おやぢの部屋2
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Verónica Cangemi(Sop)
Una Stella Ensemble
NAÏVE/OP 30466



最近のバロック・オペラのシーンでは、かつてはカストラートが演じていた役を現代の歌手が歌うときに欠かすことが出来ない、男のような力強い声とそして逞しい容貌を持ったソプラノ、あるいはメゾ・ソプラノに数多く出会うことが出来ます。アルゼンチン出身のヴェロニカ・カンジェミもその一人、例えば「ルーチョ・シッラ」のDVDでは、その完璧なコロラトゥーラと、ブロンドの長髪をなびかせた凛々しい「男役」の姿を存分に味わうことが出来ます。ここで見られるカンジェミは、変になよなよした関西のアイドル(それは「カンジャニ」)などよりも数段男っぽく感じられるのではないでしょうか。
このアルバムは、そんな「バロック・ソプラノ」としてのカンジェミと同時に、彼女のルーツである南アメリカの音楽を歌うアーティストとしてのカンジェミを味わってもらおうというコンセプトによって作られています。その「バロック」のパートでは、期待通りのコロラトゥーラの嵐が、彼女の魅力を存分に伝えてくれていました。ただ、そこで感じられるのが、「洗練」されたものではなく、もっと「荒削り」な一面であったのは、ちょっとした驚きです。メリスマの粒立ちは、いつもながらの鮮やかなものであるにもかかわらず、ほんのちょっとしたピッチの感触などが、妙に「汚れた」印象を与えるのです。さらに、低音へ突入するときのすさまじい地声の「雄叫び」。
そのようなアップテンポの曲ではなく、スロー・バラードでも同じようなある種不思議な味わいが見られます。有名なヘンデルの「私を泣かせて下さい」では、オペラ歌手と言うよりは、まるでフォルクローレの芸人のような、ほとんど素人と見まごうほどの素朴さがつきまとってはいませんか?後半の装飾も、「非ヨーロッパ」(それがどんなものであるかを説明は出来ませんが)の趣味に彩られています。そして、パイジェッロの「ネル・コル・ピウ」ときたら、完全に「クラシックのオペラ」的な歌い方からは逸脱した軽やかなショーピースに変わってはいないでしょうか。
それらのちょっとした違和感は、20世紀に「非ヨーロッパ」で作られた3つの作品を聴くことで解消することが出来るのでは、というのが、このアルバムの制作者の目論見だったのではないでしょうか。ピアソラの「イ短調のミロンガ」は「ヨーロッパ」とも「クラシック」ともなんの接点を持たないポップ・ミュージック、そこでの彼女の愁いに満ちた共感あふれる歌は、先ほどのヘンデルとなんと多くの共通項を持っていることでしょう。グアスタヴィーノの「鳩のあやまち」だってほとんどヒット・チューンとなりうるキャッチーなバラード、そこに見られるまるで「語り」のような歌い方と、やはり先ほどのパイジェッロでの軽やかな歌い方との間に同質のセンスを認めるのは容易なことです。
そして、本質的には民族音楽であるヴィラ・ロボスの「アリア」の場合、オリジナルのチェロ8本とソプラノという編成が、ギターを中心とした全く別のアレンジで演奏されることで、その「民族音楽」たる資質はより強調されることになりました。そんな環境でのカンジェミこそ、まさに彼女の本領を最大限に発揮出来たのではないでしょうか。そう、彼女はクラシック歌手としての訓練を受け、それは確実に「ヨーロッパ」で評価されてはいるものの、その底にはまごうことなきフォルクローレのアーティストの魂が宿っていることに、気づかされることでしょう。
「アリア」でヴォカリーズのテーマが回想されるときの究極のソット・ヴォーチェ、これこそが、そんなフォルクローレのバックグラウンドと、オペラ歌手としてのキャリアを持つ彼女でしかなし得ない感動的なパフォーマンスなのです。

CD Artwork © Naïve
by jurassic_oyaji | 2009-03-02 19:27 | 歌曲 | Comments(0)