おやぢの部屋2
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BERLIOZ/Harold en Italie, Les Nuits d'été
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Tabea Zimmermann(Va), Stéphane Degout(Bar)
François-Xavier Roth/
Les Siècles
HARMONIA MUNDI/HMM 902634


このレーベルのCDにはこんなシールが貼られていました。どうやら今年は、ベルリオーズ・イヤーだったみたいですね。亡くなったのが1869年ですから、「没後150年」ということになるのでしょう。いやあ、気づきませんでした。
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ただ、いまいち盛り上がりに欠けるように感じられるのは、なぜなのでしょう。ベートーヴェンなどは、来年の「生誕250年」に向けてもう今から大騒ぎが始まっているというのに。
まあ、ベートーヴェンだったらまずは記念に交響曲全集を作ったりするのでしょうね。でも、ベルリオーズの場合は確かに「交響曲」と名付けられた作品は4曲ほど作っていますが、今のところそれらをまとめて「全集」を作った人はいないのではないでしょうか。実際は、ベルリオーズのほぼすべてのオーケストラ作品を録音したコリン・デイヴィスとシャルル・デュトワは、「交響曲」を全曲録音はしていますが、それだけをまとめた全集を作ってはいないはずです。
というのも、ベルリオーズの場合の「交響曲」はそれぞれに個性的で、編成も異なっていますから、それらをまとめるという発想があまり湧いてこないのでしょうね。なんせ、最初に作られたのはあの「幻想交響曲」ですから、スタート時からそれまでの交響曲とはかけ離れた、規格はずれのぶっ飛んだものでした。次の交響曲が今回の「イタリアのハロルド」となるのですが、これにはヴィオラのソロが加わるので、形としては「協奏曲」ですしね。さらに3番目の交響曲では「劇的交響曲」というタイトルで、最初と最後の楽章はソリストと合唱が加わった大規模な「オラトリオ」になってしまいます。そして、最後の交響曲は「葬送と勝利の大交響曲」という、知る人ぞ知るレアな曲、基本的にブラスバンドによって屋外で演奏される作品です。オプションで弦楽器を加えることもありますが、やはり普通のオーケストラが演奏するには敷居が高いでしょうね。つまり、こんなヘンな曲が混ざっているので、なかなか「全集」は作れないのですよ。
とりあえず、「幻想」にははるかに及ばないまでも、この「ハロルド」もオーケストラの通常のレパートリーには入っています。その4つある楽章の中で、第3楽章の「アブルッチの山人が、その愛人によせるセレナード」だけは、かつてNHK-FMで放送されていた「トスカニーニ・アワー」という番組で一時期テーマ曲として使われていましたから、曲名が分からなくてもこのメロディが記憶に残っている人はたくさんいるのではないでしょうか。これを聴くと、そのときのMC村田武雄さんの声まで思い出してしまうのでは。
今回のロトとレ・シエクルによる新録音では、当然ピリオド楽器が使われています。その弦楽器が、ノンビブラートで第1楽章の序奏を演奏し始めたときには、なにか今まで聴いたことのないようなおどろおどろしい情感が伝わってきました。しばらくしてツィンマーマンのヴィオラ・ソロが入ってくると、それも極力ビブラートを抑えたストイックな響きが、なんとも印象的に感じられます。それが、「quasi niente(音がないかのように)」という、「幻想交響曲」にも登場するとんでもない指示の部分では、本当に無音一歩手前といったとても緊張感のあふれる演奏を聴かせてくれます。
第2楽章の「夕べの祈祷を歌う巡礼の行列」では、「Canto religioso(宗教的な歌)」という部分でソリストはスル・ポンティチェロ(駒のそばで弾く奏法)でアルペジオを弾き続けるのですが、それがあまりにピュアな音色だったので、最初はオンド・マルトノのような電子楽器でも使っているのかと思ってしまったほどです。そもそも、そのバックに流れる木管楽器の透き通ったハーモニーが、まるで電子音のように聴こえていましたからね。
そんな感じで、もうびっくりするような音色のオンパレードの中、とてもきびきびとした物語が進んでいくのでした。

CD Artwork © harumonia mundi musique s.a.s.

