おやぢの部屋2
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BACH/Matthäus-Passion
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畑 儀文(Ev), 大川 博(Jes)
隠岐 彩夏(Sop), 加納 悦子(MS)
五郎部 俊朗(Ten), 大沼 徹(Bar)
島根 朋史(Vc, V.d.Gamba)
上尾 直毅(Org)
堀 俊輔/
オラトリオ東京
ゆりがおか児童合唱団
神奈川フィルハーモニー管弦楽団
LIVE NOTES/WWCC-8000-02




合唱音楽には定評のある堀俊輔さんは、昨年4月に、手兵の「オラトリオ東京」という合唱団を率いてバッハの「マタイ受難曲」を紀尾井ホールで演奏していましたが、そのライブCDがリリースされました。オーケストラは神奈川フィルです。日本人とモダン楽器による「マタイ」です。
ここで歌っている合唱の人数は、コーラス1が22人、コーラス2が17人、まあ、現在では標準的なサイズですね。オーケストラも、写真を見るとヴァイオリンとヴィオラを合わせた人数が、それぞれ9人ずつのようですから、こちらもまず普通のサイズ、つまり、人数的にはピリオド楽器とあまり変わらないようですね。
聴いた感じも、フルートのソロでは明らかにモダン楽器だということはわかりますが、オーボエやオーボエ・ダ・カッチャ(コール・アングレ)などは、もともとモダンとピリオドの違いはフルートほどではありませんから、違和感は全くありません。
ですから、かなり早いテンポで始まった第1曲の響きも、最近の主流となったオーケストラの響きにかなり近いものでした。たぶん、弦楽器はノンビブラートを徹底させているのでしょう。
前奏に続いて合唱が入ってきます。そこで、ちょっと、今の時点でこの曲の普通の合唱と思えるものとは、かなり違っているな、と感じてしまいます。おそらく、メンバーはそれぞれがしっかり声楽の教育を受けているのでしょう、それぞれに立派な声を持っていることは、よく分かります。ところが、この曲を歌う時には、それがあまりに「立派すぎる」ので、何か違う、と思ってしまうのですね。具体的には、ソプラノのビブラート。音域が高くなると、もうみんなが朗々としたビブラートをかけて歌っていますから、やはりバッハの音楽との隔たりを感じてしまうのですね。
ただ、コラールを歌っているときは、それほど高い音は出てこないので、とっても美しいハーモニーで紡がれるしっとり感を確かに味わうことはできました。
ソリストに関しては、パートによってあまりにも落差がありすぎて、驚きました。ソプラノとアルトのパートでアリアを歌っている方は、本当に素晴らしかったですね。ソプラノの人は声がとてもキュートで、受難曲だからと言って湿っぽくなることのない、勇気を与えてくれるような歌声でしたね。そしてアルト(ここではメゾソプラノの方)は、もうその素晴らしさにはひれ伏したくなるような深みのある声でした。
ところが、この曲では最も出番の多いエヴァンゲリストが、とんでもない人でした。このロールの楽譜には、高い音がたくさん使われていて、それが魅力にもなっているのですが、この人ときたら、それがまともに出せないのですからね。下痢で力が入らなかった、とか。
どうやら、このコンサートではテノールにダメな人が集まってしまったようで、アリアを歌っている人も音痴の上にメリスマも歌えないというひどさでした。
あと、これはマイク設定のミスなのでしょうが、イエスの声がとてもオフだったのは、聴いててつらかったですね。
ネットにこのコンサートのチラシの画像があったのですが、そこには「公演アドバイザー・字幕 磯山雅」という文字がありました。磯山さんはもうだいぶ前にお亡くなりになったはずですから、どのような形でのアドバイスがなされていたのでしょうね。
一つ気になったことがあって、23番のバスのアリア「Gerne will ich mich bequemen(喜んで私も覚悟を定め)」のイントロのヴァイオリン(トゥッティ)が、すべての音を切って演奏されているのですね。
これまでにたくさんの「マタイ」を聴いてきましたが、こんな演奏を聴いたのは初めてです。そこで、磯山さんの著作を見てみると、この部分については「バッハは『喜んで』行われる行為の苦渋に満ちた実質を、音楽を通じて明らかにしているのである」と書かれていました。もしかしたら、この辺りが「アドバイス」だったのかもしれませんね。

CD Artwork © NAMI RECORDS Co., Ltd.

