おやぢの部屋2
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RAVEL/Orchestral Works
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Stanisław Skrowaczewski/
The St. Olaf Choir(by Kenneth Jennings)
Minnesota Orchestra
VOX/VOX-NX-3037CD




スタニスワフ・スクロヴァチェフスキと言えば、20世紀が終わろうとしていたころに、ザールブリュッケン放送交響楽団を指揮したブルックナーの交響曲集によって一気に注目された指揮者でしたね。なんせ、そのCDは、演奏が素晴らしい上に、なんと1枚1000円以下で買えたのですからね。
ただ、この指揮者は、そんな風に騒がれるずっと前から、昔からのレコード愛好家にとってはよく知られていました。特に、1960年から1979年まで音楽監督を務めていたミネアポリス交響楽団(在任中に「ミネソタ管弦楽団」と名前を変更)との録音は、その音の良さによってかなりの人気を誇っていたのですね。
VOXなどのレーベルの、それらのアルバムは、もちろんCDに復刻されてきましたが、そのVOXレーベルは、2018年にはNAXOSレーベルに吸収されてしまいます。ですから、その素晴らしい録音をきちんと聴いてもらおうと、マスターテープから新たにハイレゾ(192kHz/24bit)でトランスファーを行ったCDが、このようにNAXOSから「AUDIOPHILE EDITION」として登場することになりました。
今回のアルバムは、1974年に録音されたラヴェルの管弦楽のための作品集です。この録音では、ラヴェルのほぼすべてのオーケストラ作品が録音され、それが4枚組のLPとしてボックスセットとなって発売されました。
さらに、この時代は「クアドラフォニック」つまり「4チャンネル」のレコードが大々的に作られていましたから、これも「4チャンネル」仕様でした。ただ、その規格は、ソニーなどが提唱していて、最もシェアが多かった「SQ」という方式ではなく、「サンスイ」という、今はなき日本のオーディオメーカーが作った「QS」という方式だったので、実際に4チャンネルで聴けた人は少なかったでしょうね。
ですから、今回NAXOSがしっかりハイレゾ対応でトランスファーを行っていたのですから、2チャンネルではなく、4チャンネルのマスターからの音源を、かつては手掛けていたBD-Aで出してくれればよかったのになあ、と思ってしまいます。
今回は、まだCDは販売されていなかったので、サブスクで聴きました。確かに、音は非常にクリアに録音されていますが、かなり音圧が低く設定されているので、ちょっともどかしい感じがしてしまいます。それによって、ラヴェルの独特のオーケストレーションが、なにかぼやけて聴こえてしまうのは、ちょっと残念でした。もしかしたら、QSにエンコードされた音源が使われていたとか。
このアルバムに収録されているのは、「高雅で感傷的なワルツ」、「マ・メール・ロワ」、「ダフニスとクロエ」第1、第2組曲、そして、初めて聴いた「ジャンヌの扇」のファンファーレです。最初の2曲が、そんな、ちょっとストレスが感じられる音でしたが、「ダフニス」ではそれほど気にならず、このオーケストラの、いかにもアメリカらしいはじけたサウンドが、特に金管セクションで堪能できました。合唱も素晴らしかったですね。
ただ、肝心のフルートが、とても上手でテクニックに破綻はないのですが、なんか素っ気ない演奏なのと、この頃のアメリカのオーケストラのフルートによくある常に同じ速さの深めのビブラートが気になりましたね。アルトフルートも、まるでコールアングレのような音色になってましたし。
最近では、「ダフニス」と言えば「第2組曲」か「全曲版」のいずれかが演奏されるようになっていて、「第1組曲」を聴くことはまずありません。というのも、「第2組曲」は、全部で3つの部分からできている全曲の中の第3部をほぼそのまま演奏しているのですが、この「第1組曲」というのは、第1部の最後の部分から始まって、第2部の途中までで終わっているのですね。ですから、この2曲を演奏しても、全曲の半分ちょっとしかありません。LPには「All the Works for Orchestra」とあるのに、なぜこんな選曲をしたのでしょうね。ただ、ここでは「第2組曲」は、普通に聴く場所よりも21小節前から始まっていたので、ちょっとびっくりしてしまいました。
スクロヴァチェフスキのファーストネームは、最近は「Stanislaw(スタニスラフ)」ではなく「Stanisław(スタニスワフ)」ときちんとポーランド語で表記されているようですね。やはり「裸婦」では恥ずかしいのかも。