# by jurassic_oyaji | 2019-02-21 21:10 | オーケストラ | Comments(0)
「ワーナー」のレーベルです
 きのうは、ニューフィルはパートごとの分奏の日、木管はトレーナーの先生を呼んで「幻想」全曲という予定でレッスンがありました。ただ、5つある楽章の中で、第2楽章にはファゴットが全く出番がないので、それは最後にやろうということでとりあえず第4楽章あたりから始めました。
 しかし、この曲は思いのほか難所が多く、1か所で引っかかるとなかなか先に進みません。結局、第4楽章→第5楽章→第1楽章まで行ったところで、第3楽章に手を付ける前に時間が一杯になってしまいましたよ。もちろん、ファゴットも先に帰るわけにはいきませんでした。
 ところで、この「幻想交響曲」を作ったベルリオーズは1803年に生まれて1869年に亡くなっているので、今年は「没後150年」になるということに、つい最近気が付きました。この曲をやることを決めたときには、誰もそんなことには気が付いていなかったはずです。というか、分かっていればチラシにも入れていたのに。まあ、きのう送った「企画書」にはかろうじて間に合いましたから。
 先日の指揮練での「幻想」のリハーサルのときに、篠崎さんは雑談で昔聴いていたミュンシュとパリ管のLPレコードでは、第3楽章の途中で盤を裏返さなければいけなかったというお話をされていましたね。篠崎さんが聴いていたのは国内盤でしょうから、「エンジェル」レコードだったはずですが、最初にEMIからリリースされたときのジャケットはこんなのでした。
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 ちょうどその裏返す場所(↓)には、フルートのソロがあるので、その話は私のタイミングがちょっとのろくて止められた時だったと思います。68小節目の赤線の部分で「A面」が終わるので、それを裏返すためにここで一旦音楽が止まってしまいますから、それが刷り込まれていてなんだかここで休まなければいけないような気になるのだそうです。もちろん、CDになってからはそんな必要はありませんから、普通に楽譜通りの演奏が聴けるようになったのですけどね。
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 ところが、その同じ録音のCDというか、新しくリマスタリングが行われたSACDが手元にあったので聴いてみたら、その場所にはしっかり4秒間の「空白」があったのですよ(05:05から05:09までの間)。
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 これは、「マスターテープから直接リマスタリング」というのが売りのSACDだったのですが、その「マスターテープ」というのは、おそらくカッティング用のマスターでしょうから、この曲の場合はA面用とB面用との2本が用意されていたのでしょう。その1本目は、当然第3楽章の68小節目の赤線の前で終わっていますから、その後にすぐB面用の2本目の頭をつなげなければいけません。しかし、それを行ったエンジニアはスコアが読めなかったのか、そもそもこの曲を知らなかったのか、そのつなぎ目に空白を設けてしまったのですね。
 実は、もう1枚、2001年にデジタル・リマスタリングが行われたCDもあったので聴いてみたのですが、やはり同じ場所に同じ長さの空白がありました。その時のリマスタリング・エンジニアと、SACDのエンジニアは同じ人でしたね。
 これは、NMLにも同じ音源があったので聴いてみたのですが、それも全く同じ状態でした。それはどんなマスターが使われているのかは不明ですが、現在入手できるデジタル・データは、すべてこの「空白入り」のものになっているということになりますね。
 でも、篠崎さんのようにLP時代の「幻想」を聴いて育った人だったら、逆にこれには何の違和感もないかもしれませんね。
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 イアン・ジョーンズというそのエンジニアも、もしかしたらそういう世代の人なのかもしれませんね。
 EMIがなくなって、今ではこの録音は「ERATO」というレーベルでリリースされています。NMLの音源もこれでしょうから、これにもしっかり「空白」が入っているんでしょうね。
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# by jurassic_oyaji | 2019-02-20 22:03 | 禁断 | Comments(0)
BARTOK/Concerto for Orchestra, The Miraculous Mandarin
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Pierre Boulez/
New York Philharmonic
DUTTON/CDLX 7360(hybrid SACD)