# by jurassic_oyaji | 2024-02-23 07:54 | 合唱 | Comments(0)
プレイガイド
 ニューフィルの春の演奏会のチケットは、きのうの練習の時に団員には渡されましたので、お知り合いの方は是非お求めください。同時に、プレイガイドでも発売になります。
プレイガイド_c0039487_21515076.jpg
 ところが、きのうになって、この中の仙台三越が、3月いっぱいでプレイガイドを終了する、という情報が入ったものですから、あわてて公式サイトにその旨のお断りを出したりしましたよ。やはり、最近はチケットをプレイガイドで買う、という人は減っているのでしょうね。今では、東京のコンサートだってネットで買うことができますからね。
 ただ、それで、念のためと思ってチラシを見直してみたら、そこ以外にも今回はチケットを置かないところがあることに気づきました。つまり、この前の演奏会の時だけ、チケットをお願いしたところがあって、それをそのまま今回も印刷してしまっていたのですよね。もちろん、それは校正の時に我々が気づくべきでした。ただ、何しろ、今回のデザインはあまりにも志の低いものだったので、それに惑わされて、ここまでは目が届かなかったのですよ。なんせ、しょっぱなから曲目が間違ってましたからね(序曲が「ルスランとリュドミラ」になってました)。プレイガイドは字も小さかったですし。
 その事後処理で、関係者はちょっとあたふたしているところです。チラシに黒塗りもねえ。
 それは、春の演奏会のこと、きのうは、その次の秋の演奏会についても、動きがありました。指揮者は橘さんに決まっていて、メイン・プログラムもブルックナー(生誕200年!)の「交響曲第6番」が決まっていたのですが、そのカップリングの曲が決まりました。何しろ、全団員のリクエストに指揮者のリクエストが加わって、膨大な候補曲のリストが作られていたのですが、その中から、ほぼ消去法で消していって、最終的にチャイコフスキーの「くるみ割り人形」に決まりました。
 この曲を候補に挙げたのは、フルートパートだけ、いや、実は私自身が希望したものなのですが、多くの候補曲を差し置いて、まさかそれに決まるとは全く思っていませんでしたよ。というか、いつも希望を出し続けていれば、いつかはやれるだろう、ぐらいに思っていましたからね。
 こんな有名曲を、ニューフィルはまだやっていなかった、というのも、ちょっと不思議なところですね。いずれにしても、フルートパートはとてもやりがいがあるので楽しみなのですが、おそらく、私は、自分で選んでおいても、この曲を演奏できるかどうかは分かりません。他のメンバーが絶対やりたがるでしょうからね。
 ま、私は、それに備えて、ブルックナーを一生懸命さらっていますけど。
# by jurassic_oyaji | 2024-02-21 21:52 | 禁断 | Comments(0)
MAHLER/Symphony No. 8
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Jeanine Crader, Lynn Owen, Blanche Christensen(Sop)
Nancy Williams, Marlena Kleinman(Alt)
Stanley Kolk(Ten)
David Clatworthy(Bar)
Malcom Smith(Bas)
Alexander Schreiner(Org)
Maurice Abravanel/
University of Utah Choruses(by Newell Weight)
Salt Lake Cyty Schools(Children's Chorus)
Utah Symphony Orchestra
URANIA/CP131.669




