おやぢの部屋2
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VERDI/Requiem
VERDI/Requiem_c0039487_224891.jpg
Ana Maria Martinez(Sop), Yvonne Naef(MS)
Marius Brenciu(Ten), Giorgio Surian(Bas)
Sylvain Cambreling/
EuropaChorAkademie
SWR Sinfonieorchester Baden-Baden und Freiburg
HÄNSSLER/93.249(hybrid SACD)



ヴェルディの「レクイエム」は、よく「オペラティック」だと言われます。確かに、テキストこそ古くから教会のお祈りに使われた典礼文ではありますが、その音楽は敬虔な宗教曲と言うよりは、もっと生臭い感情の吐露が前面に出ているドラマティックなものに仕上がっていますね。そう感じるのは、音楽の主役があくまでソリストたちであって、合唱が何か添え物のように扱われているという、まさに彼の「オペラ」に於ける状況とよく似ているせいなのかもしれません。有名な「アイーダ」の「凱旋行進曲」にしても、「トロヴァトーレ」の「アンヴィル・コーラス」にしても、その場を盛り上げる効果はあっても、作品としての内容はあまりないような気がします。実際にこの曲を何度か歌ったことのある合唱団のメンバーに聞いたところ、「合唱はつまんないのよね~」という答えが返ってきました。やはり死者を悼むためには、フォーレみたいにしっとりと歌い上げる合唱の方が似合っているのかもしれません。
このSACDでそんな合唱を担当しているのが、「オイローパ・コア・アカデミー」です。もちろん合唱指揮はダウスが担当、以前ドミンゴ盤にも参加していましたね。今回も、若いメンバーが中心のその合唱団の音質はとても初々しくて清潔です。ソプラノパートあたりは、ですから、ヴェルディにはちょっとミスマッチとも思えるような清楚な感じ、でも、それはそれで新鮮な魅力につながるのでしょう。
期待通り、ここではドミンゴの情熱的な音楽とは対照的なものを目指しているカンブルランのもと、この合唱はとても抑制のきいた「クール」なものを聴かせてくれています。ふつうはまず絶叫してしまうようなあの「Dies irae」でさえ、そのソノリテは揺らぐことはなく、整然としたたたずまいだからこそ迫ってくるような真の意味での「恐ろしさ」が表現出来てはいないでしょうか。そして、圧巻は最後の「Libera me」です。ともすれば混沌の中に埋もれてしまいがちなこの複雑に入り組んだ対位法を、彼らは見事に整然とした構築物として歌い上げています。おそらく、作曲者が望んだもの以上の存在として、この合唱は輝いています。
ソリストたちは、逆にめいっぱい力が入っています。これはもちろんライブ録音なのですが、テノールのブレンチウなどは歌い出しではあまりに張り切りすぎて、とんでもない音程を披露、「Kyrie eleison」の最後の「ン」を、「ンーンニャッ」みたいに見得まで切っていますから、すごいものです。もっとも、音程がひどかったのはそこだけ、あとは見事に立ち直って、朗々とした美声を聞かせてくれています。なんと言ってもドラマティックに迫ってくるのは、メゾのイヴォンヌ・ネフでしょうか。ソプラノのマルティネスはちょっと小粒、バスのスリアンになると、さらにへなちょこになってしまいます。
当然1枚には収まらないので2枚組になっていますが、その余白にハイドンの交響曲第26番「哀悼」と、モーツァルトの「キリエ・ニ短調」が入っています。別にそういうコンサートだったわけではなく、以前の録音をカップリングしただけです。ハイドンなどはそもそも礼拝のための音楽を使い回した曲なのだそうで、それで「レクイエム」との関連性を持たせたいという気持ちは分かりますが、なんとも平板で退屈な演奏、ない方がよかったとしか思えないものでした。「キリエ」では別の合唱団、こちらも有名なマルクス・クリードが指揮するSWRヴォーカル・アンサンブルが歌っています。ただ、録音のバランスが完璧にオーケストラ優先になっているので、合唱は殆ど聞こえないのが難点、同じアルバムで合唱の違いを楽しむというほどのメリットは、残念ながらありません。

SACD Artwork © SWR Media Services GmbH
by jurassic_oyaji | 2009-04-26 22:03 | 合唱 | Comments(0)