去年の8月には、こんなレビューを書いていました。1972年に「4チャンネル」で録音され、翌年ノーマルLPとSQクワドラフォニックLPでリリースされたバルトークの「オーケストラのための協奏曲」がマルチチャンネルのSACDになって出ていたので聴いてみたら、それは本来のミックスとは全然違っていてがっかりした、というものですね。その時にぜひこれを録音したメーカーに正規の形でのSACDを出してほしいとお願いしていたのですが、そんな願いが半年も経たずにかなってしまいました。
とは言っても、今回オリジナルの4チャンネル・マスターをそのままマルチチャンネルSACDにトランスファーしたのは、それを録音したSONY(当時はCOLUMBIA)ではなく、「DUTTON(ダットン)」という、イギリスのヒストリカル専門のレーベルだったんです。
まあ、すでに録音されてから半世紀近く経った音源ですから、これももはや「ヒストリカル」という範疇に入ってしまうのですね。このレーベルは、メインはジャズやポップスのようですが、クラシックも扱っていて、最近は1970年代の「4チャンネル」の音源を、集中的にサラウンドSACDで復刻してくれていますから、ここのサイトはほとんど「宝の山」といった感じでした。それも、SONYのカタログが多数取り上げられていますので、全部欲しくなってしまうほどです。本家のSONYはSACDそのものもほとんど見放していましたが、こんなところに「救う神」がいたなんて。
このSACDは、ライナーノーツにも、オリジナルのSQのLPに掲載されていた、プロデューサーのトーマス・Z・シェパードのライナーそのものが転載されていました。そこには、こんなテーブルもありました。
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この録音では8チャンネルのマルチトラック・レコーダーが使われていますが、それぞれの楽器を録音したマイクの入力が、どのチャンネルに振り分けられているのかが記されています。これを見ると、まさに当時のSONYのマルチマイクの方式がよく分かります。最近の2Lのように、基本的にセンターアレイに付けたチャンネル数だけのマイクによる「ワンポイント」とは正反対のやり方でしたね。
そこで、指揮者の周りに楽器を配置して、その指揮者の場所で聴いているような音場設定の「オケコン」を初めて聴くことになりました。これはもう、マルチマイクならではのくっきりした音場が、まさに先ほどのテーブル通りの位置に広がっていました。そして、非常に大切なことですが、それは決してスピーカーから割り当てられた楽器が聴こえてくるということではなく、まさにスタジオの中の響きに包まれて、実物大の存在感をもって聴こえてきたのです。例えば、第5楽章の冒頭でホルンパートのソロがリアから聴こえてきますが、その休符の間にフロントからはきちんと残響が聴こえてくるのですよ。
そんな感じで、管楽器の場合は全ての奏者がどこで吹いているかわかるほどのリアリティがありますから、この頃のフルートの首席奏者、ジュリアス・ベイカーがすぐ後ろの手の届く場所に座って演奏しているようで、なんだか不思議な気持ちになれます。
ただ、管楽器と弦楽器は普段演奏しているのとは全然違う、とても離れた場所にいることになるので、それがもろにアンサンブルの乱れとなって表れている場所がかなりありました。弦と管との掛け合いなどが、もう見事にずれまくっていたりしているのですね。これも、別の意味でのリアリティが感じられて、面白いですね。
カップリングは、2002年のSACDと同じ1971年にホールで録音された「マンダリン」でした。こちらも、今回のSACDでは微妙にミックスが変わっていて、より会場の残響成分が増えているようでした。特に、最後のシーンに登場する合唱が、2002年盤ではリアともフロントとも思えるようなあいまいな音場だったのですが、今回ははっきりリアから聴こえてきます。
ただ、マスターテープの劣化までもはっきりわかってしまうのが、皮肉なところです。

