7日の余震で相変わらず部屋は散らかったままですが、そんなことにめげているわけにはいけません。世の中は確実に「復興」モードに移行していますから、まず部屋の「復旧」は後回しにして、震災以来活動を休止していたいろいろな音楽団体もそろそろ動きだそうというタイミングに乗らなければ。ほぼ一月が経過した4月あたまごろから、そんな動きは見え始めていたのはご存じのことでしょう。みんな考えることは同じなのでしょう、私が所属している2つの団体が、まるで申し合わせたようにきのうの夜に役員会やら合同委員会やらのスケジュールを組んだのですよ。どちらも、最重要課題は練習場の確保です。そこで、まずパリンカが私の職場を使えないかという打診をしてきました。もちろん、これは、私の方から言いだそうと思っていたぐらいですから、使っていただく方向で進めることになり、そんな話の詰めをきのうの6時からセットしていました。私がいないと会場の詳細が決められないので、必ず出席してくれ、ということですが、会場があの「レストラン・パリンカ」なのですから、もちろん、何をおいてもOKです。
その次に、全く同じ日、同じ時間で委員会をやりたいと言ってきたのがニューフィルでした。こちらもやはり、いつもパート練習、大きくても分奏で使っているところを、全体合奏で使いたい、ということでした。これも、やはり私が話し合いに加わることが前提になってきますから、まずパリンカに行かせてもらうことにして、開始を1時間遅らせてもらうことにしました。
そう、私あたりがそんなタイトなスケジュールをこなさなければいけないほど、今の仙台市の練習場事情は逼迫しているのですよ。今までいろんな団体が使っていた公共の施設が、全く使うことが出来ない状況に陥ってしまっているのですからね。しかも、それがいつまで続くかも明らかに出来ないというのですから、これは本当に困ったことです。もちろん、施設の損傷とか、物理的な要因もあるのかもしれませんが、そこには「こんな事態なのだから、文化活動などはやらなくてもかまわないだろう」という意識が潜在的に働いていることも、間違いのないことのように思えてしまいます。「こんな時だからこそ、文化活動を通して元気になろう」というような発想は、残念ながらどこからも感じることはできません。その程度のことだったんですよね。震災によって図らずも馬脚を現したこの街の文化行政、お願いですから、これからは「楽都仙台」などという恥さらしな看板を掲げることだけはやめてくださいね。
そんなわけで、まずはパリンカで、会場の詳細を詰める話し合いです。それはもう30分ぐらいで終わってしまったので、私はそのままニューフィルの会議に行っても良かったのでしょうが、何せここはディナー付き、せっかくのお料理は、しっかりデザートまで味わいたいじゃないですか。なんとか最後の方は早目に出してもらいましたが、結局ニューフィルには15分遅れでした。
こちらでは、たとえば指揮者練習用のホールなども、しばらくは使えるようになる見通しが立たないといったような情報が明らかにされてきます。私は、秋は予定通りにブルックナーを出来るのではないかと考えていたのですが、それは大きな見込み違いであることが分かります。もう、今年1年は、しっかり開き直って、オーケストラの原点に立ち返ったような活動をすることが必要なのではないか、という気持ちを新たに持たざるを得ませんでした。
なにはともあれ、パリンカもニューフィルも確実に一歩を進みだしたところです。行政からのお仕着せではない、真の意味での市民の力による文化活動のたくましさを、見せつけてやろうじゃないですか。それでこその「復興」です。