんなものをただ出しても、誰にも認知されませんから、今回は「初演復元版」というセールスポイントを強調しています。さも、今までそういうものが存在していなかったような大げさな煽りようですが、騙されてはいけません。基本的に「原典版」というものはそのような初期の状態に戻されたものを指すのですからね。
実際、このペータース版をベーレンライター版と比べて見ても、はっきり言って違いはありません。もちろん、資料の読み取り方などが校訂者の主観によって微妙に変わっているところはありますが、その資料自体は同じものなのですからね。
ただ、1ヶ所だけ、明らかに今までの楽譜とは異なっている部分がありました。それは、「Kyrie」の24小節目のソプラノ・パートの音符に付けられたアーティキュレーションとテキストの割り振りです。スラーの範囲と、二重フーガの「クリステ・エレイソン」というテキストの最後のシラブル、「ソン」の位置ですね。

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この部分はジュスマイヤーの手が入っていないモーツァルトの自筆稿(ソプラノ記号)が残っていますが、それを見ると確かにそのようになっています。

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テキストに関してはともかく、スラーは、こんな素人が見てもはっきり分かるものに、ベーレンライター版(1)の校訂者のレオポルド・ノヴァークは気付かなかったのでしょうか。ここだけは、初期のブライトコプフの印刷譜(2)を丸ごと信用していたのだとか。
しかし、やはり2013年に出版されたコールス版 (3)でも、このペータース版と同じ形になっていますから、これからはこの形が主流になっていくのかもしれません。そんな、今までだれもが見落としていたポイントを指摘したのは、このペータース版の功績には違いありません。かなりマニアックですが。
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このSACDでは、おまけとして、ジュスマイヤー版が出来る前に、自筆稿をそのまま使って17911210日、つまりモーツァルトの死の直後に行われた葬送ミサの際に演奏されたであろう「真の初演の復元版」が録音されています。合唱が8人(ソリストも合唱の中で歌う)など、あくまで忠実にその時の模様を再現したと言っていますが、「Kyrie」にトランペットとティンパニのリズムが入っていないのは、ちょっと違うような気がします。確かに、その楽譜にはまだそのパートは入ってはいませんでしたが、その前の、すでに完成されていた「Requiem aeternam」では、しっかり入っているのですから、アド・リブで入れることは可能だったはずです。そのアド・リブのパターンは後の全ての修復稿でみんな違っているのですから、ここで入れておいた方が、より的確な「復元」になったのでは。
そして、1793年1月2日に行われたジュスマイヤー版の初演を再現したはずの正規の演奏では、その合唱(+ソリスト)が16人に増えています。これがなんとも大味で散漫な演奏で、死者を悼む気持ちなどは全く伝わっては来ません。もしかしたら、「ゴーストライター」に残りを仕上げてもらったものではそんな気持ちなど起きようもなかったというところまで、この演奏では「再現」していたのかもしれませんね・・・と、妄想は際限なく続きます。

SACD Artwork © Linn Records
# by jurassic_oyaji | 2014-03-19 21:40 | 合唱 | Comments(0)