おやぢの部屋2
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BACH/St John Passion
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M. Schäfer(Ev), T. Oliemans(Jes), C. Sampson(Sop)
M. Chance(Alt), M. Meekman(Ten), P. Kooiy(bas)
Frans Brüggen/
Cappella Amsterdam(by Daniel Reuss)
Orchestra of the Eighteenth Century
GLOSSA/GCD 921113




ついこの間ガーディナーの「ヨハネ受難曲」を聴いたばかりなのに、今度はブリュッヘンで同じ曲のCDが出ました。実は、もう少しすると、また別の演奏家による「ヨハネ」がリリースされることになっています。これを単なる偶然と受け取るには、あまりにもタイミングが絶妙過ぎます。しかし、キリスト教では「受難」というのはあくまで「復活」のための伏線なのでしょうから、こんな見事な、まるで見えない力に支配されているような粋なはからいを楽しもうではありませんか。そういえば、マーラーの交響曲第2番「復活」も、まるで用意されていたかのように新しい録音が出るようですしね。
今回のブリュッヘン盤は、先日のガーディナー盤とはまさに好対照な仕上がりとなっていました。特に、合唱に関してそれは顕著に表れています。あちらはかなり攻撃的な表現、確かにそれは際立った説得力を持つものではありましたが、「この時期」に聴くにはかなり辛いものがありました。しかし、今回の合唱は、なんという「静か」な力で迫って来ていることでしょう。ここで参加しているのは、「ロ短調ミサ」でも共演していた、ダニエル・ロイスの合唱指揮による「カペラ・アムステルダム」ですが、その透明感あふれるソノリテは、暖かく包み込むように聴くものを安心させる力を持っていました。
そもそも、第1曲からして、音楽は平静のうちに進みます。そこからは決して不安感を抱くことはありません。唯一、合唱が出てくる直前のクレッシェンドあたりが心に波を立てるものだったのかも知れませんが、それはもちろん人を追いつめるようなものではなく、あくまでも合唱に対する「期待感」を募らせるだけのものに過ぎませんでした。そして、その「期待」通りの、なんの押しつけがましい仕草も見せない合唱が「Herr!」と歌いだした時に、それは音楽以外には伝えることのないメッセージとして聴き手には伝わってきたのです。策を弄して相手をねじ伏せるのではなく、真の「美しさ」によってなにかを伝える、これこそが音楽の持つ「力」なのでは、と、その時気づくはずです。
このCDは、2010年の3月末から4月初めにかけて、オランダ国内のロッテルダム、ハーレム、ライデンという3つの都市の、それぞれ異なるホールで演奏されたライブ録音を編集したものです。録音会場が違うので、部分的にバランスや遠近感の違いがもろに分かってしまうという、ちょっと「商品」としては問題のあるものになってしまっています。ですから合唱も、第1部の頭ではそのような印象だったものが、第2部になると微妙に聴こえかたが変わっています。その中で、演奏のテンション自体もまるで別物のように感じられてしまうのが、ちょっと気になります。このあたりの合唱が、なにかずいぶん雑に聴こえるのですね。それが単にコンディションの違いから来るものなのか、あるいは意図して表現を変えているのかという判断がつけかねるのですよ。最後になると、また最初に聴いた合唱が戻ってくるので、一安心なのですが、こういう編集のやり方は、ちょっと納得できません。
合唱のクオリティの高さに比べて、ソリストたちが一段落ちるのも、残念なところです。特にひどいのが、テノールのアリア担当のベークマン。なんとも無神経な歌い方で、品位のかけらもありません。アルトのチャンスもバスのコーイも、もはや声は下り坂、期待していたソプラノのサンプソンも、ブリュッヘンのテンポに全く乗れずに、醜態をさらしています。そこへ行くと、エヴァンゲリストのシェーファーと、イエスのオリーマンスは安心して聴いていられますから、合唱の入っていないアリアのトラックは、スキップして聴くのがオススメ。春ですからね(それは「オスメス」・・・意味不明)。

CD Artwork © MusiContact GmbH
by jurassic_oyaji | 2011-04-09 23:25 | 合唱 | Comments(0)