今回初めて聴いてみたのは、イタリアのURANIA(ウラニア)というレーベルです。1998年に創設され、ヒストリカル音源のアルバムを主にリリースしていますが、最新のデジタル録音のCDもあるようです。会社は裏庭にあります(ウソです)。
今回のアイテムは、CDでは出ていないようで、ストリーミングだけでのリリースなのでしょう。1963年にアメリカのVANGUARDレーベルによってステレオ録音されたマーラーの「交響曲第8番」です。録音担当はMarc J. AubortとEd Friednerという、いずれもこのレーベル専属のエンジニアです。
指揮者は、モーリス・アブラヴァネルという、とても懐かしい名前の方。1946年に、ユタ州ソルトレークシティにあるユタ交響楽団の指揮者となり、1979年までそのポストにありました。
その間に、VANGUARDなどのレーベルに多くの録音を残すことになります。この「8番」を皮切りに、1963年から1974年にかけて、マーラーの全交響曲のツィクルスも完成させました。同じころに、COLUMBIAにバーンスタインがやはり全曲録音を行っていましたが、その時の「8番」はNYフィルではなくロンドン交響楽団でしたから、すべて同じオーケストラで行った全曲録音は、これが世界初?この頃のVANGUARDは録音が売り物でしたから、この大編成の曲は、まさにそのデモンストレーションのような感じで、気合を入れて録音されていたのでしょうね。
ただ、このストリーミングの音源はマスターテープが使われていたのではなく、たぶんLPからの板起こしなのではないか、という気がします。
つまり、これはLPでは2枚組になっていて、1枚目のA面に第1部、そしてB面と2枚目の両面に第2部が収録されていたはずなのですが、そのあたりが、とてもはっきり聴こえてくるのですね。LPの場合、片面に収録できるのは20分とちょっとが限界でした。さらに、LPの回転数は常に毎分33 3/1回転と決まっていますから、内周近くになると単位時間当たりの溝の長さが短くなってきて、音質が低下してくることが避けられません。その現象が、A面全部、22分33秒を使った第1部には顕著に表れているのです。始まったころは、さすがVANGUARDといった、キレの良い音がしているのですが、終わり近くになると、特に声楽のソロや合唱では歪みが出てきていますし、弦楽器などでも明らかに鈍い音に変わっているのですね。
それは、第2部になっても同じことです。トータルは52分なのですが、22分あたりと40分あたりで、明らかに音が変わっていることが分かります。最後の面は12分しかないので、最後のクライマックスでもそれほどの破綻は見られません。
そんな情けない音ですが、VANGUARDのエンジニアたちの仕事には、確かにユニークなものが見られました。まずはオーケストラの配置。なぜか、ここでは、普通のコンサートでは絶対に見られないような、ヴィオラ以上がすべて右チャンネルから聴こえてくる、という配置になっていました。そして、チェロとコントラバスが左のチャンネルです。金管も左、木管はセンターですね。
かなりたくさんのマイクを設置していたようで、普段はまず聴こえない楽器(マンドリンなど)がくっきりと聴こえてきます。このあたりが、彼らのサウンド・ポリシーだったのでしょう。
ソリストたちは右端のソプラノから右端のバスまで1列に幅広く並んでいます。最後に登場する「栄光の聖女」だけは、左から聴こえてきます。
合唱は「I」が右、「II」が左、その間に児童合唱という配置です。この児童合唱がなかなかのものでした。大人の合唱は、クレジットによれば大学生のようですから、男声などはちょっと拙いところもありましたね。でも、全体的にはまとまっていたのではないでしょうか。
アブラヴァネルの指揮ぶりは、とても明るい音楽、というか、第2部の最初のパートなどは、不気味さなど全く感じられない明るさでしたし。それがアメリカの音楽なのか、あるいはそういう時代だったのかは、分かりませんけど。

Album Artwork © Urania Records

# by jurassic_oyaji | 2024-02-20 23:16 | オーケストラ | Comments(0)
エリカさん
 ニューフィルの今度の定期演奏会の印刷物、チラシ、ポスター、チケットなどが出来上がったので、おとといそれらの袋詰めのお手伝いに行ってきました。団員にはチケットとチラシのセット、それ以外に、市民センターなどに持って行くためにチラシを30枚ずつ袋詰めにしたものを100セットぐらい作る、という仕事です。あ、それと、チラシと一緒に持って行くポスターを丸めて帯で留める、という仕事もありました。私も含めて参加者は6人でしたが、1時間ちょっとですべての仕事が終わってしまいましたよ。
 もちろん、チラシ配りについては、私の担当もあります。それが、最初のうちは20ヶ所ぐらいあったものが、段々他の人が引き受けてくれるようになったので、一時は3ヶ所までに減ってましたね。ただ、最近4ヶ所引き受けてくれていた人が退団されてしまったので、それが再度私の担当になってしまいました。そのうちの1件は、確実に引き受けてくれる人がいるのでその方に任せることにして、結局、私の今回の担当は6ヶ所ということになっていました。
 それを、今日までに全部回ってしまいました。まあ、全部私の守備範囲でしたからね。他の担当者には、あさっての練習日にならないとチラシもポスターも渡せないので、この6ヶ所はどこよりも早くニューフィルのチラシをゲットできたことになりますね。
 ただ、一応、昔行ったことがあったのに、どうやって行ったのかすっかり忘れていたところがありました。
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 それが、この「三本松市民センター」です。地図で調べてみると、この赤い道が一番近そうなので、そこを通って行ってみたのですが、その道というのが、絶対に車がすれ違えない、とても細い道だったのですよ。もう、祈るような気持ちで、対向車がいないことを願ってこわごわ走っていました。とりあえず行きも帰りも対向車は来なかったので、事なきを得ましたが、もう二度と通りたくない道でしたね。
 それで、他に通り道がないか調べてみたら、この緑の道が見つかりましたよ。そこをストリートビューで走ってみたら、なんだか見覚えがある景色が広がっていました。確かに、ここは昔何度か通ったことがあります。記憶をたどってみると、この市民センターの体育館に、家族を送って行ったことがあったことを思い出しました。20年以上前のことでした。この道だったら悠々とすれ違えられますから、何の心配もなかったんですね。次回からはここを通ることにしましょう。まあ、他に行ってくれる人が出てくるかもしれませんし。
 そのチラシ、ゲラではいろいろミスプリントがあったのでしっかり直したつもりでしたが、もう一つ、かなり大きなミスがあったことを、さっきの仕事の時に知らされました。たまたま、他の人がネットに上げてあったPDFを見て気が付いたのだそうですが、印刷スタッフは誰も気が付かなかったんですよね。私も、他のミスに気を取られていて、気づきませんでした。これがそのまま印刷されていたら、かなりヤバいことになったので、本当に、気が付いた方に感謝です。
 もちろん、そのPDFは、直したものに差し替えてありますよ。
# by jurassic_oyaji | 2024-02-18 21:20 | 禁断 | Comments(0)
MESSIAEN/Turangalîla-Symphonie
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Marc-André Hamelin(Pf)
Nathalie Forget(OM)
Gustavo Gimeno/
Toronto Symphony Orchestra
HARMONIA MUNDI/HMM905336