SACD Artwork © Vocalino Ltd

# by jurassic_oyaji | 2019-02-19 23:50 | オーケストラ | Comments(0)
「朧」というお店
 篠崎さんとの、定期演奏会へ向けての最初のリハーサルが終わりました。私は今回は全乗りだったので、全ての曲で吹かなければいけませんでしたから、とても疲れましたね。何しろ、最初はまず全曲を一通り通していたので、その「本番テンポ」についていくのがとても大変でした。やはり、今までの団内での思いやりのある適度なテンポでの練習とは全く別物の、最初から完成品のテンポを提示されるのですから、これはもうパニック状態です。でも、実際にやってみると、途中で止まってしまうようなことはなく、曲がりなりにもきちんと最後まで通るのですから、大したものです。とても厄介なラヴェルの「スペイン狂詩曲」でさえ、なんとか形になっていたのですから、すごいですよ。
 もちろん、ほとんどの時間は吹いていなければいけませんから、演奏中の写真などはまず撮れないと思っていたのですが、「幻想」の第3楽章の最後の部分ではかなり長い時間のタセットがあるので、そこで席を抜け出して何枚か撮ってみました。
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 これは、ティンパニが「雷」を演奏しているところですね。ヴァイオリンは、まだエキストラが揃っていないので、空席が目立ちます。
 通しが終わった後の小返しでは、もうあちこちで満足のいかないところが露呈してしまったので、篠崎さんは丁寧すぎるほどに何回も何回も演奏させて、完成度を高めようとしていました。ですから、予定の時間はどんどんはみ出していって、結構最後の方では時間が足らなくなっていましたね。
 それでも、1日目のきのうは一応全部の曲をしっかりやれていたのですが、今日の場合はもう前半の「幻想」だけでほとんど1日分の練習時間を使ってしまいましたね。まあ、これが篠崎さんのやり方、新田さんみたいにきっちりと予定通りに仕上げていくのもなかなかスマートですが、こんな風につっかえつっかえ一つのものを土台から作り上げていくという作業も、なかなか楽しいものです。疲れますけどね。
 今回はフランスものということで、音楽に作曲家が込めたであろう具体的なイメージを次々に提示してくださいました。あとは、曲に絡んだ小ネタなど、練習に関係のないことを突然話し始める、というのも、ちょっと和みますね。もちろん、雑談とは言ってもそのベースはもう音楽が好きで好きでたまらないという気持ちですから、とても興味深いものです。
 これはまだまだ序の口、次回からは分奏も加わって、より細かいところまで掘り下げて作り上げていただけることでしょう。篠崎さんが描いているイメージをどれだけニューフィルが表現できるかが、カギになってくるのでしょうね。
 きのうは、練習が終わってから指揮者を囲んでの飲み会がありました。会場の国分町のさる居酒屋は、なんだか不思議なお店で、飲み物を注文してもなかなか持ってこなかったり、お刺身を人数分配らなかったのでみんなで文句を言ったりと、ちょっとお店としてはどうかな、という感じでした。そこのメインは、こんな「鍋」でした。
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 なんか、初めて見る形の、いちおう「タンしゃぶ」なんだそうです。鍋というよりは、鉄板の真ん中に窪みがあって、その周りにキャベツの千切りとセリが土手のように積み重なり、その上に牛タンが乗ってます。窪みにはスープが入っていて、そこでしゃぶしゃぶをゆでるのですが、その間にまわりのキャベツにも火が通ってくるという仕掛けなんだそうです。
 しゃぶしゃぶを食べ終わったら、そこに「締め」の麺が運ばれてきました。それをスープで湯がいてつけ麺として食べるということなのに、いつまでたってもその「つけ汁」が来ません。
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 だから、もうそこにあったしゃぶしゃぶのタレに麺を入れて食べてしまいましたよ。そして、もう麺がなくなったころに、やっとゴマダレがやってきたのですよ。笑えますね。でも、また新しいスープと麺を追加してくれたので、許しましょうか。なんか、マジで店員と喧嘩しているメンバーもいましたね。
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 最後に店員さんに頼んで集合写真を撮ろうとカメラを渡したのですが、誰でも撮れるカメラなのに、なぜかその店員さんはシャッターが押せませんでした。それで、私がまず見本でシャッターの押し方を教えるために撮ったのが、これです。そのあと、学習したその店員さんが撮った写真には、私も入っていますよ。それは公式Facebookの方で。
# by jurassic_oyaji | 2019-02-17 22:10 | 禁断 | Comments(0)
STRAUSS/Die Fledermaus
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Nikolai Schukoff(Eisenstein), Laura Aikin(Rosalinde)
Jochen Schmeckenbecher(Frank), Elisabeth Kulman(Orlogsky)
Christian Elsner(Alfred), Mathias Hausmann(Falke)
Annika Gerhards(Adele), Kurt Ridl(Frosch)
Lawrence Foster/
WDR Rundfunkchor, NDR Radiophilharmonie
PENTATONE/PTC 5186 635(hybrid SACD)