CD Artwork © Naxos Rights(Europe) Ltd

# by jurassic_oyaji | 2024-03-18 19:51 | オーケストラ | Comments(0)
エイチ(イタリアン)
 このところ、土日にニューフィルの指揮練などの用事が入っていたので、昨日は久しぶりのフルに休めた土曜日でした。そこで、愚妻とランチに行くことにしました。なんでも、最近お友達と一緒に食べたところがおいしかったので、私にも一緒に行ってみない? というお誘いでしたね。
 そのお店は、県庁から旧NHKの方に向かっていったところにあるということで、車は県庁の前にある駐車場に入れることにしました。この駐車場は、別に県庁に用事がなくても止められる有料駐車場で、そんな街中にしてはかなり料金が安いので、休日などはかなり入るのに待たされる、ということは聞いていました。でも、まあ、かなり広そうだし、回転も速そうなので、それほど待たなくても大丈夫なような気はしてましたね。
 ところが、行ってみると、もう道路に8台ぐらいの車が並んでいました。やっぱり、待たなければいけないようですね。それで、予約もしてあったので、愚妻だけお店に行っててもらって、私は駐車場に入るまで車で待っていることにしました。経験上、長くても30分も待っていれば入れるはずですからね。
 ところが、それからいくら待っても、中から車が出てくることはありません。完全に膠着状態になってしまいましたね。それでも、いつの間にか列は先に進んでいて、私の後ろにも車が並ぶようになったので、もう少し我慢してみようと思いました。やがて、1時間以上待った末に、ついに駐車場の入り口までたどり着きました。私の前には1台しかありません。いやあ、長かったなあ、と思っていたら、その、前の車が突然列から離れてどこかへ行ってしまったのですよ。せっかく待っていたのに、ここまで来て諦めるなんて、と思って、駐車場の方を見てみたら、
 こんな看板が目に入りました。なんと、ここは終点ではなく、ゲートはそのはるか先なんですって。このように、あと6台分は待たないといけません。これまでのペースだと、あと1時間はかかってしまいます。もうランチタイムは終わってしまうかもしれません。それより、一人で待っている愚妻は、怒り狂っていることでしょう。
 それで、遅きに失した感はありますが、私も列を離れ、ちょっと遠くになりますが、市役所前の地下駐車場に停めることにしました。
 そこに行ってみると、なんだか賑やかなイベントをやっているので、やはり道路まで入車の列が出来ていましたが、こちらはもうスイスイ中から出てきますから、もう、すぐに停めることが出来ましたよ。もっと早くこちらに来ていればよかったですね。なんせ、あんな料金ですから、長時間停めても大したことはないので、みんな時間をかけて買い物をしたり、このイベントに参加してたりしていたのでしょうね。
 それから、小走りでお店に向かいます。
 それは、ビルの地下にあるこんなイタリアンのお店でした。
 これは、お店のサイトからの写真ですが、今は、テーブルの間に仕切りが置いてありましたね。愚妻は、二人掛けのテーブルに憮然として座っていました。でも、駐車場のせいですから、仕方がありません。
 料理は、ランチのコースを頼みましたが、素晴らしかったですね。



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 特に、メインのパスタが、アラビアータで、ベーコンが入っているように見えたのですが、食べてみたらそれはキャベツ、それがもうとても甘くて、信じられないほどのおいしさでした。
 店員さんは、シェフともう一人のフロア担当の男性2人だけ、ほぼ満席だったので忙しそうでしたが、こまめにお客さんに気を配っているようでした。
 私がデザートを食べ始めた時に、その彼が、「駐車場が混んでたんですって?」なんて話しかけてきました。近所の駐車場も教えてくれました。たぶん、待っている間に愚妻と話をしていたのでしょうね。それでも、こんな気さくに応対してもらったことなんて殆どありませんでしたから、なんか、うれしくなりましたね。近いうちにまた行くことになるでしょうね。
# by jurassic_oyaji | 2024-03-17 20:56 | 禁断 | Comments(0)
BACH/Johannes Passion
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Hugues Cuénod(Eva)
Doda Conrad(Jes)
Roger Stalman(Pilat, Bass Arias)
Ilse Wolf(Sop Arias)
Dorothea von Stein(Alt Arias)
Petre Munteanu(Tenor Arias)
Pablo Casals(Vc)/
Collegium Musicum Londinii
Prades Festival Orchestra and Chorus
ARCHIPEL/ARPCD 0837




