全然知らなかったのですが、少し前に川崎市長が、福島県知事に対して津波による瓦礫の処理を、川崎市が引き受けるという申し入れをしていたそうですね。列車を使って福島県のゴミを川崎に運び、川崎の工場で処理する、というものなのだそうです。なんでも、川崎市長は福島県の出身なので、今回の惨状を見かねたのと、以前の新潟の震災の時にも、同じような支援を行っていた実績もあって、このような申し出となったのだ、ということです。ここまでは、なんともありがたい話ですね。なにしろ、今回の震災ゴミの量はハンパではなく、なんでも通常の処理をしていたのでは何十年もかかってしまうほどのものなのですからね。
ところが、これを知った川崎市民の反応というのが、なんとも信じられないものでした。市に対して、「放射能で汚染されたゴミを持ち込むな」という電話やメールによるクレームが、なんと2000件にも及んだ、というのです。そもそも、そんな危険なものを別の場所に運ぶことなんてあり得ない話だとは気が付かなかったのでしょうかね。運び込むのは、焼却処分しても問題のないゴミに決まってます。それを「福島」というだけでこれだけヒステリックに拒否するなんて、なにかが狂っているとしか思えません。これは「風評被害」の最たるものです。川崎市民は、そんなことも冷静に考えることは出来なかったのでしょうか。
マスコミでは、大々的に「頑張ろうニッポン」とか、「ニホンは一つのチームです」とか、本当に涙が出てくるような言葉で、被害に遭った私たち東北の人たちを応援しているという姿勢を示していました。いや、もしかしたら、本気で私たちの苦しみを共有しようと考えていた人だって、いたかも知れません。しかし、今回の川崎市民の行動は、そんなものはただのおべんちゃらに過ぎなかったことを、実に見事に証明してくれましたよ。実際に汚染ゴミが持ち込まれることなどあり得ないのに、自分たちの身に不利なことが起ころうとすると、被災地のことなどはすっかり忘れて、自らの保身にのみ走ってしまうのですね。「福島」は、「チーム」の一員とはみなされないのですよ。こんなことを実際に見聞きするなんて、震災そのものよりも悲しく、やりきれない気持ちでいっぱいです。人間の本性とは、そこまで醜いものだったのでしょうか。
私の知り合いの合唱仲間で、いわき市に住んでらっしゃる方がいます。その方は、時折仲間うちの掲示板で、窮状を語ってくれていました。最近も、先日の大きな余震で、いったんは再開した水道がまた使えなくなったと、寂しげでした。そんな方に、今回の川崎市民の行動はどのように写ったことでしょう。きっと私同様、とても人間とは思えないあまりにも冷たいやり口に、憤りを通り越して悲しみをおぼえているのではないでしょうか。少なくとも、「日本中の人が応援してくれている」という幻想を抱くことだけはなくなってしまったことでしょう。
そんな愚かさをさらけ出したのは、川崎市民にとどまらないのが、情けないことです。ネットなどでは、あろうことか、そんな川崎市民の態度を賞賛している人がいるのですよ。せっかく立ち直りかけたものが、先日の余震でまた振り出しへ戻ってしまったと感じている被災者は多いはずです。今回のことは、それ以上の脱力感を私たちに与えてくれました。
今ニュースでやっていましたが、関東地方の学校に転校した福島の被災者が、みんなからのけ者にされているのだそうですね。やはり、愚か者は川崎市民だけではありませんでした。地震、津波、原発に加えて、同じ日本の「仲間」さえも、福島に被害をもたらすものだったなんて。