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MOZART/Mass in C minor・Requiem
MOZART/Mass in C minor・Requiem_c0039487_1953296.jpg
Gabriele Hierdeis(Sop), Alison Browner(MS)
Marcus Ullmann(Ten), Marcus Volpert(Bas)
Volker Hempfling/
Kölner Kantorei
Johann Christian Bach-Akademie
AVI/8553147




ドイツのヘッセン州リンブルグにある、13世紀頃に作られたという大聖堂で2006年3月に行われたコンサートのライブ録音です。ブックレットには、この大聖堂が美しくライトアップされている写真がありますね。曲目はモーツァルトの最も演奏頻度の高い宗教作品でありながら、どちらも未完のままで終わっている「ハ短調」と「レクイエム」の2曲のミサ曲、「未完」ですから、当然誰かが補作をしているわけですが、「ハ短調」はランドン、「レクイエム」はバイヤーによる版が用いられています。北島三郎ではありません(それは「与作」)。
演奏しているのはあまり聞いたことのない団体ですが、なんだか指揮者の名前に覚えがあったので調べてみたら、こんなアルバムを前に紹介していました。ここで歌っているのと同じ合唱団、これでニシュテッドの名前を初めて知ったのですが、なかなか手堅い演奏だったことを思い出しました。しかし、オーケストラは、全く初めて聞く団体です。1991年に作られたオリジナル楽器によるアンサンブルですが、この演奏の直後、2007年には「CONCERTO CON ANIMA」と名前を変えているのだとか。
広い大聖堂で録音されていますから、音が切れたあとの残響は確かに多いのですが、音自体は非常にすっきりとしています。合唱とオケのバランスも良く、ライブであることを感じさせない高いクオリティであることに、まず惹きつけられます。そして、このオーケストラの、オリジナル楽器の鋭角的な音色を前面に出したサウンドが、これらの曲にとても深い陰影を与えていることにも、気づかされます。まず、「ハ短調」では、そんな暗く厳しい音楽が強烈に迫ってきます。その中で、ティンパニが打ち込む一撃が心に突き刺さります。ただ、「Et incarnates est」でのフルート・ソロは、いくらトラヴェルソとは言っても、他の管楽器より明らかにランクの落ちる奏者のようでした。
合唱も、とことん暗さを前面に出したクールさに徹しています。そんな中で、ソリスト陣の調子がイマイチなのは、ライブならではの傷なのでしょうか。音程は決まらないし、細かいメリスマがことごとく乱れているのはかなり悲惨。
一応「ランドン版」と謳ってはいますが、さすがに「現代」では通用しないような部分は、適宜エーダー版を取り入れているのでしょうね。「Sanctus」の合唱の入りも、エーダー版の形になっていました。
「レクイエム」では、そんなクールな音楽の中に、さらに自発的なものが加わって、よりグレードの高い仕上がりになっています。それを象徴するのが、大活躍を見せるティンパニです。「Kyrie」の最後の部分、なんだかものすごい盛り上がりだと思って楽譜と照らし合わせてみたら、クラシックではあり得ないようなフィル・イン(いわゆる「おかず」)をたんまり入れているんですね。こちら(→音源)がバイヤー版の楽譜通りの演奏ですが、ここではこんな風(→音源)に前打音を入れたり、音符を細かくしたりしています(ちなみに、前の音源は1974年のシュミット・ガーデンによるバイヤー版の初録音ですが、ヘンプフリンクの演奏より半音近く高い殆どモダンピッチです。この時代の「オリジナル」が、いかに折衷的であったかが分かります)。このような「装飾」が、指揮者の指示なのか、あるいはティンパニ奏者の自発的なアイディアなのかは分かりませんが、20世紀に作られたバイヤー版でも、このような18世紀的な処理が加えられるようになった、というのはなにか感慨深いものがあります。この流れで「Dies irae」へなだれ込むのですから、緊張感はいやが上にも高まってきます。
ソリストも、アンサンブルが中心なのでかなりの安定感、もちろん合唱はハイレベルを保っていますから、これはなかなかの聴き応えのあるものになっていますよ。

CD Artwork © Kölner Kantorei
by jurassic_oyaji | 2010-02-04 19:54 | 合唱 | Comments(0)