こちらで、1962年に録音されていた「マタイ」を聴いていたカザルスですが、同じレーベルで1959年に録音されていた「ヨハネ」が出てきました。「マタイ」はアメリカでの録音でしたが、こちらはカザルスの亡命先、南フランスのプラドのサン・ピエール教会でのライブ録音です。
なにしろ、「マタイ」ではその音が最悪でしたが、今回はそれほど悪くはありませんでした。とりあえず、どの程度のオーケストラや合唱なのか、というぐらいは、きちんと分かります。つまり、ここでの合唱は、おそらくきちんとした訓練を受けて、常に技量をみがくべく研鑽に励んでいる、というようなタイプの団体ではないように見受けられます。「ヨハネ」の場合は、合唱の役割というのはある意味「マタイ」より重要なのではないか、という気がするのですが、ここでの合唱ときたら、もう最初の曲からしてとんでもないことになっていました。
その曲は、まずテンポが、今の時代の人には考えられないほどのゆっくりしたものであることに驚かされます。いや、時代云々ではなく、これはあくまでカザルス先生のバッハ観がそのまま反映されたというテンポなのでしょう。この時代に録音された「ヨハネ」は他にもありますが、これほどゆっくりとしたものはないような気がしますからね。
ですから、これはあくまでカザルス先生のバッハとして聴けばいいのでしょうが、そこに出てきた合唱が、そんな先生の思いを踏みにじるようなひどさだったので、もう音楽としての一線を越えてしまっていたのですね。
そんなしょうもない合唱なのですが、なぜか、コラールになると俄然まっとうな音楽に変わります。おそらく、この人たちは、日常的に教会でコラールを歌っているので、ここでもシンパシーを感じながら歌うことが出来ていたのでしょう。それに対して、この1曲目の大合唱や、後半のレシタティーヴォの間に出てくる民衆の叫びなどは、彼らの表現能力が追い付かない結果、声は出せてもそれが音楽にまでは昇華できていなかったのかもしれません。
ソリストにしても、この先生のテンポには付いていけなくなって、何とかそれに合わせようと努力をしている様子がまざまざと伝わってきます。最初のアルトのアリアなどが、そんな感じでうまくかみ合っていませんでしたね。
ところが、同じアルトの人が、後半の大曲「Es ist vollbracht」を歌ったときには、見事に先生の音楽と一体化しているというシーンが現れていました。というか、このアリアでは、チェロ(本来はヴィオラ・ダ・ガンバ)のオブリガートは、なんとカザルス先生が自ら頑張ってお弾きになっていたのですよ。まずは、その長大なイントロで、もうこれ以上遅くしたら音楽ではなくなってしまうのでは、というほどのテンポで、たっぷりとしたフレージングのソロが始まります。そこでは、先生のうめき声まではっきり聴こえてきますから、もうまさにバッハと先生が一体化して対話をしているのではないか、というほどの崇高な世界が広がります。それを受けてのアルトのソロですから、これはもうそんな流れをぶち壊すことなどは出来っこありません。先生のチェロをバックに、もうそこでしか聴くことが出来ないようなものすごい音楽が出来上がっていました。もっとも、中間部の早いところでは、もはや緊張の糸が解けてしまったのか、ガタガタになってしまいましたけどね。
そんな感じで、2時間半にも及ぶ「ヨハネ」を聴き通してみると、もう、このアリアだけしか記憶に残らなかったほど、この演奏にはインパクトがあったことを感じずにはいられませんでした。
同時に、このアリアが持つポテンシャルの大きさに驚かされてしまいます。おそらく、それはこれを作ったバッハ自身も想像してはいなかったほどのものなのではないでしょうか。カザルス先生は、これを演奏したいためだけに、「ヨハネ」を取り上げたのかもしれませんね。
もし、ここでの合唱がもっときちんとしたものであったら、どれほどのものが出来上がっていたのかと思うと、恐ろしくなってしまいます。