ヨハン・シュトラウス二世のオペレッタ「こうもり」は、おそらく世界で最も親しまれているオペレッタなのではないでしょうか。この中で歌われる数々のソロ・ナンバーは、それだけでもヒット曲になっていますしね。
舞台はウィーンで、シュトラウスお得意のウィンナ・ワルツも数々登場します。もうそれだけで心が弾むことでしょう。とは言っても、別にこの作品はウィーンに縛り付けられたローカルなものでは決してなくて、もっとグローバルな、ほかの国でも十分に通用する魅力を持っていますから、「本場」以外でも普通に上演されて、それぞれの土地柄が反映されるような演出が取り入れられていることもありますね。オペレッタですから、「歌」以外にも「セリフ」が入っていますから、それはもちろんその国の言葉に変えられるでしょうし、場合によってはオリジナルのセリフに変えてしまうことだって頻繁に行われているはずです。
今回の、ローレンス・フォスターがNDR(北ドイツ放送)のハノーファーのスタジオで行ったライブ録音でも、そのあたりの「工夫」には着目です。
まずは、超有名な序曲。オーケストラはNDRに属する北ドイツ放送フィル、同じNDRでもハンブルクのアルプ・フィルではなく、ハノーファーの方のセカンド・オーケストラです。このレーベルには首席指揮者のアンドルー・マンゼとともにメンデルスゾーンの交響曲などを録音していますが、それ以外にももっと「軽い」レパートリーを日常的に演奏している団体です。ですから、この序曲もいかにも手慣れた感じ、冒頭からウキウキするようなノリで期待を持たせてくれます。中間部のしっとりとした部分でも、臭すぎるほどの「泣き」をいれて、情感たっぷりに迫ります。
ブックレットには、対訳はついていますが、演奏中の写真などは載っていません。スタジオ自体は普通にステージのある中ホール、といった感じですから、オーケストラの前で歌手たちは歌ったりしゃべったりしていたのでしょう。時折お客さんの笑い声なども入りますから、確かにライブ録音であることは分かります。ただ、サラウンドで聴いてもそのお客さんの声はフロントのあたりでしか聴こえませんから、そういう音場設定なのでしょう。ところが、不思議なことに、ステージで歌っているはずの声が、キャストによってとても遠くから聴こえてくるのですよ。例えばロザリンデとかアデーレの声は、最初から最後までまるでステージの裏側で歌っているようなオフマイクのままでした。他の人はそれなりにオンで聴こえてくるので、もしかしたらコンタクト・マイクが不調だったのかもしれませんね。
そのロザリンデの声でいきなり「Oh, my God! Is that Alfred?」などという「英語」が聴こえてきたのにはびっくりしました。そのあとは普通にドイツ語のセリフになるのですが、時折こんな英語がほかの人でも入っているのですね。このセリフは、ここでアイゼンシュタインを歌っているニコライ・シュルコフが手を入れたもののようですが、英語を入れたのには何か訳があったのでしょうか(会場にトランプがいたとか)。
セリフだけではなく、演出そのものにもものすごいサプライズがありました。普通は第3幕にしか登場しないフロッシュが、なんと第2幕のパーティ会場にいきなり出てくるのですよ。なんでも、この牢番は歌手を目指しているのだそうで、このパーティの主催者であるオルロフスキーに自分の歌を聴いてもらいたいと手紙を出したら許しが出たので、ここに歌いに来た、というのですね。そして、ムソルグスキーの「蚤の歌」なんかを歌いだすのですよ。彼は第3幕でもオスミン(後宮)のアリアを歌っていますよ。牢番にしては高給なので、レッスンを受けられたのでしょうか。
実はこのフロッシュ役はクルト・リドル、フンディンク(ワルキューレ)やオックス男爵(ばらの騎士)などでは定評のあるバス歌手ですよね。

SACD Artwork © PENTATONE Music B.V.

# by jurassic_oyaji | 2019-02-16 23:59 | オペラ | Comments(0)