Arianna Zukerman(Sop), Simona Ivas(MS)
Adam Zdunikowski(Ten), Luis Rodrigues(Bar)
Alice Caplow-Sparks(CA)
Lawrence Foster/
Gulbenkian Chorus and Orchestra, Lisbon
PENTATONE/PTC 5186 359
「サリエリ」と「レクイエム」という言葉からは、例の「アマデウス」という映画の中での印象的な場面を思い浮かべる方が多いのではないでしょうか。瀕死の状態にありながらも「レクイエム」を作曲中のモーツァルト、彼は、枕元にいるサリエリに拍子やパートを指示し、メロディを歌って聴かせて、それをサリエリが楽譜に書き起こす、というシーンです。もちろん、実際にこんなことがあったわけではなく、すべてドラマを盛り上げるための架空の設定なのですが、あまりにありそうな話なので、もしかしたらこれを信用してしまっている人はいるのかもしれませんね。罪な話です。ですから、「サリエリのレクイエム」と聞いて、あんな風に手伝った時に得た情報をもとにした、それこそモーツァルトの亜流みたいな作品を連想するのは、全く見当はずれなことです。
実は、この非常にレアな曲は、これが初めての録音ではありません。かつて
こちらで取り上げていたように、すでに何種類かの録音が存在しています。さらに、
2008年の1月には神戸21世紀混声合唱団という団体がアンサンブル・神戸というプロのオーケストラとともに、日本初演も行っています。このときの録音が、なぜか手元にあるのですが、それは先ほどのアンドレアス・クレッパーによる
CDとは多くの点で異なっていたことに驚かされました。まず、タイトルが
CDでは「ピッコロ・レクイエム」というようなサブタイトルが付いていたものが、こちらは単に「レクイエムハ短調」というだけです。曲も、最後に「
Libera me」が追加されています。編成も少し変わっていて、「
Introitus」で最初に現れる印象的なテーマが、
CDではバス歌手のソロだったものが、合唱で歌われていますし、その曲や「
Agnus Dei」で大活躍しているクラリネットが、コール・アングレに変わっているのです。「神戸」では、そのために、
N響の美人オーボエ奏者池田昭子さんをゲストに呼んでいるぐらいです。
その池田さんの演奏はとても素晴らしく、それだけで演奏全体が引き締まって聞こえるのですが、サリエリの時代にはこの楽器はまだそれほど一般的ではなかったはず、
CDには一応「ピリオド楽器を使用」と記載されているので、本来はバセット・ホルンとかバセット・クラリネットが使われていたのでは、という気がするのですが、スコアまでは入手できないので、そのあたりは分かりません。どなたか、日本初演の時のスコアのコピーでも送って下さるような奇特な方はいらっしゃらないでしょうかね。
今回の
SACDは、
2009年の
11月にリスボンで行われたコンサートのライブ録音です。ブックレットで、サリエリの生没年が「
1885-1935」などというとんでもないポカをやらかしているので、一瞬商品としての良心を疑ったのですが(なぜか、この業界はこんなつまらないミスが多すぎます)演奏自体はとても安心して聴いていられるものでした。おそらく、今までの録音の中では最高のものなのではないでしょうか。
そんな「まとも」な演奏の中から浮かび上がってくるのが、サリエリの特別な個性です。それは、「レクイエム」のような種類の音楽からさえあふれ出てくる、聴くものを楽しませようとする精神のようなものでしょうか。モーツァルトのように細かく分けずに、一貫して演奏される「
Sequenz」では、緊密に構成された中から、えもいわれぬカンタービレが聞こえてきます。「
Hosanna」では、一見二重フーガのような厳格な体裁をとっていても、それはもっと直接的な美しさを持つものです。最後の「
Libera me」でも、トランペットの華やかなファンファーレは聞き物、なんたって、最初は「ハ短調」だったものが、「ハ長調」で明るすぎるほどに終わるという「ピカルディ終止」は、感動的です。カミナリ3兄弟ではありませんが(それは「
ゴロピカドン」・・・知らないだろうなぁ)。
SACD Artwork © PentaTone Music b.v.