Album Artwork © Archipel Records

# by jurassic_oyaji | 2024-03-16 19:17 | 合唱 | Comments(0)
くるみ割り人形
 私は、ニューフィルでは「友の会」の事務局も担当していますから、会員さんにチケットを送ったりする仕事があります。その時には、一応担当者として私の携帯番号も一緒に送ってあるので、なにか連絡がある時には電話がかかってきます。今日来たのも、そんな電話。かなり大口の会員さんです。そこは、いつも大口なので領収証を送っているのですが、その電話では、会費が非課税であるとの証明が欲しい、などという面倒くさいお願いを言ってきました。あと、インボイス番号を教えてくれ、とか。まあ、うちは消費税は払っていないことを伝え、相手も、具体的には但し書きに「無課税」という表記を入れるだけでいいというので、双方が納得したのですが、その時に、「振替を送るときの手数料が廃止になってますよ」などということを教えてくれました。
 それは、おととしの年末あたりから適用されることになった、現金で振替を送るときには、普通の料金のほかに、払う人が110円の手数料を払わなければいけなくなる、という制度でした。ニューフィルの場合は、チケットを送るときに料金受取人払いの振替用紙を送っているので、それまでは会員さんは会費だけを送ってくれればよかったのに、これによって110円余計に支払うことになってしまうのです。ですから、その110円はこちらで支払うので、会員さんは会費から110円を差し引いた金額で送金してくれるようにお願いしていたのですね。
 しかし、昨年の末に、こんなお知らせが出ていたのでした。
 理由についてはいろいろ書いてますが、要はお客様から抗議の声があったから、じゃないでしょうか。どう考えても、この制度はあまりに安直なやり方ですからね。誰も納得しなかったので、やむを得ず「廃止」にしたのでしょう。
 それにしても、なんともお粗末なやり方でしたね。よくもこんないい加減なことをやってくれたな、と思ってしまいます。その後始末にしても、こんな「お知らせ」だけで済ませようとしてましたからね。職場ではもっと大規模に振替を扱っているのですが、これに関しては、加算料金のことも、その廃止のことも、全く何の連絡もありませんでしたからね。
 まあ、でも、反対意見を誠実に受け止めた、という姿勢だけは評価したいですね。今の世の中、お上が決めたことは、福島の原発の汚染水の海洋廃棄にしても、宮城県の病院移転の件にしても、さらには、国のマイナンバー制度にしても、あれだけ住民が反対しているのに、決して「廃止」になることはありませんからね。
 その時に為政者が言うのが、決まって「きちんと説明します」という文言です。「説明」というのは、相手に自分の考えを押し付けることじゃないですか。この言い方には、他人の意見に耳を貸す姿勢が、全く感じられません。困ったものです。
 ニューフィルの次の演奏会のプログラムの最終的な選曲の時にも、やはりこのような「自分の意見を押し通す」という姿勢が見られましたね。まあ、結果的には異存はないのですが、その過程に「またか」という思いが生じてしまったのは残念です。
 その結果、いつの間にかこういう曲が入っていましたね。
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 冒頭で、フルート3本が「フラッター・タンギング」を披露するんですよ。最初にこの音源を聴いた時には、この時代にこの奏法はありえない、と思ったのですが、物の本によると、有名な曲でこの奏法が使われたのは、これが史上初なのだそうです。私はフラッター・タンギングは得意ですから、なんてことはないのですが、これが苦手、という人もいますね。ちょっと時間が長すぎるようなので曲の中でカットする場所も出てくるようなことを言ってましたから、このあたりもカットされるかもしれませんよ。
# by jurassic_oyaji | 2024-03-15 21:21 | 禁断 | Comments(0)
SIBELIUS/Symphony No.4, The Wood Nymph, Valse Triste
SIBELIUS/Symphony No.4, The Wood Nymph, Valse Triste_c0039487_19334041.jpg