昨年の5月に録音されたばかりの、メシアンの「トゥランガリーラ交響曲」が、もう今年の1月にリリースされました。演奏しているのは、ピアノがマルカンドレ・アムラン、オンド・マルトノがナタリー・フォルジェ、そしてグスタヴォ・ヒメノ指揮のトロント交響楽団です。アムランあたりはもうすでにどこかで録音していそうな気がしますが、おそらくこれが彼のこの曲の初録音のようです。フォルジェは、こちらの、メッツマッハ―が指揮をした映像で第1オンド・マルトノを担当していましたから、まさに現時点でのこの楽器の第一人者でしょう。
そして、オーケストラがトロント交響楽団というのにも、注目です。このオーケストラは、現在の音楽監督であるヒメノの6代前の小澤征爾とともに、この曲を録音していましたからね。それは、1967年のこと、RCAレーベルからリリースされたときのジャケットは、こんなインパクトのあるデザインでした。
その小澤(「小澤さん」というべきでしょうか)は、つい先日鬼籍に入られましたが、メシアン自身の信頼も厚く、この録音に先立つ1962年には、NHK交響楽団を指揮して、この曲の日本初演を行っていましたね。その後の日本での演奏は、1970年の大阪万博の一環として大阪で若杉弘指揮の読売日本交響楽団が行っていますね。その時のソリストはピアノが木村かをり、オンド・マルトノが本荘玲子という、オール日本人の陣容でした。小澤の時は、OMは本荘さんでしたがピアノはイヴォンヌ・ロリオでしたからね。
それから何度かプロのオーケストラによる演奏がありましたが、1987年には、早稲田大学交響楽団というアマチュアのオーケストラが、岩城宏之の指揮でこの難曲を演奏してしまいました。アマチュアが手掛けるにはハードルの高い作品は何曲もありますが、これは群を抜いています。それを軽々とクリアしたのは、日本のアマオケのレベルの高さを示していたのでしょう。最近でも、こんな演奏会が予定されているようですからね。
このチラシで気になるのは、相も変わらず「トゥーランガリラ」と表記していることですね。メシアン自身は「トゥランガリーラ」と発音せよ、と言っているというのに。プッチーニの「トゥーランドット」ではないのですから、いい加減「正しい」表記になって欲しいものです。
そんなことはどうでのいいのですが、今回のヒメノの録音を聴いていると、聴き手にとってはこれはもはや「現代音楽」ではなく、ある意味「ヒーリング・ピース」とでも言えるほどのしなやかさを提供してくれる作品なのではないか、という気が、強くしてきます。やはり、何度も演奏されていることによって、演奏家の精度も上がり、作品の持つ本来の姿をきちんと示すことができるようになった、ということなのでしょう。
そんなことを感じたのは、今回と同じトロント交響楽団が小澤の指揮で録音したものを改めて聴き直してみたからです。例えば5曲目の「星の血の歓喜」では、冒頭がこんなことになっています。
本当はこの4小節間で一つにつながる旋律を、多くの楽器が断片的に演奏して、その旋律を浮かび上がらせる、という仕組みなんですね。ただ、これまで聴いてきた中で、それがきちんとつながって聴こえてきたことはあまりありませんでした。そして、小澤盤の場合は、それが群を抜いてひどいんですよね。もうアンサンブルはガタガタで、野暮ったいことこの上ありません。彼は、後にメシアンの唯一のオペラ「アシジの聖フランチェスコ」の世界初演を行ったときも、その録音を聴くとアンサンブルがひどいことになっていましたから、そもそもそういう指揮者だったのかもしれません。
それが、今回の同じオーケストラ(もちろん、メンバーは全員入れ替わっていることでしょう)では、その部分をいとも美しげに、そしてスマートに紡いでいるのですね。そこからは、溢れ出る生気のようなものも感じられます。この部分だけだったら、おそらくこれまで聴いたものの中でのベストではないか、とさえ思いました。
さらに、オンド・マルトノもはっきり聴こえるバランスの録音で、しっかり歌いこんでいるのが、よく伝わってきます。

CD Artwork © harmonia mundi

# by jurassic_oyaji | 2024-02-17 21:35 | 現代音楽 | Comments(0)