おやぢの部屋2
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DURUFLÉ/Requiem
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Patricia Fernandez(MS)
Michel Bouvard(Org)
Joël Suhubiette/
Ensemble Vocal les Éléments
HORTUS/018



このサイトのマスターの自慢はデュリュフレのレクイエムの録音のコレクション。花粉症はちょっと辛いでしょうが(それは「ハクション」)。したがって、私佐久間としても、新譜が出たのなら、チェックしないわけにはいきません。しかし、このアイテムはCD店の新譜コーナーではなく、普通のところにあったので、危うく見逃すところでした。おまけに指揮者も合唱団も、全く聞いたことのない人たち、指揮者に至っては読み方すら分かりません。ジャケットもなんだか投げやりなデザイン、これでちゃんとした演奏が聴けるのかと不安になりましたが、マニアにとってはたとえどんなものであっても価値があるのだろうと、とりあえずゲットです。
かなりおどろおどろしいオルガンの響き(これは、第2稿オルガンバージョンです)の中から聞こえてきた合唱は、しかし、独特の美しさを持ったものでした。パートのまとまりやきちんとしたハーモニーといった、基本的な能力を全て満たした上で、さらに何か猥雑な雰囲気を漂わせるという、かなり高度な嗜好を満たしてくれるような魅力が、そこにはあったのです。そして、しばらく聴いているうちに、このような肌触りは、この曲にはもっともふさわしいものではないだろうか、という気になってきました。デュリュフレのレクイエムは、よくフォーレの同名曲と並べて語られることが多く、この2曲がカップリングされているアルバムも数多く存在しています。しかし、構成的には似ている部分があったとしても、そこで繰り広げられている音楽のテイストは、かなり異なっていることに、気づくべきでしょう。そんな、デュリュフレにはふんだんに含まれていても、フォーレにはちょっと似つかわしくはないような雰囲気、それが、この演奏からは止めどもなく発散されていたのです。
それに気づいてしまうと、ちょっとうるさく感じられたオルガンも、そんなある種の猥雑さを確かに助長しているものだと分かります。そう、このオルガンバージョンのオルガンの役割は、イギリスの団体によくあるような、取り澄ました合唱をただサポートするものではなく、オーケストラ版のエキスとも言うべきものを提供することだったのです。
実は、レクイエムの中ではバリトンソロのパートを合唱が歌っているのですが、これがまた凡庸なソロよりずっと素晴らしいのです。ですから、余白に入っているプーランクの「パドヴァの聖アントニオのラウダ」という男声合唱のための曲での、この合唱団の男声パートの伸びやかと軽やかさに、またびっくりさせられてしまうことになるのです。ただ、残念なことに、「Pie Jesu」でのメゾソプラノソロが、このようなアプローチとは完璧に相容れない重苦しいものであるために、このトラックだけが全く別の世界のものとなってしまっています。なぜこんなソロを使ったのか、理解に苦しむところです。
このCD、しかし、どうやらそのお店にあったのはこの1枚だけだったようで、それ以後補充される様子はありません。一つ間違えば、こんな素晴らしいものを見逃してしまって入手できなかったかもしれないと思うと、幸運さを喜ばずにはいられません。

by jurassic_oyaji | 2005-03-22 19:33 | 合唱 | Comments(0)