Santtu-Matias Rouvali/
Gothenburg Symphony Orchestra
ALPHA/ALPHA 1008




フィンランドの指揮者サントゥ=マティアス・ロウヴァリと、スウェーデンのオーケストラ、エーテボリ交響楽団のシベリウス・ツィクルスも、もう4枚目となりました。現在はフィルハーモニア管弦楽団の首席指揮者となったロウヴァリですが、その前からのこのオーケストラとの関係は、まだしっかり続いているようですね。
今回は、シベリウスの交響曲の中で、最もとっつきにくい作品だと誰しもが認める「第4番」の登場です。一応この録音にどっぷり漬かろうと思って、スコアを片手に聴き始めたのですが、途中で猛烈に睡魔に襲われてしまって、ついに「落ちて」しまいました。楽譜には面倒くさい譜割りや、ついていけないシンコペーションなどがたくさんあるので、それに気をとられてしまって演奏そのものはなかなか耳に入ってこない、という弊害があるようですね。
それでは何の意味もないので、スコアを見るのはやめて最初から聴きなおしました。そうしたら、もやら睡魔など全く襲われることもなく、きちんと聴くことが出来ましたよ。苦手だったこの曲も、やっと楽しめるようになったのでしょう。ロウヴァリの指揮も、「こんなに楽しい曲なんだから、聴いてみてよ」みたいな感じがふんだんに伝わってきますから、もうお膳立ては万全です。
第1楽章ではチェロのソロが醸し出す深い情緒に引き付けられます。第2楽章では、そのままでもこの曲の中ではキャッチーな部分が多いので、それが増幅されて伝わってきます。第3楽章では、なんと言ってもフルートのソロが素晴らしく、もう聴きほれてしまいましたね。そして終楽章の、ここでも大活躍のチェロのソロを堪能です。
録音もとても明るい音で、曲全体にみなぎるのは、やはり若さ溢れる躍動感、でしょうか。もしかしたら、この曲はもっと渋く演奏したほうがありがたみが出るのかもしれませんが、やはりあまりにも地味だと、本来の魅力まで半減してしまうかもしれませんね。
その次に聴こえてくるのが、初めての体験となる「森の精」です。オリンピックの汚職ではありません(それは「森のせい」)。これは、シベリウスの20代最後の年から作られ始めた作品で、「Op.15」という作品番号が付けられています。しかし、この番号では、ここで演奏されている20分以上のオーケストラ曲と、その半分の長さしかなく、編成も小さくてナレーションが入ったバージョンのものがあります。つまり、元々はスウェーデンの作家、ヴィクトリ・リュドベリの作った同じタイトルの物語を下敷きにしてオーケストラのための長い曲が作られていたのです。ただ、それは1895年に作曲家自身の指揮で初演されるのですが、あまり評判が良くなかったようで、それ以来ほぼ「お蔵入り」状態になってしまったのですね。ただ、それを縮小してテキストの朗読を入れたバージョンは、知られていました。
ですから、きちんとオリジナルの形で演奏されるのは、オスモ・ヴァンスカとラハティ交響楽団による1996年の蘇演を待たなければなりませんでした。
作品は、先ほどのリュドベリのテキストから4つの部分が使われていて、それぞれにキャラクターが違っていますが、実際は1番目と2番目の部分は同じようなテイストなので、3つの部分と考えることも可能です。その最初の部分は、まるで同じ作曲家の「カレリア」の中の「行進曲」のような、とても元気のよい音楽です。それが次の部分になると、ガラリを様相が変わって、神秘的で幻想的な音楽に変わります。そして最後の部分は、なんと「葬送行進曲」です。執拗に重苦しいモティーフを繰り返す中で、音楽自体が盛り上がっていくのは、「交響曲第2番」のような味もありますね。もちろん、ロウヴァリは、それらのテイストをきっちりと表現して、そこから「若人の悲劇」のようなものをとても明快に表現しています。
最後にあったのが、「悲しきワルツ」です。これはとても有名な曲ですが、ロウヴァリの手にかかると、ちっとも「悲しく」ない、なんか、勇気がもらえるような明るい曲に変わります。それはそれで、とても楽しい体験でした。

CD Artwork © Alpha Classics / Outhere Music

# by jurassic_oyaji | 2024-03-14 19:37 | オーケストラ | Comments(0)